多元世界境界領域。
第一調停艦隊と第一機動艦隊の間に、小型の会議施設が設置されていた。
両艦隊の工作艇によって組み立てられた仮設施設である。
内部には独立した生命維持装置と通信設備が備えられ、どちらの艦隊にも所属しない中立区域として扱われていた。
その外側では、三つの艦隊が距離を保ちながら展開している。
超銀河平和維持機構ピースギア、第一調停艦隊。
多元世界管理機構ピースギア、第一機動艦隊。
そして、同じ多元世界管理機構に所属する特別執行艦隊。
すべてが同じ紋章を掲げていた。
しかし、各艦の兵装配置も、船体構造も、運用目的も異なっていた。
特別執行艦隊の六隻は、第一機動艦隊の後方に防御陣形を形成している。
大型砲塔を備えた二隻の戦艦。
広範囲の空間制御装置を持つ二隻の巡洋艦。
そして、残る二隻は艦体の大部分を装甲で覆った特殊任務艦だった。
イズモは、会議施設へ向かう連絡艇の窓からそれらを眺めていた。
イズモ「……あれ、どう見ても通常の警備艦じゃないですよね」
隣に座る綾音が端末を閉じた。
綾音「特別執行艦隊?」
イズモ「はい。艦首の空間制御装置、妙な配置なんですよね」
綾音「妙?」
イズモ「普通なら航路形成か転移妨害に使う配置です。でも、あの艦は外側に向けて制御環を展開できるようになっています」
綾音「……何のため?」
イズモ「周囲の空間を丸ごと封鎖するため、ですかね」
綾音「…………」
イズモ「逃走防止か、あるいは危険な対象の隔離。どちらにしても、かなり強力な制御装置です」
綾音「……戦うことになったら厄介ね」
イズモ「できれば、その性能を確認する機会は欲しくないですね」
綾音「同感」
連絡艇が会議施設へ接近した。
正面のドッキングポートには、すでに別の連絡艇が接続されている。
その船体に刻まれているのも、ピースギアの紋章だった。
ただし、イズモたちのものとは細部が違っていた。
イズモ「……同じ名前なのに、ここまで変わるんですね」
綾音「長い時間が経てば、そうなるんでしょうね」
イズモ「……ええ」
接続完了を知らせる音が響く。
イズモは座席の固定具を外した。
中立会議施設
会議室には、円形のテーブルが設置されていた。
中央には、三つの艦隊と遭難した輸送船の位置関係が立体投影されている。
壁面の表示装置には、輸送船の損傷状況と医療艦の受け入れ記録が並んでいた。
すでに二人の人物が席に着いていた。
一人は、異世界のイズモ。
もう一人は、異世界の綾音だった。
異世界イズモ「お待ちしていました」
綾音「お招きありがとうございます」
異世界綾音「……こうして直接会うと、本当に不思議ですね」
イズモ「私もです」
異世界綾音は、イズモの胸元に付けられた技術部門の徽章を見つめた。
異世界綾音「……それ、こちらでは私が付けているものなんですよね」
イズモ「そうなんですか?」
異世界綾音「ええ。多少意匠は違いますけど」
イズモ「……そちらの階級章も、こちらの綾音が使っているものに近いですね」
綾音「……なんだか、自分たちを鏡で見ているみたい」
異世界イズモ「ただし、映っているものは随分違うようですが」
イズモ「……ですね」
四人が席に着く。
異世界イズモは、目の前の資料を開いた。
異世界イズモ「まず、輸送船の救助に関して、改めて感謝申し上げます」
綾音「こちらこそ。そちらの技術支援がなければ、全員を救えたか分かりません」
異世界綾音「共同作業の記録はこちらでも保管しています。後日、技術報告書としてまとめたいと考えています」
イズモ「ぜひ。あの空間制御方式は、今後の救助活動にも応用できそうです」
異世界綾音「私も同じことを考えていました」
二人が端末を開きかけたところで、扉が開いた。
警備担当者に続き、一人の女性士官が入室する。
濃紺の制服。
肩には中央管理局の徽章。
腰には儀礼用と思われる短い装備が固定されている。
女性士官「お待たせしました」
異世界イズモが立ち上がった。
異世界イズモ「特別執行艦隊司令官」
女性士官「お久しぶりです、最上司令官」
彼女は全員へ視線を向けた。
女性士官「多元世界管理機構ピースギア、中央管理局直属、特別執行艦隊司令官の橘です」
綾音「第一調停艦隊司令官、綾音です」
イズモ「技術主任の最上イズモです」
橘「……なるほど」
橘は二人のイズモを交互に見た。
橘「報告は受けていましたが、実際に会うと少々奇妙ですね」
イズモ「こちらも同じです」
橘「でしょうね」
橘は席に着いた。
橘「では、早速本題へ入りましょう」
会議室中央の投影映像が切り替わった。
表示されたのは、遭難した輸送船の詳細情報だった。
橘「今回、我々が回収を要求しているのは、輸送船そのものと、その船に残されている軍用機密情報。そして、軍用装置を無断で持ち出した疑いのある関係者です」
綾音「負傷者については、治療を継続しています」
橘「承知しています。医療上の必要性を無視して移送するつもりはありません」
イズモ「……それは助かります」
橘「ですが、軍用機密の取り扱いについては別です」
橘が端末を操作した。
輸送船の内部構造が表示される。
橘「ポータルキャノンの中核制御装置は、先ほどの事故で失われました。しかし、搭載されていた照準情報や運用記録は、船内の別系統に保存されています」
イズモ「……ええ。こちらでも確認しています」
橘「その情報には、複数の恒星系に対する空間接続座標が含まれています」
綾音「……兵器の照準データですね」
橘「そのとおりです。単なる航行記録ではありません」
異世界綾音「一部は、我々が現在進めている作戦に関連する情報です」
橘「それらが第三者へ流出した場合、攻撃対象の変更や、軍事施設への不正アクセスに利用される可能性があります」
イズモ「……なるほど」
橘「したがって、記録装置の回収と、複製の有無の確認が必要です」
綾音「そこまでは理解できます」
橘「ありがとうございます」
綾音「ただし、回収の前に確認したいことがあります」
橘「どうぞ」
綾音「今回の輸送船事件について、乗員が軍用装置の運用に問題を感じ、内部通報を行っていたと聞いています」
橘「……はい」
綾音「その記録も、回収対象になっていますか?」
橘「当然です。事件の経緯を確認するために必要ですから」
綾音「では、証拠として独立して保全してください」
橘「…………」
綾音「内部通報の内容と、その後の審査記録を、関係部署だけが管理する状態にはしたくありません」
橘は少し考えた。
橘「……なるほど。証拠の改変を懸念しているわけですね」
綾音「可能性を排除したいんです」
橘「分かりました。独立監査部門による封印保全を提案します」
イズモ「……できるんですか?」
橘「もちろんです。我々にも軍事司法と監査制度があります」
イズモ「……なるほど」
橘「ただし、監査対象となる情報を、無関係な第三者へ公開することはできません」
綾音「公開を求めているわけではありません。記録が失われないことを確認したいんです」
橘「それなら、協議可能です」
異世界イズモ「……私も賛成です」
橘が異世界イズモへ視線を向けた。
橘「最上司令官?」
異世界イズモ「今回の事件では、内部通報の処理に不備があった疑いがあります。監査を行うなら、独立性を確保した方がいい」
橘「……了解しました」
彼女は端末へ記録を入力した。
橘「では、第一項目は合意とします」
イズモは少しだけ肩の力を抜いた。
少なくとも、相手は一方的な命令だけで交渉を終わらせるつもりではないらしい。
橘「続いて、乗員の身柄についてです」
表示が切り替わる。
四名の顔写真と所属記録が並んだ。
橘「対象者四名について、我々は軍法上の捜査権限を有しています」
綾音「こちらの世界線では、その権限が自動的に適用されるわけではありません」
橘「理解しています」
綾音「ですので、本人の安全と、適正な手続きが確認できるまで引き渡しは保留します」
橘「……その場合、我々の捜査に支障が生じます」
綾音「承知しています」
橘「…………」
イズモが口を開いた。
イズモ「一つ、提案してもいいですか?」
橘「どうぞ」
イズモ「治療が必要な間は、こちらの医療艦で保護します。その間、医師の許可と本人の同意がある範囲で、そちらの調査官による事情聴取を認めるというのはどうでしょう」
橘「……なるほど」
イズモ「記録は双方で保管。対象者には、法的支援を受ける機会を確保してください」
橘「我々の制度上も、弁護人を付けることは可能です」
綾音「それなら協議できそうね」
橘「ただし、逃亡の危険性については?」
イズモ「移送や退院について、双方で連絡を取り合う仕組みを設けましょう」
橘「……身柄拘束ではなく、監督下の医療保護という形ですか」
イズモ「はい」
橘は、しばらく資料を読んでいた。
橘「……受け入れ可能だと思います」
綾音「ありがとうございます」
橘「ただし、最終承認は中央管理局へ照会します」
綾音「了解しました」
会議は、思っていたより順調に進んでいた。
異世界イズモも、橘も、交渉を拒んではいない。
互いの制度を確認し、必要な条件をすり合わせている。
イズモは、そのことに少し安堵していた。
しかし。
橘「……では、最後の議題です」
会議室中央に、新たな映像が表示された。
一つの恒星系。
複数の居住惑星。
その周囲には、軍事施設を示す識別表示が並んでいた。
橘「戦略空間接続兵装の運用について、説明します」
失われなかった戦争
橘「この恒星系では、現在も大規模な軍事紛争が継続しています」
イズモは、投影された地図を見つめた。
複数の惑星間航路。
補給拠点。
艦隊基地。
そして、その中央に位置する巨大な軍事施設。
橘「対象勢力は、過去に複数回の停戦合意を破棄しています」
綾音「……回数は?」
橘「公式に確認されたものだけで七回です」
イズモ「……七回」
橘「そのうち三回は、停戦監視団の活動中に発生しました」
綾音「…………」
橘「停戦期間を利用した再武装も確認されています。非武装地帯へ兵器を移送し、監視団の撤収後に攻撃を再開した事例もあります」
イズモは、戦闘記録を読み進めた。
破壊された居住区。
避難民の移動。
停戦交渉の記録。
救助活動中に被害を受けた輸送船。
異世界イズモ「……私も、この戦域で指揮を執りました」
綾音「……そうなの?」
異世界イズモ「ええ。三度目の停戦合意が破られたときです」
イズモ「…………」
異世界イズモ「当時、我々は非殺傷兵装による武装解除を実施しました。敵艦隊の主要兵装を停止させ、乗員の安全を確保したうえで停戦監視へ移行した」
イズモ「……その後は?」
異世界イズモ「数か月後、再武装した部隊が周辺の居住惑星を攻撃しました」
綾音「…………」
異世界イズモ「我々が無力化した艦艇の一部も、修復されて投入されています」
イズモ「……なるほど」
異世界イズモ「そこで、我々は運用方針を変更しました」
綾音「……致死的な武力行使を認める方向へ?」
異世界イズモ「ええ。ただし、交戦規則を撤廃したわけではありません。攻撃対象、予測される民間人被害、軍事的必要性について、審査する制度を設けました」
橘「現在の作戦も、その手続きに従って承認されています」
イズモ「……この施設を破壊する作戦ですね」
橘「そのとおりです」
投影された軍事施設が拡大された。
巨大な補給港。
艦艇修理設備。
兵器製造工場。
そして、その周辺には居住区が広がっていた。
橘「この施設を継続して使用可能な状態にしておけば、対象勢力は長期間にわたり戦闘能力を維持できます」
イズモ「……ですが、民間居住区が隣接していますね」
橘「承知しています」
イズモ「退避計画は?」
橘「策定済みです。複数の避難経路と、移送先の居住施設を確保しています」
綾音「実際に避難は始まっているの?」
橘「一部では始まっています。ただし、対象勢力が住民の移動を制限している地域もあります」
イズモ「…………」
橘「我々も、そこで止まっています」
彼女は画面を切り替えた。
避難経路の一部が、赤く表示された。
橘「この区域では、住民が軍事施設内部へ移動させられています。施設の防衛要員として徴用された者もいるようです」
綾音「……そんな」
異世界イズモ「攻撃の正当性を難しくするために、民間人を施設へ留め置いている可能性があります」
イズモ「……まだ確認できていない?」
異世界イズモ「現地調査が制限されています。ただし、複数の証言があります」
イズモ「……なるほど」
橘「このような状況下でも、軍事施設の機能を停止させなければ、戦争による被害が拡大する可能性があります」
イズモは地図を見つめた。
確かに、軍事施設の能力は大きい。
補給網を維持し、艦艇を修理し、兵器を供給する。
敵勢力の軍事行動を支える重要な施設だった。
しかし、その内部には人がいる。
戦闘員だけではない。
住民も、技術者も、家族も。
イズモ「……作戦の目的は理解しました」
橘「ありがとうございます」
イズモ「ただ、施設全体を破壊する必要があるかは、まだ分かりません」
橘「…………」
イズモ「補給機能を停止させるなら、物流経路の遮断や、設備の無力化でも可能性はあります」
橘「検討しています」
イズモ「……結果は?」
橘「いずれも、長期的な停止を保証できませんでした」
イズモ「……保証できないことと、実施できないことは違いますよね?」
橘は、すぐに答えなかった。
異世界イズモが口を開いた。
異世界イズモ「……そのとおりです」
橘「最上司令官?」
異世界イズモ「彼の指摘は正しい。完全な保証がないからといって、代替案を排除する理由にはなりません」
イズモ「…………」
異世界イズモ「ただし、代替案を選択したことで戦争が長期化した場合、その責任も考慮しなければなりません」
イズモ「……ええ」
異世界イズモ「我々は、何度もその問題に直面しました」
イズモ「…………」
異世界イズモ「施設を破壊せず、補給能力だけを停止させる。敵勢力が再建する。再び戦闘が始まる」
異世界イズモ「そのたびに、我々は同じ判断を繰り返しました」
綾音「……だから、今回は完全に破壊する?」
異世界イズモ「……そうです」
イズモは、しばらく資料を見つめていた。
やがて、静かに口を開いた。
イズモ「……私たちなら、別の方法を探すと思います」
異世界イズモ「……でしょうね」
イズモ「少なくとも、現時点では」
異世界イズモ「…………」
イズモ「あなたたちの判断を軽く見ているわけではありません」
異世界イズモ「分かっています」
イズモ「でも、例えそちらにどんな苦悩があったとしても、私たちはこの原則を変えません」
会議室が静かになった。
イズモ「あなたたちの話の通りの出来事が、私たちの世界で起きたとしても」
異世界イズモ「…………」
イズモ「だからこそ、武力行使は最終手段なんです」
異世界綾音が顔を上げた。
イズモ「最後に止められるように。殺す罪を背負うために」
異世界イズモは、静かに息を吐いた。
異世界イズモ「……あなたは、我々が殺傷を好んでいると思っていますか?」
イズモ「いいえ」
異世界イズモ「……そうですか」
イズモ「そんなふうには見えません」
異世界イズモ「…………」
イズモ「むしろ、あなたたちがどれほど考えてきたのかは、資料を見れば分かります」
異世界イズモ「……ならば」
イズモ「でも、同じ結論を選ぶ必要はありませんよね?」
異世界イズモは口を閉じた。
イズモ「私たちは、違う歴史を歩んできたんですから」
しばらくして。
異世界イズモ「……ええ」
小さく頷いた。
異世界イズモ「……だからこそ、あなた方の存在は興味深い」
イズモ「……そうですか?」
異世界イズモ「我々が捨てた設計も、技術も、運用原則も、あなた方の世界では発展を続けている」
彼は、基準世界の艦隊図に視線を移した。
異世界イズモ「……正直、少し腹立たしくもあります」
イズモ「……え?」
異世界イズモ「我々が何度も検討し、それでも諦めたものを、あなた方は今も維持している」
イズモ「…………」
異世界イズモ「しかも、それを可能にする技術まで造っている」
イズモは、少し困ったように笑った。
イズモ「……まだ、完成してませんよ」
異世界イズモ「…………」
イズモ「私たちも、失敗します。今回だって、最後はそちらの技術に助けられました」
異世界イズモ「……そうですね」
イズモ「だから、どちらが優れているかを決めるつもりはありません」
異世界イズモ「…………」
イズモ「ただ、私たちはこの道を続けます」
異世界イズモは、しばらく何も言わなかった。
そして、静かに頷いた。
異世界イズモ「……理解しました」
中央管理局からの通達
会議は、予定していた時間を大幅に超えていた。
すでに開始から二時間近くが経過している。
会議室の壁面に表示された時計は、引き渡し期限まで残り四時間を示していた。
イズモは端末に届いた医療艦の報告を確認した。
船長の容体は安定。
機関長も意識を取り戻した。
救助された二百十四名のうち、多くはすでに一般医療区画へ移されている。
ただし、重傷者の一部は引き続き集中治療を必要としていた。
イズモ「……医療艦から報告が来ました」
綾音「どう?」
イズモ「大きな悪化はありません。四名の対象者も全員生存しています」
橘「……それは何よりです」
綾音「移送については、医療主任の判断を優先します」
橘「承知しています」
橘は中央管理局との通信画面を開いた。
橘「では、先ほど協議した条件について、正式な承認を確認します」
数秒後。
端末に複数の文書が届いた。
橘は、その内容を読み始めた。
しかし。
途中で手が止まった。
異世界イズモ「……どうしました?」
橘「…………」
彼女は文書をもう一度確認した。
橘「……中央管理局から、追加命令です」
綾音「……内容は?」
橘「……対象輸送船に関する、機密保護措置の強化です」
イズモ「……強化?」
橘「はい」
橘の表情が硬くなった。
橘「残存する機密情報の回収に加え、記録装置の所在と複製状況を完全に確認するよう命じられています」
綾音「……それは先ほど合意した内容では?」
橘「……それだけではありません」
異世界イズモ「……続きを」
橘は、しばらく黙っていた。
そして。
橘「……対象輸送船が第三者の管理下に置かれ、軍用機密の保全が確認できない場合、中央管理局はその状態を重大な機密流出リスクと判定するそうです」
イズモ「…………」
綾音「……私たちの医療艦も、第三者扱い?」
橘「……組織上は、そうなります」
綾音「…………」
橘「ただし、現時点で敵対勢力として指定されているわけではありません」
イズモ「……そこは区別しているんですね」
橘「当然です」
異世界イズモ「……橘司令官」
橘「はい」
異世界イズモ「中央管理局は、具体的に何を要求していますか?」
橘は、文書の最後を確認した。
橘「……期限内に回収が完了しない場合、特別執行艦隊に対し、機密情報の拡散を防止するための強制措置を認める、と」
会議室が静まり返った。
綾音「……強制措置?」
橘「はい」
綾音「具体的には?」
橘「通信遮断、航行制限、対象船舶の拘束。状況に応じて、危険な装置や機密記録媒体の破壊も認められます」
イズモ「……なるほど」
橘「ただし、民間人や非戦闘員の保護義務は解除されていません」
イズモ「……その点は確認できたんですね」
橘「ええ」
異世界イズモ「……ならば、まず回収方法を協議すればいい」
橘「私もそう考えています」
綾音「……こちらも同じです」
それぞれが頷いた。
しかし、イズモは資料の一部分が気になっていた。
イズモ「……すみません。一つ確認しても?」
橘「何でしょう」
イズモ「この命令、対象船舶の拘束を認めていますよね」
橘「はい」
イズモ「拘束に抵抗した場合、どこまでの武力行使が許可されるんですか?」
橘「…………」
イズモ「……明記されていませんよね?」
橘は、端末を見つめた。
確かに、武力行使の上限は具体的に記載されていなかった。
橘「……詳細な交戦規則は、別途送付される予定です」
イズモ「……まだ届いていない?」
橘「はい」
イズモ「……それなら、今の段階で武力行使の準備を進めるのは危険だと思います」
橘「…………」
イズモ「私たちは、そちらの敵ではありません。対象者も治療中です」
橘「承知しています」
イズモ「でしたら、まず協議を続けましょう」
橘は、しばらく考えていた。
そして。
橘「……分かりました」
綾音「……ありがとうございます」
橘「中央管理局には、交渉継続中であることを報告します」
異世界イズモ「私からも、第一機動艦隊として意見を提出します」
橘「……お願いします」
そのときだった。
会議室の通信端末が点滅した。
特別執行艦隊からの緊急通信。
橘「……何事ですか?」
執行艦隊オペレーター『司令! 中央管理局から追加の機密指定情報を受信しました!』
橘「……内容は?」
執行艦隊オペレーター『先ほどの輸送船について、新たな事実が確認されました』
橘「……続けて」
執行艦隊オペレーター『輸送船の記録装置から、複数の機密情報が外部へ送信された可能性があります』
イズモ「……え?」
綾音「……いつ?」
執行艦隊オペレーター『輸送船が世界線境界を越える直前です』
異世界綾音「……送信先は?」
執行艦隊オペレーター『不明です。ただし、送信されたデータには戦略空間接続兵装の一部運用情報が含まれる可能性があります』
橘「…………」
イズモ「……その記録、こちらでも確認できますか?」
橘「……機密情報です」
イズモ「送信内容そのものではなく、通信の事実確認に必要な部分だけで構いません」
橘は少し考えた。
橘「……技術主任、共有可能な範囲を抽出してください」
異世界綾音「了解しました」
異世界綾音が端末を操作する。
数秒後。
一つの通信履歴が表示された。
送信時刻。
通信方式。
接続先。
そして、送信に使用された識別コード。
イズモは、そこに表示された文字列を見つめた。
イズモ「…………」
綾音「……どうしたの?」
イズモ「……この送信先」
異世界綾音「……何か?」
イズモ「……変ですね」
橘「……どこが?」
イズモ「これ、通常の世界線通信じゃありません」
異世界綾音「…………」
イズモ「複数の世界線へ同時に送信する、広域分散通信の方式です」
橘「……広域分散?」
イズモ「はい。一つの世界線に送るんじゃなくて、複数の世界線境界に情報を分散させています」
異世界綾音「……そんな方式、使われていたんですか?」
イズモ「少なくとも、私たちの世界では研究されています」
異世界綾音「……こちらにはありません」
イズモ「……え?」
異世界綾音「その通信方式、我々の技術体系には登録されていません」
会議室が静かになった。
異世界イズモ「……どういうことです?」
イズモ「……つまり、この輸送船には」
イズモは、送信記録を拡大した。
イズモ「……そちらのピースギアが知らない技術が、搭載されていた可能性があります」
橘「…………」
異世界綾音「……第三者の技術?」
イズモ「まだ分かりません。でも、少なくとも今回の改造は、単なる軍用装置の持ち出しとは違うかもしれません」
異世界イズモは、静かに資料を見つめた。
異世界イズモ「……では、誰が改造したんでしょうね」
イズモ「…………」
答えは、まだなかった。
三つの指揮系統
会議室の空気が変わった。
異世界側の二つの艦隊は、同じ組織に所属している。
しかし、指揮命令系統は異なっていた。
第一機動艦隊は、現場の安全確保と救助活動を優先している。
特別執行艦隊は、中央管理局から機密情報の回収を命じられている。
そして基準世界の第一調停艦隊は、負傷者の保護と事故原因の調査を進めていた。
三つの目的は、まだ完全には衝突していない。
しかし、優先順位は違う。
橘「……この状況では、回収作業を急ぐ必要があります」
異世界イズモ「同意します。ただし、軍用機密の流出がすでに発生しているなら、輸送船を回収するだけでは不十分です」
橘「……そのとおりです」
イズモ「送信先を特定する必要がありますね」
異世界綾音「ええ。まずは通信記録を解析しましょう」
綾音「その間、負傷者の治療は継続します」
橘「……了解しました」
イズモ「……一つ提案があります」
橘「どうぞ」
イズモ「輸送船の記録装置を、双方の立ち会いのもとで封印保全しませんか?」
橘「……封印?」
イズモ「はい。記録の改変や消去を防ぎながら、解析に必要な部分だけ複製します」
異世界綾音「……それなら、証拠の完全性も維持できますね」
イズモ「ええ」
橘「……ただし、機密情報の複製には制限が必要です」
イズモ「もちろんです。双方が確認できる監査記録を残しましょう」
橘は、しばらく考えた。
そして。
橘「……受け入れます」
綾音「……ありがとうございます」
異世界イズモ「では、共同調査班を編成しましょう」
イズモ「……いいですね」
異世界綾音「技術主任として、参加します」
イズモ「私も参加します」
綾音「……また技術者同士で盛り上がりそうね」
異世界イズモ「……そうですね」
四人の間に、わずかな笑みが生まれた。
しかし、橘だけは端末から視線を離さなかった。
そこには、中央管理局から送られた追加命令が表示されていた。
『回収対象の完全確保が困難な場合、機密情報の流出阻止を最優先とすること』
橘は、その一文を見つめていた。
先ほど合意した共同調査が成立すれば、問題はない。
しかし。
もし、何らかの理由で記録装置が失われそうになったら。
もし、機密情報が第三者へ渡りそうになったら。
そのとき、自分は何を優先すべきなのか。
橘は端末を閉じた。
そして、ゆっくりと立ち上がった。
橘「……皆さん」
綾音「……はい?」
橘「今回の共同調査について、私からも一つお願いがあります」
イズモ「何でしょう?」
橘「万が一、輸送船の記録装置が第三者に奪取される危険が生じた場合は、直ちに我々へ報告してください」
イズモ「……分かりました」
橘「その場合、こちらは機密情報の保護措置を実施する可能性があります」
綾音「……具体的には?」
橘「状況に応じて、記録装置の機能停止、通信遮断、あるいは破壊です」
イズモ「…………」
橘「もちろん、人命への影響は最小限に抑えます」
イズモ「……なるほど」
橘「ただし、機密情報が流出する危険が極めて高い場合、即座に判断しなければならないこともあります」
イズモは、静かに頷いた。
イズモ「……理解しました」
橘「ありがとうございます」
イズモ「ただし」
橘「……はい?」
イズモ「私たちがその判断に同意するかどうかは、別です」
橘「…………」
イズモ「人命に危険が及ぶなら、止めるための行動を取ります」
橘は、しばらくイズモを見つめていた。
そして。
橘「……そうでしょうね」
イズモ「…………」
橘「あなた方の原則については、十分理解しました」
イズモ「……ありがとうございます」
橘「だからこそ、できればそのような状況にならないことを願っています」
イズモ「……私もです」
二人は短く頷いた。
互いに、相手の判断を理解している。
しかし、同意しているわけではない。
それでも、会議は成立していた。
会議が終了したのは、開始から二時間半が経過したころだった。
双方の代表者は、共同調査の実施と負傷者の医療保護継続について暫定合意した。
輸送船の記録装置は封印保全され、解析は両世界の技術主任が共同で行うことになった。
中央管理局への報告も、特別執行艦隊が担当する。
そして、引き渡し期限については延長を申請することが決まった。
イズモは会議施設を出て、連絡艇へ向かった。
その隣には、異世界綾音が歩いていた。
異世界綾音「……最上技術主任」
イズモ「はい?」
異世界綾音「一つ聞いてもいいですか?」
イズモ「どうぞ」
異世界綾音「……あなたたちの世界では、軍用兵器の開発って、どの程度行っているんですか?」
イズモ「……軍用兵器ですか?」
異世界綾音「ええ。今回の艦隊を見る限り、攻撃能力を完全に捨てているわけではなさそうですし」
イズモ「もちろん、攻撃能力はありますよ」
異世界綾音「……どのくらい?」
イズモ「……必要なだけ、ですね」
異世界綾音「……必要なだけ?」
イズモ「はい。ただ、私たちはそれを最初に使うつもりはありません」
異世界綾音「…………」
イズモ「だから、同じ出力を持つ装置でも、防御や無力化に使えるように設計しています」
異世界綾音「……なるほど」
イズモ「……そちらは?」
異世界綾音「……私たちは、確実に脅威を排除できるように設計しています」
イズモ「……そうですね」
異世界綾音「でも、今日の救助活動を見て……少し考えました」
イズモ「……何を?」
異世界綾音「……もし私たちの艦に、そちらのような防御装置があったら」
彼女は、遠くに浮かぶ第一機動艦隊を見つめた。
異世界綾音「……失わずに済んだ艦が、あったのかなって」
イズモ「…………」
異世界綾音「……すみません。変なことを聞きました」
イズモ「いえ」
イズモは、少し考えた。
イズモ「……設計資料、交換しませんか?」
異世界綾音「……え?」
イズモ「全部は無理ですけど、安全制御や防御技術なら、共有できる部分もあると思います」
異世界綾音「…………」
イズモ「そちらの技術にも、私たちが学べるところがありますし」
異世界綾音は、しばらく黙っていた。
そして、小さく笑った。
異世界綾音「……本当に、技術者なんですね」
イズモ「……そちらもでしょう?」
異世界綾音「……そうですね」
二人は、別々の連絡艇へ向かって歩き出した。
そのときだった。
通信端末が鳴った。
イズモ「……ん?」
第一調停艦隊からの緊急連絡。
オペレーター『技術主任! 医療艦から緊急報告です!』
イズモ「どうしました?」
オペレーター『輸送船の貨物管理責任者、セイル・ハーディが……』
イズモ「……セイルさんが?」
オペレーター『先ほどの共同調査について、直接お話ししたいことがあるそうです』
イズモ「……今から?」
オペレーター『はい。ただし、特別執行艦隊には知られたくないとのことです』
イズモの足が止まった。
異世界綾音「……どうしました?」
イズモ「……いえ、少し」
通信端末から、続きの報告が届いた。
オペレーター『それから、もう一つ』
イズモ「……何でしょう?」
オペレーター『セイルさんが、奇妙なことを言っています』
イズモ「……奇妙なこと?」
オペレーター『はい』
短い沈黙。
オペレーター『……今回の輸送船は、最初から逃亡する予定だったわけではない、と』
イズモ「…………」
オペレーター『本来は、別の世界線へ向かう正式な輸送任務だったそうです』
イズモ「……正式な?」
オペレーター『はい。ただし、出発直前に任務内容が変更され、航行記録が消去されたとのことです』
イズモ「…………」
オペレーター『そして……』
イズモ「……続けてください」
オペレーター『セイルさんは、こう言っています』
一拍。
『あの装置は、戦争を終わらせるために運ばれていたんじゃない。戦争が終わらないようにするために、運ばれていたんです』
イズモは、通信端末を見つめた。
遠方では、特別執行艦隊の六隻が静かに航行している。
その巨大な砲塔は、現在も待機位置を維持していた。
しかし。
もし、セイルの言葉が事実なら。
今回の事件は、単なる軍用装置の持ち出しではない。
イズモ「……なるほど」
異世界綾音「……最上技術主任?」
イズモは、ゆっくりと顔を上げた。
イズモ「……どうやら、まだ知らないことがあるみたいですね」
異世界綾音「…………」
イズモ「すみません。少し、確認したいことができました」
異世界綾音「……分かりました」
イズモは連絡艇へ向かった。
その背後で、異世界綾音がしばらく立ち尽くしていた。
そして、彼女もまた、自分の通信端末を取り出した。
異世界綾音「……司令」
異世界イズモ『どうしました?』
異世界綾音「……今回の輸送船について、私たちももう一度調べた方がいいかもしれません」
異世界イズモ『……理由は?』
異世界綾音「……まだ、確証はありません」
異世界イズモ『…………』
異世界綾音「でも……」
彼女は、遠ざかる基準世界の連絡艇を見つめた。
異世界綾音「……何か、見落としている気がするんです」
第一調停艦隊の医療艦では、セイル・ハーディが病室の窓から宇宙を見つめていた。
遠方には、特別執行艦隊の艦影が見える。
彼は、ベッドの上に置かれた端末を握っていた。
そこには、一つの記録が残されていた。
輸送船の出発前。
まだ正式な航行許可が有効だったときに受信した、短い命令文。
『対象戦域における紛争継続を、作戦上の許容条件とする』
セイルは、その文字列を見つめた。
そして、静かに端末を閉じた。
セイル「……お願いです」
誰に向けた言葉でもなかった。
セイル「……今度こそ、止めてください」
窓の向こうでは、三つのピースギア艦隊が、同じ紋章を掲げたまま向かい合っていた。
第五話「三つの指揮系統」完
次話「終わらない戦争」