追放の真意〜そんなものは無かったが、仲間も敵も王族も、みんな勝手に深読みしてくる〜   作:目下−1

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ep.12 襲撃

 それから暫く、オレ達は淀みなく坑道を下り続けた。

 

 盾頭の群れは、もはや障害と呼ぶのも憚られた。背を取り、剣を放ち、念じて戻す。その繰り返しだけで、奴らは灰へと還っていく。剣の性能は、もはや異常の一語に尽きた。

 投げれば必ず怪遺を貫き、仮に外れても必ず帰ってくる。武器が腕から離れるという、近接戦士にとって最大の禁忌がこの一振りには存在しない。慣れてしまえばこれ程までに理不尽な利点も無かった。

 

 盾頭以外の怪遺も幾度か姿を見せた。岩肌を這う甲虫めいたもの。天井から音もなく落ちてくる、影のような塊。どれも厄介と言えば厄介な相手だった筈だ。

 深刻な手傷こそ負う事は無いだろうが、少なくとも、オレ一人であればそれなりに時間が掛かっていたことは想像に難く無い。

 

 だが、問題にすらならなかった。

 

 ルシアの補助魔術。それが、何もかもを覆していた。

 

 斬撃を放つ刹那、視界が冴え渡る。岩を蹴る脚に、普段の倍とも思える力が宿る。掠った傷は痛みを覚える間も無く塞がっていく。

 彼女が傍らで小さく指を鳴らすたび、オレの身体は別の何かに作り替えられていくようだった。

 

 攻めの魔術は一つも使えない。直接敵を打ち倒す力は無い筈の補助魔術師。それなのに、彼女が支えているというだけで、オレの剣は何倍にも冴えた。

 

「……お前さ」

 

 通路の途中、ふと足を止めて口を開く。

 

「最初、ここには一人で来るつもりだっただろ」

 

「うん、まあ……そのつもりだったよ?」

 

 ルシアは薄桃色の髪の毛を揺らし小首を傾げる。何の気無しに、あっさりと頷いた。

 

 実を言えば、ずっと引っ掛かっていた。補助魔術は確かに大したものだ。だが、それだけだ。敵を倒す術を持たぬ者が、たった一人でこんな場所へ潜ろうというのは、正気の沙汰とは思えなかった。

 

 もしオレが付いて来なかったら。あの盾頭の群れを、お前はどうやって切り抜けるつもりだったのか。

 そう問い詰めてやろうと、半ば呆れ混じりに思っていた。

 

 だが——今となっては、その疑問もどこかへ霧散していた。

 

 この剣の性能。そして、この補助魔術。それを目の当たりにした今では、嫌でも納得せざるを得ない。

 投げて、当てて、戻す。それだけで盾頭は片付く。剣の冴えを魔術で底上げすれば、他の怪遺とて敵ではない。

 

 況して、元等級(レベル)八パーティ『暁と黄昏』だった彼女だ。補助魔術一辺倒だと謳いながらも、おそらく近接戦闘も人並み以上に熟せるに違いなかった。

 

 一見してルシアには、そう言った戦闘職らしさが全く無い。彼女も自分で戦闘能力は皆無だと言っていた。オレ自身、そう言った機微を読み取る力に長けている自信もあった。

 だからこそ、彼女は無力だと、敵を打倒する力は無いと決めつけていた。

 

 その自信が自惚れであったと、そう思わされる程の底知れなさがルシアにはある。

 

 岩盤を穿つ膂力も。瞬きの間に移動する俊敏さも。怪遺の牙を弾く堅牢さも。彼女は何も見せていない。しかし、それが彼女が出来無い事の証明には何一つとしてなっていなかった。

 

「……いや。お前なら一人でも余裕だったんだろうな、と思っただけだ」

 

「そんな事無いよ。だって私、双刻で一番弱かったし」

 

 弱い。この鈍を業物へ作り変え、補助一つで怪遺をねじ伏せる少女が、何を言っているのか。

 

「……いつも一番後ろにいて。いつも皆んなに守られてばっかで——」

 

 ルシアはそこまで言うと、チラリと自分の腕を見る。そこからは傷跡が覗いていた。薄皮が張って、他の皮膚とは違う色をした大きな跡。

 それを見る彼女の薄桃色の瞳には、ほんの僅かに翳りが落ちている。

 

「……結局、大怪我してクビになっちゃったし」

 

 最後の一言を、彼女は努めて軽く言おうとしていた。けれど、声の底に沈んだ寂しさまでは、隠し切れていなかった。

 

 オレは何と返すべきか分からず、口を噤む。

 軽々しく慰めるのも違う。かと言って、聞き流せる話でもない。地の底を流れる風の音だけが、暫しの沈黙を埋めていた。

 

 だが——ルシアは、すぐに顔を上げた。

 

「あ、でもね。それは全部リーダーの、エイルさんの先読みなの」

 

「……先読み?」

 

「私をパーティから外したのも、最初から全部、エイルさんが見越してた事。私が一人でも生きていけるように、強くなれるように——その為に、敢えて突き放してくれた」

 

 彼女は、自分に言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を継ぐ。

 

「だから私、今こうして一人で探索者をしてるの。誰かに守られるんじゃなくて、自分の身くらい、自分で守れるようになる為に」

 

 その横顔には、もう翳りは無かった。ただ、静かな決意だけが宿っている。

 

「エイル……」

 

 その名を、オレは口の中で転がした。聞き覚えがある。いや、聞き覚えどころではない。

 

「エイルって言やあ……あの、エイル・エルシディアか。“先見”の」

 

「あ、知ってるの?」

 

「知ってるも何も」

 

 王都でその二つ名を知らぬ探索者はいない。

 

 『先見』のエイル・エルシディア。曰く、戦いの趨勢を読み切る。曰く、危機を起こる前に察する。果ては、未来そのものを覗くなどと——まことしやかに囁かれる、その異名。眉唾だと笑う者もいたが、その実績だけは誰にも否定出来なかった。

 

 オレは小さく息を吐き、内心で独りごちる。

 

 ——成程、と。妙な所で合点がいった。

 

 ルシアは自分を弱いと言う。だが、それはあくまで、等級八のパーティの中での話だろう。あの『暁と黄昏』の。化け物揃いと噂される連中のただ中で『一番弱い』というのなら、それは確かにそうなのかも知れない。しかし、それは世間で言う弱さとは、まるで意味が違う。

 

 況してや、この剣の異常さと、補助魔術の冴え。これで『守られてばかりだった』というのなら。

 そんなルシアを、ばっさりと足切りにしてしまうエイル・エルシディアとは。『暁と黄昏』とは、一体どれ程の規格外なのか。

 

 ……いや。それよりも。

 

 先読み、か。

 

 未来を見るだの、起こる前に察するだの。そんな与太話を、まさか本気で信じる気は無い。無いが、しかし。彼女を、ルシアを見ていればそれはあながち誇張でも無いのかも——

 

 なんて……まさか、な。

 

 オレは、込み上げかけた益体もない考えを頭を振って追い払った。

 

 ごう、と。坑道の奥から、一際強い風が吹き付ける。冷たい空気が、首筋を撫でていった。

 

 その時——

 

「お前が、ミオラ・シェイドだな」

 

 声と、刃が。同時だった。

 

 考えるより先に、身体が動いていた。

 

 半身を捻る。腰の剣を抜き放つ。横薙ぎに走った何かを、辛うじて刀身で受け止めた。

 

 硬質な金属音。火花が薄闇に散る。

 

 手首に伝わる衝撃は想像以上に重かった。並の奇襲ではない。声を掛けると同時に斬りかかってくる。その僅かな間合いの読み合いで、相手は明確に殺しに来ていた。

 

 咄嗟に後方へ跳び退く。ルシアを庇うように、半歩前へ。

 

 暗がりから、ゆらりと影が立ち上がった。

 

 大男だった。頭一つ分はオレより高い。夜の闇そのものを纏ったような深い灰色の外套。その裾が坑道の風に音もなく揺れている。

 その覆いから覗くのは、濃い桃色——いや、闇に滲んで紫がかって見える髪。その色だけが、薄闇の中で異様な存在感を放っていた。

 

 ……強い。地力はおそらくオレと同等。

 

「随分と、良い得物を持っているな」

 

 男の視線がオレの剣へと注がれる。その声には敵意よりも先に奇妙な確信が滲んでいた。

 

「……何者だ、てめえ」

 

 問いには答えない。ただ、男は両の手をだらりと下げたまま、こちらの様子を窺っている。

 

 その手元で何かが鈍く光った。剣ではない。短い刃——ダガーか、あるいはナイフの類。それも一本ではない。指の間に隠すように複数を挟んでいる。暗器だ。

 

「ミオラ」

 

 背後で、ルシアが息を詰めた声を漏らした。

 

「あの服……どこかで、見たことがある気がする」

 

「あ?」

 

「分からない。けど——」

 

 彼女の声には、確信と困惑が入り混じっていた。だが、それを問い質す暇は無かった。

 

 男が、動いた。

 

 外套が翻る。夜の闇を切り取ったようなその裾が、視界の端でぶれた——と思った時には、もう間合いを詰められていた。低い姿勢から、下から掬い上げるような刺突。オレは半歩退いてそれを躱し、返す刃で斬り払う。

 手応えは無い。男は刃が届く寸前で、まるで予期していたかのような俊敏さで身を引いていた。

 

「速いな」

 

 男が、初めて感情らしきものを声に乗せた。愉しんでいるような、それでいて何処か冷めた声だった。

 

 だが、速いのはお前だけではない。

 

 指を鳴らす微かな音。途端、両の脚に熱に似た何かが満ちる。岩盤を蹴る感覚がまるで別物に変わった。

 

 踏み込む。一足で間合いを詰め、袈裟に斬り下ろす。男が、指の間に挟んだ暗器で受け流した。鋼と鋼の擦れる音。火花が薄闇に散る。流れた刃の先を読み、既に次の一手を放っている。横薙ぎ。男が仰け反って躱す。

 

 手応えは無い。だが構わなかった。これは、削り合いだ。

 

 再び指が鳴る。同時に視界の端が研ぎ澄まされる。今度は『眼』の補助か。

 

 右手側。外套の影から銀光が一閃。投擲された暗器。本来なら視界の外から来た筈のそれが、やけに鮮明に、緩やかに見えた。半身を捻って躱す。刃は虚しく岩壁へ突き立った。

 

 投げてきやがるか……!

 

 厄介な得物だった。暗器の恐ろしさはその間合いの曖昧さにある。手にしているのか、放つのか。何本隠し持っているのか。常に分からない。読めぬ軌道、変則的な角度、視界の死角からの一撃。一対一の奇襲特化。

 相手に対応する暇を与えず、困惑の最中に殺し切る。同格の相手であったとしても、その瞬間には一方的な優位性がある。

 

 だが、その全てを——ルシアの補助魔術が、塗り潰していく。

 

 その感覚のままに剣を返す。果たして、闇から滑り込んできた二条の銀光を寸前で打ち払った。甲高い金属音が二つ続けて坑道に反響する。

 

 見切れない筈のものが見える。聞き取り切れない筈の音が聞こえる。ルシアの『眼』と『耳』が、暗器という得物の利点そのものを、根こそぎ奪っていた。

 

「……っ、成程な」

 

 男の声に、初めて微かな苛立ちが滲む。

 

 投擲を止め、男が再び肉薄してきた。今度は接近戦だ。両手の暗器を変則的に繰り出してくる。突き、薙ぎ、引っ掻くような斬撃。剣のような正道とは程遠い、まるで生き物のように予測のつかぬ太刀筋。

 一合、二合。受け、捌き、いなす。普段のオレなら、直撃こそしないまでも、遠に何処かを掠められていただろう。

 

 事実、躱し切れぬ一撃が、左の二の腕を浅く裂いた。鋭い痛み。血が滲む。だが、痛みを覚えたのは一瞬だった。

 

 再び指が鳴る。身体に温かな何かが満ちる。裂けた皮膚が見る間に塞がっていく。痛みも、出血も、もう無い。まるで、傷など最初から無かったかのように。

 時間そのものを巻き戻したかのような、高度な治癒魔術と見間違う程の。暴力的なまでの治癒力強化。

 

「……!想定外だ……!」

 

 男が、外套の下で低く呟いた。その声に、ようやく余裕めいたものが剥がれ始めている。

 

 当然だ。斬っても削れない。掠めてもすぐに塞がる。一方でこちらは、男の挙動も。放つ暗器も。悉くを読み切れる。

 

 これでは戦いにすらならない。

 

 ルシアが立て続けに術を重ねてくる。指を鳴らす音がもう数えられない程に続いていた。

 

 脚の力に速さが乗る。視界の冴えに反射が加わる。掠った傷は覚える端から塞がっていく。尤も、もう掠りさえしていないが。

 一つ一つは地味な補助だ。攻めの魔術は、ただの一つも放たれていない。それなのに。幾重にも積み重なったそれは、オレという剣士を別の生き物へと作り変えていた。

 

 身体が軽い。恐ろしく軽い。その勢いに任せ、オレは一歩、深く踏み込んだ。

 

 今までで最も鋭い、神速の一刀。男が暗器で受け止める。だが、その膂力の差はもはや覆せない。鋼が軋み、男の体勢が崩れる。

 その隙に二の太刀。男が辛うじて躱す。だがその回避の先を魔術で冴えた視界はとうに見通していた。三の太刀が煌めく。

 

 今度は確かに斬った。男の脇腹を刃が抉る。鮮血が夜色の外套を濡らし、血の匂いが混じる。

 

「ぐ──ッ」

 

 男が初めて呻きを漏らす。大きく後方へ跳び退り、肩で息をしながらこちらを睨め付けてきた。

 

 オレの方は息さえ上がっていない。ルシアの補助のお陰で消耗らしい消耗すら覚えていなかった。

 

 剣と暗器。本来であれば、決して油断のならぬ相手だった筈だ。それが今や、彼女が傍にいるというだけで戦況はもはや圧倒的だった。

 

 あと数手。それで決着がつく。そう、確信した。その時だった。

 

「……チッ。これだから、嫌なんだ」

 

 組み合っていた男が、不意に舌打ちを漏らした。

 

 愉悦も。余裕も。そこには無い。あったのは、ただ忌々しげな——まるで、自分の手柄を横から掠め取られた者のような、苦い響きだった。

 

「言っておくが、本命は俺じゃねえ。万が一俺が失敗した時の為に、二の矢、三の矢は用意してんだよ……!」

 

 吐き捨てるように、男が言う。

 

 その言葉の意味を頭が理解するより先に——坑道の奥が唸りを上げた。

 

 膨れ上がる気配。桃色でも、剣の月色でもない。赤黒い、破壊を孕んだ魔力。それが坑道の奥の闇で凝り、急速に密度を増していく。

 

 オレはぞくりと背筋を粟立たせた。

 

 ——これは、まずい。

 

 長い詠唱も。大仰な予備動作も。何一つ無い。それでいてその魔力の質は研ぎ澄まされた刃のように精緻だった。坑道のどこを、どう崩せば最も効率的に獲物を潰せるか。それを計算し尽くした無駄の無い構築。

 手練れだ。それも、それなり以上の。おそらく事前に、周到に練られ、組み上げられた術式。魔術師としての実力以上にその狡猾さが恐ろしい。

 

 いつから狙われていた。どこから見られていた。考える間も無い。

 

 そして——最悪なのは、こちらの状況だった。

 

「ルシア——!」

 

 叫びながらオレは凍りつく。ルシアは今、補助魔術を発動している。立て続けに、幾重にも。

 

 補助魔術は術式を編む間、深く意識を内へ沈める。おそらくルシアであれば、それは、ほんの一瞬。瞬きにも満たぬ刹那。だが、それは確かに、彼女から外界への注意を奪っていた。

 

 無防備な、隙。

 

 もし、ルシアが一人だったなら。補助に意識を割く必要が無ければ。あの聡い少女なら、迫る魔力の気配を察し、難なく身を翻せていたかもしれない。

 

 だが、今は違う。

 

 彼女はオレを支える為に、その全神経を補助へと注いでいる。——オレが、ここに居る事こそが。彼女に、よりにもよってこの瞬間の隙を作らせてしまっていた。

 

「ルシア、魔術を解け——!」

 

 届かない。

 

 赤黒い魔力が、弾けた。

 

 坑道の天井が悲鳴のような軋みを上げる。頭上の岩盤が亀裂を走らせながら崩れ落ちてくる。

 崩落。遺跡の壁を崩す威力の攻勢魔術で、坑道そのものを叩き潰しに来ている。本命は、最初からこれだったのだ。

 

 降り注ぐ岩塊。一瞬で立ち込める濃密な砂埃。視界が白く濁る。

 

 オレは剣を放り捨てる勢いでルシアへと駆けた。岩の雨も。崩れる足場も。構うものか。あの少女に、岩塊の下に向かう影が——

 

 だが、その前に。夜色の外套が立ち塞がった。

 

「させるかよ」

 

 暗器使いの男だった。半ば捨て身だった。降り注ぐ岩を背に浴びながら、その全身を盾にしてオレの行く手を阻む。

 暗器が奔る。躱せばルシアから遠ざかる。受ければ足が止まる。どちらにせよ前へは進めない。

 

「分かってんだろ。お前は強いが……。今のその力は、後ろのお嬢ちゃんあってのもんだ」

 

 男が岩塵の中で嗤った。

 

「補助役と引っ剥がしちまえば——お前なんざただの剣士。どうって事はねえのさ」

 

 その言葉が何より正鵠を射ていた。

 投擲も、帰還も、変わらず剣の異能はある。だが、あの目を瞠るような冴えは、全てルシアの補助あってのものだ。彼女と分断されると分が悪いのはこちらだ。

 一対一であればまだしも、伏兵の可能性を考慮すれば、その差は広い。

 

 砂埃の向こうで影が動く。

 

 崩れゆく足場の縁。そこにルシアの小さな姿があった。男の——いや、その背後にいる本命の伏兵の狙いは最初から彼女だったのだろう。襲撃の目撃者。それを排除する為に。

 

「貴方は——」

 

 崩落の轟音の中、別の声が届く。本命の魔術師か。或いは暗器使いの男か判然としない。ただ、その視線がルシアの顔を捉え、それからオレの手元の剣へと滑ったのだけは分かった。

 

「……ほう。その剣の細工、間違いない。貴方がミオラ・シェイド。——しかし、よく似ていますね。その娘と。血縁か、それとも単なるの偶然か」

 

 値踏みするような呟き。だが、それも一瞬だった。

 

「……いいえ。どうでも良いですね。見られた以上は生かしてはおけません。……運が悪かったと、己を恨みなさい」

 

「ルシア!逃げろ!」

 

 オレは叫ぶ。手を伸ばす。男を押し退け、岩の雨を掻い潜って、尚。届かない。目の前で足場が抜けた。

 

 ルシアの立っていた一帯が轟音と共に下層へと崩れ落ちていく。彼女の華奢な身体が暗闇の底へと、吸い込まれるように消えていった。

 

 その刹那——一瞬、桃色の光が、瞬いた。

 

 落ちゆく彼女の手元で薄桃色の魔力が淡く灯る。何かの魔術。咄嗟の、何か。それだけは辛うじて見て取れた。

 だが、それが何なのか。彼女の身に何が起きたのか。確かめる術は、もうない。

 

 降り注ぐ岩塊が、その光を闇ごと飲み込んだ。

 

「ルシア!ルシアー!」

 

 崩れ落ちる坑道の中で。オレの叫びだけが虚しく、岩壁に反響していた。だが——落ちていったルシアを案じる暇等、ありはしなかった。

 

「おい!よそ見してる場合か?」

 

 粉塵を裂いて、銀光が奔る。暗器使いの男だ。崩落の混乱の中、すかさず間合いを詰めてきていた。オレは半身を捻ってそれを躱し、剣を返す。

 

 ——先の一太刀。あの脇腹への手応えは、確かにこいつを削っていた。

 外套を血に染めながら、先程よりかは僅かに、ほんの誤差程度に僅かに緩慢な動きで迫ってくる。

 

 その優位だけはまだ残っている。崩れた足場の上、不安定な岩盤を蹴り、オレは攻勢に出た。袈裟、逆袈裟、突き。男が暗器で受け、いなし、それでも一歩ずつ後退していく。

 補助魔術はもう無い。視界の冴えも。脚の力も。ルシアと共に地の底へ落ちていった。それでも、剣の腕だけはオレのものだ。

 

 だが——

 

 ぴり、と。右の肩口に灼けるような痛みが走った。躱し切れなかった暗器が皮膚を掠めている。続けて、二度。左の頬、そして手の甲。浅い。浅いが、確かに刃が触れた。

 僅かに溢れた血の赤が粉塵に溶け、坑道に消える。

 

「ちっ……」

 

 殆ど無意識に舌打ちが漏れる。補助があれば、こんなもの掠りもしなかった。改めてルシアの支えがどれ程のものだったかを思い知る。

 

 それでも、オレは力の限り剣を薙いだ。半ば強引に男を押し退ける。鋼の重みに男が大きく跳び退った。

 間合いが開く。膠着が起こる。

 

 互いに、肩で息をしながら睨み合う。

 

 ——勝てる。但し、これが、一対一であったなら。このまま攻め続ければ、危なげなく削り切れる。先程の一刀がそれを証明していた。

 

 だが、動けない。

 

 奥の闇に潜むあの魔術師。坑道を一撃で崩した、あの恐ろしい使い手。あれが健在である限り、迂闊に踏み込めば今度こそ頭上から岩を落とされかねなかった。

 

 ごう、と。崩れかけた坑道を風が吹き抜けていく。

 

 その、風の中から——足音が聞こえた。

 

 崩落の砂塵がゆっくりと晴れていく。その向こうから、悠然と歩み出てくる影が一つ。

 

 奇妙な男だった。

 

 この岩と埃にまみれた地の底にはあまりにも不釣合いな出で立ち。簡素な装いでありながら、一目で上質と知れる仕立ての衣服。皺の一つ、汚れの一つ無い。その上から暗器使いと同じ夜色の外套を羽織っている。

 顔立ちは整っているとも、そうでないとも言い難い。何より、年齢が読めなかった。若いようにも、酷く老いているようにも見える、曖昧な輪郭。——いや、少なくとも若過ぎはしない、目尻に滲む皺。しかし、それでも確かには判別出来ない。

 

「やれやれ——念の為、私も足を運んでおいて正解でしたね」

 

 男が口を開いた。丁寧な、それでいて何処までも温度の無い声だった。

 

「急な事でしたから、ろくに身支度も整えられませんでね。こんな埃っぽい場所にこの服で来る羽目になるとは。……まあ、いいでしょう」

 

 まるで世間話でもするような口振りだった。それが、暗器使いの男の言う『本命』。

 

「……てめえか。坑道を崩したのは」

 

「ええ。手荒な真似をして申し訳ありませんでした」

 

 魔術師の男は薄く笑う。その瞳には、申し訳なさ等微塵も浮かんではいない。

 

「……なぜ、オレを狙う。お前達は何者だ」

 

 半ば吐き捨てるように問うた。

 すると、男は心底意外そうに、僅かに首を傾げてみせた。

 

「お間違えなきよう。あなた自身に用等ありはしません。——我らが欲するのは、それ。あなたの手にある、その剣ですよ」

 

 その視線が、オレの剣へと注がれる。

 

 剣——脳裏を、嫌な疑問が掠めた。

 

 この剣は、元はただの鈍だ。何の変哲も無い、見た目だけが大層な苔威。今この剣に宿る力は全てルシアの手による後付けだった。

 だとすれば、なぜ。なぜ、この剣が重要なのか。鞘の細工で、こいつはオレを『ミオラ・シェイド』だと特定した。剣そのものに何か意味があるとでも言うのか。

 

 いや——或いは。狙いは、ルシアの施した魔術の方か?

 

 だが、それもおかしい。

 

 もしルシアの魔術が目当てであれば、その術者であるルシア本人を態々崩落に巻き込んで地の底へ落とす理由が無い。寧ろ、生かして捕らえるべきは彼女だろう。

 筋が通らない。何かが、決定的に噛み合っていなかった。

 

「そして、我らが何者であるか」

 

 男の瞳が歪む。コツコツ、と。こちらに近付いてくる靴音が岩肌を叩く。

 

「それを語るは我らの流儀に叛く。冥土の土産には魔術でもいかがでしょう?」

 

 そう言うと、男は興味なさげに外套の埃を払う。埃など、元からついていないにも関わらず。嫌味な仕草を添えて。

 

「さて——手間を取らせるのも本意ではありません」

 

 パン、と。魔術師が手を叩く。それから、オレの思考を断ち切るように言葉を紡いだ。

 

「言っておきますが、貴方の生死は問わないと、そう仰せ使っています。その剣さえ手に入ればそれで結構。ですから——」

 

 魔術師の男が魔力を練り上げる。誇示するように陣を見せつけ、態とらしく光を走らせる。

 

「どうか、大人しく死んでください」

 

 ニヤリ、と口角が上がる。それと同時に男の手から魔術が放たれた。

 迫る雷を、既の所で跳ね避ける。しかし、その先に暗器が迫る。無理矢理に身体を捻り、強引に剣を振るった。身を翻して交わした暗器使いが跳躍と同時に投擲してくる。慌てて剣を引き戻すして弾くが、一本また肩を掠めた。

 

「いつまで避けれますかね!」

 

 再び魔術が飛来する。おそらく速度を重視して練られた魔術。それを半身を捻り躱わし、その先に迫る暗器使いの刃を弾く。

 

 その時だった。崩れた坑道のあちこちから。岩陰から、瓦礫の影から。同じ夜色の外套を纏った人影が、数人、音もなく姿を現した。

 

「……増援かよ」

 

 舌打ちする。

 

 後から現れた連中は、暗器使い程の手練れではない。一人一人の動きは明らかに格が落ちる。一対一、いやその全員で掛かられても捌き切れる程に。

 だが——数がいる。それだけで厄介だった。前後左右、退路を塞ぐように包囲してくる。

 

 況してやあの暗器使い。そして、奥に控える魔術師。それらを同時に相手取るなど、補助も無い今のオレに、出来る筈が無かった。

 

 しかし、それでも剣を振るう。

 

 外套の一人を斬り伏せ、暗器使いの刺突を捌き、別の一人の刃を弾く。必死だった。死に物狂いだった。

 だが、捌き切れない。浅く、また浅く。刃が皮膚を掠めていく。腕。脇腹。脚。一つ一つは命に関わらぬ、ほんの掠り傷。その筈だった。

 

 ——不意に。

 

 視界が、ぐらりと傾いだ。

 

「……は?」

 

 足から力が抜ける。剣を支える腕が、痺れたように重い。膝が勝手に岩盤へと崩れ落ちた。

 

「ぐ……っ、なん、だ……?」

 

「……ったく、ようやく回ったか」

 

 暗器使いの男が、嗤いながら歩み寄ってくる。

 

「言ってなかったか?その刃にゃあ、たっぷり麻痺毒を塗ってある。さっきまでは、後ろのお嬢ちゃんが片っ端から消してくれてたみてえだがな」

 

 男が自分の暗器を見せつけるように翳した。

 

「あの嬢ちゃんがいなくなりゃあ、ただの掠り傷も致命傷ってわけだ。——今までの、全部が効いてくるぜ」

 

 掠り傷。何度も、何度も。

 あれは削られていたのではない。毒を注ぎ込まれていたのだ。ルシアの魔術が。底上げされた治癒力が。その都度、無効化していたに過ぎなかった。

 

 くそ……っ。

 

 動かない身体を叱咤する。だが、指先一つ、思うように動かせない。剣の柄を握る感覚すら薄れていく。

 

「では——頂戴しましょうか。その剣を」

 

 魔術師の男がゆっくりと近付いてくる。温度の無い顔。曖昧な輪郭が霞む視界の中で揺れた。

 

 その手が、ゆっくりとオレの剣へと伸ばされる。

 

 ああ——ここまで、か。

 

 薄れゆく意識の中で、ぼんやりと、そんな事を思った。地の底に落ちたルシアの、最後に見た桃色の光が瞼の裏を過ぎる。

 

 その、刹那。

 

「——あれ。ごめん、取り込み中だった?」

 

 間の抜けた声が降ってきた。

 

 崩れた坑道の、入り口の方。逆光を背に、一つの影がこちらを覗き込むように佇んでいる。

 まるで世間話の途中にでも顔を出したかのような、緊張感の欠片も無い声音だった。

 

 魔術師の手がぴたりと止まる。

 包囲していた外套の連中が一斉に身構えた。暗器使いの男ですら、その表情を明らかに強張らせている。

 

 霞む視界の中、オレは辛うじて、その影を見上げた。

 

 誰だ、と問う声は、もう出なかった。

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