Cyberpunk: After Glow — Main Story 作:AfterGlow
「……リリィ」
抱きしめられたアレックスが、リリィの名を呼ぶ。
「……はい、坊ちゃん」
抱きしめる腕に、さらに力が籠る。
「……そろそろ離して」
リリィはアレックスを離そうとしない。
「リリィはどこにも行きません」
「いや、そうじゃなくて、苦しいんだけど」
リリィは聞こえなかったふりをして、抱きしめ続けた。
「ゴホン」
ノヴァがわざとらしく咳払いをした。
「あのー、お二人さん。まだ下に人いるんだけど……」
「……そうでした」
ようやくリリィはアレックスを離した。
「行かないと」
アレックスが立ち上がろうとする。肩が震え、膝が砕けた。
「坊ちゃん」
慌てて支えようとしたリリィを、アレックスが手で制する。
「いい。自分で歩けるよ」
リリィは困ったようにアレックスを見る。
アレックスは少しだけ考えてから言った。
「じゃあ、肩だけ貸してくれる?」
リリィは答えず、そっと肩を差し出した。その様子を、ノヴァはニヤニヤと眺めていた。
◇
三人で鉄格子の部屋へ戻る。中には、捕らえられていた少年少女たちが残っていた。ノヴァが扉を開ける。
アレックスはリリィの肩を借りながら、再び鉄格子の中へ足を踏み入れた。
そこで初めて、彼らの様子に気づく。怯えている。視線が向けられているのは、アレックスの隣。
返り血に塗れたリリィだった。
「あー……」
アレックスは困ったような顔をする。
「大丈夫。見た目ほど怖くないから」
「坊ちゃん?」
リリィがアレックスを見る。その後ろで、ノヴァが噴き出した。
その中の一人。パーキンスに腕を掴まれていた少女が、アレックスを見て口を開いた。
「声が……」
「ん? ああ……声変えるやつ取られたから」
アレックスはニヤリと笑った。
「いい声だろ?」
少女も、初めて少しだけ笑った。
「本当に、助けに来てくれたのね」
「うん」
アレックスは、あっけらかんと答えた。目の前の少年は、ボロボロだった。
身につけた女性ものの衣服は血に塗れ、身体は暴れた時についた擦り傷だらけだった。
それでも助けに来たと答えた顔には、何の迷いもなかった。それが少女には、なぜか眩しく見えた。
「おっけ! できたよー」
後ろから、ノヴァの朗らかな声が聞こえた。どうやらデータの抜き取りが完了したらしい。リリィとアレックスが、ゆっくりとそちらへ歩いていく。
「被害者リスト、実験ログ、取引記録、スタッフ記録。その他諸々、全部抜けたよ」
ノヴァが報告する。
「……ん?」
そのままホロ画面を見つめ、怪訝そうに眉を寄せた。
「どうした?」
「なんかね、これ……アレックスのBerserkかな。深部スキャンデータが、どこかに送られてる」
アレックスが記憶を辿る。
「あー……なんかそんなこと言ってたな。どこかに送るだのなんだの」
ノヴァはホロ画面を叩いている。
「消せる?」
「こっちにある分はね。でも、送った先までは無理」
「なんで?」
「まあ、普通の送信先ならお茶の子さいさいだよ。このウルトラ美少女ネットランナーにかかればね。でも……」
アレックスが眉を寄せる。
「でもなんだよ?」
「幾つも中継先を噛ませてる。それが多すぎて追いきれない」
「ふーん……まあ、大丈夫だろ」
「そうだといいけどね」
「ノヴァ」
リリィが口を挟んだ。
「この店の幹部は、おそらく全て殺しました。ですが……」
「そーね。二度と商売できないようにしちゃる」
そう言うと、ノヴァは各所へ匿名でデータを投げた。
NCPD、報道、フィクサー。ついでにネット上へ。
「正義の告発ってやつ?」
ノヴァがおどけた調子で言う。
「違います。ムカつくので徹底的に潰すだけです」
アレックスとノヴァが、同時にリリィを見る。
「なんですか」
「リリィがムカつくって言うの、初めて聞いたかも」
「俺も」
二人が噴き出す。
リリィはそんな二人を見て、困ったように微笑んだ。
◇
地上へ戻ると、ネオンの光が眩しい。機械油の嫌な臭いを含んだ夜風が吹き抜ける。それでも、なぜか今はその風が心地よかった。
リリィがマーリンへホロコールをかける。
『俺だ』
「マーリン、実は……」
リリィが、これまでの経緯を説明する。
『……また派手にやったな』
「申し訳ありません。それで、要救助者が三十名前後いまして」
マーリンが画面の向こうで頭を掻いた。
『まあいい。今回は予定通りだからな。回収は手配してある。すぐに向かわせる』
「……彼らは、どこへ行くのでしょうか?」
『少なくとも、勝手にクロームを入れられたりはしない所だ』
その言葉に、リリィは少しだけ表情を緩めた。
『助けるところまでは依頼だ。だが、その先はそいつら次第だからな』
「承知しました。では、お願いします」
リリィが通信を切る。
「マーリンなんて?」
アレックスが肩を借りながら聞いた。
「回収車両と、信頼できる受け皿を手配してくださいました」
「流石マーリン。仕事が早い」
「それと……」
「それと?」
「ここから先は、彼ら次第だと」
それを聞き、アレックスは少年少女たちへ目を向けた。
涙を流す者。呆然と立ち尽くす者。助けられた安堵というよりも、これからどうやって生きていけばいいのか。
そんな、迷いを抱えた顔だった。
「……そうだな」
曖昧に返す。アレックス自身も、その迷いへの答えを知っているわけではなかった。
しばらくして、マーリンが手配した車両が到着した。
少年少女たちは、続々と車内へ乗り込んでいく。誰も何も言わない。その中で、先ほどの少女だけが足を止めた。
アレックスを見つめる。
「……ありがとう」
か細い声は、夜風にさらわれるように消えていった。
◇
「たっだいまー!」
ノヴァの明るい声がアジトに響く。朝に使ったままのマグカップ。化粧道具。ノヴァが散らかしたゲーム類。
リビングは、三人が出ていった時のままだった。その中へ、リリィに姫抱きされたアレックスが運び込まれる。
帰り道。何度も抱き上げようとするリリィに、アレックスは固辞し続けたが、ついに折れたのだった。
しばらく部屋を見回す。
「坊ちゃん、お身体の具合はいかがですか」
リリィが問いかける。動かなかった手足は、幾分回復していた。
「うん、もう大丈夫」
「かしこまりました」
リリィはアレックスをゆっくりとソファへ降ろす。
「シャワーを浴びて参ります」
「うん、いってらっしゃい」
血に塗れたリリィが、シャワールームへ向かう。その背中を見送りながら、ノヴァが口を開いた。
「一緒に入らなくていいの?」
「殺すぞ」
ナイトシティの夜は、更けていった。
◇
深夜。リリィは喉の渇きで目を覚ました。
水を飲むためにキッチンへ向かう、その途中。暗いリビングに、人影が見えた。
アレックスがソファに座っていた。
「坊ちゃん」
思わず声をかける。
「リリィ」
「いけませんよ。早く寝ないと。……今日は特にお疲れでしょう」
「ごめん。なんか眠れなくて」
リリィはアレックスの隣へ腰を下ろした。
「怖かったですか?」
「怖くなんかなかったよ。リリィとノヴァが来てくれるって分かってたし」
それを聞き、リリィの右目がわずかに細くなる。
「本当は?」
アレックスは口を閉ざした。しばらくして、観念したように息を吐く。
「……うん。少しだけ」
「坊ちゃん」
「あいつらに無理やり触られた時、ちょっと昔のこと思い出して」
リリィは何も言わず、ただ聞いていた。
「でも、よかった」
「何がですか?」
「あいつらを助けられて」
少年少女たちの顔が、アレックスの脳裏に浮かぶ。
「言ったろ。俺たちはマーリンに見つけてもらった。今度は俺たちが、あいつらを見つけられた」
「はい」
「って言っても、助けたのはほとんどリリィだったけどね」
アレックスは自嘲気味に笑う。その手は、まだ微かに震えていた。
「いいえ」
リリィが静かに否定した。
アレックスが顔を上げる。
「最初に彼らを助けようとしたのは、坊ちゃんです」
「……でも」
「坊ちゃんが立ち向かわなければ、私たちは彼らの元まで辿り着けませんでした」
リリィはそう言って、少しだけ間を置いた。それから腕を広げる。
「……こちらへ、来られますか?」
アレックスは、その腕を見た。
ほんの一瞬だけ迷う。そして、自分からリリィの方へ身体を寄せた。リリィはそれを待ってから、アレックスをそっと抱き上げ、膝の上へ乗せる。
「なんだよ」
アレックスが少し照れ臭そうに言う。
リリィは答えず、その頭をゆっくりと撫でた。最初は居心地悪そうにしていたアレックスも、やがて力を抜き、その身体を預けていく。
静かな部屋。聞こえるのは、遠くを走る車の音と、空調の低い駆動音だけだった。
「……おかえりなさい」
やっと言えた言葉だった。アレックスは、リリィの胸元へ少しだけ顔を埋める。
「うん……ただいま」
リビングの外。廊下の暗がりから、ノヴァが二人を見つめていた。声はかけなかった。
もうすぐ、夜が明ける。