同じ頃。
陸自基地の自衛官室では、江国三尉が駿平と向かい合っていた。
迷彩柄の私服を着た駿平は、上官の問いかけに落ち着いた表情で答えている。
「最近発生している怪物襲撃事件。その背後にある事情も、ほぼすべて明らかになった」
江国は机に手を置いた。
「君はどう考える?」
「現在、軍部上層部では、全国各地に振動探知装置を配備した自衛隊部隊を展開し、青い謎の発光体を全国規模で捜索する計画を立てています」
駿平は淡々と答えた。
「ですが、俺はそこまで大がかりにする必要はないと思います」
「なぜだ?」
「青い発光体が全国各地に出現する可能性はあります」
駿平は言葉を選びながら続けた。
「しかし、あの存在は10年前の地震で亡くなった大勢の人々の霊を吸収したことで、自我を持つようになった。そう考えるなら、最も長く留まる可能性が高いのは、この横浜を含む震災の被災地域です」
その言葉には、冷静な分析があった。
「ですから、部隊による探索も、まずはこの地域を重点的に行えばいいと思います」
駿平自身も気づかないほど微かな陰りが、その瞳に宿った。
そこには、憎しみとも悲しみともつかない感情が混ざっていた。
けれど、その感情が分析を曇らせることはなかった。
「なるほど……君の分析には筋が通っている」
江国は頷いた。
「分かった。上層部にも君の意見を伝えておこう。おそらく採用されるだろう」
「ありがとうございます。それでは、ほかに何もなければ失礼します」
駿平は立ち上がり、部屋を出ようとした。
「待て、駿平」
背後から江国の声が飛んできた。
「どうしました?まだ何か?」
振り返った駿平は、江国の表情が先ほどまでとは明らかに違っていることに気づいた。
江国は神妙な面持ちで制服を整えた。
まるで、重大なことを伝えようとしているかのようだった。
駿平が問いかけようとした、その瞬間。長年、自分の直属の上司だった江国三尉が深々と頭を下げた。
あまりにも正式な、見事な一礼だった。
駿平は思わず戸惑った。
「このところ、本当に君には助けられた」
江国は頭を下げたまま言った。
「君が一連の事件で立ち上がってくれなければ、もっと多くの人間が犠牲になっていただろう。秩序そのものが大きく揺らいでいた可能性もある」
やがて、江国は顔を上げた。
「これは、皆を代表しての礼だ。これまでの君の働きに、心から感謝する」
「三尉、そんな……」
駿平は慌てて江国を起こした。
「頭をあげてください。俺は、自分がやるべきことをしただけです。たとえ、こんな力を持っていなかったとしても」
そして、まっすぐに江国を見つめた。
「自分は陸自軍人ですから。人を守ることが、自分の務めです」
上官から部下へ頭を下げることなど、軍部では滅多にない。
正式な式典の場でもない。それだけに、駿平はどこか落ち着かなかった。
江国は、目の前の青年を見つめた。
ずっと「英雄になる」という夢を追い続けてきた青年。
そして、その夢を現実にしてしまった青年。
江国は静かに頷いた。
しかし、その胸の奥には、深い罪悪感があった。
もうすぐ、青い光の事件が完全に終わった後、軍部上層部は駿平に対して特別な措置を取ることになる。
具体的な内容は、まだ江国にも知らされていない。
それでも、一つだけ確かなことがあった。
駿平がこれから先、普通の人間と同じような人生を送ることは――おそらく難しい。
江国の胸中を知ることなく、駿平は敬礼した。
江国三尉に敬礼を返した駿平は、踵を返して自衛官室を後にした。
残された江国は、しばらく扉を見つめていた。
やがて何事もなかったかのように、机の上の書類を整理し始めた。けれど、その手つきには、どこか重苦しいものが残っていた。
横浜市内。
かつての大震災で甚大な被害を受けた街は、長い年月を経てすっかり復興を遂げていた。新しい建物が並び、通りには多くの人々が行き交う。震災の痕跡が目につく場所は少なくなり、街は再び活気を取り戻していた。
数日前、怪物襲撃事件を受けて政府と自衛隊が市街地周辺を封鎖したことで、不安を抱えている市民もいた。
それでも、オルガメントが撃退され、事件がひとまず終息したこと。そして、政府上層部が事件を重大視し、詳細な調査を進めていることもあり、人々の生活は少しずつ平穏を取り戻しつつあった。
だが、街には、再び奇妙な緊張が漂い始めていた。
大通りを歩いていた祥子は、職務質問を行う警察官たちを見て眉をひそめた。
2日前から、横浜市内を巡回する警察官の数が異様に増えていた。しかも、その多くは普段この地域では見かけない捜査員だった。
ようやく落ち着きを取り戻した街に、再び不穏な空気が広がっている。
原因は、3日前に発生した不可解な連続死亡事件だった。
「駿平たちは……まだ事件の根本的な原因を突き止めていないのかな」
祥子は小さく呟いた。
ここ最近の経験から、奇妙な事件が起きるたびに、どうしても過去の怪物たちと結びつけて考えてしまう。
駿平が調査へ向かうために彼女と別れてから、すでに六日が経っていた。
しかし、いまだに彼から連絡はない。
何度か電話をかけようともしたが、携帯電話はずっと話し中だった。
祥子は、通りの一角に集まっている警察官たちをちらりと見た。
余計な考えを頭から追い出し、仕事へ戻ろうとする。
その頃、人通りの少ない一角では、巡回を終えた警察官たちが小さな木陰に集まっていた。
彼らの前には、外見からもかなり年長と分かる警官が立っている。
「どうだ?」
手元の記録を確認しながら、年長の警官が尋ねた。
だが、集まった警官たちは揃って首を横に振った。
「新しい発見はありません」
「被害者たちが働いていた場所を一通り細かく聞き込みましたが、新しい手掛かりになるような話はほとんど出てきませんでした」
「そもそも、この事件は妙すぎる」
最初に通報を受けた警官が、重々しい表情で口を開いた。
「一、二日の間に20人以上が連続して死亡している。それなのに遺体には傷一つない。毒物を摂取した形跡も、薬物を服用した形跡もない」
彼は首を振った。
「どう考えても普通じゃないな」
別の警官も頷いた。
「しかも、警視庁が正式に捜査を始めてからも、死者の数は増え続けています」
「まったく……ついこの前まで怪物の騒ぎで大変だったというのに、今度はこんな事件か。横浜という街は、本当に災難続きだな」
別の警官が吐き捨てるように言い、他の者たちも同意するように頷いた。
しかし、年長の警官は片手を上げて彼らを制した。そして、その場で最も若い警官へ目を向けた。
「遺体の鑑定結果は?」
若い警官は、遺体の検査と解剖を担当している鑑定医との連絡役だった。
皆が話し合っている間も、彼だけは黙り込んでいた。何かを考えるように、ひどく集中した表情を浮かべている。
やがて年長の警官に問いかけられ、我に返った。
「あります」
「何が分かった?」
若い警官は報告書を確認しながら、ほとんど断言するように答えた。
「鑑定結果によれば、この人たちは、体内の臓器が何かと共振を起こしたことによって、急性臓器不全に陥り、死亡したそうです」
その瞬間、街の入口方向から激しい衝撃音が響いた。
同時に、横浜市の上空からも巨大な轟音が轟いた。
警官たちは一斉に振り返った。
街を歩いていた人々も足を止め、音のした方向を見上げる。
市街地へ続く大きな交差点。
そこへ、陸上自衛隊の水陸両用装甲車が二台、相次いで停車した。
車両によって道路の一部が封鎖される。随伴してきた自衛官たちは、何事かと集まってきた市民を速やかに退避させていった。
そして、上空に響く轟音の正体は2棟の高層ビルの間を旋回する武装ヘリコプターだった。
その光景を目の当たりにした警官たちは、息を呑んだ。
まるで、前回の封鎖作戦が再び始まったかのようだった。
「自衛隊が、また来たのか?」
「この様子じゃ、また市街地を封鎖するんじゃないか?」
「おいおい。本当にそうなったぞ」
別の警官が苦笑した。
「横浜も、災難続きだな……」
自衛隊の出動によって街が騒然となったため、事件について話し合っていた警官たちも、先ほどまでの議論を中断した。
彼らは服装を整え、自衛隊と協力して街の治安維持へ向かう。
今は連続死亡事件の捜査よりも、目の前の事態への対応が優先だった。
横浜市内が自衛隊によって封鎖されるのと同じ頃、周辺地域でも同様の大規模作戦が予定どおり始まっていた。
装甲車から一人の青年が飛び降りた。
正式な陸自制服に身を包み、ヘルメットを装着している。
不動駿平は腕の防護バンドを整えると、物資を配布していた隊員から小型振動探知器と電波レーダー受信装置を受け取った。
そして、周囲の街路へ向けて試験的な探知を開始する。
「おい、不動。ここであまり時間をかけるなよ。ここはあくまで小さな区域だ」
「分かっています」
駿平は探知器を確認しながら答えた。
「でも、それもちょっと違うと思います」
「というと?」
「あの存在は、どこにでも現れる可能性がありますから」
実際、この場所は重点捜索区域ではなかった。
本来なら、少数の自衛隊分隊を派遣する程度で十分な地域だった。
それでも駿平がここへ来ることになったのは、どうしても気がかりな人物がいたからだった。
駿平自身が強く希望した結果、基地にいた一部の重装備部隊とともに、この地域の探知任務へ参加することになったのである。
「そういえば、最近ここもあまり穏やかじゃない」
同行している自衛官が言った。
「ちょっと妙な事件が起きてる。当然、俺たちが探しているものと関係があるかどうかは分からないが」
「例の不可解な連続死亡事件ですか?」
「ああ」
探知波形の観測地点が設置される。
そして自衛隊による市街地の本格的な捜索が始まった。
方法そのものは、前回と同様、地上部隊が街中を歩き、各所を調べる。高層ビルや街角には装甲車や戦車が配置され、上空では武装ヘリが旋回していた。
それらは実際の捜索だけでなく、事態の重大さを市民に示す意味合いも強かった。
だが、前回とは明らかに違っていた。
今回、地上や建物の廊下を行き来する隊員たちは、より慎重に周囲を調べている。
その一方で、投入された軍事装備の規模は異常なほど大きかった。前回の作戦では使われなかった装備まで、今回の捜索には投入されている。
さらに、市街地の外縁部には、より多くの自衛官が待機していた。
標的による緊急事態が発生した場合、即座に全戦力を投入できる態勢が整えられていた。
「しかし……ここまで大規模に軍を動かす必要があるのか?」
捜索開始直後、駿平と行動を共にする自衛官の一人が、人影の減った街を見回しながら呟いた。
「どうした?」
「前回の封鎖作戦は、何の成果も出ないまま突然撤収命令が出た。それで市民からかなり不満が出たんだ」
自衛官は、道路を塞ぐ装甲車へ視線を向けた。
「今回もこれだけ大がかりにやるとなると……正直、隊員の中にも乗り気じゃない奴は多い」
「でも、ここで暮らす人たちの安全のためです」
駿平は答えた。
「あれは危険すぎる」
小型振動探知器を握る手に、わずかに力がこもった。
「すでに三回、生物と融合している。次は、これまでよりはるかに恐ろしい怪物が現れる可能性が高い」
駿平は、探知器の表示を見つめた。
「それが街全体に甚大な被害を与える前に、防がなければならない。そのためには、これくらい必要です」
「随分と詳しいな、不動」
「え?」
駿平は一瞬、言葉に詰まった。
「…あ、…あはは、そうですか?」
曖昧に笑い、再び探知器へ目を落とす。
胸の奥では、ネイザースの声が静かに響いていた。
『君は、あの青い存在が次に何をするかを恐れているのだな』
駿平は周囲の隊員たちに気づかれないよう、小さく息を吐いた。
『恐れるのは当然だ。あれは、これまでの怪物とは違う』
「分かっている」
口には出さず、心の中で答える。
『それでも、君はは戦うか』
「当たり前だ。これ以上、誰も死なせたくない」
返事はすぐにはなかった。
やがてネイザースが、静かに告げた。
『ならば、私も君と共にいる』
駿平はほんのわずかに表情を和らげた。
そして、何事もなかったかのように再び歩き始めた。