午前6時20分。横浜・海浜公園
現場に到着した駿平が最初に目にしたものは、見るも無惨に破壊された海岸だった。
砂浜には、何か巨大なものが地面を掘り返しながら進んだような跡が残っている。
幅は約十メートル。深さは五メートルにも及ぶ。
長く引きずられた溝が砂地を何本も走り、その両端には巨大な穴が二つ開いていた。
縦横に交差する砂の溝。
その端には、血の付着した衣服の切れ端。
さらに、折れ曲がった郵便配達用のバイクが半ば溝へ埋まっている。
駿平は無言で現場を見渡した。
これだけで、ここでどれほど凄惨な出来事が起きたのかが分かる。
昨日見た襲撃現場よりも、破壊の規模は明らかに大きかった。
砂浜の公共施設はほとんどすべて破壊され、周辺の建物も損傷している。
大量の瓦礫が砂と海水に混ざり、荒れ果てた砂浜へ流れ込んでいた。
その光景の中に、羽生と大神、そして数名の自衛隊員がいた。
羽生は特に深く掘り込まれた溝を指差しながら、怒りを露わにしていた。
「先輩!」
市川が駿平に駆け寄る。
「市川。ここで何があったんだ?」
「午前4時40分、海浜公園で再び正体不明の生物による襲撃が発生しました」
市川は現場を見ながら説明する。
「深刻度はこれまでの数回を大きく上回っています。合計二十名の死傷者が出ています」
駿平は黙って聞いていた。
「我々は、以前の相手の襲撃行動から判断して、比較的人目の少ない場所に重点的に警戒部隊を配置していました」
市川は苦々しく続けた。
「まさか、あの巨大なミミズがこんな公共の場所に現れるとは……想定していませんでした」
「目撃者は?」
「生き残った一部の住民によると、深夜に凄まじい悲鳴を聞いたそうです。その直後、地面が激しく揺れた。そして、何かが引き裂かれるような音。その後に家屋が崩れる音がした」
駿平の視線が、破壊された建物へ向く。
「浜辺に建っていた木造家屋から出た人たちが見たのは、一隻の船が完全に切り裂かれた光景だったそうです」
そして――。
「その直後、巨大なミミズのような怪物が現れました」
市川の声が低くなる。
「怪物は通りかかった郵便配達員を襲い、捕食した。そして、異変に気づいて浜辺に集まってきた人々にも襲いかかった」
「……」
「現場は完全なパニックでした。しかし幸いなことに海岸の警備員と警察官がすぐに自衛隊本部へ連絡し、最寄りの自衛隊員が急行したため、被害がこれ以上拡大することは防げました」
だが、問題はそれだけではない。
「今回の事件で、一般市民にも一連の怪事件が巨大生物によるものだという事実が、ほぼ知られてしまいました」
市川は周囲を見回した。
「多くの市民が不安と恐怖を抱いています。警察の責任者や政府関係者に対しても、明確な説明を求める声が出ています」
「……隠蔽していたことへの不満も出ている、ということか」
「はい」
市川は頷いた。
「公共の安全そのものに対する信頼が揺らぎかねない状況です。羽生警部も、かなり頭を悩ませています」
駿平は黙って頷いた。
しばらく周囲の道路を眺める。
そして、羽生田のもとへ歩いていった。
SNSに拡散した怪物の映像
現場付近では、隊員たちが慌ただしく動いていた。
その中で、スマートフォンを手にした隊員が、周囲を気にしながら画面を見つめている。
駿平はその画面に目を留めた。
暗い海岸。
激しく揺れる映像。
逃げ惑う人々の叫び声。
次の瞬間、砂地が大きく盛り上がり、巨大な茶色い影が姿を現した。
画面が傾く。
撮影者の悲鳴。
そして、怪物が人々へ迫る姿が映ったところで、映像は途切れていた。
「これは……」
「現場にいた人間が撮影したようです」
隊員が答えた。
「SNSに投稿されて、もうかなり拡散しています」
別の投稿には、同じ映像を見た人々の反応が次々と並んでいた。
『これ、本物なのか?』
『映画の宣伝じゃないのか』
『いや、現場のニュースと一致している』
『海浜公園で本当に怪物が出たらしい』
『政府は何を隠しているんだ』
『昨日の陥没も全部こいつの仕業なのか?』
映像は何度も再投稿され、切り抜かれ、別のアカウントへ転載されていた。
怪物の全身が鮮明に映っているわけではない。だがそれでも、地面から現れた巨大な影と、逃げ惑う人々の叫び声は、作り物では片づけられない生々しさを持っていた。
公式発表が行われる前に、事件の存在だけが独り歩きしている。
「もう隠し通せないか……」
駿平が呟いた。
事件の映像が広がれば、これまでの襲撃も掘り起こされるだろう。
市民は説明を求め、政府と警察は対応を迫られる。
しかし、今は世間の反応を考えている場合ではなかった。
怪物は倒されていない。
それどころか、次にどこへ現れるのかさえ分からない。
次の被害を防ぐことが先決だった。
「こんなこと……」
羽生は怒りを噛み殺していた。
「もし奴を捕まえられなければ、俺の首が飛ぶことなんて些細な問題だ。公共の安全を守る仕組みそのものが、我々の責任で疑われることになったら大変なことになる!」
羽生はそう言って手にした警帽を地面へ叩きつけた。
「今こそ、何とかしてこの難題を解決しなければならない!」
「羽生さん」
駿平が肩を叩いた。
「不動さんか」
「ここで起きたことは、すべて把握しています。今回の判断が誤ったことについては、私にも大きな責任があります」
「いや」
羽生は首を振る。
「それは普通なら誰でもする推測だ。君の分析は間違っていない」
「……」
「我々全員が襲撃地点の特徴から判断していた。だがまさか奴が、こんなに人目を引く場所を選ぶとは思わなかったんだ」
羽生はため息をついた。
「こうなった以上、政府に自衛隊の大規模出動を要請して、都市全体を徹底的に捜索するしかないんじゃないか?」
大神が口を挟んだ。
「それは駄目だ」
羽生は即座に否定する。
「そんなことをすれば、街全体の生活を混乱させる。それに、捜索活動そのものにも支障が出る」
「しかし……」
「最悪の場合、奴を捕まえる前に情報が国内中へ広がる。そしてこれが国際問題にまで発展したら……」
その先を羽生は言わなかった。
駿平は二人の会話を聞きながら、静かにその場を離れた。
巨大な穴へ向かう。
穴の縁から約一メートル離れた場所で立ち止まった。
内部を見る。外を見る。周囲の地形を見る。
岩壁には細かなひび割れが走っている。
穴の縁から流れ込んだ砂が、そのひび割れに沿って岩の隙間へ入り込み、少しずつ奥へ落ちていた。
駿平の視線が穴の外へ移った。
そこに、米粒ほどの黄色い物体が落ちている。
銃の薬莢。
自衛隊の突撃銃から排出されたものだった。
地面には複数の薬莢が散乱している。
つまり、ここでは激しい銃撃戦があった。
駆けつけた自衛隊が巨大生物と交戦し、奴を撃退したのだろう。
そしてこの巨大な穴は、奴が最後に撤退した際に残したものだ。
駿平はしゃがみ込んだ。
砂へ手を置く。
その瞬間、瞳から赤い光が溢れ出した。
駿平の意識が、地層の奥へ潜っていく。
百メートル。五百メートル。千メートル。さらに深く。
地中に存在する異変を探る。
周囲の地層。岩盤。空洞。地下水脈。すべてを意識で探っていく。
五分ほど経過しても、海浜公園周辺の地下には異常が見つからなかった。
駿平の中に、奇妙な感覚が生まれる。
いない。
しかし、諦めない。
さらに深く。
意識の移動速度を上げる。
途中で何かに遮られないよう、意識を一気に地下深くへ送り込んでいく。
すると周囲の岩盤の感触が変わった。
それまで固く感じていた岩の表層が、突然柔らかくなった。
さらに深く入るほど、その感触は明確になる。
これは岩ではない。
駿平は意識を送り続けた。
そしてついに、その「柔らかい岩層」の正体を捉えた。
地下約1500メートル。
岩の隙間に巨大な影が蠢いていた。
絡み合う無数の管のような巨大な肉体。
それは脈動していた。
まるで、巨大な茶色い心臓そのもの。
そして、その巨大な「心臓」は――秒速五百メートルという異常な速度で、街の西部方面へ向かって地下を進んでいた。
「……!」
駿平は短い驚きを覚えた。
すぐに意識を引き戻そうとする。
その時だった。
『――見えてるか?』
頭の中に、また声が響いた。
駿平は息を呑んだ。
「……誰だ?」
『お前が今、見ているものだ』
「この地下の……巨大な影か?」
『そうだ』
声は、駿平自身の思考とは違っていた。
落ち着いている。
それでいて、どこか遠い場所から語りかけてくるようだった。
前は頭の中でしかイメージできなかった。
だが今ははっきりと見える。
彼の目の前には赤い人の形をしたオーラのような何かがいた。
声はそのオーラからはっきりと聞こえるが周辺の人は気づいていない。
その声は駿平にしか聞こえず、姿も駿平にだけ見えるようだ。
「お前は……何なんだ?」
『今は、その問いに答える必要はない』
「答えろ。お前は何を知っている?」
『お前が見たものを、忘れるな』
駿平は拳を握った。
「ふざけるな。あれが何なのかも分からないまま、放っておけるわけがないだろう!」
『だからこそ、見続けろ』
声は静かだった。
『お前には、見えている。ほかの人間には見えないものが』
「……」
『それをどう使うかは、お前次第だ』
駿平は、地下を進む巨大な影へ意識を向けた。
怪物は止まらない。
確実に、街の西部へ向かっている。
駿平は意識を引き戻した。
「先輩!」
市川が駆け寄ってきた。
「こちらの点検作業はすべて完了しました。羽生警部と合流しましょう」
駿平は頷いた。
最後にもう一度、巨大な穴へ視線を向ける。
そして市川とともに、多くの人間が集まっている場所へ戻っていった。
赤いあいつはいつのまにか消えていた。