第一調停艦隊・医療艦
連絡艇が医療艦の格納庫へ入った。
誘導灯が青から緑へ変わり、機体がゆっくりと着艦する。
エンジンの振動が止まった。
イズモは座席の固定具を外し、通信端末を確認した。
綾音からの連絡が届いている。
綾音『セイル・ハーディとの面会について確認しました。医療主任から許可が出ています』
イズモ「ありがとうございます。容体は?」
綾音『軽傷です。ただ、かなり疲労しているようです』
イズモ「……無理に話を聞くつもりはありません」
綾音『分かっています。それと、もう一つ』
イズモ「はい?」
綾音『特別執行艦隊には知らせないでほしい、という要求についてです』
イズモ「……ええ」
綾音『証言内容によっては、共同調査班への情報共有が必要になります』
イズモ「そうですね」
綾音『その場合、完全な秘匿は保証できません』
イズモ「……そこは本人にも説明します」
綾音『お願いします』
通信が終了する。
イズモは端末をしまい、連絡艇のハッチへ向かった。
格納庫には、輸送船から回収された小型機材が整然と並んでいる。
損傷した救命装置。
焦げた作業服。
ひび割れた携帯端末。
その一つひとつに識別番号が付けられ、回収場所と状態が記録されていた。
救助作業は終わっていない。
少なくとも、彼らにとっては。
格納庫を抜けると、医療艦の廊下へ出た。
壁面には現在の収容状況が表示されている。
救助者、二百十四名。
死亡確認、なし。
重症者の一部は集中治療を継続中。
四名の重要保護対象者についても、全員の生存が確認されている。
イズモは、その表示を数秒だけ見つめた。
イズモ「……よかった」
小さく呟き、歩き出す。
しかし、次の表示を見たところで足が止まった。
『救助者の帰還意思確認:未完了』
イズモ「…………」
彼らを助けたことと。
彼らが安全な場所へ帰れることは。
まだ、同じではなかった。
セイル・ハーディの証言
個室の前には、医療主任が待っていた。
医療主任「最上技術主任。お待ちしていました」
イズモ「ありがとうございます」
医療主任「面会時間についてですが、原則二十分以内でお願いします」
イズモ「分かりました」
医療主任「本人が中止を希望した場合は、そこで終了してください」
イズモ「もちろんです」
医療主任は頷き、扉の認証を解除した。
室内には、穏やかな照明が灯っていた。
ベッドの上には、一人の男性が座っている。
セイル・ハーディ。
輸送船の貨物管理責任者。
年齢は四十代半ばほどに見える。
腕には治療用の固定具が装着され、額には小さな傷が残っていた。
セイル「……最上技術主任、ですね」
イズモ「はい。最上イズモです」
セイル「……ありがとうございます。来ていただいて」
イズモ「いえ。体調は大丈夫ですか?」
セイル「……話すくらいなら」
イズモ「無理はしないでください。途中でやめても構いません」
セイルは小さく頷いた。
イズモは椅子に腰掛ける。
二人の間には、医療用の小さなテーブルが置かれていた。
セイル「……最初に、一つお願いがあります」
イズモ「何でしょう?」
セイル「私が話したことを、特別執行艦隊には伝えないでください」
イズモ「…………」
セイル「お願いします」
イズモはすぐには答えなかった。
イズモ「……理由を聞いてもいいですか?」
セイル「……殺されるかもしれません」
室内の空調音が、妙にはっきり聞こえた。
イズモ「……それは、誰かから脅迫されたということですか?」
セイル「……いいえ」
イズモ「では、そう判断した理由は?」
セイル「私たちが運んでいたものを、あの艦隊が回収しようとしているからです」
イズモ「…………」
セイル「……あれが何なのか、私は全部知っているわけではありません。でも……」
彼は、膝の上に置いた手を握った。
セイル「……知ってはいけないことを、知ってしまったんだと思います」
イズモ「……分かりました」
セイルが顔を上げる。
イズモ「ただし、完全に秘密にできるとは約束できません」
セイル「…………」
イズモ「今後、他の人の安全を守るために、情報を共有する必要が出るかもしれません」
セイル「……それでは」
イズモ「でも、あなたを危険にさらすような共有方法は選びません。少なくとも、事前に安全を確認します」
セイル「…………」
イズモ「証言者を保護したまま調査する方法はあります」
セイルはしばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
セイル「……分かりました」
イズモ「ありがとうございます」
セイル「……では、何から話せば?」
イズモ「まず、輸送船の本来の任務について教えてください」
セイルは端末を取り出した。
古い型式の業務用端末だった。
画面の隅には、ひびが入っている。
セイル「……私たちの船は、最初から逃亡する予定だったわけではありません」
イズモ「……はい」
セイル「正式な輸送命令を受けていました。目的地は、第七戦域の後方補給拠点です」
イズモ「第七戦域……」
セイル「ご存じですか?」
イズモ「いえ。そちらの世界の軍事区分は、まだ把握していません」
セイル「……そうでしたね」
彼は端末を操作した。
一つの輸送計画が表示される。
出発時刻。
予定航路。
積載品目。
護衛艦隊との合流予定。
そして、中央管理局の認証印。
イズモ「……確かに、正式な輸送計画ですね」
セイル「はい」
イズモ「積み荷は?」
セイル「戦略空間接続兵装の制御装置と、関連する交換部品です」
イズモ「……例の装置ですね」
セイル「ええ」
イズモ「具体的な用途は?」
セイル「そこまでは知らされていません。ただ、普通の補給物資とは扱いが違いました」
イズモ「どう違ったんですか?」
セイル「まず、整備担当者が船内へ立ち入ることを禁止されていました」
イズモ「……貨物区画への立ち入り制限ですか?」
セイル「いいえ。装置の整備担当者も、です」
イズモ「…………」
セイル「通常なら、特殊な装置ほど専任の技術者が同行します。でも、今回は違いました」
イズモ「……輸送中の保守を想定していない?」
セイル「そう思いました」
イズモ「ほかには?」
セイル「出発前、貨物管理記録の一部を変更するよう命じられました」
イズモ「変更?」
セイル「はい」
彼は別の画面を開いた。
そこには、二つの貨物一覧が表示されていた。
片方には、装置の識別番号が記載されている。
もう片方には、同じ場所に別の名称が書かれていた。
『広域環境安定化装置』
イズモ「……なるほど」
セイル「……何か分かりますか?」
イズモ「いえ。ただ、軍用兵器を別の名称で登録する理由は気になりますね」
セイル「……私も、そう思いました」
イズモ「その変更は誰から?」
セイル「中央管理局の輸送管理部門です」
イズモ「……直接?」
セイル「正規の命令系統を通じて、です」
イズモ「命令書は残っていますか?」
セイル「……あります」
セイルは一枚の文書を表示した。
イズモは内容を確認する。
記載されているのは、貨物区分の変更命令。
輸送経路の再設定。
航行記録の一部消去。
そして。
『対象戦域における紛争継続を、作戦上の許容条件とする』
イズモ「…………」
セイル「……これです」
イズモ「……確認しました」
セイル「こんな命令、おかしいと思いませんか?」
イズモ「……確かに気になる内容です」
セイル「でしょう?」
イズモ「ただ、一つ確認させてください」
セイル「はい」
イズモ「この文章だけでは、戦争を意図的に長引かせる命令なのか、それとも戦争が継続する可能性を作戦上許容するという意味なのか、判断できません」
セイル「…………」
イズモ「前後の文書はありますか?」
セイル「……ありません」
イズモ「そうですか」
セイル「……でも!」
セイルは思わず声を上げた。
すぐに、額を押さえる。
イズモ「……大丈夫ですか?」
セイル「……すみません」
イズモ「いえ」
セイル「……でも、あのとき、確かに聞いたんです」
イズモ「……何を?」
セイルは視線を落とした。
セイル「……出発前、輸送管理官が通信していました」
イズモ「…………」
セイル「相手の声は聞こえませんでした。でも、管理官はこう言っていました」
彼は、少し間を置いた。
セイル「……『停戦が成立しても、作戦を中止しないのですね』と」
イズモ「…………」
セイル「……そのあと、こうも言いました」
セイルは顔を上げた。
セイル「……『現地の判断には従わない。中央の決定を優先する』」
イズモ「……なるほど」
セイル「その時点では、何の話なのか分かりませんでした」
イズモ「……はい」
セイル「でも、その直後に輸送計画が変更されたんです」
イズモ「…………」
セイル「本来の目的地ではなく、戦域の中心部へ向かうように」
イズモ「……中心部?」
セイル「はい」
イズモ「後方補給拠点ではなく?」
セイル「……ええ」
イズモは端末の航路図を見つめた。
二つの航路。
一つは、戦域の外縁にある補給拠点。
もう一つは、複数の戦闘地域を横断している。
その終点には、名称のない座標が表示されていた。
イズモ「……この座標は?」
セイル「分かりません」
イズモ「……不明な座標への輸送?」
セイル「はい」
イズモ「それを不審に思ったんですね」
セイル「……最初は、そうでした」
イズモ「最初は?」
セイル「船長が、中央管理局へ確認を求めたんです」
イズモ「……回答は?」
セイル「ありませんでした」
イズモ「…………」
セイル「代わりに、航路変更を拒否した場合は軍法上の責任を問うという通達が届きました」
イズモ「……それで?」
セイル「……船長は、命令に従うことを決めました」
イズモ「…………」
セイル「私たちも、最初はそうするつもりでした」
セイルは指を組み直した。
セイル「でも……出発してから、状況が変わったんです」
変更された目的地
セイルは、貨物管理記録の一部を開いた。
そこには複数の警告が表示されていた。
セイル「出発して三時間ほど経ったころです」
イズモ「……はい」
セイル「貨物区画の温度が、急に下がり始めました」
イズモ「……冷却装置の異常ですか?」
セイル「違います。冷却装置は正常でした」
イズモ「…………」
セイル「電力消費も増えていません」
イズモ「それなのに温度が下がった?」
セイル「はい」
イズモ「……装置が外部から熱を取り込んでいた可能性は?」
セイル「技術的なことは分かりません。ただ、貨物区画の監視装置が、異常な空間変動を記録していました」
イズモ「……空間変動」
セイル「それで機関長が調査したんです」
イズモ「結果は?」
セイル「……装置が起動していました」
イズモ「…………」
セイル「輸送中は完全停止しているはずの装置が、です」
イズモ「……起動指示は?」
セイル「ありません」
イズモ「外部からの遠隔操作は?」
セイル「船の通信記録には残っていませんでした」
イズモ「……なるほど」
セイル「機関長は、装置を停止させようとしました」
イズモ「……成功しましたか?」
セイル「……いいえ」
イズモ「…………」
セイル「電源を遮断しても、動作が止まらなかったんです」
イズモは少し考えた。
イズモ「……内部に独立電源があった可能性は?」
セイル「機関長もそう考えました。でも、積載記録にはそんなものはありません」
イズモ「積載記録が正確だったとは限りませんね」
セイル「……そうです」
イズモ「それから?」
セイル「……船長が、貨物区画の完全隔離を命じました」
イズモ「…………」
セイル「すると、その直後です」
彼は、一つの記録を表示した。
船内通信の履歴だった。
セイル「中央管理局から、緊急命令が届きました」
イズモ「……内容は?」
セイル「貨物区画の隔離を解除し、航行を継続するように、と」
イズモ「……異常を報告していたんですか?」
セイル「……まだです」
イズモ「…………」
セイル「こちらから報告する前に、中央管理局が隔離の事実を把握していたんです」
イズモは、画面を拡大した。
送信時刻。
受信時刻。
命令番号。
しかし、通信経路の詳細は残っていなかった。
イズモ「……外部の監視機能があった可能性はありますね」
セイル「……はい」
イズモ「ただ、それだけでは中央管理局が装置を操作していたとは断定できません」
セイル「…………」
イズモ「装置が自動的に異常を報告していた可能性もあります」
セイル「……そうですね」
イズモ「……船長はどう判断したんですか?」
セイルは、しばらく答えなかった。
やがて、小さく口を開く。
セイル「……逃げることにしたんです」
イズモ「…………」
セイル「命令を無視して、戦域から離脱することを」
イズモ「……なぜ?」
セイル「……機関長が言ったんです」
イズモ「何と?」
セイル「……『この装置は、目的地へ着く前から何かを始めている』と」
イズモ「…………」
セイル「そして、もし装置をそのまま戦域へ運んだら……」
彼は、端末を握りしめた。
セイル「……取り返しのつかないことになるかもしれない、と」
しばらく沈黙が続いた。
イズモ「……それで、世界線を越えたんですね」
セイル「……はい」
イズモ「でも、今回の事故は単なる世界線移動の失敗ではありませんでした」
セイル「…………」
イズモ「あなたたちの船は、世界線境界で異常な通信を行っています」
セイル「……通信?」
イズモ「はい。複数の世界線に関係する、特殊な通信記録です」
セイル「…………」
イズモ「何か心当たりは?」
セイルは、ゆっくりと首を振った。
セイル「……ありません」
イズモ「……そうですか」
セイル「ただ……」
イズモ「はい?」
セイル「一つだけ、思い出したことがあります」
イズモ「……何でしょう?」
セイル「……世界線を越える直前、機関長が言っていました」
セイルは目を閉じた。
そのときの通信を思い出すように。
セイル「……『逃げるなら、どこでもいいわけじゃない』と」
イズモ「…………」
セイル「『装置が接続できない世界線を探す必要がある』」
イズモ「……なるほど」
セイル「でも……」
イズモ「……はい」
セイル「……結局、接続できてしまったんです」
第一調停艦隊・技術解析室
面会を終えたイズモは、医療艦の技術解析室へ向かった。
医療主任との約束どおり、セイルへの質問は二十分で切り上げた。
本人には、証言の取り扱いについて改めて説明している。
証言内容は、本人の安全が確認されるまで識別情報を伏せて扱う。
ただし、危険な装置の存在については、関係者へ必要な範囲で共有する。
セイルはその条件を了承した。
解析室に入ると、綾音が待っていた。
綾音「……どうだった?」
イズモ「……かなり重要な話を聞けました」
綾音「……そう」
イズモ「ただ、まだ裏付けが足りません」
綾音「証言だけ?」
イズモ「一部の記録はあります。でも、誰が何を目的に命令したのかは不明です」
綾音「……なるほど」
イズモは端末を接続し、許可された範囲の資料を表示した。
貨物区分変更命令。
航路変更記録。
装置の異常起動。
そして、中央管理局からの緊急命令。
綾音は一つずつ確認していった。
綾音「……確かに妙ね」
イズモ「ええ」
綾音「でも、中央管理局が意図的に戦争を継続させようとしている証拠にはならない」
イズモ「……そうですね」
綾音「それに、そちらの世界では戦争が長期化しているんでしょう?」
イズモ「はい」
綾音「なら、停戦が成立する可能性を想定しながら、戦闘継続に備えること自体は不自然じゃない」
イズモ「……問題は、そのあとも作戦を続ける理由ですね」
綾音「ええ」
イズモは航路図を拡大した。
イズモ「それと、この座標です」
綾音「……戦域の中心?」
イズモ「そうです」
綾音「兵装を戦域へ直接運ぶのは、軍事的にはあり得る判断だけど……」
イズモ「……でも、補給拠点を経由しない理由が分かりません」
綾音「……現地の受け入れ設備がないとか?」
イズモ「可能性はあります」
綾音「それなら、まず目的地を調べる必要があるわね」
イズモ「はい」
綾音は別の資料を開いた。
綾音「……ところで、こちらからも一つ」
イズモ「何でしょう?」
綾音「輸送船の通信記録について、技術班から報告が来ています」
イズモ「……例の広域分散通信ですか?」
綾音「ええ」
イズモ「解析できました?」
綾音「……それが、少し変なの」
イズモ「…………」
綾音「通信ログには、送信したように記録されているのに、通常の送信装置には対応する電力消費がないのよ」
イズモ「……え?」
綾音「アンテナも、送信機も。記録上の通信量に見合う動作をしていない」
イズモ「…………」
イズモは資料を受け取った。
送信時刻。
推定通信量。
通信装置の電力消費。
そして、貨物区画の空間変動記録。
イズモ「……これ」
綾音「……何か?」
イズモ「通信が発生した時刻と、貨物区画の異常が一致しています」
綾音「ええ」
イズモ「でも……」
イズモは画面を切り替えた。
イズモ「……これ、本当に通信なんでしょうか?」
綾音「……どういう意味?」
イズモ「送信装置を使わずに情報が外へ出たとしたら、通常の通信ではありません」
綾音「……空間接続装置そのものを使った?」
イズモ「可能性はあります」
綾音「…………」
イズモ「それに、もう一つ気になることがあります」
綾音「何?」
イズモ「送信先が、特定の世界線じゃないんです」
綾音「……それは、会議でも言っていたわね」
イズモ「ええ。でも、改めて見ると……」
イズモは通信履歴の一部分を拡大した。
そこには、複数の世界線識別情報が並んでいた。
しかし。
通常の宛先情報とは構造が異なっている。
イズモ「……これ、送信先の一覧じゃないかもしれません」
綾音「……じゃあ、何?」
イズモ「……接続候補の一覧です」
綾音「…………」
イズモ「つまり、複数の世界線に情報を送ったというより……」
彼は、画面を見つめた。
イズモ「……複数の世界線へ、接続を試みた可能性があります」
綾音「……何のために?」
イズモ「……まだ分かりません」
綾音「…………」
イズモ「ただ、もし装置が自動的に接続先を探していたなら……」
綾音「……輸送船の乗員が知らなくても、動作するわね」
イズモ「ええ」
そのとき。
端末に通信が入った。
異世界綾音からだった。
二人の技術主任
通信画面に、異世界綾音の姿が映った。
異世界綾音『最上技術主任。今、お時間よろしいですか?』
イズモ「はい。ちょうどこちらでも解析を進めていました」
異世界綾音『……それなら、確認したいことがあります』
イズモ「何でしょう?」
異世界綾音『先ほどの通信記録についてです』
イズモ「……はい」
異世界綾音『我々の艦隊にある通信装置では、再現できませんでした』
イズモ「……やはり」
異世界綾音『ただし、空間接続兵装の制御装置を利用すれば、似たような現象が起きる可能性があります』
イズモ「……なるほど」
異世界綾音『ですが、一つ問題があります』
イズモ「はい?」
異世界綾音『その制御装置は、通信機能を持っていません』
イズモ「…………」
異世界綾音『少なくとも、正式な設計仕様には存在しません』
イズモ「……それは、確認済みですか?」
異世界綾音『はい。設計記録と整備資料を照合しました』
イズモ「……そうですか」
綾音が横から口を開いた。
綾音「……そちらの装置は、空間接続をどのように制御しているんですか?」
異世界綾音『……それは』
彼女は少し言い淀んだ。
異世界綾音『……軍事機密に該当します』
綾音「……ですよね」
イズモ「無理に開示する必要はありません」
異世界綾音『……ありがとうございます』
イズモ「ただ、確認できる範囲で一つ質問しても?」
異世界綾音『どうぞ』
イズモ「その装置は、接続先の世界線を自動的に探索しますか?」
異世界綾音『…………』
彼女は数秒間考えた。
異世界綾音『……はい』
イズモ「……なるほど」
異世界綾音『ただし、完全な自動探索ではありません。通常は事前に設定された条件の範囲で探索します』
イズモ「……探索条件を変更すれば?」
異世界綾音『理論上は、探索範囲を拡張できます』
イズモ「…………」
異世界綾音『……ですが、それには制御系統の大幅な改造が必要です』
イズモ「……今回の輸送船には、その改造が施されていた可能性がありますね」
異世界綾音『……ええ』
通信画面の向こうで、異世界綾音は別の資料を開いた。
異世界綾音『……最上技術主任』
イズモ「はい?」
異世界綾音『この装置について、もう一つ気になることがあります』
イズモ「何でしょう?」
異世界綾音『……通常、戦略空間接続兵装は、接続先を正確に指定する必要があります』
イズモ「……はい」
異世界綾音『しかし、今回の装置は、非常に広い範囲を探索していたようです』
イズモ「…………」
異世界綾音『……これでは、特定の目標へ攻撃することが難しくなります』
イズモ「……でしょうね」
異世界綾音『つまり、兵器として考えると、不合理なんです』
イズモ「…………」
綾音「……攻撃するつもりがなかった?」
異世界綾音『……可能性はあります』
イズモ「それとも……」
二人がイズモを見る。
イズモ「……何かを探していた?」
異世界綾音『…………』
イズモ「特定の座標ではなく、特定の条件を持つ世界線を」
異世界綾音『……条件、ですか』
イズモ「はい」
綾音「……例えば?」
イズモは少し考えた。
イズモ「……装置と接続可能な技術体系を持つ世界線」
異世界綾音『…………』
イズモ「あるいは、特定の空間構造を持つ世界線」
綾音「……なるほど」
イズモ「まだ仮説ですけどね」
異世界綾音『……いえ。検証する価値はあります』
彼女は端末を操作した。
異世界綾音『こちらでも、探索条件を調べてみます』
イズモ「ありがとうございます」
異世界綾音『……ただし、装置の現物には不用意にアクセスしない方がいいでしょう』
イズモ「……同感です」
異世界綾音『外部からの操作を受け付ける可能性もあります』
イズモ「では、解析は物理的に隔離した環境で行いましょう」
異世界綾音『はい』
綾音「記録媒体の複製と封印は、双方の立ち会いで継続します」
異世界綾音『了解しました』
通信が終了した。
イズモは椅子にもたれた。
綾音「……どう思う?」
イズモ「……まだ判断できません」
綾音「……そうね」
イズモ「でも、少なくとも……」
彼は、輸送船の通信記録を見つめた。
イズモ「……この装置、本来の用途とは違う使い方をされていた可能性が高くなりましたね」
第一機動艦隊・旗艦
異世界イズモは、執務室で一つの資料を読んでいた。
中央管理局から送られた、戦略空間接続兵装の運用報告。
そこには、過去に実施された複数の作戦が記録されていた。
敵補給路の遮断。
戦略拠点の破壊。
世界線境界の封鎖。
長距離からの精密攻撃。
いずれも、戦争を早期に終結させることを目的としている。
少なくとも、書類上は。
異世界イズモ「…………」
彼は、端末を操作した。
第七戦域。
その名称を検索する。
画面には、長い戦闘記録が表示された。
開戦から、十九年。
大規模戦闘、四百二十七件。
局地的な停戦協議、三十一件。
正式な和平交渉、六件。
成立した停戦合意、二件。
そして。
維持された停戦合意、ゼロ件。
異世界イズモ「……また、ここですか」
彼は小さく息を吐いた。
第七戦域。
彼自身も、過去に作戦へ参加したことがある。
最初の派遣は、十二年前だった。
当時の目的は、敵勢力の主要補給拠点を破壊し、戦争継続能力を低下させること。
作戦は成功した。
補給拠点は破壊され、敵勢力は一時的に撤退した。
しかし、戦争は終わらなかった。
数か月後。
別の補給路が構築された。
再び戦闘が始まった。
第二次作戦。
第三次作戦。
第四次作戦。
そのたびに、敵の戦力は低下した。
しかし。
同時に、戦域の住民も減っていった。
避難船が増えた。
医療施設が不足した。
生活物資の輸送量が減った。
そして、破壊された施設の跡地には、新しい軍事施設が建設された。
異世界イズモは、その記録を閉じた。
異世界イズモ「……終わらない、か」
机の隅には、一枚の古い写真が置かれていた。
かつての第一機動艦隊。
今よりも多くの艦が並んでいる。
その中央には、若いころの自分がいた。
隣には、現在は存在しない艦の艦長が立っている。
異世界イズモは写真に手を伸ばしかけた。
しかし、触れる前に手を止めた。
通信端末が鳴った。
異世界イズモ「……はい」
異世界綾音『司令。少しご報告があります』
異世界イズモ「どうぞ」
異世界綾音『今回の輸送船に搭載されていた装置について、通常の兵装とは異なる動作が確認されています』
異世界イズモ「……どのような?」
異世界綾音『広域の世界線探索です』
異世界イズモ「…………」
異世界綾音『攻撃目標を正確に指定する兵装としては、不合理な動作です』
異世界イズモ「……なるほど」
異世界綾音『さらに、制御装置が自律的に起動していた可能性があります』
異世界イズモ「……輸送中に?」
異世界綾音『はい』
異世界イズモ「…………」
彼は、手元の資料をもう一度開いた。
輸送命令。
目的地。
第七戦域。
異世界イズモ「……一つ確認してください」
異世界綾音『何でしょう?』
異世界イズモ「今回の輸送計画は、誰が承認しましたか?」
異世界綾音『中央管理局の輸送管理部門です』
異世界イズモ「……最終承認者は?」
異世界綾音『……確認します』
数秒。
異世界綾音『……司令』
異世界イズモ「はい」
異世界綾音『承認者の情報が、制限されています』
異世界イズモ「……機密指定ですか?」
異世界綾音『はい』
異世界イズモ「…………」
異世界綾音『第一機動艦隊の司令官権限でも、閲覧できません』
異世界イズモ「……そうですか」
彼は、しばらく考えた。
異世界イズモ「では、正式な照会を出してください」
異世界綾音『了解しました』
異世界イズモ「それと、橘司令官にも連絡を」
異世界綾音『……特別執行艦隊へ?』
異世界イズモ「ええ」
異世界綾音『……内容は?』
異世界イズモ「今回の輸送船について、作戦上の危険性が想定より高い可能性がある、と」
異世界綾音『……承知しました』
異世界イズモ「ただし、現時点で輸送船の破壊を正当化するものではない、と付け加えてください」
異世界綾音『……はい』
通信が終了する。
異世界イズモは、再び第七戦域の記録を見つめた。
十九年間。
誰も戦争を終わらせることができなかった。
自分たちも。
敵も。
そして、中央管理局も。
異世界イズモ「…………」
彼は、ある項目を開いた。
最も新しい停戦協議。
十八日前。
協議は、正式な合意に至らず終了したと記録されている。
その理由。
『当事者間の安全保障条件が不一致』
異世界イズモ「……条件の不一致」
彼は、詳細記録を開こうとした。
しかし。
画面には、閲覧制限の表示が現れた。
異世界イズモ「…………」
制限理由。
『中央管理局・戦略判断保護規定』
彼は、その文字列を見つめた。
十二年前には存在しなかった規定だった。
特別執行艦隊・司令室
橘は、第一機動艦隊から届いた報告を確認していた。
輸送船に搭載されていた装置は、想定外の動作を行っていた可能性がある。
そして、装置の破壊は慎重に判断すべきだという意見。
橘「…………」
彼女は、報告書を閉じた。
橘「……技術参謀」
技術参謀「はい」
橘「対象輸送船の回収状況を」
技術参謀「記録装置の封印保全は完了しています。現在、共同調査班が解析準備を進めています」
橘「……装置本体は?」
技術参謀「輸送船内で隔離されています。電源系統は遮断済みですが、内部状態については確認中です」
橘「……了解しました」
技術参謀「司令。一つよろしいでしょうか」
橘「何でしょう」
技術参謀「……中央管理局からの命令についてです」
橘「…………」
技術参謀「機密流出阻止を最優先とする、という指示ですが」
橘「ええ」
技術参謀「……対象装置が自律的に作動する可能性があるなら、破壊によって何が起きるか予測できません」
橘「……そうですね」
技術参謀「破壊命令を実施した場合、かえって機密情報の拡散を引き起こす可能性もあります」
橘「…………」
橘は端末に表示された命令文を確認した。
『回収対象の完全確保が困難な場合、機密情報の流出阻止を最優先とすること』
その下には、実施可能な措置が並んでいる。
通信遮断。
航行制限。
物理的拘束。
機密記録媒体の破壊。
そして。
必要と認められる場合の、武力行使。
橘「……中央管理局に、技術的危険性を報告してください」
技術参謀「了解しました」
橘「装置の破壊については、追加の技術評価が必要であると」
技術参謀「……承知しました」
そのとき。
司令室の通信端末が点滅した。
中央管理局からの優先通信。
橘「……接続してください」
通信士「了解」
画面に、中央管理局の識別標章が表示された。
中央管理局担当官『橘司令官。現在の状況について確認します』
橘「はい」
担当官『対象輸送船の完全回収は、まだ完了していないようですね』
橘「現在、共同調査を実施しています」
担当官『……共同調査』
橘「はい。第一機動艦隊および、基準世界側の第一調停艦隊との合意に基づくものです」
担当官『……承知しています』
橘「なお、対象装置について、想定外の動作が確認されました」
担当官『……報告を受けています』
橘「そのため、破壊を含む強制措置については、技術的な評価が必要と判断しています」
短い沈黙。
担当官『……橘司令官』
橘「はい」
担当官『あなた方の任務は、機密情報の保全です』
橘「承知しています」
担当官『装置の機能解析ではありません』
橘「…………」
担当官『必要以上の調査は、機密情報の拡散リスクを高めます』
橘「……しかし、装置を破壊した場合の危険性が未確認です」
担当官『その点については、中央管理局で検討します』
橘「……了解しました」
担当官『それと、引き渡し期限についてですが』
橘「延長を申請しています」
担当官『……現時点では、承認されていません』
橘「…………」
担当官『当初の期限を維持してください』
橘「……理由を確認しても?」
担当官『機密保護上の判断です』
橘「…………」
担当官『なお、期限超過後の措置については、別途指示します』
橘「……承知しました」
担当官『以上です』
通信が切れた。
橘は、しばらく画面を見つめていた。
技術参謀「……司令」
橘「……何でしょう」
技術参謀「……期限延長は?」
橘「……認められませんでした」
技術参謀「…………」
橘「現時点では、予定どおりです」
技術参謀「……あと、二時間半ほどです」
橘「……ええ」
橘は、窓の向こうを見た。
遠方に、第一調停艦隊の艦影がある。
その中央には、医療艦。
二百十四名の救助者が収容されている。
橘「…………」
彼女は、再び命令文を開いた。
民間人及び非戦闘員の保護義務。
その条項は、まだ有効だった。
橘「……技術参謀」
技術参謀「はい」
橘「基準世界側の医療艦について、収容者の状態を継続確認してください」
技術参謀「……了解しました」
橘「それと、医療艦を強制措置の対象とする場合は、必ず私の承認を必要とするように」
技術参謀「……はい」
橘「他の艦へも徹底してください」
技術参謀「承知しました」
橘は端末を閉じた。
期限まで、二時間半。
中央管理局は、それ以上待つつもりがないらしい。
封印された貨物区画
輸送船は、第一調停艦隊の作業艦によって曳航されていた。
船体の損傷は大きい。
主推進装置は停止。
艦内の生命維持装置も、すでに使用されていない。
救助者の移送完了後、船内の大部分は無人となっていた。
ただし、貨物区画だけは別だった。
そこには、問題の制御装置が残されている。
イズモは、遠隔操作用の作業端末を確認した。
隣には、異世界綾音がいる。
双方の技術主任が、共同調査のために作業艦へ集まっていた。
異世界綾音「……装置本体への接触は、最小限にしましょう」
イズモ「ええ」
異世界綾音「まず、外部から状態を確認します」
イズモ「こちらの観測装置を使いますか?」
異世界綾音「……お願いします」
イズモは端末を操作した。
貨物区画の三次元映像が表示される。
中央には、大型の円筒状装置。
その周囲に、複数の制御機構が配置されていた。
外装には、破損した部分がある。
しかし、主要構造は残っているようだった。
イズモ「……思ったより損傷が少ないですね」
異世界綾音「……戦略兵装の制御装置ですから。ある程度の損傷には耐える設計です」
イズモ「なるほど」
異世界綾音「ただ、外装の一部が改造されています」
イズモ「……この部分ですか?」
異世界綾音「はい」
彼女は映像を拡大した。
本来の制御回路とは別に、追加されたような構造がある。
異世界綾音「……これは、正式な仕様にはありません」
イズモ「……後付けですね」
異世界綾音「ええ」
イズモ「機能は分かりますか?」
異世界綾音「……現物だけでは」
イズモ「じゃあ、周囲の配線と接続先を確認しましょう」
異世界綾音「……了解です」
二人は、装置の構造を一つずつ確認していった。
制御回路。
電力系統。
安全装置。
そして、空間接続機構。
異世界綾音「……ここです」
イズモ「……はい?」
異世界綾音「この追加回路、空間接続制御系に接続されています」
イズモ「……探索範囲の変更に使っている?」
異世界綾音「可能性があります」
イズモ「……なるほど」
イズモは、観測記録を重ねた。
輸送中の空間変動。
世界線境界での異常通信。
そして、現在の装置の状態。
イズモ「……あれ?」
異世界綾音「どうしました?」
イズモ「……この値」
異世界綾音「……何か?」
イズモ「装置の内部に、微弱な空間変動が残っています」
異世界綾音「…………」
イズモ「電源は遮断されていますよね?」
異世界綾音「はい」
イズモ「外部からの接続も?」
異世界綾音「確認されていません」
イズモ「……じゃあ、なぜ……」
イズモは、観測範囲を広げた。
空間変動の位置が表示される。
しかし。
それは、装置の中心ではなかった。
追加された制御回路の周囲だった。
イズモ「……これ」
異世界綾音「……はい?」
イズモ「……装置が動いているんじゃありません」
異世界綾音「…………」
イズモ「……装置の周囲の空間が、まだ変化しています」
異世界綾音「……どういうことですか?」
イズモ「原因は分かりません。ただ、内部電源だけでは説明できない状態です」
異世界綾音「…………」
イズモ「……一度、観測装置の基準値を確認しましょう」
異世界綾音「……了解です」
双方の観測装置を使い、測定を繰り返す。
一回。
二回。
三回。
結果は変わらなかった。
異世界綾音「……同じですね」
イズモ「ええ」
異世界綾音「……装置からの放射では?」
イズモ「可能性はあります。でも、変動の中心が外装の外側にあります」
異世界綾音「…………」
イズモ「……もしかすると」
彼は、表示された空間分布を見つめた。
イズモ「……接続が、まだ完全には切れていないのかもしれません」
異世界綾音「……そんな」
イズモ「……理論上の可能性です。実際に接続されているかは、まだ分かりません」
異世界綾音「…………」
イズモ「ただ、安全確認が終わるまで、装置への直接操作は中止した方がよさそうですね」
異世界綾音「……同意します」
そのとき。
警告音が鳴った。
作業艦の観測装置に、異常値が表示される。
イズモ「……ん?」
異世界綾音「……何ですか?」
イズモ「空間変動が……」
数値が上昇していた。
しかし。
装置本体の状態は変わっていない。
イズモ「……外部から?」
異世界綾音「……そんなはずは」
警告音が、もう一段階高くなった。
作業艦オペレーター『技術主任! 貨物区画周辺の空間変動が増大しています!』
イズモ「確認しています!」
異世界綾音「……装置の制御系統には、変化がありません!」
イズモ「…………」
彼は、観測データを確認した。
空間変動の方向。
その中心。
そして。
変動が最も強い位置。
イズモ「……ちょっと待ってください」
異世界綾音「……はい?」
イズモ「……これ、装置から広がっていません」
異世界綾音「…………」
イズモ「外側から、装置へ向かっている……?」
異世界綾音「……外側?」
イズモ「……誰かが、接続しようとしている?」
作業艦の警告灯が赤く変わった。
接続要求
作業艦の司令室。
イズモは、貨物区画の隔離状況を確認した。
作業艦オペレーター『貨物区画の物理隔壁、閉鎖完了!』
イズモ「了解。周囲の作業員は?」
オペレーター『全員退避済みです!』
イズモ「……よし」
異世界綾音「装置の内部状態は変化していません」
イズモ「……ということは、外部からの干渉ですね」
異世界綾音「……可能性が高いです」
イズモ「……接続先は分かりますか?」
異世界綾音「……解析しています」
観測画面には、複数の波形が表示されていた。
異なる周期。
異なる強度。
しかし、ある部分だけは一致している。
異世界綾音「……これは」
イズモ「……何ですか?」
異世界綾音「……空間接続兵装の認証信号に似ています」
イズモ「……認証信号?」
異世界綾音「はい。接続先の装置が、正規の制御対象であることを確認するためのものです」
イズモ「……つまり?」
異世界綾音「……誰かが、装置へ接続要求を送っている可能性があります」
イズモ「…………」
イズモは、観測データを確認した。
一つ。
二つ。
三つ。
複数の信号が、短い間隔で到達している。
イズモ「……これ、全部同じ場所からですか?」
異世界綾音「……いいえ」
イズモ「…………」
異世界綾音「少なくとも、単一の接続元ではありません」
イズモ「……複数の世界線から?」
異世界綾音「……まだ断定できません。ただ、信号の空間的な特徴が一致していません」
イズモ「……なるほど」
オペレーター『技術主任! 変動強度、さらに上昇!』
イズモ「了解!」
異世界綾音「このままでは、接続が成立する可能性があります!」
イズモ「……遮断できますか?」
異世界綾音「……通常の制御装置なら可能ですが、今回は改造部分が不明です!」
イズモ「…………」
イズモは、少し考えた。
装置そのものに触れず、外部からの接続を遮断する。
それなら。
イズモ「……作業艦の空間隔離シールドを使います」
異世界綾音「……空間隔離?」
イズモ「はい。対象空間と周囲の空間的な干渉を抑える装置です」
異世界綾音「……そんな装置が?」
イズモ「ただし、完全な遮断は保証できません」
異世界綾音「…………」
イズモ「まず、接続の増大を止めます」
異世界綾音「……分かりました」
イズモは通信を開いた。
イズモ「作業艦司令室。空間隔離シールドの使用許可をお願いします」
作業艦艦長『……了解。ただし、貨物区画周辺に限定する』
イズモ「ありがとうございます」
艦長『乗員の退避を確認後に実施する』
イズモ「了解です」
数秒後。
作業艦の外部に、淡い光の膜が形成された。
貨物区画を含む一区画が、周囲から隔離される。
観測画面の数値が変化した。
オペレーター『空間変動の増大、停止!』
異世界綾音「……すごい」
イズモ「……まだです」
数値は、一定の範囲で上下していた。
イズモ「……完全には遮断できていません」
異世界綾音「……接続要求が残っています」
イズモ「ええ」
異世界綾音「……こちらの技術も、使えるかもしれません」
イズモ「……何でしょう?」
異世界綾音「戦略空間接続兵装には、接続先の安定性を調整する機能があります」
イズモ「……はい」
異世界綾音「その機能を利用すれば、接続の成立条件を厳しくできます」
イズモ「……なるほど」
異世界綾音「ただし、装置へ直接操作する必要があります」
イズモ「…………」
異世界綾音「……危険ですね」
イズモ「……ええ」
二人は、しばらく画面を見つめていた。
やがて、イズモが口を開いた。
イズモ「……装置そのものではなく、外部から同じような干渉を与えることはできますか?」
異世界綾音「……外部から?」
イズモ「はい。接続条件だけを変えるような」
異世界綾音「…………」
彼女は、少し考えた。
異世界綾音「……可能性はあります」
イズモ「……では」
異世界綾音「ただ、我々の装置単独では精度が足りません」
イズモ「……それなら」
イズモは、空間隔離シールドの制御画面を表示した。
イズモ「こちらのシールドで、作用範囲を限定します」
異世界綾音「…………」
イズモ「そちらの制御技術で、接続条件を調整する」
異世界綾音「……なるほど」
イズモ「……できますか?」
異世界綾音は、画面を見つめた。
そして、ゆっくりと頷いた。
異世界綾音「……試験する価値はあります」
イズモ「……ただし、安全な範囲で」
異世界綾音「もちろんです」
二人は、それぞれの技術資料を開いた。
一方は、防御と隔離を重視した設計。
もう一方は、空間接続を高精度に制御する設計。
思想も、用途も違う。
しかし。
扱っている物理現象は、同じだった。
二つの技術
作業艦の司令室には、複数の技術者が集まっていた。
異世界側からは、空間接続装置の専門技術者が参加している。
基準世界側からは、防御シールドの設計担当者。
その中央で、二人の技術主任が調整を進めていた。
異世界綾音「……接続条件を直接変更するのではなく、周囲の空間状態を調整して成立しにくくする」
イズモ「はい」
異世界綾音「……それなら、装置の制御権限を取得する必要がありません」
イズモ「ええ」
異世界綾音「ですが、通常の空間接続兵装は、そのような外部干渉にある程度耐える設計です」
イズモ「……でしょうね」
異世界綾音「簡単には遮断できません」
イズモ「なら、接続要求そのものを止める必要はありません」
異世界綾音「……え?」
イズモ「接続が成立しない状態を維持できれば、ひとまず十分です」
異世界綾音「…………」
イズモ「今回の目的は、装置の破壊でも完全停止でもありません」
異世界綾音「……安全な隔離ですね」
イズモ「はい」
異世界綾音は、ゆっくりと頷いた。
異世界綾音「……なるほど」
彼女は端末を操作した。
空間変動の予測結果が表示される。
異世界綾音「……では、接続条件の変化を観測しながら調整しましょう」
イズモ「了解です」
技術者たちが、それぞれの装置を準備する。
作業艦艦長『……全員、確認してください』
司令室が静かになった。
艦長『今回の作業は、未知の装置に対する隔離措置です。効果が確認できない場合、直ちに中止します』
イズモ「了解」
異世界綾音「了解しました」
艦長『……開始してください』
二つの制御装置が起動した。
基準世界側の空間隔離シールドが、作用範囲を限定する。
そこへ、異世界側の精密制御装置が干渉する。
観測数値が変化した。
オペレーター『空間変動、低下を確認!』
イズモ「……いいですね」
異世界綾音「まだ安定していません」
イズモ「……了解」
さらに調整する。
数値が下がる。
一瞬、再び上昇する。
異世界綾音「……接続要求が変化しています!」
イズモ「……追従しないでください!」
異世界綾音「……え?」
イズモ「未知の制御信号に合わせて調整すると、逆に接続を助ける可能性があります!」
異世界綾音「……なるほど!」
イズモ「現在の隔離条件を維持してください!」
異世界綾音「了解!」
数秒。
数値が上下する。
しかし。
ある値を超えることはなくなった。
オペレーター『……空間変動、安定しました!』
イズモ「…………」
異世界綾音「…………」
二人は、しばらく画面を見つめていた。
イズモ「……成功、ですかね」
異世界綾音「……少なくとも、接続の増大は抑えられています」
イズモ「……よかった」
異世界綾音「……ええ」
作業艦の司令室に、小さな安堵の声が広がった。
しかし、イズモはすぐに端末へ視線を戻した。
イズモ「……この状態を維持できる時間は?」
オペレーター『現在の消費電力なら、十分な余裕があります。ただし、継続時間は未検証です』
イズモ「……了解」
異世界綾音「こちらの装置も、継続運転が可能です」
イズモ「では、交代要員を配置して監視を続けましょう」
艦長『了解した』
イズモは、ようやく椅子に腰掛けた。
その隣で、異世界綾音が小さく笑った。
異世界綾音「……本当に、そちらの技術は不思議ですね」
イズモ「……そうですか?」
異世界綾音「ええ。空間を遮断するために、ここまで精密な制御をするなんて」
イズモ「……そちらこそ」
異世界綾音「……はい?」
イズモ「接続条件の調整精度、かなり高いですね」
異世界綾音「……軍用ですから」
イズモ「……なるほど」
異世界綾音「……でも」
彼女は、観測画面を見つめた。
異世界綾音「……今回みたいな使い方は、考えたことがありませんでした」
イズモ「……そうなんですか?」
異世界綾音「ええ」
イズモ「……じゃあ、一つ増えましたね」
異世界綾音「……何が?」
イズモ「使い道が」
異世界綾音「…………」
彼女は、しばらく何も言わなかった。
そして。
異世界綾音「……そうですね」
小さく笑った。
戦争が終わらない理由
隔離措置の安定が確認されたあと。
異世界綾音は、第一機動艦隊へ報告を送った。
イズモも、第一調停艦隊へ状況を共有した。
そして、双方の技術主任は一つの事実を確認していた。
今回の装置は、輸送船の乗員が操作していない状態でも、外部からの接続要求を受けていた可能性が高い。
しかし。
その接続元は不明だった。
目的も不明。
そして、接続が成立した場合に何が起きるのかも、まだ分かっていなかった。
イズモ「……一つ気になりますね」
異世界綾音「……何でしょう?」
イズモ「この装置、戦域の中心部へ運ばれる予定だったんですよね」
異世界綾音「……はい」
イズモ「そこに、何があるんでしょう」
異世界綾音「…………」
イズモ「単なる攻撃目標なら、ここまで特殊な接続方式を使う必要があるのか……」
異世界綾音「……確かに」
イズモ「……目的地の情報、調べられますか?」
異世界綾音「……確認してみます」
彼女は軍用端末を開いた。
第七戦域。
座標検索。
数秒後。
画面に、戦域の地図が表示された。
異世界綾音「……この座標ですね」
イズモ「……はい」
異世界綾音「……少し待ってください」
イズモ「……何か?」
異世界綾音「……ここには、現在使用されている軍事施設がありません」
イズモ「……え?」
異世界綾音「記録上は、廃棄された旧施設です」
イズモ「……旧施設?」
異世界綾音「はい」
彼女は施設情報を開いた。
名称。
建設年。
運用終了年。
そして、旧用途。
異世界綾音「……これは」
イズモ「……何でしょう?」
異世界綾音「……停戦監視施設です」
イズモ「…………」
異世界綾音「第七戦域で最初の停戦協議が行われたときに設置された、共同監視施設の一つです」
イズモ「……なるほど」
異世界綾音「戦闘状況を記録し、双方の合意違反を確認するために使われていたようです」
イズモ「……なぜ廃止されたんですか?」
異世界綾音「……確認します」
彼女は資料を開いた。
しかし。
画面には、閲覧制限の表示が現れた。
異世界綾音「……また、機密指定」
イズモ「…………」
異世界綾音「……おかしいですね」
イズモ「……何が?」
異世界綾音「停戦監視施設の運用終了理由が、戦略機密に指定されています」
イズモ「……施設の具体的な設備ではなく?」
異世界綾音「……はい」
イズモ「……なるほど」
異世界綾音「通常なら、施設の運用終了自体がそこまで厳重に秘匿されることはありません」
イズモ「…………」
異世界綾音「……何か、特別な理由があったのかもしれません」
イズモは、表示された座標を見つめた。
戦争を終わらせるための停戦監視施設。
そこへ運ばれる予定だった、戦略空間接続兵装。
そして、戦争の継続を許容するという命令。
イズモ「……まだ、分かりませんね」
異世界綾音「……ええ」
イズモ「でも、一つ言えることがあります」
異世界綾音「……何でしょう?」
イズモ「この装置の用途を確認せずに破壊するのは、危険です」
異世界綾音「……同感です」
イズモ「……もし、あの装置が何かを維持しているなら」
異世界綾音「…………」
イズモ「……壊した瞬間に、その状態が失われる可能性もあります」
異世界綾音「……はい」
彼女は、しばらく考えていた。
そして。
異世界綾音「……最上技術主任」
イズモ「はい?」
異世界綾音「……私たちの世界では、こういう場合」
イズモ「…………」
異世界綾音「……危険性を完全に排除できない装置は、破壊する判断が優先されることがあります」
イズモ「……そうでしょうね」
異世界綾音「今回も、当初はそう判断していたと思います」
イズモ「…………」
異世界綾音「でも……」
彼女は、空間隔離シールドの制御画面を見つめた。
異世界綾音「……今は、違います」
イズモ「……どう違いますか?」
異世界綾音「……安全に調べる方法が、一つ見つかったので」
イズモ「…………」
イズモは、少し笑った。
イズモ「……そうですね」
第一機動艦隊からの呼び出し
その直後。
異世界綾音の端末に、通信が入った。
異世界イズモからだった。
異世界綾音「……司令?」
異世界イズモ『現在の調査状況を確認しました』
異世界綾音「はい」
異世界イズモ『……まず、装置の隔離に成功したことを評価します』
異世界綾音「ありがとうございます」
異世界イズモ『最上技術主任も、そこにいますか?』
イズモ「はい。こちらにいます」
異世界イズモ『……ちょうどよかった』
イズモ「……何かありましたか?」
異世界イズモ『……第七戦域について、少し調べていました』
イズモ「……はい」
異世界イズモ『あなた方が発見した座標についても、確認しています』
イズモ「……停戦監視施設ですね」
異世界イズモ『……そうです』
異世界綾音「司令。施設の運用終了理由が機密指定になっています」
異世界イズモ『……確認しました』
イズモ「……何か分かりましたか?」
異世界イズモ『……完全な情報ではありませんが』
彼は、少し間を置いた。
異世界イズモ『……あの施設では、過去に重大な事故が発生しています』
異世界綾音「……事故?」
異世界イズモ『はい』
イズモ「……どのような?」
異世界イズモ『停戦合意が成立した直後、施設の空間接続装置が暴走したそうです』
イズモ「…………」
異世界イズモ『その結果、施設周辺の複数の世界線接続が不安定化しました』
異世界綾音「……それで廃止されたんですか?」
異世界イズモ『……記録上は、そうなっています』
イズモ「……なるほど」
異世界イズモ『しかし、妙な点があります』
イズモ「……何でしょう?」
異世界イズモ『事故の発生時刻です』
彼は、資料を表示した。
停戦合意成立。
その直後に、空間接続装置の異常。
そして、施設の閉鎖。
異世界イズモ『……事故は、停戦合意の成立から十分以内に発生しています』
イズモ「…………」
異世界綾音「……偶然でしょうか」
異世界イズモ『……分かりません』
イズモ「……ただ、今回の装置も、空間接続に関係していますね」
異世界イズモ『……ええ』
イズモ「…………」
異世界イズモ『そして、今回の輸送計画にも、停戦成立後の作戦継続に関する記述があったようです』
イズモ「……はい」
異世界イズモ『……これらが関連しているかどうか、調べる必要があります』
イズモ「……同感です」
異世界イズモ『それと、もう一つ』
イズモ「はい?」
異世界イズモ『……第七戦域の最新の停戦協議について、確認しました』
イズモ「……十八日前の?」
異世界イズモ『そうです』
異世界綾音「……何か分かりましたか?」
異世界イズモ『……公式記録では、交渉は決裂しています』
イズモ「……はい」
異世界イズモ『しかし、第一機動艦隊に残っていた別の記録では……』
彼は、しばらく黙った。
異世界イズモ『……交渉は、最終段階まで進んでいたようです』
イズモ「…………」
異世界綾音「……では、なぜ決裂したんですか?」
異世界イズモ『……それを調べています』
イズモ「……なるほど」
異世界イズモ『ただ、少なくとも一つ、確認できたことがあります』
イズモ「……何でしょう?」
異世界イズモ『……交渉が中断されたのは、現地の交渉担当者が拒否したからではありません』
イズモ「…………」
異世界イズモ『中央管理局から、交渉の一時停止命令が出されていました』
異世界綾音「……中央管理局が?」
異世界イズモ『……はい』
イズモ「……理由は?」
異世界イズモ『……現時点では、不明です』
通信画面に、短い沈黙が流れた。
イズモは資料を見つめた。
十九年間、終わらなかった戦争。
十八日前の停戦交渉。
中央管理局による交渉停止命令。
そして。
戦域の中心へ運ばれる予定だった、未知の装置。
イズモ「……一つ、可能性として考えていいですか?」
異世界イズモ『……どうぞ』
イズモ「……中央管理局が、戦争を終わらせたくなかったという可能性です」
異世界綾音「…………」
異世界イズモ『…………』
イズモ「……もちろん、現時点では仮説です」
異世界イズモ『……ええ』
イズモ「でも、交渉が成立しそうな段階で停止命令が出ているなら、その理由を確認する必要があります」
異世界イズモ『……同感です』
イズモ「……ただし」
異世界イズモ『……はい?』
イズモ「中央管理局の判断にも、私たちが知らない理由があるかもしれません」
異世界イズモ『…………』
イズモ「例えば、停戦後により大きな危険が発生すると判断していたとか」
異世界イズモ『……可能性はあります』
イズモ「だから、まず理由を確認しましょう」
異世界イズモ『……分かりました』
異世界綾音「……司令」
異世界イズモ『何でしょう?』
異世界綾音「……私たち、何を運ぼうとしていたんでしょうね」
異世界イズモ『…………』
異世界綾音「戦争を終わらせるための兵器なのか、それとも……」
彼女は言葉を止めた。
異世界イズモは、しばらく答えなかった。
そして。
異世界イズモ『……まだ分かりません』
異世界綾音「…………」
異世界イズモ『ですが、分からないまま使わせるわけにはいきませんね』
イズモ「……ええ」
異世界イズモ『調査を続けましょう』
残り二時間
第一調停艦隊の旗艦では、綾音が中央管理局からの回答を待っていた。
特別執行艦隊を通じて提出した、引き渡し期限の延長申請。
その回答は、まだ正式には届いていない。
しかし。
先ほど橘から、非公式の連絡があった。
延長は認められない見込みだという。
綾音「…………」
彼女は、医療艦の状況を確認した。
救助者二百十四名。
全員生存。
ただし、一部は移動に耐えられる状態ではない。
重症者については、引き続き医療設備の維持が必要だった。
綾音「……医療主任」
医療主任『はい』
綾音「現時点で、患者を全員移送することは可能ですか?」
医療主任『……不可能です』
綾音「……了解」
医療主任『一部の患者は、移送中の生命維持が困難になる可能性があります』
綾音「……分かりました」
医療主任『それに、四名の重要保護対象者については、まだ容体が安定していません』
綾音「……はい」
医療主任『移送の必要性が医学的な危険を上回るか、慎重な判断が必要です』
綾音「……当然です」
通信が終了する。
綾音は、端末を操作した。
救助者の引き渡しについて、現時点の方針を整理する。
医療上の安全確認が完了するまで、移送は行わない。
本人の帰還意思を確認する。
所属世界側との調整を継続する。
そして、いかなる強制措置についても、患者への影響を最優先で評価する。
綾音は、その内容を確認した。
綾音「……よし」
指揮通信を開く。
綾音「第一調停艦隊、各艦へ」
オペレーター『全艦接続しました』
綾音「現在、異世界側との協議が継続しています」
艦隊各艦から、受信確認が返ってくる。
綾音「ただし、引き渡し期限の延長は、まだ認められていません」
短い沈黙。
綾音「今後、特別執行艦隊が強制措置を実施する可能性があります」
オペレーター『……了解』
綾音「各艦は、防御態勢の準備を進めてください」
複数の艦から確認が返ってきた。
綾音「ただし、こちらから攻撃を開始することは認めません」
オペレーター『了解』
綾音「通信、航行、医療活動を妨害された場合は、まず状況を記録し、警告と退避措置を優先します」
綾音「武力による対応が必要になった場合も、相手の生命を危険にさらさない方法を優先してください」
艦隊各艦から、次々と応答が返ってきた。
第一調停艦隊。
その艦艇の多くは、直接的な攻撃能力を持っている。
しかし、その設計思想は異なる。
相手を破壊するためだけの兵器ではない。
動きを止める。
攻撃を遮断する。
武装を無力化する。
乗員を保護する。
そして、戦闘そのものを終わらせる。
そのための艦隊だった。
綾音「……以上です」
通信が終了した。
オペレーター「……司令」
綾音「はい?」
オペレーター「……もし、向こうが攻撃してきたら」
綾音「…………」
オペレーター「……本当に、こちらから反撃しないんですか?」
綾音は、少し考えた。
綾音「……必要な反撃はします」
オペレーター「……はい」
綾音「でも、反撃することと、相手を殺すことは同じではありません」
オペレーター「…………」
綾音「私たちには、それを区別するための技術があります」
オペレーター「……了解しました」
綾音は、窓の向こうを見た。
特別執行艦隊。
六隻。
そのすべてが、第一調停艦隊よりも大きな攻撃能力を持っている。
少なくとも、現時点で確認できる兵装だけでも。
綾音「…………」
彼女は、もう一度通信端末を確認した。
イズモからの報告。
輸送船の装置について、重要な情報が得られつつある。
ただし、解析には時間が必要。
綾音「……あと二時間、か」
小さく呟いた。
消された記録
共同調査班の解析室では、輸送船の航行記録について追加の確認が行われていた。
イズモは、セイルから提供された資料を照合していた。
異世界綾音は、正式な輸送命令の記録を確認している。
イズモ「……この部分、消去されていますね」
異世界綾音「……はい」
イズモ「復元できそうですか?」
異世界綾音「……一部なら」
イズモ「……お願いします」
異世界綾音は端末を操作した。
破損した記録領域。
削除された航行履歴。
しかし、装置の保守記録には、一部の情報が残っていた。
異世界綾音「……ありました」
イズモ「……何が?」
異世界綾音「……貨物区画の監視記録です」
イズモ「……なるほど」
異世界綾音「出発直前に、装置の制御設定が変更されています」
イズモ「……変更内容は?」
異世界綾音「……確認します」
画面に、複数の設定項目が表示された。
通常の空間接続制御。
緊急遮断機能。
接続先の識別条件。
そして。
見慣れない項目。
異世界綾音「……これは」
イズモ「……何でしょう?」
異世界綾音「……『停戦状態監視』?」
イズモ「…………」
彼女は、設定項目を拡大した。
『対象戦域・停戦成立判定:外部制御』
イズモ「……外部制御?」
異世界綾音「……はい」
イズモ「……どういう意味でしょう」
異世界綾音「……分かりません。この項目、正式な設計仕様には存在しません」
イズモ「…………」
異世界綾音「追加された制御回路に関連している可能性があります」
イズモ「……なるほど」
イズモは、設定の変更履歴を確認した。
変更時刻。
輸送船の出発直前。
そして、変更内容。
『停戦成立判定:保留』
イズモ「…………」
異世界綾音「……これ」
イズモ「……はい」
異世界綾音「……停戦が成立したかどうかを、装置が判断する設定だったんでしょうか」
イズモ「……可能性はあります」
異世界綾音「でも、戦略空間接続兵装に、そんな機能は……」
イズモ「……通常は必要ありませんね」
異世界綾音「……はい」
イズモは、さらに履歴を確認した。
最後に変更された項目。
『作戦継続条件:維持』
イズモ「…………」
異世界綾音「…………」
二人は、しばらく何も言わなかった。
やがて。
イズモ「……一つ、確認したいです」
異世界綾音「……何でしょう?」
イズモ「この装置、停戦が成立した場合に何かをするんでしょうか」
異世界綾音「……分かりません」
イズモ「あるいは、停戦が成立しない限り、何かを維持する……?」
異世界綾音「…………」
イズモ「……どちらなのか、まだ判断できませんね」
異世界綾音「……ええ」
そのとき。
端末に、新しい記録が表示された。
異世界綾音「……待ってください」
イズモ「……はい?」
異世界綾音「……設定変更の直前に、別の命令が届いています」
イズモ「……何の命令ですか?」
異世界綾音「……停戦監視機能の更新命令です」
イズモ「…………」
彼女は、記録を開いた。
短い命令文。
そこには、こう記されていた。
『第七戦域における停戦成立判定は、現地の軍事状況にかかわらず、中央管理局の承認を必要とする』
イズモ「…………」
異世界綾音「……これは」
イズモは、画面を見つめた。
停戦の成立を、中央管理局が承認する。
そのこと自体は、軍事組織の運用として考えられなくもない。
しかし。
装置の制御条件にまで、組み込まれている。
イズモ「……確認しましょう」
異世界綾音「……何を?」
イズモ「この『停戦成立判定』が、何を制御しているのかです」
異世界綾音「……はい」
イズモ「ただの監視機能なのか」
彼は、追加された制御回路の映像を表示した。
イズモ「……それとも、空間接続装置の動作そのものに関係しているのか」
異世界綾音「…………」
イズモ「もし後者なら……」
彼は、言葉を止めた。
異世界綾音「……停戦が成立しても」
イズモ「…………」
異世界綾音「……中央管理局が承認しない限り、装置は動作を継続する?」
イズモ「……その可能性があります」
二人の間に、沈黙が流れた。
そして。
異世界綾音「……それって」
イズモ「…………」
異世界綾音「……戦争が終わっても、兵器が止まらないということですか?」
イズモは、すぐには答えなかった。
イズモ「……まだ、分かりません」
異世界綾音「…………」
イズモ「でも、その可能性を無視するわけにはいきませんね」
中央管理局の回答
特別執行艦隊の司令室。
橘は、中央管理局からの新しい命令書を受け取っていた。
先ほど提出した、装置の危険性に関する報告への回答。
そこには、短い文章が記されていた。
『対象装置の解析継続は、機密保護上の重大な危険を伴う』
続く文章。
『共同調査による機密情報の拡散を防止するため、対象装置の管理権限を特別執行艦隊へ移管する』
橘「…………」
彼女は、文書を読み進めた。
移管期限。
当初の引き渡し期限と同じ。
そして。
『期限内に管理権限の移管が完了しない場合、特別執行艦隊は必要な強制措置を実施すること』
橘「…………」
技術参謀「……司令」
橘「……何でしょう」
技術参謀「……中央管理局は、装置の解析を中止させるつもりのようですね」
橘「……そうですね」
技術参謀「ですが、装置の危険性はまだ確認できていません」
橘「……ええ」
技術参謀「……どうしますか?」
橘は、しばらく考えていた。
命令は明確だった。
管理権限を移管する。
それができなければ、強制措置。
しかし。
装置の破壊が何を引き起こすかは、まだ分からない。
そして、第一調停艦隊は負傷者の保護を優先している。
橘「……基準世界側へ、正式な通達を送ってください」
技術参謀「……了解」
橘「ただし、装置の危険性評価が完了するまで、破壊措置については保留するよう意見を付けてください」
技術参謀「……中央管理局へ?」
橘「ええ」
技術参謀「……承知しました」
橘は、窓の向こうを見た。
遠方には、第一調停艦隊。
そのさらに向こうには、第一機動艦隊。
同じ旗。
同じ名称。
しかし。
三つの指揮系統は、異なる判断を下そうとしていた。
橘「…………」
彼女は端末を操作した。
中央管理局への意見書。
内容を確認する。
『対象装置の特性が未解明であるため、強制的な破壊措置は予期せぬ危険を引き起こす可能性がある』
『共同調査を継続することが、機密保護上も合理的であると判断する』
『期限の再検討を要請する』
橘は、送信ボタンを押した。
そして。
小さく息を吐いた。
橘「……お願いしますよ」
誰に向けた言葉なのか。
彼女自身にも、はっきりとは分からなかった。
第一調停艦隊・緊急協議
イズモが旗艦へ戻ったのは、引き渡し期限まで一時間半を切ったころだった。
会議室には、綾音が待っていた。
綾音「……お疲れさま」
イズモ「ありがとうございます」
綾音「……状況は聞いたわ」
イズモ「……はい」
綾音「装置の隔離には成功したのね」
イズモ「ええ。今のところ安定しています」
綾音「……よかった」
イズモ「ただし、完全な停止ではありません」
綾音「……そうね」
イズモは椅子に座った。
綾音は、中央管理局からの通達を表示した。
綾音「……それと、こちらにも連絡が来たわ」
イズモ「……何でしょう?」
綾音「装置の管理権限を、特別執行艦隊へ移管するように、って」
イズモ「…………」
イズモは文書を確認した。
イズモ「……なるほど」
綾音「……どう思う?」
イズモ「……現時点では、移管そのものが不可能とは思いません」
綾音「……え?」
イズモ「管理権限を移すことと、装置をすぐに移動させることは別ですから」
綾音「……なるほど」
イズモ「ただし、安全な管理方法が確認されるまでは、現在の隔離状態を維持する必要があります」
綾音「……そうね」
イズモ「それに、装置の解析を完全に中止すると、危険性を確認できなくなります」
綾音「……ええ」
イズモ「だから、条件付きで交渉するのがいいと思います」
綾音「……例えば?」
イズモ「管理権限は共同で維持する。装置の移動は安全性が確認されるまで行わない」
綾音「……なるほど」
イズモ「それと、解析結果は双方の監査記録に残す」
綾音「……いいわね」
イズモ「ただし、機密情報そのものは必要以上に共有しません」
綾音「……分かった」
彼女は端末を操作した。
綾音「……それで、もう一つ」
イズモ「……はい?」
綾音「今回の装置について、中央管理局が何か隠している可能性があるのよね」
イズモ「……可能性はあります」
綾音「……どの程度?」
イズモは少し考えた。
イズモ「……少なくとも、装置の正式な仕様と、実際の動作が一致していません」
綾音「……はい」
イズモ「それに、装置の設定変更が中央管理局の命令と関係している可能性があります」
綾音「…………」
イズモ「でも、それが不正なのか、正当な機密任務なのかは、まだ判断できません」
綾音「……そうね」
イズモ「……一つだけ、気になることがあります」
綾音「何?」
イズモ「……もし、中央管理局が装置の危険性を知っているなら」
綾音「…………」
イズモ「……なぜ、回収を急ぐんでしょう」
綾音「……機密保護のため、じゃない?」
イズモ「もちろん、その可能性はあります」
綾音「……ほかには?」
イズモ「……解析されると困る情報がある可能性です」
綾音「…………」
イズモ「……あるいは、装置をそのままにしておけない理由があるのかもしれません」
綾音「……なるほど」
イズモ「どちらも、まだ仮説です」
綾音「……分かった」
彼女は、しばらく資料を見つめていた。
そして。
綾音「……イズモ」
イズモ「はい?」
綾音「……あなたなら、どうする?」
イズモ「……何をですか?」
綾音「……もし、中央管理局が本当に戦争を続けようとしていたら」
イズモ「…………」
綾音「……私たちは、どこまで関わるべきだと思う?」
イズモは、すぐには答えなかった。
窓の向こう。
同じ旗を掲げた二つの艦隊。
その間には、特別執行艦隊がいる。
イズモ「……まず、事実を確認します」
綾音「……ええ」
イズモ「それから、当事者の意思を確認します」
綾音「……当事者?」
イズモ「戦争を続けている人たちだけじゃありません」
綾音「…………」
イズモ「そこで暮らしている人たちです」
綾音「……なるほど」
イズモ「そのうえで、私たちにできることを考えます」
綾音「…………」
イズモ「……ただ」
綾音「……はい?」
イズモ「戦争を止めるために、別の世界の主権を無視して介入するのは、違うと思います」
綾音「……そうね」
イズモ「だから、こちらの判断だけで何かを決めるつもりはありません」
綾音「…………」
イズモ「でも、今ここにいる人たちを守る責任はあります」
綾音「……ええ」
イズモ「……まずは、それを優先しましょう」
綾音は、小さく頷いた。
綾音「……分かった」
最後の記録
そのとき。
イズモの端末が鳴った。
共同調査班からの緊急連絡。
イズモ「……はい」
技術班オペレーター『技術主任! 輸送船の記録装置から、新しい情報が見つかりました!』
イズモ「……何でしょう?」
オペレーター『削除された航行記録の一部を復元できました』
イズモ「……内容は?」
オペレーター『……出発直前に受信した、中央管理局からの命令です』
イズモ「……はい」
オペレーター『ただし、通常の輸送命令とは形式が異なっています』
イズモ「……どういう意味ですか?」
オペレーター『……停戦監視施設に関する、特別な運用命令のようです』
イズモ「…………」
綾音が顔を上げた。
イズモ「……内容を送ってください」
オペレーター『了解』
数秒後。
端末に、一つの文書が表示された。
文書番号。
発行部門。
発行時刻。
そして、命令内容。
イズモは、ゆっくりと読み始めた。
『第七戦域・戦略接続管理計画』
『目的:対象戦域における空間接続状態の安定維持』
イズモ「…………」
綾音「……空間接続状態?」
イズモ「……はい」
文書は続いていた。
『対象戦域の紛争状態を、接続環境維持に必要な外部条件として扱う』
イズモ「…………」
綾音「……え?」
さらに。
『停戦成立に伴う接続環境の変化が確認された場合、中央管理局の承認まで接続制御状態を維持すること』
綾音「…………」
イズモは、文書を見つめた。
戦争。
空間接続。
停戦。
それらが、一つの運用計画の中で結び付けられている。
イズモ「……なるほど」
綾音「……これって」
イズモ「……まだ、直接的な意味は分かりません」
綾音「…………」
イズモ「でも、少なくとも……」
彼は、文書の一部分を拡大した。
『紛争状態を、接続環境維持に必要な外部条件として扱う』
イズモ「……この装置の運用が、戦争の継続と関係している可能性があります」
綾音「…………」
オペレーター『……技術主任』
イズモ「……はい?」
オペレーター『それと、もう一つあります』
イズモ「……何でしょう?」
オペレーター『……この命令、発行されたのは十八日前です』
イズモ「…………」
綾音「……十八日前?」
イズモ「……停戦協議が中断された日ですね」
オペレーター『……はい』
イズモは、資料を見つめた。
同じ日。
停戦協議の中断。
特別な装置の運用命令。
そして、輸送計画の変更。
イズモ「……なるほど」
彼は、しばらく何も言わなかった。
やがて。
イズモ「……この文書の真正性を確認してください」
オペレーター『了解』
イズモ「発行元、認証情報、変更履歴。確認できるものはすべて」
オペレーター『……承知しました』
イズモ「それと、この計画がいつから存在していたのかも」
オペレーター『……了解です』
通信が終了した。
綾音は、静かに口を開いた。
綾音「……もし、これが本物なら」
イズモ「…………」
綾音「……戦争が終わらない理由に、関係しているのかもしれないわね」
イズモ「……そうですね」
綾音「…………」
イズモ「ただし、まだ因果関係は確認できていません」
綾音「……ええ」
イズモ「この装置が戦争を継続させているのか」
彼は、文書を見つめた。
イズモ「……それとも、戦争が続いているから、この装置が使えるのか」
綾音「…………」
イズモ「……そこを間違えると、判断を誤ります」
綾音「……そうね」
二人は、しばらく資料を見つめていた。
特別執行艦隊・新たな命令
同じころ。
橘の端末に、中央管理局から新しい命令が届いていた。
彼女は、その内容を確認した。
そして。
手が止まった。
橘「…………」
文書には、短い命令が記されていた。
『対象装置の管理権限移管を、最優先で実施すること』
『対象装置の運用記録及び制御設定に関する解析は、直ちに中止させること』
橘「…………」
技術参謀「……司令?」
橘は、文書の続きを読んだ。
『なお、対象装置の管理権限移管が不可能となった場合、機密情報の流出を防止するための最終保全措置を実施すること』
その下に。
最終保全措置の具体的な内容が記されていた。
『対象装置及び関連記録媒体の完全破壊』
橘「…………」
技術参謀「……司令」
橘「……はい」
技術参謀「……どうされました?」
橘は、ゆっくりと顔を上げた。
橘「……中央管理局から、新しい命令です」
技術参謀「……内容は?」
橘「……対象装置の完全回収」
技術参謀「……はい」
橘「それが不可能な場合は……」
彼女は、わずかに言葉を止めた。
橘「……破壊するように、と」
技術参謀「…………」
橘「……ただし」
技術参謀「……はい?」
橘「……先ほど報告した技術的危険性について、何も回答されていません」
技術参謀「……では」
橘「……もう一度、照会してください」
技術参謀「……了解しました」
橘「装置の破壊によって、空間接続異常が発生する可能性があると」
技術参謀「……はい」
橘「……その危険性を承知したうえでの命令なのか、確認を求めます」
技術参謀「承知しました」
橘は、窓の向こうを見た。
特別執行艦隊の六隻。
その砲塔は、まだ待機位置にある。
しかし。
あと一時間ほどで。
彼女は、判断を迫られる。
橘「…………」
彼女は、指揮端末を開いた。
そして、一つの命令を入力した。
『全艦、戦闘準備態勢へ移行。ただし、武器使用には司令官の個別承認を必要とする』
送信。
六隻から、確認応答が返ってきた。
橘「…………」
彼女は、ゆっくりと息を吐いた。
同じ旗の下で
第一調停艦隊。
第一機動艦隊。
特別執行艦隊。
三つの艦隊は、今も同じ宙域に留まっていた。
互いの距離は、ほとんど変わっていない。
しかし。
状況は、確実に変化していた。
第一調停艦隊では、防御シールドの点検が進んでいる。
第一機動艦隊では、異世界イズモが中央管理局への照会を続けている。
そして、特別執行艦隊では、六隻すべてが戦闘準備態勢へ移行した。
その情報は、すぐに第一調停艦隊へ届いた。
綾音「……来たわね」
イズモ「……はい」
綾音「特別執行艦隊、全艦が戦闘準備態勢へ移行」
イズモ「……そうですか」
綾音「まだ、こちらへ照準を向けてはいないわ」
イズモ「……ええ」
綾音「……どうする?」
イズモは、窓の向こうを見た。
六隻の艦影。
砲塔は、まだ動いていない。
イズモ「……まず、橘司令官へ連絡しましょう」
綾音「……分かった」
通信を開く。
数秒後。
橘の姿が表示された。
橘『……最上技術主任。綾音司令』
綾音「橘司令官。現在の状況について確認させてください」
橘『……はい』
綾音「特別執行艦隊が、戦闘準備態勢へ移行したと聞いています」
橘『……事実です』
イズモ「……理由を聞いても?」
橘『中央管理局から、対象装置の回収を最優先とする命令が出ています』
イズモ「……なるほど」
橘『……期限は、予定どおりです』
綾音「……延長は?」
橘『……認められませんでした』
綾音「…………」
イズモ「……分かりました」
橘『……最上技術主任』
イズモ「はい?」
橘『……お願いがあります』
イズモ「何でしょう?」
橘『……対象装置の管理権限を、我々へ移管してください』
イズモ「…………」
橘『……そうすれば、強制措置を実施する必要はありません』
イズモは、少し考えた。
イズモ「……管理権限の移管については、協議できます」
橘『……ありがとうございます』
イズモ「ただし、装置の物理的な移動や破壊は、まだ認められません」
橘『…………』
イズモ「現在、装置は外部からの接続要求を受けている可能性があります」
橘『……報告は確認しています』
イズモ「その状態で破壊した場合、何が起きるか分かりません」
橘『……承知しています』
イズモ「ですから、安全性を確認するまで、現在の隔離状態を維持したいです」
橘『…………』
綾音「こちらとしても、共同管理を継続することを提案します」
橘『……分かりました』
イズモ「……ありがとうございます」
橘『ただし、中央管理局の承認が必要です』
イズモ「……ええ」
橘『……私からも、再度要請します』
綾音「……お願いします」
橘は、しばらく黙っていた。
そして。
橘『……最上技術主任』
イズモ「はい?」
橘『……一つ、個人的な質問をしてもよろしいでしょうか』
イズモ「……どうぞ」
橘『……もし、あの装置が本当に重大な危険を持っていたとして』
イズモ「…………」
橘『……それでも、破壊を避けるべきだと思いますか?』
イズモは、すぐには答えなかった。
そして。
イズモ「……避けられるなら、避けたいですね」
橘『…………』
イズモ「でも、破壊以外に方法がないと確認されたなら、その判断も必要になると思います」
橘『……そうですか』
イズモ「ただし」
橘『……はい?』
イズモ「破壊することが安全だと、確認できている場合に限ります」
橘『…………』
イズモ「未知の装置を壊して、さらに大きな危険が発生したら意味がありませんから」
橘『……そのとおりですね』
イズモ「…………」
橘『……ありがとうございます』
通信が終了した。
綾音は、小さく息を吐いた。
綾音「……まだ、交渉できそうね」
イズモ「……ええ」
綾音「……でも、時間がないわ」
イズモ「……そうですね」
壁面に表示された時計。
引き渡し期限まで。
残り、五十八分。
終わらない戦争
第一機動艦隊の旗艦。
異世界イズモは、中央管理局から届いた最後の照会結果を確認していた。
第七戦域。
十八日前の停戦協議。
その中断理由。
ようやく、一部の記録が開示された。
しかし。
内容は、彼の予想とは違っていた。
異世界イズモ「…………」
停戦協議は、決裂していなかった。
少なくとも、現地の交渉担当者同士は、基本条件に合意していた。
戦闘停止。
補給路の共同監視。
捕虜交換。
民間人の帰還。
そして、軍事施設の段階的撤去。
すべての条件が、最終承認を待つ状態だった。
異世界イズモ「……なぜ」
彼は、次の記録を開いた。
中央管理局からの命令。
『停戦合意の最終承認を保留する』
理由。
『戦略空間接続環境の維持に関する懸念』
異世界イズモ「…………」
さらに、補足文書。
そこには、短い文章が記されていた。
『対象戦域における大規模な軍事活動の停止が、既存の空間接続構造へ与える影響は未評価である』
異世界イズモ「…………」
戦争が終わることで、空間接続環境が変化する。
そんな可能性が、中央管理局では検討されていた。
しかし。
その検討のために。
停戦合意が保留されていた。
異世界イズモは、しばらく資料を見つめていた。
やがて、通信端末を開く。
異世界イズモ「……綾音」
異世界綾音『はい、司令』
異世界イズモ「……第七戦域の停戦協議について、新しい情報が入りました」
異世界綾音『……何でしょう?』
異世界イズモ「……交渉は、現地では成立していました」
異世界綾音『…………』
異世界イズモ「しかし、中央管理局が最終承認を保留していたようです」
異世界綾音『……理由は?』
異世界イズモ「……空間接続環境への影響が不明だから、というものです」
異世界綾音『…………』
異世界イズモ「……その判断が妥当だったのか、今から検証します」
異世界綾音『……了解しました』
異世界イズモ「それと、最上技術主任にも共有してください」
異世界綾音『……よろしいのですか?』
異世界イズモ「……必要な範囲で構いません」
異世界綾音『……承知しました』
通信が終了する。
異世界イズモは、窓の向こうを見た。
遠方では、特別執行艦隊が戦闘準備態勢へ移行している。
そのさらに向こうには、第一調停艦隊。
自分と同じ名前の技術主任が乗っている艦隊。
異世界イズモ「…………」
彼は、ゆっくりと目を閉じた。
十二年前。
第七戦域で、最初の作戦を指揮した。
敵の補給拠点を破壊した。
その作戦は成功した。
しかし、戦争は終わらなかった。
その後も、何度も作戦を繰り返した。
そのたびに、何人もの部下を失った。
そして、敵の兵士も。
民間人も。
何度も。
何度も。
異世界イズモ「……我々は」
彼は、小さく呟いた。
異世界イズモ「……何のために、戦っていたんでしょうね」
答える者はいなかった。
医療艦・セイルの病室
セイル・ハーディは、窓の向こうを見つめていた。
遠方では、特別執行艦隊の六隻が戦闘準備態勢に入っている。
病室の端末には、その情報が簡潔に表示されていた。
セイル「…………」
彼は、ベッドの上に置いた古い業務用端末を手に取った。
輸送船から持ち出した、唯一の記録。
そこには、出発直前の命令文が残されていた。
『対象戦域における紛争継続を、作戦上の許容条件とする』
セイルは、その文章を見つめた。
何度も読んだ。
何度も考えた。
しかし。
あの命令が何を意味していたのか。
まだ、分からなかった。
ただ一つ。
忘れられないことがある。
輸送船の機関長が、出発前に言っていた言葉。
『……戦争を終わらせるための装置なら、なぜ停戦が成立したあとも動かす必要があるんだ?』
そのときは、誰も答えられなかった。
セイル「…………」
彼は端末を閉じた。
そして、窓の向こうを見た。
同じ旗を掲げた三つの艦隊。
遠くで、小さな航行灯が点滅している。
セイル「……お願いです」
彼は、静かに呟いた。
セイル「……今度こそ」
少しだけ、声が震えた。
セイル「……終わらせてください」
第一調停艦隊の旗艦では、イズモが新しい報告を受け取っていた。
第七戦域の停戦協議。
中央管理局の承認保留。
そして、空間接続環境への影響。
イズモは、その資料を見つめた。
戦争が続いているから、装置が使えるのか。
装置を維持するために、戦争を続けているのか。
あるいは。
そのどちらでもない、別の理由があるのか。
まだ、分からない。
ただ。
目の前の時計は、確実に進んでいた。
引き渡し期限まで。
残り、四十二分。
そのとき。
第一調停艦隊の警戒システムが、新しい動きを検知した。
特別執行艦隊。
六隻。
そのうち、一隻の艦首がゆっくりと向きを変える。
オペレーター『……司令』
綾音「……何?」
オペレーター『特別執行艦隊の一隻が、航路を変更しました』
イズモ「…………」
綾音「……方向は?」
オペレーター『……対象輸送船を曳航している作業艦の方向です』
会議室が静かになった。
綾音「……通信を開いて」
オペレーター『了解!』
イズモは、ゆっくりと立ち上がった。
窓の向こう。
同じ旗を掲げた艦が、一隻。
静かに近づいてくる。
まだ、攻撃は始まっていない。
しかし。
最初の選択が、迫っていた。
第六話「終わらない戦争」完
次話・第七話「十九年の代償」
――停戦が成立しかけていた戦域。中央管理局が秘匿した空間接続計画。そして、第一機動艦隊が十九年間戦い続けた理由。二つの世界のイズモは、ついにその歴史と向き合う。