3日後。相模湾、江の島近海。
江島神社での調査を終えた陸上自衛隊の特別偵察分隊は、いつでも出発できる状態で待機している軽装甲機動車の車内に身を収め、横浜へ戻る指令を待っていた。
2日前。陸自偵察隊・横浜地区第一分隊の隊員、不動駿平は、深夜に一人で江島神社へ向かい、再び入念な捜索を行っていた。
そしてついに、神社に現存する最古の社殿、その地下に隠されていた「地下宮殿」への入口を発見したのである。
報告を受けた陸自偵察隊の隊員たちは、神社側の関係者とともに地下宮殿へ入り、内部を調査した。
そこで発見されたのは、なぜそんな場所に隠されていたのかも分からない、震災犠牲者たちの遺体だった。
さらに、巨大生物などが発する異常な生体波形を探知するための小型振動探知機を持ち込んだところ、地下深くから激しい波動反応が検出された。
同行していた神社側の最高責任者にその事実を突きつけ、厳しく問いただしたところ、相手はようやく重い口を開いたのだった。
「まさか……10年前に、そんなことが起きていたなんてな」
装甲車内。一人の自衛官が今回の一件を思い返しながら、どこか呆れたような笑みを浮かべていた。
「最初に謎の光が現れた。それから、島を訪れていた旅行者たちが、震災で亡くなった人たちを海の教会へ運んでくれと、強く要求するようになった。その後、秘密裏に江島神社へ運び込んで、社殿の地下に掘られた地下宮殿で、犠牲者たちの鎮魂ミサを行っていたらしい」
「まったく。こんな訳の分からないことが上層部に知れたら、ここは徹底的に調べられるぞ」
もう一人の自衛官が、事件が露見したことに気づいて狼狽していた神社関係者の表情を思い出す。
「それにしても、あの光が見せた幻覚を神の起こした奇跡だと思い込んでいたっていうのが、どうにも理解できないな」
可笑しさを感じる一方で、彼らの胸には拭いきれない疑問も残っていた。
「でも、それがどうしてあの大災害と繋がるんだ?」
「上の連中には、また別の考えがあるのかもしれない。俺たちは命令された任務をこなすだけだ。余計なことは考えないほうがいい」
自衛官たちがそんな会話を交わしている間。2台目の車両、その前方右側の座席に座っていた駿平は、あの地下宮殿で紅い光からすべての秘密を知らされたときの光景を思い返していた。
今でも、その真実には震撼させられる。
10年前――。
おそらく、相模湾を震源とする大地震が発生する前日の夜。
宇宙から飛来した正体不明の発光体が、江の島の西方、相模湾沿岸へ落下した。
それによって、もともと不安定だった南海トラフの地殻に大規模な断裂が生じ、あの恐ろしい大災害を引き起こした。
そして、真の震源となった謎の発光体は、その後も地下に潜み続けた。
その場所は、ちょうど海の教会の近辺だった。
当時、そこには地震と津波によって亡くなった人々のため、地上に急造された小さな仮設教会があり、犠牲者たちの鎮魂ミサが行われていた。
そこで歌われていた聖歌――レクイエム。
その旋律が、発光体と共鳴した。
すると発光体は、通常では考えられない特殊な反応を起こした。
本来ならば鎮魂され、天に召されるはずだった震災犠牲者たちの霊を、すべて取り込み、吸収してしまったのだ。
さらに発光体は幻覚を作り出した。
儀式を執り行っていた者たちの前に、青い光の中で死者たちが再び蘇る光景を見せたのである。
それを見た者たちは、まさしく神の奇跡なのだと思い込んだ。
そして光に惑わされるまま、さらに多くの犠牲者を、発光体が移動した先――江島神社の地下へ運び込んだ。
そこで鎮魂と供養を行わせることで、発光体はさらに多くの霊を取り込んでいった。
なぜだったのか。
生前、誰かから心からの懺悔を受けられなかったからなのか。
あるいは、災害に襲われた瞬間に生じた、強烈な生存本能と、死にきれない無念だったのか。
犠牲者たちの魂には、強い怨念が混ざっていた。
それほど大量の死者の霊を取り込んだ発光体には、やがて自我が芽生えた。
そして、彼らの怨念と強烈な生への執着に導かれるように、横浜へと向かった。
そこで今度は、崩壊した大地に漂い、成仏できずに彷徨っていた無数の霊を吸収していった。
その結果。
取り込んだ亡霊たちの怨念。
強烈な生存欲求。
死の直前に抱いた、あまりにも強い無念。
それらに蝕まれるように、青い謎の発光体の自我は徐々に異質なものへと変質していった。
やがてそれは、悪魔の意識へと変異・覚醒する。
そして、自らの肉体となり得る器を探し始めた。
生物が持つ強烈な生存本能。
あるいは、それ以外の欲望。
そうしたものにつけ込み、宿主を屈服させる。そして、すべてを破壊する怪物へと変える。
だが、それがすべて成就する前に、青い発光体の前に、宇宙の彼方からもう一つの発光体が現れた。
それこそが、今も駿平の体内に潜む紅い光、ネイバースだった。
宇宙の時空の彼方を漂っていた紅い光は、この星に迫る危機を察知した。
そして地球へ降り立ち、すでに悪魔の意識へと目覚めていた青い発光体と激突した。
激しい衝突。
幾度にもわたる光同士の激突。
その末に、青い光は押し退けられた。
そして横浜のどこか、人の目には決して届かない場所へと姿を隠し、力を回復する時を待った。
紅い光もまた、大きな代償を払った。
その戦いによって、自我の大部分を失ったのだ。
そして紅い光は、あの森へと墜落した。
それから長い年月を経て、駿平と出会った。
この一連の過程は、震災の発生から実に五年間も続いた。
そして、さらに五年。
力を取り戻した青い発光体は、一つ、また一つと生物を探し出し、自らの宿主として寄生し続けていた。
これまで、こうした生物が異変を起こし、巨大怪物へと変貌するたびに戦ってきた駿平は、いつも奇妙な違和感を覚えていた。
怪物たちが発する声。
そこには、言葉では説明できない何かが混じっていた。
どこか聞き覚えのあるもの。そして今になって、ようやくその正体が分かった。
あれは死者たちの悲鳴だった。
震災で命を奪われた者たちの、断末魔の絶叫だったのだ。
「俺が、あの力に選ばれたのは……この危機に対処するためだったのか」
5年前、紅い光と出会ったときのこと。
そして巨大な猟犬――ハウンドオルガメントと戦った際、自分の体内の光が共鳴したこと。
すべてが一本の線で繋がり、確信に至った。
『駿平』
脳裏にネイザースの声が響いた。
『君が感じ取ったものは、私にも伝わっている』
「……あの怪物たちの声。あれは、怪物自身が発している声じゃなかったんだな」
『ああ。肉体を支配しているものと、その肉体に取り込まれた魂は、同じ存在ではない』
「じゃあ、俺たちが戦ってきた相手は……」
『青い光に寄生され、変貌させられた生物。そして、その内側に閉じ込められた者たちだ』
駿平は拳を握り締めた。
「そんなことが……」
『すべての魂が、同じ思いを抱いているわけではない。だが、あの光は彼らの無念や生への執着を取り込み、自らの力へと変えている』
「死者の苦しみを利用し。怪物を作り出しているってことか……」
『そうだ』
駿平は目を閉じた。
幾度も戦った怪物たちの姿が脳裏をよぎる。
そのたびに聞こえていた、あの奇妙な声。
懐かしいようでいて、決して知っているはずのない声。
その正体が、ようやく分かった。
「……俺たちは、何も知らずに戦っていたんだな」
『知らなかったことを悔やむ必要はない。君は、その時にできることをしてきた』
「それでも……」
駿平は窓の外へ目を向けた。
車窓の向こうには、穏やかな相模湾が広がっている。
10年前、この海とその周辺で何が起きたのか。
そして、何が人々の命を奪ったのか。
もう、知らなかった頃には戻れない。
「ネイバース。もう一つ、分かったことがある」
『何だ?』
「怪物たちが、どうして人里離れた場所や、人の少ない場所を選んで人間を襲い、捕食していたのか……。俺たちはずっと疑問に思っていた」
駿平は、地下宮殿で見た光景を思い返した。
「自衛隊に見つからず、大規模な掃討作戦を避けるため。それも理由の一つだろう。でも、それだけじゃない」
『青い光は、お前がどのように反応するかを試していた』
「ああ。いろんな生物に寄生して、宿主の肉体を強化しながら……俺の力を探っていた」
『そして、最終的な成長を遂げた時、最後の宿主と融合する』
「その時に、あの悪魔の意識が完全に解放される……」
駿平の声が、低く沈んだ。
青い光は、ただ無差別に怪物を生み出していたわけではなかった。
その背後には、明確な目的があったのだ。
そこまで考えた時、駿平の胸には、まだ震災の余震が残っているような感覚があった。
だが、それ以上に強かったのは、言葉にすることすら難しいほどの怒りだった。
あの災害を引き起こし、親友を――そして、数え切れないほど多くの人々を死なせた元凶。
その存在が、もう一度この世界に大災厄をもたらそうとしている。
「今度こそ、何としても……俺が倒す。俺自身の手で、すべてを終わらせる」
駿平は、固く拳を握り締めた。
『駿平』
ネイザースが静かに呼びかける。
『君の怒りは分かる。だが、忘れるな。青い光が利用しているのは、破壊衝動だけではない。誰かを救いたいという純粋な願いさえ、あの光にとっては利用できる感情なのだ』
「……分かってる」
『ならば、怒りに呑まれるな。私たちが守るべきものを見失わないためにも』
駿平はゆっくりと息を吐いた。
「ああ。俺は、あいつを倒すためだけに戦うんじゃない」
彼の脳裏に、祥子の顔が浮かんだ。
そして、震災で失われた数え切れない命。今も悲しみを抱えながら生きている人々。
「もう、誰にもあんな思いをさせたくないんだ」
ネイザースは、しばらく何も答えなかった。
やがて、静かな声が駿平の意識に届いた。
『……その意志がある限り、私は君とともに戦おう』
車両がゆっくりと揺れた。
遠くに、横浜の街並みが見え始めていた。
ミミズ。
蜘蛛。
そして、猟犬。
これまで駿平が戦ってきた怪物たち。
そのすべてが、一つの大きな脅威へと繋がっていた。
そして、その脅威は今も、どこかで力を蓄えている。
駿平は窓の外を見つめたまま、決意を新たにしていた。
陸自基地。
江ノ島での調査結果を報告するため、一人の自衛官が事務室を訪れていた。机の向こうには、彼よりも高い階級にある軍人が座っている。報告を聞き終えた軍人は、深いため息を漏らした。
「まさか、現地でそんな悍ましいことが起きていたとはな……」
やがて、軍人は眉をひそめた。
「しかし、10年前、地球近傍の軌道上に配置されていた衛星は、何も異常を検知していないぞ」
衛星関連の研究施設に勤務していた経験のある自衛官が、困惑した表情を浮かべる。
「衛星監視ステーションが受信したデータも、すべて正常だった。もし本当に宇宙から何かが飛来したというなら……まったく、とんでもない話だ」
「……実は当時、確かに奇妙なことはあった」
静かな声が室内に響いた。
「何?」
その場にいた全員の視線が、声を上げた人物へ集まった。
発言したのは、オルガメントの研究を担当している自衛隊の上級研究員だった。
「地震が起きる前日の夜、欧米の宇宙監視本部で、衛星に一瞬だけ正体不明の干渉現象が発生している」
一同は黙って耳を傾けた。
「それに続いて、他国の衛星監視ステーションでも同様の干渉が次々と発生した。時間そのものは極めて短かったがな」
研究員は一度言葉を切り、続けた。
「そしてその直後、相模湾を震源とする大地震が発生した。あの悪夢の瞬間だ」
「こちらの衛星受信ステーションでも、約一分間にわたって信号が途絶している」
「それを、なぜ報告しなかった?」
軍人の声が険しくなった。
「当時は震災救助にほとんどすべての注意が向けられていて、そんな短時間の異常を気に留める者はいなかった」
研究員は苦々しい表情で説明を続けた。
「しかも後になって、干渉を受けた各国の衛星監視ステーションは、ほぼ同じ原因を突き止めたとされた。太陽黒点の一時的な爆発と、それに伴う電波干渉だ」
別の自衛官が、記憶をたどるように口を開いた。
「少々強引な結論ではあったが、その後、この件を詳しく調べる者はほとんどいなかった。まして、それを相模湾の地震と結びつける者など誰もいなかった」
研究員は、室内にいる全員の顔を見回した。
「もしこのタイミングを選んだということなら……あの謎の発光体は、本当に知能を持っていたということになる」
「ふざけるな!」
軍人の顔が怒りで青ざめた。
「もしそれが本当にそうだったなら、衛星監視ステーションの連中は全員、この失態の責任を取って首が飛んでもおかしくないぞ!」
その場にいた者たちも、険しい表情を浮かべた。
あの大地震には、従来知られていたものとは異なる原因があった。
誰一人として予想していなかった存在。
宇宙から飛来し、この街の人々に無限の苦痛をもたらした、謎の青い発光体。
その存在が、今度はあの巨大災害をもう一度繰り返そうとしている。
「今度こそ、何としてもあの化け物を消滅させる」
軍人は拳を握り締めた。
「我々の持てる力を、すべて使ってでもな」