転生をしたらそこは流星街?ゴミ溜めから始まる物語 作:板前さん
エピローグ
門の外で目を覚ました翌日、アッシュは、生き残った人々を連れて、国境に一番近い町まで歩いた。
半日かかった。誰も、文句を言わなかった。村人たちは黙って歩き、働き手たちは、前の者の背中だけを見て、ついてきた。
町の外れの、古い宿屋の主人が、事情も聞かずに納屋を貸してくれた。四十六人が、藁の上に身を寄せ合って座り込んだ。
アッシュは、宿屋の帳場の電話を借りた。
上着の内ポケットから、手帳の切れ端を取り出す。二年前、港の安い食堂で渡された連絡先。三度目の呼び出し音で、繋がった。
「ミザイストムだ」
「……アッシュだ」
電話の向こうで、短い沈黙があった。
「生きてたか。NGLに入ったきり、何の音沙汰もなかったから、半分諦めてた」
「頼みがある」
アッシュは、話した。崖の下の工場のこと。薬を飲まされて、意思を溶かされていた働き手たちのこと。蟻に襲われた村のこと。今、町の納屋で座り込んでいる、四十六人のこと。
「ハンター協会で、この人たちを保護してほしい。働き手たちは、薬が抜けるまで、誰かがついていないといけない。村人たちも、帰る場所がない」
ミザイストムは、黙って聞いていた。
「……分かった。協会から、人を出す。数日、待ってくれ」
協会の人間が町に着いたのは、五日後だった。
天幕と、医者と、食料を積んだ車が、何台も。
アッシュは、働き手たちを一人ずつ医者に引き渡し、
村人たちの名前を書き留めていく係の男に、知っている限りのことを伝えた。
全部を引き渡し終えた夜、協会の天幕の無線で、もう一度、ミザイストムと話した。
「工場の場所は、協会の調査隊が確認した。証拠も、押さえた。NGLの表の長老たちも、協会の立ち入りを認めた」
ミザイストムの声は、静かだった。
「……法の手が、ようやく届いた」
届いた。だが、それは、国が蟻に食い荒らされた後だった。
「蟻は」
「協会が、今、総出で動いてる。生まれてくる王と、その護衛は、たぶん、これまで誰も見たことがないほどの化け物になる」
ミザイストムは、少しだけ言葉を切った。
「会長が、自ら出る」
アッシュは、無線機の前で、顔を上げた。
白く長い眉。海の底を覗き込むような、あの老人。
「選んだ数人を連れてな。その中に、ゴンとキルアもいる」
天幕の外で、風が鳴った。
「……一緒にいた、カイトは」
ミザイストムは、すぐには答えなかった。
「戻らなかった」
それだけだった。
アッシュは、目を閉じた。川べりの、夕陽の中の三人。その子たちを、頼む。ああ。
「ゴンは、カイトのために行く」
ミザイストムの声が、少しだけ低くなった。
「お前は、もう十分やった。これ以上は、会長たちの仕事だ。……少し、休め」
無線が、切れた。
アッシュは、天幕の外に出た。
夜空に、動かない星が一つ、見えた。
上着の内ポケットで、方位磁針が、かすかに重かった。
休め、と言われても、休める場所は、一つしか思い浮かばなかった。
人々を協会に預けた、その月のうちに、アッシュは、流星街へ帰った。
十七年ぶりだった。
ゴミの山は、何も変わっていなかった。どこまでも続く、捨てられたものの山。錆びた鉄と、腐った木と、割れたガラス。七日に一度のトラックが、相変わらず、外の世界の要らなくなったものを運び込んでいた。
爺さんの小屋は、もうなかった。あった場所には、別の誰かの、小屋が建っていた。
教会は、まだあった。
入り口の脇に、相変わらず、誰かが寝転がっていた。中から、炊き出しの匂いがした。
裏の墓地へ回った。
小さな十字架が、十七年前よりも、ずっと増えていた。その列の端の方に、爺さんの墓があった。木の十字架は、すっかり色褪せて、傾いていた。アッシュは、膝をついて、それを真っ直ぐに立て直した。
「……戻った」
誰に言ったのか、自分でも、分かっていた。
立ち上がろうとした時、隣の列の、一つの墓が目に入った。
小さな、子どもの墓だった。十字架の根元に、誰かが供えたらしい、色褪せた布の切れ端が結ばれていた。十字架に、名前が刻まれていた。
サラサ。
その下に、年が刻まれていた。
一九八四年。
自分が流星街を出た、翌年だった。
「その子を、知っておるのかね」
背後から、しわがれた声がした。
振り返ると、杖をついた老人が立っていた。色の褪せた僧衣。痩せた体。十七年前、爺さんを一緒に埋めてくれた、あの神父だった。ずいぶん、小さくなっていた。
「……いいえ」
アッシュは、首を振った。
「知らない子です。でも、俺が出ていった、次の年だ」
神父は、しばらくアッシュの顔を眺めていた。それから、目を細めた。
「お前さん、あの爺さんの、拾い子かね。ゴミ山の東の」
「……はい」
「そうか。帰ってきたか」
神父は、サラサの墓の前に、ゆっくりと腰を下ろした。
「明るい子でな。よく笑う子だった。ハートの形の鞄を、いつも提げておった」
神父の声は、静かだった。
「あの頃、ゴミ山の子どもたちは、拾ったビデオを、みんなで観るのが好きでな。言葉の分からん外国の映画を、黒い髪の賢い子が、自分の声で吹き替えて、みんなに聞かせておった。この子は、それを一番楽しみにしていた」
アッシュは、黙って聞いていた。
いつか、みんなで劇をやるんだ。帰ってきたら、見に来てね。
小指を絡めた、約束。
「ある日、この子は、いなくなった」
神父は、十字架を見上げた。
「外から来た連中の仕業だった。この街の人間は、記録の上では存在しない。だから、何をしても、誰も罪に問われない。子どもたちが、総出で探して、見つけた時には」
神父は、そこで言葉を切った。
「その日から、あの子たちは、変わった」
「……変わった」
「笑わなくなった。黒い髪の子は、本を読まなくなった。あの大きな、ウボォーという子も、山のてっぺんで笑わなくなった。皆で、何かを話し合っていた。何日も、何日も」
神父の目が、遠くを見ていた。
「それから、何年かして、あの子たちは、この街を出ていった。自分たちのことを、蜘蛛と呼んでいたそうだ。この街のために、外の世界に、何かを突きつけるのだと」
我々は、何ものも拒まない。だから、我々から、何も奪うな。
二十一年前、飯場の前で、流星街の大人が言った言葉。ルクソ地方の、あの現場に残されていた言葉。
アッシュは、サラサの墓を見下ろした。
この子が、奪われた。
だから、あの子たちは、奪う側になった。
それで、百二十八人を殺していいはずがない。子どもを、親の目の前で。目を、えぐって。一族の、たった一人の生き残りに、あんな目をさせて。
許せない。
それは、少しも、変わらなかった。
だが、もう、分からないままではなかった。
「……ありがとうございます」
アッシュは、神父に頭を下げた。
神父は、何も言わずに、杖を頼りに立ち上がった。それから、ふと思い出したように、振り返った。
「そういえば、あの頃、子どもたちは、時々、お前さんの話をしておったよ。ゴミ山の東の兄ちゃんは、今頃どこにいるんだろう、とな」
神父は、教会の方へ、ゆっくりと歩いていった。
アッシュは、サラサの墓の前に、長いあいだ、立ち尽くしていた。
翌朝、アッシュは、ゴミ山の西の外れへ向かった。
飯場は、まだあった。宿舎のトタンは新しくなり、資材置き場の場所も少し変わっていた。それでも、レンガの山と、セメントの匂いと、黙々と働く男たちの姿は、二十一年前と同じだった。
共同便所の裏の、壁の下のほうに、モルタルが崩れて浮いたレンガが、一つ。
指をかけて、引いた。奥の隙間に、錆びた鉄の留め具が、一つ入っていた。十七年前、流星街を出ていく朝に、空っぽのままにしておきたくなくて、ここに置いたもの。
アッシュは、留め具を取り出して、外套のポケットにしまった。
それから、内ポケットの一番奥から、方位磁針を取り出した。
黒ずんだ真鍮の蓋。ひびの入ったガラス。蓋を開けると、針が、震えながら、北を指した。
あの子が、二十一年間、持ち続けていたもの。そして、最後に、置いていったもの。
お前のでも、俺のでもない。二人の物だ。見たくなったら、いつでも出していい。
アッシュは、蓋を閉じて、方位磁針を、レンガの奥の隙間に、そっと置いた。
あの子が、まだどこかで生きているのかどうか、分からなかった。NGLの、あの夜。裏口の扉の向こうの森で、あの子が、どうなったのか。
それでも、ここに置いておきたかった。二人の物が、二人の場所にあるように。
アッシュは、立ち上がった。
「……取りに戻る約束が、もう一つあるんだ」
誰もいない便所の裏で、そう呟いた。
北の山の、丸太を組んだ小屋。預けたままの、名前の載ったカード。取りに戻ってこい。必ずな。
山道を登りきると、丸太を組んだ小屋の戸口に、シンが立っていた。
無精髭が、また少し白くなっていた。片手に、酒瓶。もう片方の手に、何の飾り気もない、小さなカードを持っていた。
「……取りに来たか」
「ああ」
シンは、カードを、アッシュの手のひらに押しつけた。それから、アッシュの脇腹の包帯を見て、顔をしかめた。
「派手にやったな」
「少しだけ」
「嘘つけ」
シンは、戸口から身を引いた。
「入れ。治るまで、ここにいろ」
その夏、アッシュは、山小屋で傷を癒やした。
朝は山道を歩き、昼は薪を割り、夜は焚き火の前で、シンと黙って酒を飲んだ。ゴミ山のことも、NGLのことも、あの子のことも、シンは何も聞かなかった。アッシュも、何も言わなかった。言わなくても、この男には、たぶん、分かっていた。
夏の盛りのある日、シンが村から、ひどく険しい顔で戻ってきた。
「村の電話に、お前宛てだ。……ガキの声だったぞ」
村の雑貨屋の、古い電話だった。
「……おっさん?」
キルアの声だった。
いつもの、面倒くさそうな、少し尖った声ではなかった。掠れていた。
「キルアか。どうした」
「ハンターサイトで、おっさんの名前で連絡先探した。師匠のとこにいるって、出てた」
電話の向こうで、キルアが、一度、深く息を吸う音がした。
「会長が、死んだ。王も」
短い言葉だった。
ほっほ、と笑って、茶を啜っていた老人。海の底を覗き込むような、あの目。
「協会は今、次の会長を決める選挙で、ごたごたしてる。ハンター全員に、投票の知らせが行くはずだ。おっさんのとこにも、そのうち来ると思う」
「……お前たちは」
電話の向こうで、長い沈黙があった。
「ゴンが、やばい」
アッシュは、受話器を握り直した。
「カイトの仇を討つのに、無茶したんだ。とんでもない力を、無理やり出して。今、病院にいる。生きてるけど、医者は、もう手の施しようがないって言ってる」
キルアの声が、少しだけ揺れた。
これくらいなら、やれる。川べりで、あの子は、そう言って笑っていた。
「……何か、できることは」
「ない」
キルアは、きっぱりと言った。
「俺が、何とかする。方法は、ある。俺にしかできないことだ。……おっさんに、何か頼みたくて電話したんじゃない」
「じゃあ、なんで」
キルアは、すぐには答えなかった。
「おっさん、NGLで、人を探してたろ。森の奥にいるって言ってた、昔の友達」
アッシュの呼吸が、止まった。
「俺の友達に、イカルゴって蟻がいる。人間だった頃の記憶を、持ってるやつだ。そいつ、人間だった頃は、NGLの裏の組織にいたんだって。王って呼んでる人の下で」
「……王」
「名前は、ジャイロ。イカルゴは、その人も蟻に食われて、生まれ直して、まだどこかで生きてるって、信じてる」
受話器を握る手が、震えた。
裏口の扉の向こうの森。あの夜、蟻を迎え撃ちに出ていった、あの子。
食われた。そして、生まれ直した。
人ではない形で。それでも、あの子のまま。
「どこにいるのかは、イカルゴも知らない。誰も知らない。……でも、おっさんが探してたの、その人なんじゃないかって、思ったから」
キルアは、それだけ言って、黙った。
アッシュは、しばらく、何も言えなかった。
「……ありがとう、キルア」
ようやく、それだけ言った。
「お前、今、自分のことで手一杯だろう」
「……別に。たまたま思い出しただけだよ」
いつもの台詞だった。けれど、その声は、少しだけ、震えていた。
「じゃあな、おっさん。俺、行かなきゃ」
「キルア」
アッシュは、受話器に向かって言った。
「隣にいるやつに、言いたいことがあったら」
電話の向こうで、キルアが、小さく息を呑む音がした。
「……分かってる。言うよ。今度こそ」
電話が、切れた。
キルアの電話から、十日ほど経った朝だった。
小屋の窓辺に、一羽の鳩が降りてきた。足に、細く巻いた紙が結びつけられている。もう一羽が、薪を割っていたシンの肩にとまった。
「……お前のとこにも来たか」
シンは、鳩の足から紙を外すと、広げもせずに、焚き火の脇に放った。
「読まなくても分かる。会長が死んだら、選挙だ。……面倒くせえ」
アッシュは、自分の分の紙を、鳩の足から外して広げた。
会長の死去。選挙の規則。全てのハンターが、候補者であり、投票者であること。投票率が九割五分に届かなければ、その回はやり直すこと。第一回の投票は、八月八日の深夜。読み進めるうちに、最後の行で、目が止まった。
選挙管理委員会、十二支ん。
その中に、見覚えのある名前があった。
丑、ミザイストム。
その夜、村の雑貨屋の電話が、また鳴った。
「俺だ」
ミザイストムの声だった。ひどく疲れていた。それでも、どこか、張り詰めていた。
「知らせは、届いたか」
「ああ」
「なら、来い」
短い言葉だった。
「票が欲しいわけじゃない。誰に入れるかは、お前が決めろ。ただ、会場に来て、自分の目で見てほしいものがある」
「……何を」
電話の向こうで、ミザイストムが、少しだけ声を落とした。
「副会長の、パリストンという男だ。会長の座を狙ってる。それだけなら、まあいい。だが、あの男の周りで、妙な話が出てる」
「妙な話」
「蟻の件の後始末でな。王が死んだ後、協会の飛行船が百隻以上、東ゴルトーへ飛んだ。何を積んで戻ってきたのか、どこにも残ってない。それに、あの男が副会長になってから、ハンターが十八人、行方知れずになってる。……俺の目だけじゃ、足りない」
アッシュは、受話器を握り直した。
積荷の中はもしかしたら蟻の生き残り?
その場合人間の記憶を持った、蟻たちがいる可能性がある。
「それと」
ミザイストムは、言葉を切った。
「ゴンの親父も、選挙に出てくる。ジン=フリークス。十二支んの一人だ。何を考えてるのか、俺にもさっぱり分からん」
アッシュは、しばらく黙っていた。
「……行く」
「助かる」
ミザイストムの声が、少しだけ緩んだ。
出発の朝、シンは、小屋の戸口にもたれて、腕を組んでいた。
「選挙なんざ、くだらねえ」
「知ってる」
「だが、お前が行くなら、まあいい」
シンは、焚き火の脇に放ったままだった紙を拾い上げて、ようやく広げた。それから、面倒くさそうに、何かを書きつけた。
「九割五分に届かなきゃやり直しなんだろ。棄権したら、いつまでも終わらねえ。面倒くせえ。誰が会長になろうが、俺のやることは変わらねえ。紙っきれ一枚出しゃ、十分だ」
「……じゃあ、なんで俺には、行けって言う」
「守る相手を、自分で選べるようになれ。昔、そう言ったろ」
シンは、にやりと笑った。
「お前は、まだ選べる側にいる。今度は、きちんと自分で選んでこい」
アッシュは、鳩の運んできた紙を小さく畳んで、外套の内ポケットにしまった。リオの葉書と、ミザイストムの連絡先と、走り書きのメモと、新聞の切り抜きの隣に。
内ポケットの一番奥は、空っぽだった。
方位磁針は、流星街の、浮いたレンガの奥で、待っている。
山を下りた町から、協会の本部のある街へ向かう飛行船が出ていた。
船内は、見るからにハンターと分かる客で埋まっていた。傷だらけの顔。奇妙な装束。退屈そうに窓の外を眺める者。手元の紙を睨みながら、誰に入れるかを小声で言い合う者。皆、同じ鳩の運んだ紙を、懐に持っていた。
アッシュは、窓際の席に座った。
眼下を、山と森が流れていく。
内ポケットに、手を当てた。鳩の運んできた紙。リオの葉書。ミザイストムの連絡先。走り書きのメモ。新聞の切り抜き。
一番奥は、空っぽだった。
方位磁針は、流星街の、浮いたレンガの奥で、待っている。
隣の席の二人組が、声を潜めて話していた。
「聞いたか。ゾルディックの三男坊が、家に戻ったらしい」
「暗殺一家の? なんでまた」
「さあな。会長と一緒に蟻の王を討ちに行ったガキの一人だろ。片割れが死にかけてるって話だ」
アッシュは、窓の外を見たまま、耳だけを傾けていた。
俺が、何とかする。方法は、ある。たぶん、俺にしかできないことだ。
電話の向こうの、掠れた声。何日も眠っていない声。
「ゾルディックの家の中で、何か揉めてるらしい。あの家の連中が揉めるってことは、ろくでもねえことに決まってる」
二人組は、そこで別の話に移っていった。
アッシュは、膝の上で、拳を握った。
おっさんに、何か頼みたくて電話したんじゃない。
キルアは、そう言った。あの子は、頼まない。一人で、全部抱えて、一人で片をつけようとする。誰に言われたわけでもなく、自分で選んで。
それが、あの子の選んだことなら、止めはしない。
投票を済ませたら、病院へ寄ろう、とアッシュは思った。ゴンが眠っている病院へ。
頼まれなくても、そこにいることは、できる。
もし、あの子が誰かに追われて、誰かに道を塞がれたなら。触れて、止めて、隙を作るくらいのことは、まだ、自分にもできる。
今度は、その場にいる。
飛行船が、雲の上に出た。
窓の外に、夏の高い空が広がっていた。
遠くの、雲の切れ間に、協会の本部のある街が、小さく見え始めていた。