転生をしたらそこは流星街?ゴミ溜めから始まる物語 作:板前さん
暗い森の道を、半日歩いた。
木々が途切れた先に、崖があった。その崖の根元に、岩をくり抜いたような入り口が、口を開けていた。
中は、広かった。
天井の高い洞窟を少し進むと、分厚い鉄の扉があった。
案内の男が合図すると、扉が内側から重い音を立てて開いた。
白い光が、目を刺した。
電灯だった。天井一面に、裸の電球がずらりと吊るされている。
どこか奥の方で、発電機が低く唸っていた。
洞窟の中は、工場だった。
乾いた葉を山のように積んだ一角から、ベルトコンベアが伸びている。
その先で、鉄の釜が湯気を上げていた。
釜で煮詰められたものが、管を通って隣の部屋へ流れていく。
ガラス越しに、白い服と口当てをつけた人間たちが、薬品の瓶を並べているのが見えた。
鼻の奥を刺す、甘く、きつい匂いが、空気に混じっていた。
壁際には、銃を提げた見張りが、等間隔に立っていた。
機械のない国の、地面の下に、機械があった。
そして、作業は驚くほど無駄なく流れていた。葉を運ぶ者、釜に放り込む者、仕上がった粉を袋に詰める者。誰も、余計な一歩を踏まない。前の者の手から、次の者の手へ。コンベアの速さに合わせて、品物が途切れることなく流れていく。
アッシュは、入り口で立ち止まった。
飯場の、レンガの山を思い出した。
「止まるな。お前の持ち場は、あっちだ」
案内の男に背中を押されて、アッシュは、葉の袋を運ぶ列に加わった。
働き手は、五十人ほどいた。
三日もすると、アッシュは、気づいた。
誰も、喋らない。
休みの合図が鳴れば、休む。食事の合図が鳴れば、食べる。眠りの合図が鳴れば、眠る。命じられたことは、黙って、正確にこなす。だが、それ以外のことは、何もしない。隣の者と目を合わせることすら、しなかった。
その目は、焦点が合っていなかった。
トリックタワーの独房で、白いやつ、白いやつ、と繰り返していた男の目。
ミザイストムが見せた写真の中で、言われるままに匙を口に運んでいた男の目。
ここで働かされている者たちは、皆、あの粉を与えられているのだ。
意思を溶かされて、言われたことだけを、言われた通りにこなす。
決まった時刻に起きて、決まった通りに運んで、決まった時刻に眠る。
アッシュは、葉の袋を肩に担いだまま、隣を歩く男の横顔を見た。
二段ベッドの上の段にいた、少年の顔が、重なった。
作業場を仕切っていたのは、一人の男だった。
三十過ぎの、痩せた男だった。頬がこけ、目の下に濃い隈がある。いつも、洞窟の一番奥の、少し高くなった岩の上に座って、作業の流れを眺めていた。
働き手たちは、その男を、ザイカハル、と呼んでいた。
「お前、流星街の出だってな」
十日目の夜、作業が終わった後で、ザイカハルが、アッシュの隣に腰を下ろした。
「案内の奴から聞いた。口が堅いのを連れてきたって」
「……ああ」
「ここで、あの粉を飲まされてねえのは、俺と見張りの連中と、お前ぐらいだ。新入りは、最初のひと月は様子を見る。使えそうなら残す。使えなけりゃ、粉を飲ませて、あいつらの列に並べる」
ザイカハルは、黙々と眠りにつく働き手たちの方を、顎でしゃくった。
その目は、何も映していなかった。怒りも、憐れみも、罪悪感も。ただ、空っぽだった。
「お前、なんでこんなとこに来た」
「……食い詰めた」
「嘘くせえな」
ザイカハルは、喉の奥で笑った。
「まあいい。ここに来る奴は、皆、何かしら嘘くせえ。俺もそうだった」
男は、懐から干した肉を取り出して、半分にちぎった。片方を、アッシュに放った。
「俺も、外の世界じゃ、どこにも居場所がなかった。生まれてこの方、運がいいと思ったことが一度もねえ。ここに来て、初めて、そういう話ができる相手に会った」
「……相手」
「王だよ」
ザイカハルは、干し肉を齧りながら、洞窟の天井を見上げた。
「この国の、本当の主だ。表の連中は名前も知らねえ。知ってるのは、俺たち、昔からの人間だけだ」
「王とは、よく言い合ったもんだ」
ザイカハルは、天井の電灯を見上げながら言った。
「どっちが、より運が悪かったか。どっちの生まれが、よりひどかったか。酒も飲まずに、夜通し、そんな話ばっかりしてた。俺は、自分より運の悪い奴なんか、この世にいねえと思ってた」
男は、干し肉の最後の一切れを、口に放り込んだ。
「負けたよ。あの人には」
アッシュは、黙って聞いていた。
「あの人はな、どこかの飯場で育ったらしい。言葉より先に、レンガの積み方を覚えたって言ってた。親父には、名前も呼ばれなかったってな」
喉の奥で、何かがつかえた。
「で、十二の時に、その親父を殺して、外に出た。そっから先のことは、あんまり話さなかった。ただ、一度だけ、こう言ってたな」
ザイカハルは、少しだけ、声の調子を変えた。誰かの口真似をするように、平坦に。
「世界を、俺が育った場所と同じにしてやる、って」
天井の電灯が、かすかに瞬いた。
「あの粉も、そのためのもんだ。世界中の人間を、言われたことだけをする人形にする。あの人は、それを、静かに、淡々と、一つずつ並べていく。レンガを積むみてえにな」
アッシュは、拳を握った。
「……あんたは、それでいいのか」
「いいも悪いもねえよ」
ザイカハルは、空っぽの目のまま、肩をすくめた。
「俺は、あの人の隣で、初めて息ができた。それだけだ。あの人が世界をどうしようが、俺は、あの人についていく」
それから、ふと、何かを思い出したように言った。
「そういや、あの人、変なもんをいつも持ってたな」
「……変なもの」
「壊れた方位磁針だ。ガラスにひびが入って、文字盤もほとんど読めねえやつ。何度か、それ捨てねえのかって聞いたことがある。あの人は、何も答えなかった。ただ、たまに、それを開いて、針が止まるのを、じっと見てた」
アッシュの呼吸が、止まった。
「それ見てる時だけは、あの人、少しだけ、首を傾げてたな。子どもみてえに」
ザイカハルは、立ち上がって、伸びをした。
「長話しちまった。明日も早え。寝ろ」
男は、洞窟の奥へ歩いていった。
アッシュは、その場から、動けなかった。
お前のでも、俺のでもない。二人の物だ。
二十一年前の、便所の裏。浮いたレンガの奥の、小さな隙間。
あの子は、まだ、持っていたのだ。
それから、ひと月が過ぎた。
アッシュは、作業場で働き続けた。葉の袋を運び、ザイカハルの言いつけをこなし、粉を飲まされずに済む「使える新入り」であり続けた。いつか、王のいる場所へ近づくために。
その頃から、洞窟の中の空気が、少しずつ変わり始めた。
最初は、見張りの数が減った。
海側の村へ、何人かが送られていった。戻ってこなかった。代わりの見張りが送られた。それも、戻ってこなかった。
「海辺の村で、人が消えてるらしい」
作業場の入り口で、見張りの男たちが、声を潜めて話していた。
「一晩で、村ごとだってよ。家は残ってるのに、人間だけがいねえ」
「獣じゃねえのか」
「獣が、村一つ平らげるかよ。漁師の生き残りが言ってたらしい。でけえ虫を見たって。人の背丈より、ずっとでけえ」
アッシュは、葉の袋を担いだまま、足を止めた。
虫。
頭の奥で、何かが、かすかに揺れた。
霧の向こう。ずっと昔に読んだ物語の、後ろの方。どこかの国で、化け物が生まれる話。
蟻の、化け物。
アッシュの背筋を、冷たいものが這い上がった。
二十一年前、流星街の朝、記憶の扉が開いた時。こぼれ落ちてきた欠片の中に、それはあった。釣り竿の少年。銀髪の少年。ハンター試験。念。大きな街の競売。幻影旅団。そして、どこかの国で、蟻の化け物が生まれる話。
どこかの国。
NGL。
その三文字が、霧の中で、何かと重なりかけた。
重ならなかった。思い出せなかった。物語の、どこで、何が起きたのか。誰が、どうなったのか。何一つ、輪郭を持たなかった。
ただ、ひどく嫌な予感だけが、胸の底で、冷たい石のように重くなっていった。
「おい、新入り。止まるなって言ってんだろ」
ザイカハルの声がした。
アッシュは、また歩き出した。
葉の袋が、ひどく重かった。
その夜、ザイカハルが、珍しく険しい顔で、洞窟の奥から出てきた。
「王から、無線で言伝だ」
男は、見張りたちを集めて言った。
「国境の外から、ハンターが何人か入ってきたらしい。生き物の調査だとか言ってな。表の長老どもが、断りきれずに入れちまった。余計なもんに近づかねえように、見張っとけ」
ハンター。
アッシュは、暗がりの中で、目を細めた。
この国に、自分以外のハンターが、入ってきた。