駿平が背を向けた瞬間だった。
砂を擦る音がした。
駿平が振り返ると切断したはずの肉塊が動いていた。
「……!」
四つの肉塊が、一斉に飛びかかってきた。
駿平は地面へ押し倒された。
「しまった……!」
身体を押さえつけられる。
念動力を使っても、今の力では振り払えない。
視界の端に、別の肉塊が映った。
それらが向かっている先には、倒れている自衛隊員たちがいる。
「……駄目だ」
駿平の顔が歪む。
「このままじゃ、みんなが……!」
身体の奥底。
これまで恐れていた力。
その力を、もう抑えている場合ではなかった。
「……力を貸せ」
駿平は目を閉じた。
意識を、身体の最深部へ沈める。
「何が起きても……構わない」
――解放。
「ハァァァァァッ!」
紅い光が爆発した。
肉塊が一斉に吹き飛ぶ。
瓦礫が宙へ舞い上がった。
その中心で、駿平の意識が暗闇へ沈んでいく。
身体の感覚が遠ざかる。
自分が立っているのか、倒れているのかさえ分からない。
ただ、胸の奥だけが熱かった。
――駿平。
「……誰だ?」
声が聞こえた。
耳からではない。
頭の内側。もっと深い場所から響いてくる。
『聞こえているな』
「……お前は……」
駿平は、その声を知っていた。
あのとき、自分の意識に語りかけてきた声。
彼にだけ見えた赤い人の形のオーラ。
「赤い、あいつか……!」
『そうだ』
「お前、いったい何なんだ!」
駿平の声が暗闇に響いた。
「俺の身体に何をした?この力は何だ!どうして俺だけが、こんなものを使える!」
『質問が多いな』
「ふざけるな!」
駿平は叫んだ。
「仲間がやられた!目の前で人が食われた!俺は何もできなかったんだ!」
脳裏に、大神の姿がよぎる。
血に染まった制服。
崩れ落ちる工場。
怪物に襲われる隊員たち。
「力があるなら、最初から教えろよ!どうすれば使えるのか、何をすればあいつを倒せるのか!」
赤い人は、すぐには答えなかった。
その沈黙に、駿平は苛立ちを募らせる。
「……答えろ!」
『お前は、力を欲しているのか』
「当たり前だ!」
『何のために?』
「決まってるだろ!あいつを倒すためだ!」
『倒したあと、お前はどうする』
「……何?」
『力を手に入れたお前は、その力を何に使う』
「今、そんなことを話してる場合か!」
『重要なことだ』
「仲間が死にかけてるんだぞ!」
『だからこそ、聞いている』
駿平は言葉を失った。
暗闇の向こうに、赤い光が浮かんでいた。その光は、まるで心臓の鼓動のように明滅している。
『お前は、力を使うことと使われることの違いを理解していない』
「……どういう意味だ?」
『力を持つことは、何かを得ることではない』
「だったら何なんだよ」
『選ぶことだ』
駿平は黙った。
『何を守るのか。何を犠牲にするのか。どこまで進み、どこで立ち止まるのか』
「……そんなこと、今は考えられない」
『ならば、考えろ』
「だから、時間がないんだ!」
『時間がないからこそ、お前自身が決めなければならない』
赤い光が強くなる。
駿平の胸の奥で、何かが脈打った。
「……俺は……」
駿平は拳を握った。
「俺は、あいつを止める」
『なぜだ』
「仲間を守るためだ」
『それだけか』
「……!」
駿平の脳裏に、倒れている隊員たちの姿が浮かんだ。
自分を引きずり込もうとした怪物。
逃げ惑う人々。
そして、何もできなかった自分。
「……もう、目の前で誰かが犠牲になるのを見たくない」
声が震えた。
「俺が何者なのかなんて、今はどうでもいい。お前が何なのかも、まだ分からない。でも……」
駿平は顔を上げた。
「この力が使えるなら、俺に使わせろ!」
赤い光が、暗闇を満たした。
『……そうか』
赤い人の声が、初めてわずかに変わった。
『ならば、覚えておけ』
「何を……」
『お前が力を求めたのではない』
駿平は息を呑んだ。
『力もまた、お前を選んだ』
「……どういう意味だ?」
『今はまだ、分からなくていい』
「また、それかよ……!」
駿平は苦笑するように息を吐いた。
「お前、肝心なことは何も教えてくれないんだな」
『知れば、答えが得られるとは限らない』
「……だったら、俺は自分で答えを見つける」
『それでいい』
赤い光が、駿平の全身を包み込んだ。
銀色の皮膚。
その表面を走る赤い筋。
両腕に形成される刃。
胸部に浮かび上がる巨大なY字。
五つの灯石が、順に明滅する。
駿平の身体が巨大化していく。
「……おい、赤い奴」
『何だ』
「この身体は……俺のものなのか?」
短い沈黙。
『お前が決めろ』
「……そうか」
駿平は前を見た。
崩壊した造船所。
蠢く肉塊。
そして、青い光を放つ怪物。
「だったら、俺が決める」
両手を握る。
「俺は、あいつを止める!」
『行け、駿平』
その声を最後に、暗闇が消えた。
駿平は自分の両手を見下ろした。
「……これが、俺……?」
その中心から、駿平が立ち上がる。
紅い光が身体を包んでいた。
そして――。
胸の奥で、何かが脈動した。
そしてあのYの形をした何か。
燃えるような巨大な赤いY字が、胸の内側から浮かび上がる。
血管のような赤い光が、両腕へと伸びていった。
「……何だ、これ……!」
右腕が変化した。
筋肉が膨張し、制服の袖を突き破る。
銀色の皮膚。
その表面を走る赤い筋。
もはや、人間の腕ではなかった。
左腕も変わる。
胸から全身へ紅い光が走った。
身体が徐々に巨大化していく。
紅い光が夜空へ噴き上がった。
そこに立っていたのは、人間ではなかった。
全高5メートル。赤い筋肉のようなラインが全身を覆い、その隙間を銀色の皮膚が構成している。
両腕には、刃のような突起。
胸部には、巨大な血紅色のY字。
その上には、五つの楕円形の灯石が並んでいた。
左右四つが黄色。
中央に一つだけ赤い灯石。
そして、その下には巨大なY字形の水晶が脈動している。
まるで、心臓そのものだった。
黄色い両眼の灯が夜を照らす。
駿平は、自分自身の身体を見つめた。
自分が何になったのか考える時間はなかった。
怪物の断片が動き始めた。
互いを食らっている。
その中の一つから、青い光が漏れた。
「……青い光?」
青い光を放つ肉塊が、ほかの肉塊を猛烈な勢いで食らっていく。
そして――。
15メートル。
再び、巨大な一匹の怪物へ戻った。
受けたダメージはほぼ完全に再生していた。
「まだ……終わっていないのか」
赤い巨人が走る。
怪物が突進してくる。
巨人は両腕を交差させて受け止めた。
衝撃が全身を駆け抜ける。
駿平は踏みとどまり、両腕に力を込め、拳を組み、上から叩き落とす。
怪物が地面へ叩きつけられた。
怪物は反撃に巨体が足首へ食らいつこうとする。
巨人は脚を振り上げた。
蹴りが怪物の首へ直撃した。
15メートルの巨体が吹き飛ぶ。
しかし、怪物も負けてはいなかった。
巨大な尾が瓦礫を巻き上げ、赤い巨人の胸へ叩きつけられる。
巨人が二歩後退した。
その隙に、怪物が口を開く。
巨人は両手で大あごを掴んだ。
花弁状の口から、緑色の粘液が滴り落ちた。
駿平は、その口を睨みつける。
その力で大あごをへし折り、間髪入れず拳を叩き込んだ。
怪物が吹き飛ぶ。
だが――。
怪物の身体から、青い光が発生した。
口腔へエネルギーが集中していく。
次の瞬間。
三発の青い光弾が放たれた。
巨人は横へ飛ぶ。
爆音とともに背後の海岸が大きく抉れた。
怪物は、さらにエネルギーを溜め始める。
それを見た巨人も、両腕を動かした。
両腕を密着させる。
手首の刃が赤く輝き始めた。
共鳴、そして腕を振り抜く。
三条の赤い光刃が飛んだ。
怪物も同時に青い光弾を放つ。
赤と青。
二つのエネルギーが、夜空で衝突した。
閃光と爆発が発生し互いの攻撃が消滅した。
その直後、怪物は地中へ潜った。
「また逃げるのか!」
駿平は拳を握る。
身体の中に流れる力を、拳一点へ集中させた。
そして、地面を殴った。
脈動が大地を駆け抜ける。
地下の地質構造が、強制的に変化した。
怪物が地中から弾き出される。
駿平は、とどめを刺そうとした。
その時。
胸のY字が激しく点滅した。
それと連動し、五つの灯石も明滅する。
左右の黄色い灯石から中央の赤い灯石へ。
そこから、Y字形の水晶へ。
「……身体が、動かない……」
力が抜けていく。
巨人が膝をついた。
「これが……限界なのか?」
怪物が迫ってくる。
大あごをへし折られてもなお巨大な口が開いた。
駿平が振り向く。
怪物の牙が、左肩に噛み付いた。
「ぐああああっ!」
赤い光が血のように飛び散る。
だが、駿平は腕の刃を振り上げた。
怪物の皮膚が切り裂かれる。
怪物が悲鳴を上げ、口を離した。
駿平は拳を握り、最後の力を込めた。
念動力をまとった拳が、空間を震わせる。
怪物が数十メートル近く吹っ飛ばされた。
「……初めて、全部引き出したんだ……」
駿平は息を切らした。
「まだ、この身体が力に追いついていない……」
胸のY字がまるで心臓のように激しく明滅する。
怪物が海へ向かって逃げ始めた。
「……海へ?」
駿平は立ち上がった。
このまま逃がせば、もう二度と捕らえられないかもしれない。
身体は限界だった。
それでも、追う。
地面の振動で、羽生が目を覚ました。
「……う……」
頭を押さえながら身体を起こす。
視界がぼやけていた。
その向こうに見えたものに、羽生の顔が凍りついた。
赤い巨人。
5メートルの異形。
その巨人が、巨大な怪物を追っている。
「……何だ、あれは……」
羽生は呆然と呟いた。
その間にも、駿平は怪物へ追いついていた。
地中へ潜ろうとする尾を掴む。
「逃がすか!」
全身の力を振り絞る。
怪物を地中から引きずり出し投げ飛ばした。
右腕の刃が赤く輝いた。
左腕へ、脈動するエネルギーが集まる。
赤い光刃。
炎を帯びた衝撃弾。
駿平は両腕を構えた。
「これで……終わりだ!」
赤い光刃が走り怪物の身体が、二つに切断された。
同時に、内部から青い光が飛び出した。
駿平は、その光を見た。
左腕から放った炎の衝撃弾が、青い光を抱えた肉塊へ直撃する。
轟音と爆炎、そして大量の砂塵。
その中心で、青い光が小さな球体へ収束していった。
そして消えた。
駿平の胸のY字水晶が、最後に一度だけ強く輝く。
そして、完全に消えた。
巨大な身体から力が抜けていく。
紅い光が、徐々に小さくなった。
5メートルの巨人が消える。
そこに残ったのは――。
破れた陸上自衛隊の制服を着た、一人の青年だった。
不動駿平。
彼は砂と瓦礫の中へ倒れ込んだ。
羽生は、何も言えず、ただ、その光景を見つめていた。
羽生は、その姿を見ていた。
そして、ようやく理解し始めていた。
不動駿平。
彼はもう、自分たちが知っている「人間」だけではない。
だが、あの巨人が何者なのか。
羽生には、まだ分からなかった。
ただ一つ確かなのは。
今夜、この造船所で、佐渡駿平の中に眠っていた「何か」が、ついに目を覚ましたということだった。