強制確保開始
第一調停艦隊・旗艦。
引き渡し期限を過ぎた直後、艦橋の空気が変わった。
正面モニターには、曳航作業艦へ接近する第三執行艦の姿が映っている。
巨大な船体の側面で、いくつもの航行灯が点滅していた。
オペレーター「第三執行艦、接近を継続!」
綾音「相対速度は?」
オペレーター「低速を維持しています。現時点で衝突の危険はありません」
綾音「兵装の状態は?」
オペレーター「主砲は待機位置。近接防御兵装も発射準備には入っていません」
イズモ「……なるほど」
綾音「どう思う?」
イズモは航行図を拡大した。
第三執行艦の進路は、作業艦そのものではなく、その横を通過するように設定されている。
しかし、通過予定位置は隔離シールドの外縁に近かった。
イズモ「……直接的な攻撃ではなさそうですね」
綾音「……ええ」
イズモ「おそらく、曳航作業艦の進路を制限するつもりだと思います」
綾音「……船を逃がさないため?」
イズモ「可能性はあります」
綾音は指揮席へ戻った。
綾音「作業艦へ連絡。現在の曳航状態を維持して」
オペレーター「了解」
綾音「隔離シールドの出力は?」
オペレーター「正常です。外部からの接続要求も、現在のところ増大していません」
イズモ「……それなら、ひとまず大丈夫です」
そのとき。
第三執行艦から通信が入った。
第三執行艦艦長『第一調停艦隊へ。こちら第三執行艦』
綾音「……こちら第一調停艦隊、綾音です」
第三執行艦艦長『対象輸送船の強制確保手続きを開始します』
綾音「確認しました」
第三執行艦艦長『対象輸送船を曳航している作業艦は、現在の位置を維持してください』
綾音「……了解。ただし、隔離措置は継続します」
第三執行艦艦長『承知しています』
イズモ「一つ確認してもよろしいでしょうか」
第三執行艦艦長『……どうぞ』
イズモ「確保手続きの内容を教えてください」
第三執行艦艦長『まず、対象船舶の航行制限を実施します』
イズモ「……はい」
第三執行艦艦長『その後、必要に応じて曳航権限の移管と、貨物管理責任者の派遣を行います』
イズモ「……装置の移動は?」
第三執行艦艦長『現段階では予定していません』
イズモ「……分かりました」
綾音「それなら、作業艦の安全が確保される範囲で協力できます」
第三執行艦艦長『……ありがとうございます』
通信が終了した。
艦橋に、わずかな安堵が広がった。
しかし。
イズモは、表示された作業計画を見つめていた。
イズモ「……綾音」
綾音「何?」
イズモ「この『航行制限』の方法、確認した方がいいと思います」
綾音「……どうして?」
イズモ「作業艦の推進装置を制御するなら問題ありません。でも、外部から船体を拘束する方法だと……」
綾音「……隔離シールドに影響する?」
イズモ「……その可能性があります」
綾音「……分かった」
彼女は、再び通信を開いた。
拘束装置
第三執行艦の側面で、小型の作業機が発進した。
無人の装置だった。
機体の周囲には複数の姿勢制御装置があり、中央に大型の拘束機構が取り付けられている。
第一調停艦隊の観測装置が、その構造を解析し始めた。
オペレーター「……技術主任」
イズモ「はい?」
オペレーター「接近している作業機ですが、船体固定用の装置を搭載しているようです」
イズモ「……固定方式は?」
オペレーター「非接触式です」
イズモ「…………」
彼は資料を拡大した。
電磁的な拘束機構。
空間的な位置固定を補助する装置。
そして、複数の姿勢制御ノズル。
イズモ「……なるほど」
綾音「……危険?」
イズモ「通常の船体なら問題ないと思います」
綾音「……ただし?」
イズモ「今回は、空間隔離シールドが展開されています」
綾音「…………」
イズモ「非接触式の拘束装置が、シールドに干渉する可能性があります」
綾音「……分かった」
彼女は通信を開いた。
綾音「第三執行艦へ。接近中の作業機について確認させてください」
第三執行艦艦長『……はい』
綾音「その装置は、空間的な位置固定機能を使用しますか?」
第三執行艦艦長『……使用します』
イズモ「……申し訳ありません。その機能は停止していただけますか?」
第三執行艦艦長『……理由は?』
イズモ「隔離シールドとの干渉が予想されます」
第三執行艦艦長『……具体的な危険性は確認されていますか?』
イズモ「未確認です。ただ、現在の隔離状態は未知の装置を対象としています」
第三執行艦艦長『…………』
イズモ「安全性が確認できない操作を追加すると、解析条件が変わってしまいます」
第三執行艦艦長『……なるほど』
イズモ「通常の推進制御による接近だけなら、問題ありません」
第三執行艦艦長『……分かりました』
数秒後。
作業機の状態が変化した。
位置固定装置、停止。
姿勢制御装置のみ稼働。
オペレーター「……作業機の空間固定機能、停止を確認!」
イズモ「……ありがとうございます」
第三執行艦艦長『こちらも、不必要な事故を起こすつもりはありません』
イズモ「……ええ」
通信が終了した。
綾音は、作業機の映像を見つめた。
綾音「……少なくとも、現場の判断は慎重ね」
イズモ「……そうですね」
綾音「……それでも、強制確保は続く」
イズモ「……ええ」
画面の中では、無人作業機がゆっくりと曳航作業艦へ接近していた。
中央管理局からの直接通信
特別執行艦隊・旗艦。
橘は、第三執行艦からの報告を確認していた。
対象輸送船の確保手続き開始。
拘束装置の一部機能を停止。
隔離シールドへの干渉を回避。
現時点で、双方に被害はない。
橘「……よし」
技術参謀「……司令」
橘「はい?」
技術参謀「中央管理局から、直接通信の要請です」
橘「……またですか」
技術参謀「優先度は最高です」
橘「……接続してください」
通信画面が開いた。
そこに現れたのは、軍服姿の中年男性だった。
中央管理局・戦略接続局長。
灰原。
橘は姿勢を正した。
橘「……灰原局長」
灰原『橘司令官。現在の状況を確認します』
橘「対象輸送船の確保手続きを開始しています」
灰原『……まだ完了していないようですね』
橘「はい。対象装置が未知の空間接続状態を維持しているため、安全確認を優先しています」
灰原『……報告は受けています』
橘「……ありがとうございます」
灰原『ですが、時間をかけすぎています』
橘「…………」
灰原『対象装置の管理権限を、速やかに回収してください』
橘「……現在、非破壊的な方法で実施しています」
灰原『……それでは不十分です』
橘「……理由を確認しても?」
灰原は、少し間を置いた。
灰原『……対象装置は、外部からの接続要求を受けているのでしょう?』
橘「はい」
灰原『それなら、なおさら急ぐ必要があります』
橘「……しかし、強制的な停止や破壊によって、接続状態が不安定になる可能性があります」
灰原『……承知しています』
橘「…………」
灰原『その危険性を含めて、中央管理局は判断しています』
橘「……では、技術的な評価資料を開示していただけますか?」
灰原『……それはできません』
橘「……なぜですか?」
灰原『機密指定です』
橘「…………」
灰原『あなた方の任務は、対象装置の完全確保です』
橘「……承知しています」
灰原『装置の内部構造を理解する必要はありません』
橘は、しばらく黙っていた。
そして。
橘「……局長」
灰原『……何でしょう』
橘「……装置の安全性を確認せずに強制措置を実施することは、現場の判断として危険です」
灰原『…………』
橘「少なくとも、破壊措置については技術的な根拠が必要です」
灰原『……橘司令官』
橘「……はい」
灰原『あなたの懸念は理解しています』
橘「…………」
灰原『ですが、対象装置を第三者の管理下に置き続けることによる危険性も考慮してください』
橘「……それは承知しています」
灰原『ならば、任務を遂行してください』
橘「…………」
灰原『……以上です』
通信が終了した。
橘は、画面を見つめていた。
技術参謀「……司令」
橘「……何でしょう」
技術参謀「……中央管理局は、技術評価資料を開示しないようですね」
橘「……ええ」
技術参謀「……どうしますか?」
橘は、しばらく考えた。
そして。
橘「……現在の確保手続きを継続します」
技術参謀「……了解」
橘「ただし、隔離シールドへの干渉は避けること」
技術参謀「……はい」
橘「装置の破壊は、引き続き禁止します」
技術参謀「……承知しました」
橘は、窓の向こうを見た。
遠方には、第一調停艦隊。
その防御シールドが、淡く光っていた。
橘「…………」
彼女は、静かに息を吐いた。
十九年の戦争と四百万人
第一調停艦隊の旗艦。
イズモと綾音は、第一機動艦隊から届いた追加資料を確認していた。
第七戦域。
空間接続網。
そして、軍用設備に依存している居住区域。
綾音「……これが、現在の接続網?」
イズモ「……はい」
画面には、複数の世界線が表示されていた。
その間を結ぶ接続経路。
そして、軍用装置によって維持されている中継点。
イズモ「……かなり複雑ですね」
綾音「……民間用の接続設備だけでは、維持できないの?」
イズモ「……現在の構成では、難しいようです」
綾音「……そう」
イズモは資料を読み進めた。
そして、ある項目で手が止まった。
イズモ「……あれ?」
綾音「……何?」
イズモ「……この人口統計」
綾音「……はい?」
イズモは、画面を拡大した。
接続網に依存する居住区域。
その総人口。
約四百二十万人。
綾音「…………」
イズモ「……これ、かなり大きいですね」
綾音「……ええ」
イズモ「接続網が停止した場合、この人たちが影響を受ける可能性があります」
綾音「……なるほど」
資料には、具体的な影響が記されていた。
輸送路の遮断。
医療物資の供給停止。
食料輸送の遅延。
緊急避難経路の喪失。
そして、一部居住区域の孤立。
イズモ「……これは」
彼は、少し考えた。
イズモ「……中央管理局が停戦に慎重になる理由は分かりますね」
綾音「……そうね」
イズモ「軍用設備の停止によって、これだけの人が影響を受ける可能性があるなら」
綾音「……簡単には止められない」
イズモ「……はい」
綾音は、資料を見つめていた。
そして。
綾音「……でも」
イズモ「……はい?」
綾音「……そのために戦争を続ける必要があるのかしら」
イズモ「……そこですね」
綾音「……設備を維持するだけなら、戦闘を続ける必要はないはず」
イズモ「……理論上は」
綾音「……ええ」
イズモ「ただ、設備の管理権限が軍事組織に集中しているので」
綾音「……停戦によって、その権限が問題になる」
イズモ「……そうです」
綾音は、少し考えた。
綾音「……つまり」
イズモ「……はい」
綾音「……戦争を終わらせるためには、接続網の管理方法そのものを変える必要があるのね」
イズモ「……そう思います」
綾音「…………」
イズモ「ただし、私たちだけで決められることではありません」
綾音「……ええ」
イズモ「現地の住民、自治組織、軍事勢力。すべて関係していますから」
綾音「……そうね」
そのとき。
第一機動艦隊から通信が入った。
異世界イズモだった。
同じ名前の司令官
異世界イズモ『……資料は確認できましたか?』
イズモ「はい。ありがとうございます」
異世界イズモ『……どう思いますか?』
イズモ「……中央管理局が懸念している問題は、理解できました」
異世界イズモ『……そうですか』
イズモ「接続網が停止すれば、約四百二十万人が影響を受ける可能性があります」
異世界イズモ『……ええ』
イズモ「それは、決して無視できません」
異世界イズモ『……そのとおりです』
イズモ「……ただ」
異世界イズモ『……はい?』
イズモ「……軍事設備を使って接続網を維持していることと、戦争を継続することは別だと思います」
異世界イズモ『……ええ』
イズモ「その二つが、十九年間の運用で一体化してしまったのではないでしょうか」
異世界イズモ『…………』
イズモ「……例えば」
彼は、資料を拡大した。
イズモ「接続網を維持するための設備運用と、軍事作戦の実施を分離する」
異世界イズモ『……はい』
イズモ「そのうえで、停戦後も設備が稼働し続ける仕組みを作る」
異世界イズモ『……なるほど』
イズモ「……もちろん、簡単ではありません」
異世界イズモ『……でしょうね』
イズモ「でも、何も変えなければ、十九年間と同じことが続く可能性があります」
異世界イズモ『…………』
異世界イズモは、しばらく考えていた。
そして。
異世界イズモ『……あなたの言うことは、理解できます』
イズモ「……ありがとうございます」
異世界イズモ『……ただし、一つ問題があります』
イズモ「……何でしょう?」
異世界イズモ『……停戦後の設備管理を、誰が保証するのかです』
イズモ「……はい」
異世界イズモ『一方が約束を破った場合、接続網全体が危険にさらされる可能性があります』
イズモ「……そうですね」
異世界イズモ『……それを、どう防ぎますか?』
イズモは、少し考えた。
そして。
イズモ「……技術的な監視と、複数組織による相互保証でしょうか」
異世界イズモ『……相互保証』
イズモ「はい」
イズモ「一つの組織だけが設備を管理するのではなく、複数の組織が状態を確認できるようにする」
異世界イズモ『……なるほど』
イズモ「設備の停止や変更には、複数の承認を必要とする」
異世界イズモ『……ええ』
イズモ「それと、緊急時には人命保護を優先できる例外規定を設ける」
異世界イズモ『…………』
イズモ「……そのような仕組みなら、少なくとも一方的な運用変更は難しくなります」
異世界イズモ『……確かに』
綾音「……ただし、それを現地の人たちが受け入れるかは別問題ね」
イズモ「……そうですね」
異世界イズモ『……ええ』
異世界イズモは、小さく頷いた。
異世界イズモ『……ですが、検討する価値はあります』
イズモ「……はい」
異世界イズモ『……我々は、十九年間、何度も停戦を試みました』
イズモ「……ええ」
異世界イズモ『しかし、設備の管理権限という問題を、十分に解決できませんでした』
イズモ「…………」
異世界イズモ『……今度こそ、そこを変える必要があるのかもしれません』
イズモ「……そう思います」
橘の判断
特別執行艦隊・旗艦。
橘は、第三執行艦から届いた報告を確認していた。
対象輸送船の拘束準備。
非接触式固定装置の一部機能停止。
隔離シールドとの干渉回避。
そして、第一調停艦隊側との協議継続。
技術参謀「……司令」
橘「はい」
技術参謀「……現時点では、対象船舶を安全に移管する方法が確立できていません」
橘「……そうですね」
技術参謀「……このままでは、中央管理局からの命令を完全には実施できません」
橘「……承知しています」
技術参謀「……どうされますか?」
橘は、しばらく考えた。
そして。
橘「……現在の拘束準備を維持してください」
技術参謀「……了解」
橘「ただし、隔離シールドの安全範囲には進入しないこと」
技術参謀「……はい」
橘「第三執行艦には、対象船舶の周囲を監視させます」
技術参謀「……承知しました」
橘「そして、第一調停艦隊と協議を続けます」
技術参謀「…………」
技術参謀は、少し考えた。
技術参謀「……司令」
橘「……何でしょう」
技術参謀「……中央管理局の命令に、反することにはなりませんか?」
橘「…………」
橘は、端末を見つめた。
対象装置の完全確保。
機密情報の保全。
そして、必要に応じた強制措置。
橘「……命令の目的は、機密情報の保全です」
技術参謀「……はい」
橘「装置を破壊すること自体が目的ではありません」
技術参謀「…………」
橘「それに、強制措置によって装置が暴走すれば、機密保護どころではなくなります」
技術参謀「……確かに」
橘「……だから、安全な方法を選びます」
技術参謀「……了解しました」
橘は、窓の向こうを見た。
第一調停艦隊の防御シールド。
その向こうには、対象輸送船。
そして、曳航作業艦。
橘「…………」
彼女は、静かに息を吐いた。
不可解な通信
第一調停艦隊の技術解析室。
イズモは、対象装置から観測されている最後の接続要求を確認していた。
外部からの接続要求。
一件。
接続元は、第七戦域の旧停戦監視施設に関係している可能性がある。
しかし、正確な送信元は未特定だった。
イズモ「……この信号」
綾音「……何?」
イズモ「……やっぱり、少し変ですね」
綾音「……どこが?」
イズモ「接続要求の内容です」
彼は、画面を拡大した。
通常の接続要求なら、接続先の識別情報と認証情報が含まれる。
しかし、今回の信号には別の情報が含まれていた。
『接続状態確認』
『制御権限照会』
『運用継続要求』
綾音「……なるほど」
イズモ「……これ、単純な通信ではありません」
綾音「……はい」
イズモ「装置に対して、現在の制御状態を確認しようとしているように見えます」
綾音「……外部から?」
イズモ「……はい」
綾音「……誰が?」
イズモ「……分かりません」
彼は、少し考えた。
イズモ「……ただ、接続要求の方式が、輸送船の装置に追加された制御回路と一致している可能性があります」
綾音「……なるほど」
イズモ「つまり、改造した人は、外部から装置を管理することを想定していたのかもしれません」
綾音「…………」
イズモ「……でも、もう一つ問題があります」
綾音「……何?」
イズモ「……その管理権限が、誰にあるのか分かりません」
綾音「……中央管理局?」
イズモ「可能性はあります」
綾音「……ほかには?」
イズモ「……第三者です」
綾音「…………」
イズモ「今回の輸送船には、異世界側の正式な技術体系に登録されていない装置が搭載されています」
綾音「……ええ」
イズモ「その改造を誰が行ったのか、まだ確認できていません」
綾音「……なるほど」
イズモ「……もし、中央管理局以外の誰かが改造していたなら」
彼は、画面を見つめた。
イズモ「……外部から装置を操作しようとしているのも、その人物かもしれません」
綾音「…………」
そのとき。
技術班オペレーターから通信が入った。
オペレーター『技術主任! 接続要求に変化があります!』
イズモ「……何でしょう?」
オペレーター『……認証情報が更新されました!』
イズモ「……更新?」
オペレーター『はい!』
イズモは、観測記録を開いた。
そこには、新しい識別情報が表示されていた。
『中央管理局・戦略接続管理系統』
イズモ「…………」
綾音「……中央管理局?」
イズモ「……そう表示されています」
綾音「……本物?」
イズモ「……分かりません」
彼は、認証情報を確認した。
形式は、異世界側の軍用規格に似ている。
しかし。
その署名が、正式なものかどうかは確認できない。
イズモ「……これは、異世界側にも確認してもらいましょう」
綾音「……そうね」
イズモは、異世界綾音へ通信を開いた。
技術主任同士の疑問
異世界綾音『……最上技術主任』
イズモ「すみません。確認したいことがあります」
異世界綾音『……何でしょう?』
イズモ「対象装置への接続要求に、中央管理局の識別情報が追加されました」
異世界綾音『…………』
イズモ「こちらの記録を確認していただけますか?」
異世界綾音『……分かりました』
数秒後。
異世界綾音は、資料を開いた。
異世界綾音『……これは』
イズモ「……何か分かりますか?」
異世界綾音『……確かに、中央管理局の識別形式に似ています』
イズモ「……はい」
異世界綾音『ですが、この認証方式は、通常の軍用装置では使用しません』
イズモ「……そうなんですか?」
異世界綾音『はい。少なくとも、我々が扱う装置ではありません』
イズモ「……なるほど」
異世界綾音『……それに』
イズモ「……はい?」
異世界綾音『この認証情報、通常の通信方式で送信されたものではありません』
イズモ「……ええ」
異世界綾音『空間接続機構そのものを利用している可能性があります』
イズモ「……そうですね」
異世界綾音『……つまり』
彼女は、少し考えた。
異世界綾音『……中央管理局が、装置へ直接アクセスしようとしている?』
イズモ「……可能性はあります」
異世界綾音『…………』
イズモ「ただし、識別情報が本物かどうかは未確認です」
異世界綾音『……はい』
イズモ「……それに、中央管理局が本当に操作しているとしても」
異世界綾音『……はい?』
イズモ「……何をしようとしているのかは、まだ分かりません」
異世界綾音『……そうですね』
彼女は、しばらく考えていた。
そして。
異世界綾音『……司令へ報告します』
イズモ「……お願いします」
異世界綾音『それと、こちらでも認証情報を照合します』
イズモ「……ありがとうございます」
通信が終了した。
イズモは、画面を見つめていた。
中央管理局の識別情報。
外部からの接続要求。
そして、装置の運用継続要求。
イズモ「…………」
彼は、小さく呟いた。
イズモ「……これ、管理権限の移管を待っているんでしょうか」
綾音「……え?」
イズモ「……装置が、正式な管理者の変更を確認しようとしている可能性があります」
綾音「……なるほど」
イズモ「……だとしたら」
彼は、少し考えた。
イズモ「……装置を特別執行艦隊へ移管した瞬間に、何かが起きる可能性もあります」
綾音「…………」
イズモ「……まだ仮説ですけどね」
綾音「……でも、確認する必要はあるわね」
イズモ「……はい」
中央管理局の本当の懸念
第一機動艦隊・旗艦。
異世界イズモは、中央管理局の灰原局長との通信を要求していた。
数分後。
通信が接続された。
灰原『……最上司令官』
異世界イズモ「……灰原局長。お時間をいただき、ありがとうございます」
灰原『……現在、非常に重要な対応を進めています』
異世界イズモ「……承知しています」
灰原『……ご用件は?』
異世界イズモ「第七戦域の停戦協議について、確認したいことがあります」
灰原『…………』
異世界イズモ「十八日前、現地での停戦協議は最終段階まで進んでいました」
灰原『……承知しています』
異世界イズモ「しかし、中央管理局が最終承認を保留しています」
灰原『……そのとおりです』
異世界イズモ「……理由を教えてください」
灰原は、しばらく黙っていた。
そして。
灰原『……接続網の安定性です』
異世界イズモ「……具体的には?」
灰原『停戦によって軍用接続設備の運用体制が変化することを懸念しました』
異世界イズモ「……はい」
灰原『現地の停戦協定では、設備の管理権限を段階的に移行する予定でした』
異世界イズモ「……確認しています」
灰原『しかし、その移行によって接続網が不安定化する可能性がありました』
異世界イズモ「……安全性試験も計画されていました」
灰原『……ええ』
異世界イズモ「……では、なぜ試験を実施しなかったんですか?」
灰原『……失敗した場合の影響が大きすぎるからです』
異世界イズモ「…………」
灰原『対象戦域の接続網には、約四百二十万人が依存しています』
異世界イズモ「……承知しています」
灰原『その生活を危険にさらすことはできません』
異世界イズモ「……それは理解できます」
灰原『……ならば』
異世界イズモ「しかし」
灰原『…………』
異世界イズモ「……戦争を継続することによる被害は、どう評価されていますか?」
灰原は、すぐには答えなかった。
異世界イズモ「十九年間、戦争が続いています」
灰原『……承知しています』
異世界イズモ「その間、多くの人が死亡しました」
灰原『……ええ』
異世界イズモ「民間施設も破壊され、避難者も増えています」
灰原『…………』
異世界イズモ「……停戦による危険性と、戦争継続による危険性は、比較されているのでしょうか」
灰原は、しばらく考えていた。
そして。
灰原『……比較しています』
異世界イズモ「……結果は?」
灰原『現時点では、接続網の安定性を優先すべきという判断です』
異世界イズモ「…………」
灰原『……最上司令官』
異世界イズモ「……はい」
灰原『あなたは、第七戦域で長年戦ってきました』
異世界イズモ「……ええ」
灰原『その苦労は、中央管理局も理解しています』
異世界イズモ「…………」
灰原『しかし、もし接続網が停止すれば、戦争とは比較にならない規模の被害が発生する可能性があります』
異世界イズモ「……その可能性は、理解しています」
灰原『……ならば』
異世界イズモ「……それでも、停戦を試みる必要はあります」
灰原『…………』
異世界イズモ「十九年間、同じ方法で戦争を終わらせようとしてきました」
灰原『……はい』
異世界イズモ「しかし、終わりませんでした」
灰原『…………』
異世界イズモ「……その事実も、判断に含める必要があると思います」
灰原は、しばらく何も言わなかった。
そして。
灰原『……最上司令官』
異世界イズモ「……はい」
灰原『……あなたの意見は理解しました』
異世界イズモ「……ありがとうございます」
灰原『しかし、現在の命令を変更する予定はありません』
異世界イズモ「…………」
灰原『対象装置の回収を優先してください』
異世界イズモ「……承知しました」
通信が終了した。
異世界イズモは、しばらく画面を見つめていた。
破綻した信頼
第一機動艦隊の執務室。
異世界イズモは、中央管理局との通信記録を保存していた。
そこへ、異世界綾音が入ってきた。
異世界綾音「……司令」
異世界イズモ「……どうしました?」
異世界綾音「……対象装置について、新しい情報があります」
異世界イズモ「……何でしょう?」
異世界綾音「……中央管理局の識別情報を持つ接続要求が、装置へ送信されています」
異世界イズモ「…………」
異世界綾音「ただし、正式な認証かどうかは確認できません」
異世界イズモ「……なるほど」
異世界綾音「……司令」
異世界イズモ「……はい」
異世界綾音「……中央管理局は、本当に装置を回収するだけなのでしょうか」
異世界イズモ「…………」
異世界綾音「……何かを、隠しているように思えます」
異世界イズモは、しばらく考えていた。
そして。
異世界イズモ「……可能性はあります」
異世界綾音「…………」
異世界イズモ「ですが、現時点では断定できません」
異世界綾音「……はい」
異世界イズモ「……中央管理局にも、正当な理由があるのかもしれません」
異世界綾音「……ええ」
異世界イズモ「ただし」
彼は、資料を閉じた。
異世界イズモ「……その理由を、現場に説明しないまま危険な措置を命じることは、適切ではありません」
異世界綾音「……そうですね」
異世界イズモ「……我々が、十九年間の戦争で学んだことの一つです」
異世界綾音「…………」
異世界イズモ「命令が正しいかどうかを判断するためには、必要な情報がなければなりません」
異世界綾音「……はい」
異世界イズモ「……ですが、今回はそれが足りていません」
彼は、窓の向こうを見た。
第一調停艦隊。
特別執行艦隊。
そして、対象輸送船。
異世界イズモ「…………」
彼は、静かに口を開いた。
異世界イズモ「……このままでは、衝突しますね」
異世界綾音「……はい」
異世界イズモ「……避けたいところですが」
異世界綾音「…………」
異世界イズモ「……避けるために、何ができるか考えましょう」
交渉の最後
第一調停艦隊の旗艦。
綾音は、特別執行艦隊へ再び通信を開いた。
橘が応答する。
橘『……綾音司令』
綾音「橘司令官。現在の確保手続きについて、確認したいことがあります」
橘『……はい』
綾音「装置の管理権限を移管した場合、隔離措置は維持されますか?」
橘『……現時点では、維持する予定です』
イズモ「……その判断は、中央管理局から承認されていますか?」
橘『…………』
橘は、少し考えた。
橘『……現場の判断です』
イズモ「……なるほど」
橘『ただし、安全性が確認されるまで隔離を維持することが合理的だと考えています』
イズモ「……同感です」
綾音「……それなら、暫定的な共同管理を継続できませんか?」
橘『……申請しました』
綾音「……はい」
橘『しかし、中央管理局から承認されませんでした』
綾音「…………」
イズモ「……理由は?」
橘『……機密保護上の判断です』
イズモ「……そうですか」
短い沈黙。
そして。
イズモ「……橘司令官」
橘『……はい』
イズモ「……今回の装置について、中央管理局が未公開の技術情報を持っている可能性があります」
橘『……承知しています』
イズモ「ですが、こちらにはその情報がありません」
橘『……はい』
イズモ「……その状態で、装置の管理権限を完全に移管することは危険だと思います」
橘『…………』
イズモ「少なくとも、隔離措置の維持と、緊急停止条件の確認が必要です」
橘『……同意します』
綾音「……それなら」
橘『……ですが』
綾音「…………」
橘『……中央管理局は、完全な管理権限移管を要求しています』
イズモ「……はい」
橘『……我々は、その命令を実施しなければなりません』
イズモは、しばらく黙っていた。
そして。
イズモ「……分かりました」
橘『…………』
イズモ「……では、こちらも最終的な判断を伝えます」
橘『……はい』
イズモ「……安全性が確認されるまで、装置の完全移管には同意できません」
橘『…………』
綾音「第一調停艦隊としても、同じです」
橘『……承知しました』
イズモ「……ただし、共同調査と共同管理については、引き続き協議する意思があります」
橘『……ありがとうございます』
綾音「……橘司令官」
橘『……はい』
綾音「……私たちは、そちらの敵ではありません」
橘『……分かっています』
綾音「……負傷者の治療を続け、装置の危険性を調べているだけです」
橘『……承知しています』
綾音「……それでも、強制措置を実施するんですか?」
橘は、しばらく何も言わなかった。
そして。
橘『……はい』
小さく答えた。
橘『……命令が変更されない限り、実施します』
綾音「…………」
イズモ「…………」
橘『……申し訳ありません』
イズモは、ゆっくりと首を振った。
イズモ「……謝る必要はありません」
橘『…………』
イズモ「……あなたが、何を守ろうとしているのかは理解しています」
橘『……ありがとうございます』
イズモ「……ただし」
彼は、静かに続けた。
イズモ「……私たちも、守るべきものがあります」
橘『…………』
イズモ「……そのために、必要な行動を取ります」
橘は、しばらくイズモを見つめていた。
そして。
橘『……分かりました』
小さく頷いた。
橘『……互いに、被害が出ないことを願っています』
イズモ「……私もです」
通信が終了した。
会議室に、静かな空気が残った。
綾音「……交渉は、ここまでね」
イズモ「……そうですね」
綾音「……でも、完全に終わったわけではない」
イズモ「……ええ」
イズモは、窓の向こうを見た。
同じ旗を掲げた艦隊。
その間で、互いの目的が衝突しようとしている。
イズモ「……まだ、止められると思います」
綾音「……そうね」
強制拘束
第三執行艦。
作業機が、曳航作業艦へさらに接近していた。
現在の距離。
安全範囲の外縁。
第三執行艦艦長「……状況は?」
オペレーター「対象船舶、航行停止を維持しています」
艦長「……隔離シールドは?」
オペレーター「正常です」
艦長「……固定装置の準備は?」
オペレーター「完了しています。ただし、空間固定機能は停止中です」
艦長「……了解」
彼は、しばらく画面を見つめた。
対象輸送船。
その船体は大きく損傷している。
主推進装置は停止。
現在は、第一調停艦隊の作業艦によって曳航されていた。
艦長「……作業艦へ通信」
通信士「了解」
数秒後。
第一調停艦隊の作業艦艦長が応答した。
作業艦艦長『……こちら、第一調停艦隊所属作業艦』
第三執行艦艦長「対象輸送船の曳航権限を、我々へ移管してください」
作業艦艦長『……現在、隔離措置を継続しています』
第三執行艦艦長「承知しています」
作業艦艦長『隔離状態を維持したまま、曳航権限を移管する方法は確認されていません』
第三執行艦艦長「……では」
作業艦艦長『安全性が確認されるまで、現状を維持したいと考えています』
第三執行艦艦長「…………」
彼は、少し考えた。
そして。
第三執行艦艦長「……了解しました」
作業艦艦長『……ありがとうございます』
第三執行艦艦長「ただし、中央管理局の命令により、対象船舶の確保を継続します」
作業艦艦長『……承知しています』
通信が終了した。
第三執行艦艦長は、指揮端末を確認した。
対象船舶の航行制限。
管理権限の移管要求。
そして、強制確保。
艦長「……拘束装置の使用準備」
オペレーター「……了解」
艦長「ただし、隔離シールドに直接干渉しないこと」
オペレーター「……はい」
艦長「作業艦の周囲に、航行制限区域を設定します」
オペレーター「……了解」
複数の無人作業機が、静かに配置を変更した。
対象輸送船を囲むように。
ゆっくりと。
防御シールド展開
第一調停艦隊。
オペレーター「第三執行艦、無人作業機の配置変更を確認!」
綾音「……状況は?」
オペレーター「対象輸送船の周囲に、拘束区域を形成しています」
イズモ「……なるほど」
綾音「……危険?」
イズモ「……直接的な危険は、まだ確認されていません」
綾音「……ただし?」
イズモ「……このまま拘束区域が完成すると、作業艦の移動が制限されます」
綾音「……そうね」
イズモ「それ自体は、現在の隔離状態に影響しない可能性もあります」
綾音「……ええ」
イズモ「ただ、緊急退避が必要になった場合に、問題になるかもしれません」
綾音は、少し考えた。
そして。
綾音「……作業艦へ」
オペレーター「はい」
綾音「隔離シールドの維持を最優先。無理な移動はしないで」
オペレーター「了解」
綾音「緊急退避経路については、第三執行艦へ通知して」
オペレーター「……承知しました」
イズモ「……それと」
綾音「何?」
イズモ「……作業艦の周囲に、防御シールドを展開しておきたいです」
綾音「……理由は?」
イズモ「拘束装置が誤作動した場合に備えるためです」
綾音「……分かった」
彼女は指揮端末を操作した。
綾音「作業艦周辺、防御シールド展開」
オペレーター「了解!」
数秒後。
第一調停艦隊の支援艦から、淡い光の膜が形成された。
それは作業艦を包み込むように広がり、無人作業機との間に位置した。
オペレーター「防御シールド、展開完了!」
イズモ「……よし」
しかし。
その直後。
第三執行艦から通信が入った。
第三執行艦艦長『第一調停艦隊へ』
綾音「……はい」
第三執行艦艦長『対象船舶の周囲に防御シールドが展開されたことを確認しました』
綾音「……はい」
第三執行艦艦長『これは、我々の確保手続きに対する妨害行為ですか?』
綾音「……いいえ」
第三執行艦艦長『……では、目的は?』
イズモ「……安全確保です」
第三執行艦艦長『……安全確保?』
イズモ「はい。拘束装置の誤作動や、隔離シールドへの干渉を防ぐためです」
第三執行艦艦長『…………』
イズモ「そちらの艦や作業機を攻撃する意図はありません」
第三執行艦艦長『……承知しました』
イズモ「……ありがとうございます」
第三執行艦艦長『ただし、防御シールドが確保作業を妨害する場合、撤去を求める可能性があります』
イズモ「……分かりました」
通信が終了した。
綾音は、小さく息を吐いた。
綾音「……難しいわね」
イズモ「……そうですね」
綾音「……守るためのシールドが、妨害と判断される可能性がある」
イズモ「……ええ」
彼は、画面を見つめた。
第一調停艦隊の防御シールド。
第三執行艦の拘束装置。
どちらも、直接的な攻撃を目的としていない。
しかし。
互いの行動を制限している。
イズモ「……これが続くと、どこかで衝突しますね」
綾音「……そうね」
警告
特別執行艦隊・旗艦。
橘は、第三執行艦からの報告を受けていた。
防御シールド展開。
拘束区域形成。
双方の安全確保措置。
しかし、管理権限の移管は進んでいない。
技術参謀「……司令」
橘「はい」
技術参謀「中央管理局から、追加の指示です」
橘「……内容は?」
技術参謀「……対象船舶の強制確保を、さらに迅速に進めるように、と」
橘「…………」
技術参謀「……なお、防御シールドによって確保が妨害される場合は」
彼は、少し言い淀んだ。
橘「……続けてください」
技術参謀「……必要な範囲で、シールドの無力化を認めるそうです」
橘「…………」
橘は、端末に表示された命令を確認した。
防御シールドの無力化。
限定的な武力行使。
ただし、人命への影響は最小限とすること。
橘「……中央管理局は、シールドの構造を把握していますか?」
技術参謀「……確認されていません」
橘「……無力化の方法は?」
技術参謀「……現場判断に委ねられています」
橘「…………」
彼女は、しばらく考えていた。
そして。
橘「……その命令について、技術評価を要求してください」
技術参謀「……了解」
橘「対象シールドの特性が未確認である以上、無力化による影響も不明です」
技術参謀「……はい」
橘「……それと」
技術参謀「……何でしょう?」
橘「……第三執行艦へ、防御シールドへの直接干渉を禁止するように」
技術参謀「……承知しました」
橘は、ゆっくりと息を吐いた。
しかし。
その直後。
中央管理局から、再び通信が入った。
灰原だった。
灰原『……橘司令官』
橘「……はい」
灰原『対象船舶の確保が進んでいないようですね』
橘「……現在、安全性を確認しながら実施しています」
灰原『……それでは時間がかかりすぎます』
橘「…………」
灰原『……防御シールドの無力化を許可しました』
橘「……確認しています」
灰原『……では、実施してください』
橘「……局長」
灰原『……何でしょう』
橘「……現在の防御シールドについて、技術的な特性が確認されていません」
灰原『……承知しています』
橘「……その状態で攻撃的な干渉を加えることは、危険です」
灰原『…………』
橘「……少なくとも、無力化の方法を検討する時間が必要です」
灰原は、しばらく黙っていた。
そして。
灰原『……橘司令官』
橘「……はい」
灰原『……あなたは、命令の実施を拒否するのですか?』
橘「…………」
司令室が静まり返った。
橘は、ゆっくりと口を開いた。
橘「……拒否しているわけではありません」
灰原『……では?』
橘「……安全に実施できる方法を確認しています」
灰原『…………』
橘「……命令を遂行するために、必要な確認です」
灰原は、しばらく橘を見つめていた。
そして。
灰原『……分かりました』
橘「……ありがとうございます」
灰原『……ただし、これ以上の遅延は認められません』
橘「……承知しました」
通信が終了した。
橘は、指揮席へ深く座り直した。
技術参謀「……司令」
橘「……何でしょう」
技術参謀「……中央管理局との関係が、かなり厳しくなっています」
橘「……そうですね」
技術参謀「……このままでは」
橘「……分かっています」
彼女は、窓の向こうを見た。
第一調停艦隊。
防御シールド。
そして、対象輸送船。
橘「…………」
彼女は、小さく呟いた。
橘「……どうして、こうなってしまったんでしょうね」
最後の選択肢
第一調停艦隊の旗艦。
イズモは、状況を確認していた。
特別執行艦隊の拘束区域。
第一調停艦隊の防御シールド。
対象輸送船の隔離状態。
すべてが、ぎりぎりの均衡を維持している。
綾音「……イズモ」
イズモ「はい?」
綾音「……一つ、聞いてもいい?」
イズモ「……どうぞ」
綾音「……もし、向こうが防御シールドを無力化しようとしたら」
イズモ「…………」
綾音「……どうする?」
イズモは、少し考えた。
そして。
イズモ「……まず、危険性を説明します」
綾音「……それでも実施されたら?」
イズモ「……シールドを維持します」
綾音「……攻撃された場合は?」
イズモ「……攻撃そのものを無力化します」
綾音「…………」
イズモ「ただし、相手の艦を破壊する必要はありません」
綾音「……そうね」
イズモ「……こちらには、防御と無力化のための装置があります」
綾音「……ええ」
イズモ「……それを使います」
綾音は、ゆっくりと頷いた。
綾音「……分かった」
彼女は、指揮端末を操作した。
第一調停艦隊。
防御態勢。
非殺傷制圧装置。
待機。
オペレーター「……全艦、防御態勢への移行を確認!」
綾音「……了解」
イズモは、窓の向こうを見た。
特別執行艦隊の六隻。
そのすべてが、攻撃能力を持っている。
そして。
そのすべてが、同じ旗を掲げている。
イズモ「…………」
彼は、静かに口を開いた。
イズモ「……綾音」
綾音「……何?」
イズモ「……できれば、最初の一発は撃たせたくないですね」
綾音「……ええ」
イズモ「……撃たれたあとでは、止めるのが難しくなります」
綾音「……そうね」
彼は、少し考えた。
そして。
イズモ「……もう一度、橘司令官と話しましょう」
綾音「……分かった」
交渉決裂
再び開かれた通信会議。
第一調停艦隊。
第一機動艦隊。
特別執行艦隊。
三つの艦隊の代表者が、画面に並んだ。
橘「……綾音司令。最上技術主任」
綾音「……橘司令官」
異世界イズモ「……橘司令官」
橘「……はい」
イズモは、静かに口を開いた。
イズモ「……現在の状況について、最後に確認させてください」
橘「……どうぞ」
イズモ「特別執行艦隊は、対象装置の完全回収を目的としています」
橘「……はい」
イズモ「第一調停艦隊は、装置の安全性確認と、救助者の保護を優先しています」
橘「……承知しています」
イズモ「そして、第一機動艦隊は、共同調査の継続を支持しています」
異世界イズモ「……そのとおりです」
イズモ「……この三つの目的は、本来なら両立できるはずです」
橘「…………」
綾音「……ええ」
イズモ「……ですが、現在は管理権限の移管条件で対立しています」
橘「……そうですね」
イズモ「……そこで、一つだけ確認したいことがあります」
橘「……何でしょう?」
イズモ「……装置の隔離措置を維持したまま、特別執行艦隊が機密保全を担当することは、本当に不可能なんでしょうか」
橘「…………」
イズモ「……完全な管理権限移管ではなく、機密保全業務の移管です」
橘は、しばらく考えていた。
そして。
橘「……技術的には、可能だと思います」
イズモ「……ありがとうございます」
橘「……ですが」
イズモ「……はい」
橘「……中央管理局の命令は、完全な管理権限移管です」
イズモ「……ええ」
橘「……機密保全業務だけでは、命令を満たしません」
イズモ「…………」
異世界イズモが口を開いた。
異世界イズモ「……橘司令官」
橘「……はい」
異世界イズモ「……今回の装置は、第七戦域の戦争に関係している可能性があります」
橘「……承知しています」
異世界イズモ「そして、その装置が停止した場合、複数の世界線へ影響が及ぶ可能性もあります」
橘「……はい」
異世界イズモ「……その危険性を確認せずに、管理権限を完全に移管することは、適切ではないと思います」
橘「…………」
異世界イズモ「……第一機動艦隊としても、共同調査の継続を求めます」
橘は、しばらく何も言わなかった。
そして。
橘「……皆さんの意見は、理解しています」
イズモ「…………」
橘「……私も、安全な方法で解決したいと考えています」
綾音「……ええ」
橘「……ですが」
彼女は、ゆっくりと口を開いた。
橘「……中央管理局の命令を、変更することはできません」
会議室が静かになった。
イズモは、しばらく画面を見つめていた。
そして。
イズモ「……分かりました」
橘「…………」
イズモ「……では、私たちも判断を変えることはできません」
橘「……そうですか」
イズモ「……はい」
綾音「……第一調停艦隊としても、同じです」
異世界イズモ「……第一機動艦隊も、共同調査の継続を支持します」
橘は、ゆっくりと頷いた。
橘「……承知しました」
そして。
橘「……残念ですが」
彼女は、静かに続けた。
橘「……これ以上の協議では、結論を得られないと判断します」
イズモ「…………」
綾音「…………」
異世界イズモ「…………」
橘「……特別執行艦隊は、中央管理局の命令に基づき、対象輸送船の強制確保を継続します」
イズモは、静かに頷いた。
イズモ「……分かりました」
橘「……なお、必要な範囲で拘束装置の使用を継続します」
綾音「……確認しました」
橘「……皆さん」
彼女は、少しだけ声を落とした。
橘「……どうか、無理な行動は避けてください」
イズモ「……そちらも」
橘「…………」
イズモ「……お願いします」
二人は、短く頷いた。
そして。
通信が終了した。
最初の干渉
第三執行艦。
無人作業機が、対象輸送船の周囲で配置を完了した。
艦長「……拘束区域、形成完了」
オペレーター「……はい」
艦長「……作業艦へ、最終警告」
通信士「了解」
数秒後。
作業艦艦長が応答した。
第三執行艦艦長「対象輸送船の曳航権限を、直ちに移管してください」
作業艦艦長『……安全性が確認されるまで、移管には応じられません』
第三執行艦艦長「……承知しました」
彼は、指揮端末を開いた。
拘束装置。
非接触式。
出力制限。
隔離シールドへの干渉を最小限に抑える設定。
艦長「……拘束装置、低出力で起動」
オペレーター「……了解」
無人作業機の周囲に、淡い光が発生した。
対象輸送船を囲むように、拘束フィールドが形成され始める。
しかし。
その瞬間。
第一調停艦隊の防御シールドが、わずかに変形した。
オペレーター「……防御シールドとの干渉を確認!」
艦長「……出力は?」
オペレーター「低出力を維持しています!」
艦長「……これ以上、上げるな!」
オペレーター「了解!」
しかし。
干渉は、止まらなかった。
第一調停艦隊。
オペレーター「技術主任! 防御シールドに外部干渉!」
イズモ「……確認しています!」
綾音「……危険?」
イズモ「……まだ大きな問題はありません!」
彼は、観測画面を拡大した。
防御シールドの外側で、拘束フィールドが接触している。
それ自体は、想定の範囲内だった。
しかし。
イズモ「……あれ?」
綾音「……何?」
イズモ「……隔離シールドの状態が……」
彼は、数値を確認した。
貨物区画の空間隔離シールド。
外部からの接続要求。
そして。
接続要求の強度。
イズモ「……まずいですね」
綾音「……何が?」
イズモ「……外部からの接続要求が増大しています!」
オペレーター「……技術主任!」
イズモ「……はい!」
オペレーター「対象装置周辺の空間変動、上昇!」
イズモ「……拘束フィールドとの干渉が原因かもしれません!」
綾音「……解除を要請して!」
オペレーター「了解!」
綾音「第三執行艦へ! 拘束装置の出力を停止してください!」
第三執行艦艦長『……確認しています!』
綾音「隔離シールドに異常が発生しています!」
第三執行艦艦長『……了解! 拘束装置を停止します!』
数秒後。
拘束フィールドが消えた。
しかし。
空間変動は、すぐには低下しなかった。
オペレーター「……空間変動、依然として高い状態です!」
イズモ「……隔離シールドの出力を維持!」
オペレーター「了解!」
イズモは、観測記録を確認した。
外部からの接続要求。
増大。
しかし。
その信号は、拘束フィールドの停止後も残っていた。
イズモ「…………」
綾音「……どう?」
イズモ「……まだ、原因は断定できません」
綾音「……はい」
イズモ「……ただ、拘束装置の使用によって接続要求が増大した可能性があります」
綾音「……なるほど」
イズモ「……やはり、安全性が確認されるまで強制措置は危険ですね」
綾音「……ええ」
命令と現場
特別執行艦隊の旗艦。
橘は、第三執行艦からの報告を受けていた。
拘束装置の低出力使用。
防御シールドとの干渉。
対象装置の空間変動増大。
そして、拘束装置の停止。
橘「…………」
技術参謀「……司令」
橘「……はい」
技術参謀「……拘束装置の使用によって、対象装置に影響が出た可能性があります」
橘「……確認しています」
技術参謀「……このまま強制確保を続けることは、危険です」
橘「……そうですね」
彼女は、指揮端末を開いた。
中央管理局からの命令。
完全確保。
必要に応じた強制措置。
しかし。
現場では、強制措置によって危険性が増大する可能性が確認された。
橘「……第三執行艦へ」
通信士「はい」
橘「拘束装置の使用を中止」
通信士「了解」
橘「対象船舶への接近を停止し、現在位置で待機してください」
通信士「……承知しました」
技術参謀「……司令」
橘「……何でしょう」
技術参謀「……中央管理局への報告は?」
橘「……当然、行います」
技術参謀「……了解」
橘「強制確保に伴う危険性が、実際に観測されたと」
技術参謀「……はい」
橘「……そして、これ以上の強制措置は技術評価が必要だと」
技術参謀「……承知しました」
橘は、窓の向こうを見た。
第一調停艦隊の防御シールド。
その光は、まだ消えていない。
橘「…………」
彼女は、小さく息を吐いた。
中央管理局の決定
数分後。
中央管理局から、再び通信が届いた。
灰原局長だった。
灰原『……橘司令官』
橘「……はい」
灰原『……拘束装置の使用を中止したようですね』
橘「……はい」
灰原『……理由は?』
橘「対象装置の空間変動が増大したためです」
灰原『…………』
橘「強制措置によって、未知の危険が発生する可能性があります」
灰原『……承知しています』
橘「……そのため、安全性が確認されるまで拘束装置の使用を停止しています」
灰原は、しばらく黙っていた。
そして。
灰原『……橘司令官』
橘「……はい」
灰原『……あなたの判断は、理解できます』
橘「……ありがとうございます」
灰原『ですが、対象装置を第三者の管理下に置き続けることは、許容できません』
橘「…………」
灰原『……中央管理局は、対象装置の完全回収を最優先とします』
橘「……承知しています」
灰原『……そのため』
彼は、少し間を置いた。
灰原『……必要な範囲で、武力による確保措置を認めます』
橘「…………」
司令室が静まり返った。
技術参謀が、ゆっくりと顔を上げた。
灰原『……橘司令官』
橘「……はい」
灰原『……あなた方の任務を、遂行してください』
橘は、しばらく何も言わなかった。
そして。
橘「……局長」
灰原『……何でしょう』
橘「……一点、確認させてください」
灰原『……どうぞ』
橘「……武力による確保措置は、対象船舶の破壊を含みますか?」
灰原『…………』
短い沈黙。
そして。
灰原『……必要と判断される場合には、認めます』
橘「…………」
灰原『ただし、民間人や非戦闘員への影響は最小限に抑えてください』
橘「……承知しました」
灰原『……以上です』
通信が終了した。
橘は、しばらく画面を見つめていた。
そして。
静かに口を開いた。
橘「……全艦へ」
通信士「……はい」
橘「……武器使用については、引き続き司令官の個別承認を必要とします」
通信士「……了解」
橘「……無断の攻撃は認めません」
通信士「承知しました」
橘は、ゆっくりと息を吐いた。
しかし。
その手は、指揮端末から離れなかった。
同じ旗を撃つ日
第一調停艦隊の旗艦。
警戒システムが、新しい情報を受信した。
オペレーター「……司令!」
綾音「……何?」
オペレーター「特別執行艦隊、全艦が兵装の起動準備に入りました!」
イズモ「…………」
綾音「……主砲?」
オペレーター「主砲を含む複数の兵装です。ただし、発射準備の完了までは確認できていません」
綾音「……了解」
イズモは、正面モニターを見つめた。
六隻の艦影。
同じ旗。
同じ名称。
しかし。
その兵装が、こちらへ向けられる可能性がある。
イズモ「…………」
綾音「……イズモ」
イズモ「……はい」
綾音「……そろそろ、覚悟が必要かもしれないわ」
イズモ「……そうですね」
彼は、静かに頷いた。
イズモ「……ただ」
綾音「……何?」
イズモ「……最後まで、交渉の余地は残しておきたいです」
綾音「……ええ」
イズモ「……攻撃された場合も、相手の艦を破壊する必要はありません」
綾音「……そうね」
イズモ「……まずは、攻撃能力を無力化します」
綾音「……分かった」
彼女は、指揮端末を開いた。
第一調停艦隊。
防御態勢。
非殺傷制圧装置。
待機。
そして。
対艦兵装。
安全装置、維持。
綾音「……全艦へ」
オペレーター「全艦接続しました」
綾音「……特別執行艦隊が武器使用準備に入っています」
艦隊各艦から、確認応答が返ってくる。
綾音「……こちらからの先制攻撃は認めません」
オペレーター「了解」
綾音「……攻撃が開始された場合は、防御と無力化を優先してください」
オペレーター「了解!」
綾音「……相手の艦を撃沈することは、最後の手段です」
艦隊各艦から、再び確認応答が返ってきた。
イズモは、窓の向こうを見た。
同じ旗を掲げた艦隊。
その砲塔が、ゆっくりと動き始めている。
イズモ「…………」
彼は、小さく呟いた。
イズモ「……どうして、こうなっちゃうんでしょうね」
綾音「…………」
綾音は、すぐには答えなかった。
そして。
綾音「……それでも」
イズモ「……はい」
綾音「……私たちは、私たちのやり方で守りましょう」
イズモは、静かに頷いた。
イズモ「……ええ」
最初の照準
特別執行艦隊の六隻。
その主砲が、ゆっくりと旋回した。
対象輸送船。
第一調停艦隊の防御シールド。
そして、作業艦。
複数の目標が、火器管制装置に登録される。
ただし、発射許可はまだ出ていない。
特別執行艦隊・旗艦。
橘は、指揮端末を見つめていた。
武器使用準備。
目標登録。
発射許可待機。
技術参謀「……司令」
橘「……はい」
技術参謀「……全艦、武器使用準備が完了しました」
橘「……了解」
技術参謀「……ご命令を」
橘は、しばらく何も言わなかった。
窓の向こう。
第一調停艦隊。
その艦影は、攻撃を開始していない。
防御シールドを展開しているだけだった。
橘「…………」
彼女は、ゆっくりと口を開いた。
橘「……発射は、許可しません」
技術参謀「……了解」
橘「……引き続き、目標の監視を継続してください」
技術参謀「……はい」
橘は、指揮端末を閉じた。
そして。
静かに呟いた。
橘「……まだ、撃つ理由はありません」
第一調停艦隊。
オペレーター「……司令!」
綾音「……何?」
オペレーター「特別執行艦隊の主砲、こちらを追尾しています!」
イズモ「…………」
綾音「……発射は?」
オペレーター「……ありません!」
綾音「……了解」
イズモは、正面モニターを見つめた。
同じ旗。
同じ名称。
同じ目的から始まった組織。
しかし。
異なる歴史。
異なる判断。
そして、異なる技術。
その二つが、今まさに衝突しようとしていた。
イズモ「…………」
彼は、小さく息を吐いた。
イズモ「……まだ、間に合いますよね」
綾音「……ええ」
イズモ「……なら」
彼は、静かに続けた。
イズモ「……最後まで、止めましょう」
そのとき。
警戒システムが、新しい情報を検知した。
オペレーター「……司令!」
綾音「……何?」
オペレーター「特別執行艦隊の一隻が、兵装出力を上昇させています!」
イズモ「…………」
綾音「……発射準備?」
オペレーター「……可能性があります!」
イズモは、正面モニターを見つめた。
巨大な砲塔。
その内部で、エネルギーが蓄積されていく。
しかし。
発射許可が出たのかどうかは、まだ分からない。
イズモ「…………」
彼は、ゆっくりと立ち上がった。
そして。
イズモ「……防御シールド、出力を上げてください」
オペレーター「了解!」
イズモ「……ただし、反撃はまだです」
綾音「……ええ」
イズモ「……相手が、本当に撃つまでは」
彼は、窓の向こうを見つめた。
同じ旗。
その旗の下で。
初めて、互いの艦が照準を合わせた。
第八話「交渉決裂」完
次話・第九話「同じ旗の下で」
――ついに照準を合わせた二つのピースギア艦隊。武力行使を命じられた特別執行艦隊と、非殺傷を原則とする第一調停艦隊。最初の一撃が放たれたとき、十九年間の戦争で失われたものと、別の歴史を歩んだピースギアが守り続けたものが、真正面から衝突する。