NEIGHBORS-鎮魂戦争-   作:トライアゲイン

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ヒューマンオルガメント

 烈火のような陽光が、果てしなく広がる大気を照らしていた。

 

 その中を、一筋の紅い光が突き抜けていく。

 

 紅い光をまとった人影――駿平は、猛烈な勢いで雲海を突き破り、対流圏を越えて成層圏へと向かっていた。

 上空へ進むにつれ、大気の流れはさらに激しさを増していく。強烈な気流が全身を叩きつけ、駿平は一時、目を開けることさえできなかった。それでも耐え続けるうちに、ようやく視界が戻ってくる。

 

 目を開いた瞬間。駿平の視線は、前方に浮かぶ青い光点を捉えた。

 

「……!」

 

 雲海の上。青い光をまとった人影が、背中から伸びた二枚の翼を大きく羽ばたかせている。

 

 ただの翼ではなかった。羽ばたくたびに、周囲の大気そのものが震えていた。

 空気には実体を持つかのような波紋が広がり、上層の冷たい空気と下層の熱い空気が逆流する。その異常な温度構造によって、上空には無数の氷の花が咲き始めていた。

 

 駿平は、その光景を見た瞬間に悟った。

 

「大気そのものを……作り変えている?」

 

 このままでは、地上に降り注ぐ有害な紫外線を抑えるオゾン層までもが破壊されかねない。

 

 そうなれば、地上に降り注ぐ紫外線は急激に増加し、世界中で大量の死者が出るだろう。

 

 

「……そんなことをしたら、地上の人間が……!」

 

 

 駿平の胸に恐怖が走った。

 それと同時に、もう一つの感情が込み上げてくる。目の前にいるのは、かつて自分と肩を並べて笑い、夢を語り合った親友だった。

 

 だが、今の姿は違う。

 青い光に包まれ、背中には異形の翼。人間の面影を残しながらも、その姿はすでに怪物へと変わりつつあった。

 

 駿平は、心の奥底ではずっと考えないようにしていた。

 

 まさか、了があの青い発光体の同化対象になるなど。

 

 ましてや怪物へ変わってしまうなど。

 

 そんな未来を、彼は無意識のうちに拒絶していたのだ。

 

 

「了!」

 

 

 駿平は必死に距離を詰めながら叫んだ。

 

 

「やめろ!このままじゃ、お前は!」

 

 

 駿平の叫びを、青い人影は聞き取っていた。

 

 

「黙れえええええ!」

 

 

 激しい怒声が大気を震わせる。

 

 

「この人でなしが!」

 

 

 了の翼が大きく羽ばたいた。

 轟音とともに強烈な気流が噴き出し、駿平の身体を押し返す。

 

「ぐっ……!」

 

 

 せっかく縮めた距離が、一気に開いていく。

 

人間の姿を保ったままの駿平では、この特殊な力を長時間維持できない。一方で、了の異形化は刻一刻と進んでいた。

 

 このままでは、了は完全に怪物になってしまう。

 

 

「くそ……!」

 

 

 駿平は歯を食いしばった。

 

 

「変身しなければ……この力じゃ長く持たない!」

 

 

 駿平は前方を見つめた。

 

 青い光に包まれた親友。その背中から伸びる翼が、なおも大気をかき乱している。

 

 決断を迫られた、その瞬間だった。 

 

 突然、大気の逆流が止まった。

 

 青い光影もまた、雲海の上でぴたりと静止する。

 

 

「了……?」

 

 

 駿平は思わず息を吐いた。

 

 しかし、何かがおかしい。

 

「……まさか!」

 

 次の瞬間、青い翼が再び大きく開いた。

 

「しまった!」

 

 了は急降下した。螺旋状の気流が巻き起こり、雲海に溜まっていた熱気が一気に押し散らされる。その熱波が、追ってきた駿平へ真正面から襲いかかった。

 

「この……!」

 

 視界を覆うほどの熱風と雲流。

 

 駿平の飛行姿勢が大きく崩れた。

 

 身体を制御できない。このままでは落下する。

 

「くっ……!」

 

 駿平は片手を前へ突き出した。

 

 紅い光が一点に収束する。

 

 脈動する振動エネルギーが実体化し、強烈な衝撃波となって放たれた。

 

 轟音と共に熱波と雲海を貫いて、巨大な裂け目が生まれる。雲の塊が吹き飛び、その向こうに青い光影が見えた。

 

 駿平は全身から紅い光を噴き上げた。

 

「逃がすか!」

 

 紅い閃光となった駿平は、青い影を追って急降下していった。

 

 紅い光が雲海を切り裂き、地上へ向かっていく。

 

 その先には、駿平たちが生きてきた街があった。

 

 

 

 同じ頃、横浜。

 

 江の島から続く海岸線を望む街では、礼拝を終えた人々が教会の門から次々と外へ出ていた。

 

 いつもの街。いつもの日常。

 

 人々は、そう思っていた。

 

 その瞬間だった。

 

「きゃあああっ!」

 

 街中の人々が、一斉に空を見上げた。

 

 そこには、青い光点があった。

 

 猛烈な速度で、こちらへ近づいてくる。

 

 その後方――人々の目には右上方に見える位置に、もう一つの光があった。

 

 赤い光。

 

 二つの光が、横浜の街へ迫っていた。

 

「何だ、あれは……?」

 

 誰かが呆然と呟いた。

 

 青い光は、教会の鐘楼へ向かって急降下した。鐘楼の頂上から十メートルほど上空に達したところで、その動きが止まる。

 

 そこで人々は、ようやく青い光の正体を目にした。

 

 裸の上半身。全身に走る、血管のように細い青い紋様。背中から伸びる、幻影のような青い翼。

 

 そして人間のそれとは思えないほど醜く歪んだ顔。

 

 まるで、聖書に記された悪魔そのものだった。

 

「ひっ……!」

 

 女性の一人が息を呑み、後ずさった。

 

 礼拝を終えたばかりの人々は、誰もがその場に立ち尽くしていた。目の前に現れたものを、現実の出来事として受け止めることができない。

 

 青い悪魔――了は、眼下の街を見下ろしていた。

 

そこには、無数の人間がいる。

 

 行き交う人々。教会の前に集まった人々。異変に気づき、窓から空を見上げる人々。

 

 彼らはまだ、自分たちに迫る本当の恐怖を理解していなかった。

 

 了が、ゆっくりと翼を震わせた。

 

 その瞬間、空気が鳴った。

 

 目に見えない波紋が、周囲へ広がっていく。まるで、空間そのものに張り巡らされた見えない弦を、誰かが弾いたかのようだった。

 

 そしてあの哀しい旋律が、再び奏でられた。

 

 鎮魂曲

 

 その音色は、以前よりも鋭く、悲痛だった。

 

 まるで刃物でガラスを引き裂くような、不快な響き。

 

 人々が耳を塞ぐ間もなく、轟音が街を揺るがした。

 

 一棟の高層建築が崩れ落ちた。爆発でも、地震でもない。建物の構造そのものが、見えない力によって破壊されたかのようだった。

 

 続いて、その隣の建物が崩壊する。さらに、その向こうでも。

 

 ガラスが砕け、鉄骨がねじ曲がり、巨大な建物が次々と崩れ落ちていった。

 

 瓦礫が空から降り注ぐ。

 

 立ち並ぶビルの間を、粉塵が白く覆い尽くしていく。

 

 つい先ほどまで、いつもと変わらない日常が流れていた街は、一瞬にして地獄へと変わった。

 

「逃げろ!」

 

「危ない!」

 

「うわあああっ!」

 

 悲鳴が響き渡る。

 

 人々は一斉に走り出した。教会の門へ殺到する者、近くの建物へ逃げ込もうとする者、何が起きたのか分からず、その場で動けなくなる者。

 

 倒れた人を助けようと手を伸ばす者もいたが、その頭上から、さらに大きな瓦礫が落ちてくる。

 

 街は混乱に呑み込まれていった。

 

 そして、その惨状を見下ろす了の顔には、何の感情も浮かんでいなかった。

 

 ただ、その背後では、青い翼が不気味に揺れていた。

 

 その旋律は、まだ止まらない。

 崩れ落ちる建物の間を、逃げ惑う人々が走っていた。

 

 粉塵が舞い上がり、視界を覆い尽くす。道路には瓦礫が散乱し、逃げ遅れた人々の悲鳴があちこちから聞こえてくる。

 

 その姿は10年前のあの日と酷似していた。町が崩れ、人々は逃げまどい、誰もが何が起きているかわからない恐怖に支配されている。

 町の各所に配置された自衛隊員たちも空を見上げた。

 

 「なんだあれは……」

 「最悪の事態が起こったな」

 「地上から対空攻撃を行いますか?」

 

 和解隊員が上官へ尋ねた。

 

 「いや、武装ヘリに任せよう。あの大きさでは目標が小さすぎる。それに高速で移動している。準備もなしに攻撃すれば建物を破壊して民間人を巻き込み無用な被害を出す!」

 「では……」

 「今は避難誘導を最優先だ」

 「了解!」

 

 横浜市外縁の空域で、待機していた陸自の武装ヘリの機内に地上部隊からの通信が入った。

 

 「地上部隊より指令」

 「特殊部隊01、攻撃準備」

 

 操縦席の隊員たちが緊張を高める。

 

 「待て」

 

 最終攻撃命令を出そうとしていた自衛官が突然言葉を止めた。黒いサングラス越しの目が前方をとらえる。

 

 青い光の上空。そこに新たな光が現れた。

 

 「了!」

 

 その直後、赤い光が青い光へと迫った。

 

 「よう、どうした?」

 

 了が冷笑する。

 

 「お前は何をしに来たんだ?鞘香を救えなかったくせに。彼女を死なせた奴を裁くこともできなかったくせに……今度は俺が彼女を蘇らせることまで邪魔するのか!?」

 

 「了!」

 

 駿平は叫んだ。

 

 「お前がやってることでは鞘香は生き返らない!」

 「黙れ!」

 「お前は今自分の欲望の奴隷になってる!目を覚ませ!現実に戻れ!」

 

 駿平は必死だった。

 

 「お前は忘れたのか!?昔、カメラマンになるって言ってただろ!」

 

 了の青い瞳が激しく輝く。

 

 「…黙れ。何度言わせるつもりだ」

 

 了は拳を握った。

 

 「俺が今一番嫌いなのはな、お前が俺の前で正義面して、そんな綺麗事を並べることなんだよ!」

 

 その声には怒りだけではない。深い絶望が込められていた。

 

 「この光を見たとき、俺にはわかった。鞘香がいないんだったら、俺がどれだけ優れたカメラマンになったところで何になる?何の意味もない!!」

 

 了の青い光が爆発的に膨れ上がった。

 

 「結局俺たちはこの世界で生きるしかない哀れな存在!欲望という名の鎖を付けられ、現実という牢獄にとらわれる囚人だ!そんな現実が俺たちを許さないというなら、俺も現実には従わない!自分の欲と一体となる!そして……そして、俺を苦しめるもの全てを破壊してやる!」

 

 駿平の表情が凍った。その言葉、最後の一言、それが一つの恐ろしい可能性を突き付けた。

 

 「了……まさか……」

 

 駿平の声が震えた。

 

 「この数日、横浜で死んだ何人もの人間、まさかお前が……お前がやったのか?」

 

 了は笑った。

 

 「みんな死ぬべきだったんだよ!」

 

 そして眼下の人々を見下ろした。

 

 「こいつらみたいにな!!」

 

 翼が震え、青い波紋が斜め下に広がっていく。

 

 「やめろ!」

 

 駿平は衝撃波を発射したが、了は軽々と回避する。

 

 「ふふ……」

 

 その笑みを見た瞬間、駿平の脳裏に江の島の地下宮殿で見た光景が蘇った。

 幻術に操られた二人の神官。

 あの時と同じ目、同じ狂気。それが今の了に宿っている。

 

 「こいつを止めなければ!」

 

 駿平は拳を握り、赤い光を発生させる。光が拳を包み込み、空気が激しくゆがむ。

 

 「了!」

 

 拳が青い光に向かって放たれた。

 

 「止まれえええええ!!!」

 

 了もまた拳を振り下ろした。

 

 赤と青。ふたつの拳が激突する。

 爆発的な衝撃波が発生し、二人はそれぞれ数十メートル吹き飛ばされた。衝撃は雲海をめくりあげ、そのまま斜め下に広がった。

 横浜の街へ。

 窓ガラスが砕け散り、壁面の一部が崩れ

 

 そして、その下にいた祥子もまたその光景を見ていた。

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