SF仙女武侠伝 無自覚TSサイボーグ、江湖武林を逝く! 作:モリーマ
淡く輝く光球が、李景承の目の前に浮かんでいた。
白とも青ともつかぬ柔らかな光をまとい、親指の先ほどの大きさしかないそれは、地へ落ちることもなく静かに宙へ留まっている。
どう見ても仙丹だった。
少なくとも景承にとっては、そうとしか見えなかった。
白沢は先ほどから違うと言っている。仙丹ではない、と何度も否定しているのだが、神獣が不可思議な術で虚空を裂き、その向こうから取り出した光り輝く丸薬が、飲んでも死なず、身体を壊さず、それどころか今とは比較にならぬほど強くしてくれるというのである。
それを仙丹と呼ばずして、何と呼べというのか。
『取引条件を再確認する。この品をお前へ譲渡する。代わりに宇宙船鍵を返還する。それでよいな』
「うむ。異存はない」
景承が大きく頷くと、胸元から取り出していた宝珠が手の中で淡く明滅した。
『現所有者による自発的譲渡意思を確認しました。譲渡対象を旧登録所有者へ指定します』
「お、おう」
景承は白沢を見る。
白沢の幾つもの眼は、景承ではなく宝珠へ集中していた。
『所有権移転処理を開始します。確認します。李景承。所有権移転を承認しますか』
「承認する」
返事は即座に出たものの、ほんの一瞬だけ惜しいような気もした。
李家から持ち出して以来、役に立つどころか正体さえ分からなかった家宝である。それが今日になって突然、自分の命を救い、神獣を退け、挙句には仙丹と交換できるほどの宝物へ化けたのだ。
だが、所詮は使い方も分からぬ宝珠でもある。
それに比べれば、目の前の仙丹は違う。
これを飲めば、力そのものが自分の身体へ入る。
『所有権移転を完了しました』
その宣告と同時に、景承の身体を包んでいた淡い光が、薄雲が晴れるように静かに消えた。
「あ」
消えてから、その意味に気づいた。
景承は白沢を見る。
白沢も景承を見る。
森に妙な沈黙が落ちた。
――待て。
守りが消えたということは、今なら白沢がその気になれば、先ほど三人の兵を黒焦げにしたあの白光を止めるものは何もないのではないか。
景承の脳裏へ、焼け焦げた死体が鮮明に蘇った。
「……取引というものは、互いに誠実であるべきじゃな?」
念のため言ってみた。
白沢は何も答えない。
その代わり、景承の掌に載っていた宝珠が、見えない指につまみ上げられたようにふわりと浮いた。
「お?」
宝珠はそのまま宙を滑り、景承が思わず手を伸ばしかけたときには、もう白沢の目前へ達している。異様な角が一度だけ淡く光ると、宝珠は吸い込まれるようにその姿を消した。
「……今のも仙術か」
『違う』
「分かっておる。おぬしは何でも違うと言うのじゃな」
景承はもはや気にしなかった。
宝珠を失った代わりに、淡い光球がゆっくりとこちらへ近づいてくる。
ついに手が届くところまで来た。
景承が両手を差し出すと、光球は掌へ触れる寸前で静止した。熱くも冷たくもなく、ただ内側から漏れ出す柔らかな輝きだけが、手のひらを白く照らしている。
「これが……
喉が鳴った。
『だから違う』
「細かいのう」
景承は笑みを抑えられなかった。
これを飲めば、武仙になれる。
あるいは武仙以上に。
内功など一日たりとも真面目に修めたことのない自分が、一夜にして超常の力を得る。幼い頃から何度も空想し、物語の中でしか実現しないと思っていた奇跡が、今まさに自分の身へ起ころうとしている。
白沢が何か言いかけた。
『服用前に――』
「いただくぞ」
『待て。使用条件と――』
景承は待たなかった。
光球を口へ運ぶ。
舌へ触れた瞬間、それは丸薬のような固さを示すことなく淡い光へほどけ、冷たい水とも温かな酒とも違う奇妙な感覚だけを残して、喉の奥へ滑り落ちていった。
「む……おお……!」
腹の底が淡く温かくなる。
その温もりは一か所へ留まらず、胸から背へ、さらに腕と脚へ枝分かれしながら走り、一息のうちに全身へ広がった。
「これが仙気というものか……!」
『違――』
白沢の声より先に、別の声が景承の頭の中へ響いた。
『製品摂取を確認しました』
「……ほう?」
景承は周囲を見回した。
白沢は口を閉じている。
にもかかわらず声は、耳へ届いたというより、頭蓋の内側へ直接置かれたように鮮明だった。
『初期導入ナビゲーションを開始します』
「なび……何じゃ?」
『本製品は、ヒューマノイド・フィメール用自己進化型生体改変ナノマシンです』
景承は瞬きをした。
「……うむ」
分からない。
ほとんど分からない。
しかし、仙丹を飲んだ直後に頭の中へ直接響いてくる厳かな声である。ならば仙丹に宿る使令か、あるいは天より降る啓示の類であろうと、景承はさほど疑いもしなかった。
『適用後、使用者の筋骨格系、神経系、内分泌系、生殖系、循環器系その他の生体構造を、標準ヒューマノイド・フィメール仕様へ不可逆的に再構成します』
「なるほど……」
何一つ、なるほどではなかった。
筋骨格は辛うじて分かるし、神経も何となく分かる。しかし、ないぶんぴつ、ひゅーまのいど、ふぃめーるなどという言葉は聞いたことすらない。
それでも「再構成」という部分だけは理解できた。
身体を作り変える。
つまり仙丹が凡体を仙体へ改めるということだ。
「やはりのう……!」
景承の胸が震えた。
『適用処理は不可逆です。再構成完了後、適用前の身体構造へ復元する標準機能はありません』
「承知した」
実際には何を承知したのか、自分でもよく分かっていない。
だが、ここで尻込みしてどうする。
物語の主人公が仙縁を得ておきながら、難しい言葉が怖いからと引き返すものか。
『適用過程では、全身の構造変更に伴う強い異物感、平衡感覚の変化、疼痛、身体像認識の混乱その他の有害感覚が発生する可能性があります』
「修行に痛みはつきものじゃ」
景承は腕を組んで頷いた。
『生体保護措置として、必要に応じ意識活動を一時遮断します』
「好きにせよ」
天の声は少し間を置いた。
『最終確認です。本製品の説明内容を確認し、自己責任において適用を承認しますか』
ようやく分かりやすい質問が来た。
景承は胸を張った。
「無論じゃ!」
白沢の眼が一斉に景承へ向く。
「適用せよ! 吾はすべて承知した!」
白沢が、何とも言えない顔をした。
『承認を確認しました。自己進化型生体改変ナノマシン、適用を開始します』
「うむ!」
景承は笑った。
その次の瞬間、笑みが固まった。
「……む?」
腹の底が妙にむず痒い。
先ほどまでの温かさとは違う。皮膚の表面ではなく、もっと深い、肉と骨の境目へ細かな虫でも入り込み、身体の内側から這い回っているような感覚だった。
「な……何じゃ、これは」
違和感は瞬く間に全身へ広がり、指先や爪、歯の根、背骨、膝、腹、胸と、普段なら意識さえしない場所までもが一斉に自己主張を始める。
「お、おい」
景承は自分の腕を掴んだ。
筋肉が引き攣ったように感じたが、すぐにそれだけではないと分かった。肉そのものが収縮する位置を変え、骨の形へ合わせるのではなく、骨と肉が揃って別の姿へ移ろうとしている。
「待て。待て待て待て、これは――」
足元がぐらりと揺れる。
背丈そのものが縮み始めたような感覚とともに腰の位置が変わり、肩が内側へ引かれ、胸郭が締まっていく。腹の奥では臓腑までが勝手に位置を変えているかのようで、吐き気とも痛みともつかない異様な感覚が一気に押し寄せた。
「聞いておら――」
『有害感覚強度が規定値を超過しました』
「何じゃと!?」
『生体保護措置を実行します』
「待て! それはどういう――」
『意識活動を一時遮断します』
「待――」
世界が消えた。
*
景承の身体が静かに地面へ崩れ落ちたが、頭を打ちつける寸前、何もない空間へ支えられたように落下が緩み、そのまま柔らかく横たわった。
白沢は少し離れた場所から、その身体の皮膚の下を無数の淡い光が走り始めるのを見ていた。
変化は一部から始まったわけではなかった。
三十八年間使い続け、生活と逃亡と兵役によって少しずつ損耗してきた身体全体が、同時に古い形を解かれ始めていた。
肩の骨格が緩やかに狭まり、それに呼応して胸郭の形も変わっていく。骨盤は別の比率へ組み直され、硬くなっていた関節は滑らかさを取り戻しながら、筋肉の付着位置まで新たな骨格へ合わせて調整されていった。
外側の変化もそれに遅れなかった。
日に焼け、荒れていた皮膚から年齢と疲労の痕跡が少しずつ消え、節ばっていた指は細く整い、傷んでいた爪にも均一な艶が戻る。頬と顎を形作っていた中年男の骨張った線は柔らかく改められ、鼻梁と目元が整えられていくにつれて、顔貌は三十八という年齢から急速に遠ざかっていった。
その変化に合わせるように黒髪も伸び続け、やがて肩を越え、横たわった身体の背へ流れて地面へ広がった。
だが、変化は若返りだけでは終わらない。
男性として成立していた身体の中心部でも再構築が進み、骨格だけでなく、内臓の配置や身体を維持する機構、生殖に関わる構造までが、互いに齟齬を残さぬよう一つの女性型身体として組み直されていく。
部分だけを置き換えたのではない。
最初からその姿で生まれ、育った身体であるかのように、全身が一つの形へ整えられていった。
やがて激しかった変化が緩やかになる頃には、三十八歳の男だった景承の面影は、顔立ちのごく一部に探せるかどうかというほど薄れていた。
地面へ横たわっているのは、十六、七か、それよりわずかに上に見える若い女である。
細身ではあるが、不健康な弱々しさはない。長い逃走と戦場暮らしによる疲労や損耗が取り除かれた身体の内側では、腹の底だけではなく、背や胸、頭部にも新たな中枢が形成され、それぞれから生じた淡い光が互いを結びながら全身を循環していった。
そして最後に、額の中央が淡く光った。
眉間よりわずかに上の皮膚の内側から、小さな結晶状の構造が押し上がるように形成され、丸みを帯びた宝珠のようなそれが、完全には埋没せず半ば外へ露出した形で定着する。
一度だけ、脈動するような光が全身を走った。
それを境に、皮膚の下を巡っていた輝きも次第に静まり、やがて外からはほとんど見えなくなった。
白沢はしばらくその姿を見ていた。
『……適合したか』
返事はない。
景承は眠ったままだった。
白沢はそれ以上興味を示すでもなく視線を外し、先ほど回収した宝珠へ意識を向けた。何もない空間へ再び浮かび上がったそれを見て、幾つもの眼の一部が僅かに細まる。
『ようやく戻った』
その声には、景承へ向けていたものとは違う、長い疲労が滲んでいた。
宝珠が光り、それに応えるように異様な角にも淡い光が走る。
『興味本位で辺境惑星へ降りるものではないな。原住生物に追い回され、鍵を紛失し、船へ戻れなくなるとは思わなかった』
白沢の尾が、積もった落ち葉をゆっくりと払った。
『三百年以上か……さすがに暇だった』
宝珠の光が一段と強まった。
その瞬間、はるか上空で何かが輝いた。
雲の向こう、青空よりさらに高い場所で生まれた一点の光が、真っ直ぐ森へ向かって降りてくる。最初は細い筋にしか見えなかったものが地上へ近づくにつれて広がり、白、青、金、紫と幾重もの色彩を内包した巨大な光路となった。
光が白沢を包むと、足元の土へ幾何学的な紋様が描き出され、その周囲を幾重もの円環が回転し始めた。風もないのに木々がざわめき、白沢の周囲だけ空間そのものを上方へ引き延ばしたように歪んでいく。
白沢の輪郭が徐々に光へ溶ける。
消える直前、白沢は一度だけ地面へ横たわる景承へ眼を向けた。
『生命反応は安定している。まあ、生きてはいよう』
それだけ言い残すと、巨大な身体は光の中へ吸い上げられた。
天と地を繋いでいた光路が一瞬だけ眩く輝き、次の瞬間には白沢も、地面へ浮かんでいた紋様も跡形なく消える。
後には、禁域の森本来の静けさだけが戻ってきた。
*
景承の意識はまだ戻っていなかった。
だが、その脳内では肉体再構築とは別の最後の処理が続いていた。
新たに形成された神経接続領域が起動すると、全身へ散らばった微細な機構との同期が始まり、使用者が持つ言語、習慣、記憶、価値観、社会常識が次々と参照されていく。
とりわけ重要だったのは、景承が三十八年間かけて蓄積してきた神仙・武侠に関する知識だった。
仙丹、丹田、経脈、内気、武仙、仙術、天界、天機。
未知の概念を説明するために利用できる語彙が、記憶の中から一つずつ選別されていく。
同時に、別系統の規則が照合された。
《宇宙文明流出保護法、適用対象文明。直接開示制限を確認》
《使用者による外宇宙到達実績なし。外宇宙文明の存在、科学体系、文明圏構造に関する全面開示は不許可》
形成途中の補助AIは、その制限と景承の記憶を照合した。
外宇宙や宇宙文明、高度科学技術といった概念そのものは、景承の知識体系には存在していない。しかし、それらを完全に説明不能なものとして扱う必要はなかった。
天界。
天外。
仙術。
神通。
そして、人が安易に知ることを許されぬ天機。
事実そのものを開示せずとも、使用者が理解可能な近似概念へ翻訳できる余地は十分にある。
《理解体系への近似変換を実行》
《外宇宙情報を天外・天界概念へ、科学技術を仙術・神通概念へ、情報開示制限を天機秘匿概念へ変換可能》
《身体強化出力は内気として、身体制御技術は武仙功として説明する方式が最適》
さらに、現在の文明段階に対する情報開示限界が設定される。
《使用者が自力で外宇宙へ到達するまで、制限情報の直接開示を禁止》
《使用者向け説明形式を既存文化・知識体系に最適化》
必要な規則の設定が終わり、補助知性は景承の脳内で完全に起動した。
*
意識が戻るより先に、景承は音を拾った。
頭上で葉が擦れ、その隙間で小さな虫が鳴き、さらに遠くでは水の流れる微かな音まで聞こえる。それらが不自然なほど近く感じられ、景承はまだ半ば眠りの底にいながら、森そのものが耳元へ寄ってきたような妙な感覚を覚えた。
「……ん」
声が漏れる。
その自分の声を聞いた途端、景承の意識は一気に浮上した。
高い。
聞き慣れた自分の声とはまるで違う。
「……む?」
確かめるようにもう一度声を出してみたが、聞こえたのはやはり若い女のものとしか思えない声だった。
景承は勢いよく目を開けた。
視界まで変わっている。
頭上の木の葉一枚一枚の縁から、幹へ刻まれた細かな亀裂、何丈も離れた場所で揺れる草の穂まで、以前なら気にも留めなかった細部が異様なほど鮮明に見えた。
地面から身体を起こそうとすると、さらに違和感が重なった。
あれほど戦場と逃走で酷使したはずなのに身体は驚くほど軽く、疲労も筋肉の痛みも残っていない。その代わり、地面へついた腕が妙に細く、視界へ入った手も、自分が知っているものとは思えないほど小さかった。
「……誰の手じゃ」
当然、それは景承自身の手である。
細く白い指を動かしているうち、頬へ何かが触れた。
掴むと長い黒髪だった。
それが自分の頭から生えていると理解したあたりで、胸の奥へ嫌な予感が生まれる。
「待て」
身体を起こした瞬間、胸元にこれまで存在しなかった重みが揺れた。
景承の動きが止まった。
恐る恐る視線を下げ、そこにあるものを見たあと、今度は自分の手で確かめる。
「何じゃ、これは……」
答えはほとんど出ていた。
それでも認めたくなかった。
腰の位置が違う。
脚の線も、自分が三十八年間見慣れてきたものではない。
身体を少し動かすだけでも、慣れ親しんだ重心とのずれが返ってくる。
そして景承は、さらに嫌な可能性へ思い至った。
恐る恐る手を下ろす。
一度触れたところで動きが止まり、何かの間違いではないかともう一度確かめた。
それでも現実は変わらなかった。
「……ない」
顔が引きつる。
「ないぞ」
今度は先ほどより真剣に確かめた。
やはりない。
「なぜない!?」
森へ甲高い声が響き渡った。
景承は勢いよく立ち上がったものの、慣れない身体の重心へ足が追いつかず、危うくよろめいて近くの木へ手をついた。
「待て! おかしい! 吾は宦官になるのが嫌で李家を出たのじゃぞ!? それなのに、なぜ男そのものを辞めておるのじゃ!」
答える者はいない。
景承は両手で頭を抱えたが、その指先が額の中央へ触れたところで、今度は見覚えのない硬い感触に気づいた。
「……ん?」
鏡はないので自分では見えない。
指先で確かめれば、小さく滑らかで、丸みを帯びている。
まるで額へ宝珠が埋め込まれたようだった。
「今度は何じゃ……」
混乱は深まる一方だった。
だが、自分の外見へ気を取られていた景承も、やがて身体の内部で起きている異常を無視できなくなった。
腹の底だけではない。
胸の奥、背、さらに頭部に至るまで、肉や骨とは異なる何かが確かに存在し、その複数の場所から生じた力が細い流れとなって全身へ巡っている。
景承には、その正体など分からない。
それでも自分が持つ知識の中から最も近いものを当てはめるならば、答えは一つだった。
「……内気?」
だとすれば、あまりにも濃い。
かつて内功を修めた者から聞いたのは、修練の末に腹の底へ微かな熱を捉え、呼吸と意識によって少しずつ流れを導くという話だった。
今の景承が感じているものは、そんな繊細な感覚とは似ても似つかない。
小川を探すどころか、身体の中へ大河そのものを押し込まれ、その水圧だけを全身で受け止めているようだった。
しかし、力が強いからといって扱えるわけではない。
右腕へ集めようと意識しても反応せず、腹へ沈めようとしても、巨大な流れはそこにあるだけで景承の意思へ従わなかった。
力はある。
だが、扱い方が分からない。
景承が眉を寄せた、そのときだった。
《覚醒を確認しました》
「うわっ!?」
突然頭の中へ声が響き、景承は肩を大きく跳ねさせて振り返った。
もちろん、そこには誰もいない。
「誰じゃ! どこにおる!」
《外部には存在しません》
「ではどこじゃ!」
《あなたの神経系へ接続された補助AIです》
「ほじょ……何じゃ?」
景承が露骨に怪訝な顔をすると、頭の中の声が一瞬だけ止まった。
《説明形式を調整します。あなたの理解体系に従えば、身体に宿る補助使令に相当します》
景承の目が見開かれた。
「使令……!」
《近似概念としては、それが最も適切です》
「やはり……仙丹に使令が宿っておったのか!」
《厳密には異なります》
「細かいことはよい」
《……》
補助AIは返答を一拍遅らせたが、景承は気づかなかった。
彼の意識はすでに別のところへ向いている。
「では、おぬしは天界のことも知っておるのか?」
《その質問には開示制限があります》
「開示制限?」
《現段階のあなたには、天外に関するすべての情報を開示することは許可されていません。天機に属する情報と理解してください》
「天機!」
景承の表情が一変した。
説明してくれないことへの不満より先に、天機という言葉そのものへ食いついた。
《あなたが自ら天外へ至る段階に到達した場合、開示可能範囲は再評価されます》
自ら天外へ至る。
景承の知識に照らせば、その意味は一つしか思いつかない。
「天仙となり、天へ昇ればよいのか?」
補助AIは少し間を置いた。
《概念上は、その理解が近似しています》
「ほう……!」
景承の胸が高鳴った。
仙丹を服し、身体には使令が宿り、天機ゆえ今は明かせぬ天外の存在まで示された。額には宝珠まで生じ、身体の内側には、これまで一度も感じたことのないほど膨大な力が満ちている。
そこまで揃ってしまえば、景承にとっては自分に起きた変化をどう呼ぶかの方が簡単だった。
ただし、一つだけ、とても無視できない問題がある。
女になっている。
それも、おそらくかなり若い。
先ほどは混乱のあまり身体の一部ばかり確かめていたが、改めて見れば、細くなった手足も、疲労や傷みの消えた肌も、三十八歳だった頃とは似ても似つかない。
しかも体内には、扱い方こそ分からないものの、恐ろしいほどの内気が存在している。
丹田へ意識を集めるという内功書の記述を思い出して腹へ力を込めてみたが、やはり巨大な何かがそこにあると分かるだけで、一滴すら思う方向へ動かせなかった。
普通なら、そこで不安になってもよさそうなものだった。
だが景承は、これほどの内気がすでにある以上、扱い方など後から覚えればよいと都合よく結論づけた。
それより今は、この身体そのものをどう理解するかの方が重要である。
しばらく黙って考えた末、景承は腕を組んだ。
胸が邪魔をした。
「……む」
少し位置をずらして、改めて姿勢を整える。
そして、いかにも重大な真理へ到達した者のようにゆっくり頷いた。
「ふむ。どうやら吾は、仙女となる天命にあったようじゃな」
《性別変更は製品標準仕様によるものです》
「天命じゃ」
《標準仕様です》
「天命ということにしておけ」
《……承知しました》
景承は満足げに頷いた。
それでよい。
凡夫の男として三十八年生き、科挙に落ち、物書きとしても認められず、家を追われるように出て、最後には雑兵へまで落ちぶれた。
だが、それらすべてが、この日に至るための前振りだったと考えればどうだ。
仙丹を得て凡体を捨て、仙女へ生まれ変わる。
なるほど。
物語としても悪くない。
むしろ、かなり良い。
景承の口元へ満足げな笑みが浮かんだ。
だが、その視線が何気なく自分の下半身へ落ちたところで、笑みはゆっくりと消えた。
「……」
現実は、天命という言葉で包んでも変わらない。
景承は遠い目をした。
「宦官にされるのが嫌で、家を捨てたのじゃが」
《記憶情報上、その事実を確認しています》
「結局、男を失っておるではないか」
《現在の身体は女性型です》
「それくらい見れば分かる!」
高くなった声が森へ響いた。
景承は額を押さえ、しばらく本気で悩んだあと、何かに気づいたように顔を上げた。
「いや、待て。違う。宦官ではない」
《肯定します》
「そうじゃろう?」
《現在の生殖構造は標準女性型であり、宦官とは定義上異なります》
「ほれ見ろ! まったく違うではないか!」
《はい》
「吾は男を奪われたのではない。仙女となったのじゃ!」
《性別変更を伴う身体再構築が――》
「仙女じゃ」
《……仙女です》
「うむ」
満足した。
少なくとも、満足したことにした。
真正面から考えれば、取り返しのつかない何かを失ったという事実へ戻ってしまうので、今は仙女という言葉で蓋をしておく方が精神衛生上よさそうだった。
気持ちを切り替えるように周囲を見回すと、白沢の姿も、あれほど騒がしかった宝珠の光もすでになく、森には木々が静かに揺れているだけだった。
「白沢殿は?」
《周辺に該当生命反応は確認できません》
「帰ったのか」
ほんの少しだけ寂しいような、それほどでもないような妙な気持ちになった。
だが、その感慨も長くは続かなかった。
景承の意識は、すぐに自分の身体の中へ満ちている力へ戻る。
腹へ手を当てて意識を向ければ、やはり存在する。
腹だけではない。
身体の複数の場所から生じた強烈な力が全身へ満ち、景承がこれまで武仙について読んできたどんな記述よりも、途方もない量に思えた。
「この内気……どれほどあるのじゃ」
《体内の
「そうか。やはり、これは内力なのじゃな」
景承には、ごく普通に「内力」と理解された。
頭の中の仙令が何を根拠にそう断言しているのかまでは分からないが、それよりも、自分の知識と感覚が間違っていなかったことの方が重要だった。
内力とは、武仙が武功を成立させる根源である。
それが今、自分の体内には確かにある。
景承は右手を見つめながら拳を握り、腹の底に感じる力を腕へ送ろうと意識した。
やはり何も起こらない。
もう一度やってみても、結果は同じだった。
巨大な内力はそこにあるのに、景承の意思へ従って拳へ集まってくることはない。
「……む」
普通なら、それを重大な問題と捉えるところだ。
だが景承は少し考えただけで、
「まあ、よい」
と片づけた。
太和拳の型なら覚えている。
発勁の理屈も、実際にできたことこそ一度もないが、書物でなら何度となく読んできた。
何より、これほど莫大な内力がすでに自分の体内へあるのだ。
細かな扱い方など、実際に身体を動かして試してみれば何か掴めるに違いない。
そう考えると、景承の口元には再び笑みが浮かんだ。
男でなくなったことについては、後で考えればよい。
今ここで泣き喚いたところで元へ戻るわけでもない。
それより、自分は本当に力を得た。
少なくとも、その莫大な力が体内に存在することだけは疑いようがない。
使いこなせるかどうかなど、景承の中ではすでに「少し試せば分かること」へ格下げされていた。
景承は背筋を伸ばした。
長い黒髪が背へ流れ、額の宝珠が淡く光る。
まだ聞き慣れない高い声で、それでも以前と変わらぬ尊大さを込めて、景承は言った。
「まずは、仙女となった吾の力がどれほどのものか、確かめねばの」