SF仙女武侠伝 無自覚TSサイボーグ、江湖武林を逝く!   作:モリーマ

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第十四話 仙女、瑞公にまみえる

 

 安陽の城壁が見えた頃には、日はすでに西へ傾ききっていた。

 

 赤みを帯びた夕光が高い城壁の上を滑り、見張り台の影を長く地面へ落としている。梁都・錦城ほど巨大ではないが、李景承(り・けいしょう)にとっては見覚えのある輪郭だった。

 

 もっとも、以前とは随分と印象が違う。

 

 城門の前には通常より多くの兵が立ち、出入りする者は一人ずつ念入りに確かめられていた。荷車に積まれているのも、布や陶器のような商いの品より、袋詰めの穀物や矢束、油壺、木材といった軍需物資の方が目につく。

 

 門前に並ぶ人々の顔にも、どこか余裕がなかった。

 

 ――やはり、戦の最中という顔をしておるのう。

 

《肯定。軍事活動に伴う物流比率の上昇を確認できます》

 

 ――おぬしは、もう少し情緒というものを持てぬのか。

 

《要求内容が不明確です》

 

 ――いや、もうよい。

 

 景承は馬車の窓から離れ、向かい側を見る。

 

 蘇凌華(そ・りょうか)は先ほどからほとんど口を開いていなかった。安陽の城壁が見えてからというもの、背筋を伸ばし、膝の上に置いた両手をきちんと揃えている。表情こそ平静に見えるが、指先に入った力までは隠しきれていない。

 

「緊張しておるのか?」

 

 景承が尋ねると、凌華は一瞬こちらを見てから、少しだけ苦笑した。

 

「……少しだけです」

「故郷へ戻るだけであろう」

「だからです」

 

 そう答えて、また窓の外を見る。

 

「母上に会うのも久しぶりですし、それに……」

「書状の件か」

 

 凌華は頷いた。

 梁公から瑞公へ宛てられた正式な書状は、今も凌華の手元にある。梁国は瑞国へ援軍を送る。その決定を伝えるために、景承たちは本隊より先行して戻ってきた。

 

 朗報であることに違いはないが、凌華にとって母との再会はそれだけでは済まない。自分を梁国へ送り出した本当の意図を、すでに知ってしまっているからだ。

 

 馬車が速度を落とした。

 外で護衛の一人が何かを告げ、続いて門兵の声が上がる。最初は事務的だった声が、途中から明らかに変わった。

 

「凌華様……?」

 

 それから一気に騒がしくなった。

 

「凌華様がお戻りになられたぞ!」

「瑞公府へ知らせろ!」

「道を空けろ!」

 

 景承は思わず眉を上げた。

 

 ――随分と慕われておるではないか。

 

《周囲の反応から、重要人物として認識されていることは明白です》

 

 ――それくらいは吾にも分かる。

 

 馬車の外では、門兵たちが慌ただしく動き始めていた。

 凌華は窓を少し開き、外へ向かって声をかける。

 

「皆、ありがとう。私は無事です。梁公からの書状を預かっています。まずは母上へお目通りを」

「はっ!」

 

 返事が重なり、その声音には帰還を喜ぶ気配が確かにあった。

 景承はそれを聞きながら、ふと妙な感覚を覚える。

 

 同じ安陽の城門を、以前にも通ったことがある。だが、その時の自分は瑞国軍の雑兵の一人にすぎず、荷を運び、隊列に従い、門兵に止められれば大人しく待つ側だった。

 

 今は違う。

 

 白と淡青の衣をまとい、瑞公の娘と同じ馬車に乗り、城門の兵たちが道を開けている。

 

 ――人生、分からぬものじゃのう。

 

《肯定》

 

 ――そこは否定せぬのか。

 

《否定する根拠がありません》

 

 景承は小さく鼻を鳴らした。

 

 城門を抜ける頃には、空の赤は急速に薄れていた。

 安陽の街路には、すでに灯りが点り始めている。道中で凌華から聞いていた通り、錦城ほど大きくはない。

 通りの幅も、市場の規模も、建物の立派さも梁都には及ばない。それでも都としての活気は残っており、店先では商人が最後の客を呼び込み、夕餉の匂いが路地から流れてくる。

 

 ただし、戦争の影はあちこちにあった。

 

 店じまいを急ぐ商人の前を兵士たちが行き交い、矢束や米俵を積んだ荷車が街路を抜けていく。その傍らでは、片腕を吊った男が家族に支えられて歩き、城外から逃れてきたのか、家財一式を積んだ荷車も見えた。

 

 凌華が語っていた安陽は、確かにここにある。市場も、宿も、家々も、人々の暮らしも残っている。

 

 だが、その上に薄く戦の色が重なっていた。

 

 凌華は窓越しに街を見つめている。

 景承は何も言わなかった。先ほどまでの帰郷の安堵が、その顔から少しずつ消えていくのが分かったからだ。

 やがて馬車は都の中心部へ入り、瑞公府の門前で止まった。

 

 空はほとんど暗くなっている。門の内側ではすでに人が待っており、凌華の帰還を知らせる使者が先に到着していたのだろう。

 馬車を降りると、侍従や衛兵が一斉に頭を下げた。

 

「凌華様、お帰りなさいませ」

「ただいま戻りました」

 

 凌華の声は落ち着いていたが、景承にはその足取りがわずかに速くなっているように見えた。

 景承もその後に続く。

 

 瑞公府は梁公の国主府に比べれば小さいが、造りは堅実で、余計な装飾は少なく、長く使い込まれてきた落ち着きがあった。廊下には灯火が並び、夜の冷えた空気の中に油の匂いが漂っている。

 

 案内役の侍従は歩きながら何度か凌華を振り返った。何か言いたそうだったが、結局は口を開かず、そのまま一行を奥へ案内する。

 

 本来なら長旅を終えたばかりの者を休ませてもよい時刻である。だが、梁国から援軍派遣の正式決定を持ち帰ったとなれば、翌朝まで待たせる理由もなかった。

 

 通されたのは大広間ではなく、夜の緊急報告に使うらしい比較的小さな一室だった。

 扉の向こうに、一人の女性が立っていた。

 

 蘇瑾寧(そ・きんねい)。

 瑞国国主、瑞公。

 

 四十代半ばほどの女だった。

 背は高くないが、細身の身体を真っ直ぐに立てている。艶のある黒髪はきちんとまとめられ、その中には灯火を受けて初めて分かるほど僅かな白いものが混じっていた。

 

 顔立ちは凌華によく似ており、特に目元には同じ血を感じさせるものがある。

 ただし印象はまるで違う。

 

 凌華の顔には感情がそのまま表れるが、瑾寧の表情には静かな膜が一枚かかっているようだった。美しい女性ではあるものの、華やかさより先に知性と落ち着きが目につく。

 

 濃い色の衣も上質ではあるが飾りは少なく、国主という立場を示しながらも、戦時下であることを忘れてはいないように見えた。近くまで来れば目元には薄い疲労の跡もあり、眠る時間さえ十分には取れていないのかもしれない。それでも、その背筋が崩れることはなかった。

 

 ――なるほど。

 

 景承は心の中で思う。

 凌華が二十数年ほど歳を重ね、感情をすべて胸の内へ沈める術を覚えたなら、こうなるのかもしれない。

 

「母上」

 

 凌華が立ち止まった。

 瑾寧もすぐには答えず、娘の顔から肩、腕へと短く視線を動かした。無事であることを確かめているのだろう。

 

 ほんの一瞬だった。

 それから、ようやく口を開く。

 

「……凌華」

 

 その声だけが、国主のものより少し柔らかかった。

 

「ただいま戻りました」

「よく戻りました」

 

 それだけだった。

 抱き寄せるわけでも、涙を見せるわけでもない。それでも景承には、そこに何もないとは思えなかった。

 凌華も同じだったのだろう。一度、唇を強く結んでから頭を下げる。

 

「梁国への使者としての任、果たしてまいりました」

 

 そこで母娘の再会は終わった。

 少なくとも表向きには。

 

 瑾寧の視線が景承へ向く。

 観察するような目だったが、警戒とは少し違う。

 

 娘の隣に立つ、白と淡青の衣をまとった見知らぬ少女。額には宝珠があり、見た目だけなら十代後半ほどにしか見えない。

 

 瑾寧はすぐに問い質すことはせず、まず凌華を見る。

 

「書状を」

「はい」

 

 凌華が懐から梁公の書状を取り出した。

 侍従が受け取り、瑾寧へ渡す。

 瑾寧は封を確かめ、静かに開いた。室内が静まり返り、紙をめくる音だけが聞こえる。

 

 景承は横から盗み見るような真似はしなかった。読んだところで、政治文書特有の回りくどい文言ばかりなのではないかと思ったからである。

 

 やがて瑾寧が書状から目を上げた。

 

「……梁公が、援軍を」

「はい」

 

 凌華の声が弾んだ。

 

「出兵には準備が必要なので、すぐに到着するわけではありません。ですが、梁公は正式に援軍を送ると約束してくださいました」

 

 瑾寧はもう一度書状へ目を落とした。

 表情はほとんど変わらない。それでも、紙を持つ指の力が一瞬だけ緩んだように景承には見えた。

 

「そうですか」

 

 短く息を吐く。

 

「梁公が」

 

 その二言に、安堵が混じっていた。

 だが、すぐに国主の顔へ戻る。

 

「兵数と出発時期は」

「まだ確定していません。梁国側の防備を残しながら編成するため、準備には時間が必要だそうです」

「分かりました」

 

 瑾寧は頷いた。

 

「援軍を約していただけただけでも大きい。到着まで、こちらが持ちこたえなければなりません」

 

 勝ったとは言わない。これで安心だとも言わない。

 景承は少しだけ感心した。

 梁公もそうだった。

 国を預かる者というのは、朗報一つで浮かれてはいられないらしい。

 

「それから」

 

 凌華が続ける。

 

「梁公から、こちらの方についてもお伝えするようにと」

 

 瑾寧の視線が再び景承へ向く。

 景承は姿勢を整えた。

 

 ――さて。

 

《何でしょう》

 

 ――ここは仙女らしく決めねばなるまい。

 

《必要性を確認できません》

 

 ――黙って見ておれ。

 

 景承は一歩進み、軽く拱手する。

 

「李景承と申す」

「瑞公、蘇瑾寧です」

 

 瑾寧も礼を返した。

 

「娘を救ってくださった方なのですね。梁公からの書状に記(しる)されておりました」

「成り行きじゃ。大したことではない」

「娘の命を救い、梁国まで送り届けたことを、大したことではないとは申しません」

 

 静かな声だった。

 

「瑞公として、礼を申し上げます」

 

 一度言葉を切る。

 

「そして、母としても」

 

 景承はわずかに目を瞬いた。

 

 ――これは困る。

 

《何がでしょう》

 

 ――こう真正面から礼を言われると、どう返せばよい。

 

《通常は謝意を受領すれば十分です》

 

 ――それでは格好がつかぬではないか。

 

《回答不能》

 

 景承は内心で唸りながらも、表面上は静かに微笑んだ。

 

「礼には及ばぬ。吾が勝手にしたことじゃ」

 

 我ながら無難である。

 

 瑾寧は小さく頭を下げ、それ以上は繰り返さなかった。

 凌華が少しだけ笑っているのが視界の端に入ったが、見なかったことにする。

 

「それで、凌華」

 

 瑾寧が娘へ向き直った。

 

「はい」

「援軍派遣が決まったことは理解しました」

「はい」

「では、なぜあなたまで戻ってきたのです」

 

 室内の空気が変わった。

 凌華の表情が固まる。

 景承は何となく嫌な予感がした。

 

 ――来たのう。

 

《何がでしょう》

 

 ――母娘の話じゃ。

 

 瑾寧の声音は穏やかだった。怒っているようには聞こえないからこそ、凌華もすぐには答えなかった。

 

「……母上こそ」

 

 やがて口を開く。

 

「なぜ私だけを梁国へ残そうとしたのですか」

 

 瑾寧の表情は変わらない。

 

「書状を読んだのですね」

「梁公から内容を伺いました」

「そうですか」

「そうですか、ではありません」

 

 凌華の声に熱が入る。

 

「私は援軍を求めるために梁へ行きました。瑞から逃げるためではありません」

「あなたを逃がしたつもりはありません」

「同じです!」

 

 凌華が一歩前へ出た。

 

「瑞が駄目になったら、私だけ梁に残してもらおうとしていたのでしょう?」

「その場合は、そうしてもらうつもりでした」

「なぜですか!」

「必要だからです」

 

 瑾寧の声は少しも大きくならない。

 むしろ凌華の声が強くなるほど、瑾寧の口調は静かになっていく。

 

「瑞国がもし敗れ、国主家まで失われれば、その後に国をまとめる者がいなくなります。梁国との関係を保つ者も必要です」

「だから私だけ生き残れと?」

「必要ならば」

「私はそんなことを頼んでいません!」

「あなたが頼むかどうかで決めることではありません」

 

 凌華の顔が赤くなる。

 

「母上はいつもそうです!」

 

 景承はそっと視線を逸らした。

 

 ――やはり母娘喧嘩ではないか。

 

《対立的会話であることは確認できます》

 

 ――分かっておる。

 

「自分だけ残ればいい、自分だけ我慢すればいいって、いつも勝手に決めるじゃないですか!」

「それを決めるのが私の役目です」

 

 瑾寧の声は静かだった。

 凌華が言葉を詰まらせる。

 

「私は瑞公です。国が滅びる可能性まで考えるなら、後継を国外へ残すことも考えなければなりません」

「私は母上の娘です!」

「知っています」

「だったら――」

「だからです」

 

 初めて、瑾寧の声にわずかな揺れがあった。

 ほんの一瞬で、すぐに消える。だが凌華は聞き逃さず、口を閉じた。

 瑾寧もそれ以上は言わない。

 

 母娘の間に沈黙が落ちた。

 

 景承は居心地が悪くなってきた。

 

 ――吾、席を外した方がよいのではないか?

 

《現時点で退出指示はありません》

 

 ――そういう意味ではない。

 

 幸い、瑾寧の方が先に空気を切り替えた。

 

「この話は、後にしましょう」

「……はい」

 

 凌華は不満そうではあったが、これ以上ここで続ける気はないらしい。

 瑾寧は景承へ向き直る。

 

「お見苦しいところを」

「いや」

 

 景承は少し考えた。

 

「母娘で話せるうちに話しておくのも、悪いことではあるまい」

 

 自分でも随分まともなことを言った気がした。

 

 ――どうじゃ。

 

《発言内容を確認しました》

 

 ――感想は。

 

《要求を却下します》

 

 ――何故じゃ。

 

 瑾寧はそんなやり取りを知るはずもなく、わずかに目を細めた。

 笑ったのかもしれない。

 

「景承殿」

「む」

「梁公の書状には、この先も瑞国へ力を貸してくださるおつもりだとありました」

「うむ」

「理由を尋ねても?」

 

 景承は一瞬迷った。

 梁公へ答えた時と同じ話をすればよい。だが、目の前にいるのは実際に瑞国を預かっている国主である。

 

「吾も瑞には少々縁がある」

 

 それだけを先に言う。

 

「それに、ここまで首を突っ込んでおいて、後は知らぬと去るのも寝覚めが悪いからの」

 

 凌華が横から景承を見る。

 昨日も似たようなことを言ったので、誤魔化していると気づいているのかもしれない。

 

 景承は構わず続けた。

 

「戦の勝敗まで約することはできぬ。されど、吾にできることがある限り、力を貸すつもりじゃ」

 

 瑾寧は静かに聞いていた。

 しばらくして、深くではなく、国主として節度のある礼をする。

 

「ありがとうございます」

「礼は、勝ってからでよかろう」

 

 口から出た。

 景承自身、少し驚いた。

 

 ――今のは格好よかったのではないか?

 

《評価基準が不明確です》

 

 ――もうよい。

 

 瑾寧はわずかに目を細めた。

 

「では、その時に改めて」

 

 それ以上は言わなかった。

 景承も頷く。

 

 室内の空気が、ようやく少し和らいだ。

 

 梁国の援軍が来る。

 凌華は無事に帰った。

 そして、正体のよく分からない女武仙ではあるが、景承も瑞国側へ立つ意思を示している。

 

 長い間、悪い知らせばかりが積み重なっていた瑞国にとって、久しぶりにいくつもの朗報が同時に届いた夜だった。

 

 だが、その安堵は長く続かなかった。

 廊下の向こうで、急ぎ足が近づいてくる。

 ほどなくして扉の外から声がした。

 

「瑞公、申し上げます」

 

 瑾寧の表情が変わった。

 母親の顔が消え、国主の顔になる。

 

「何です」

「趙雪衡(ちょう・せつこう)将軍が、長風原より帰還されました」

 

 凌華が振り向く。

 景承も目を向けた。

 

 青嶺飛雪。

 

 以前から何度も耳にした、瑞国を代表する武仙の名だった。

 

「負傷は?」

 

 瑾寧が即座に尋ねる。

 

「大きな負傷はないとのことです。ただ、軍装も改めぬまま、戦況報告のため至急の拝謁を願い出ております」

 

 瑾寧は一拍も置かなかった。

 

「通してください」

「はっ」

 

 足音が遠ざかる。

 室内に残った空気は、もう先ほどまでのものではなかった。

 梁国から持ち帰った希望の隣へ、長風原の現実が今まさに運び込まれようとしている。

 

 景承は扉を見る。

 

 ほどなく、廊下の向こうから別の足音が近づき始めた。

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