陸上自衛隊 横浜方面基地軍事情報部。
デスクの上には、今回の作戦に関する記録と、帰還した隊員たちの証言記録が並べられている。
天井の照明は白く、室内には空調の低い音だけが響いていた。
「それでは、身分情報を口頭で述べてください。氏名、年齢、入隊時期を含めて」
「不動駿平、27歳。2018年、自衛隊実習部隊に入隊しました。3年間の実習期間を経て勤務し、2021年に正式に陸上自衛隊へ入隊しています。2030年現在まで複数の災害救援活動に参加しました」
「よろしい。記録と一致しています」
正面の審査官は資料へ目を落とした。
「では、今回の任務について説明してください」
駿平は、3日前の早朝に始まった一連の出来事を説明した。
横浜市西部の造船所で発生した、巨大なミミズ型生物による襲撃事件。
現地へ向かった陸上自衛隊と警視庁の合同調査部隊。
周辺住民と作業員を避難させたうえで実施された包囲作戦。
そして、想定を大きく超える敵の能力によって、多数の隊員が命を落とした夜戦。
駿平は、事実として説明できることを一つずつ述べた。
しかし、自分の身体に起きた変化についてだけは、一切口にしなかった。
赤い光。
自分の意志に応じて動いた不可解な力。
そして、自分自身が変化した、あの赤と銀の巨人。
それらについて話すわけにはいかなかった。
「不動さん」
審査官の隣に座る陪席官が口を開いた。
「あなたはなぜ対象が横浜市西部の造船所に現れると断定できたのですか?あの時点では、そこまで具体的な予測を立てられる情報はなかったはずです」
「以前にも説明しました。うまく言葉にできないんです」
「言葉にできない?」
「本能的な直感と、これまでの経験です。江国三尉にも、そのことは話しています」
審査官は眉をひそめた。
「もし、あなたが我々や上層部に対して何か一つでも隠しているのなら、その結果は非常に重大なものになります。その点はよく理解しておいてください」
「……俺が報告できるのは、先ほど説明したことだけです」
駿平は視線を逸らさなかった。
審査官は数秒間、彼の顔を見つめてから資料をめくった。
「市川隊員の証言によれば、意識を失う直前、彼はあなたと巨大生物が二人きりで対峙しているところを目撃したそうです」
「はい。その後、俺も意識が朦朧として倒れました」
「倒れる直前に何があったのか、詳しく話してください」
「弾をすべて撃ち切りました。その直後、目の前に巨大な黒い影が現れたんです。おそらく、あいつの尾だったと思います。その後のことは覚えていません」
駿平は、用意していた説明を淡々と繰り返した。
嘘を重ねることに慣れているわけではない。
それでも、あの夜に何が起きたのかを、そのまま話すことはできなかった。
「あなたを発見した隊員によれば、最後に倒れていた場所は、巨大生物の死亡地点と極めて近かったそうです。その点については?」
「…………」
駿平は答えられなかった。
沈黙が続く。
審査官は何度か質問を重ねたが、駿平の回答は変わらなかった。
やがて、十分近い時間が過ぎた頃。
「最後に、一つだけ確認します」
審査官が資料を閉じた。
「警視庁の羽生氏は、意識が戻った際に『赤い巨人』を目撃したと証言しています。この件について、あなたはどう考えていますか?」
「……何も知りません」
それ以上、駿平は何も語らなかった。
重い扉が閉まる音が、薄暗い廊下に響いた。
尋問室を出た駿平は、何も言わずに長い廊下を歩いていく。
その背中が遠ざかっていくのを確認したあと、室内では二人の尋問官が、駿平と他の生存者たちの証言を改めて整理していた。
「彼の最後の証言ですが……意識が戻っていた時間が少しだけあったそうです。その際、巨大生物の死骸から青い光が飛び出したように見えた、と」
尋問官が隣の陪席官へ問いかけた。
「どう思います?」
「そんな曖昧な記憶を参考資料にする価値があるとは思えませんな」
尋問官は眉間に皺を寄せた。
「そもそも陸上自衛隊は、何故あんな人間を抱えているんです? 何でも自分の直感だけで判断しているじゃないですか」
「彼は大学の軍事系課程を修了していたはずです」
過去の資料をめくりながら、尋問官が答えた。
「入隊時の成績も良好です。正式採用時の最終試験では、全項目で優秀な評価を受けています。客観的に見れば、実力は確かにありますよ」
「まあ、いいでしょう」
尋問官は椅子に背を預けた。
「今回の任務は人的損失こそ甚大でしたが、幸いにも目標は撃破できた。現在、回収した残骸についても分析が進められている。そう遠くないうちに結果が出るでしょう」
そう言うと、机の上に置かれていた証言記録を閉じた。
「ひとまず、上にはこの内容で報告しましょう」
そして、ふと口元に意味ありげな笑みを浮かべた。
「……赤い巨人。青い光、ね」
尋問室を出た駿平は、長い廊下を歩いていく。
窓の外には、横浜の街が広がっていた。
遠くに見える高層ビル群。
その向こうに広がる港。
巨大な船舶が停泊する岸壁と、コンテナを運ぶクレーン。
見慣れたはずの景色なのに、今の駿平には、どこか遠い世界のもののように思えた。
赤い巨人。
あれは本当に、自分だったのだろうか。
そう考えるたび、胸の奥に得体の知れない感覚が広がった。
そのときだった。
『駿平』
頭の中に、声が響いた。
駿平は足を止めた。
「……お前か」
『今の尋問で、何を考えていた』
「何って……お前のことだよ」
『私のことか』
「当たり前だろ。あんなことがあったんだ。何も考えずにいられるわけがない」
廊下には、ほかの隊員の姿もあった。
駿平は表情を変えず、再び歩き始める。
「俺は、あの夜に何をしたんだ?」
『君が見たとおりだ』
「自分の身体が、あんな姿に変わったんだぞ。普通の人間に、そんなことができるはずがない」
『普通の人間、か』
ネイザースの声には、わずかな含みがあった。
「何がおかしい」
『君は、自分を人間だと思っている』
「実際、人間だろ」
『ならば、あの姿になった君は何だ』
駿平は言葉に詰まった。
胸の奥に、あの夜の光景が蘇る。
銀色の皮膚。
赤い筋。
両腕に形成された刃。
そして、胸に浮かび上がった巨大なY字の水晶。
「……分からない」
『そうだ。今の君には、まだ分からない』
「だったら教えてくれよ。お前は一体何者なんだ。どうして俺の中にいる。あの力は何なんだ」
『すべてを一度に知る必要はない』
「またそれか」
『今、君が知るべきことは別にある』
「何だよ」
赤い人は、しばらく黙っていた。
やがて、静かな声で告げた。
『人間は、自分の理解を超えたものを恐れる』
「……」
『肉体という殻に魂を縛られた人間は、その殻の外にあるものを理解することができない。理解できないものを前にすると、まず疑い、次に拒み、最後には恐怖する』
駿平の足が、わずかに鈍った。
『自分たちの知識で説明できないもの。自分たちの力で制御できないもの。自分たちの常識を壊すもの。人間は、それらを異物として扱う……恐れているんだよ、彼らは。君の中にいる私という存在を』
「……だから、俺のことも恐れるっていうのか」
『そうなるだろう』
「俺は、あいつを倒したんだぞ。人間を食い殺す怪物を止めた。仲間を守ろうとした。それなのに、俺まで恐れられるのか?」
『君が何をしたか。それは、君自身にとって重要なことだ』
ネイザースの声が、少し低くなる。
『だが、他者が何を恐れるかまでは別の問題だ』
「……納得できないな」
『無理に納得する必要はない。だが理解しておけと言っている』
駿平は、廊下の窓に映る自分の姿を見た。
迷彩服。
包帯の巻かれた左腕。
疲労の残る顔。
どこから見ても、いつもの自分だった。
それなのに、その身体の奥には、自分自身ですら理解できないものがいる。
事実窓ガラスに映る駿平のすぐ横には、あの赤い人型のオーラが映っている。
「俺があの姿になったことを知られたら……仲間たちは、どうするだろうな」
『恐れる者もいる』
「……」
『君を疑う者もいるだろう。君が人間なのか、それとも自分たちを欺いていた別の何かなのか。答えが分からなければ、人間は勝手に答えを作り出す』
「そんなこと、させるつもりはない」
『ならどうやって止める』
「……」
『言葉で説明できないものを、言葉だけで理解させることは難しい』
駿平は拳を握った。
「だったら、行動で示す」
『行動』
「俺が何のために力を使うのか。俺が誰を守ろうとしているのか。それを見てもらう」
赤い人は、すぐには答えなかった。
『それも一つの答えだ』
「……一つ?」
『人間は、一度の行動だけで他者を理解できるほど単純ではない』
「分かってるよ」
『ならば、覚えておけ』
その声は、駿平の胸の奥へ静かに響いた。
『恐怖は、相手が怪物だから生まれるとは限らない。自分が信じていた世界が、実は自分の知らないものに満ちていたと知ったときにも生まれる』
駿平は目を閉じた。
造船所で、自分の身体が変化した瞬間。
あのとき、自分自身も恐怖を感じていた。
何が起きているのか分からなかった。
自分の身体が自分のものでなくなっていくような感覚。
それでも、目の前には仲間を襲う怪物がいた。
考えている暇はなかった。
「……お前は」
『何だ』
「お前は、俺が怖くないのか」
沈黙。
長い廊下の向こうから、隊員たちの話し声が聞こえてきた。
『私は、君の中にいる』
「それは答えになってない」
『君が私を恐れているのなら、私もまた、君を恐れるべきなのかもしれない』
「……何?」
『だが、私は君を恐れていない』
駿平は目を開いた。
『君が何を選ぶのかを、見ているだけだ』
「俺が何を選ぶか……」
『そうだ』
赤い人の声が、再び静かになった。
『君は、自分の力をどう使う』
駿平は窓の外を見た。
港の向こうに、夕暮れの光が広がっている。
「……俺は、俺が守りたいものを守る」
『その答えを忘れるな』
声が途絶えた。
駿平は、しばらく窓の外を見つめていた。
やがて、再び歩き出した。
横浜方面基地・医療区画
「……傷はどうだ?」
廊下の先で、聞き覚えのある声がした。
駿平が顔を上げると、羽生が壁際に立っていた。
整然とした警察の制服。
表情には、疲労の色が浮かんでいる。
「まあまあです。もう、それほど痛くありません」
駿平は左腕へ目を落とした。
包帯の下には、巨大な牙によって傷つけられた痕が残っている。
「大神さんに比べれば、俺は運がよかったと思います」
「……そうだな」
羽生の表情が曇った。
駿平は、それ以上聞くのをやめた。
「……すみません」
「何を謝っている」
「俺の判断で、みんなを危険な場所へ連れていきました」
羽生は、しばらく駿平を見つめていた。
「お前だけの責任じゃない」
「でも、俺が造船所に来ると判断したんです」
「その判断がなければ、もっと被害が広がっていた可能性もある」
羽生は言葉を切った。
「結果がどうなったかだけで、あの時点の判断をすべて否定することはできない。俺たちは、あの生物について何も知らなかったんだ」
「……」
「それに、大神はまだ生きている」
そのとき、廊下の向こうから、金属が床を打つ音が聞こえた。
「人を勝手に死んだことにするんじゃねえよ」
二本の松葉杖に体重を預け、大神が姿を現した。
片方のズボンの裾は、膝の下から空になっている。
それでも、その目には、以前と変わらない強い意志が宿っていた。
「大神さん!」
「なんだ、その顔は。俺はまだ生きてるぞ」
大神は鼻で笑った。
「この身体じゃ、今までどおりに動くのは難しいだろうけどな」
「……」
「だからって、何もできなくなったわけじゃねえ。捜査のやり方を変えればいい。それだけの話だ」
羽生が豪快に笑った。
「そのとおりです。あなたは本物の勇士ですよ。警視庁は、あなたを誇りに思っています」
「……へっ。口がうまいな、警部」
「事実を言ったまでです」
二人は顔を見合わせ、笑った。
その様子を見ていた駿平の表情も、わずかに和らいだ。
命を失った者は戻らない。
失われた身体も、元どおりにはならないかもしれない。
それでも、生き残った者たちは、前へ進もうとしている。
自分も、立ち止まるわけにはいかなかった。
「……じゃあ、俺は先に行きます」
駿平は二人に頭を下げた。
「おい、不動」
大神が呼び止める。
「次は、もう少しうまくやれよ」
「……はい」
「それと、勝手に一人で背負い込むな。お前が倒れたら、助ける側の人間が増えるだけだ」
駿平は少しだけ笑った。
「覚えておきます」
そう答えて、二人のもとを離れた。
横浜方面基地・監視室
江国三尉は、基地内の監視モニターが並ぶ室内に立っていた。
各施設の映像を確認していると、背後から足音が聞こえた。
「三尉。ただいま戻りました」
江国が振り返る。
「今回の任務、ご苦労だったな」
「……三尉」
駿平は一度、俯いた。
「今回の任務では、あまりにも多くの仲間を失いました。実際に現地へ出た隊員で、生きて帰れたのは市川を含めて八人だけです」
「そうだな」
「俺の判断が原因だったのかもしれません。俺が独断で決めたせいで、多くの隊員を巻き込んでしまった」
駿平は拳を握った。
「俺は……」
「だが少なくとも、目標は撃破した」
江国が言った。
「これ以上の被害が広がるのを防いだんだ」
「ですが……」
「俺たちは、これまで一度も遭遇したことのない敵を相手にした。分からないことだらけだった。その責任を、一人だけに背負わせることはできない」
江国の声は穏やかだった。
「……ありがとうございます」
「ところで、回収した死骸の分析結果はまだ出ていない。研究班が詳しく調べているが、もう少しかかるそうだ」
「そうですか……」
駿平は何かを言いかけた。
しかし、その前に江国が口を開いた。
「赤い巨人のことなら、羽生から聞いている」
駿平の身体が、わずかに強張った。
「三尉、俺は……」
「今は何も言わなくていい」
江国は駿平の目を見た。
「何年一緒にいると思っている。お前がどんな人間なのか、俺は知っている」
「……」
「少なくとも、今回の事件が完全に収束するまでは、今までどおりだ」
駿平は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「よし。今日はもう帰れ。傷を治すのが先だ」
「ですが、部隊のほうは……」
「お前は、あれだけ危険な任務を終えたばかりだ。今すぐ訓練に戻る必要はない」
江国は苦笑した。
「市川には三日間の休暇を取らせている。お前も休め。その後で復帰すればいい」
「……分かりました」
駿平はもう一度頭を下げ、監視室を出ていった。
その背中を見送った江国は、しばらく無言で立っていた。
赤い巨人。
羽生田の証言が事実なら、あの存在は佐渡駿平と無関係ではない。
しかし、江国はそれ以上考えることをやめた。
今はまだ、確かめるべきことが多すぎた。