SF仙女武侠伝 無自覚TSサイボーグ、江湖武林を逝く!   作:モリーマ

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第十一話 暴虎、長風原に吼える

 

 錦城に夜が降りても、国主府の灯はまだ消えていなかった。

 昼間、練兵場を騒がせた二人の武仙はすでにそこにはいない。

 

 蘇凌華(そ・りょうか)と李景承(り・けいしょう)には、それぞれ国主府の客間が用意されている。瑞国から幾日も旅を続けてきた凌華に休息を取らせる意味もあり、何より今日一日だけで、謁見から手合わせまであまりに多くのことが起きた。

 だが、客人が床へ就くことを許された一方で、梁国の側まで休むわけにはいかなかった。

 

 国主府の一室では、卓上いっぱいに長風原一帯の地図が広げられている。

 昼間の謁見の間より狭く、華美な装飾もない。壁際の燭台が室内を照らし、地図の上には瑞軍、朔軍、街道、渡河点、兵站路を示す木片や小石が幾つも置かれていた。

 

 卓を挟んで座るのは、姚文泰(よう・ぶんたい)と魏長鋒(ぎ・ちょうほう)。

 そのほかにも軍務を預かる数名の臣がいるが、この場に瑞国の者はいない。

 これは援軍を求める使者との交渉ではなく、それを受ける梁国が、自国のために行う軍議だった。

 

 姚文泰は地図から顔を上げた。

 

「もう一度聞きます。李景承殿について、あなたの評価を」

 

 魏長鋒はすぐには答えなかった。

 昼間、自らの長槍の上に立った少女の姿が、今も鮮明に残っている。

 

「武について申し上げるならば、私では測れません」

 

 一人の臣が僅かに眉を動かした。

 姚文泰の表情は変わらない。

 

「あなたより上だと?」

「少なくとも、私では及びません」

 

 姚文泰の目が僅かに細くなる。

 

「では、どの程度の差です」

「それが分からないのです」

 

 魏長鋒は静かに答えた。

 

「私が及ばぬことは分かる。ですが、どこまで及ばぬのかを測る術がありません」

 

 昼間の練兵場で感じたものを、魏長鋒は簡潔に説明した。

 

 両腕だけへ内力を集中した硬気功。

 長河槍法へ込める勁力を段階的に増しても崩れなかったこと。

 手合わせ用に威力を抑えたとはいえ、破城勁を紙一重で外したこと。

 

 そして何より、長槍の上へ立ちながら、槍を持つ魏長鋒の手には人一人分の重みがほとんど伝わらなかったこと。

 

「そのような軽身功があるのですか」

 

 軍務を預かる臣の一人が問う。

 魏長鋒は首を振った。

 

「少なくとも、私は知りません。兵刃を一瞬足場にして身を翻す程度ならあります。しかし、あれは違う。あの者は私の槍の上で静止していた。それでいて、ほとんど重さがなかった」

 

「何か仕掛けを使った可能性は?」

 

「否定はできません。ですが、仮に何らかの奇術であったとしても、私の破城勁をあの距離から外し、槍身へ正確に足を置ける時点で、尋常な使い手ではありません」

 

 反論する者はいなかった。

 姚文泰は地図へ視線を戻した。

 

「人物については、どう見ます」

「そこまで保証するつもりはありません」

 

 魏長鋒の返答は早かった。

 

「今日会ったばかりの相手です。国主に対して、私が人柄まで保証できるはずがない」

 

 昼間、景承へ敬意を示したことと、無条件に信用することは別の話だった。

 姚文泰もそこは理解している。

 

「それでいい」

「ただし、少なくとも武について虚勢を張っている人物ではありません。また、蘇凌華殿を救い、追手であった朔兵と戦ったことについても護衛たちの証言が一致しています」

「現時点では、瑞国側に立っていると見てよい?」

「少なくとも、そう行動しています」

 

 それだけでも判断材料としては大きかった。

 

 武仙一人で戦争そのものを代替できるわけではない。

 だが、局地的な戦線を崩し、指揮官を狙い、狭い要地を奪い、通常の兵には踏み込めぬ場所へ踏み込める存在が一人加わるだけで、戦いの計算は変わる。

 

 まして魏長鋒が「自分では測れない」とまで評する武仙ならば、なおさらだった。

 

「瑞国が崩れれば、次に朔国の圧力を受けるのは我が国です」

 

 姚文泰は地図の西側、梁国へ続く街道の上を指でなぞった。

 

「これは昨日今日に始まった話ではない。だからこそ、私は最初から瑞国を見捨てるつもりはないと言いました。問題は――どれだけ出せるかです」

 

 梁国が瑞国より豊かだからといって、兵が余っているわけではない。

 国境の守備、街道の警備、錦城の防衛、各地の治安維持。

 軍を外へ出せば、必ずどこかに空白が生まれる。

 

「長鋒。現状を」

 

 魏長鋒は頷き、地図の木片を動かした。

 

「朔軍は長風原の東側で優勢を保っています。瑞軍は幾つかの前進陣地を放棄し、現在は中央街道と南寄りの補給路を守る形で戦線を縮めています」

 

 指が地図を滑る。

 

「東側の渡河点も、少なくとも二つは朔軍の支配下へ入ったとの報告があります。長風原すべてを失ったわけではありませんが、このまま押されれば、安陽から前線へ送る兵糧と兵員の動きがさらに制限されるでしょう」

 

「そして長風原を完全に取られれば?」

 

「瑞国は守る側でありながら、兵を動かす道を失います。逆に朔軍は、長風原を兵站の基盤として使える」

 

 瑞国と朔国の国境に広がる長風原は、ただ広いだけの平地ではない。

 主要な街道が通り、河川の渡河点があり、その周囲には兵糧を支える農地も広がっている。

 そこを掌握するということは、土地を得るだけではなく、軍を動かす道そのものを握ることだった。

 

「瑞国軍はまだ戦えます」

 

 魏長鋒は続ける。

 

「ですが、消耗しています。ここでさらに長風原中央部を押し込まれれば、戦線を維持するために、より多くの兵を少ない道へ集中させなければならなくなる」

 

「つまり、時間は瑞国の側にない」

 

 魏長鋒は無言で頷いた。

 援軍を出さず瑞国が敗れれば、梁国は朔国とより直接的に向き合うことになる。

 援軍を出せば、梁国も実質的にこの戦へ踏み込む。

 

 どちらも危険だった。

 ならば、より小さい危険を選ぶしかない。

 

「李景承殿が瑞国側に立つのであれば」

 

 臣の一人が慎重に口を開いた。

 

「瑞国の持ちこたえる見込みは、これまでより高く見積もってよいのでしょうか」

 

 魏長鋒は少し考えた。

 

「一人の武仙だけで軍全体の勝敗を決めるべきではありません。しかし、判断材料にはなります。特に、朔国側にも武仙がいる以上は」

 

 姚文泰の目が細くなった。

 

「熊石猛(ゆう・せきもう)か」

 

 魏長鋒は地図上の朔軍を示す木片の一つへ指を置いた。

 

「熊石猛。鎮岳派。現在は朔国軍の将として前線に出ています。異名は鉄山暴虎(てつざんぼうこ)」

 

 その名は、梁国へ届く軍報にも最近頻繁に現れるようになっていた。

 

 敵陣を正面から破った。

 瑞兵数十人を一人で崩した。

 矢を浴びながら前進した。

 陣門を大刀で叩き壊した。

 

 報告だけを並べれば、講談の豪傑のようですらある。

 だが問題は、そこではなかった。

 

「おかしいのは、その男が以前から武仙だったわけではないことです」

 

 魏長鋒の言葉に、室内の視線が集まった。

 

「鎮岳派の武人としての名は以前からあります。ですが、開戦前に我々が集めていた情報では、武仙ではありませんでした」

「鎮岳派で新たに仙丹を授かっただけでは?」

 

 臣の一人が問う。

 

「それ自体はあり得ます。門派の武人が修行を積み、器量を認められ、仙丹を授かる。それが武仙へ至る正道です」

 

 魏長鋒は地図から手を離した。

 

「ですが、仙丹は服めばその瞬間から自在に使えるようになるものではない」

 

 部屋の誰も口を挟まなかった。

 

「武仙となる者は、まず門派で内功を修めます。経脈を鍛え、内気を巡らせる術を学び、仙丹を受け入れられる身体を作る。その上で初めて、門派から仙丹を授かるに足ると認められる」

 

 魏長鋒自身、その道を歩いた者である。

 

「そして仙丹を服してからも終わりではありません。丹田へ落ち着くまでの間は内気が荒れることがある。流れを制御できず、経脈を傷めれば、武仙となるどころではない」

 

 姚文泰は静かに聞いている。

 

「だから通常は、先達の武仙が傍につきます。呼吸を整えさせ、内気の流れを導き、仙丹が丹田へ定着するまで助ける。定着した後も、新たに得た内力を自分の武へ馴染ませるには時間が要る」

 

 一人の臣が眉を寄せた。

 

「ならば、熊石猛にも鎮岳派の先達がついたのでは?」

「もちろん、その可能性はあります」

「それなら、何が問題なのです」

 

「速すぎるのです」

 

 魏長鋒は即答した。

 

「武仙ではなかった男が武仙になった。それだけならば説明できる。しかし、現れた時点ですでに、熊石猛の内力は並の武仙を大きく上回っていたと報告されています」

 

「……仙丹がよほど適合した?」

 

「その可能性も否定はできません」

 

 それでも、魏長鋒の声には納得していないものが残っていた。

 

「加えて、使い方まで妙なのです」

 

 姚文泰が顔を上げる。

 

「使い方まで、ですか」

 

「鎮岳派は、ただ力で押し潰す門派ではありません。本来は重厚な剛を土台にしながら、相手の力を受け、流し、返す。そういう武です」

 

 魏長鋒は同じ武仙として、そのことを知っている。

 

「ところが軍報にある熊石猛の戦い方は違う。受け流せる攻撃まで正面から受け、借りられる力も借りず、自分の内力だけで押し潰す。盤根歩にしても、本来なら重心を整え、短い踏み込みで相手を崩さず押し込むための歩法です。それを熊石猛は、莫大な内力と怪力で強引な突進へ変えている」

 

「技量が足りないのですか」

 

 別の臣が尋ねる。

 魏長鋒は首を振った。

 

「武人としての基礎がない男ではありません。だから余計に不自然なのです」

 

 技を知らないのではない。

 知っていて、使わなくなった。

 細かな理を積み重ねるより、莫大な内力を注ぎ込んだ方が早いと知ってしまったように。

 

「武仙となったことで、戦い方が変わった?」

「そう見えます」

 

 姚文泰は熊石猛を示す木片を見つめた。

 

「以前は武仙ではなかった男が、突然武仙になった。それも尋常でない内力を持って。そして今まで学んだ武を、自分の力だけで押し切るようになった」

 

「報告を見る限りは、その通りです」

 

 姚文泰の指が、今度は瑞国側へ置かれた木片に触れた。

 

「そこへ、こちらには李景承殿が現れた」

 

 奇妙な巡り合わせだった。

 一方には、突如として武仙となった熊石猛。

 もう一方には、どこの門派にも属さず、神獣から仙丹を授かったと語る李景承。

 

 どちらも従来の情報網に存在しなかった。

 だが、魏長鋒が今日見た景承は、少なくとも力を持て余している武人には見えなかった。

 

 破城勁をかわした動きには無駄がなく、内功の制御に乱れもない。手合わせを終えた後には、敗れた側である魏長鋒の武まで正面から称えた。

 

「李景承殿は、熊石猛とは違うと?」

 

 姚文泰が尋ねる。

 魏長鋒は僅かに間を置いた。

 

「少なくとも、私にはそう見えました」

 

 それ以上は言わなかった。

 姚文泰も求めなかった。

 

 やがて梁公は地図の瑞国と梁国を結ぶ街道へ指を置いた。

 

「援軍を送る前提で案を作ってください。兵数、糧秣、進軍路、国境防備へ残す戦力――すべてです」

 

 室内の空気が僅かに変わった。

 臣たちが一斉に頭を下げる。

 

「まだ蘇凌華殿へ約束はしません。ですが、明日には条件を示せるところまで詰める」

 

 姚文泰は、朔国側へ置かれた木片を見た。

 

「瑞国が倒れてから兵を動かしても遅い」

 

 魏長鋒も黙って頷いた。

 

 その夜、梁国は初めて、瑞国救援を「するか否か」ではなく――

 

 どう行うか。

 

 その段階へ進んだ。

 

     * * *

 

 同じ夜。

 長風原では、まだ人が死んでいた。

 

 日没前に始まった朔軍の攻撃は、そのまま夜へ雪崩れ込んでいる。

 月は高いが、地上も暗くはない。倒れた篝火、燃えかけた柵、放置された松明が赤い光を揺らし、舞い上がる土煙を不気味に照らしていた。

 

 瑞国軍が守っていた小さな前進陣地は、すでに半ば崩れている。

 

「槍を揃えろ! 押し返せ! ここを抜かせるな!」

 

 怒鳴り声に応じ、瑞兵たちが必死に槍を並べた。

 十数本の穂先が、一人の男へ向けられる。

 

 熊石猛は笑った。

 

「それで止めるつもりかよ」

 

 大柄な身体に太い腕。その手には、人並み外れて大きな大刀が握られていた。

 肩には何本か矢が当たった跡があり、衣服にも槍先で裂かれた箇所がある。それでも深手らしい傷はなく、血もほとんど見えない。

 

 盤山功。

 

 本来ならば、受けた衝撃を身体全体へ逃がし、重厚に耐えるための鎮岳派の硬気功である。

 

 だが熊石猛にとっては、そんな精妙な理などどうでもよかった。

 大量の内力を巡らせて身体を硬くする。

 敵の刃が通らなければ、それでいい。

 

「来るぞ!」

 

 瑞兵の一人が叫んだ。

 

 熊石猛が腰を落とす。

 

 盤根歩。

 

 本来ならば重心を大地へ根づかせ、敵に押されぬ姿勢を保ちながら、短く強い踏み込みへ繋げる鎮岳派の歩法である。

 

 しかし、熊石猛の使い方は違った。

 踏み込んだ足の下で、土が弾ける。

 

 本来なら短く収めるはずの一歩へ莫大な内力を注ぎ込み、その勢いを次の一歩、そのまた次の一歩へ強引に繋いでいく。

 

 巨体は跳んだのではない。

 大地を蹴るたび、前へ前へと加速していった。

 避けるためでも、回り込むためでもない。

 

 ただ、真正面。

 

「うわ――!」

 

 熊石猛は槍衾へ身体ごと突っ込んだ。

 最前列の穂先が胸、肩、腕へ当たるが、それでも止まらない。柄が激しくしなり、何本かは熊石猛の勢いに耐えきれず折れた。

 

 そのまま肩が最前列の兵へ激突する。

 

 一人の身体が足元から浮き、後列へ叩き込まれた。巻き込まれた二人、三人がまとめて倒れ、揃っていた隊列に一気に穴が開く。

 

「ははっ! 遅えんだよ!」

 

 熊石猛が大刀を振るった。

 刃筋など、およそ美しいとは言えない。

 

 だが、込められた内力が違う。

 

 横薙ぎの一撃を盾で受けた兵が、盾ごと横へ吹き飛ばされ、そのまま隣の兵を巻き込み、さらに後ろまで倒していく。

 

「何だ、この……!」

「囲め! 一人だぞ!」

 

「一人?」

 

 熊石猛が聞き咎め、口の端を吊り上げた。

 

「だから何だよ」

 

 一人の瑞兵が背後から槍を突き出した。

 穂先が熊石猛の背へ当たり、衣が裂ける。

 

 しかし、それだけだった。

 

 熊石猛はゆっくりと振り返る。

 兵の顔から血の気が引いた。

 

「刺したつもりか?」

 

 左手が伸び、兵の胸当てを掴む。

 そのまま身体を引き寄せると、熊石猛は笑った。

 

「軽いなあ!」

 

 掌底が胸元へ入った。

 

 震岳勁。

 

 鎮岳派本来の技なら、相手から来た力すら取り込み、重厚な一撃として返す。

 

 熊石猛はそんな手間をかけない。

 自分の莫大な内力だけを叩き込む。

 

 鈍い音とともに、打たれた兵の身体が地面と平行になるほど勢いよく後方へ飛んだ。

 

「ぐえっ!」

 

 人間一人が砲弾になった。

 後ろで槍を構えていた兵たちへ身体ごと突っ込み、三人がまとめて地面へ倒れる。その衝撃で、さらに後ろの列まで崩れた。

 

 熊石猛は腹を抱えるように笑った。

 

「見たか! 武仙ってのは、こういうもんだ!」

 

 以前の熊石猛は、決して弱い武人ではなかった。

 鎮岳派で武を学び、大刀も修めた。兵の中へ入れば、それなりに名の通る腕前だった。

 

 だが、それだけだ。

 

 門派には自分より腕の立つ者がいた。

 内功で上回る者もいた。

 

 そして、そんな彼らですら、武仙を前にすれば越えられない壁があった。

 

 それが今ではどうだ。

 

 仙丹は自分を選んだ。

 そう熊石猛は信じている。

 

 腹の底には、以前とは比べものにならない力がある。少し巡らせるだけで身体は軽くなり、力を込めれば刃も槍も通らず、拳を打てば人間が飛ぶ。

 

 ならば、細かな理など何のためにある。

 

 避ける?

 受け流す?

 相手の力を借りる?

 

 そんなものは、自分の力だけで足りない奴が覚えることだ。

 

「来いよ! 次はどいつだ!」

 

 瑞兵たちの足が止まる。

 誰も前へ出ない。

 

 熊石猛は鼻で笑った。

 

「雑魚が」

 

 再び大地を踏み締める。

 

 盤根歩。

 

 今度も跳躍ではない。

 重心を崩さぬまま地を踏み抜き、その一歩へ過剰なほどの内力を注ぎ込むことで、短い踏み込みを敵陣まで押し延ばす。

 

 熊石猛の巨体が、盾を並べた兵列へ真正面から突っ込んだ。

 

「ぐっ――!」

 

 盾が軋む。

 一枚目が押し込まれ、二枚目が傾く。

 

 それでも熊石猛は止まらない。

 

「おらあっ!」

 

 肩からさらに押し込むと、盾列そのものが耐えきれず崩れた。

 前の兵が後ろの兵へ倒れ込み、その隙間を熊石猛の大刀が薙ぐ。

 

 兵たちは散った。

 熊石猛は追う。

 

 逃げる者へ大刀を振り下ろすのではなく、脇にいた別の兵を掴み、その身体へ震岳勁を叩き込んで逃げる兵の方へ吹き飛ばす。

 

 兵と兵が激突し、悲鳴と怒号が土煙の中へ重なった。

 どこから攻撃されても、熊石猛はほとんど構わない。

 矢が飛んでくれば腕で庇い、槍が来れば盤山功で受け、刀が当たってもそのまま前へ出る。

 

 避けなければならない攻撃など、もうほとんどないと思っていた。

 

 敵が十人いようが二十人いようが同じだ。

 むしろ数が多いほど、一人を吹き飛ばせば多くの敵を巻き込める。

 

「どうした! さっきまで威勢よく並んでたじゃねえか!」

 

 また一人が殴り飛ばされた。

 返事をする者はいない。

 

 前線に立っていた瑞兵たちは、いつしか少しずつ後退し始めていた。

 

 自分を恐れている。

 その事実が、熊石猛にはたまらなく心地よかった。

 

 以前は、自分が武仙を見る側だった。

 

 今は違う。

 兵が逃げ、武人が怯え、自分の名を聞けば敵が顔色を変える。

 

 鉄山暴虎。

 

 悪くない。

 

 熊石猛は大刀を肩へ担いだ。

 

「もう終わりかよ。瑞国ってのは、この程度か?」

 

 一歩進めば、兵が一歩退く。

 さらに進めば、また退く。

 

 熊石猛はそれを見て笑った。

 

「だったら、とっとと道を開けろ。俺が――」

 

 その時だった。

 

 退きかけていた瑞兵の間を、一人の女が静かに歩いてきた。

 

 熊石猛の言葉が止まる。

 

 細身の身体に軍装をまとい、腰には一本の長剣。

 周囲の兵たちとは、歩き方から違っていた。

 

 慌てていない。

 

 熊石猛の前へ出ることを恐れている様子もない。

 女が通ると、それまで散りかけていた瑞兵たちの表情が変わった。

 

「趙将軍……!」

 

 誰かが安堵を含んだ声で呟く。

 

 女は兵たちの前まで出ると、そこで足を止めた。

 静かな手つきで剣の柄へ手を置く。

 

 趙雪衡(ちょう・せつこう)。青嶺派の武仙にして、異名は青嶺飛雪(せいれいひせつ)。

 

 瑞国軍の将軍は、荒れ果てた戦場の向こうから熊石猛を見据えた。

 

 熊石猛も大刀を肩から下ろす。

 先ほどまでとは違う笑みが、その顔に浮かんだ。

 

「ようやく来たか」

 

 夜の長風原で、暴虎と飛雪が向かい合った。

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