午後9時。横浜市内の地下駐車場。
「なあやっぱり、ここに長居するのはやめたほうがいいんじゃないか?」
暗い通路を、二人の警察官が懐中電灯を手に歩いていた。
人気のない地下駐車場を巡回する二人。そのうち、小柄な警察官は、手にした懐中電灯を落としそうなほど強く握り締めていた。声にも、隠しきれない震えが混じっている。
「何だびびってんのか?最近、この辺りの駐車場で失踪事件が頻発しているからか?俺たちはそれを調べるために巡回してるんだろうが」
もう一人の警察官は、大きな欠伸をしながら相棒を見た。恐怖を抱く理由などないと言わんばかりの、呆れた表情だった。
「そりゃわかるけどよお、今回の事件はあまりにも妙だ。それに最近、この地下に恐ろしい怪物が潜んでいるって噂まで流れてるじゃないか」
小柄な警察官は、胸の奥から湧き上がる得体の知れない恐怖を打ち消そうとするように、わざと声を張り上げた。
「俺も聞いたことはある。横浜で出たっていう、あの巨大な怪物の話だろ。政府も自衛隊を動かして、市街地を封鎖して総力を挙げて捜索してるらしい。だが、あれは横浜市内の話だ。ここだって横浜だが、あの騒ぎとは場所が違う。何をそんなに心配する必要がある?」
「でもやっぱり気になるんだよ。ここの失踪事件が起き始めたのは、政府が『謎の巨大生物が出現した』って発表した二日後なんだ。それに、この地下駐車場を管理してる人も言ってただろ。深夜になると、ここから妙な音が聞こえるって。まるで、狂暴な猟犬が吠えてるみたいな声が……」
「お前って本当に疑り深いな。そんなくだらない噂に怯えて、腰が抜けたんじゃないのか?」
肥満気味の警察官は、相棒の過剰な警戒心にすっかり苛立ったらしい。
「そんなにここで巡回するのが嫌なら、一人で帰れ。いちいち不気味な話をして俺をイライラさせるな!」
吐き捨てるように怒鳴ると、彼は懐中電灯の明かりを頼りに、一人で通路の奥へ進んでいった。
後ろに取り残された警察官は、深いため息をついた。だが、この薄暗く不気味な場所には、どうしても耐えられない。
結局、彼も相棒の後を追うしかなかった。
少し前まで、この地下駐車場を照らしていた照明は、突然故障していた。どうやら電球が何らかの原因で破損しただけで、内部の電気系統そのものには大きな問題はなかったらしい。
しかし最近は失踪事件が頻発しているせいで駐車場を利用する人間そのものが減っていた。修理に訪れる者もいない。
まったく、仕事に対する責任感がなさすぎる。内心そんな悪態を心の中でつきながら、小柄な警察官は、ようやく再び相棒と並んだ。
その瞬間。
「……おい。今の聞こえたか? なんだ、この音?」
どこからともなく響いた唸り声に、小柄な警察官の足が止まった。
周囲を見回し、無意識のうちに一歩後ずさる。
「何の音だ? お前、まさか……」
再び響いた音は、今度こそはっきりと聞こえた。
犬の吠え声。そして、それに混じってガラスの砕ける音が、地下の空間に鋭く響き渡った。
「こ、これは……?」
声は止まらない。
通路の遥か彼方、懐中電灯の光さえ届かない闇の奥から、何度も何度も響いてくる。しかも、そのたびに地下駐車場の床が震えていた。
二人の警察官は、思わず身を寄せ合った。懐中電灯を握る手が震える。それでも、光は闇の奥を照らし出せない。
やがて、最初から警戒していた警察官が意を決し、震える手で懐中電灯を音のする方向へ向けた。
その瞬間、こちら側に何かが転がってきた。
「……?」
二人は目を凝らした。それは、血にまみれた赤黒いボールのように見えた。ところどころに灰白色のものが混じっている。
二人は疑問を抱きながら、ゆっくりとその物体へ近づいていった。
そして、それが何なのかを認識した瞬間、二人の顔から血の気が引いた。恐怖が、その目に極限まで凝縮される。
それは血まみれになった人間の首だった。
灰白色に見えたものは、何度も何度も噛み砕かれ、砕けた顔面の骨だった。
その直後、地下駐車場の振動がさらに激しくなった。何かが猛烈な速度で近づいてくる。
「こ、これは……まさか……まさか……うわあああっ!」
二人は恐怖に震えながら、慌てて逃げようと振り返った。
だが遅い。すでに巨大な黒い影が、二人の身体を覆っていた。
地下を吹き抜ける冷たい風。その中に響き渡る絶叫。衣服が引き裂かれる音。
そして、それらを掻き消すように響く、猟犬の狂った咆哮。
横浜の地下で、それらは一つの凄惨な協奏曲となった。
陸上自衛隊基地秘密作戦室
「どうだ? まだ何も見つからないのか?」
オルガメントを探知するためのコンピューター機器が並ぶ、広大な作戦室。
高級自衛官用の制服を身にまとった男が、波形表示モニターの前で無数のつまみやスイッチを操作している部下を睨みながら尋ねた。
「駄目です。振動周波数がまだ一致しません。もう何日も、ずっとこの状態です」
自衛隊の技術員は首を横に振った。
「くそっ……あの野郎、いったいどこに雲隠れした? ここまで見つからないとはな……」
横浜市内で実施されていた封鎖捜索作戦は、これまで何の成果も上げられていなかった。そのため、現在の陸上自衛隊が受けている各方面からの圧力は、極めて大きい。
特に、市街地の封鎖によって生活を大きく制限された市民からの信頼と好感度は、ここ数日で地の底まで落ち込んでいた。
このまま目標を発見できなければ、その打撃は決して小さくない。
「ですが、一つ情報があります。捜索に役立つかもしれません」
突然、室内の機器を管理していた白衣姿の職員が口を開いた。
「何?」
自衛官が振り返る。
「たった今入ってきたニュースです。横浜市内の地下駐車場で起きた事件についてです。こちらをご覧ください」
職員は外線に接続された隣のモニターを起動し、ニュース番組へチャンネルを切り替えた。
画面には現場から中継する男性記者の姿が映し出された。
『こちら現場です。警察の調査によりますと、昨夜、横浜市内の地下駐車場で行方不明となった三名は、駐車場管理人および警察関係者と判明しており、現在、警察では――』
ニュースを見つめていた自衛官の眉間に、さらに深い皺が刻まれた。
しばらく考え込んだ後、ようやく口を開く。
「つまり……」
「はい。このニュースによれば失踪が始まったのは市内封鎖から二日ほど経った頃です。時期的にも一致します。当時は我々も市街地の地下捜索に集中していましたし、世間の注目も封鎖区域に集まっていました。そのため、こうした目立たない情報を見落としていたのではないかと」
「地下振動の捜索範囲を、あの場所まで広げられるか? 市内全域の地下駐車場だ」
「やってみます」
技術員たちは一斉にコンピューターを操作し、地下振動測定の範囲と方向を切り替えていく。
「あ!出ました!」
「こちらへ回せ」
巨大なメインモニターに、レーダー画面が映し出された。
その第二象限。そこに、一つの小さな光点が弱々しく点滅していた。
右下には、検出された波形データが表示されている。
「かなり微弱ですが……以前確認した地震波の震源波と、おおよそ一致します。間違いないと思います!」
「どうしますか?すぐに兵員を招集して、地下駐車場へ通じるすべての出入口を封鎖しますか?」
自衛官はしばらく黙っていたがはっきりと首を横に振った。
「いや。上に申請する。市内の安全確保に当たっている自衛隊員を全員撤収させろ。基地へ戻す」
「なぜです?」
「これまでの状況を見る限り、あの怪物は自衛隊の探知を簡単にかいくぐっている。まるで神出鬼没だ。もし強引に封鎖して、こちらの動きを察知されたら、先に逃げられる可能性がある」
自衛官は前方の画面を見据えた。
「まずは本部へ戻る。そこで今後の作戦をじっくり検討する」
「ですが、市民にはどう説明するんです? それに、周辺地域の安全は……」
「上層部からメディアに発表させろ。『巨大怪物の潜伏地点を特定し、特殊部隊を派遣して敵の殲滅作戦を開始した。まもなく結果を国民に報告する』とな」
「それでは……市民を欺くことになるのではないでしょうか?」
兵士の声に怒気が混じった。
「市内には大勢の市民がいるんですよ?その安全をこんな形で放置するんですか?」
「お前は命令を実行すればいい。それ以上のことを考える必要はない」
自衛官は淡々と兵士を見た。
「 まさか、部下としての責務を忘れたわけではあるまい?」
反論しようとした兵士を、別の自衛官が制した。
そこにいたのは江国だった。
「その通りにしよう」
江国は意味深な口調で言った。その周囲にいた、さらに階級の高い自衛官たちも静かに頷いた。
「何かあった場合の責任は、我々が取る」
普段から責任感の強い上官たちがそこまで言うのならと兵士は渋々ながらも頷き、コンピューターの前へ戻ると、指令の発信作業を開始した。
「これでいいんだな?」
江国は命令を発した自衛官を見つめ、その男と視線を交わした。
「それでいい。よくやった」
自衛官は頷いた。
そして、陸上自衛隊第一分隊の三尉である江国を一瞥した後、再び巨大なメインモニターへ視線を戻した。
横浜市内のデザインショップ
「ふふ、だからね……」
駿平と祥子は並んで歩いていた。二人は楽しそうに会話を交わし、その距離はとても近い。
自衛隊の作戦室から下された指示も、地下駐車場で起きた惨劇も、この時の二人は知る由もなかった。
横浜市内の封鎖はほぼ解除され、ようやく各店舗が通常営業を再開していた。
祥子が働くデザインショップも、その一つだった。朝早く、駿平は彼女を店まで送り届けていた。
「そうそう。さっきおばさんに、うちの店の新作をまた何着か注文してもらったの」
祥子は駿平の手を引きながら、楽しそうに笑った。
「あとで持って帰ってもらうからね!」
「分かったよ」
店に入ると、祥子はカウンターで作業していた店長に声をかけた。
「店長、ただいま!」
「おお、祥子か! それに、自衛隊のイケメン君も一緒か」
「店長、俺のことは駿平って呼んでください」
駿平が笑いながら答えた。
その時店内に置かれたテレビから流れていたニュースが、彼の注意を引いた。
巨大生物事件に関わるようになって以来、駿平はこうした怪事件の報道に、以前とは比べものにならないほど敏感になっていた。
「どうしたの? 駿平」
突然表情を硬くした駿平を見て、祥子も不思議そうにテレビへ目を向ける。
『失踪現場からこの数日間に寄せられた情報によりますと、駐車場内ではたびたび犬のような鳴き声が聞こえていたということで――』
「まさか……」
ニュースの内容を確認した祥子の表情も変わった。
振り返ると駿平は、すでに険しい表情でテレビを見つめていた。
「……」
駿平は何も言わない。ただ、店の外を見つめている。
横浜の空は、いつの間にか再び晴れ渡っていた。眩しいほどの陽光が街を照らしている。
それでも駿平の胸に立ち込めた重い雲だけは、決して晴れなかった。
「行くの?」
祥子は、駿平の様子を見れば何を考えているのか分かった。
「自衛隊のほうにも、もう情報が入っているかもしれない。俺も戻って集合しないと」
駿平は店の外へ歩き出した。
「たぶん、すぐに新しい任務が来る」
祥子は店長に「すみません」と一言告げると、その後を追った。
しかし店を出た二人の耳に、何人もの足音が聞こえてきた。
自衛隊。その大半を占める陸上自衛隊の隊員たちが、横浜の安全監視のために残っていた最後の部隊まで、一方向へ集結し始めていた。
どうやら、この街から撤収するつもりらしい。
「……これはどういうことだ?」
最後の部隊まで次々と去っていくのを見て、駿平は眉をひそめた。
自分には撤退命令など届いていない。
「おい、何があった?」
駿平は通り過ぎようとした隊員の一人を呼び止めた。
「たった今、上級作戦指揮室から指示が来ました。横浜に残っている自衛隊員は全員ただちに撤収。基地へ帰還するようにとのことです」
「俺にはそんな命令は来ていないぞ」
「急な命令だったんでしょうね。全員同時に伝えることができなかったんだと思います。俺たちの中にも、まだ知らない人間がいるくらいですから」
「どういうことなんだ? まさか、あの怪物の捜索をやめるのか? 市民の安全はどうする?」
「俺たちは上からの指示を実行するだけです」
隊員は淡々と答えた。
「理由やその他のことは、俺たちの管轄じゃありません。それが陸上自衛隊員としての務めです。分かりますよね、不動さん」
それだけ言うと、隊員は振り返ることなく、街中に残っていた自衛隊員たちが集結している方向へ走っていった。
「どうするの……?」
遠ざかっていく兵士たちの姿を見つめながら、祥子は何とも言えない不安を覚えていた。
そして、同じように黙り込んでいる駿平を見る。
駿平にも理解できなかった。なぜ、このタイミングで上層部が撤退命令を出したのか。
今やるべきなのは、地下駐車場のある区域へ向かい、現場を封鎖して捜索することではないのか。
そうでなければ、これまでの市街地封鎖はいったい何のためだったのか。
「……仕方ない。自分で探すしかないな」
「どうするつもり?」
「俺の中にある、あの光から与えられた力……それを使って、市内にある地下駐車場を全部探ってみる」
「それから?」
「それから……」
駿平は言葉を止めた。
もし本当に怪物を見つけたら――その時、どうする?
本部へ報告するのか?それとも、自分であの猟犬の怪物を倒すのか?
あるいは――見なかったことにするのか。
どの選択も簡単ではない。本部に報告したところで、果たして信じてもらえるだろうか。説明するだけでも面倒だ。何より、自分の秘密を知られる可能性がある。
では、自分で倒すのか。それが最も簡単で、最も直接的な方法だ。
しかし、そうなれば自衛隊の立場はさらに微妙になる。
これまで何度も出動し、調査を続けてきた。それなのに、結局いつも別の存在が現れて目標を倒してしまう。
これでは自衛隊の存在意義が、まるでないような状態だ。
そうなれば、彼らは必ずあの謎の巨人について、さらに執拗な調査を始めるだろう。それもまた、面倒なことになる。
だが――。
「……放っておくなんて、俺には絶対にできない」
駿平は決意した。
「とにかく、まずやってみる。後のことは、その時に考えよう」
JR横浜駅付近
神奈川の交通の要衝であるこの駅周辺は普段と変わらず、多くの人々で賑わっていた。
電車の走行音。車のクラクション。近くを通過する列車の汽笛。
さまざまな音が複雑に入り混じっている。
だが、そんな喧騒のすぐそばに、奇妙な死角があった。
そこだけは、異様なほど静かだった。聞こえるのは、冷たい風が吹き抜ける音だけ。まるで、都市の中に取り残された孤独な場所だった。
そこには、かなり以前から建てられていた地下駐車場がある。しかし現在、その入口を出入りする車はほとんどなかった。
地下で頻発する失踪事件が報道されて以来、神奈川や東京の境界付近に暮らす人々は、こうした公共駐車場の利用を避けるようになっていた。
多くの住民が、自宅に近い場所へ無理に車を停めるようになった。
路上駐車による警察の取り締まりや、通行するドライバーからの罵声を受けることになっても――。
それほどまでに、人々は地下駐車場を恐れていた。
そんな場所を、一人の青年が歩いていた。
背中には膨らんだショルダーバッグ。
そして、開いたファスナーの隙間からは、カメラのレンズが覗いている。
その進行方向からすると、青年は電車の駅へ向かっているようだった。
その時。静かな地下駐車場の入口へ差しかかった瞬間、暗闇の奥から猟犬のような激しい吠え声が響いた。
しかし、青年はそれほど気に留めなかった。そのまま歩き続ける。
だが、直後。地下駐車場の中から何かが飛び出してきた。
否、飛んできたというより、投げ捨てられたようだった。
青年は足を止め、落ちた物体へ目を向けた。
それは、何枚もの衣服が絡み合った塊だった。あちこちが無残に引き裂かれている。
青年は興味を覚え、その衣服の塊を拾い上げた。しかし、残っている部分は元の三分の一にも満たない。裂けた箇所には、深い爪痕のような傷が走っている。乾いた血も付着していた。
まるで、何かを丸ごと引き千切ろうとしたかのような、凄まじい力で引き裂かれている。
青年はそれを地面へ置いた。そして、ほとんど明かりのない地下駐車場の入口を見つめる。
「……?」
その時、再び入口の奥から奇妙な声が聞こえた。
周囲を吹き抜ける風と混ざり合い、それはまるで――まるで死者の魂が呼びかけているような。
あるいは、亡霊が悲鳴を上げているような、そんな声だった。
青年は、その音に引き寄せられるように暗闇を見つめた。
闇の中に残されたわずかな光。それは彼の目には、ただの照明には見えなかった。
まるで幻惑的な渦。見る者の魂そのものを吸い込んでしまうような、異様な光景だった。
やがて青年は無意識にショルダーバッグを肩へ引き上げる。
そして、地下駐車場の中へと歩いていった。
駿平は祥子の前で目を閉じた。
意識を外へ広げる。自分の身体の奥に宿る赤い光。その力を通じて、周囲の地中へと感応を伸ばしていく。
地上の道路、建物、地下鉄の通路、地下駐車場。普段なら人々の生活音で満ちているはずの横浜の街を、駿平は一つずつ探っていった。
だが、怪物の気配は見つからない。
「……くそっ駄目だ」
しばらくして、駿平は目を開いた。
「どうしたの?」
「怪物の姿を捉えられない。地下空間を片っ端から調べているのに、反応がないんだ」
祥子は不安そうに駿平を見つめた。
自衛隊が大規模な捜索を続けても、ハウンドオルガメントは見つからなかった。市民の間では地下に潜む怪物への恐怖が広がり、SNSには目撃情報とも噂ともつかない投稿が流れ続けている。
そのうえ、部隊まで撤収してしまった。このままでは、次に何が起きるのか分からない。
「もう一度、試してみる」
駿平は再び目を閉じた。
意識を広げ、市内の地下空間を一つずつ探る。地下鉄の駅も、駐車場も、建物の基礎部分も、可能な限り細かく確認していく。
しかし、そこに映し出されるのは、地中に広がる空間と、そこに残された物の輪郭ばかりだった。
怪物の姿はないし異常な振動も感じられない。
「くそ……いったい、どこに隠れているんだ」
額から汗が流れ落ちた。これほど広い範囲へ意識を伸ばし続けるのは、決して容易ではない。集中が途切れれば、せっかく捉えかけた情報も失われてしまう。
それでも駿平は、すぐには諦めなかった。
もう一度だけ。最後に、もう一度だけ確かめる。
そうして感応を弱め、意識を自分の身体へ引き戻そうとした、その瞬間だった。
「……ん?」
引き戻しかけた意識が、ぴたりと止まった。
感応領域の片隅に、奇妙な反応が残っていたのだ。
赤い光を帯びた一点が、激しく明滅している。まるで、何かが脈打っているかのように。
駿平は息を呑み、すぐさま意識をその一点へ集中させた。
視界が切り替わる。薄暗い地下空間。壊れた照明。壁際に積み重なった瓦礫。その奥を、巨大な影がゆっくりと移動していた。
見間違えるはずがなかった。あの猟犬だ。
「……いた!」
「本当?」
祥子の顔に、安堵の色が浮かんだ。
駿平は頷いたものの、ハウンドオルガメントの姿を追い続けるうちに、表情を強張らせた。
怪物がいるのは、横浜駅周辺の地下駐車場だった。
そして、そのすぐ近くに。
「……そんな。どうして、あいつがそこにいるんだ?」
「駿平?」
祥子が問いかけるが駿平は答えなかった。それ以上の発見があったのだった。
感応によって捉えた人影。その姿には、見覚えがあった。幼い頃から知っている顔。
何度も一緒に笑い、夢を語り合った、大切な友人。
飛原了だった。
なぜ、了があんな場所にいるのか。考えている時間はなかった。
駿平は祥子に背を向け、地下駐車場へ向かって走り出した。
「待って、駿平!」
祥子もすぐに後を追った。
「祥子、来るな!怪物がいるんだぞ!」
「了がいるんでしょう?だったら、私も行く!」
祥子は駿平のところまで駆け寄った。
そしてデザインショップの反対側にある小さな扉へ向かい、鍵を開ける。
「でも祥子、危険すぎる。そんな危ないことに君まで付き合わせたくない」
「私が女だからって、馬鹿にしないで」
祥子は振り返った。
「私だって、あなたと同じような経験をしてきたでしょう?」
扉が勢いよく閉まる。しばらくして祥子が戻ってきた。
その姿を見た駿平は目が点になった。彼女が身につけていたのは、袴を伴わない簡略化された半弓道着。
そして最も目を引いたのは彼女が手にしている、長年使い込まれた和弓だった。
「私だって、昔は弓道部の主将だったんだから」
祥子は背中の矢筒を整えながら言った。
「この何年かだって、弓の腕を落としたつもりはないわ」
「ふざけないでくれ!本当に冗談じゃ済まないんだぞ!」
「私が冗談を言ってるように見える?」
祥子は駿平へ小さく微笑んだ。その表情には一切の冗談がなかった。
真剣そのものだった。
「……はぁ」
駿平は彼女には逆らえないと悟り、ため息をつく。
「分かった。でも危険を感じたら、俺の言うことを聞いて先に逃げてくれ」
「うん」
祥子は真剣な表情で頷いた。
「う……ああ……」
漆黒の地下駐車場。壊れかけた照明が、いくつか弱々しく明滅しているだけだった。
青年の恐怖に震える声が響く。
その周囲には、地面を震わせる振動と凶暴な猟犬、ハウンドオルガメントの咆哮。
暗闇の中、二台の廃車の間に身を隠した青年へ、巨大な怪物がゆっくりと近づいていた。
青年は深灰色の布製バッグを、必死に抱きしめている。
握り締める手には、青筋が浮かんでいた。
その中に入っているものは彼にとって、自分の命よりも大切なものだった。死んでも手放すわけにはいかない。
青年は時折、背後の車越しに巨大な影を盗み見る。
全身を冷や汗が覆っている。
恐怖のあまり、立ち上がることすらできない。
だがハウンドオルガメントははすでに、青年が隠れている車のすぐ後ろまで迫っていた。
巨大な口が開き鋭い牙が露出する。
カチカチと歯を鳴らす音と口元から唾液が滴り落ち、不気味な音を立てた。
次の瞬間、ハウンドオルガメントが前脚を振り下ろした。
青年を隠していた車が一撃で吹き飛ばされる。
完全に姿を晒した青年。
巨大な猟犬の視線が、彼を捉えた。
白濁した巨大な眼球。その奥から淡い青い光が放たれている。
それは見る者の精神を惑わせる、妖しい光だった。
「……ここにいるはずだ」
祥子の手を引きながら、駿平は驚異的な力を使って目的地へと急行していた。
周囲には暗い壁。天井から突き出した配管。塗装された四角い柱。
古びた地下駐車場の内部だった。
「彼は、この場所にいるの?」
祥子は背中の矢筒を整えながら、長年使ってきた和弓を握る。
「うん。俺の意識が示した場所は、ここだ」
駿平には分かっていた。
この空間には、かすかな血の臭いが漂っている。
そして、ここで死んでいった者たちの恐怖、無念、そして怒り。
まるで死者の魂が最後に残した感情が、空気の中に染みついているようだった。
二人が話していた、その時。斜め後方から獣の咆哮が響いた。
それに続いて、猟犬の狂った吠え声。
そして青年の恐怖に満ちた叫び。
「向こうだ!」
駿平は振り返った。
わずかな照明しかない漆黒の奥を睨み、ズボンのポケットから軍用拳銃を取り出す。
「行こう!」
祥子は和弓に矢を番え、弦を引く。
周囲を警戒しながら、駿平と共に暗闇の奥へ走った。
「くっ……!」
了は廃車の陰に身を隠し、手元のバッグを抱きしめた。
背中に冷たい汗が流れる。
目の前にいる怪物は、これまで彼が知っていたどんな生物とも違っていた。異様に発達した四肢。鋭い爪。大きく裂けた口。そして、白く濁った眼球の奥で不気味に明滅する青い光。
その光を見ていると、恐怖とは別の感情が胸の奥から湧き上がってくる。
懐かしさにも似た、奇妙な感覚。けれど、今はそれが何なのか考えている余裕などなかった。
ハウンドオルガメントが前脚を振り下ろし、了を隠していた自動車が、まるで玩具のように吹き飛んだ。
「わあっ!」
身を晒された了は、床へ尻餅をついた。
巨大な影が覆いかぶさりハウンドオルガメントの口が開いた。牙の隙間から唾液が滴り、低い唸り声が地下駐車場に響き渡る。
逃げなければ。そう思っても、脚が動かなかった。
怪物の眼球から放たれる青い光が、了の視線を捕らえて離さない。
このままでは先ほど食い殺された二人の警察官と同じように、血まみれの白骨へと変えられてしまう。
青年は恐怖に唾を飲み込み、そして絶望した。
すると遠くの通路から、一組の男女が四角い柱を回り込んで走ってきた。
陸上自衛隊の正式な制服を身につけた青年。駿平だった。
彼は手にした陸自専用拳銃を巨大な猟犬へ向け発砲した。強烈な振動パルス弾の衝撃を受け、猟犬の頭部が横へ弾かれる。
怪物が怒りの咆哮を上げた。
「了!」
暗闇の向こうから、駿平の声が響いた。
駿平は軍用拳銃を構えたまま、ハウンドオルガメントと了の間へ割って入った。すぐ後ろには祥子の姿もある。
「祥子、了を!」
「分かった!」
祥子は和弓を握り、了のもとへ走った。
駿平は銃口をハウンドオルガメントへ向けたまま、鋭い視線を浴びせる。
ようやく見つけた。何度も何度も捜索をすり抜け、市民を襲い続けていた怪物。
そして、その前にいるのは、自分にとってかけがえのない友人だった。
「……もう、好き勝手にはさせない」
駿平は引き金を引いた。
怒り狂った咆哮。
「駿平!」
怪物の動きが止まったことで、彼はようやく安堵した。
それでも恐怖による身体の震えは止まらない。
「こいつは俺が相手をする!」
「分かった!」
祥子は頷き、弓を握ったまま了のもとへ駆け出す。
だがハウンドオルガメントが突然咆哮した。
巨大な前脚を地面へ叩きつける。地下駐車場全体が激しく震えた。
そしてハウンドオルガメントは、再び了へ向かって這い進んだ。
祥子はそれを見て、即座に弓を引いた。放たれた二本の矢が連続して放たれる。
矢は巨大な猟犬の首、正確にはそこに巻き付いていた、破損した歯車状の首輪へ突き刺さった。
「グォォッ!」
ハウンドオルガメントが怒りの声を上げる。
巨大な頭部が祥子へ向いた。白濁した眼球の奥に、凶暴な光が宿る。
前脚が振り上げられた。祥子を引き裂こうとするが、ハウンドオルガメントが動き出すより早く、駿平が連続して発砲した。
9mm拳銃から放たれた弾丸。念動力によって軌道を微調整され、さらに巧みに振動を与えられた弾丸が、巨大な猟犬の弱点を次々と撃ち抜いていく。
ハウンドオルガメントはその場に釘付けにされた。
祥子へ攻撃する余裕もない。その隙に、祥子は了のもとへ駆け寄った。
数発撃ち込んだところで、駿平は空になった弾倉を抜き捨て、すぐに予備の弾倉へ交換した。
同時に後方へ走りながら、追ってくる巨大なハウンドオルガメントとの距離を保つ。
「大丈夫?」
祥子は和弓を一旦置き、身体を震わせている了を支えた。
全身が汗でびっしょりになっている。
「祥子……俺は大丈夫。それより、祥子は駿平と一緒に逃げろ!」
了は必死に言った。
「あの怪物は危険だ!」
「大丈夫よ」
祥子は彼を支えながら微笑んだ。
「駿平なら、あの怪物を倒せる」
そして、怪物と戦う駿平へ視線を向ける。
「だって、彼は子供の頃の夢を叶えたんだもの」
祥子の頬が、自然と赤く染まる。
「本物の英雄になったのよ」
了は何も答えなかった。
彼も覚えている。いつか誰かを守れる人間になりたい。困っている人を助けられる、本物の英雄になりたい。
そう語っていた少年の姿を。
目の前で怪物と対峙している駿平は、あの頃と何も変わっていないのかもしれなかった。
駿平は、迫り来る猟犬の動きを見極めていた。
巨大な前脚が振り下ろされる。
駿平は横へ跳んだ。鋭い爪が床を削り、コンクリートの破片が周囲へ飛び散る。間髪入れずに、もう一方の前脚が襲いかかった。
駿平は身体を低くしてかわし、怪物の懐へ潜り込む。
「そこだ!」
銃口を向け、引き金を引いた。
念動力によって軌道を制御された弾丸が、ハウンドオルガメントの身体へ命中する。着弾の瞬間、強烈な振動が内部へ伝わった。
ハウンドオルガメントの巨体がぐらりと揺れる。
駿平は間を置かず、次の弾丸を撃ち込んだ。
以前のワームオルガメントと戦ったときに使った戦法だった。相手の身体に直接触れずとも、弾丸に振動を与えることで内部へ衝撃を伝え、動きを封じる。相手は虫ではなく哺乳類だが。
しかし、今回のハウンドオルガメントは違った。
何発もの弾丸を受けても、動きが鈍るだけで致命的な損傷には至らない。
ハウンドオルガメントの首元で、破損した歯車状の首輪が揺れていた。
怪物の身体を覆う皮膚も、以前に戦った生物とは明らかに異なる。青い光を帯びた肉体は、駿平の攻撃を受けながらも、少しずつ衝撃に耐えていた。
まるで、こちらの戦い方を学習しているかのようだった。
「こいつ……!」
駿平は歯を食いしばった。
猟犬が突然、身体をひねった。
巨大な尾が横薙ぎに振るわれる。
駿平は身を屈めて避けたものの、続いて襲いかかった前脚を完全にはかわしきれず身体が大きくよろめく。
駿平はすぐに体勢を立て直し、銃口を怪物へ向けた。
引き金を引いたが銃声は響かなかった。
「……こんな時に!」
弾切れだった。
駿平が一瞬、銃へ視線を落とした、その隙をハウンドオルガメントは見逃さなかった。
巨大な口が花のように4つに開き、喉の奥で青い光が渦を巻いた。
「しまっ!」
放たれた青い光弾が、駿平の右手を直撃した。
「うああっ!」
拳銃が手から弾き飛ばされ、床を滑っていく。着地した銃は白煙を上げ、次の瞬間には内部から破裂するように砕け散った。
「くっ……!」
駿平は着弾した右手首を押さえた。
激痛が腕を駆け上がる。常人ならば、骨が砕けていてもおかしくない一撃だった。赤い光によって強化された肉体でさえ、痛みを完全に抑えることはできない。
『大丈夫か』
『問題ない』
ネイバースが心配そうに言うが、駿平はいつもの口調で返す。
ハウンドオルガメントはゆっくりと口を閉じた。その白濁した眼球が、再び駿平を捉える。
駿平の瞳に赤い光が宿った。
握り締めた拳の周囲で、空気が歪み始める。
銃がなくても戦える。
この拳に力を集めれば、倒せるかもしれない。
そう考えた瞬間、ハウンドオルガメントが動いた。
駿平の方ではない。ハウンドオルガメントが向かったのは、祥子と了のいる方向だった。
「くそっ!」
駿平は即座に走り出した。右手に赤い光が集まる。怪物との距離を詰めながら、全身の力を一点へ集中させた。
「止まれえっ!」
強烈なパルス波が放たれ、ハウンドオルガメントの右後脚を直撃した。
床が震え、周囲の破片が跳ね上がる。
だが、ハウンドオルガメントは一瞬脚を震わせただけだった。
足を止めす祥子たちへ向かって、なおも突き進んでいく。
「祥子!逃げろ!」
駿平の叫びが地下駐車場に響いた。
祥子は了の腕を引き、来た方向へ走り出した。
しかし、ハウンドオルガメントは二人を逃がすつもりなどなく、大きく口を開き、青い光を連続して放つ。
二発の光弾が天井へ命中した。
轟音とともにコンクリートが砕け、巨大な瓦礫が次々と落下する。逃げ道を塞ぐように破片が積み重なり、通路は完全に閉ざされた。
「そんな……!」
祥子は足を止めた。
了も、目の前に崩れ落ちた瓦礫を見つめて立ち尽くしている。
背後から、重い足音が迫ってきた。
二人が振り返る。
ハウンドオルガメントが、ゆっくりと近づいていた。
「祥子、了……!」
駿平は全速力で駆けた。
怪物と二人の間に割り込む。
ハウンドオルガメントの前脚が振り上がった。
駿平は迷わず、その巨体へ体当たりした。
しかし、ハウンドオルガメントは直前で動きを察知し、身体をひねり、右脚を横へ振り払う。
「ぐあっ!」
駿平の身体が吹き飛んだ。砲弾のように宙を舞い、地下駐車場の柱へ激突する。
柱に亀裂が走った。駿平は地面へ崩れ落ち、後頭部から血を流した。
「駿平!」
祥子が叫んだ。
「俺は……いい……!二人とも、そこを動くな!」
駿平は頭を押さえながら、どうにか立ち上がった。
その隙にハウンドオルガメントが迫る。
駿平は両手を床へ叩きつけた。
赤い光が広がる。
床の内部へ強烈な振動を送り込み、目の前の瓦礫へ向けて衝撃を走らせた。
爆発にも似た音が響いた。瓦礫が大きく揺れる。
しかし、崩れ落ちた破片を押しのけるより早く、ハウンドオルガメントがその衝撃を受け止めていた。
巨大な左前脚が床へ食い込み、振動を押さえ込んでいる。
駿平の攻撃は、怪物の進行を止められなかった。
「そんな……!」
祥子は息を呑んだ。了も、表情を強張らせる。
ハウンドオルガメントは三人を見下ろしていた。
逃げ道はない。銃も失った。
駿平の攻撃も、怪物には通用しなくなりつつある。
それでも駿平は、二人の前から退かなかった。
祥子は深く息を吸い込んだ。
そして了を後ろへ押しやると、矢筒から最後の矢を取り出した。
和弓に番え、弦を引き絞り、狙いを定め、放つ。
放たれた矢は猟犬の頭部へ向かって飛んだ。
続けて、二本目、三本目。
矢は次々と怪物へ命中したが、その動きを止めることはできなかった。
やがて矢筒が空になる。
ハウンドオルガメントは、もう目の前まで迫り、巨大な前脚が持ち上がる。
鋼鉄さえ切り裂きそうな爪が、祥子と了へ向けられた。
「……っ!」
祥子は了をかばうように抱き寄せ、身を縮めた。
もう間に合わない。そう思った。
だがいつまで経っても、爪は振り下ろされなかった。
目の前に迫っていた巨大な影が、ぴたりと止まっていた。
祥子は恐る恐る顔を上げた。
そこには、駿平がいた。
背中を二人へ向け、両腕を前へ突き出している。
ハウンドオルガメントの掌を、両手で受け止めていた。
「駿平……!」
祥子の声が震えた。
駿平の両腕から、赤い光が噴き上がっていた。
「ぐ……ああああっ!」
全身の力を振り絞り、巨大な掌を押し返そうとする。
ハウンドオルガメントは激しく咆哮した。
何度も邪魔してきた人間への怒りを叩きつけるように、怪物はさらに力を込めた。
駿平の足元で床が軋む。それでも、彼は一歩も退かなかった。
背後には祥子がいる。了がいる。
この二人を守るためなら、ここで倒れるわけにはいかなかった。
『駿平……!』
ネイバースだった。
『何をしている!その身体では持たない!』
声には、明らかな動揺があった。
いつも冷静に駿平へ語りかけてきた存在が、今は彼の身を案じている。
「わかってる……!」
駿平は歯を食いしばりながら答えた。
「でも、ここで俺が退いたら……二人がやられる!」
『君まで倒れれば、誰が二人を守る!』
ネイザースの声が、駿平の胸に突き刺さった。
『君の肉体は、まだこの力に完全には適応していない。これ以上無理をすれば、ただでは済まないぞ!』
「それでも……!」
駿平は、押し潰されそうになる両腕に力を込めた。
指先が震え、膝が崩れかける。
それでも、彼は顔を上げた。
「俺は、もう目の前で誰かが傷つくのを見ているだけなんて嫌なんだ!」
その言葉に、ネイバースは沈黙した。
駿平が何を恐れ、何を守ろうとしているのか。
それは、彼と共に歩んできたネイザースが、誰よりも理解していることだった。
『……駿平』
「頼む、力を貸してくれ」
駿平は、相手の前脚を押し返そうとしながら言った。
「俺一人じゃ無理だ。でも、お前と一緒なら……二人を守れる!」
『君は……』
ネイバースの声がわずかに揺れた。
『本当に、いつも無茶ばかりする』
「悪いな」
駿平は、苦しい状況の中でわずかに笑った。
「だからあとでいくらでも説教してくれ」
短い沈黙が流れた。
やがて、ネイバースの声が静かに響く。
『……わかった』
その声から、先ほどまでの動揺が消えていた。
『だが、決して一人で背負おうとするな』
「わかってる」
『違う。私もいる』
駿平の胸の奥で、何かが熱くなった。
『君だけが戦うのではない。私たちが共に戦うのだ』
駿平は目を見開いた。
そうだ。この力は、自分だけのものではない。
ネイザースと共に戦うための力なのだ。
「……ああ!」
駿平は叫んだ。
「行くぞ、ネイバース!」
『駿平!』
「……俺は……!」
駿平は歯を食いしばった。
「絶対に……二人を守る!」
その瞳の赤い光が、突如として激しく燃え上がった。
駿平の身体から、強烈な力が解き放たれる。
ハウンドオルガメントの巨体が、わずかに後退した。
一歩。
さらに一歩。
駿平は、巨大な怪物を押し返し始めていた。
そして――。
彼の両腕に、変化が起こった。
筋肉が膨張し、制服の袖が裂ける。
その下から現れたのは、人間のものとは異なる銀色の腕だった。
赤い光が全身を包み込む。
身体が大きくなっていく。
一歩進むたびに、駿平の背丈が伸びていった。
二歩。
三歩。
四歩。
五歩目を踏み出した瞬間、全身を覆う赤い光が天井へ向かって噴き上がった。
地下駐車場を貫くような、巨大な光柱。
猟犬は押し返され、床へ倒れ込んだ。
その頭上で、赤い光が燃え盛る。
やがて光柱が収束し、その中から一体の巨人が姿を現した。
赤い身体。
その輪郭を縁取る銀色。
人間を遥かに超える巨体。
赤と銀の巨人は、静かに地面へ足をつけた。
祥子は、言葉を失っていた。
「……これが……」
隣で、了も呆然と巨人を見上げている。
その姿は、つい先ほどまで自分たちを守っていた駿平そのものだった。
赤い巨人――ネイバースは、わずかに顔を横へ向けた。
祥子と了へ静かに頷く。
そして、再び正面を向いた。