Cyberpunk: After Glow — Main Story 作:AfterGlow
「んっ……」
目を覚ました時、アレックスは拘束台の上に固定されていた。ゆっくりと左右を見る。
右。左。
全身が固定され、身動きが取れない。
Gorilla ArmsはEMPの影響か、指先一つ動かすことができなかった。周囲には、ジョイトイクラブには似つかわしくない検査機が並んでいる。
Kiroshiと通信を試す。
「……ダメか」
声を出して、ボイスモジュレーターが外されていることに気づく。文字通り、手も足も出なかった。
「ひひっ。ざまあねえな、クソガキが」
声のした方へ目を向ける。パーキンスが、顔の治療を受けながら椅子にふんぞり返っていた。
「まさか、女ですらなかったとはなぁ。すっかり騙されちまったよ」
「残念かい?」
アレックスは返す。
「いや、どっちでもいい。俺は元々そっちの気はなかったが、今は楽しみで仕方ねぇ」
傷の残る顔に、下卑た笑みが浮かぶ。その視線が、拘束台の上を舐めるように這った。
アレックスは黙って男を見つめ返す。
「あんた、さっきと喋り方違わない? そっちが素?」
「あぁ? だったらなんだってんだよ」
「いや、そっちの方がいいよ」
「あ?」
アレックスは続けた。
「さっきの喋り方が気持ち悪すぎてさ。今もその喋り方だったら、顔の反対側もぶん殴っちゃってたかも」
「……減らず口を」
パーキンスの顔から、笑みが消えた。
「まあいい。てめぇのその面、身体、クロームへの異常に高い耐性」
椅子から身を乗り出し、アレックスを見下ろす。
「骨の髄までしゃぶり尽くしてから捨ててやる」
その気色の悪い視線を浴びて、少年の背筋に悪寒が走った。
「パーキンス様」
部下のネットランナーが口を開く。
「なんだ」
「サムがニューロポートから読み取ったデータを照会していましたが、やはり偽造されたものでした」
「ちっ、やっぱりかよ」
「ですが、この少年から返ってきたリアルタイムデータまでは偽造できなかったものと思われます」
「ほう。それで?」
「記録上は低クロームです。しかし、実際の神経反応は高出力OS搭載者のものに近い。表面の情報は偽装できても、本人の神経が返す反応までは消せなかったのでしょう」
「ん……? つまりどういうことだ?」
「おつむの出来はよくないみたいだね。そんなんで店回せてんの?」
アレックスが懲りずに減らず口を叩く。
「黙ってろ!」
怒鳴り声が検査室に響いた。
「つまりは……金になります」
「そうか」
途端に、その顔へ笑みが戻る。
「徹底的に調べろ。こいつは、もしかしたら金の卵かもしれねぇ」
「かしこまりました」
「それと、深層スキャンも続けろ。まだ何か出るかもしれねぇからな」
「パーキンス様もお調べになるのですか?」
どうやら普段は、こういった仕事はしていないらしい。
「まあ、味見だな」
湿った舌が、ゆっくりと唇を舐めた。
◇
「おい、顔上げな、ガキ」
「触んなよ」
言葉通り、パーキンスたちはアレックスを徹底的に調べ始めた。顔をなぞる。
髪を指で梳く。身体をべたべたと触り、品定めをする。首のニューロポートを確認する。
「触んなっつってんだろ、気持ち悪りぃ!」
アレックスは牙を剥き、怒った。だが、パーキンスたちは意に介さない。そのまま触り続け、
「大人しくしろ」
「笑え」
と、にやついた顔で言ってくる。アレックスは、その不快感に吐き気を催した。
「くそっ! リリィが来たら、お前らコマ切れにされるからな!」
その程度の虚勢を張るのが精一杯だった。
「何言ってやがる、慣れたもんだろ。昔もジョイトイやってやがったんだからな」
アレックスの表情が固まる。
「……なんで?」
パーキンスは鼻で笑った。
「さっき吸い上げた神経署名で照合したら、古い登録が一件引っかかった。今の身元とは綺麗に切られてたがな」
「……」
「隠したつもりだったみてぇだが、身体までは誤魔化せなかったらしい」
パーキンスの口元が歪む。
「それに、売り物をどう扱おうが俺たちの自由だ。……おい、そっちはどうだ」
パーキンスは、並行して深層スキャンを進めていたネットランナーへ言葉を投げる。
「先程、高出力OSへの適合反応があると申し上げましたが……逆ですね」
「逆?」
「はい。高出力OSとの接続を前提に改造されています。背中に未知のシステムが埋め込まれていますね。市販のBerserkシステムと似ていますが……」
「なんでもいい。未登録の違法OSってとこだろ。それで、どうなんだ?」
「金になります」
「よし! もっと深くまで潜れ! できるだけ高い値段で売り捌いてやる!」
「パーキンス様」
「あ?」
「内部へのアクセスを試みていますが、拒絶されています」
ネットランナーがホロ画面を睨みながら言った。
「通常権限では、これ以上の情報を引き出せません」
「だったら、どうすりゃいい」
「システムを実際に応答させれば、出力と神経反応を測定できます。ただし、外部から強制的に信号を送ることになりますので……」
ネットランナーが拘束台のアレックスへ視線を向ける。
「本人の神経系へ、相当な負荷がかかる可能性があります」
アレックスの表情が変わった。
「……やめろ」
「死ぬのか?」
パーキンスは、それだけを尋ねた。
「出力を抑えれば、即死する可能性は低いかと。しかし、どのような反応が起こるかは——」
「じゃあ、やれ」
「おい」
アレックスが拘束具を揺らす。動かないGorilla Armsが、金属台の上で鈍い音を立てた。
「……それに触るな」
ネットランナーは一瞬だけ手を止めたが、パーキンスの視線を受け、再びホロ画面へ向き直った。アレックスの背中へ、二本のコードが接続される。
首のニューロポートとは違う。皮膚の奥へ埋め込まれたシステムを探るように、冷たい端子が背骨の両脇へ押し当てられた。
「やめろって言ってるだろ」
声に、隠し切れない震えが混じる。
「擬似起動信号を送ります」
「やめろ……!」
ホロ画面の数値が跳ね上がった。次の瞬間、灼けた鉄線を背骨へ差し込まれたような激痛がアレックスの全身を貫いた。
「がっ——!」
身体が大きく跳ねる。筋肉が本人の意思を無視して収縮し、拘束具が軋んだ。
停止していたGorilla Armsの内部で、モーターが断続的な唸り声を上げる。視界を赤いノイズが埋め尽くした。
警告表示がいくつも重なり、Kiroshiの奥で明滅する。
『出力を上げろ』
声が聞こえた。今ここにいる誰のものでもない。遠い過去から、頭蓋の内側へ直接流れ込んでくる声。
『なんてこった、本当に素晴らしい』
『耐えられるさ、男の子だろ?』
「やめ……ろ……」
アレックスは歯を食い縛った。だが、身体は言うことを聞かなかった。
Berserkが外部から送り込まれた信号へ反応し、本人の意思とは無関係に神経へ命令を流し込んでくる。心拍が跳ね上がる。
血液が全身を駆け巡り、体温が急激に上昇した。拘束台が、激しく音を立てる。
「出力、上昇しています!」
ネットランナーの声が裏返った。
「まだ上がります! 通常のBerserkではありません!」
「もっとやれ!」
パーキンスが画面へ身を乗り出した。
「限界まで出せ! 全部記録しろ!」
「やめろって……言ってんだろォッ!!!」
アレックスの絶叫と同時に、Gorilla Armsが大きく痙攣した。拘束具を留めていたボルトが一本、甲高い音を立てて弾け飛ぶ。
「止めます!」
ネットランナーが慌てて強制信号を遮断した。赤いノイズが消える。全身を支配していた力が突然失われ、アレックスの身体が拘束台へ落ちた。
荒い呼吸だけが、検査室に響く。額から流れた汗が、頬を伝う。
口元には、噛み締めた唇から滲んだ血が細く流れていた。
「……っ、は……」
指一本動かせない。それでもアレックスは、焦点の定まらない目でパーキンスを睨み続けた。パーキンスは怯えるどころか、子供のように目を輝かせていた。
「すげぇな」
ホロ画面に並んだ異常値を見つめ、笑みを深くする。
「こいつは、本当に高く売れるぞ」
アレックスは返事をしなかった。返すだけの力が、もう残っていなかった。ただ、胸の奥で一つの思いだけが燃えていた。
殺す。こいつらだけは、必ず。
◇
「パ、パーキンス様」
ネットランナーが、青ざめた顔で画面を凝視していた。
「ん? なんだ?」
異常値を眺めていたパーキンスが、面倒そうに振り返る。アレックスは拘束台へ沈み、荒い呼吸を繰り返していた。
「こちらをご覧ください」
画面に、アレックスのBerserkの検出結果が表示されていた。
型式不明。製造元不明。通常権限では内部へアクセスできない。神経系との接続が異常に深く、通常よりはるかに高い出力。古い管理権限が残っており、外部管理者用と思われる識別情報が存在する。
——どう見ても異様だった。こんなもの、軍用クロームでもありはしない。
そこだけは、パーキンスにも理解できた。そして、その表示を見た瞬間、パーキンスはブローカーから繰り返し言い含められていた命令を思い出した。
未登録の高出力OS。解析不能な管理権限。特定の神経接続パターン。
いずれかを持つ個体を発見した場合、処分も移植も転売もせず、スキャン結果を指定サーバーへ送信すること。理由は知らない。知る必要もなかった。
条件に合う商品を送れば、通常より多額の報酬が支払われる。アレックスは、まさにその条件を満たしていた。
パーキンスは不敵な笑みを浮かべる。
「こいつを送りつければ、今まで以上に金が入ってくる」
周囲のスタッフへがなり立てた。
「おい! こいつは通常の商品じゃない! 別枠で処理しろ! データを指定サーバーへ送れ!」
スタッフたちは、すぐさまスキャン結果を送信した。
画面に、送信完了の文字が浮かぶ。その先で誰が受け取るのか、パーキンスは知ろうともしなかった。
「こんなところか」
パーキンスは息を吐くと、スタッフへ命じる。
「まだ何か出ないか、スキャンを続けろ」
そして、またあの下卑た笑みを浮かべた。
「終わったら、俺の部屋に連れて来い」
アレックスの顔が僅かに恐怖に染まる。過去が、噛み付いてくるかのようだった。
◇
リリィとノヴァは、ブルー・ヒート裏手にある地下搬入口の前にいた。
狭いコンクリート通路。店内の重低音が壁越しに響き、頭上の赤い非常灯が濡れた床を照らしている。
「ノヴァ! まだですか!?」
リリィは鋼鉄の扉の前に立ち、Errataの柄へ手をかけていた。
「今やってる!」
その後ろでは、ノヴァが配電盤を開き、手首から伸ばしたコードを物理接続している。ノヴァの指が、空中に展開された無数のホロウィンドウを滑っていく。一つ突破するたび、その奥からさらに新たなICEが現れた。
「くそっ!」
ブルー・ヒートの内部セキュリティは、見た目以上に堅牢だった。日頃、内部で行われている凶行を隠すためなのだろう。
リリィは、アレックスの姿を想像する。想像してしまう。最後に通信が切れた時の声。苦悶に歪んでいたであろう表情。
「ノヴァ」
静かに呼びかける。
「……もう待てません」
Errataの柄を握り、鋼鉄の扉へ一歩近づいた。
「そこで待てって言ってんの!」
滅多に見せないノヴァの怒号が、今にも扉を蹴破ろうとしていたリリィを踏みとどまらせた。
「現時点で地下の構造は分からない。監視カメラの支配権もゼロ。防衛設備も、それ以外も全部不明。何より……」
ノヴァは手を休めずに続ける。
「……アレックスの居場所が分からない」
「踏み込んでから探します」
リリィは再び一歩を踏み出した。
「それでアレックスを移動させられたら!?」
足が止まる。
「最悪の場合、消されるかもしれない!」
Errataの柄を、刀が折れそうなほど強く握り締める。
ノヴァを責めたところで状況は改善しない。そんなことは、リリィ自身が誰よりもよく分かっていた。
「だから、もう少しだけ待ってて」
ああ、なぜあんなことを言ってしまったのか。
『——必ず……必ず戻ってきてください。』
まるで、もう戻ってこられないと予感していたかのように。
そもそも、アレックスを一人で行かせるべきではなかったのではないか。答えのない自問が、頭の中に浮かんでは消える。
「私は……また……」
声が続かなかった。あの日、自分は何も守れなかった。
家も、主も、コールドウェルの名も。
かつて誇りと呼んでいたものは、すべて失った。それでも、一つだけ残ったものがあった。
あの日、腕の中で泣いていた少年。六歳だった子供が、自分の足で立ち、自分の意思で戦えるほどに育った。それだけは、今のリリィが、誰に憚ることなく誇れるものだった。
それすら、また守れないのか。薄暗い、二人だけの家。命に代えても守ると誓った存在。
その彼が、リリィを守るために自らを差し出した、あの日。また、守り切ることができなかった。出発前に握った手の感触を思い出し、リリィの全身を耐え難い慚愧の念が包む。
その時だった。
「……! 生体情報、出た!」
「……!」
リリィはノヴァのもとへ駆け寄った。
「坊ちゃんは……坊ちゃんは無事なのですか!?」
「死んではいない。意識もある。ただ……心拍数とストレス反応が異常に高い。クロームの類は全部停止してる」
「ああ……坊ちゃん」
どんなことをされているのか。想像しただけで、身を引き裂かれそうになる。そんなリリィを、ノヴァが見つめた。
その瞳に、ひときわ強い決意が漲る。
「リリィ」
「ノヴァ?」
「……今は一人じゃないよ」
ノヴァがサイバーデッキの出力を上げる。オーバークロック。次々と湧いてくるICEを、片端から粉砕していった。
「ああもう、邪魔!」
ノヴァの鼻から、鮮血が一筋流れ落ちた。
「出た!」
地下構造。内部カメラ。防衛設備。
閉ざされていた情報が、次々とホロ画面へ展開されていく。そして、通信が繋がった。
◇
リリィの視界の端に、通信画面が開かれる。最初に映ったのは、アレックスの腕だった。力なく垂れ下がった腕を、拘束具が支えている。
次に、顔が映る。
疲弊し切った虚ろな目。呼吸は浅く、頼りない。
「坊ちゃん!」
リリィが思わず叫ぶ。不意に、画面の向こうでアレックスの頬へ何者かの手が触れた。パーキンスだった。
『なんだ。通信を取られたのか』
『申し訳ございません。敵にも腕利きのランナーがいるようです』
『ふん、まあいい』
パーキンスの下卑た顔を睨み据え、リリィは口を開いた。
「あなたが、この店の責任者ですね?」
声は低く、冷え切っていた。
「坊ちゃんから手を離してください」
『断る。商品をどう使おうが、俺の勝手だろう?』
リリィの額に青筋が浮かぶ。
「もう一度言います。坊ちゃんから手を離してください」
パーキンスは、リリィの反応を楽しむように笑った。
『何をそんなにムキになってる? たかがジョイトイ……ああ、今は傭兵だったか。まあ、どっちでもいい』
毛の生えた指が、アレックスの髪へ触れる。
『もったいねぇよなぁ。俺専属のドールにしてやろうとも思ったんだが、上からのお達しでな。すぐにでも送らなきゃならない』
指が、その髪を弄ぶ。
『まあ、その前にしっかり楽しませてもらうがな』
リリィの目が細くなる。
「坊ちゃんに触れるな」
その声には、明確な怒気が含まれていた。
『おいおい、怒るなよ』
パーキンスはなおも挑発を続ける。
『こいつの古い記録を掘ったら、お前まで出てきたぞ。リリィ・コールドウェル』
ノヴァが恐る恐るリリィを見上げた。見たこともない形相をしている。
『お前もジョイトイだったんだってな? ふむ。お前なら飼ってやってもいいがな』
パーキンスは笑う。
『だいたい、お前は元々アラサカの犬だろ? 契約は解除されてるはずだ。このガキに執着する理由なんて——』
「その汚らわしい手を離せ、無礼者ッッ!!!」
怒声が、狭いコンクリート通路を震わせた。
怒髪天を衝く。パーキンスは呆気に取られ、画面越しのリリィを見つめている。
リリィは一度、深く息を吸った。
次に口を開いた時、その声は再び静けさを取り戻していた。
「今から、そちらへ行く」
それは警告ではなかった。決定した未来を告げる言葉だった。
「避けられぬ死だ。せいぜい祈るがいい」
ノヴァは口を閉じ、リリィの横顔を見つめている。
「もっとも、貴様のような下衆を救う神がいるならな」
通信を切った。
リリィは再び、鋼鉄の扉の前へ立つ。
「ノヴァ」
「もう開けてるよ」
扉の向こうで、重いロックが外れる音がした。
「……ありがとう」
解錠音が鳴り終わるより早く、リリィは鋼鉄の扉を蹴り飛ばした。
◇
「誰だ!」
搬入口の扉の向こうには、七人の警備隊が配置されていた。一斉にリリィへ銃口が向けられる。
問いには答えない。Nueを抜き、発砲した。
二発。弾丸は二人の眉間を正確に貫き、額から赤い線が伝った。
「撃て!」
部隊長と思しき男が声を荒らげる。リリィは眼帯を脱ぎ捨てた。眼帯の下に隠されていた義眼——Argusが露出する。
それぞれが独立した、三つの赤いレンズ。リボルバー式の顕微鏡を思わせる機構が、眼窩から僅かに張り出している。端正な顔立ちの中で、そこだけが異物のように醜く浮いていた。
「ひっ」
警備隊の男が短い悲鳴を上げ、サブマシンガンを乱射する。銃声が狭い通路に反響した。
リリィは、まるで弾丸の軌道を最初から知っていたかのように身体を滑らせる。額を撃ち抜くはずだった弾丸が、銀白色の髪だけを揺らした。次の瞬間には、もう男の懐にいる。
Errataが閃いた。袈裟懸けに斬りかかる。
男の身体に細い線が走る。一拍遅れて、上半身が滑り落ちた。
返す刀でもう一人を唐竹に斬り伏せる。
「う、撃て!」
生き残った三人が一斉に銃を構えた。
リリィは横へ跳び、男たちの側面へ回り込む。
三つの銃口が、その動きを追う。男たちは互いの射線を塞がないよう、わずかに位置をずらした。
ほんの一瞬、壁際の一人が他の二人より前へ出る。
リリィはErrataを逆手に持ち替えた。
「——フンッ!」
投擲。
空気を裂いた刀身が、男の胸を貫く。
「がっ——」
衝撃で身体ごと後方へ吹き飛び、そのまま壁へ縫い止められた。
残された二人の視線が、一瞬だけ壁のErrataへ向く。
リリィの手には、もう刀がない。
——好機。そう判断したのだろう。二人が同時に踏み込んだ。
「今だ!」
一人が銃口を持ち上げ、もう一人も照準を合わせる。
リリィは動かなかった。両腕から、乾いた金属音が鳴る。瞬間、男たちの顔が凍りついた。
前腕部が開き、収納されていた二振りのMantis Bladesが勢いよく展開された。
「な——」
——遅い。
リリィが踏み込む。右腕が振り抜かれた。
銃を構えていた男の腕が、武器ごと宙を舞う。悲鳴を上げる暇もない。
身体を反転させ、その勢いのまま左のブレードをもう一人の胴へ走らせる。血飛沫が上がる。
振り返った時には、最初の男の喉が横一文字に裂かれていた。二人がほぼ同時に崩れ落ちる。
静寂が場を支配した。壁に縫い止められた男だけが、まだ微かに息をしていた。
「……た、助け……」
リリィは答えない。
男の前まで歩み寄る。Mantis Bladesを収納すると、Errataの柄を握った。
一息に引き抜く。男の身体が床へ崩れ落ちた。
「リリィ! 大丈——わっ」
遅れて入ってきたノヴァが、床に転がった死体へぶつかりそうになってSTELLAを急停止させた。血の海の中心に、リリィが立っている。
それ以外に、生きている者はいなかった。ノヴァは辺りを見回した。
切断された銃、転がる腕、壁に残った刀傷。そして、全身に返り血を浴びたリリィ。
「うーわ、すっげぇ……」
間の抜けた感想が漏れる。リリィは、Errataについた血を振り払った。
鞘へ納める。
「先を急ぎます」
それだけを言い残し、さらに奥へ踏み出した。
ノヴァは施設図で見つけた搬送用リフトへSTELLAを向け、その後を追った。
◇
「なんだ……何が起こってる!」
パーキンスはモニターを見つめながら叫ぶ。先ほどまで貼りついていた笑みは消えている。だが、それでもまだ恐怖には変わっていなかった。
「……だから言ったじゃん……。コマ切れにされる、って……」
アレックスがか細い呼吸と共に口を開いた。パーキンスが睨みつける。
「……今のうちに尻尾巻いて逃げたほうがいいんじゃない? もう謝っても許してくれないよ」
まるで人ごとのように言う。それが、パーキンスの神経を逆撫でした。アレックスの頬を張る。
「いてっ……。へへ……」
アレックスの笑いは消えない。
「くそっ」
モニターの中では、修羅と化したリリィが部下たちを切り伏せていた。不意に、パーキンスが何かを思い出した顔をした。
「そうだ、あいつらだ! あいつらを呼べ!」
「あいつら……? 特別処理班でしょうか?」
「そうだ!」
部下は一瞬躊躇う。
「しかし、彼らは緊急時の地下制圧要員ですが……」
「だから出せっつってんだボンクラ! どう見ても今がその時だろうが!」
「は、はい」
パーキンスの顔に先程の笑みが戻ってくる。
「ひひ、奴は終わりだ」
その横顔をアレックスは冷めた目で見つめていた。
◇
リリィとノヴァは地下二階、吹き抜けになったフロアの上層、キャットウォークの上にいた。
「降下します」
リリィは短く言う。
「うん……あっ! ちょっと待って!」
ノヴァが慌てて制止した。
吹き抜けになったフロアの下層。地下三階にあたるエリアから、武装した男たちが出てきた。
全部で六人。全員が高級戦闘クロームを搭載しており、大半は軽装ではなくコンバットアーマーを着用していた。
手にはスマート武器かアサルトライフル。そのうち一人はマックス・タックの制圧部隊を思わせる大型バリスティックシールドを装備しており、一人だけ軽装の女が混じっている。
背中に覗くサイバーデッキ。明らかに電子戦用のネットランナーだった。
「うわー、強そうな奴ら出てきた」
ノヴァが呟く。
「問題ありません」
リリィは構わず降下しようとする。
「いや、ちょっ……ストップストップ!」
再び、慌てて制止する。
「急がなければ」
「分かったから、ちょっと待って!」
ノヴァは頭を抱えた。
「あー、なんかアレックスをリリィが育てたっての、今初めて実感湧いたかも」
「?」
「うーん、そうだなぁ」
ノヴァは周りを見回す。そして……。
「いいこと思いついた」
人差し指を立て、ニヤリと笑った。
◇
下方で武装した男たちは口を開く。
「全員、上での戦闘は確認したか?」
リーダーらしき男だった。
「ああ。まあ、ああいう手合いは背後にだけ気をつけときゃ正味問題ねぇ。囲んで叩いてしまいだ」
シールドを持った男が口を開く。
その時だった。
『あーあー、マイクテスマイクテス』
乗っ取られたのだろう。スピーカーからノヴァの声が響く。男たちは瞬時に背中合わせに円陣を組んだ。
シールドを持った男が半歩前へ出る。大型の盾を床へ固定し、正面の射線を塞いだ。
残る五人が、その死角を埋めるように銃口を散らす。どう見ても、リリィを警戒した動きだった。
その様子を検査室のモニターからパーキンスが眺めていた。
「くく……おい、ガキ」
アレックスは答えない。
「あいつらは地下処理班だ。さっきの警備とは違う。地下で被験者が暴れた時のために置いてる連中だ」
パーキンスの顔に、僅かに余裕が戻る。
「あの女は終わりだ。ボロ雑巾になってお前の前に出てくることになる」
モニターを見つめたまま、アレックスは口を開いた。
「あー……」
気の抜けた吐息を漏らした。
「なんだよ」
パーキンスはつい、素直に聞き返した。
「いや、ほんとに荷物まとめといた方がいいよ」
小さく息を吸い込んだ。
「あいつら死ぬから」
パーキンスは、この期に及んでも状況が飲み込めていないのかと、憐れみを含んだ目でアレックスを見る。そして、そのまま聞き流した。
スピーカーからノヴァの声は響き続ける。
『あんたらも可哀想にねぇ。こんな時間にわざわざ引っ張り出されて』
一人がアサルトライフルを撃ち、スピーカーが破壊される。
別のスピーカーから声が響いた。
『家に帰って連続ドラマの続きでも見てた方が良かったんじゃない〜? 今やってる奴おも——』
今度は途中で破壊された。
「さっさと出てきたらどうだ? 楽に殺してやる」
ネットランナーの女が口を開いた。
『ああ、そういう態度取っちゃうわけ。……じゃあ仕方ないね』
スピーカーが鳴り止んだかと思うと、フロアの照明が落ちた。
辺りを暗闇が包む。
「暗視に切り替えろ!」
リーダーの男の檄が飛ぶ。処理班は円陣を崩さない。
シールドは正面を塞いだまま。六人の銃口が、それぞれ別の方向を警戒している。
「照明系統を奪われた!」
ネットランナーの女が即座にホロウィンドウを展開する。
「取り返す!」
暗闇の中、頭上のキャットウォークで、金属が小さく軋んだ。
二秒後、照明が復旧した。
円陣の中心。シールドの内側に、リリィが跪いていた。
「てめっ——」
男たちが背後へ向き直る刹那。
「遅い」
Sandevistanを起動した。
引き伸ばされた時間の中。処理班も反応する。
銃口が動く。シールドの男が反射的に盾を引き戻す。
女の瞳に戦闘UIが走った。
それでも、遅い。Errataが閃く。
一人。二人。三人。四人。五人。六人。
流れるように刃が駆け抜ける。リリィは円陣の外へ抜けた。
時間が元に戻る。六人は、まだ立っていた。
一人が銃口を動かそうとする。
「……消え——」
胸元に、細く赤い線が浮かんだ。次いで、二人目。三人目。四人目。
血が噴き出す。六人の身体が、ほぼ同時に崩れ落ちた。
「「あーあ、だから言ったのに」」
アレックスとノヴァの独り言が重なる。
頭から血を被ったまま、リリィは監視カメラの方を向いた。三つの赤いレンズが、カメラ越しにパーキンスを見据えていた。
「あと何メートルですか」
通信越しにノヴァへ問いかける。
『あと十五メートル。連中が出てきた扉だよ』
パーキンスはそこで初めて、モニターではなく検査室の扉を見た。
その顔から、血の気が失せる。
「扉をロックしろ!」
「いや、ですが——」
「早くしろ!!!」
重い防火扉が閉じる。
モニターの中。リリィは歩みを止めなかった。扉の前まで来る。
Errataを抜く。一閃。
ロック部分が火花を散らした。
もう一度。金属が悲鳴を上げる。パーキンスが後ずさった。
「全員、ここへ集めろ!」
側近たちが慌てて武器を構える。
「早くしろ! あの女を入れるな!」
扉の向こうで、足音が止まった。
パーキンスは扉を見つめたまま動けない。
「来るな……」
扉が大きく歪んだ。
「来るな……!」
もう一撃。
「来るなッ!!!」
検査室の扉が、内側へ蹴り飛ばされた。
◇
「あ……ああ……」
パーキンスの喉から、掠れた呼吸が漏れる。
扉の向こう。リリィが立っていた。
銀白色の髪も、頬も、黒い衣服も、返り血に濡れている。露出したArgusの三つの赤いレンズが、それぞれ別の方向を向きながら周囲を走査していた。
その中で、右眼だけが真っ直ぐパーキンスを見据えている。そこには、明確な殺意があった。
「お、お前ら! 何してる! 早くこいつを——」
言い終わらないうちにErrataが閃いた。一人が銃を構えるより早く、喉が裂ける。
返す刃が二人目の胸を薙いだ。残る側近たちも慌てて引き金へ指を掛ける。
遅い。斬撃が走り、血が噴き出す。数秒後には、全員が床へ崩れ落ちていた。
リリィは足を止めない。
「ひ、ひぃっ……」
一歩。また一歩。パーキンスへ近づいていく。
追い詰められたパーキンスは周囲を見回し、すぐそばに拘束されたアレックスへ目を向けた。震える手で銃を抜くと、その銃口をアレックスの頭へ押しつけた。
初めて、リリィの歩みが止まった。
「動くな! こいつがどうなっても——」
三流映画の悪役のような台詞を吐き捨てる。リリィが動かないことを確認すると、パーキンスの顔に引き攣った笑みが戻った。
「へ、へへ……! そうだ。それでいい」
銃口をさらに押しつける。
「この店は俺の城だ……!」
リリィは何も言わない。
「テメェみてぇなメス犬一匹に、どうこうされるわけがねぇんだよ!」
その時だった。
パーキンスの手元で火花が散る。
「!?」
銃から白煙が上がった。次の瞬間、内部回路が弾ける。
「ぐわっ!」
パーキンスが反射的に銃を放り捨てた。
「残念。二人だよ」
声がした。
ノヴァが扉の影から姿を現す。
「ぐっ……」
パーキンスは後ずさり、そのまま膝をついた。見上げた先にリリィがいる。
「なんで……」
声が震えていた。
「なんでそこまでする?」
リリィは答えない。
「契約の切れたガキ一匹だろ!? 金にもなりゃしねぇ! なんでそこまでしやがる!」
「笑止」
ようやく、リリィが口を開いた。
「私は命じられて、坊ちゃんの傍にいるのではない」
一歩。パーキンスとの距離が縮まる。
「契約でも、義務でもない」
Errataを握る手に力が籠もる。
「私が……私自身が、選んだのだ」
「ま、待て!」
パーキンスが両手を上げた。
「待ってくれ! 謝る! 悪かった! だから——」
リリィは止まらない。
「金か!?」
その言葉に、足が止まった。
パーキンスの顔に希望が浮かぶ。
「そうだ、金だ! いくら欲しい!? 言ってみろ! 何万でも、何十万でも——」
Errataが突き出された。
「うぼっ!?」
刀身が口内へ入り、そのまま頬を内側から貫いた。血が溢れる。
「下郎が……」
リリィは冷たい眼で見下ろした。
「もはや貴様と交わす言葉はない」
「まっ……まっへ……!」
刀身を咥えたまま、パーキンスは必死に何かを喚いている。リリィの右眼が細くなる。
「私の誇りを汚したこと……」
その声が低く震えた。
「地獄で詫びろッ!!!」
Errataを一息に引き抜く。パーキンスが咄嗟に手を伸ばした。
制止しようとする掌ごと——その首を横一文字に刎ねた。
首が宙を舞う。恐怖に歪んだ表情のまま床へ落ち、転がった。首を失った身体は、膝をついた姿勢のまま僅かに揺れると、やがて前へ崩れ落ちた。
——まるで、赦しを乞う罪人のように。静寂が戻る。
リリィはErrataについた血を振り払うと、鞘へ納めた。
Argusはなおも乾いた駆動音を鳴らしながら、勝手に周囲を走査し続けている。全身は血に塗れていた。
呼吸も荒い。その姿のまま、リリィは振り返った。アレックスを見る。
右眼に、みるみる涙が溜まっていく。
「坊ちゃん……!」
駆け寄る。アレックスは拘束台の上で、力なく笑った。
「ったく……遅いよ」
「申し訳ございません」
リリィが右手を伸ばす。頬へ触れようとした、その時だった。アレックスの身体が僅かに震えた。
肩が強張る。リリィが恐ろしいわけではない。それでも身体だけが、勝手に身構えた。
リリィの手が止まる。
あと数センチ。決して、それ以上は近づけなかった。
「……触っても?」
アレックスはリリィを見る。涙で濡れた右眼。血に染まった頬。触れる寸前で、じっと待っている手。
「……うん。大丈夫」
リリィの指先が、ようやく頬へ触れた。
優しく、壊れ物に触れるように。二度、三度。
親指が頬を撫でる。アレックスは目を閉じた。今度は身体が強張ることはなかった。
リリィの指が、顔に張りついた黒髪を掬う。汗に濡れた髪を、ゆっくりと耳の横へ払った。
「拘束、解除しといたよ」
少し離れた場所からノヴァが言う。固定具のロックが外れる。アレックスの腕が自由になる。
「ありがとう、ノヴァ」
「どーいたしまして」
リリィはもう一度アレックスを見る。それから、ゆっくりと両腕を広げた。決して急がずにただ待つ。アレックスは一瞬だけその腕を見つめた。
やがて身体から力を抜くと、リリィがそっと抱き寄せた。
血の臭い、汗、機械油。Argusの小さな駆動音。そのすべてに包まれながら、アレックスは目を閉じる。停止していたGorilla Armsの指が、僅かに動いた。ぎこちなく。それでも自分の意思で、リリィの服を掴む。
リリィの呼吸が詰まった。抱く腕に、少しだけ力が籠もる。右眼から涙が落ちた。
「……お待たせしました、坊ちゃん」
アレックスは何も言わなかった。ただ、掴んだ指だけは離さなかった。