「……駿平!」
彼女が駆け出した瞬間。
轟音と共に高層建築の一部が崩れた。
巨大な瓦礫が祥子へ向かって落ちてくる。
「祥子!」
上空の駿平にも、その声が聞こえた。
彼は一瞬で進路を変えた。
赤い光が空を裂く。
次の瞬間、駿平は祥子の前へ飛び込んでいた。
轟音とともに瓦礫が背中へ叩きつけられる。
「ぐっ……!」
祥子が目を開ける。
目の前にいるのは、見慣れた青年だった。
幼い頃と同じように、自分を背中で守っている。
「……駿平」
駿平は血を吐きながら、それでも祥子を抱きしめた。
「大丈夫か?」
「……うん」
祥子の目から涙がこぼれた。
「どうして……どうしてこんなことするの……」
駿平は答えなかった。祥子が無事だった。それだけでよかった。
しかし、緊張が切れた瞬間、背中に受けた傷が一気に身体を襲った。
「ぐっ…」
「駿平!」
彼の身体が前へ崩れ落ち、祥子が慌てて支えた。
背中のジャケットとシャツは裂け、そこには黒く変色した肉が覗いている。
祥子の胸が締めつけられた。彼は能力で自分の身体を守る暇すらなく、ただ祥子を救うことだけを優先したのだ。
祥子は震える手でハンカチを取り出し、傷口を拭った。
そのとき遠くから轟音が響いた。
駿平は顔を上げる。聞き慣れた音だった。
それは陸自特殊部隊の武装ヘリだった。
「……反撃が始まったのか」
二人は空を見上げた。
武装ヘリから機関砲が一斉に火を噴く。
しかし、すべての弾丸は了の青い翼が生み出す波動によって弾き飛ばされる。
「邪魔だ!」
了が右腕を上げた。
その瞬間、背後で爆発が起きた。
了が振り返る。
地上では人々が避難した広場から、水陸両用装甲車に搭載された高射砲がこちらを狙っていた。
ゴミどもが……!」
了の怒りが爆発する。
「邪魔なものは、全部この世界から消えろ!」
青い翼が震えた。身体が膨張する。翼が徐々に肉体へ吸収されていく。全身を走る青い紋様が猛烈な光を放った。
「おおおおおっ!」
爆発的な青い光が空を覆う。
武装ヘリは緊急降下を試みるが、間に合わない。
二機のヘリが青い光に飲み込まれ、二つの火球が空から落ちた。
そして――
青い光は横浜の中心へ降下した。
かつて十年前、地震による被害が最も激しかった場所。
大地が震え、光が収束していく。
そこに現れたのは、了の姿ではなかった。
全高40メートル。
青い身体。異形の顔。
悪魔そのものだった。
「……あの顔」
祥子が口元を押さえた。
駿平も息を呑む。
「まさか……」
その顔には、見覚えがあった。
やがて巨大な怪物は両手を胸の前で組んだ。
祈りを捧げる信徒のように。
そして低く告げる。
「余は亡霊の集合体――アスモンティスである」
「アス……モンティス……」
駿平が呟いた。
「まさに、悪魔か……」
巨大な青い悪魔は、人々を見下ろした。
「人間……己が欲にひれ伏し、永遠に満たされることのない哀れで醜い矮小なる生物……災害や理不尽の前ではあまりにも脆く、最後には苦痛に満ちた現実へ沈んでいく……ならば今日――」
青い瞳が輝く。
「理不尽の中で苦しみ、死んでいった者たちの怨念を、お前たちにも味わわせてやろう。そして、この洗礼によって解放されるがいい」
「了!」
駿平の叫びは届かない。
アスモンティスが腕を上げた。
「怨術・霊火焔」
掌に青い光が集まり。三発の青い波動弾が放たれた。
直撃した建物が崩壊し、火柱が上がり、瓦礫が空へ舞った。
人々は悲鳴を上げながら逃げていく。
アスモンティスが両手を振る。
「怨術・地縛霊撃」
大地が震えた。
高速道路が崩落し、橋が折れ、建物が倒壊する。
「怨術・死霊一閃」
アスモンティスの体から放たれた青い波動弾が街を縦横無尽に飛び交う。
横浜は、再び死の街へと変わっていった。
「一級警戒!」
「事態は最悪の段階へ移行!」
「特殊部隊を前面に出せ!」
「陸上部隊、全員攻撃開始!」
陸上自衛隊が総攻撃へ移った。
武装兵が一斉に銃撃。空からは武装ヘリ。地上からは戦車、装輪装甲車、水陸両用装甲車、LAV。
ありとあらゆる兵器が一斉に火を噴く。
「無駄な事を。怨術・霊障壁」
すべてが青い念動力障壁によって止められた。
再び、アスモンティスが複雑な印を結ぶ。
「怨術・浮遊霊流」
次の瞬間。戦車も装甲車も、武装ヘリまでもが宙へ浮いた。
まるで重力を失ったかのように。
「な……!」
兵士たちが絶句する。
アスモンティスが両手を振るうと、鉄の巨体が空中で激突する。
爆発と炎、崩壊。
横浜の街が再び瓦礫へと変わる。
それを見ていた駿平は、祥子とともに立ち尽くしていた。
あまりにも似ている。
10年前のあの日と。
いや、今回の方が、さらに多くの人間が死ぬ。
「……そうか」
駿平は頭を押さえた。
「駿平!」
祥子が駆け寄る。
だが、駿平は手で制した。
身体の傷ではない。頭の中に、了の目が浮かんでいた。
地下駐車場で見た、あの目。
明るさの奥に潜んでいた暗闇。
「……分かった」
駿平は呟いた。
「了は……現実に絶望していたんだ」
過去の美しい記憶に沈み込むほど、現在の現実とのギャップや落差を憎むようになっていた。
その心の闇に、青い光が入り込んだのだ。
「俺が気づけなかった……」
駿平の声には深い後悔が滲んでいた。
「俺が……」
だが、祥子は彼を見つめた。
「駿平」
「……?」
「もしあの地震で死んだのが駿平だったら、もっとひどいことになっていたかもしれない……そうなったら、誰がみんなを救うの?」
駿平は答えられない。
「その力を与えられたなら、その力でみんなを守るべきだよ」
祥子は言った。
「それは、鞘香のお墓であなたが言ったことじゃない。あなたは正義の英雄なんでしょう?」
駿平は拳を握った。
「……でも、俺が戦わなければならない相手は――」
視線の先。青い悪魔。
「俺の人生で一番大切な友達なんだ……俺には、できない」
その言葉が、駿平の心から絞り出された。
そのとき、瓦礫の向こうから、幼い少女の泣き声が聞こえた。
二人が振り向くと、白い服と赤いスカートを身につけた少女がいた。
周囲には倒壊した建物。
そして遺体。
少女は恐怖で泣き続けている。
その頭上へ、崩れ落ちた巨大な瓦礫が落ちてきた。
「危ない!」
祥子が飛び出し、少女を抱きしめる。
二人は瓦礫の死角へ転がり込んだ。
落下した破片が祥子の腕を傷つける。
だが少女は無事だった。
「大丈夫?」
少女は震えながら頷いた。
祥子はその身体を強く抱きしめる。
少し離れた場所で、駿平はその光景を見ていた。
そして――
了との昔の会話を思い出した。
中学生の頃の放課後。
「了。一つ聞きたいことがある」
「何?」
「どうしてそんなに写真が好きなんだ?」
了はしばらく考え、そして答えた。
「自分が本当に撮りたいと思ったものを撮りたいから」
「それで?」
「そうすれば、自分が本当に追い求めているものに近づける気がするんだ」
駿平は笑った。
「難しいな」
「そんなに難しくないさ」
了も笑った。
「たとえば駿平、お前はずっと、映画に出てくるような正義のヒーローになりたいんだろ?」
「そうだ」
「なら、お前の心の中には本当に追い求めたい正義があるはずだ。それを見つければいいそうすれば――」
了は笑った。
「本当の英雄になれる」
「了……!」
駿平は目を閉じた。そして、再び開く。
その目には迷いが消えていた。
再び飛んできた巨大な瓦礫が祥子と少女を襲う。
その瞬間、駿平が二人の前へ立った。
念動力が炸裂する。瓦礫が空中で止まり、そして横へ弾き飛ばされる。
「駿平!」
「祥子」
駿平は振り返った。
「君の言う通りだったよ。この事件の原因が俺にあるとしても――それなら、俺が終わらせる。俺が、この手で」
その目には、かつての少年の面影が戻っていた。
夢を抱き、正義を信じていた少年。
駿平は少女を祥子へ預けた。
少女は自衛隊の避難区域へ走っていく。
祥子は駿平を見つめた。
「俺は戦う」
駿平は言った。
そして歩き始めた。
「駿平!」
その背中を見た祥子の胸に、突然強い不安が走った。
これが最後になる。そんな予感がした。
「駿平!」
駿平が振り返る。
祥子が駆け寄ってくる。そして、二人は抱きしめ合った。
「必ず生きて帰ってきて」
祥子の声は震えていた。
駿平は微笑んだ。
「約束する。俺は了を連れて帰る」
「そして――君との約束も果たす」
祥子は何度も頷いた。
「うん……!」
やがて駿平は離れた。
そして、瓦礫の街を一人歩いていく。
その背中を、祥子は見送った。
まるで、遠くへ旅立つ夫を見送る妻のように。