トレーナーを辞めたらシュヴァルグランが激重になってしまった 作:Lagavulin
オーストラリアへ行く前に、4日だけ日本へ戻ることになった。
シュヴァルが契約しているスポーツ用品メーカーから、新しい広告の撮影を頼まれたのだ。香港ヴァーズを勝った彼女が、新モデルの靴を履いて走る映像を撮りたいという。日本の施設とスタッフを押さえてあるので、本人が行く必要がある。
事務所と日程を相談し、オーストラリアの宿の到着を4日遅らせた。先に日本への便を取ると、シュヴァルはすぐ姉妹へ連絡した。
「姉さんとヴィブロス、2人とも、会えるそうです」
「よかったな。しばらく、画面越しばかりだったし」
「新田さんも、一緒に来てください」
もう断ると思ってはいないらしい。俺が予定を確かめると、彼女は食事に招かれていると教えてくれた。
俺も帰国するので、自分の家へ寄り、届いている郵便物を確かめるつもりだ。それでも、1日くらいは空けられる。
「撮影のあとなら、行けるよ」
「はい。……そう伝えます」
シュヴァルは返事を送ってから、俺の肩へ頭を寄せた。携帯をしまう手が止まらないうちに、空いたほうの手で俺をつかむ。
*
日本での撮影は、翌日の昼過ぎに終わった。
カメラの前へ出たシュヴァルは、少し緊張していた。だが、走るところを撮り始めると、足を運ぶ速さや、撮影の合図を自分からスタッフへ確かめる。やり直しが必要になっても、次に何を変えるか分かれば、すぐに準備へ戻った。
俺はその間、用意してもらった椅子で待っていた。今日は仕事を頼まれていない。走りの相談は撮影側のスタッフが受けているので、俺は温かい飲み物を飲んでいた。
最後の挨拶を済ませると、シュヴァルがこちらへ来た。俺の置いたカップを見て、空になっているか確かめる。
「お待たせしました」
「お疲れ。撮り直しの最後、よかったな」
「はい。……終わったので」
彼女が俺の手を取った。施設を出るまで、撮影で履いた靴の感触を話してくれる。
そのまま姉妹の家へ向かった。
玄関の扉を開けたのは、ヴィブロスだった。シュヴァルの顔を見ると、声を上げて近づいてくる。
「おかえり! G1、本当におめでとう!」
「……ありがとう。ただいま」
シュヴァルが俺の手を離し、妹を抱き返した。ヴィルシーナも居間から出てきて、まず妹へ、よく帰ってきたと声を掛ける。
俺も挨拶した。2人とも、俺が同行していることは知っている。電話でも何度か話していたので、旅行はどうだったか、という話から始まった。
靴を脱いで上がると、シュヴァルが俺の上着を受け取った。自分のものと一緒に掛け、それから、空いた俺の手を取る。
ヴィブロスが、俺たちの手を見た。
「……あれ?」
シュヴァルは気づかず、俺を居間へ連れていく。ソファの前まで来てから、姉妹へ顔を向けた。
「新田さんと、付き合うことになりました」
ヴィルシーナが足を止めた。後ろから来たヴィブロスも、姉の隣で俺たちを見る。
「それは……いつ?」
「香港で。レースのあとに」
「香港ヴァーズの?」
「うん」
ヴィルシーナは俺へ顔を向けた。俺が頷くと、彼女はもう一度妹を見る。
「そう。おめでとう、シュヴァル」
「……ありがとう、姉さん」
シュヴァルは俺の手を握ったまま、少し俯いた。自分から付き合っていると伝えるときは平気だったのに、姉に祝われると照れるんだな。
ヴィブロスだけは、まだ納得していない顔だった。俺とシュヴァルを交互に見てから、姉へ向く。
「お姉ちゃん。わたし、ずっと前から付き合ってるんだと思ってた」
「私も、近いことは考えていたわ」
2人の視線が戻ってきたので、俺は、ちゃんと話したのは香港だったと答えた。シュヴァルは俺の側へ寄り、隣に座っていいか尋ねる。
「ここまで手をつないできて、隣は聞くんだな」
「……座る場所は、別なので」
俺が座ると、シュヴァルも隣へ腰を下ろした。向かいに座ったヴィブロスが、もう一度、つないだ手へ目を落とす。
*
お茶と菓子が出ると、旅行の話になった。
俺はシュヴァルに手を離してもらい、カップを取った。彼女も自分の茶を飲み、港や列車の写真を見せる。姉妹はどちらも、砂漠で撮った写真に興味を持った。
「楽しそう。砂の上、歩きづらくなかった?」
「少し。でも、新田さんのほうが、大変そうだった」
「俺は、途中で引っ張ってもらったんだよ」
そう話すと、ヴィブロスが笑った。ヴィルシーナは写真を見てから、旅先での練習のことも尋ねる。
シュヴァルは施設で教わった内容と、フランスで負けたときに考えたことを話した。香港の映像を出すと、姉は最後の直線へ入るところを戻し、妹の選んだ進路を確かめる。
「前の方が動いたあと、内側へ入ったのね」
「うん。外へついていくと、そこで使いすぎると思って」
「直線へ出てからは?」
「先に行った方へ、すぐ全部追いつこうとはしなかった。並んだあとに上げられるように」
姉妹の話を聞きながら、俺は菓子を食べた。シュヴァルも自分の皿から取り、映像を止めるために携帯を机へ置く。
食べ終えた俺がカップを置くと、彼女の手が戻ってきた。
俺の手を取り、自分の膝へ乗せる。レースの話は、そのまま続いた。
ヴィルシーナは映像から、妹の膝へ目を移した。俺へ何か尋ねかけ、やめる。ヴィブロスも携帯をのぞき込んだまま、しばらく黙った。
「……手、ずっとつなぐの?」
ヴィブロスが聞いた。シュヴァルは俺の手を見て、頷く。
「お仕事中は、つながないけど」
「お仕事の話じゃなくて。家でも?」
「新田さんが、隣にいるので」
ヴィブロスは俺を見た。俺が、旅行中もシュヴァルから手を取ってくると答えると、妹はソファの背へ寄りかかった。
「前はそんなに……」
言いかけたところで、シュヴァルが俺の肩へ頭を寄せた。つないだ手も、まだ自分の膝にある。
ヴィブロスの口が開いたまま止まった。
俺も、姉妹の前だと少し恥ずかしい。シュヴァルへ声を掛けようとしたら、彼女のほうから顔を上げた。
「このまま、少し休んでもいいですか」
「撮影で、疲れた?」
「……終わって、安心したので」
ヴィルシーナが、上の部屋を使えばいいと言った。シュヴァルは首を振り、俺の腕へ手を添える。
「ここにいます。まだ、姉さんたちとも話したいから」
姉は頷き、カップを取った。シュヴァルは俺へ顔を向け、少しだけ近づいてくる。
「新田さん。もう少し、くっついてもいいですか」
「もう肩にも寄ってるだろ。姉さんたちもいるぞ」
「……分かっています。でも、腕も抱いていたいので」
シュヴァルはつないでいた指をほどき、両腕で俺の左腕を抱えた。肩に頭を寄せてから、向かいの姉妹をちらりと見る。
ヴィルシーナの手が止まった。カップを受け皿へ戻す小さな音がしたが、そのあとに誰も話さない。
「お茶、飲みにくいんだけど」
「……右手は、空いています」
俺は右手でカップを取った。シュヴァルは俺の左腕を抱いたまま、姉妹がこちらを見るたびに少し俯く。ヴィブロスが、姉の腕をつかんだ。
「お姉ちゃん。シュヴァルが、腕に抱きついてる」
「見えているわ」
「こっち見て、照れてるのに、離さない」
「……それも、見えているわ」
俺は茶を飲み、カップを机へ戻した。シュヴァルの姉妹には、挨拶に来たつもりだったんだけどな。話を戻そうと、俺は携帯へ目を向けた。
ヴィルシーナは少し息をつき、妹へ尋ねた。
「いつから、そんなふうに?」
「……一緒に旅行をするようになってから、少しずつ」
「ちょっと待って。旅行で、何があったの!?」
ヴィブロスの声が大きくなった。シュヴァルは俺の肩から顔を上げ、少し考える。
「僕から、お願いしました。……会いたいだけだと、思っていたんですけど、会えたら、もっと近くにいたくなったので」
妹は返事を探したまま、姉を見る。ヴィルシーナは俺へ目を向けたが、俺にも、それ以上の説明はできなかった。
*
シュヴァルが俺の腕を放し、自分のカップを取ったところで、ヴィブロスは旅行へ出る前のことを話し始めた。
「一緒に行きたいって、メッセージも送れなかったんだよね」
「……うん」
「送るより飛行機に乗るほうがいいって言ってたのに。今は、こんなにくっつきたいって言えるんだ」
カップを机へ戻したシュヴァルは、また俺の手を取った。少し俯き、指を握り直す。
「今は、言わないで帰るほうが、嫌なので」
ヴィブロスが黙った。姉も、そこで妹を茶化さなかった。
俺は明日の予定を確かめるため、右手で携帯を取った。撮影はもう終わったので、姉妹で出かける時間も作れると話す。
「行きたい店とか、あるんじゃないか」
「あります。でも、新田さんも一緒に」
「3人で行けばいいよ。俺は、家の用事もあるし」
シュヴァルは頷き、夕方までには戻ってこられる日程を考え始めた。ヴィブロスが、そこまで細かく今決めなくていいと言う。
「新田さん、夕方、どこにいるんですか」
「たぶん、家で片づけてる」
「じゃあ、そちらへ行ってもいいですか」
俺は自分の台所を思い出した。出国する前に食べ物は片づけてある。残っているのは食器と鍋くらいだ。
「何も食うものがないぞ」
「途中で、買っていきます。ポルトガルで、帰ったらご飯を作ってほしいって、言ってもらったので」
「魚だったな」
「はい。新田さんが、1尾食べられる大きさにします」
ヴィルシーナが、俺たちの話を聞いていた。妹へ、料理を任せているのかと聞かれたので、買い物や片づけは一緒にしていると答える。
「包丁を使うのは、俺のほうが多いですね。魚を焼いたのは、シュヴァルです」
「……そう」
姉は頷いた。その隣で、ヴィブロスが少し笑い、シュヴァルへ身体を寄せる。
「告白は、どっちからしたの?」
シュヴァルが俺を見た。俺が答える前に、彼女は自分の膝へ目を落とす。
「先に、僕が結婚のお話をして」
ヴィブロスの笑顔が止まった。ヴィルシーナまで、こちらへ顔を向ける。
「結婚?」
「それで、その前に付き合おうって言われたので」
俺はカップを取りかけ、手を戻した。2人とも、俺の返事を待っている。
「話が早すぎるって、言ったんです」
「はい。だから、ゆっくり進めます」
シュヴァルが俺の言葉へ続けた。姉妹は、しばらく、俺と彼女の顔を見比べていた。
「……あなた、本当に、シュヴァルよね?」
ヴィルシーナが、妹の顔をのぞき込んだ。シュヴァルは頷いてから、もう一度俺の肩へ寄る。
ヴィブロスは両手で自分の口を覆った。目は丸く開いているのに、頬が緩んでいる。
「追いつくためのお金、100万円も分けてたから、本気なんだとは思ったけど」
「……あれは、もう使いません」
「一緒に行けるから?」
「うん。今度も、2人で予約したので」
シュヴァルは次の便を見せた。俺と並んだ席を指すとき、少しだけ笑う。
そのあと、4人で夕食を食べた。シュヴァルは日本へ戻ってから食べたいものがあったと話し、姉妹と皿を回す。俺も勧めてもらった料理を食べ、次の旅行で持っていくものを話した。
帰る時間になり、俺が立ち上がった。シュヴァルも俺の手を離したが、玄関へ行く前に、袖をつかむ。
「新田さん。今日、そちらに泊まってもいいですか」
「泊まる支度は、ある?」
「はい。鞄も、持ってきました」
シュヴァルが玄関のほうを指した。俺の荷物の隣に、彼女の旅行鞄も置いてある。
「じゃあ、持っていこう。明日は、ここへ戻ってくるんだぞ」
「はい」
彼女は頷き、上着を取りに行った。
俺が上着を着るまで待ち、彼女は自分の靴も履いた。ヴィブロスが横へ来て、今日は泊まっていかないのかと尋ねる。
「……今日は、新田さんのお家に」
「明日、うちにも寄るんだよね?」
「うん。一緒に出かけたいから」
姉妹への土産は、先ほど渡してある。シュヴァルは置いておく荷物を確かめ、最後に、俺の腕へ手を添えた。
「2人が寝る場所はあるの?」
「それは、同じベッドで寝るので」
ヴィブロスが姉を見た。
「お姉ちゃん。これ、もう新婚旅行じゃない?」
「結婚は、まだしていないわ」
シュヴァルが振り返った。
「……うん。まだ、なので」
「そこは、強調しなくていい」
俺が扉を開けると、シュヴァルは小さく挨拶して玄関を出た。姉妹へ手を振り、今度は俺の腕を抱える。ヴィブロスが玄関から声を掛けた。
「新田さんが退職してから、シュヴァル、全然遠慮しなくなったね」
シュヴァルが振り返り、俺の腕を抱いたまま答えた。
「……ちゃんと、遠慮してるよ」
「どこを?」
ヴィルシーナが尋ねると、シュヴァルは少し俯いた。
「ここでは、新田さんに抱きつくの、我慢してるから」
「腕には抱きついてるだろ」
「……両腕で、もっと」
ヴィブロスが姉へ顔を向けた。
「お姉ちゃん。わたしたち、遠慮されてたんだね」
「……ええ。これでも」