青の記録と幻想の空間使い 作:弾幕トレーナー
壊れた研究施設を出ると、最初に目へ入ったのは空だった。
幻想郷と変わらない青空。
太陽もある。夜になれば、月も昇るのだろうか。
その下を、見慣れない飛行機械が音もなく横切っていく。
視線を下げれば、古びた研究棟の向こうに高い建物が並んでいた。硝子と金属で作られた街は、外の世界よりさらに先へ進んでいるように見える。
「改めて聞くぞ」
〈はい〉
「ここがどこだか分かるか?」
〈キヴォトスです!〉
「もう少し狭い範囲で答えてほしかったな」
〈であれば分かりません!〉
梔子は自信満々に胸を張った。
元気があるのは結構だが、案内役としては早くも底が見えた気がするな。
建物の外壁に、風雨で色の抜けた案内板が残っている。
『第三区画 M―四二旧研究施設群』
文字は読めた。
ミレニアムの正式な地名なのか、施設だけに割り振られた管理番号なのかは分からない。
言葉まで同じなのか、それとも世界を越える時に何かしら調整されたのか。考える材料がないので、今は後回しにする。
「M―四二に心当たりは」
〈ないです〉
「そうか」
施設の正門らしき場所へ回る。
錆びた門は半分だけ開き、その先にはひび割れた道路が延びていた。しばらく人が使った形跡はないが、遠くには動く車両が見える。
少なくとも、完全な無人地帯ではない。
〈界人さん。やっぱり、まずアビドスへ行きませんか?〉
「今は行かない」
〈……そう、ですよね〉
逸る気持ちは分からなくもない。だが、得策ではなかった。
能力と内界を使えば、身分も金もないまま生き延びること自体はできる。だが、それでは人目を避けて物資を確保し続けることになる。暗躍するつもりも、犯罪者になるつもりもない。
帰還座標を失った以上、必要なのは一晩を凌ぐ方法だけではなかった。正規の立場、協力者、設備、この世界についての知識。先を考えるほど、まず地盤を作る必要がある。
「自治区の大半が砂に埋もれて、生徒もほとんど残ってないんだろ」
〈ほとんどではなく、少ないだけです〉
「何人いるか分かるか?」
〈……分かりません。私がいた頃より、増えていたら嬉しいですけど〉
「金も身分も土地勘もない状態で、物資も仕事も少ない場所へ行けば、向こうにまで迷惑をかける」
〈それは、そうですね〉
梔子は残念そうにアビドスがあるはずの方角を見た。それでも、無理に押し通そうとはしなかった。
現時点で向かう利点は少ない。だからといって、梔子の気持ちまで後回しにしていいわけではない。
「行かないとは言ってない。寝る場所と、食う手段と、移動するための情報。その三つを揃えたら必ず行く」
〈……本当ですか?〉
「こんなところまで来て、今さら嘘をつく意味があるか」
梔子はしばらく俺の顔を見てから、ゆっくり頷いた。
〈では、先にどこへ行くんですか?〉
「それを決める。アビドス以外で、知ってる学園を順に挙げてくれ」
〈はい! 任せてください〉
歩きながら、梔子の説明を聞く。
トリニティ総合学園。歴史と伝統があり、紅茶とお菓子が美味しい。
ゲヘナ学園。自由な校風で、角や翼のある生徒が多く、よく爆発している。
「何が爆発するんだ」
〈いろいろです〉
「聞いただけでも危ないのが分かるな。候補から外す」
百鬼夜行連合学院。お祭りが多く、和風の街並みがある。
山海経高級中学校。食べ物が美味しい。
レッドウィンター連邦学園。雪が多く、プリンが重要らしい。
「学園の説明をしてるんだよな?」
〈そのはずです〉
本人も自信がなくなってきたらしい。
「魔法や、特殊な力のようなものを研究している学園はないのか?」
〈魔法、ですか?〉
「別の世界だ。俺の知らない体系があってもおかしくない」
〈不思議な力を持っている人の話なら、聞いたことはあります。でも、それを研究している学園となると……〉
「知らないか」
〈すみません。研究なら、ミレニアムが一番有名だと思います〉
ミレニアムサイエンススクール。新しい技術を研究している、頭のいい人がたくさんいる学園らしい。
「治安は」
〈いい方だと思います〉
「思う」
〈少なくとも、ゲヘナよりは〉
「比較対象が悪すぎる気もするが……」
それでも、今までの中では一番ましだった。
技術と知識を重視するなら、異世界や魔法という話を最初から切り捨てない可能性がある。帰還座標を探すにも、地図や観測設備が欲しい。
少なくとも、今までに挙がった学園の中では悪くない選択だ。
「ミレニアムに行く」
〈場所は分かるんですか?〉
「ここからの道は分かるか?」
〈ここがどこか分かれば、たぶん。後は、標識や端末があれば調べられます!〉
「なら、まずは使える標識か端末を探すか」
道路沿いに、壊れかけた案内端末を見つけた。
画面へ触れると、一度だけ光ってから消える。電源がほとんど残っていないらしい。
うまくいくかは分からないが、物は試しだ。
裏側を開き、切れた配線を金の魔法で仮固定する。水は電気と相性が悪いので使わない。代わりに月の術式を重ね、傷んだ回路がこれ以上崩れないよう、今の状態を短時間だけ留める。
幻想郷で組んだ術式は、異世界の機械にも抵抗なく馴染んだ。
魔法が使えること自体は、門を閉じる前に確かめている。だが、使えるからといって、幻想郷と同じ法則で動いているとは限らない。
今は、基礎的な術式なら通る。それだけ覚えておけばいい。詳しい検証は、落ち着ける場所を得てからだ。
やがて、砂嵐混じりの地図が画面へ浮かび上がった。
〈魔法で機械も直せるんですね〉
「応急処置だ。仕組みが分からないから、切れた場所をつないだだけだ。動いたのは運がよかった」
どうやら現在地は、ミレニアム自治区の外縁らしい。
最初の目的地と決めた自治区の中へ出られたのはありがたい。
旧研究区画から学園の中心部までは、道路に沿って二十数キロ。公共交通の表示はあるが、運休の文字が点滅している。周囲の荒れ方を見れば、今もまともに動いているとは最初から期待していなかった。
〈それなりに近くて助かりましたね〉
「世界を越えた身としてはな」
もっとも、距離そのものは大した問題ではない。
見える範囲なら、短い門を重ねて進める。
ただし、人目のある場所でいきなり空間を割れば騒ぎになる。ここが幻想郷のように、能力を乱発したり空を飛ぶ人間を見ても放っておく土地とは限らない。
「歩くぞ」
〈それでも二十キロありますよ? 能力を使ったりはしないんですか?〉
「どこに目があるとも限らん。それに、ここは幻想郷じゃない。警戒するに越したことはないだろ。歩くのは街へ入るまでだ。交通手段を見つけたら使う」
〈じゃあ、飛びもしないんですね〉
「初日から悪目立ちする趣味はないからな」
〈あれ? でも、門から現れた時点で、もう十分目立っているような……〉
「誰も見てなかっただろ」
少なくとも、人は。
上空や建物にある機械が何を見ていたかまでは分からない。
◇
一時間ほど歩くと、廃墟の数が減り始めた。
道路は補修され、無人の車両が時折横を通り過ぎていく。遠くには広告を映す巨大な画面があり、制服姿の少女たちが笑っていた。
人通りも増えていた。
二人組の生徒を見つけた梔子の顔が、目に見えて明るくなる。
〈あっ、キヴォトスの生徒です! ちょっと色々聞いてきますね! すみませーん!〉
梔子が大きく手を振った。
二人は足を緩めなかった。声が届かなかったのか、そのまま俺たちの横を通り過ぎていく。
〈あれ?〉
梔子は振り返ると、少し先を歩いていた別の生徒へ近づいた。
〈すみません。ミレニアムへの道を聞きたいんですけど――〉
今度は、相手の目の前へ回って話しかける。
それでも生徒の視線は梔子へ止まらなかった。道の端に立つ俺を珍しそうに見た後、梔子の身体へ重なるように歩いてくる。
〈えっ〉
生徒の肩が、梔子を何の抵抗もなくすり抜けた。
振り返ることさえなく、遠ざかっていく。
梔子はその背中を見送ったまま、自分の胸元へ手を置いた。
自分が幽霊だということを忘れていたわけではないはずだ。
ただ、幻想郷では誰もが梔子を見て、当たり前のように声を返した。飯も眠りも必要ないことを除けば、死者であることを意識する機会は少なかった。
触れられなかったことより、視線すら合わなかったことの方が堪えたらしい。
「梔子」
〈……はい〉
「少なくとも、ここの住人にはお前が見えてない。声も届いてないようだ」
〈でも、幻想郷ではみなさんと普通にお話しできましたよ?〉
「幻想郷を基準に考えない方がいい。あそこは常識外のものが集まる世界だ。幽霊も亡霊も半霊も、当たり前に歩いてる」
〈はい……〉
「キヴォトスの常識は、俺にもまだ分からん。だが、幻想郷の常識がここでも通じるとは限らない。薄々予想はしていたが、確かめるまでは俺にも分からなかった」
俺には最初から梔子が見えている。
四年も幻想郷で暮らし、霊的なものを見る目が養われていること。能力でこいつの存在を今いる空間へつないでいること。その両方が理由だろう。
俺に見えることが、ほかの住人にも見える証明にはならない。
〈私の世界へ帰ってきたのに……〉
呟く声は小さかった。
故郷へ戻れば、少なくとも誰かには自分の声が届く。梔子はどこかで、そう思っていたのだろう。
いや、そう思いたかったのかもしれない。
「声が届かないと分かっただけだ。お前がここにいることまで消えたわけじゃない。俺にはお前が見えてる。少なくとも俺が見ている限り、お前がここにいることは俺が保証する」
〈……ありがとうございます〉
梔子はもう一度、遠ざかる生徒を見た。それから今度は、俺から離れすぎない位置へ戻ってくる。
制服姿の少女たちに混じって、背広を着た大型犬が二本の脚で歩いている。その隣では、角張った金属の身体を持つ機械が、紙袋を抱えて信号が変わるのを待っていた。
犬から妖気は感じない。機械にも、誰かが操っている糸や術式の気配はなかった。
「梔子。あの犬と機械は」
〈市民の方ですね〉
「それは見れば分かる。そうじゃなくて、種族はなんだ。妖怪か、付喪神か、それとも別の何かか」
〈犬の人と、ロボットの人ですけど……〉
梔子は、俺が何を疑問に思っているのか分からない顔をしていた。
幻想郷にも、獣から変じた妖怪や、意思を持つ道具はいる。だが、目の前の二人は妖怪でも付喪神でもなく、ただの市民として街に溶け込んでいるらしい。
背広姿の犬が連れと何か話しながら通り過ぎる。こちらも珍しそうに見られたが、それ以上のことはなかった。
制服姿の少女たちには、獣の耳や角、翼を持つ者までいる。どれも妖気らしいものは感じない。見た目から種族を推し量る癖は、この世界では役に立たないのかもしれない。
そして、その全員の頭上に光の輪がある。
「本当に全員についてるんだな」
〈ヘイローですか?〉
「話には聞いてたけど、ここまで普通に浮いてると落ち着かない」
〈幻想郷の方に言われたくないと思います〉
否定できないのが腹立たしい。
人のことを言える世界ではない。それでも、知らない常識に囲まれれば違和感はある。
それとは別に、すれ違う生徒から妙に視線を向けられている。
服装が浮いているのかと思い、帽子や上着や袴風のパンツを確かめる。軍服に似てはいるが、銃を持った生徒が歩く街で、そこまで異様とも思えない。
何が引っかかっているのか、この時点では分からなかった。
とりあえず腹が減ったので、内界から握り飯と水を出す。
梔子が羨ましそうに見てきた。
「今は立ち止まって影を作る余裕はないぞ」
〈何も言ってません〉
「顔に出てる」
〈幽霊でもお腹は空く気がするんです。幽々子さんだって、ずっと何か食べていましたし〉
「気がするだけなら我慢してくれ、それとあいつを基準にするな」
あれは亡霊の中でも飛び切りおかしいやつだ。
文句を聞き流しながら歩いていると、乾いた音が連続して響いた。現世でも幻想郷でも聞くことはほとんどないような、そんな音だった。
足が止まる。
梔子も遅れて振り返った。
〈今のは〉
〈銃声です〉
「即答できるんだな」
〈キヴォトスですから〉
何の説明にもなっていない。
音は道路の先、倉庫が並ぶ区画から聞こえた。
続いて、金属がぶつかる音。誰かの叫び声。
空間感覚を広げる。
四人。
三人が一人を追っている。
〈界人さん?〉
「見てくる。離れるなよ」
歩幅一つ分の距離を畳み、倉庫の角へ移る。
道路の中央を、小型の運搬車が蛇行していた。首にヘッドホンを掛けた制服姿の少女が、片手でハンドルを握り、もう片方の手で拳銃を後ろへ向けている。
追っているのは、覆面を被った三人の少女。どう見ても強盗の場面だ。
こちらも銃を持っていた。
「荷物を置いていけ!」
「これは部で使う大切な機材です。渡すわけにはいきません!」
追う側が発砲する。
人目と監視機器を意識し、月の術式を薄く広げる。
俺の手元と運搬車から返る光を僅かにずらすと、その周囲だけが逆光を受けたように白く滲んだ。
完全に姿を消すものではない。視線やレンズへ、術式の細かな形を拾わせないための目眩ましだ。
銃口と運搬車の間へ、薄い空間の面を差し込む。角度をずらすと、飛んできた弾丸が道路へ逸れた。
甲高い音を立て、火花が散る。
「えっ?」
被弾すると思っていたのだろう、運転していた少女が不思議そうに振り返る。
「おい、前を見てろ」
倉庫の壁へ突っ込む寸前だった。今からハンドルを切っても間に合わない。
運搬車の正面と開けた道路を一瞬だけつなぎ替える。車体は壁へ触れる直前に消え、数メートル横へ滑り出た。
少女が悲鳴を上げながらブレーキを踏む。
「い、一体何が!?」
「質問は後だ。今は頭を下げてろ」
覆面の一人が俺へ銃口を向ける。
「誰だか知らないけど、邪魔するなら――」
発砲。
本当に撃ってきた。初対面の人間へ向けるには、随分と軽い引き金だ。
正面から来る弾丸を、まとめて右へ流す。
銃弾は俺の横を通り、何もない壁へ穴を開けた。
速い。
妖精の弾幕とは違い、小さく、直線的で、音が届くより先に通り過ぎる。
見てから一発ずつ避けるものではない。自分が掌握している空間へ入った瞬間に、まとめて進路を外す方が効率的だ。
〈界人さん、後ろ!〉
梔子の声。
もう一人が倉庫の陰へ回っていた。
振り返るより先に銃声が鳴る。
運搬車の少女も遅れて気づいた。このままでは二人まとめて撃たれる。
自分なら簡単に避けられる。
だが、少女まで含めて安全に転移させる座標を組むには一手遅い。
銃口も弾道も見ていない。方向だけを無理に変えれば、逸らした先の誰かに当たる可能性がある。
今は、二人とも射線から外す方が早い。
距離を縮めて腕をつかみ、地面へ伏せさせる。同時に身体強化を全身へ回す。
熱が、左腕をかすめた。
遅れて痛みが走る。
〈界人さん!〉
「騒ぐな。かすっただけだ」
袖が裂け、血が滲んでいる。
骨までは届いていない。
身体強化は間に合ったが、想定していたより弾の力が強い。次からは、もう一段厚くした方がよさそうだ。
覆面の三人が次の弾を込める前に、足元へ水を走らせた。
薄い水の膜を、一人ずつ別の方向へ引く。足元の敷物だけを、勢いよく引き抜くように。
「うわっ!」
「何これ!?」
三人の足が同時に滑った。
倒れたところで、銃と手の間の距離を広げる。握っているはずの銃が一瞬だけ遠ざかり、その場へ落ちた。
最後に金の糸で二丁を地面へ縫い留め、残る一丁をこちらへ引き寄せた。
拾い上げた銃の照準を、三人の足元へ合わせる。扱い慣れた武器ではない。撃つつもりもないが、威嚇には十分だった。
役目を終えた月の術式がほどけ、白く滲んでいた景色が元へ戻る。
「まだやるか」
覆面の少女たちは、落とした銃と俺を交互に見た。
「覚えてろー!」
典型的な捨て台詞を残し、三人揃って逃げていく。
追う必要はない。
拾った銃を下ろし、残る二丁とまとめて金の糸で地面へ固定する。
「大丈夫か」
伏せさせた少女へ手を貸す。
「は、はい。助かりまし――」
こちらを見上げた少女の言葉が、不自然なところで途切れた。
「……男性?」
「そうだが」
「本物の、人間の男性なんですね」
「偽物を見たことがあるのか?」
「いえ。人間の男性を、こんなに近くで見るのは初めてなので……」
妙な言い方だな。
キヴォトスに人間の男がまったくいないのか、単に珍しいだけなのか。それとも、この少女が会ったことがないだけか。今の反応だけでは分からない。
ただ、珍しいのなら、道中で集めていた視線の理由ともつながる。
聞き返すより先に、少女の視線が俺の左腕へ落ちた。
こちらも少女の制服へ目を戻す。その右肩には穴が開いていた。
下には赤くなった肌が見える。服の損傷なら少女の方がひどい。それなのに、肉が裂けた様子はない。傷だけを比べれば、掠めただけの俺の方が深かった。
「撃たれてるぞ」
「ああ、これくらいなら平気です。ちょっと痛いですけど」
少女は肩を二度回し、本当に何事もなかったように立ち上がった。
穴の開いた制服の方を気にしている。
「聞いてはいたけど、やっぱりおかしいだろ……」
「なにがですか?」
梔子と少女が、ほとんど同じ調子で首を傾げた。
「耐久力が……いや、こっちの話だ。それに幻想郷も大概か」
撃たれて平気そうな知り合いなら、向こうにも何人かいる。
基準にしてはいけない連中ばかりだが。
「それより、あなたの腕が。出血しています」
少女が俺の腕を見て、顔色を変えた。
「どうして……いえ、ヘイローが、ない……?」
少女の視線が、傷口と俺の頭上を何度も往復する。
理由は分からないなりに、自分との違いを探しているらしい。
「見た目ほど深くない。心配しなくていい」
「待ってください。私より浅くしか当たっていないのに、血が出ています。分からないことばかりですが、放っておいていい傷ではないでしょう。念のため救急車を呼びます」
「要らない。少し落ち着け。止血すれば済む」
上着の内側へ入れていた布と薬を出す。
少女は俺の手から布を取り上げると、慣れた手つきで傷口へ巻いた。
「じっとしていてください。助けてもらった人を、このままにはできません」
自分でできる、と断りかけてやめた。
「……いや、悪い。助かる。だが、自分の方も確認してくれ」
「私は平気です」
「……本当にそうらしいな。目の前で見せられると、納得するしかない」
治療を受けながら、廃墟でのことと少女と交わした言葉を思い返す。
文字だけではなく、話し言葉まで問題なく通じている。
梔子に通訳されているわけでも、頭の中へ意味だけが流れ込んでいるわけでもない。聞こえている音そのものが、俺の知る言葉だった。
ここは日本と何か関係があるのか。それとも、世界が違っても言葉の根は同じなのか。
今の材料だけでは、どちらとも決められない。
考えを一度脇へ置き、運搬車へ目を向ける。
荷台には、機械部品の入った箱がいくつも積まれていた。一つには、先ほど案内端末の地図に表示されていたものと同じ印がある。
「ミレニアムの生徒か?」
「あっ、はい。部で使う機材を運んでいたんです」
「なら、道を聞いてもいいか。俺もそこへ向かっている」
「ミレニアムなら、この道路を真っ直ぐです。失礼ですが、学園へはどのようなご用件で?」
「研究に関する相談だ。内容は、責任を持って判断できる相手に直接話したい」
「……分かりました。私では判断できませんが、学園まではお送りします。荷台でよければ乗っていきますか?」
「乗せてもらえるなら助かる。ありがとう」
「こちらこそです。部品まで守っていただきましたから。あの……そのことで、一つ伺ってもいいですか?」
「何だ」
「壁へぶつかる直前、車体が横へ動いたように見えました。銃弾も、不自然な方向へ逸れて……。あれは、あなたが?」
一瞬のことでも、何も気づかなかったわけではないらしい。
「……それに関して、一つ頼んでいいか」
「何でしょう?」
「俺が何かをしたことは、もう気づいてるだろう。だが、必要以上には広めないでほしい。学園の責任者へ報告するのは構わないが、説明する相手はこちらでも選びたい」
「……分かりました。必要な報告は責任者にだけ行います。それ以外には口外しません」
「助かる」
少女は運搬車の後ろへ回り、車輪や荷台が壊れていないか確かめ始める。
その隙に、包帯の上から右手を重ねた。
木の魔力を細く流し、裂けた皮膚と血管の回復を促す。傷口が熱を持ち、続いて痛みが鈍くなった。出血が止まったことを確かめて、右手を離す。
妖怪や妖精の弾が飛び交う幻想郷で、生身の人間として暮らすなら、治癒魔法は覚えないわけにはいかなかった。考えてみれば、能力の次に使用頻度が高い魔法かもしれない。
少女と一緒に、少しばかり崩れた荷物を積み直す。
少女は地面へ落ちていた箱へ両手を掛けると、腰を入れることもなく持ち上げ、そのまま荷台の奥へ押し込んだ。
手伝おうと次の箱を拾い上げて、手が止まる。
見た目より重い。金属部品が隙間なく詰まっているらしく、現代なら二人で運んでもおかしくない重量があった。それを、俺より細い腕で軽々と運んでいたことになる。
生徒が銃弾や爆発に強いとは聞いていた。大型の銃を持って走り、反動を受け止めるなら、考えてみれば耐久力だけが現代人と違うはずもない。
少女一人を見ただけでは、この世界の全員に当てはまるのか、彼女個人の力なのかまでは分からない。それでも、基本的な身体能力まで現代人と同じだという前提は、捨てた方がよさそうだった。
少女が運転席へ回ったところで、声を落とす。
「梔子。銃弾に強いとは聞いた。腕力まで、俺の知る人間とは違うのか?」
〈強い……ですか? これくらいなら、普通だと思いますけど〉
「ほかの生徒もか?」
〈たぶん……人によって差はありますけど、あれくらいなら特別すごいことではないですね〉
「……マジか」
生前の梔子にとっては当たり前で、比較する相手も同じキヴォトスの生徒しかいなかった。今の身体では箱へ触れて、重さを確かめることもできない。
これ以上聞いても、正確な基準は出てこないだろう。
妖怪ほどかは分からない。それでも、ここの生徒は俺の知る人間より、身体の作りそのものが頑丈で力も強いらしい。
俺も荷台へ腰を下ろした。
梔子が隣へ浮かぶ。
〈パチュリーさんや皆さんに無茶をしないって言ってませんでした?〉
「死ぬつもりで動くのと、死なないと判断して動くのは別だぞ」
〈怪我してるじゃないですか〉
「かすり傷だ」
〈もう! ああいうことをするなら、先に言ってください。心臓に悪いです。撃たれたら死ぬって言ったじゃないですか〉
「庇う前に相談する時間があると思うか?」
〈確かにそうですけど……〉
梔子は包帯を巻かれた腕を見て、まだ納得していない顔をしている。
「もう魔法で治してある。それに、銃弾の速さも、身体強化をどこまで掛ければいいかも確認できた。次は同じ加減を間違えない」
〈確認って――〉
いつの間にか点検を終えていた少女が、運転席からこちらを振り返った。
「あの……先ほどから、どなたとお話しされているんですか?」
「考えを整理していただけだ。紛らわしくてすまない」
「……そうですか」
返事は丁寧だったが、納得した顔には見えなかった。
当然だと思う。
運搬車が動き出す。
廃墟と倉庫を抜けると、街の向こうに巨大な建物が見えてきた。
幾何学的な塔、空中を渡る通路、絶えず行き交う無人機。
幻想郷にも、外の世界にもない景色。
〈あれが、ミレニアムサイエンススクールです〉
梔子が誇らしげに言った。
目的地へ着く前に撃たれたことを考えると、先行きは明るいとは言い難い。
「そういえば治安がいいって話は何だったんだ」
〈ゲヘナよりは、です〉
「名前の通り地獄のような場所なのか?」
俺の呆れた声はそのままエンジン音に消え、運搬車は学園の門へ向かった。