SF仙女武侠伝 無自覚TSサイボーグ、江湖武林を逝く! 作:モリーマ
ここまで読んでくださった皆さま、ありがとうございます。
景承ともども、これからもよろしくお願いします。
襲撃から数日。
途中の宿場で馬と馬車を替えながら西へ進んだ一行は、ようやく
「……大きいのう」
思わず漏らした声は、馬車の車輪が立てる音に紛れた。
瑞国の辺境で景承が日頃目にしていた砦や小城とは、そもそも規模が違う。
街道の先に延びる城壁は、人の背丈を何倍も積み重ねたほどの高さがあり、黄褐色の厚い壁面が左右へ長く続いている。ところどころに楼が設けられ、その上では槍を持った兵の姿が小さく動いていた。
城門の外にも人家がある。
街道沿いには簡素な茶店や飯屋、馬を預かる厩が並び、そのさらに外側には畑が広がっていた。農具を担いで歩く農民の脇を籠を満載した驢馬が通り、その後ろから布を掛けた荷車が軋みながら続いていく。
行商人や農民、荷を担ぐ人夫、数台の荷車を連ねた商隊。馬上で周囲へ目を配る用心棒らしき男たちもいれば、腰に剣を吊った旅人や、背中へ長刀を負った武人もいる。
何十人、何百人という人間が、幅の広い街道を行き交いながら城門へ吸い込まれていた。
景承が好んで読んできた物語に出てくる仙境とは違う。
空を飛ぶ仙人が行き交っているわけでもなければ、雲の上に宮殿が浮いているわけでもない。
道を走るのは馬で、荷を運ぶのは人か家畜であり、城壁も建物も石と土と木で作られている。
それでも、刀を佩いた人間が往来を歩き、商隊の護衛が槍を手にしていても、周囲の者は特別に振り返ったりしない。
武は、人々の生活から切り離されたものではないのだ。
だが同時に、道を行く者の大半は武人でも何でもない。
今日売る野菜の籠を背負った老婆が、手を引かれた子供を避けながら歩いている。その傍らでは額に汗を浮かべた男が荷車を押し、その横を剣客らしき旅人が追い越していく。
景承が物語の中で好んできた武林とは、そういう無数の人々が暮らす世界の上に成り立っている。
――うむ。
景承は小さく頷いた。
なかなかよい。
何が「よい」のかと問われると答えに困るが、少なくとも景承にとっては非常に心をくすぐられる光景だった。
もっとも、生まれてから三十八年、この世界で暮らしてきた景承にとって、武人が剣を持って歩いていること自体は珍しくもない。
それでも、今までの自分と今日の自分では、目に映る景色の意味が違った。
以前なら、立派な都へ来ても自分はその他大勢の一人だった。
科挙に落ち、家を飛び出し、最後には雑兵へ落ちた男。
城門へ並ぶ商人や旅人と同じように、兵に呼び止められれば頭を下げ、用件を聞かれれば答える側だった。
だが今は違う。
馬車の中には瑞公の娘。
自分は、その姫を敵兵から救った正体不明の武仙。
しかも、これから国主へ会いに行くところである。
――出世というものは、突然来るのじゃな。
何かが違う気もしたが、景承は気にしなかった。
「景承殿?」
向かいに座っていた
「先ほどから楽しそうですが……梁都は初めてですか?」
「む?」
景承は慌てて口元を引き締めた。
「まあ、そのようなものじゃ」
「そのようなもの?」
「細かいことを気にするでない」
「はあ……」
凌華は少し首を傾げたものの、それ以上は追及しなかった。
景承は窓の外へ視線を戻す。
助かった。
詳しく聞かれると困る。
梁都どころか、少し前までこの辺りへ来る予定すらなかったのである。
*
城門へ近づくにつれ、馬車の速度は落ちていった。
原因は単純だった。
混んでいる。
大きな城門の手前には入城を待つ人々の列ができており、徒歩の者と荷車、騎馬の者が大まかに分けられていた。
門の脇には兵士が立ち、荷車の中身を確かめたり、旅人へ目的を尋ねたりしている。
槍を持ってはいるが、誰彼構わず威圧しているわけではない。
穀物を運ぶ農民には荷の量を確認し、商人には何やら木札を示させ、十人ほどの武装した一団には人数と目的を詳しく聞いている。
武人が武器を持つこと自体は禁止されていない。
だが武装した者が何人もまとまって入るとなれば、話は別なのだろう。
景承はしばらく眺めた後、感心した。
――ちゃんと調べるのじゃな。
考えてみれば当たり前である。
武仙や武林が存在するからといって、国や役人がなくなるわけではない。
城壁を守るのは兵士であり、門を管理するのも役人である。
物語では、侠客が門番を軽くあしらって都へ入る場面などいくらでもあったが、現実にそんな者が何人もいれば城門の仕事にならない。
やがて凌華たちの馬車にも順番が回ってきた。
「止まれ」
梁国兵の声とともに馬車が止まる。
護衛の一人が前へ出た。
「どこから来た?」
「瑞国より」
兵の目が少し細くなる。
瑞国と答えただけで、反応があった。
「人数は?」
「六名です」
兵が馬車を見た。
護衛四人。
凌華。
景承。
たしかに六人である。
だが、その視線はそこで景承に止まった。
正確には、まず服を見る。
粗末な兵装。
次に顔。
そして額の宝珠。
もう一度、服。
非常に分かりやすい。
――やはり変なのか?
景承は急に不安になった。
今まで気にしないようにしていたが、よく考えてみれば、四人もの護衛を伴った旅の一行の中で、自分だけが粗末な雑兵の服を着ている。
しかも見た目は年若い娘で、その額には妙な宝珠まである。
怪しい。
自分で考えてもかなり怪しい。
「その娘は?」
兵が尋ねる。
景承は少し傷ついた。
娘。
いや、見た目だけなら間違ってはいない。
しかし中身は三十八である。
護衛が答えるより先に、馬車の中から凌華の声がした。
「その方も私の同行者です」
直後、凌華が馬車を降りた。
それまで旅人として目立たぬ格好をしていた彼女だが、立ち方が変わった。
背筋を伸ばし、兵士を正面から見る。
声も先ほど景承と話していたときとは違い、余計な柔らかさが消えていた。
「責任者に取り次いでください。瑞国より国主の使者として参りました」
「国主の……?」
「身分を証するものもあります」
凌華は懐から、母から託されていた書状と印を取り出した。
兵士はそれを直接奪うようなことはせず、近くにいた上役らしき男を呼んだ。
そこから空気が変わった。
書状と印を確かめた男が一度凌華を見て、それから部下へ短く指示を出す。
少しして、門の内側から別の役人が呼ばれてきた。
何度か小声で確認が交わされる。
景承は馬車の中からそれを眺めていた。
――おお。
本当に姫なのじゃな。
今さらである。
だが、これまで凌華は追われる旅人だった。
護衛と共に逃げ、傷ついた者を心配し、壊れた馬車の前で途方に暮れていた娘だった。
それが梁国へ入った途端、周囲の大人たちが彼女の一言で動き始める。
ようやく景承にも、彼女の立場が目に見える形になった。
役人が頭を下げた。
「失礼いたしました。すぐに国主府へお知らせいたします」
「お願いします。ただし、私の身分を外へ広める必要はありません」
「承知しております」
凌華が馬車へ戻ってくる。
景承は無意識に彼女を見ていた。
「……何ですか?」
「いや」
景承は少しだけ考えた。
「ちゃんと姫なのじゃなと思っての」
「ちゃんとって何ですか!」
先ほどまでの使者らしい顔が、一瞬で崩れた。
「失礼な!」
「褒めたのじゃが」
「どこがですか!」
景承は首を傾げた。
どうやら褒め言葉にはならなかったらしい。
そこでふと、自分の袖が目に入った。
――待て。
今まで相手の立場ばかり気にしていたが、これで自分は、国主の娘と同じ馬車に雑兵の格好で乗ったまま梁都へ入ることになる。
景承は凌華を見る。
それから自分を見る。
もう一度、凌華を見る。
――……やはり、吾だけ妙ではないか?
先ほどとは別の意味で不安になった。
*
入城の許可が出ると、馬車は人の流れから外され、梁国の役人に先導されて城門をくぐった。
厚い門壁の下を抜ける間だけ、辺りが薄暗くなる。
馬の蹄が石畳を叩く音が反響し、それが途切れた瞬間、目の前へ梁都の街並みが広がった。
景承は思わず身を乗り出した。
城外から見た人の多さは、まだ序の口だったらしい。
門から伸びる大通りは馬車が何台も並んで通れるほど広く、その両側へ商家や飯屋、旅籠、工房が隙間なく続いている。
建物は多くが二階建てで、木組みの壁の上に瓦屋根を載せ、軒先には店名や扱う品を記した布が下がっていた。
布を売る店では赤や青、黄に染めた反物が棚から垂れ、少し先では鍛冶場から一定の間隔で槌の音が響いてくる。別の店先には大きな籠に薬草が積まれ、その隣では干した肉が軒から吊るされていた。
飯屋の前を通れば、煮込んだ肉と香辛料の匂いが流れてくる。
焼いた小麦と油の香りに、馬や人の汗、乾いた土埃の匂いまでが混ざっていた。
人が大勢暮らしている街の匂いだった。
道端では男が天秤棒を担ぎ、二つの桶を揺らしながら人波を縫っている。人夫たちは声を掛け合いながら荷を積み下ろし、店主は客と値を争い、路地から飛び出してきた子供が母親に捕まって叱られていた。
役人らしい男が従者を連れて通れば周囲が少し道を空ける一方、そのすぐ向かいでは粗末な服の老人が籠に入れた野菜を地面へ並べ、小銭一枚の値段を巡って客と延々と言い争っている。
景承は何となく安心した。
国が違っても、人の暮らしというものはあまり変わらないらしい。
そして、その普通の生活の中に武林が混ざっている。
茶店の軒下では、同じ意匠の衣を着た若者が三人、腰の剣を脇へ置いて飯を食っていた。
薬舗の前では片腕へ包帯を巻いた男が傷薬の値段を店主と交渉しており、その背には大きな刀がある。
少し先では武館らしい屋敷の前で十数人の若者が木刀を振り、見張っていた壮年の男が、
「腰が浮いておる! それでは三合も持たんぞ!」
と、通りへまで響く声で怒鳴った。
周囲の通行人は誰も気に留めない。
さらに大通りを行けば、豪商らしい立派な馬車の前後を武器を持った護衛が固めていた。
武林の者はいる。
だが、街を埋め尽くしているわけではない。
一人の武人の横を、十人、二十人の普通の人間が通り過ぎていく。
剣を振る者もいれば、その刀を作る者もいる。その者たちへ飯を食わせる者がいて、衣服を縫う者がいて、馬を世話する者もいる。
景承の好きな武侠物語では、宿へ入れば隣の卓に名のある侠客が座り、茶を飲んでいれば秘密の話が聞こえ、道を曲がれば仇敵と遭遇する。
現実には、それより遥かに多くの人間が、今日の飯と明日の商売のために動いている。
その当たり前の生活の中に武林の者たちもまた暮らしているのだった。
――よいではないか。
景承は再びそう思った。
こちらの方が、ずっとよい。
武仙も侠客も、普通の人間が暮らす世界の中にいるからこそ格好よいのだ。
そんなことを考えながら外を眺めていると、ふと通りの男と目が合った。
男は景承の顔を見る。
額を見る。
服を見る。
もう一度、景承を見る。
――やはり服か。
景承はそっと窓から離れた。
「凌華」
「はい?」
「吾の格好は、それほどおかしいか?」
凌華が一瞬黙った。
その沈黙だけで答えが分かった。
「……似合っていないわけではありません」
「今、言葉を選んだであろう」
「選んでません」
「選んだ」
「選んでません」
目を逸らした。
完全に選んでいる。
景承は自分の袖を見る。
元は瑞国軍で支給された粗末な兵装である。
森を走り、木を殴り、敵兵と戦い、ここまで数日の旅をしてきた。
洗えるときには洗っているとはいえ、立派な服とは到底言えない。
――武仙として、これはどうなのじゃ。
今まで戦うことや技の方ばかり考えていたが、仙女には衣装も重要なのではないか。
物語に登場する仙女が雑兵装束というのは、景承の知る限りかなり珍しい。
――いずれ考えねばならんな。
景承は密かに決意した。
*
馬車が大通りを抜けるにつれ、周囲の店は少なくなっていった。
代わりに、高い塀を巡らせた大きな屋敷や、役所らしい建物が増えていく。
通りを歩く者の姿も変わった。
荷を担ぐ人夫や買い物客は減り、役人らしい衣を着た者、書類を抱えた書吏、馬に乗った兵士の姿が目立つようになる。
やがて馬車は、一際大きな門の前で止まった。
梁国の国主府だった。
景承は馬車を降り、正面を見上げる。
豪華ではある。
だが、景承が物語で想像していたような、金銀を張り巡らせた巨大宮殿ではなかった。
高い塀の向こうに瓦屋根が何重にも見え、正門の両脇には槍を持った兵が立っている。
門を出入りする者も、着飾った貴人ばかりではない。
書状を抱えた役人と帳面を持った書吏が行き交い、その間を木箱を担いだ人夫が抜けていく。別の門からは武官らしい男が早足で入り、門兵が短く礼をしていた。
景承には、ここが国主の住まいである以上に、国を動かすための仕事場であるように見えた。
国主府と聞けば、偉い人間が奥で座り、臣下が平伏している場所をまず想像する。
だが実際には、国一つを動かすために大勢の人間が働いている。
税を数える者がいて、命令を書き写す者がいる。兵糧を管理し、地方から届いた報告を整理し、それを必要な相手へ届ける者もいるのだろう。
そうした無数の仕事の先に、国主という人間がいる。
――物語では、この辺りはだいたい飛ばされるからのう。
景承は妙なところで感心した。
門前で凌華の身分が改めて確認されると、今度はそれほど待たされなかった。
すでに城門から知らせが届いていたらしい。
「瑞国使者殿、こちらへ」
出迎えた役人に導かれ、一行は国主府の中へ入った。
ただし護衛四人は途中の一室で待つことになり、さらに奥へ進んだのは凌華と景承だけだった。
「吾も行くのか?」
景承は小声で尋ねた。
「来ていただけますか?」
「それは構わぬが」
「景承殿は、私たちが襲われたところを実際に見ています。それに……」
凌華が少し言い淀んだ。
「それに?」
「一緒にいていただけると、心強いです」
景承は瞬きをした。
そこまで真っ直ぐ言われると思っていなかった。
「……そうか」
「はい」
「ならば仕方あるまい」
なるべく平然と答える。
内心では、
――姫に頼られておる。
と、かなり喜んでいた。
案内されたのは、庭に面した控えの間だった。
華美ではないが、整った部屋である。
床も壁も手入れされ、香炉からは淡い香りが漂っていた。
しばらくすると茶が運ばれてくる。
景承は当然のように手を伸ばしかけたが、向かいの凌華がまだ一口も飲んでいないことに気づき、途中で止めた。
――こういう場所では、勝手に飲んではならぬのか?
分からない。
自分だけ知らぬ作法があったら非常に格好が悪い。
景承は何事もなかったように手を膝へ戻した。
そこで改めて凌華を見ると、彼女は膝の上で両手を組んでいた。
指先に力が入っている。
「緊張しておるのか?」
「……少しだけです」
「少しにしては、手が固いぞ」
凌華は自分の手を見て、慌てて力を抜いた。
「景承殿は、こういうときに緊張しないんですか?」
「吾か?」
景承は考えた。
これまで国主と直接会談した経験などない。
科挙の試験官を前にしただけでも緊張していた。
実家にいた頃は父親に呼び出されるだけで嫌な汗をかいたこともある。
当然、緊張する資格は十分にある。
だが。
「まあ、何とかなるであろう」
言ってから、自分でも少し雑だと思った。
凌華が呆れたような顔をする。
「それだけですか?」
「それだけじゃ」
「瑞国の命運がかかっているんですよ」
「だからといって、ここで震えておれば援軍が増えるのか?」
「それは……」
「増えぬであろう」
そう言ってから、景承は先ほど諦めた茶へ手を伸ばした。
凌華も話しているうちに喉が渇いたのか、ちょうど自分の茶碗へ手を伸ばしている。
――飲んでよいのじゃな。
内心で安心しながら一口含む。
「ならば、まずは話してみるしかあるまい。おぬしは国を救うためにここまで来た。途中で殺されかけても、ちゃんと着いた。それで十分ではないか」
凌華が黙った。
景承は茶碗を置く。
少し格好をつけすぎたか。
そう思ったが、凌華は笑わなかった。
「……そうですね」
膝の上で組まれていた手から、少し力が抜けた。
「ここまで来たんですものね」
「うむ」
「まずは、話してみます」
「それでよい」
景承は満足そうに頷いた。
――今のは、なかなかであったな。
自分の中では高得点だった。
実際、何の外交的助言にもなっていないことには気づかないことにした。
しばらくして、廊下から足音が聞こえた。
先ほどの役人とは別の男が入ってくる。
「お待たせいたしました」
凌華が立ち上がった。
それまで僅かに見えていた緊張が、表情の奥へ消える。
再び、瑞国の使者の顔になった。
「国主がお会いになります」
「承知しました」
役人が一礼し、二人を先導する。
景承も立ち上がった。
廊下を進む。
庭を横切る回廊を抜け、さらに奥へ。
先ほどまで行き交っていた書吏や役人の姿は次第に少なくなり、代わりに警護の兵が目立ち始める。
景承は少しだけ背筋を伸ばした。
――いよいよか。
瑞国の姫を救った。
梁国まで護衛した。
そして今度は、国主との謁見である。
物語なら、ここで何か気の利いたことを言わねばならないのではないか。
だが何を言う?
政治の話など分からない。
援軍の数などもっと分からない。
そもそも自分は瑞国の正式な使者ですらない。
考えれば考えるほど、急に不安になってきた。
――吾、黙っておいた方がよいのでは?
それが最も賢明な気がする。
そんなことを考えているうちに、先導していた役人が足を止めた。
目の前には、閉ざされた大きな扉がある。
両脇には武装した衛兵。
凌華も立ち止まった。
ほんの一瞬だけ、彼女が景承を見る。
景承は何も言わず、ゆっくり頷いた。
凌華も小さく頷き返す。
役人が扉の前へ進み出た。
「瑞国よりの使者、蘇凌華殿をお連れしました」
扉の向こうから、低く応じる声が聞こえる。
だが、国主本人の声かどうかまでは分からない。
役人が両手を扉へかけた。
重い扉が、ゆっくりと開き始める。
景承はその向こうを見つめた。
梁国の国主が待つ場所へ。
今まさに、足を踏み入れようとしていた。