欲しがりな義妹に聖女の力を奪われましたので、好きにさせていただきます 作:カレーとスコップ
『エラー:条件を満たさないため、制約が解除されます』
アンネローゼの頭の中に不思議な声が聞こえてきた。
それと同時に、今まで靄がかかっていたような思考が急速に晴れていく。はっきりとした思考の先に見えるのは別の人間として生きた記憶──国に兵器として扱われ、裏切られて処刑される運命を辿った前世の記憶だった。
もちろん、これまで生きてきた十五年間の記憶もはっきりと残っている。だけど、それは何者か──おそらく女神によって作られた人生だろう。
アンネローゼが我に返ると、そこは煌びやかなシャンデリアで照らされたパーティー会場だった。
おそらく夜会の最中だったのだろう、身なりのいい人たちが遠巻きにして成り行きを見守っていた。
「ふふふ、これでお姉様の聖女の力は私のものですわ!」
義妹のフェイリアが哄笑と共にアンネローゼから聖女の力を強奪したと高らかに宣言する。しかし、前世の記憶を取り戻した彼女にとって、聖女の力は女神から押し付けられた呪いでしかなかった。
癒しの力は貴重なものではあるが、押し付けられた聖女の制約により行動が制限されることを考えれば虚無の彼方に投げ捨ててもかまわない程度のものだった。
「ふーん、そんなもの──欲しいならどうぞ」
聖女の力を奪われてもなお涼しい顔をしているアンネローゼの姿にフェイリアは怒りの形相を浮かべる。
フェイリアとしては悔しがる姿が見たいのだろう。だが、解放感に満たされたアンネローゼが悔しがることなどありえない。
むしろ歓喜に打ち震えそうになるのを必死に耐えているくらいだった。
「強がっても無駄ですわ! 聖女の力を失ったお姉様など、王家にとって無用の長物。婚約もすぐに破棄されますわ!」
「王家……婚約……ですって?」
フェイリアの言葉を聞いたアンネローゼに衝撃が走る。前世の記憶を取り戻せた喜びすらも吹き飛ぶような衝撃の言葉に背筋が凍り付く。
アンネローゼにとって王族など自分を裏切った憎むべき仇敵でしかない。よりにもよって、そんな相手と婚約していた──それも自ら望んで、となれば動揺するのも当然のことだろう。
「あらあら、ショックで忘れてしまったのですか。聖女の力を認められたお姉様は、第一王子の婚約者になったのですよ。それも今日までですけどね!」
「ああ、そうだな。聖女の力を持っていると偽った罪は非常に重い。婚約破棄は当然だが、しっかりと罪に問う必要がある」
動揺した理由に気付いていないフェイリアは蔑むような目で勝ち誇った笑みを浮かべていた。彼女の隣に立っている男──元婚約者でもあるユリウス・サンドリア第一王子も同様に卑しい笑みを浮かべていた。
そこには矜持も何もない。ただ単に自分たちの利益のために他者を使い潰す意思を持った顔──アンネローゼを貶めた忌まわしい裏切り者と重なり、手に思わず力が入って魔力がわずかに漏れ出した。
「きゃあぁぁっ!」
「貴様! 第一王子である俺に対して危害を加えようとするなど──」
ユリウスは魔力に当てられて震え上がるフェイリアを抱き締めてアンネローゼをにらみつける。自身も手をわずかに震わせながら。
──茶番だ。
聖女の力を失って用済みになったアンネローゼすら、自分たちの利益のために使い潰そうとする。
前世において用済みになったアンネローゼを、自分たちが生き延びるために罪を擦り付けた王族と同じだった。
わざとらしく被害者ぶることで、自分たちには非がないと主張する。そうでなければ、アンネローゼが少し腹を立てた程度で怯えるなどありえない。
「まったく大げさなことですね」
「俺を脅したところで聖女を騙った貴様の罪が消えることはない!」
「体よく利用しようとして騙されたなどと……被害者を演じるような、いつもの茶番は結構ですよ」
「茶番だと……」
図星を突かれたユリウスがむき出しになった歯を強く嚙み合わせる。しかし、アンネローゼとしてもこのような戯れに馬鹿正直に付き合うつもりはない。
付き合ったところで、せいぜい悪役に仕立て上げられるのがオチだからだ。
「ふぅ、付き合いきれませんね」
アンネローゼは大きくため息を吐くと、ユリウスに背を向けて入口の扉へと向かう。だが、それすらもユリウスは許さないらしい。
「待て! 聖女を騙った罪を知らん顔で逃げるつもりか!」
「逃げるのではありません。付き合いきれません、と申し上げたではありませんか」
「黙れ! 国外追放で済ませてやろうと思ったが──もういい、この場で死ぬがいい!」
ユリウスがぶつぶつと呪文を唱えると、アンネローゼを取り囲むようにして炎の壁が立ちふさがる。
猛然と燃え盛る炎の壁に遠巻きに見ていた人たちからも悲鳴と歓声が上がる。外野の声に勢い付いたユリウスが勝ち誇った笑みを浮かべる。
「これでもう逃げ場はない!」
「こんな焚火で囲んで『逃げ場はない』などとドヤ顔で言われても困るんですけど……」
比べ物にならない大きさの爆炎が飛び交う戦場を駆け抜けた前世のアンネローゼ。それを考えると、ユリウスの作り出した炎の壁など単なる焚火にしか見えなかった。
あまりのショボさに、アンネローゼは令嬢として取り繕う気も失せてしまい、かつて野営で焚火を囲んで夜を明かした記憶が思い起こされる。
「くははは、恐怖で言葉も出ないようだな! だが、第一王子を侮辱した貴様に生きる資格はない!」
たしかにアンネローゼは言葉を失っていた。それは恐怖によるものではなく懐かしさによるものだが──。
そのことにすら気付かないユリウスは天に掲げた両手の上に巨大な炎の球を作り、アンネローゼに向けて放つ。
「死ねェェェ!」
「いやいや、無理でしょ」
アンネローゼは右手に少しだけ魔力を集め迫りくる炎を裏拳で殴りつける。撃ち返された炎はユリウスの脇を通り抜け、彼の背後にある天井をぶち抜いて大空に巨大な大輪を咲かせた。
「うそっ、こんな脆い建物の中で魔法を使ったの? バカすぎじゃない」
「あ、あ、馬鹿な、魔法を打ち返すなんて!」
あいさつ程度の炎の球を打ち返されただけなのに、なぜかユリウスは膝から崩れ落ちて絶望の表情を浮かべていた。
アンネローゼとしてはムカつく笑顔よりはマシな顔になったお陰で少しだけ気持ちが落ち着いた。
しかし宣戦布告のあいさつを受け取っておいて、無視するのは失礼というもの。国や王族のための兵器として戦うのはまっぴらだが、アンネローゼにも矜持はある。
宣戦布告に応えないわけにはいかない。
「聖女の力で削られ続けたせいで大した魔力は残っておりませんが、全力でお返しさせてもらいます!」
アンネローゼの両手に膨大な魔力が集まっていく。大きさこそユリウスの火球に比べて遥かに小さい。
だが、密度が違う。そして、圧倒的な密度からもたらされる性質──炎という実体ではなく壊滅という概念そのものを具現化した力。
かつて、全力で放った時には敵国が地図から消えたこともある。今回は全力とは言いつつも、残った魔力は遠く及ばない。
「あ……う……」
「こ、こんな力……」
「し、死にたくない……」
ユリウスやフェイリアだけでなく遠巻きに見ていた人たちすらも、みっともなく狼狽えていた。この程度のことに大の大人が揃いも揃って無様に振舞うなんて──アンネローゼは心の中で呆れてしまう。
ユリウスが結界などで抑え込めば被害などほとんど出ないだろうし、この世の終わりのような顔をして嘆くようなものじゃない。
この程度の魔法は戦場なら当然のように飛び交っていたし、仮にユリウスが抑え込めなかったとしても、それは抑え込めなかったユリウスの責任である。
魔力が足りずに全力で応えることができないのは遺憾ではあるが──アンネローゼとしては大目に見てもらいたいところだ。
「えっ、空間に歪みができてる……もしかして女神が干渉をしてきた?」
だが、いざ放とうとしたところで、アンネローゼは自分の周囲の空間が歪んでいることに気付いた。一瞬にして周りの景色が荒野に変わる。変わっていないのは足下の床だけだ。
──女神の干渉。
女神は人間に対して直接影響を及ぼすような力を使うことができない。それはアンネローゼに対しても同じ。
だから女神はアンネローゼのいる座標空間そのものを世界の果てと入れ替えてしまった。この程度の魔法からユリウスを守るために。
「いくら女神とはいえ、ここまで干渉すれば力の大半を使い果たしているはず……」
なんとも腹立たしいことだった。前世のアンネローゼがいかなる苦境に立たされようとも手を差し伸べるどころか、転生の秘術に割り込んで聖女の力と制約を押し付けてきた。
そのくせ王族には、今回のようにリスクを顧みず手を差し伸べることすらある。
「まあいい。どうせ女神もしばらくは干渉できないだろうし、こっちはこっちで好きにさせてもらうとしよう」
見渡す限りの荒野であるにもかかわらず、アンネローゼは初めて得られた自由に心を躍らせた。