原部隊へ戻った駿平は、上官である江国のもとを訪れ、今回の任務について報告していた。オルガメントとの戦闘で何が起きたのか、その一部始終を説明し終えると、室内にはしばし沈黙が流れた。
「具体的な状況は、以上です」
江国は両手を腰に当てたまま、数分間、うつむいて考え込んでいた。
「今回は本当にご苦労だったな。お前が迅速に目標を撃破してくれたおかげで、今回の事件についても、世間に対してきちんと説明をつけられる。外部へ発表する情報も、これで整理できるだろう」
そう言ってから、江国はふと表情を変えた。
「だが……お前の話では、青い光は現れなかったんだな?」
「はい……」
「それは妙な話だな。まさかオルガメントと一緒に消滅したのか?」
「分かりません。ですが……嫌な予感がします。必要なら、一度江ノ島へ行って調べるべきだと思います」
江国は静かに頷いた。
「上もそのつもりだ。こちらから正式に話を通したあと、お前は本部が編成する調査部隊とともに江ノ島へ向かい、調査に入ってくれ。現地への立ち入りについては、現在、秘密裏に準備を進めている。あと一、二日もあれば整うだろう。それまでに、出発に必要なものを準備しておけ」
「了解しました」
駿平は返事をした。だが、すぐには退出せず、少し間を置いてから再び口を開いた。
「それと、もう一つあります」
「何だ?」
「今回の横浜市内における安全監視任務で、突然発令された『市内に残っている自衛隊をすべて本部へ撤収させる』という命令についてです。上層部からは、いまだに合理的な説明がありません。『今後のことを長期的に考えてのことだ』というだけでは、あまりにも……」
「……その件については、すべてが片付いたあとで、お前たちに説明する」
「しかし……」
「もういいんだ、駿平」
江国は手を上げ、なおも言葉を続けようとした駿平を制した。
「まずは準備をしてこい。江ノ島に着いたら、やることは山ほどあるんだからな」
それ以上、駿平も食い下がることはできなかった。
黙って頷き、敬礼の代わりに別れの仕草を見せると、彼は自衛官室を後にした。
自衛官室を出た駿平は、そのまま本部の出口へ向かって歩いていった。
それから5分ほどして、江国も部屋の扉を開けて出てきた。彼は周囲を気にする様子もなく、ある場所へ向かって歩き始めた。
そこは、陸上自衛隊の高官たちが使用する秘密会議室だった。
室内では、すでに三人の自衛官が長机を囲んで待っていた。江国は彼らと向かい合うように、別の机の向こう側へ腰を下ろした。
部屋の右手には、総合監視システムの大型モニターが設置されていた。画面はつい先ほど電源を落としたばかりらしく、近づけばわずかな熱を感じるほどだった。つまり、三人は先ほどの江国と駿平の会話を、すべて聞いていたのだ。
「江ノ島へ調査に派遣する人員に、こいつの名前も入れてください」
江国は一枚の名簿を三人の自衛官へ差し出した。
中央に座る年長の男がそれを受け取り、まず一通り目を通した。やがて名簿を脇へ置くと、両手を組み、肘を机の縁に乗せた。
「なぜ……そこまで彼のことを信用する?」
江国は答えなかった。
「彼が常人とは異なる能力を持っていることを最初に知ったのは、君だ。あの、いわゆる『赤い巨人』の正体が彼だということもな」
男は江国をじっと見据えた。
「まさか、彼を利用して、我々の目の届かないところで相次いでいる厄介な事件を処理させようとしているのではないだろうな?」
軍部高官三人から向けられる問いに、江国は終始沈黙を守っていた。
ただの一言も答えない。
「君が何を考えているのかは分からない。だが、今回の事件の調査が終われば、我々は上に正式な報告をしなければならない」
会議室には、重苦しい空気が漂っていた。
同じ頃、陸上自衛隊の監視室では、数人の隊員がコンピューターの前に集まり、画面に映し出された映像を食い入るように見つめていた。
映っていたのは、兵器倉庫でハウンドオルガメントと戦った際の記録だった。
数分間にわたって映像を確認したあと、コンピューターを操作していた隊員は、ハウンドオルガメントが最後に撃退された場面で再生を一時停止した。そして、少し前まで巻き戻す。ハウンドオルガメントが市川たち三人の自衛隊員に襲いかかろうとしていた場面だった。
隊員は再生速度を落とし、もう一度映像を流した。度も繰り返し確認するうちに、彼はさらに細かく映像を切り分けていった。
やがて画面には、ハウンドオルガメントが自衛隊員たちの反撃射撃を受け、反撃に転じようとした瞬間、何かに攻撃を遮られて動きを止められる様子が、スローモーションで映し出された。
「この部分を見てください」
隊員はマウスを操作し、ハウンドオルガメントが攻撃を受けたあと、反撃態勢へ移ろうとするたびに動きを妨げられている箇所を示した。画面には、赤い点線で軌跡が書き込まれていた。
「こいつが攻撃を受けている状況を見る限り、我々の射撃と同時に、別の外力が加わっています。かなり大きな衝撃です」
映像が停止する。
「その衝撃によって攻撃動作を中断させられ、我々への攻撃を続けられなくなった。そして最終的に、逃走するしかなくなった。ここです。この数か所を見てください」
別の隊員たちも画面へ身を乗り出した。
「では、この現象が起きた時間を確認してみましょう」
操作担当の隊員が記録時刻を照合した。
「この時間……ちょうど佐渡が倉庫へ来た時間と一致しています」
「……ああ」
しばし、沈黙が流れた。
「これで、ほぼ間違いないでしょう。やっぱりあいつです」
隊員は画面を見つめたまま続けた。
「それに、これまで何度も発生した正体不明の怪物――オルガメントの事件でも、すべて不動が位合わせ一人で解決している」
その言葉を聞き、全員が黙り込んだ。
「実際、もっと早く気づいてもよかったんだ。『赤い巨人』なんて存在は、そもそもいなかった。全て不動が陰でやっていたんだ」
「たぶん、数年前からだ。お前たち、ここ数年の佐渡の変化に気づかなかったのか?」
「でも……どうして、ずっと隠していたんだ?」
長年、駿平とともに働いてきた隊員の一人が答えた。
「不動は昔から慎重な人間だ。自分のことを他人に知られて、余計な面倒を招きたくなかったんだろう」
「じゃあ、今は……どうする?」
互いの顔を見つめ合う隊員たち。しかし、誰も答えられなかった。
監視室には、再び重い沈黙が落ちた。彼らもまた、同じ矛盾を感じていたのだ。
これから、不動駿平とどう接していけばいいのか。
その答えを知る者は、誰もいなかった。
その頃、基地本部を出た駿平は、横浜の街へ向かっていた。
少しだけ買い物と、デザインショップの仕事へ戻った祥子の顔を見たかった。
その途中、たまたま通りかかった店の前から、テレビの音声が聞こえてきた。
『ここで臨時ニュースをお伝えします。近日、横浜市内の地下駐車場で発生していた失踪事件について、最近相次いでいる怪物事件との関連が確認されました。先ほど確かな情報を得た陸上自衛隊本部は、人員を現地へ派遣し、怪物の撃滅作戦を――』
駿平は足を止め、店内のテレビへ目を向けた。報道されていたのは、先日、世間を大きく騒がせたオルガメントの事件だった。
報道の内容を要約すると、自衛隊は怪物が横浜市内の地下駐車場に潜伏していることを突き止め、迅速な作戦によってこれを完全に撃破した。
また、これらの正体不明の巨大生物については、現在も警視庁と自衛隊、主に陸上自衛隊が共同で調査を続けており、近いうちに何らかの結論が出る見込みだという。
ニュースからは自衛隊の迅速かつ的確な対応を称賛する言葉が、時折流れてきた。
それを聞いた駿平は、苦笑した。
そして、何事もなかったかのように再び歩き出し、祥子のいるデザインショップへ向かった。
横浜の街にある、とあるデザインショップ。
店長に代わって店を切り盛りしている祥子と、若い女性店員は、店内を忙しなく行き来していた。
ようやく客足が大きく減ったところで、二人は店の外へ出て、しばし息をついた。
「あー疲れたぁ!店長も本当にいいよねー『遠方のお客様のところへ商談に行ってくる』とか言ってたけど、どうせ旅行に行く口実でしょ。社長とか店長とか、そういう立場の人って羨ましいなぁ」
「あなた文句ばっかり言ってないで、早く仕事しなさい。今日はまだしばらく忙しいんだから。サボってるところを店長に知られたら、給料をかなり引かれるわよ」
祥子は笑いながら言った。
「分かってるって。でも、祥子には敵わないよ。こんなに長いこと働いてるのに、全然疲れないんだもん。まるで永久機関みたい」
店に戻ろうとする祥子を横目に、店員はふと思い出したように言った。
「そういえば祥子さ、もう婚約してるんでしょ? だったら、もういっそのこと早くその駿平さんと一緒になって、正式に夫婦になればいいのに」
「あなた、またそれ? この前は『いつプロポーズするの?』って騒いでたと思ったら、今度は早く結婚しろって。もしかして、結婚する相手はあなたなんじゃないの?」
祥子はまた同じことを言われ、呆れたように彼女を睨んだ。
「そんなわけないじゃん。私はただ……祥子がずっと待ち続けて、ようやくあの馬鹿な人を捕まえたんだから、本当に嬉しいだけ。二人の結婚式には絶対参加したいなって思ってるの」
店員は続けた。
「だって二人とも、小さい頃から一緒に育った幼馴染で、仲もいいし……」
そこまで言ったところで、彼女の表情が突然変わった。
「あ、噂をすれば。来たよ」
祥子が振り向く。通りの向こうから、こちらへ歩いてくる駿平がいた。
「駿平、来たんだ」
「うん。さっき軍部から戻ってきたところ。すぐにまた新しい調査任務の準備に入ることになったから、その前に顔を見に来たんだ」
駿平は笑った。
「そうなんだ。あなたたち、本当にずっとこういうことで忙しいんだね」
「仕方ないよ。これが俺たちの仕事だから」
駿平は店内を見回した。
「それにしても、今日はずいぶん繁盛してるね。祥子のデザインの腕がいいっていうのが、よく分かるよ」
店内に並ぶ服。内装の構造。そこかしこに見えるデザイン。
どれも祥子らしいものだった。
店から出ていく客たちの満足そうな表情を見ても、彼女の手掛けた商品がどれほど支持されているのかは明らかだった。
「また、どこかへ行くの?」
祥子はそれらを特に気にする様子もなく、話題を変えた。
駿平は周囲を見回した。そして祥子の耳元へ顔を寄せ、小さな声で告げた。
「江ノ島」
「えっ……どこへ?」
「江ノ島」
駿平は今度ははっきりと頷いた。
「どのくらい行くの?」
「具体的にはまだ分からない。でも、そんなに長くはならないと思う。数日……長くても一か月くらいかな」
「そう……」
祥子は短く答えた。
その声には、ほんのわずかな寂しさが滲んでいた。
けれど、彼女はすぐに何かを思い出したように、駿平の手元へ視線を落とした。
「あなたの手……」
「もう大丈夫だよ。完全に治った」
駿平は、以前、祥子が自宅へ来たときと同じように、手首を軽く掲げて見せた。
そこに残っているのは、少し黄ばんだような肌と、わずかな日焼け跡だけだった。怪我をしていた痕跡などどこにもない。それどころか傷跡すら残っていなかった。
それを確認した祥子は、ほっと息をついた。そして、照れ隠しのように駿平の肩へ軽く体をぶつけた。
駿平は、そんな彼女を見て笑った。気にする様子もない。
そのとき、街角から吹いてきた風が二人の間を通り抜けた。風には、祥子の淡い香りが混じっていた。
その香りを感じながら、駿平は満足そうに微笑んだ。
やがて祥子に別れを告げると、来た道を戻るように歩き始めた。
向かう先は、北長狭通のさらに先だった。
二日後。午前十時。
江ノ島へ向かう調査部隊の車列が、封鎖された道路の入口に到着していた。
陸上自衛隊の軽装甲機動車が四台。周囲には警備に当たる隊員たちの姿があり、一般車両や通行人の姿は見当たらない。
「長官、現地側から連絡が入りました。島内の封鎖作業も完了したそうです」
道路の入口で指示を待っていた自衛官に、一人の隊員が敬礼して報告した。
「よし。それでは出発」
自衛官は後方へ手を振った。
エンジンのかかった装甲車へ乗り込み、ドアを閉める。四台の車両はゆっくりと走り出し、江ノ島へ続く道へ進入していった。
別の装甲車の右前方に座っていた駿平は、窓越しに海を斜めに見下ろしていた。
高空から差し込む陽光が、海面に金色の光を散らしている。
波は穏やかだった。
海岸沿いの景色も、いつもと変わらない。
けれど、駿平の心は晴れなかった。
『了。これからも、俺たちは友達だよな』
地下駐車場での、了との別れの記憶が蘇る。
『うん。一生の友達。僕はカメラマンとして、君は正義のヒーローとして』
『あの名前みたいに』
『そう。Neighbours。祥子と鞘香、それから僕たち四人……』
別れの記憶が、金色に輝く海面へ映し出された映像のように蘇った。
駿平は静かにその記憶を胸の奥へしまい込んだ。
今は、思い出に浸っている場合ではない。
自分がこれから何をすべきなのか。それを考えなければならなかった。
同じ頃。野毛山。
異常な寒波による風雪が吹き荒れる山頂。ロープウェイの索道口では、黒い防寒着に身を包んだ男が、足場から吹雪の向こうを覗き込んでいた。
「うぅ……駄目だ。風が強すぎる。とても耐えられない!」
男は猛烈な風雪に耐えきれず、建物の中へ戻ってきた。
一時的な宿泊所として使われている小さな山小屋。そこでは、数人の男たちが小さな暖炉を囲んでいた。全員が深刻な表情を浮かべている。
「こんな状態がもう二日も続いてる。これじゃ上へ登ることなんてできないぞ」
「でも、上へ行けないだけじゃない。下にも戻れないんだ。道は雪で塞がってるし、索道も動かせない」
「くそっ……なんでこんな天気に遭遇するんだよ」
「おい!医師とはまだ連絡がつかないのか? 救助隊はここがどうなっているか把握してるのか?」
一人が、受付の電話の前で何度も外部へ連絡を試みている大柄な男へ叫んだ。
男は首を横に振った。
「もう少し待つしかない。今の状態じゃ、俺たちにはどうすることもできない」
太く低い声だった。どうやら、この集団のリーダーらしい。
「ところで、あの人はどこへ行った? 一緒に来ていた金持ちの坊ちゃんだよ」
「ああ? さっき登山しているときにはいたぞ。まさか、道に迷ったんじゃ……」
「冗談じゃない。あいつがいなくなったら、俺たちの旅費だって請求できなくなるぞ!」
雪に閉ざされた松林。
雪に覆われた松葉が、吹き荒れる暴風の中でぼんやりと乳白色の光を放っていた。
厚い防寒着に全身を包んだ青年が、重い足取りで雪原を進んでいく。
防寒手袋をはめた両手で、登山用に設置された安全チェーンをしっかりと掴み、その先にある白く霞んだ場所へ向かって、ゆっくりと歩いていた。
深く積もった雪に残った足跡も、青年が通り過ぎた直後には、吹き荒れる雪煙によって消されていく。
何もかもが、至って普通の雪山の光景に見えた。
ただ一つ。
青年の背負ったバックパックから覗いているカメラのレンズだけが、舞い散る吹雪の中で青い光を反射していた。