追放の真意〜そんなものは無かったが、仲間も敵も王族も、みんな勝手に深読みしてくる〜 作:目下−1
「——ルシア。今日を持って君をこのパーティから追放する」
『時計塔』。
ルクス=ヴェスペリア王国に勇名を轟かせる探索者パーティ『暁と黄昏』の活動拠点。その名の通り、街の一角に聳える古い石造りの塔を改装した建物だ。元は何百年も前に造られた監視塔だったらしく、分厚い外壁には時の蓄積が刻み込まれている。
石は熱を溜め込む。昼間に吸い込んだ陽光は、夜に至るまで、じわりと放たれ続ける。その温もりが今も尚室内に薄く残っていた。
しかしそれも、もうじき失われる。
拠点の高い窓から斜陽が差し込んでいた。夕暮れの光は赤く、長く、まるで時間そのものが引き延ばされた様に石造の床を斜めに切っている。
その境界はくっきりとしているのに、どこか曖昧でもある。踏み越えれば何かが変わるような、そんな錯覚を覚える光だった。
昼間の喧騒が嘘の様に静かだった。
街の騒めきは遠い。ここまで届く頃には音は角が取れ、ただの気配に変わっている。人の営みの輪郭だけが、ぼんやりと空気に溶けている。
その静寂の中で——俺の声だけがやけに鮮明に響いた。
長机を挟んで、俺と仲間達。その対面に小柄な少女が一人。
ルシア・アシュレーヌ。淡く光を帯びた薄桃色の髪。夕日の赤を受けて、それはより柔らかく、どこか儚い色彩を帯びている。ふわりとした髪の流れは僅かな空気の揺らぎにも反応する。
今はその先端が微かに震えていた。同じ色を宿した瞳は大きく、どこか幼さを残していて。その小柄な体躯をより一層繊細に見せていた。
視線の先で淡桃色が動揺に揺れる。右に、左に。俺の傍の仲間達へと視線が移り、最後に、真っ直ぐに此方を捉えた。
「え…?」
間の抜けた声だった。怒りでも、悲しみでもない。ただ、状況が理解できないという空白。
言葉を受け止める準備が整っていないまま、音だけが届いてしまったような声音だった。
「嘘ですよね?ど、うし……」
彼女の言葉が最後まで紡がれる前に言葉を挟む。
「理由なんて——分かりきった事だ」
びくり、と。彼女の肩が震えた。その反応が胸に刺さるのを意識して無視する。
「“星降り”の件だ」
その一言で空気が僅かに沈む。俺だけでは無い。ここにいる全員にとってそれはまだ新しい記憶だった。
あの時、確かに感じた鉄の匂いが一瞬だけ蘇る。混乱の中で、彼女は瀕死の重傷を負った。ほんの数日前まで、生死の境を彷徨っていた。
まだ治りきっていないケロイド状の傷跡が、彼女の外套から出る前腕から生々しく覗いている。夕日の赤がその傷を余計に痛々しく見せていた。
「ルシア。君は、これからの探索について来れない」
厳しい言葉になるが、と続ける。
「現状、足手纏いかな。君の技能はうちでは役に立たない。俺達が庇うのにも限界がある」
「でも!……でも!」
ルシアは一歩踏み出した。小さな靴音が石の床に乾いた音を残す。
「私も皆んなの役に立ちたくて、沢山頑張って……」
言葉が途切れ途切れになる。息を整える余裕も無いまま必死に続ける。
「リーダーだって……エイルさんだって!ほ、褒めてくれたりしたじゃないですか!」
声が震えていた。必死に、縋るように、言葉を探しているのが分かる。
それは確かめるようでもあった。事実の確認では無い。過去の時間を、ここに引き戻そうとしている。
「何も努力を認めないわけじゃないよ。ただ、努力にも実る、実らないがあるだけ」
自分で言っていて胸の奥が重くなる。しかし、止めない。止めてはいけない。
「そんな……!き、急に——」
「急にじゃない」
俺は首を横に振る。動きはゆっくりだった。
「ルシアがうちに加入してもう少しでニ年になる。一年程前から、この話はずっと出ていた。勿論、俺だけで決めたことじゃない。他の3人も含め話し合った結果だよ。“星降り”での一件はこの話に結論を急がせたに過ぎないかな」
沈黙が落ちる。長い、重たい沈黙。言葉は何処にも無い。ただ時間だけが静かに流れて行く。
ルシアは俯き、その小さな手はぎゅっと握られている。爪が白くなる程力が入っているのが遠目にも分かった。
夕日が更に低くなる。部屋の色がゆっくりと褪せていく。光と影の境界が曖昧になり、空気が少しずつ冷えていくのを肌で感じた。
「——もう、決まったことなんですよね」
軈て彼女は低い声で言った。
「ああ」
「変わらないですか?」
「変わらない」
はっきりと言った。彼女の薄桃色から目を逸らさない。逃げたくなるのをぐっと堪える。
その瞳が小刻みに揺れている。何かを探している。けれど、その何かは見つからない。
そうですか、と力無くルシアは呟いた。
彼女はそのまま暫く俯いていた。肩がほんの僅かに揺れた。初めは呼吸が乱れただけかと思った。しかし違った。
ぽたり、と。床に小さな染みができる。
「あ……」
掠れた声だった。
「すみません……泣く、つもりじゃ、なかったんですけど」
きゅっと口を黙み、顔を拭う。声を殺して、肩だけが震えていた。部屋の誰も、何も言わなかった。
軈てルシアは深く息を吸った。無理矢理呼吸を整えて顔を上げる。目は赤くなっていたが、それでも笑おうとしていた。その笑顔が痛々しい程に健気で、胸が締め付けられる。
「——分かりました」
小さく言う。
「”暁と黄昏”での時間は宝石の様でした。私にとって皆さんは…………エイルさんは憧れでした」
そこまで言うとルシアはゆっくりと立ち上がる。椅子を引いて、机に手を掛ける。その動作はどこかぎこちなかった。
涙を溢さないように必死に堪えているのが分かった。
「——今まで、ありがとうございました」
声は震えていた。
深く頭を下げ、桃色が一瞬ふわりと舞う。
頭を上げると同時に、泣き顔を見せまいとして扉の方へと体を向けた。
そしてそのまま、振り返らずに歩き出す。静寂の中に、靴が床を叩く音だけが響く。
一歩、また一歩。確実に遠ざかる音。
ルシアはゆっくりと扉に手を掛けた。
一瞬だけ動きが止まる。しかし、それもほんの僅かだった。
扉が開く。
夕暮れの最後の光が差し込み、彼女の影を長く引き延ばす。その影は、細く、頼りなく見えた。
そして——
閉まる。小さな音だった。しかし、やけに耳に長く残った。
ルシアの足音は、廊下を抜け、階段を下り——軈て完全に聞こえなくなった。
部屋には沈みきった夕暮れと、言葉にならない余韻だけが残る。窓の外を見る。空はもう、夜の暗色に変わり始めていた。
——これでいい。
そう言いながら目を閉じる。
しん、と。永遠に続くような気がした静寂を——
「——おい、エイル」
——グレンの声が破った。
その声はあまりに現実的だった。
先程まで部屋を満たしていた静寂を。沈黙を。遠慮無く押し除けるような声音。思考の奥底に沈み掛けていた意識を強引に引き上げる力があった。
ゆっくりと目を開ける。背後から聞こえるその声に、振り返らないまま応じる。
「…………なんだよ」
その声は自分でも分かる程に打切棒だった。まだ少しあの余韻の中に浸っていたかったのかもしれない。
グレン・グランフォード。赤み掛かった黒髪をした偉丈夫。無骨で、飾り気が無く。そして遠慮と言うものをあまり知らない男。
幼い頃からの付き合いで、二十年近い時間を共有してきた。歳こそ二つ上だが遠慮は無い。今更他人行儀になる間柄では無かった。
だからこそ、今は振り返りたくなかった。パーティの、『暁と黄昏』のリーダーとして難い決断をした。そんな時に、彼の無遠慮に付き合ってやれる自信はなかった。
失礼である事を承知で、絶対に振り返らない。
そんな俺の態度を他所に。グレンはほんの一拍間を置いてから言った。
「——“金剛不落”の件は?」
……………………。
………………ん?
「お前………
俺はゆっくりと振り返った。
んーー?????
「………………あ」
グレンが信じられないものを見る目で此方を見ていた。彼の端正な口が開けられたまま固まっている。
嘘だろ、と目が語っていた。
「…………嘘でしょ」
言った。
残り二人の仲間の一人、リゼ・ノワールの声だった。
壁にもたれ、腕を組んだままの姿勢。気怠げなその半眼が、いつもより僅かに見開かれている。
「エイルくん……昨日、自信満々に“金剛不落”への紹介状をひらひらさせてませんでしたっけ……」
そして最後の一人。ノエリシアが溜息混じりに杖を持ち上げ、その装飾のついた先端を額に当てた。まったく、と言いたげに目を細め、呆れた色を隠そうともしない。
三者三様。六つの瞳が攻めるように此方を射抜く。
おっとぉ…………。
「…………もしかして……まずい?」
「まずい」
「やらかした?」
返ってくるのは無言の肯定だった。空気が先程とは違う意味で重くなる。重苦しい静寂とは違う、もっと現実的で、もっと居心地の悪い静寂だ。
「……お前、これだとただ追い出しただけだろ」
グレンが低い声で言う。
「いやぁ、でも……そんなつもりはぁ」
「言い訳はいい」
ぴしゃり、と遮られる。
「ルシアちゃん、絶対誤解してますよ」
「…………あほ」
俺は額を抑えた。指先に伝わる体温が嫌に暑い。と言うか痛い。物理的ではなく、精神的な意味で。さっきまで張り詰めていたものが一気に緩んだせいだろうか。
窓の外を見る。街はすっかり夜の気配に包まれ始めている。遠くから聞こえてくる人の声、店の喧騒。いつもの街の音が、妙に現実味を帯びて耳に入ってくる。
ふぅ、と大きく息を吐く。ゆっくりと、肺を空っぽにするまで。
数秒の沈黙。俺に集まる3つの視線に、ゆっくりと、たっぷり溜めてから——
「……どうしよう?」
「どうしようじゃない!探すぞ!」
グレンが溜息をつく。
「お前なぁ……せめて紹介状くらい渡してから格好付けろよ」
「別に……格好付けたつもりは無いんだけど」
「付けてたろ」
「付けてましたよ」
「気取ってた」
見事な三重奏だった。否定の余地は無い。
ノエリシアが少しだけ前に出る。
「ルシアちゃん……。泣いてましたし、多分、全力で歩いていると思います」
「全力で歩くって」
「走る程元気では無いけど、止まる程落ち着いても無い状態です」
「随分具体的だね……」
まるで経験があるみたいな。
「……路地」
短く言ったのはリゼだった。
「え?」
「入るならあっち」
そう言って、既に近くの路地の先。奥の方を覗き込んでいる。窓枠に足を掛けて、今にも外に飛び出そうとしている。
「いや、そんなすぐに……」
「甘い」
「こう言う時の女の子の機動力。甘く見ない方がいいと思います」
ぐうの音も出ない。
グレンが軽く手を叩いた。
「よし。手分けして探すぞ。こう言うのは足で探すのが一番だ」
「そんな捜索任務みたいに」
「実質そうだろ。目標、迷子一名」
「いや迷子じゃ——」
そこまで言って言葉に詰まった。
「ルシアちゃん方向音痴だから………」
——迷子だった。
「どうしてこうなった」
俺は天を仰いだ。
「……段取り」
「はいそうです。すみません」
グレンが肩をすくめる。
「まあまだ街の中だ。落ち着いて探せば、きっと見つかる」
「落ち着いているように見える?」
「さあどうだか」
俺はもう一度額を抑えた。
夜風が吹く。先程までの重苦しい空気はすっかり消えている。代わりに、妙に締まらない現実だけが残っていた。
通りの明かりが一つ、また一つと点き始め、窓から差し込む光の色も、もう夕暮れではなく完全に夜の物になっている。
俺が路地の奥の方を見ていると、隣でリゼが言う。
「行くよ」
言うが早いか、足音が一つ。次の瞬間にはもう姿が無い。風が抜ける音がして、遅れて窓が小さく軋んだ。
「あいつ、窓から」
「さすが」
下を覗き込む。もう既にリゼの姿はない。影の中に紛れ、どこかに走って行ったのだろう。
迷いが無い。考えるよりも先に動く、それが彼女のやり方だった。
「俺たちも行くぞ。突っ立っていても始まらない」
「ああ」
頷いて、俺は最後にもう一度、部屋の中を見渡した。
さっきまでここにルシアがいた。まだ数分前の出来事である筈なのに、随分遠い出来事の様に感じる。
長机の引き出しを開ける。そこに、渡し損ねた紹介状が入っていた。
軽い。しかしその軽さが、やけに現実的に手に伝わる。それを、衣服の内側に押し込んだ。
部屋の扉を蹴破る様にして飛び出した。
夜の街は昼とは別の顔をしている。人通りはあるが、どこか輪郭が曖昧で。灯の届かない場所は影が濃い。少し目を離せば人一人くらい簡単に見失なう。
石畳を踏み締めながら、俺は通りを見渡した。
——いない。
立ち止まって耳を澄ます。
遠くの雑踏に、食器の触れ合う音。何処かの店で奏でられる弦楽器に、酔っ払いどもの喧騒。そのどれにも、聞き慣れた声は混ざっていない。
くそ、と。吐き捨てる様に呟いた。
焦りと言う程では無い。しかし落ち着かない。何かを取り逃したまま歩いている。そんな妙な感覚だった。
グレンが鎧を鳴らしながら言う。
「俺は東側に行く。エイルは」
「俺は西に」
ノエリシアも小さく頭を下げた。
両手で杖を持ちながら、肩を上下させている。
「私は、協会の方、を、見てきます」
「無理するなよ」
「……はい。でも……」
言葉を飲み込む。それ以上は言わない。言わなくても分かる。
二人がそれぞれの方向に歩き出す。俺も西側に向いて走り出した。
走りながら先程のやり取りが何度も頭に浮かぶ。
「”暁と黄昏”での時間は宝石の様でした。私にとって皆さんは…………エイルさんは憧れでした」
「——今まで、ありがとうございました」
あの声は、思っているよりもずっと静かで、そしてずっと堪えている響きだった。
「……ほんと、やらかしたな」
誰に言うでもなく吐き捨てる。
ルシアの為を思ってのことだった。『星降りの回廊』での大怪我以前にも、危ない場面が何度もあった。彼女は足手纏いではあったが、無能では無い。ただ、俺たちのパーティとは
彼女が『暁と黄昏』の一員として、仲間として探索者をやっていたい事も知っていた。俺も、グレンもリゼもノエリシアも。誰一人としてルシアの事を疎ましくなど思っていない。
苦渋の決断だった。俺だって冷静では——
「——いや、言い訳かな」
気持ちはさておき。現実として、伝えるべき事を伝えず、残すべき言葉を残さず、彼女を切り捨てた。
それで誤解されていない方がおかしい。
石畳を叩く靴の音がやけに大きく響く。
夜の空気は冷たい。頭が冷えるには丁度良かった。
——見つけたら、ちゃんと話そう。
言い忘れた事を全部言って、誤解を解いて。それから——
そこまで考えて、ふと苦笑する。
「まずは見つけないと……」
この時の俺はまだ分かっていなかった。この夜の捜索が、ただの後始末では終わらない事を。
ほんの少しのすれ違いが巡り合わせを呼び、その巡り合わせが、さらに厄介事を連れてきて。気が付いた時には、取り返しの付かない騒動の入り口に立っている。
そんな未来の事など、想像もしていなかった。
ただ、あの小さな桃色を見つける為に。人の波を。灯りと影の間中を。
泣きながら歩いている筈の、小柄な後姿を探していた。
——————
ある夕暮れのことだった。
「今日を持って君をこのパーティから追放する」
いつもの『時計塔』で、いつもの『暁と黄昏』のメンバーで、いつもの定例会議の——筈だった。
腕、まだ痛むなあ。と、先日の探索で怪我をした腕を摩りながら、部屋の扉を開いた少し後のことだった。
私はパーティからのクビ宣告を受けた。
何を言われたのか。何を言ったのか。
言葉の輪郭は曖昧で、まるで水に溶けたみたいに思い出せない。ただ、空気が妙に重くて、静かで——それだけははっきりと覚えている。
気づいた時には、私は時計塔の玄関扉を開けていた。
外は少しだけ夜の気配が混じり始めていた。沈みかけの太陽が、空を橙色から群青へとゆっくりと染め上げて行く。そのグラデーションの向こう側で、街はいつも通りの賑わいを保っていた。
遠くからはどこか楽しげな音楽。人の笑い声。生活の音。世界は思っていたよりも暗く無い。
「——まあ、仕方ないか」
ぽつり、と言葉が溢れる。
自分でも驚くくらい、声は落ち着いていた。勿論、ショックがないわけでは無い。胸の奥に、チクリとした違和感は確かに残っている。
でも、それ以上に。納得、の方が大きかった。
そもそも私は『暁と黄昏』に無理を言って加入させてもらっていた側だ。あの場所は、本来なら手の届かない場所だった。
いつの日かの憧れに、少し夢を見せてもらっていた。
——身に余る時間だった。
そう思えば、この結末はどこか当然にも感じられた。
それに——
「——きっとこれは、強くなれ、とエイルさんが言っているに違いない…!」
ぐっと、拳を握る。自然とそんな結論に辿り着いていた。
『暁と黄昏』はこのルクス=ヴェスペリア王国に於いて過去最速で等級八の認定を受けたパーティだ。
探索者協会が定める『
等級九と十に至るには、純粋な戦闘能力だけでは足りない。政治的影響力や国家に対する信頼性等、探索者としての実力以外の要素を兼ね備えている必要性がある。
等級十に至っては、現在その等級を冠する人物はただ一人。『悠久』と呼ばれているらしい実在するかも怪しい人物のみだ。
つまり、実力だけで辿り着ける頂点。それが等級八だ。
純粋な探索者パーティとしての頂。そしてそのリーダーであるエイル・エルシディア。彼の個人としての等級もまた八。
実力のある探索者には通り名が付くことが多い。勿論、彼にも、とある通り名が付いている。
曰く、『センケン』。
千の剣、或いは先見。
彼の戦闘スタイルと特異な能力に掛けてその名は広く知られている。
特に後者——『先見』の方は有名だった。
彼の行動に無意味なものは存在しない。二手、三手…….いや、その遥か先。未来を見ているとさえ言われている。
ただの噂話や誇張では無い。私はその『先見』を直接この目で見ていた。
だからこそ分かる。
エイルさんが、ただ感情だけで私を追放する筈がない。
そもそも、ただ追放するくらいなら最初からパーティに入れていない。
ならば。
この『追放』には必ず意味がある。
私は弱い。等級こそ六だが、膂力も無く。知恵も無く。俊敏さも無い。唯一評価されているのは『補助魔術』だけであった。
けれどその補助魔術でさえ『暁と黄昏』においては、戦力として十分だったとは言い難い。
補助魔術は言わば『底上げ』の魔術だ。血は熱を帯び、筋肉は悲鳴を上げながら応え、神経は研ぎ澄まされた刃へと変わる。力は鉄を砕き。速さは矢を追い越し。感覚は闇の中の瞬きさえ捉える。
だがそれは奇跡では無い。無理矢理、一段階上へと引き摺り上げている。言わば、魔力を媒介に強引に他者へ干渉しているのだ。
術式の維持には膨大な集中力が必要となり、術者には明確な隙が生まれる。その隙を埋めるのは『暁と黄昏』のパーティメンバーだ。助けられたのは一度や二度ではない。
リスクとリターンが見合っていない。と、そう言っているに違いない。
ならば。
「自分の身は自分で守れる様に強くあれ。エイルさんは私が強くなることに期待してくれている……!」
言葉にすると、妙にしっくりときた。
エイルさんは無意味な事はしない。つまるところ、この追放の意味はそこにあるに違いない。『暁と黄昏』から離れ、その弱点を克服して見せろと。否、そうする事で確実に克服する筈だと。
そう言う事に違いない……たぶん。
——そうなれば私のする事は一つだ。
ぱちん、と。軽く頬を叩く。少しだけ痛い。けれど、その分だけ意識がはっきりとする。
顔を上げる。前を向く。気が付けば、私の足はもう動き出していた。向かう先は——武器屋。
「……やっぱり、なるなら剣士かなあ」
歩きながら、ぽつり、と呟く。
「エイルさんも剣士だし、でも真似してるって思われるかなあ。……いや、そんな事気にする様な人じゃないか」
私の中で剣士とは強さの象徴だ。憧れ、と言っても良い。ふと、剣を携え、ばったばったと魔物を切り捨てる自分の姿を想像し笑みが溢れる。
一番近い武器屋は街の北側だ。
足取りは軽い。少し気を抜けば、思わずスキップでもしてしまいそうだ。
——そうだ、裏路地を行けば早いかも知れない。
ふと、思いつく。街頭が少なく暗いが、まだ夕暮れ。道の先が見えない程では無い。流石に完全に陽が落ちてから通るのは少し怖いが、今なら問題ないだろう。
うんそうだ。それがいい。
「どんな剣にしようかな。グレンさんみたいな大剣は重いから、ショートソード?二本持つのもかっこいいな」
路地裏を進む。
「エイルさんは黒い剣使ってたなあ。でもあれは“遺物”なんだっけ、なら同じのは流石にないかなあ…………」
鼻歌を歌いながら、足を進ませる。だんだん楽しくなってきて独り言も止まらない。幸い人通りは殆ど無い。誰かに聞かれて恥ずかしい、なんて事は無さそうだ。
ふと空を見上げればすっかり陽が暮れていた。気が付かないうちに結構歩いていたらしい。
さて、感覚的にはそろそろ——
「着く筈…………なんだけど」
うーん……………。
路地を抜ければそこは知らない場所であった。
開けた空間の中央には、古びた石造の噴水。水は流れておらず、積まれた石の隙間からは雑草が顔を出している。
嘗ては広場だったのだろう。けれど今は人の気配も無く、閑散としている。
どこか世界から切り離された様な。そんな場所だった。
——こんなところあったんだ。
思わず足を止めて辺りを見渡す。風が少しだけ違う。街の喧騒が遠い。さっきまで確かに聞こえていた筈の音楽も、人の声も、ここには届いていない。
道間違えたかな。
……まあ、よくあることだ。うん、よくある。
とりあえず戻ろう、と一歩引き返そうとした、その時だった。
——ビリッと。
空気が微かに震えた。
「…………え?」
思わず足を止める。
風でもない、音でもない。けれど、確かに何かが“揺れた”。肌の上を、見えない指先がなぞった様な感覚。
ぞわり、と背筋を掠めて行く。胸の奥が僅かに騒つく。
私も
けれど、今感じたそれは、誰かの魔力でも、術式の気配でも無い。
もっと曖昧で、もっと根源的な。まるで——大地そのものが、ほんの少しだけ軋んだ様な。
「……今の、なんだろう」
小さく呟きながら、足元の石畳に視線を落とす。罅割れも無い。異変も無い。見た目には、何一つ変わっていない。
それなのに。
——合っていない。
どこか微妙に噛み合っていない様な、ズレている様な違和感だけが、じわじわと残る。
まるでここだけ、世界の継ぎ目にでも迷い込んでしまった様な。
「……?変なの」
首を傾げる。けれど不思議と、怖いとは思わなかった。寧ろ少しだけ好奇心が擽られる。
もう一歩、広場の中へと踏み込む——その瞬間。
びきり、と。先程よりもはっきりとした『歪み』が空気を走った。
今度は気のせいでは無い。確実に何かがおかしい。
視線を上げる。広場の奥のその先。崩れかけた建物の陰に、数人の人影が見える。闇に溶ける様な外套を羽織った人影は、大きな箱を抱え、慎重に運んでいる様だ。
その足取りはどこか落ち着かない。何度も周囲を気にするように辺りを見渡しながら、急ぐ様子は無い。しかし、確実に進もうとしている。
何を、しているんだろう。
乾涸びた噴水に身を隠し、彼等を眺める。関わらない方がいいかもしれない。と言う考えは頭の片隅には浮かんでいた。けれど、それ以上に、視線が離れなかった。
箱が。微かに、光っていたからだ。
「……?」
目を細める。彼等との距離はそれ程遠く無い。リゼさんやエイルさんには遠く及ばないものの、探索者として、常人よりかは遥かに鋭敏な私の視界には、薄暗闇の中でも比較的はっきりと見える。
何の変哲もない木製の箱の様に見える。表面に何か模様が刻まれてるようだがそれだけだ。ただ、その箱からは夕暮れの残光とは違う、もっと内側から滲むような、不安定な光。
次の瞬間。ばきっ、と。乾いた、ひび割れるような音が、静かな広場に響いた。
「お…い、待て……!」
「なん、だ……!なに……起こって……!」
黒装束達の声が、明らかに焦りを帯びる。
箱の表面に刻まれていた紋様が、淡く光を発して歪んで行く。空気が重くなる。
……いや、違う。乱れている。
魔術師としての感覚がそう言っている。整っている筈のものが、何処かで歪められている。見えない所で何かが狂っている。
普段は安定している筈の流れが、この場所では妙に揺れている。まるで、何かが無理矢理捻じ曲げたみたいに。
そして、その乱れに引き摺られるように——
——箱の中の『何か』が暴れている。
「抑えろ!封がもたない!」
「こんな……!筈では!」
彼等の声がさらに荒くなる。けれど、それも長くは続かない。
——バキンッ!
とうとう箱が内側から弾け飛んだ。
破片が宙を舞い、石畳に散る。
その中心から現れたのは——一振りの剣であった。
細身の刃。華美な装飾など一切無い無骨な柄。しかし月明かりに照らされた刀身は神秘的に輝いている。
淡い光を帯び、空中で微かに震えている。まるで呼吸をするかのように。まるで何かを探すかのように。
「何だ、これは!…………反応している!?この、場所に!?」
剣がふわりと浮かび上がる。同時に、広場全体が僅かに軋む。空気が歪み、視界の端がほんの一瞬だけ揺らいだ気がした。
そして、剣がゆっくりと向きを変えた。
「……!」
その切先が、こちらを向いている。目が合ったかのような、そんな気がした。
ほんの一瞬の事、確証は無い。けれど次の瞬間。すっ、と。迷いなく一直線にこちらへと飛んできた。
「え!……えっ!?」
避ける間もなく。しかし、勢いをそのままに私に刺さる事は無く、からん、と。軽い音を立てて、それは私の足元に転がった。
…………???
思考が止まる。今何が起きたのか、理解が追いつかない。
ただ。目の前に剣がある。それだけがやけに鮮明だった。
「綺麗……」
ぽつり、と。言葉が零れる。さっきまでの騒がしさも、黒装束達の声も、どこか遠くに感じる。
ただ、その剣だけが。妙に気になる。
吸い寄せられるように手を伸ばし、触れる。
その瞬間——ぴたり、と。
それまで震えていた刃が、空気が、嘘みたいに静まった。
「……あれ?」
さっきまでの不安定な気配が消えていた。まるで最初からこうであったように。
手の中に収まるそれは、不思議な程馴染んでいた。重さも、長さも、握り心地も。そのどれもがしっくりとくる。
試しに、そっと構えてみる。
剣など今まで振るった事はない。ぎこちない筈であるのに、違和感が無い。
「……凄い」
思わず、声が漏れる。胸の奥がじんわりと温かくなる。ついさっきまで、どんな剣にしようか悩んでいた筈なのに——
まるでその答えが、向こうからやってきたみたいだ。
偶然にしては出来過ぎている。こんな場所に迷い込んで。こんなタイミングで。こんな剣に出逢うなんて。
まるで、そんなの━━
「運命……!」
——エイル・エルシディアは未来を見ている。
点と点が線で繋がる感覚。エイルさんが『今日』追放を選んだ意味。きっとこの出逢いの為に違いない!
ぐっと、剣を握り直す。軽く一振り。空気を裂く感覚が心地良い。
「これなら!……私も戦える!」
思わず手に力が入る。それに応えるように剣が、ほんの僅かに光った気がした。
ふと、顔を上げる。
「あれ?」
広場は相変わらず静まり返っていた。さっきまでいた筈の黒装束達の姿は——どこにもなかった。
思わず瞬きをする。
見間違い?見落とし?……いや、そんな筈はない。
さっきまでの確かにそこにいた。この剣が入っていた箱を運び、そして——
えっと…………。
「……?」
何だっけ。私は何をしていたんだろうか。
「まあ、いいや」
首を傾げて、すぐに思考を手放す。深く考える程の事でもないような気がした。
それよりも。
「帰り道、どっちだろ……」
キョロキョロと周囲を見回す。見覚えの無い路地、見覚えの無い壁に、見覚えの無い分かれ道。遠くから街の喧騒が聞こえる。きっとそっちが大通りだ。
「うーん……」
改めて首を傾げる。さっきよりも、少しだけ景色が変わっている気がするのは——
「気のせいか」
たぶん、きっとそうだろう。
私は新しい剣を手に、くるりと向きを変える。どこへ繋がっているかも分からない路地へと、迷い無く足を踏み出した。
胸の奥には、ほんの少しの高揚感。手には不思議と馴染む剣。そして、ついさっきまでここには誰かいた気がするけれど、その事はもう、頭の中からすっかりと抜け落ちていた。