追放の真意〜そんなものは無かったが、仲間も敵も王族も、みんな勝手に深読みしてくる〜   作:目下−1

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ep13.視差異

 廃坑のあの惨状から、二日が経った。

 

 あの坑道の冷気と血臭は二日経った今も鼻の奥にこびり付いている。十を超える死。消えた儀礼剣。霧の向こうの下手人。——あの日持ち帰ったのは、答えでは無く宿題の山だった。

 

 その二日の間、俺達は手分けして方々を洗っていた。

 

 俺——グレン・グランフォードが受け持ったのは、死体の身元だ。シンドラストの三人を筆頭に、廃坑に転がっていた有象無象共。あれが何処の何者だったのか。協会の記録を漁り、人相書きを突き合わせ、奴らが燻っていた酒場や溜まり場を一つずつ潰して回った。

 

 過去に何処を根城にしていたか。どんな仕事をしてきたか。誰と繋がっていたか。急に羽振りが良くなった様子は無かったか。直近で怪しい人物と接触していなかったか。

 探索者の仕事というよりは御用聞きの下働きに近い。柄じゃねえとは思ったが、こういう泥臭い裏取りは結局、足で稼ぐしか無い。

 

 安酒場の親父に銅貨を握らせ、盗賊崩れの与太話に付き合い、時には胸倉の一つも掴み上げる。二日も歩き回れば、嫌でも連中の人となりが見えてくる。

 

 そして——見えてきたのは、呆れる程に空っぽな、小物共の姿のみ。結果としては見事なまでに、空振りだった。

 

 ラドゥ・シンダーを始めとしたシンドラストは、せいぜいが小物の盗賊。粋がって名前を売ろうとしていた跡だけは涙ぐましい程あるが、実態は酒場の喧嘩と空き巣に毛が生えた程度。

 他の連中に至っては盗賊と呼ぶのも烏滸がましい、ただのごろつき共だ。誰かの依頼を受けるような格でもなければ、儀礼剣なんて大物を狙う頭も無い。

 王立博物館の防護術式を前にすれば、立ち竦む以外に何も出来なかっただろう——それこそ、誰かに膳立てされない限りは。

 

 怪しい人物との接触についても新しい情報は何一つ出なかった。

 

 判明したのは、五日程前に外套の男が連中を集めていたらしい、という一点のみ。——要するに、既にエイルが何処かから手に入れていた情報のみ、と言う事だ。

 二日歩き回って、収穫はエイルの情報の裏取りだけ。……酒が不味くなる話だった。

 

 リゼは、桃影を追っていた。

 

 裏社会の情報網。スラム街の路地。場末の酒場。盗賊崩れ。情報屋。ああいう湿った場所を音もなく泳ぎ回るの事に関しては彼女の独壇場だ。

 何処の街にも、昼の顔からは辿り着けない水脈がある。リゼはそこを魚のように行き来する。

 

 二日目の晩、時計塔に戻って来たリゼは椅子に沈み込みながら気怠げに報告した。

 

「……見たって人はいた」

 

「ほう」

 

「……でも」

 

 そう言ったリゼは、一つ大きく溜息を吐いてから続ける。

 

「……結局、よくわからない」

 

 曰く、長い髪の女だった。曰く、熊のような大男だった。やれ少年だ、やれ複数人だ。証言は見事に異なっていて、辛うじて共通しているのは『桃色の髪をしていた気がする』という、それだけ。

 

「……同じ夜の話が、三人」

 

「同じ夜、同じ場所でか」

 

「……一人は女。一人は男。一人は影しか見てない」

 

 同じ夜、同じ場所での目撃が、ここまで食い違う。尋常では無い。夜陰と恐怖が見せた幻か。複数犯か。或いは——目撃者の認識そのものに、何かしらの細工が施されているのか。

 

「……あと、一つ」

 

 リゼは半目のまま、指を一本立てた。

 

「桃影が狙うのは、悪人だけ」

 

 貴族の裏金。違法な取引品。そう言ったものばかりを狙うのは既知の情報であった。しかしそれ以上に、盗賊やごろつきのような、犯罪者を好んで狩るらしい、と。

 

 彼女のその一言で、時計塔の空気が僅かに引き締まったのを覚えている。

 

 貴族の悪銭だけでなく、外道そのものも標的にする。だとすれば、あの廃坑の虐殺は——やはり桃影の仕業である可能性が一段と濃くなる。消えた儀礼剣も桃影の手の中にあると見るのが自然だった。

 

 そしてノエリシアは、廃坑そのものを解析していた。

 

 現場から持ち帰った土。血。残留魔力。廃坑の岩肌に魔術の痕跡が残っていないか。彼女の濃紺の瞳は二日間ずっと、そう言った細かい欠片ばかりを覗き込んでいた。

 

 お陰で時計塔の一室は、瞬く間に物々しい工房と化していた。硝子瓶に小分けされた土。幾重にも術式の刻まれた検分台。宙に浮かぶび、幾何学模様を描く光の文字列。俺には蚯蚓ののたくった模様にしか見えないそれらを、彼女は譜面でも読むように目で追っていく。

 

 もはや見慣れた光景ではあったが、何度目にしたとして理解出来ないものは理解出来ない。

 

「廃坑内に、魔術の痕跡はありませんでした」

 

 報告の席で、ノエリシアは静かにそう切り出した。

 

「あれだけの殺戮が、魔術を一切使わずに行われた事になります」

 

 手に持った杖を額に当て、一瞬、考える素振りをしてから続ける。

 

「……つまり、下手人。ここではその“桃影”がそうであると仮定して話しますが。この義賊はその惨状を作り出せるだけの地力がある。純近接型と言えます」

 

 ノエリシアはそう言うと『頭の痛い話です』と吐き捨てるように付け加えた。

 魔術的要素の一切が介在しない。それはつまりノエリシアの魔術を頼っての追跡が不可能である、と。そう言う事であった。

 

 腕の立つ剣士。姿を捉えきれない影を追う要素としては、余りにも頼りが無さ過ぎる。

 

「“桃影”とは少し話が変わりますが……」

 

 ふと、思い出したようにノエリシアが口を開く。

 彼女は手に持っていた杖を浮遊させ、それから手元の紙片を卓上へ滑らせた。

 

 描かれていたのは、翼。そして、その下に五芒星。

 

「シンドラストの三人。彼らの腕に刻まれていた、この刺青。そこからは魔術的な痕跡が見つかったんです」

 

「刺青から?」

 

「はい。既に機能を失っていて詳細までは読み解けませんでしたが……。ただ、術式の骨格から言えば……何かしらの、知覚系魔術に近いものかと」

 

 ノエリシアは指を三本、順に折りながら続けた。

 

「考えられるのは三つ。軽度の隷属魔術。魔力の供給、若しくは共有の魔術。或いは——誰か、もしくは何かと繋がっていた、発信機や通信機のような魔術」

 

「……首輪、ってわけか」

 

「若しくは鈴ですね。飼い猫に付けるみたいな」

 

 淡々とした物言いが却って薄ら寒かった。

 

 ただの小物盗賊が、揃いの刺青の下にそんなものを仕込まれている。連中は誰かに飼われていた。

 それも、ノエリシアをしてその詳細を解析し切れない程狡猾に。人を『繋ぐ』術式を扱える何者かに。

 

「それに……この術式。恐らくですが、彫り師の手によるものでは無く。刺青そのものを媒介に、後から編み込まれたもののようです。本人達が知っていたかどうかすら、怪しいところですね」

 

「飼われてる自覚も無い首輪、か。……胸糞悪いな」

 

「ええ——全くです」

 

 彼女の、その声音には微かな感情の色が滲んでいた。

 

 そして、それと並行して、俺達は盗難事件そのものも改めて見直していた。

 

 洗い直す内に嫌でも目に付くのが、第四王子。レグルス・ルクス・ヴェスペリア。廃坑の名義人。博物館の館長。事件の輪郭をなぞる度に、あの金糸の頭がちらつく。

 

 悪い噂は掃いて捨てる程ある。傲慢。尊大。自己顕示欲の塊。だが意外な事に、立場的に王族に近いような、古株の——あの王子の幼少期を知るような年嵩の連中からは、少し毛色の違う話も出た。

 

 曰く、根っこまで腐っている訳では無い、と。

 

 上の王子達が出来過ぎているせいで不貞腐れているだけ。外様への横柄な態度も、言ってみれば質の悪い反抗期のようなもの。それでいて、人の見ていない所での研鑽だけは昔から欠かした事が無いらしい——と。

 

「……反抗期、ですか」

 

「拗らせるにも程があるけどな」

 

「兄君達が優秀過ぎる、と言うのも。それはそれで、息の詰まりそうな話ではありますが」

 

 ノエリシアがぽつりと零す。シリウス殿下を筆頭に、上の御三方は『優秀』の一言で語れる器では無い。あれと比べられ続ける人生というのは、確かに想像したくも無かった。

 尤も、だからと言って同情してやる義理も無いが。

 

 まあ、傲慢である事も。尊大である事も。それだけなら王族としては珍しくも無い。

 王侯貴族の噂話など、大抵は妬みや憶測が混じる。善政を敷けば人気取り。厳しく振る舞えば冷酷と囁かれる。立場が高ければ高い程、人は好き勝手な物語を作りたがるものだ。

 

 実際、現国王陛下は賢王の名で知られている。国内を纏め上げ、諸侯を抑え、周辺国との関係も安定させた名君。少なくとも表向き、その評価に異論を唱える者は少ない。

 

 だが、その王家の歴史を少し遡れば、決して綺麗な話ばかりでもなかった。現国王陛下が生まれる以前、王家は長らく男子に恵まれなかったらしい。

 

 その為、万が一に備え、分家筋からも王位継承候補が選ばれ、密かに養育されていたという話が残っている。

 

 そして陛下が無事に誕生した。結果としてその候補達は不要になった。

 

 表向きには遠方へ移された。爵位を与えられた。様々な説がある。だが裏では、二度と王位を主張出来ぬよう無慈悲に追放されたのだという黒い噂も残っていた。

 

 真偽は分からない。分からないが、王家だから清廉潔白で、王家だから悪辣だと決め付けられる程、世の中は単純でもない。

 

 信じるかどうかは別として、頭の隅には置いておくべき話ではあった。

 

 そして、肝心のルシアの捜索だけが、共通で何の進展も無かった。

 

 目撃証言を探し。似た髪色の少女の噂を追い。それでも薄桃色の影一つ掴めない。まるで王都そのものから掻き消えたような、不自然なまでの空白だった。

 

 あの少女は、良くも悪くも目立つ。あの髪色で、あの調子だ。生きて街を歩いていれば、誰かの記憶に引っ掛かる筈なのだ。それが、無い。その『無さ』が、日を追う毎にじわじわと胸の底を冷やしていた。

 

 因みに、肝心の我らがリーダー殿はと言えば。

 

 この二日、エイルは俺達それぞれの所へ、ひょっこりと顔を出していた。協会の資料室で唸っている俺の背後にいつの間にか立っていたり、ノエリシアの解析を覗き込んでいたり。覗き込んだ挙句『へえ、首輪かあ』などと暢気に呟くだけ呟いて、肝心の見解は何一つ置いていかない。

 

 そして気が付けばいない。神出鬼没にも程がある。煙のような奴だ。二十年付き合って尚、これにだけは慣れる気がしなかった。

 

 その挙句、昨日。

 

『ちょっと気になる事があるから』と。それだけ言い残して、ふらりと姿を消した。

 

 去り際、奴はこう付け加えた。

 

『明日、皆んなはスラムの外れの方に行ってみてよ。そこに古い教会があるから』と。

 詳細は語らずに、それだけ。……いや質が悪い司祭がいるから気をつけて、と。そうも言っていたか。

 

「……で、来てみた訳だが」

 

 俺は目の前の建物を見上げ、低く唸った。

 

 スラム街の外縁。崩れかけた家々の連なりの先に、その教会はあった。確かに古い。壁は罅割れ、彩色硝子は半分が抜け落ちている。

 

 だが不思議と荒んだ印象は薄かった。前庭らしき空き地は綺麗に掃き清められ、繕われた跡のある洗濯物が風に揺れている。

 

 尖塔の鐘は失われ、空になった鐘楼を風が素通りしていく。それでも、スラムの澱んだ空気の中で、ここだけが妙に呼吸をしていた。手を掛ける者がいる。寄る辺にする者がいる。建物というのは、それだけで生きた顔つきになるらしい。

 

「……音がする」

 

 リゼがぽつりと言った。

 

 耳を澄ますまでもなかった。建物の奥から複数の足音と、甲高い笑い声。子供の声だ。それも一人や二人では無い。

 

 ゆっくりと足を進め、古惚けた扉へと手を掛ける。軽く力を加えれば、扉が軋む音を立てながら開く。

 僅かに開いたその隙間から顔を覗かせた、その瞬間だった。

 

「あっ、たんたくしゃだ!」

 

 弾丸のような小さい影が、廊下の奥から飛び出して来た。

 

「“探索者”でしょ。もう!トトったら」

 

 その後ろから、呆れ顔の少女がぱたぱたと続く。更にその後ろ、他と比べて幾分か大人びた少女が、背伸びをするように胸を張って現れた。

 

「こら、二人とも。お客様にご挨拶は——って、わ、大きい……」

 

 俺を見上げた少女が、思わずといった様子で目を丸くする。気付けば、わらわらと子供達が湧き出て来ていた。三人、五人、七人。あっという間に囲まれる。

 

 年の頃は、上は十かそこら、下は四つか五つと言ったところか。継ぎの当たった服を着てはいるが、どの顔も血色が良く、瞳に濁りが無い。

 スラムの外れで、これだけの数の子供がこの目をしている。それだけで、この教会がどういう場所なのかは概ね知れた。

 

「ねえねえ、おじちゃん探索者?つよい?」

「その大きい剣ほんもの?もってみたい!」

「おねえちゃんたちもたんたくしゃ?」

「だから、探索者!」

 

「……まだおじちゃんって歳でもないが」

 

 思わず苦笑が漏れる。剣の柄に伸びてくる小さい手をやんわりと躱しつつ、屈み込んで目線を合わせた。

 

「ああ、剣は本物だ。が、こいつはお前の背丈より長い。そして勿論重い」

 

「もてるもん!トトつよいもん!」

 

「ほう、言ったな?」

 

 試しに大剣を鞘ごと外し、床へ立てて支えてやる。トトが両手でしがみ付き、顔を真っ赤にして唸った。

 

 剣はぴくりとも動かない。それを見ていた周りの子供達が、われもわれもと群がってくる。たちまち俺の得物は、ちび共五人がかりの遊具と化した。

 

「むー!うごかない!」

 

「ほら見なさい。だから言ったでしょ」

 

 サラと呼ばれていた少女が、腰に手を当てて溜息を吐く。その仕草が妙に堂に入っていて、思わず笑いを噛み殺した。

 

 横を見れば、リゼが子供二人にぶら下がられたまま、半目で硬直している。『……重い』と呟きつつ、振り解く素振りも無いあたり、満更でも無いらしい。

 

 挙句、いつの間にか髪を結わかれ始めても、されるがままになっていた。気怠げな半目のまま、頭に不揃いな三つ編みを生やしていく様は、なかなかに見ものだった。

 

「すみませんいきなり。ほらみんな、いきなり飛びついたらびっくりしちゃうでしょ」

 

 子供達の濁流に俺達が辟易いでいると、俺を見上げ驚いていた少女が子供達を嗜める。彼女は軽く頭を下げ、それからエルナと名乗った。

 

 ノエリシアの周りにも、いつの間にか小さいのが二、三人まとわりついていた。杖の先で淡く光る飾りを夢中になって突いている。

 

 ノエリシアが目を細めながら、エルナへと穏やかに問い掛ける。

 

「ここには、よく人が来るんですか?」

 

「普段は全然。……だったんだけど」

 

 エルナは少し首を傾げてから、続けた。

 

「最近は、珍しいんですけど。探索者の人がよく来てくれて。昨日も、一昨日も」

 

「へえ。昨日も?」

 

「うん!あのね!きのうはミオラねーちゃんもかえってきたんだよ!」

 

 トトと呼ばれていた男の子が誇らしげに割り込んでくる。

 

「ミオラねーちゃん、すっごいつよいんだ!それでね、いまはたんたくしゃで——」

「探索者!」

 

 サラの突っ込みを意にも介さず、トトは続ける。

 

「それでね、それでね!ミオラねーちゃんといっしょに!とりめにあ?っていしをとりにいってくれた、たんたくしゃのおねーちゃんがいるんだ!しさいさまに、ありがとうってわたすの!」

 

「とりめにあ……?」

 

 ノエリシアがトトの言葉を反芻するように呟く。それから何度かその言葉を口腔内で転がして、はた、と。思い至ったように顔を上げた。

 

「……ああ、トルメリア……謝恩石ですか」

 

 それに肯定するようにエルナが頷く。その横でトトが、そうそれ!と。興奮したように飛び跳ねた。

 

「あっ。でも、それ、ないしょなんだよ?しさいさまには、ないしょ!」

 

 言ってしまってから思い出したのか、トトが慌てて唇に指を立てる。エルナも困ったように眉を下げた。

 

「だから、その……皆さんも、内緒にしてくれますか?」

 

「……ああ、勿論だ。男に二言は無い」

 

 請け負ってやると、二人はほっとしたように頬を緩めた。司祭への、内緒の贈り物。子供らしい、温かい企みだ。

 

 ——この後に続く話さえ無ければ、ただ、微笑ましいだけで済んだ温かい企みだった。

 

「そのおねーちゃんもすっごいんだよ!なんかこう、きらきらーってまほうで——」

「髪が、ミオラお姉ちゃんとおんなじだったんだよね」

 

 燥ぎ過ぎて転倒しそうになったトトを支えながら、エルナが言う。

 

「ふわふわの、桃色で。最初みんな、ミオラお姉ちゃんと間違えちゃったくらい」

 

 ——その瞬間、俺達三人の視線が交差した。

 

 桃色の髪の、探索者の少女。

 

 まさか、と思う。だが、状況が状況だ。脳裏に捜し続けて影も掴めなかった、あの補助魔術師の顔が浮かぶ。

 

 リゼの半目が僅かに開き、ノエリシアの指先が杖の上で止まっていた。

 

「なあ、エルナ。その探索者の名前は——」

 

 俺が問い掛けた、その時だった。

 

「おやおや。今日は、また随分と大きなお客様だ」

 

 穏やかな声が教会の奥から響いた。子供達のいる礼拝堂。その奥へと続く廊下からゆっくりと顔を出したのは、一人の老紳士(・・・)だった。

 

 黒を基調とした聖職者の装束に白いストール。豊かな白髪を綺麗に撫で付け、柔和な皺が目元に刻まれている。背筋はしゃんと伸びているが、物腰は何処までも柔らかい。絵に描いたような、好々爺然とした司祭だった。

 

 ……コイツが司祭、か?

 

 俺は内心で首を捻る。エイルの話し振りから、もっと得体の知れない、食えない手合いを想像していた。しかし眼前に姿を現した男は決してそうは見えない。人は見かけに寄らない、と言った事を差し引いても掛け離れて見える。

 

 まさかあの野郎、年寄りを揶揄って遊んでいたのか?

 

「……謎」

 

 リゼが、ぽつりと呟いた。何が、とは言わなかった。だが、その半目がいつになく細められているのを俺は見逃さなかった。

 リゼの直感は獣のそれに近い。探索者として。頂に至る道筋として。彼女はその方向へと歩みを進めている。

 

 そして、そのリゼが、好々爺を前にして気配を緩めていない。

 

「子供達が失礼を致しませんでしたか」

 

 そう言いながら司祭はゆっくりとした足取りで歩みを進める。穏やかな笑顔で子供達の頭を撫で、一人一人に短く声を掛けた。最後にエルナと短く言葉を交わす。

 

 子供達は名残惜しそうにしながらも素直に司祭の周りから散っていく。

 よく躾けられている、と言うよりは。心底この老人を慕っているのがその後ろ姿だけで見て取れた。

 

「——さて」

 

 それから、司祭はゆっくりとした動作で此方へと視線を向ける。

 

「どなた様で、いらっしゃいますかな」

 

 皺の刻まれた目元を緩め、俺達を順に見渡した。

 

「ああ、すまない、自己紹介が遅れた——俺達は探索者パーティ“暁と黄昏”。俺はグレン。こっちの黒髪がリゼ。魔術師がノエリシア」

 

 司祭は一瞬だけ眉を上げた。何か思い当たるものがあったのだろう。次の瞬間には得心がいったように口元を緩める。

 

「……ああ。これはこれは。かの高名な」

 

 司祭は深々と腰を折る。その所作の一つ一つが妙に折り目正しい。スラムの外れの廃教会には、些か上等過ぎる程に。

 

「高名等と言われると落ち着かないが……」

 

 司祭の口調は相変わらず穏やかだった。聞かされていた印象との乖離に面食らう。しかし、そう言えば、エイルの言葉は間に受けものではなかったな、と思い直して言葉を続けた。

 

「ここには仲間に言われて来た。エイル……数日前にここを訪ねた筈だ。覚えがあるか?」

 

「ええ、ええ。勿論ですとも」

 

 司祭は変わらず、好々爺然とした表情で頷く。

 

「そいつにこの教会へ行けと言われたんだが——単刀直入に聞かせてくれ。あんた、何か知らないか」

 

 そうして俺は、事件の概要を掻い摘んで語った。王立博物館の儀礼剣盗難。下手人と思しき盗賊団。そして、スラム外れの廃坑での一件。

 

 子供達は、いつの間にかエルナに連れられて奥へ引っ込んでいた。話の中身を聞かせるには確かに生臭過ぎる。彼女なりの気の回し方なのだろう。あの歳で、大したものだ。

 

 一通り聞き終えた司祭は、ゆっくりと首を振った。

 

「……申し訳ない事ですが。その事件については、殆ど何も存じません」

 

「何も?」

 

「ええ。私はしがない孤児院の司祭でございますから。この教会の周りの事ならばいざ知らず、その外の事となると、てんで疎くて」

 

 司祭はそう言うと、腰を低くし頭を掻く。その表情は決して嘘を言っているようではなかった。リゼもノエリシアも同じ印象を受けたようで、頭に疑問符を浮かべている。

 

 ……ならば何故、エイルはここへ行けと言ったのか。

 

 あいつは、エイル・エルシディアは無意味な事を嫌うきらいがある。一見突拍子の無い事であっても最終的には必要な何か(・・)に繋がっている。

 尤も、奴には説明を省く癖がある。自分だけ納得して、他も自分と同じ事を考え付くと思い込んでいる。

 

 一から十まで全部説明してから投げて寄越せ、と。少なくとも俺達三人の思考は一致していた。

 

 故に、この司祭が無関係とは考え辛い。しかしこれ以上に尋ねる言葉を持たないのも、また事実。

 

「……うちのエイルには随分と詳しい話をしたんじゃないのか」

 

 半ば鎌を掛けるつもりで、そう投げてみる。

 

「詳しい話、で御座いますか?はて……」

 

 司祭は顎に手を添え、本気で記憶を辿るように首を傾げた。

 

「ああいうお喋りなお方ですから、こちらも釣られて、あれこれ世間話をした覚えはありますが。……お役に立つような話を出来たかどうか。なにぶん、この通りの老いぼれですので」

 

 そう言って、困ったように眉を下げ、皺の刻まれた目元を緩める。

 

 ——駄目だ。何も、引っ掛からない。

 

 言葉にも、表情にも、声音にも。揺らぎが無い。誤魔化している様子も、はぐらかしている様子も無い。どこからどう眺めても、孤児院の子供らに慕われる、ただの好々爺にしか見えなかった。

 

 ……だが。

 

 エイルは言った。『質が悪い司祭がいるから気をつけて』と。あの何事も軽く流す男が、わざわざ釘を刺して寄越した。

 そして横目に映るリゼは、未だに警戒を解いていない。気怠げな半目の奥で、獣の勘が静かに唸り続けている。

 

 質が悪い、と評される程の何かが、この老人にはある筈なのだ。それなのに、その欠片すら見当たらない。怪しい所が、何一つ無い。

 

 ——その『無さ』こそが、何よりも不気味だった。

 

 追及の言葉を探していると、司祭は『ああ、そう言えば』と、思い出したように手を打った。

 

「事件とやらの役に立つかは分かりませんが——昨日、この教会を訪れた少女が、一人おりましてな」

 

「少女……子供達が言っていた探索者」

 

 司祭の言葉に思考が引き戻される。エイルへの鬱憤等は吹き飛び、先程過った桃色が、再び脳裏に浮かぶ。

 

 まさか、と。

 

「ええ。子供達が話していた探索者のお嬢さんですよ。子供達からお願いされて、トルメリアを採りに行ってくれるのだとか。確か、名前は——」

 

 司祭は目を細めた。柔和な、それでいて何故か、奥の見えない笑みだった。

 

「ルシア、と言ったかな」

 

 空気が、止まった。

 

 エイル・エルシディアは無意味な事を嫌う。奴が俺達を此処へ誘導したのは、やはり、無意味では無かったのだ。

 

「——ルシアちゃん!?」

 

 ノエリシアが声を跳ね上げる。あの冷静沈着な魔女が、杖を取り落としかけていた。リゼも壁から背を浮かせ、半目だった瞳を見開いている。

 

「間違いないか?薄桃色の髪をした、小柄な……俺達よりも五歳くらい下の少女だ。武器は持ってない。補助魔術師……は格好から判断し辛いか……」

 

「私も直接見たわけではありませんので、格好までは……。しかし子供達が言うには、剣を直して光らせた、と」

 

 そう言いながら、司祭は困ったように眉を下げ、小さく肩を竦めた。

 

「なにぶん魔術には疎いもので……それが補助魔術と言うものなのかは分かりかねますが。少なくとも、何かしらの魔術であったのは間違い無いでしょう」

 

 エイルのあのやらかしも。真に無策な訳では無いとは考えていた。追放した事にも、こうして俺達が捜索する事そのものにも。俺達では思い及ばぬ考えがあるのだと。——尤も、それに対して憤りが無い訳ではないが。

 

 たったの数刻で。影も形も、痕跡が無くなってしまったとしても。心のどこかでは最終的には最良に落ち着くと考えていた。

 しかし実際にこうして、直にルシアの足取りを掴めた事に対する安心感は別の話。

 

 良かった。ちゃんと、生きていた。それも、つい昨日まで、ここにいた。

 

 探しに探して影すら掴めなかった少女の足跡が、こうもあっさりと。安堵と、間の抜けたような脱力が一遍に押し寄せてくる。

 

 膝から力が抜けそうになるのを、すんでの所で堪える。隣ではリゼが、誰にも届かない声量で『……良かった』と零していた。

 

「それで、ルシアちゃんは今どこに!?」

 

 ノエリシアが飛び掛かりそうな勢いで詰める。司祭は思い掛け無い気迫に戸惑いながらも応じる。

 

「トルメリアを採りに遺跡へと。ミオラと……ああ、ミオラと言うのは元々この孤児院にいた少女なのですが。彼女と二人で発ちましたよ。昨日、転移陣のある街の方へ」

 

「……トルメリア。高品質のものとなると、採れる場所は一つしかありません」

 

 ノエリシアの声から、温度が消えた。

 

「……“風抜けの廃坑”。等級(レベル)五の遺跡です」

 

 その名を聞いた瞬間、記憶が弾けた。

 

 一月程前の、時計塔での報告の席。資料を捲りながら、エイルが何気無い調子で零した一言。

 

『そういえば。例の“灰翼(アッシュクロウズ)”なんだけど。“風抜けの廃坑”に拠点あるっぽいんだよね。まあ、信憑性の無い噂程度だけど。遠いし地味だし。調査に行くには面倒臭い。まあそこは機会があればで良いか』

 

 灰翼。痕跡を残さない事を美学とする、協会の監視網の外で蠢く犯罪組織。あの儀礼剣の一件で、最初に名前の挙がった連中。

 その巣穴かもしれない場所へ、よりにもよって、ルシアが向かった。

 

「……おい。嫌な予感しかしねえぞ」

 

「遺跡そのものは等級五。ルシアちゃん単独でも攻略に不足は無い筈です。ですが——」

 

「……灰翼」

 

 焦りを孕んだノエリシアの言葉に、リゼが短く継いだ。それで十分だった。

 

 万が一がある。いや、この数日の流れを思えば、万が一で済む気がしない。儀礼剣。盗賊の壊滅。桃影。第四王子。そして——ようやく掴んだ、ルシアの確かな足取り。

 

 点と点が、嫌な形で繋がろうとしている。そして、その線の交わる先に、あの少女が立っている気がしてならなかった。

 

「行くぞ。今すぐだ」

 

 俺は踵を返した。教会の扉に手を掛けながら司祭へ向き直る。それから軽く頭を下げて口を開く。

 

「助かった——ああ、それと。もしエイルって優男がまた来たら伝えてくれ。“先に行ってる”と」

 

「ええ、ええ。お気を付けて」

 

 軽く手を振る司祭を尻目に、教会の扉が軋みながら閉じて行く。

 司祭は最後まで、あの柔和な笑みを崩さなかった。その笑みの奥で、何を考えていたのかは。結局、分からず仕舞いだったが。

 

 教会を出るなり、ノエリシアが口を開いた。

 

「風抜けの廃坑までは、転移陣を使って、そこから更に徒歩で半日です」

 

「半日……っ。くそ、遠いな」

 

「ですが」

 

 彼女は杖を握り直す。濃紺の瞳に、淡い光が灯り始めていた。

 

「私の魔術で道中を短縮します。少し強引な手段を使いますが……。一時間。それだけあれば届かせます」

 

「……酔わない方法で」

 

 魔力を滾らせるノエリシアに、リゼが青い顔をして縋る。

 

「善処はしますね」

 

「前回“善処”した結果がアレだった訳だが」

 

「善処するとは言いましたが、魔力酔いしないとは言っていませんので」

 

「……鬼」

 

 リゼの抗議を軽く受け流し、ノエリシアは既に術式を編み始めている。

 

 ごう、と。スラムの外れを、乾いた風が吹き抜けていった。

 

 待ってろよルシア。——どうか、何も起きてないでくれ。

 

 半ば祈るような気持ちで、俺達は走り出した。

 

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