転生をしたらそこは流星街?ゴミ溜めから始まる物語   作:板前さん

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28.自然と彼と蟻

暗い森の道を、半日歩いた。

 

木々が途切れた先に、崖があった。その崖の根元に、岩をくり抜いたような入り口が、口を開けていた。

 

中は、広かった。

天井の高い洞窟を少し進むと、分厚い鉄の扉があった。

案内の男が合図すると、扉が内側から重い音を立てて開いた。

 

白い光が、目を刺した。

電灯だった。天井一面に、裸の電球がずらりと吊るされている。

どこか奥の方で、発電機が低く唸っていた。

 

洞窟の中は、工場だった。

乾いた葉を山のように積んだ一角から、ベルトコンベアが伸びている。

その先で、鉄の釜が湯気を上げていた。

 

釜で煮詰められたものが、管を通って隣の部屋へ流れていく。

ガラス越しに、白い服と口当てをつけた人間たちが、薬品の瓶を並べているのが見えた。

鼻の奥を刺す、甘く、きつい匂いが、空気に混じっていた。

壁際には、銃を提げた見張りが、等間隔に立っていた。

機械のない国の、地面の下に、機械があった。

 

そして、作業は驚くほど無駄なく流れていた。葉を運ぶ者、釜に放り込む者、仕上がった粉を袋に詰める者。誰も、余計な一歩を踏まない。前の者の手から、次の者の手へ。コンベアの速さに合わせて、品物が途切れることなく流れていく。

 

アッシュは、入り口で立ち止まった。

飯場の、レンガの山を思い出した。

「止まるな。お前の持ち場は、あっちだ」

案内の男に背中を押されて、アッシュは、葉の袋を運ぶ列に加わった。

 

働き手は、五十人ほどいた。

三日もすると、アッシュは、気づいた。

誰も、喋らない。

 

休みの合図が鳴れば、休む。食事の合図が鳴れば、食べる。眠りの合図が鳴れば、眠る。命じられたことは、黙って、正確にこなす。だが、それ以外のことは、何もしない。隣の者と目を合わせることすら、しなかった。

その目は、焦点が合っていなかった。

 

トリックタワーの独房で、白いやつ、白いやつ、と繰り返していた男の目。

ミザイストムが見せた写真の中で、言われるままに匙を口に運んでいた男の目。

ここで働かされている者たちは、皆、あの粉を与えられているのだ。

 

意思を溶かされて、言われたことだけを、言われた通りにこなす。

決まった時刻に起きて、決まった通りに運んで、決まった時刻に眠る。

アッシュは、葉の袋を肩に担いだまま、隣を歩く男の横顔を見た。

二段ベッドの上の段にいた、少年の顔が、重なった。

 

作業場を仕切っていたのは、一人の男だった。

三十過ぎの、痩せた男だった。頬がこけ、目の下に濃い隈がある。いつも、洞窟の一番奥の、少し高くなった岩の上に座って、作業の流れを眺めていた。

働き手たちは、その男を、ザイカハル、と呼んでいた。

 

「お前、流星街の出だってな」

 

十日目の夜、作業が終わった後で、ザイカハルが、アッシュの隣に腰を下ろした。

 

「案内の奴から聞いた。口が堅いのを連れてきたって」

 

「……ああ」

 

「ここで、あの粉を飲まされてねえのは、俺と見張りの連中と、お前ぐらいだ。新入りは、最初のひと月は様子を見る。使えそうなら残す。使えなけりゃ、粉を飲ませて、あいつらの列に並べる」

 

ザイカハルは、黙々と眠りにつく働き手たちの方を、顎でしゃくった。

その目は、何も映していなかった。怒りも、憐れみも、罪悪感も。ただ、空っぽだった。

 

「お前、なんでこんなとこに来た」

 

「……食い詰めた」

 

「嘘くせえな」

 

ザイカハルは、喉の奥で笑った。

 

「まあいい。ここに来る奴は、皆、何かしら嘘くせえ。俺もそうだった」

 

男は、懐から干した肉を取り出して、半分にちぎった。片方を、アッシュに放った。

 

「俺も、外の世界じゃ、どこにも居場所がなかった。生まれてこの方、運がいいと思ったことが一度もねえ。ここに来て、初めて、そういう話ができる相手に会った」

 

「……相手」

 

「王だよ」

 

ザイカハルは、干し肉を齧りながら、洞窟の天井を見上げた。

 

「この国の、本当の主だ。表の連中は名前も知らねえ。知ってるのは、俺たち、昔からの人間だけだ」

 

「王とは、よく言い合ったもんだ」

ザイカハルは、天井の電灯を見上げながら言った。

 

「どっちが、より運が悪かったか。どっちの生まれが、よりひどかったか。酒も飲まずに、夜通し、そんな話ばっかりしてた。俺は、自分より運の悪い奴なんか、この世にいねえと思ってた」

 

男は、干し肉の最後の一切れを、口に放り込んだ。

 

「負けたよ。あの人には」

 

アッシュは、黙って聞いていた。

 

「あの人はな、どこかの飯場で育ったらしい。言葉より先に、レンガの積み方を覚えたって言ってた。親父には、名前も呼ばれなかったってな」

 

喉の奥で、何かがつかえた。

 

「で、十二の時に、その親父を殺して、外に出た。そっから先のことは、あんまり話さなかった。ただ、一度だけ、こう言ってたな」

 

ザイカハルは、少しだけ、声の調子を変えた。誰かの口真似をするように、平坦に。

 

「世界を、俺が育った場所と同じにしてやる、って」

 

天井の電灯が、かすかに瞬いた。

 

「あの粉も、そのためのもんだ。世界中の人間を、言われたことだけをする人形にする。あの人は、それを、静かに、淡々と、一つずつ並べていく。レンガを積むみてえにな」

 

アッシュは、拳を握った。

 

「……あんたは、それでいいのか」

 

「いいも悪いもねえよ」

 

ザイカハルは、空っぽの目のまま、肩をすくめた。

 

「俺は、あの人の隣で、初めて息ができた。それだけだ。あの人が世界をどうしようが、俺は、あの人についていく」

 

それから、ふと、何かを思い出したように言った。

 

「そういや、あの人、変なもんをいつも持ってたな」

 

「……変なもの」

 

「壊れた方位磁針だ。ガラスにひびが入って、文字盤もほとんど読めねえやつ。何度か、それ捨てねえのかって聞いたことがある。あの人は、何も答えなかった。ただ、たまに、それを開いて、針が止まるのを、じっと見てた」

 

アッシュの呼吸が、止まった。

 

「それ見てる時だけは、あの人、少しだけ、首を傾げてたな。子どもみてえに」

 

ザイカハルは、立ち上がって、伸びをした。

 

「長話しちまった。明日も早え。寝ろ」

 

男は、洞窟の奥へ歩いていった。

アッシュは、その場から、動けなかった。

お前のでも、俺のでもない。二人の物だ。

二十一年前の、便所の裏。浮いたレンガの奥の、小さな隙間。

あの子は、まだ、持っていたのだ。

 

それから、ひと月が過ぎた。

アッシュは、作業場で働き続けた。葉の袋を運び、ザイカハルの言いつけをこなし、粉を飲まされずに済む「使える新入り」であり続けた。いつか、王のいる場所へ近づくために。

その頃から、洞窟の中の空気が、少しずつ変わり始めた。

 

最初は、見張りの数が減った。

海側の村へ、何人かが送られていった。戻ってこなかった。代わりの見張りが送られた。それも、戻ってこなかった。

 

「海辺の村で、人が消えてるらしい」

 

作業場の入り口で、見張りの男たちが、声を潜めて話していた。

 

「一晩で、村ごとだってよ。家は残ってるのに、人間だけがいねえ」

 

「獣じゃねえのか」

 

「獣が、村一つ平らげるかよ。漁師の生き残りが言ってたらしい。でけえ虫を見たって。人の背丈より、ずっとでけえ」

 

アッシュは、葉の袋を担いだまま、足を止めた。

虫。

頭の奥で、何かが、かすかに揺れた。

霧の向こう。ずっと昔に読んだ物語の、後ろの方。どこかの国で、化け物が生まれる話。

蟻の、化け物。

アッシュの背筋を、冷たいものが這い上がった。

 

二十一年前、流星街の朝、記憶の扉が開いた時。こぼれ落ちてきた欠片の中に、それはあった。釣り竿の少年。銀髪の少年。ハンター試験。念。大きな街の競売。幻影旅団。そして、どこかの国で、蟻の化け物が生まれる話。

 

どこかの国。

NGL。

その三文字が、霧の中で、何かと重なりかけた。

重ならなかった。思い出せなかった。物語の、どこで、何が起きたのか。誰が、どうなったのか。何一つ、輪郭を持たなかった。

ただ、ひどく嫌な予感だけが、胸の底で、冷たい石のように重くなっていった。

 

「おい、新入り。止まるなって言ってんだろ」

 

ザイカハルの声がした。

アッシュは、また歩き出した。

葉の袋が、ひどく重かった。

 

その夜、ザイカハルが、珍しく険しい顔で、洞窟の奥から出てきた。

 

「王から、無線で言伝だ」

 

男は、見張りたちを集めて言った。

 

「国境の外から、ハンターが何人か入ってきたらしい。生き物の調査だとか言ってな。表の長老どもが、断りきれずに入れちまった。余計なもんに近づかねえように、見張っとけ」

 

ハンター。

アッシュは、暗がりの中で、目を細めた。

この国に、自分以外のハンターが、入ってきた。

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