ボーダー本部の談話室
ライ・アッシュフォードと常守朱は、向かい合って席に座っていた。
「それじゃあ、どこから話しましょうか」
朱は紅茶のカップを置き、少し考えた。
「そうね……あなたが日本に来たところからお願いするわ」
「わかりました」
朱は手元のノートを開いた。話を聞き逃さないようにする、真剣な姿勢だった。
もともとイギリスで暮らしていたこと、日本に来たのは親族のもとで勉強するためだったことを語った。当初の予定は一年間の留学でそれ以上、日本に滞在するつもりはなかった。
けれど、こちらで暮らし始めて間もなく、大規模侵攻が起きた。
「最初は、何が起きているのか分かりませんでした。街に現れた化け物から逃げる人たちがいて、僕もできる限り避難を手伝いました」
ライは当時を思い返す。
「そのとき、旧ボーダーの人たちが戦っている姿を見たんです。自分たちの身を危険にさらしてまで、街の人たちを守っていました」
「それで、ボーダーに?」
「はい。もちろん、それだけではありません。侵攻後の復興を手伝う中で、迅君に声をかけられたんです」
朱は顔を上げた。
「迅君に?」
「ええ。僕がボーダーに向いていると考えてくれたようです。詳しい理由は、今でも教えてもらえませんけど」
ライは少し苦笑した。
「それから、母方の叔父に相談したり、家の道場で剣の稽古をしたり、両親に連絡したり……いろいろな人の助けを借りて、入隊を決めました」
「ご家族は、反対しなかった?」
「心配はしていました。特に妹は、僕が日本に来るときにもずいぶん寂しがっていましたから」
ライは懐かしそうに目を細めた。
「それでも、最後には僕の決断を尊重してくれました」
朱は静かに頷いた。
「ありがとう。よく分かった」
「いえ。こんな話でよければ」
ライがそう答えると、朱はノートを閉じた。
そして、少しだけ表情を引き締めた。
「実は、今日はもう一つ、ライさんに話したいことがあったの」
「もう一つ?」
「はい。これから始まる、集団ランク戦についてです」
ライの表情が変わった。
個人ランク戦に続いて、集団での戦闘能力を競い合う制度。その準備が進められていることは、彼も聞いていた。
「集団ランク戦の基礎設計について、何かご存じなんですか?」
「ええ。というより、個人ランク戦も集団ランク戦も、基礎となる仕組みは以前から考えられていたものなのよ」
「以前から……というと、旧ボーダー時代からですか?」
「そうです」
朱は頷いた。
「私は旧ボーダーの頃から隊員として活動していたんだけどね。今のように組織が大きくなる前から、隊員を育てるための仕組みについては、いろいろな議論があったのよ」
ライは興味深そうに彼女の話を聞いていた。
「旧ボーダーにも、隊員は大勢いたんだよ。ただ、当時は組織の存在そのものを秘密にしておく必要があってね。資金も人員も、今のように自由に確保できるわけではありません」
朱の声が、少し低くなる。
「そして、私たちは実戦を通して戦い方を覚えるしかなかった。」
「……」
「もちろん、訓練はしていたわ。でも、どれだけ準備しても、実際の戦闘では予想外のことが起きる。経験を積むためには、どうしても危険な状況を経験しなければならなかった」
朱は一度、視線を落とした。
「その結果、多くの隊員が命を落とした」
談話室に沈黙が落ちる。
ライは口を挟まず、彼女の言葉を待った。
「だからこそ、個人戦や集団戦のような仕組みが必要だった。安全を確保した環境で、実戦に近い経験を積めるようにする。自分の弱点を知り、仲間との連携を学び、失敗しても命を失わずに済むようにする」
朱は顔を上げた。
「もちろん、ランク戦だけですべてを解決できるわけではないわ。でも、少なくとも、訓練の段階で学べることは増やせるはず」
「実戦に出る前に、経験を積ませるわけですね」
「実際に戦うことが必要な場面は、どうしてもある。でも、実戦で初めて知ることを一つでも減らせるなら、それだけ助かる隊員もいるはずよ。」
ライはゆっくりと頷いた。
旧ボーダーの戦い方を、彼は尊敬している。
自分たちの安全を後回しにしてでも、人々を守ろうとした人たち。その姿があったからこそ、自分もボーダーに入ろうと思った。
けれど、その戦いの裏側で、多くの隊員が犠牲になっていたことも事実だった。
「新ボーダーの設立は、城戸さんによる大きな方針転換だったわ。」
朱は続けた。
「組織を公にし、資金や人材を集め、研究開発を進める。そして、隊員を継続的に育成できる仕組みを作る。それは単に規模を大きくするためではないわ」
「犠牲者を減らすため、ですか」
「そう。一人でも多くの隊員に生きて帰ってきてほしい。そのために必要な変化だったと思っています」
朱の目には、はっきりとした意志があった。
「私は、城戸さんの考え方すべてに賛成しているわけではないわ。でも、この方針転換には大きな意味があると思ってる。」
ライは、彼女の言葉を噛みしめるように聞いていた。
城戸正宗が目指すもの。
旧ボーダーとは異なるやり方で、より多くの人を守る組織を作ろうとしていることは、ライも理解していた。
そして、その変化を現実のものにするためには、単に制度を導入するだけでは足りない。
制度を使い、検証し、改良していく必要がある。
朱はそのことを、誰よりも真剣に考えているようだった。
「……それで、ライ君にお願いしたいことがあるの」
彼女は、改めてライを見つめた。
「私は、これからのボーダーのために、一つの部隊を結成したいと考えているの」
「部隊、ですか?」
「ええ。ただ強い部隊を作るのではなく、ボーダーの部隊としての体系化を進めるための隊を作る」
朱は言葉を選びながら説明した。
「集団ランク戦を通じて、どんな戦術が有効なのか、どうすれば隊員同士の連携を高められるのか、どういう訓練をすれば成長につながるのか。それを実際に試し、記録し、分析するための部隊よ」
「つまり、今後の隊員育成のためのモデルケースを作る……?」
「その通り」
朱は嬉しそうに頷いた。
「一つの部隊ですべての答えが出るとは思ってないわ。でも、具体的な事例があれば、今後入隊してくる人たちに、よりよい訓練方法を示せるようになると思うの」
「なるほど……」
ライは考え込んだ。
ただ勝利を目指すだけではない。
勝敗の結果から何を学び、どのように改善し、次の隊員たちへとつなげていくのか。
それを組織的に行うための部隊ということだ。
朱は一度息を整え、それから本題を口にした。
「その部隊の隊員の一人として、ライ君に参加してもらいたいの」
ライは、すぐには答えなかった。
「……僕を、ですか?」
「ええ。」
朱は迷いなく頷いた。
「ライ君は、自分の戦闘だけでなく、周囲の隊員やトリガーの開発についても考えていると聞いているわ。自分の経験を振り返って、改善できるところを探す。技術部の人たちとも協力して、新しい戦い方を考える」
「……」
「そういう視点を持った人に、ぜひ参加してほしいんです」
ライは目を伏せた。
評価されることには、まだ慣れていない。
自分が特別な人間だとは思っていなかったし、今もそう考えている。
ただ、目の前の問題に対して、自分にできることを探してきただけだ。
けれど、その積み重ねが、誰かの目に留まっていた。
「常守さん」
「はい」
「少し、僕の考えを話してもいいですか?」
「もちろん」
ライは窓の外へ目を向けた。
そこには、復興が進み、少しずつ形になっていく街が広がっていた。
「僕がボーダーに入ったのは、母が愛した日本を守りたいと思ったからです」
朱は黙って耳を傾けた。
「母は、日本のことをよく話してくれました。文化や風景、人々のこと。僕にとって日本は、母が大切にしていた場所なんです」
ライは穏やかに続けた。
「だから、ここで暮らし始めて、侵攻が起きて、人々が傷ついているのを見たとき……自分にも何かできないかと思いました」
「ええ」
「でも、実際にボーダーに入ってみると、すぐに分かりました。僕一人でできることには限界があるんです」
彼は自分の手を見下ろした。
「どれだけ訓練しても、一人ですべてを守ることはできません。戦闘では仲間の力が必要ですし、装備を作る技術者の力も必要です。組織を支える人たちがいなければ、そもそも戦い続けることだってできない」
入隊してからの日々が、頭の中をよぎる旧ボーダー隊員の人達。自分を迎え入れてくれた人たち。
訓練に付き合ってくれた仲間たち。新しいトリガーの開発に取り組む技術者たち。
それぞれが違う場所で、自分にできることを積み重ねている。
「僕は、いろいろな人に助けられて、少しずつ自分にできることを増やしてきました。まだまだ未熟ですけど……それでも、入隊したばかりの頃よりは、誰かの役に立てるようになってきたと思います」
ライは朱に視線を戻した。
「これからボーダーに入ってくる人たちも、最初はきっと同じです。何ができるのか分からない。自分に何が向いているのかも分からない。そういう人たちが、少しでも安全に成長できる環境を作れるなら……僕にも、できることがあると思います」
そして、静かに微笑んだ。
「常守さんのお話を聞いて、よく分かりました。僕でよければ、その部隊に参加させてください」
朱の表情が明るくなった。
「本当!?」
「はい。僕自身、集団戦についてはまだ学ぶことがたくさんあります。それに、僕が参加することで何が分かるのかも、今ははっきりとは言えません」
「それでも構わないわ」
朱はすぐに答えた。
「最初から答えを持っている必要はないわ。実際に試して、考えて、失敗したら改善する。その過程そのものに意味があるのだから」
「……そうですね」
ライは頷いた。
自分が選んだ道が、これから先どこにつながるのかは分からない。
けれど、母が愛した日本を守りたいという思いは変わらない。
そして、その思いを実現するために、自分一人の力にこだわる必要もないのだ。
仲間と協力し、技術者と考え、組織の仕組みを整える。
そうした一つ一つの積み重ねが、いつか誰かの命を救うことにつながるのなら。
「よろしくお願いします、常守さん」
ライが差し出した手を、朱はしっかりと握った。
「こちらこそ、よろしくねライ君」
二人の間で、まだ名前も決まっていない新しい部隊の構想が、確かな一歩を踏み出した。
それは、ただ勝つための部隊ではない。
これからボーダーに入ってくる隊員たちが、より多くの経験を積み、より安全に成長し、そして一人でも多く生きて帰れるようにするための部隊。
その目的を胸に、ライ・アッシュフォードは新たな役目を背負うのだった。