追放の真意〜そんなものは無かったが、仲間も敵も王族も、みんな勝手に深読みしてくる〜 作:目下−1
深い森を抜けた瞬間、肌を撫でた空気に思わず目を細めた。
冷たい。王都の朝にも冷え込みはある。だがそれとは違う。肺の奥まで真っ直ぐ届くような、乾いて澄み切った冷気だった。
風が吹いている。遮るものの無い荒野を渡った風は容赦なく衣服を揺らし、頬を撫でていく。僅かに土と岩の匂いが混じるその風に人の気配は無かった。
王都には常に何かしらの音がある。市場の喧騒。馬車の車輪。遠くで響く鐘の音。だがここには何も無い。
静寂と呼ぶには風の音が大き過ぎる。それでも人の営みから切り離された世界特有の空白がこの場所にはあった。
岩がちの台地がどこまでも続いている。草は疎らだった。痩せた土にしがみつくように生えた草々が、風に押されて身を伏せる。
遠くには山脈の稜線。王都からは直線でも相当な距離がある筈だ。転移陣が無ければ生涯訪れる事も無かったかもしれない。
見渡す限り人の気配が無い。踏み荒らされた形跡も、街道のような道筋も。この場所へ向かう為の誰かの意図を感じさせるものが何も見当たらない。
「ミオラはここに来たことはある?」
隣から掛けられた声に意識が戻る。ルシアが辺りを見回しながら尋ねていた。
転移陣のある街からここまでの道中、半日近く共に過ごしたお陰だろう。最初はぎこちなかった口調も、今では随分砕けて来ている。尤も、オレが再三、敬語はやめろと言ったせいもあるだろうが。
「いや、初めてだ。……知識としちゃあ知っていたが」
答えながら、オレも釣られるように視線を巡らせる。
風抜けの廃坑。その名前も。構造も。採取出来る鉱石も。探索者協会の資料で読んだ。だが知っている事と、実際に立つ事は全く違う。
遠い。不便だ。人気が無い。文字で見ればたったそれだけの情報だった。けれど今は理解出来る。ここには人を寄せ付けない何かがある。
荒涼とした景色でもない。危険な魔物でもない。ただ静か過ぎるのだ。世界から切り離されたような孤独が、この場所には染み付いている。
暫く進むと地形が変わり始めた。地面を覆っていた土が減り、剥き出しの岩盤が目立つようになる。起伏も増え、足元へ注意を向けなければならなくなった頃。
「着いたよ」
桃色の髪を靡かせながらルシアが指し示す。
斜面を少し下った所。岩に切り込まれたように口を開けた暗い穴。坑道の入り口だ。
周囲には、嘗てここで何かが行われていた
嘗て人の手が加わったように見える。しかし違う。あれらは人間が築いた遺構では無い。『風抜けの廃坑』が出現した際、坑道と共に映し出された景色の一部。言うなれば遺跡そのものだ。
だから管理する者も、手入れする者もいない。ただ雨風に晒され続け、しかしそれ以上風化する事無くそこにある。
そして何より。その入り口からは絶えず風が吹き出していた。
ごう、と。血の底から吐息を漏らすように。冷えた空気が暗闇の奥から流れ続けている。止まる事無く、尽きる事無く。耳を澄ませば、坑道の奥で風が擦れる低い唸り声まで聞こえてきそうだった。
「……本当に吹き続けてるんだな」
思わず呟く。資料では知っていた。
だが実際に見ると印象が違う。風が吹いているのではない。坑道そのものが呼吸しているように見えた。
それにルシアは小さく笑う
「反対側の出口まで筒抜けだから。だから風“抜け”の廃坑なんだよ」
そう言いながら彼女は一歩前に出る。坑道の縁に立ち、暗い空洞を覗き込んだ。
「まあ反対側からも吹き出してるから関係無いかも知れないけど」
その軽い調子に釣られて苦笑する。入口と出口が別。それがこの遺跡の特徴だった。
通常、遺跡は閉鎖された異世界だ。入口と出口は同じ場所であり、どれだけ内部を進んでも最終的にはそこへ戻される。例えば城や宮殿を映した遺跡であれば、城門から入り裏門から出たとしても城門へと戻される。
だが風抜けの廃坑は違う。片側から入り、地下を下り続ければ反対側の地上へ出る。逆から入っても同じ。ただそれが入った方とは別だと言うだけ。
中で採取した鉱石や、手に入れた遺物を持ったまま反対側に出る事になる。入った場所へ戻れない。それが探索者達が好まない理由の一つだった。
それに元々立地も良くない。態々転移陣を利用し、更に半日。そこまでして来る価値があるかと言われれば微妙なところだ。トルメリアは採れる。だがそれだけだ。もっと実入りの良い遺跡はいくらでも存在する。
結果として、この廃坑はいつも静かだった。今日もそうだ。オレ達の他に人の影は一つも見えない。
「遺跡としての難易度は高くねえ。オレとルシア。……元とは言え
風抜けの廃坑は、遺跡として認定された等級は五。高過ぎず、低過ぎない。等級五のパーティであれば攻略は易く、それ以下でも難しく無いと聞く。
オレが探索者協会から認定されている等級は三。たが、ガキの頃から遺跡に潜っており、実力はそれ以上の自負がある。仮にオレ一人で入ったとしても余裕がある筈だ。
「別に急ぎでもねえし、降りながら見れるもんは見てくか」
「そうしよう。もしかしたら遺物も拾えるかもしれないし」
ルシアはそう言うと握り拳を作る。その薄桃色の瞳にはやる気が満ちている。それを横目に、オレは自分の剣帯へと視線を落とした。
……遺物、ね。
視線の先にある剣。磨き上げられた鞘に、過剰なまでの装飾。まるで文字のような紋様が走り、柄の宝石が輝いているように見える。
初めて見た時はただの見栄えだけが良い剣だと思った。だが今は違う。鞘越しですら、そこに宿る神秘的なまでの異質さを感じる。
自己修復と堅牢。それに加え魔力を込めれば発光までする。尤もその発光に差したる意味は無いが。しかし、そのどれか一つだけでも遺物と呼ばれて不思議では無い。
本当に異常なのはそこでは無い。この剣は元々、ただの剣だった。何の力も無い武器だった。その筈なのだ。
発光も、自己修復も、堅牢も。全てが後から付け加えられた。目の前の少女によって。
ルシア。薄桃色の髪を揺らしながら坑道を見つめる少女へ視線を向ける。
未だに信じ切れていない。ただの武器を遺物へ、いや並の遺物以上に変える。そんな話は聞いた事が無い。
そして何より恐ろしいのは、その本人が自らの異常さをまるで理解していない事だった。
気付けば視線を向けたまま数瞬が過ぎていた。風が吹く。坑道の奥から流れてくる冷たい空気が二人の間を通り抜けていった。
「……ミオラ?」
不意に呼ばれ、思考が途切れる。ルシアが不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「どうかした?」
「いや」
反射的に答えかけて、言葉を飲み込む。どうかした。寧ろ、どうかしているのはお前だ。そんな言葉が喉元まで出掛かった。
だが本人は至って真面目だし、悪意も無い。何より説明したところで自覚するとも思えなかった。
結局、小さく息を吐く。
「何でもねえよ。ただ少し考え事してただけだ」
「考え事?」
「大した話じゃねえ」
そう言って視線を坑道へ向ける。暗い穴は相変わらず静かに口を開けていた。その奥から吹き続ける風だけが、低い唸り声のように響いている。
「それより行くぞ。入口で突っ立ってても仕方ねえ」
「あ、うん」
ルシアが慌てて頷く。そしてオレ達は並んで坑道の中へ足を踏み入れた。外の光は徐々に遠ざかり、代わりに風の音だけが大きくなっていく。
まるで何かが二人を地下へ誘い込んでいるかのようだった。
坑道へ足を踏み入れた瞬間、外の風とは違う冷気が肌を撫でた。光が減る。入口から差し込む朝日も数歩進めば届かなくなり、周囲は岩肌に囲まれた薄暗い世界へ変わっていく。
ごう、と。風だけが絶えず流れていた。外で感じた風とは少し違う。狭い坑道に押し込められた空気が岩壁を擦り、低い唸り声となって響いている。
まるで誰かが奥で囁き続けているようだった。
岩肌は荒れている。自然の洞窟にも見えるし、人の手で掘られた坑道にも見える。
壁面には削岩の跡が残っていた。一定の間隔で打ち込まれた支柱。朽ち果て、今にも崩れそうな足場。隅に転がる木箱や錆びた工具の残骸。どれも長い年月を経たように見える。だが遺跡という存在を知る探索者からすれば、それが本当に年月を経たものなのかすら分からない。
遺跡は過去を映す。だがそこに流れる時間は本物ではない。全ては切り取られた景色に過ぎない。だからこそ妙だった。働いていた者がいる。暮らしていた者がいる。その痕跡だけが確かに残されている。それなのに、人だけがいない。
不自然だった。遺跡というものは大抵そうだ。城であれば城主が。村であれば住人が。確かに存在した筈なのに、映し出された世界からは何故か消えている。
残るのは景色だけ。だからこそ遺跡は時折妙な不気味さを感じさせる。
「やっぱり変な感じだな」
気付けばそんな言葉が口を吐いていた。隣を歩くルシアが首を傾げる。
「変?」
「誰かがいた形跡だけ残ってるだろ」
壁際の木箱を顎で示す。
「ああいう道具もそうだし、採掘した跡もそうだ。働いてた奴らがいて、生活してた奴らがいて、それなりの人数が出入りしてた名残だけがある」
風が吹き抜ける。誰もいない通路を。空っぽの坑道を。
「なのに人だけ綺麗に消えてる。遺跡はそう言うもんだって言やあそれまでだが、何度来ても慣れねえな」
そう呟くと、ルシアは小さく頷いた。
「ああ、それは初めて来た時に私も思った」
その返答に少しだけ意外さを覚える。ルシアは元々高等級の探索者だ。遺跡にも数え切れない程潜っているだろう。今更そんな感想を抱くものかと思った。
「ふうん、お前でもそう思うんだな」
「うん」
そう短く答えてから、ルシアは前方の暗闇へ視線を向ける。
「廃坑っていうより、途中で時間だけ止まった場所みたいだよね」
その表現は妙にしっくり来た。時間だけが置き去りになった場所。確かにそんな印象がある。
風は吹いている。音もある。だが生きている気配が無い。静かなのではなく、空っぽなのだ。
ごう、と。再び風が吹く。岩壁の隙間を抜ける音は、遠くで誰かが囁いているようにも聞こえた。
「前に来た時も同じだったか?」
「……うん。それが遺跡だからね。——でも」
そこでルシアが少し言葉を切る。
「ここはあんまり好きじゃない」
「へえ……。お前にも苦手な遺跡とかあるんだな」
「それくらいあるよ!」
ルシアはムッとした表情を浮かべる。分かり易く頬を膨らませ、それから両手をわさわさと動かしながら続ける。
「だって、何か出そうだし」
「怪遺は出るだろ」
「そういう意味じゃなくて」
ルシアは周囲を見回した。薄暗い坑道。朽ちた足場。誰もいない空間。
「何もいないのに誰か見てそうな感じ」
その言葉に思わず黙り込む。やめろ。そう言おうとした時には既に少し想像してしまっていた。
誰もいない筈の坑道。だが暗闇の向こうから何かがこちらを見ている。そんな光景を。
ぞわり、と。背筋を冷たいものが走る。
「ミオラもおばけ怖いんだ」
「……怖くねえ」
反射的に即答した。探索者としての意地だった。だが背筋に薄く冷たいものが走ったのは否定出来ない。
節目がちに視線を逸らせば、それにルシアは小さく笑う。どうやら揶揄われたようだ。その笑顔に軽く眉を顰めながら歩き続ける。
その時——
前方の暗がりで何かが動いた。反射的に足を止める。腰の剣へ手が伸びる。
ルシアも同じものを見たのだろう。表情を引き締めて立ち止まった。
「……出たな」
声が少しだけ低くなる。
前方。岩陰から姿を現したそれは四足歩行だった。背丈は胸程。頭部だけが異様に大きく発達している。まるで巨大な盾を顔面に括り付けたよう。
生物的な特徴を残しながら、しかし生物的な温かみが全くない。
——『怪遺』だ。
怪遺。遺跡に出現する怪物の総称だ。その正体は未だに解明されていない。
狼のような姿をしたものもいれば、巨大な虫のようなものもいる。魚や鳥に似たもの。岩石が歩いているようなもの。果ては明らかに生物ではないものまで存在する。
探索者達の間では一つの説が語られている。怪遺とは、遺跡が映し出した世界の残滓なのだと。いつかの時代。どこかの世界。そこに確かに存在していた何か。或いは空想そのもの。それらが歪み、混ざり合い、異形となって現れる。
例えば電気を操る鼠。大砲を担いだ亀。火を吐く竜。巨大な花を背負った蛙。実際に確認された怪遺の中には、そんな存在もいる。
生物と非生物。現実と幻想。その境界すら曖昧だ。
だから探索者達は怪遺を恐れる。見た目から能力を予測出来ない。常識が通用しない。目の前の存在が何なのか誰にも分からないからだ。
尤も。今オレ達の前にいる奴らに関しては話が別だった。見た目も、能力も。全てが既知のもの。但し——
「……確か、くそ硬いんだったか」
硬い。資料にはそう書いてあった。風抜けの廃坑に出現する怪遺。探索者達からは『盾頭』と呼ばれている。記録上は数十年前から確認されている、ありふれた個体だ。
名の通り、その異様な頭部こそが特徴だった。顔面を覆うように発達した分厚い外殻は、まるで天然の盾だ。鉱石を思わせる灰色の質感が薄闇の中でも鈍く光を返している。四肢は短く、ずんぐりとした胴を支えている。動きは緩慢。突進してきたとしても躱す事は難しくない。
脅威度で言えば取るに足らない。一対一であれば、だが。
「一匹じゃねえな」
呟きと同時、暗がりの奥で幾つもの瞳が青白く灯った。二つ。四つ。六つ。岩陰から、足場の隙間から、ぞろぞろと盾頭が這い出してくる。低い唸りと共に、硬い脚が岩盤を擦る乾いた音が重なっていく。
数えるのも億劫だった。狭い坑道に押し込められた個体が、互いの巨体を擦り合わせながらこちらへ向き直る。一斉に灯った光の群れは、暗闇に浮かぶ無数の燐光のようだった。
「……これだから、ここは嫌われんだよ」
オレは半ば呆れて剣帯へ手を添えた。
危険では無い。だが、面倒だ。その一言に尽きる。
盾頭の正面装甲は文字通りの鉄壁だった。並の剣で斬りつけたところで火花が散るだけ。突けば切っ先が滑る。叩けば腕が痺れる。あの分厚い殻を真正面から割るには、生半可な膂力では足りない。
無論、弱点が無い訳では無い。装甲は前面に偏っている。背後や側面、ずんぐりとした胴の柔い部分を狙えば、一突きで事足りる。
問題は、奴らが愚直に正面を向け続ける事だった。
巨体に似合わぬ律儀さで、盾頭は常にあの硬い額をこちらへ突き出してくる。回り込もうとすれば、緩慢ながらも全身を捻って向き直る。一匹なら容易い。だが、これだけの数を相手に背後を取り続けるのは骨が折れた。
ごう、と。坑道の奥から風が吹き抜ける。青白い瞳の群れが、その風の中でゆっくりと揺れた。
「魔術が使えりゃあ、何て事ねえんだがな」
半ば独り言のように零す。
遠隔からの一撃。それがあれば、あの分厚い装甲も意味を成さない。頭上から、あるいは横合いから。奴らが向き直る間も無く撃ち抜けばいい。事実、攻勢魔術を扱える探索者にとって盾頭など的に過ぎないと聞く。
だが、生憎とオレ達にそれは無かった。
オレの戦い方は剣だ。近接が主体で、魔術はあくまで補助。ある程度の小細工は出来る。不意を突いて懐に潜り込み、無防備な胴を貫く事も。
だがそれを乱発出来る程の魔力はオレには無い。一匹、二匹を奇襲で仕留めるのは易い。しかし、これだけの数を一つ一つ背後から、となれば途中で魔力が尽きる事は想像に難く無い。
ならばルシアはどうかと言えば。
横目で隣を見る。薄桃色の髪の少女は剣も構えず、ただ静かに盾頭の群れを見据えていた。
ルシアの魔術は補助に特化している。皮膚を鉄にし、力を底上げし、感覚を研ぎ澄ます。その精度は推し量るまでも無い。
しかし、その手から炎も雷も飛び出しはしない。攻勢魔術。敵を直接打ち倒す類の術を、彼女は一切扱え無いらしかった。
補助一辺倒のルシアと、近接主体のオレ。遠隔攻撃の手段を持たぬ二人にとって、正面が鉄壁の群れというのは、これ以上無い程に相性が悪い。
「逃げる、って手もあるか」
奴らの足は遅い。本気で走れば、振り切るのは難しくないだろう。坑道は一本道。先へ進めば、いずれは群れを抜けられる。
だが、と心中で首を振る。逃げたところで、奥にはまた別の群れがいるかもしれない。それに、それはあくまでもオレ一人であれば、の話。
結局のところ、地道に削るしかない。一匹を引きつけ、隙を作り、背後へ回り込んで仕留める。それを数の分だけ繰り返す。考えるだけで気が滅入る作業だった。
「ミオラ」
思案を断ち切るように、ルシアが口を開いた。
「別に正面から相手にしなくてもいいんじゃない?」
「あ?そりゃそうだが」
言いたい事は分かる。だがどうやって、という話だ。
「あいつら、こっちに気付いてる時はずっと正面を向けてくるだろ。背後を取れりゃ世話ねえんだよ。けど、この数だ。回り込んでる間に別の奴に囲まれる」
「うん。だから、近付かなくてもいいんだよ」
ルシアはそう言って、オレの腰の剣を指差した。
「気付かれてないうちに、遠くから剣を投げる」
一瞬、言葉の意味を測りかねた。
「……投げる?」
「うん」
「この剣を?」
「その剣を」
あまりにも自然に言う。だから逆に理解が追い付かない。
「そう。あいつら、正面の殻は硬いけど、背中はそうでもないでしょ?気付いてない時は、こっちに背を向けてる個体もいる。そういうのを狙って後ろから一気に。剣なら、ミオラの腕力で投げれば充分に届く。背中なら防御も薄いから、上手くいけば一撃。仮に仕留めきれなくても、大きく削れる筈」
なるほど、と思う反面。その提案には、致命的な欠陥があった。
「……待て。いや待て。剣を投げてみろ。当たろうが外れようが、オレの得物が向こうに行っちまうだろうが」
至極当然の反論だった。投擲というのは、要するに手放すという事だ。命中すれば的の傍へ。外れれば、暗闇のどこかへ。いずれにせよ、剣はオレの手元から離れる。
近接が主体のオレにとって、剣は文字通りの命綱だ。それを群れのただ中へ放り込んで、丸腰になって、それからどうしろと言うのか。
「魔術で土塊を投げる、とかならまだ分かる。けどな、わざわざ得物を放るってのは——」
「あ」
言葉を遮るように、ルシアが小さく声を上げた。
見れば、彼女は何かを思い出したかのように軽く目を見開いている。それから、ぽん、と片手で握り拳を作った。
「そっか、言ってなかったかも」
「……何がだ」
嫌な予感がした。オレの問いに、ルシアはどこか申し訳無さそうに、それでいて妙に得意げに首を傾げる。
「その剣なら、投げても大丈夫。だって戻ってくるから」
「………………は?今……なんて言った?」
間の抜けた声が漏れた。
「投げても大丈夫って。強く念じれば、手元に戻ってくるようにしてあるから」
ごう、と。坑道の奥から風が吹いた。冷えた空気が二人の間を通り抜けていく。
その音が、やけに遠くに聞こえた。
「……戻って、くる?」
「うん」
「……剣が?」
「剣が」
ルシアは至極当然のように頷く。
「投げた剣でも、落とした剣でも。“これは自分のものだ”って強く思えば、手元に戻ってくる。人の意思には魔力が乗るから、それを辿って戻るように術式組んだの」
彼女はそう言って、まるで天気の話でもするかのように笑った。
オレは暫し、言葉を失った。
脳裏に、この剣の事が過ぎる。
堅牢。自己修復。発光。元はただの鈍だった一振りに、後から付け足された三つの異能。そのどれか一つだけでも、遺物として通用する代物。
いや——そもそも、無力な剣に力を宿らせるという行為そのものが、本来あってはならない。武器を遺物へ。並の遺物すら凌ぐ何かへと作り変える。そんな所業を、この少女はやってのけている。
その異常さを、オレは漸く飲み下したつもりでいた。
なのに。
「……お前、まだ何か仕込んでやがったのか」
声が、自分でも分かる程に掠れていた。
「えっと……ごめん?大した事じゃないから説明忘れてて……。便利かなって思って、ついでに」
「ついで、で付ける機能か、それが」
呆れていた。心底、呆れていた。
だが、それ以上に。背筋を這うものがあった。盾頭の群れを前にした時とは、全く別種の冷たさだった。
戻ってくる剣。投擲しようが、奪われようが、ただ念じるだけで手元へ帰る武器。
——そんなものを、オレは聞いた事が無い。神話の中の英雄が振るう神剣ならいざ知らず。それが今、オレの腰に当たり前のように下がっている。
「便利でしょ?」
無邪気に小首を傾げるルシアの、薄桃色の瞳。そこには悪意も、誇りも、何も無い。ただ純粋に、役に立てた事を喜ぶ色だけがある。
それが、何より背筋を凍らせた。
ごう、と。再び風が吹く。坑道の奥で、青白い瞳の群れがゆっくりと揺れていた。
「……ったく」
オレは小さく息を吐き、腰の剣へ手を掛けた。鞘の中で、文字めいた紋様が薄く脈打ったような気がした。
「後でじっくり聞かせてもらうぞ、その話は」
しゃり、と。静かな金属音と共に、刀身が鞘から滑り出る。薄闇の中で、磨き上げられた刃が鈍く光を弾いた。
魔力を流す。
その瞬間、刀身を走る文字めいた紋様が、内側から滲むように淡く灯った。青白くも、橙でもない。強いて言えば、桜のような、桃色に似ていた。坑道の岩肌が、その仄かな輝きに浮かび上がる。明かりというにはあまりに頼りなく、それでいて、この閉ざされた地の底では十分すぎる程の光量だった。
「そんなに変かな」
ルシアが、どこか困ったように首を傾げる。薄桃色の髪が、坑道を流れる風に微かに揺れた。
「変だろ」
即答だった。考えるまでもない。
「お前の基準がおかしいだけだ。世の中の遺物ってのはな、拾うもんなんだよ。誰かが一から拵えるもんじゃねえ」
「……?遺物じゃ無いけど?」
心底、得心がいっていない声だった。それが何より厄介なのだと、この少女はまるで分かっていない。
頭を抱えたくなる衝動を、オレは小さな溜息に変えて押し流した。
視線を前へ戻す。暗がりの奥では、盾頭の群れが相変わらず鈍重な足取りでこちらへ滲み出てくる。逃げる気配は無い。警戒する素振りすら無い。そもそも、まだ此方に気付いていない。青白い瞳の群れが、暗闇の中で静かに揺れていた。
「……本当に戻って来るんだろうな」
「戻って来るよ」
「その自信はどこから来るんだ」
「だって私の術式だから……?」
返ってきた言葉に、疑いの念の欠片も無かった。語尾に浮かぶ疑問符も、ただ上手い言葉が見つからないだけ。その感覚には一切の迷いが無い。
それが、妙に腹立たしい。確信というよりも、まるで明日も陽が昇ると信じて疑わない子供のような、無垢な断定だった。
「……そうかよ」
短く息を吐く。
そして、群れの最も後方——こちらへ無防備な背を晒した一体へと狙いを定めた。距離は十分。あの分厚い額の装甲も、背中までは届いていない。
腕を引く。全身の捻りを乗せ、思い切り振り抜いた。
風を裂く、鋭い音。
放たれた剣は淡い光の尾を引きながら一直線に飛び、狙い違わず盾頭の背へと突き立った。鈍い衝突音が岩壁に反響する。怪遺は声も無く大きく身を震わせ——次の瞬間には、糸の切れた人形のように横倒しになる。そして、ただの魔素へと霧散した。
他の盾頭はそれに見向きもしない。奴等は群れてはいるが、生物的な群では無い。
この場には剣が地に転がる微かな音と、盾頭達の身じろぎだけが残る。
「おお……」
思わず間の抜けた声が漏れる。
一撃だった。正面さえ向いていなければ、所詮この程度。装甲の硬さに見合わぬ脆さが、その背中には剥き出しになっていた。
「ほら。だから言ったでしょ」
ルシアが得意げに胸を反らす。
「いや。問題はそこじゃねえんだよ」
剣は今、数十メートル先の岩盤の上に転がっている。淡い光が、倒れた怪遺の傍で頼りなく明滅していた。
オレは眉を顰めたまま、ゆっくりと右手を前へ差し出す。半信半疑だった。いや、九割方——ルシアの異常さを目の当たりにしていたにも関わらず、それを信じきれていなかった。
だが。
戻れ。
心の奥で、そう念じた。
その刹那だった。坑道の奥で、硬質な金属音が一つ鳴る。転がっていた筈の剣が、まるで意思を持つかのように独りでに跳ね上がった。そして、刃が再び光の尾を曳く。
風を切り裂きながら、それは真っ直ぐにオレの掌目掛けて飛来した。
「うおっ」
反射的に握り締める。掌へずしりと伝わる、重み。指に馴染んだ柄の感触。間違いなくオレの剣だった。
数秒の、沈黙。
オレは手の中の剣を見た。ルシアを見る。もう一度、剣を見た。
「……戻って来たな」
「戻って来たね」
「戻って来やがった」
「だから言ったのに」
その声は、どこか嬉しそうですらあった。
オレは何とも言えない顔になる。驚きというものは、度を越すと逆に感情が追いつかなくなるらしい。胸の内に渦巻く感情を、上手く形にする言葉が見つからなかった。
「便利でしょ?」
「便利とか、そういう問題じゃねえんだよ……」
本当に、頭が痛い。
だが——実用の一点に絞って言うのなら、文句の付けようなど何処にも無かった。それがまた始末に負えなかった。
結果として、盾頭の群れは予想を遥かに下回る時間で片付いた。
遠くから無防備な背を一体ずつ撃ち抜く。近付かれる前に剣を手元へ戻す。また、投げる。
ただそれだけの、単調な作業。けれどそれだけで十分に過ぎた。倒れ伏した怪遺が灰へと崩れ、空気に溶けて消えていく。最後の一体が音もなく崩れ落ちる頃には、坑道には再び深い静寂が降りていた。
残されたのは、風の音だけ。
ごう、と。変わらぬ低い唸り声が、岩壁の隙間を縫って響き続けている。
「これなら思ったより楽そうだな」
剣を鞘へ納めながら呟く。鞘鳴りの音が、やけに大きく耳に届いた。
「うん。この辺りなら問題無さそう」
ルシアも小さく頷く。
その言葉通りだった。危険は無い。怪遺も大して強くない。遺跡としては、拍子抜けする程に順調だった。
——だからこそ。
拭い切れない違和感が、胸の底に澱のように沈んでいた。
順調すぎる。何もかもが、滑らかに過ぎていく。まるで、奥へ奥へと招き入れられているかのように。
オレは足を止め、ゆっくりと振り返った。
誰もいない。
今しがた通り抜けてきた坑道が、ただ暗く、口を開けて奥へと続いているだけだ。
「ミオラ?」
「……いや」
何でもない。そう答えようとして、ほんの僅か、言葉を飲み込んだ。
視線を巡らせる。朽ちかけた支柱。落ちる影の濃い岩陰。崩れ落ちた足場の残骸。当然、そのどれにも人の影など無い。
それでも。
ほんの一瞬だけ——暗がりの輪郭の、その縁で。何かが、確かに動いた気がした。
「どうかした?」
「気のせいだ」
そう言い捨てて、再び歩き出す。
ルシアに対して、驚き疲れたのかもしれない。
それに、元より、遺跡はこういう場所だ。静寂が濃すぎる空間というのは、時に在りもしないものを脳裏に描かせる。
ルシアが言っていた通りだ。誰もいないのに、誰かに見られているような——そんな、馬鹿げた錯覚を。
ごう、と。また、風が吹いた。
坑道の遥か奥。淡い剣の光すら届かない、底無しの暗闇。その奥が、ゆらり、と揺れた気がした。
瞬きを一つ。次に見据えた時には、もう何も無い。ただ、どこまでも深く続く闇だけがそこに在った。
オレは小さく頭を振り、ルシアの背を追って歩を進める。風の唸りが、二人の足音を静かに飲み込んでいった。
——気付かなかった。
その時、既に。
光の絶えた坑道の奥、岩陰の更にその向こう。決して動かぬ筈の暗闇の一点に、二つ、瞳に似た何かが、音もなく灯っていた事に。
それは盾頭のものではなかった。怪遺のものですら、なかった。
ただ静かに。瞬きもせず。遠ざかっていく二つの背を——いつから、そうしていたのか。
風だけが、何も知らぬ顔で吹き続けていた。