追放の真意〜そんなものは無かったが、仲間も敵も王族も、みんな勝手に深読みしてくる〜   作:目下−1

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ep.14 エイル・エルシディア

 舌が痺れている。喉も。指も。何もかもが他人のものみたいに重い。麻痺毒がじわじわと身体の芯まで回り切っていた。指先一つ動かすのにも岩でも持ち上げるような力が要る。瞼を上げるだけの動作が酷く遠かった。

 

 霞んだ視界の中、オレは辛うじて顔だけを上げる。逆光の中に男が立っていた。

 

 黒い髪。坑道の薄闇に沈むそれよりも尚、深い黒。そして、その下で静かに燃えるような赤い瞳。背丈はやや高い。痩せても太ってもいない。ただ無駄なく整った輪郭。

 歳の頃は若い。オレよりか五つか六つか上程。なのに、立ち姿だけが老練な印象を受ける。余分な力の抜け切った、隙という隙の無い佇まい。

 

 探索者をやっていれば嫌でも分かる。強い奴程構えに力みが無い。そして、こいつのそれはオレが今まで見てきたどの探索者とも桁が違って見えた。

 

 ——その癖、表情だけは近所の散歩にでも出てきたかのように呑気だった。

 

 そして異様なのはその背後だ。

 

 ふわり、と。男の背に漆黒の剣が浮いている。一本では無い。二本、三本——数えて、七本。

 鞘も無く、誰の手にも握られず。ただ、虚空に。扇のように整然と。光すら吸い込むような黒い刀身が、坑道の冷気の中で微動だにせず静止していた。

 

 ごう、と。坑道の奥から吹き上げる冷気が、その七本の刀身を撫でていく。なのに、揺らぎ一つ無い。風ですら、あの黒を動かす事は許されないとでも言うように。

 

 ……何だ、こいつは。

 

 朦朧とする頭ではその光景を上手く飲み込めない。夢か、或いは毒の見せる幻か。そう思いたくなる程に現実離れした絵面だった。

 

 だが、夢では無かったらしい。オレを囲んでいた連中の方がそれを証明していた。

 

 外套の男達が一斉に凍り付いている。さっきまでオレを嬲っていた余裕も、嗜虐も、その顔からは綺麗に剥がれ落ちていた。

 

 代わりに浮かんでいるのは——戦慄だ。

 

 あり得ないものを見た、という顔。まさか。よもや。こいつが。声に出さずとも、その表情が雄弁にそう叫んでいる。暗器使いの男も。あの温度の無い魔術師ですら。揃って息を呑んでいた。

 あれだけオレを甚振っていた連中が、だ。子供が雷に怯えるような、剥き出しの怖気。それが坑道の冷気に混じって、はっきりと伝わってきた。

 

 次の瞬間。

 

 誰も、何も言わなかった。なのに、連中は動いた。

 

 無言のまま、視線だけで合図を交わす。それだけだった。号令も。掛け声も。指示の一つすら無い。それでいてその動きには寸分の乱れも無かった。

 

 魔術師が後方へ下がり、魔術を構築する。暗器使いが地を蹴って前へ。残る外套達がその左右へ展開し、退路を断つように散る。足運びに無駄な音が一つも無い。岩屑を踏む乾いた音すら、まるで示し合わせたように殺している。

 

 誰かが何かを命じた様子は欠片も無い。それなのに、まるで一つの生き物が動くような。高度で、そして恐ろしく速い連携だった。

 

 ——こいつら。最初から、これだけの連携が出来たのか。

 

 オレを相手にしていた時の、あの数を頼んだ雑な囲い込みとはまるで別物だった。本気だ。あの黒髪の男に対して、連中は最初から全力で殺しに掛かっている。

 

 そして、その猛攻が始まった。

 

 魔術師の手から眩い閃光が迸る。先程までオレに向けていたものとは明らかに格が違った。一発一発の威力が跳ね上がっている。そして、何よりも速い。

 雷光が走る。練り上げる予備動作すら見えない。撃たれた、と認識した時にはもう着弾している。オレの眼では軌道の一つも追えなかった。それが、二発、三発と連続する。坑道の闇を、白い閃光が立て続けに引き裂いていく。

 

眼を焼く光。遅れて届く空気の爆ぜる音。閃光が走る度坑道の岩肌に一瞬だけ濃い影が刻まれ、すぐに闇へ溶ける。その明滅が痺れた頭をぐらぐらと揺さぶった。

 

 その合間を縫って、暗器使いが斬り込む。

 

 絶妙だった。魔術の弾道をただの一度も塞がない。味方の魔術が掠めそうな位置には決して踏み込まない。光と光の隙間、その紙一重を縫うように間合いを詰め刃を繰り出す。

 

 しかも、その左手は斬り合いながら懐を探っていた。

 

 ぞわり、と。痺れた背筋に、それでも冷たいものが走った。

 

 暗器使いの懐から何かが引き出される。掌に収まる程の、小さく、黒い刃物のようなもの。一目見てわかる。あれは遺物だ。

 それが纏う気配が悍ましい。毒とも、瘴気とも違う。もっと生理的に拒絶したくなる類の何か。視界が霞んでいて形すら定かでは無い。なのに、それが『触れてはいけないもの』だという事だけは本能で理解出来た。

 

 使うのに何かしらの条件が要る。或いは制限が。——いや。恐らく代償だ。あれは、相応の代価を支払って振るう類の遺物だ。

 

 暗器使いの男のその指先の躊躇いが。一瞬の逡巡が。それを何より雄弁に物語っていた。

 握り込めば最後、後戻りは出来ない——そう言いたげな、覚悟の滲んだ握り方だった。それでも握る。という事は。それ程までに目の前の男が規格外だという事の裏返しでもあった。

 

 四方から死が殺到する。迸る魔術。舞う暗器。鈍く煌めく刃。常人ならば瞬きの間に肉片へと変わる程の、密度の暴力。

 

 だが——。

 

 その全てを、黒髪の男は散歩でもするように躱した。

 

 雷光が頬を掠めるか掠めないかの位置を通り過ぎる。男は僅かに首を傾けただけだった。

 次の閃光には踵を半歩ずらす。ただ、それだけ。神速の魔術を、まるで降る雨を避けるように。最小の所作で受け流していく。

 

 暗器使いの刃が、横合いから迫る。

 

 その時、背後の黒い剣が一本独りでに動いた。

 

 ひゅう、と。鞘走りにも似た音を立てて虚空を滑る。男の手はだらりと下げられたまま。指の一本すら動いていない。

 それなのに、漆黒の刀身は意思を持つかのように暗器使いの斬撃へ滑り込み、その刃を軽くいなした。

 火花すら散らなかった。受けたのでは無い。逸らしたのだ。最小の力で、軌道だけを、撫でるように。

 

 刃と刃が触れた。その一点。そこだけがやけにゆっくりと見えた気がした。暗器使いの渾身の斬撃がまるで水面を滑る木の葉のように、すい、と脇へ流されていく。込めた力の行き場を失い、ザッハの体勢が僅かに泳いだ。

 

 男は片手すら使っていなかった。

 

 両の手を終始だらりと下げたまま。ただ立って、ただ僅かに身じろぎするだけで。背後の七本が主の意を汲んで舞う。一本が魔術を。一本が刃を。一本が次の一撃を。代わる代わる、過不足無く。

 一本が雷を逸らす。一本が刃を払う。また一本が次に来るであろう一撃の軌道へ先回りして滑り込む。七つの黒が互いに譲り合うでもなく、ぶつかるでもなく。寸分の狂いも無い間合いで虚空を編むように舞っている。

 

 その光景は戦闘というにはあまりに静かだった。嵐の中心に立つ凪のように。男の周囲だけが不自然な程に穏やかだった。

 

 ……何だ、これは。何なんだ、こいつは。

 

 痺れた頭の片隅でオレはただ、呆然とその有り様を眺めていた。

 

 軈て、降り注いでいた攻撃が、ふつりと途切れる。連中が息を整えるように一拍間を置いた。

 その隙に、黒髪の男はきょとんとした顔で口を開いた。

 

「……ちょっと、いきなり何?」

 

 心底、不思議そうだった。

 

 今しがた四方八方から殺意の塊を浴びせられた人間の台詞では無い。寧ろ、道を歩いていたら見知らぬ相手にいきなり水でも掛けられた、とでも言うような。攻撃された、という認識すらその顔には無いようだった。

 

 その一言に。魔術師の、温度の無い面がぴくりと引き攣った。

 

 こめかみの辺りに薄く青筋が浮く。だが、流石にそこは年季が入っている。男はすぐにその苛立ちを呑み込んで、表面上はあくまで冷静に、慇懃な口調を取り繕った。

 

「……何故、貴方がここにいる」

 

 絞り出すような声だった。

 

「いや、それ以前に——貴方は、そこのミオラ・シェイドと。最初から繋がっていたので?」

 

「……ミオラ?ミオラ・シェ……なんだって?」

 

 男は本気で首を傾げた。分かり易く、まるで見せるように腕を組む。

 

「……知らないなあ、誰それ?」

 

 そして、二、三秒の逡巡の後。間延びした声であっさりとそう言ってのける。

 

 ……いや。知らないも何も。こっちの台詞だ。お前こそ誰なんだ。

 朦朧と意識の中でそんな思考が走る。尤も、痺れた舌ではそれを問う事は出来なかったが。

 

「——しらばっくれるおつもりですか」

 

 魔術師の声に苛立ちが滲む。

 

「この期に及んで、惚けても無駄ですよ。我らが、この娘を狙っていた所へ貴方が現れた。これを偶然で片付けるには出来過ぎている」

 

「いや、惚けてるとかじゃなくてさ」

 

 男は本気で困った顔をした。眉を下げ、頬を掻く。心当たりが無くて弱り果てている、とでも言うような。何とも締まらない表情で。

 

「本当に知らないんだって。なんでそんなに疑うかなあ」

 

 そのあまりにも自然な惚け方が、却って連中の神経を逆撫でしているのが分かった。

 

 幾度かそんなやり取りが続いた。知らない。嘘だ。本当だってば。惚けるな。だから知らないって。——噛み合わない問答が、坑道の冷気の中でただ虚しく往復する。

 

 そして。不意に男が、ぽん、と手を打った。

 

「あ、もしかして」

 

 何かに思い至ったように、ぱあ、と顔を明るくする。

 

「君達が灰翼(アッシュクロウズ)?」

 

 ぴし、と。連中の動きが僅かに固まった。図星……なのだろう。たった一言で、あれだけ統制の取れていた連中の気配が目に見えて強張った。

 

「……いや、でも」

 

 だが、男はそのまま首を捻る。

 

「協会がうちに依頼投げるくらいだから、どんなものかと思ってはいたけど……思ってたより手応え無いし。なんか弱いし……やっぱり違うか」

 

 ……は。

 

「うーん。俺の勘も当てにならないなあ」

 

 心底残念そうに、男は腕を組む。

 

「だとしたら、何だろ。坑夫……とか?それか鉱石専門の探索者?でも今時、トルメリアなんて採っても儲からないと思うけど。もっと割の良い遺跡なんていくらでもあるのに。物好きだなあ」

 

 オレは、痺れた頭で、ただ唖然としていた。

 

 煽っている。明確に、煽っている——筈なのに。

 

 その表情には煽っているという色が。意思が。欠片も無かった。至って真面目に。心の底から不思議がり。心の底から残念がっている。それが最悪だった。悪意のある挑発よりも、余程人の神経を抉る。

 

 ぶつ、と。何かが切れる音が、聞こえた気がした。

 

「——ふざけ、やがって」

 

 ぎり、と歯軋りの音が聞こえた。慇懃な仮面の下から覗いたのは、存外に安っぽい剥き出しの激情。

 

 魔術師の男だった。あれだけ取り繕っていた冷静がついに剥がれ落ちる。温度の無かった顔に剥き出しの怒気が浮かんでいた。

 

「いいでしょう。たっぷり後悔させて差し上げます——ザッハ」

 

 暗器使いの男に向けて、魔術師が名を呼ぶ。

 

「“喰らわせろ”出し惜しみは無しだ」

 

 ザッハと呼ばれた暗器使いが、舌打ち混じりに懐から取り出していた黒い遺物を握り締めた。男の掌に僅かに魔力が籠るのが分かる。

 

 その瞬間。男の身体から、ぞわりと気配が膨れ上がる。

 

 筋肉が軋み。血管が浮き上がり。瞳の奥が爛々と光を帯びていく。明らかな桁外れの身体強化。だが、それと引き換えに——男の顔色から見る間に生気が失われていった。頬がこけ、肌が乾き、寿命を前借りするように。命そのものが削れていくのが分かる。

 生命力を代償に絶大な力を得る遺物。それがあの悍ましい気配の正体だった。

 

「がぁああッ——!」

 

 声というより咆哮だった。喉の奥から絞り出された音は最早人のものですらない。命を薪にくべて燃え上がる、獣の雄叫びだ。

 

 咆哮と共にザッハが地を蹴る。最早目で追える速度では無かった。

 同時に魔術師の手からこれまでで最大の魔力が迸る。他の外套達もそれに合わせるように一斉に踏み込む。

 

 魔術の奔流。破壊的な一撃。刃の群れ。その全てが、四方八方から黒髪の男へと殺到した。

 

 逃げ場など無い。あの男とて、今度こそ。霞む視界の中、オレはそう思った。思ってしまった。

 

 だから——瞬きをした。ほんの一瞬。痺れた瞼が勝手に落ちて、そして上がる。

 

 ただ、それだけの間に。

 

 全てが、終わっていた。

 

 目を開けたオレの前にあったのは。

 

 無傷のまま、ぽつんと佇む、黒髪の男。

 そして、その足元に。血に塗れ、声も無く倒れ伏した魔術師達の姿だった。

 ザッハと呼ばれた暗器使いも。残りの外套達も。あれだけの連携を見せた連中が一人残らず。地に這い、ぴくりとも動かない。

 

 いつ。どうやって。何が起きたのか。オレの眼は、その一つも捉えられなかった。

 瞬き一つ。たった。たったそれだけだ。その一瞬で、命を削ってまで力を得たザッハも。神速の魔術を操る魔術師も。纏めて地に沈められていた。

 

 背後の七本の黒剣だけが何事も無かったかのように、ゆっくりと元の位置へと戻っていく。闇よりも暗い漆黒の刃が。男の背へと、まるで舞うように軌跡を描く。

 

 血の匂いが遅れて鼻を突いた。倒れ伏した連中の誰一人、呻き声の一つも上げない。坑道に戻ったのは、ただ、あの絶え間ない風の唸りだけだった

 

「……あー」

 

 静寂の中、男が間の抜けた声を漏らした。倒れた連中を見下ろして、何とも気まずそうに頬を掻く。

 

「……結局、この人達。何だったんだろ」

 

 心底、困惑した呟きだった。

 

「……て言うか、なんか。こんな光景、最近どっかで見たな……」

 

 ぼそぼそと独り言が続く。それから、男は倒れ伏した一人の様子を覗き込み、ふむ、と頷いた。

 

「まあ、死んでないし……ギリセーフ、かな」

 

 一体何がギリなのか。セーフなのか。

 

「いや、ごめんね。勢いで全員気絶させちゃったから。聞こうと思ってた事聞けなくなっちゃってさ…」

 

 男は、はあ、と溜息を一つ吐く。それから漸く。その赤い瞳が、地に膝をついたままのオレへと向けられた。

 

「倒れてるとこ悪いけど、君意識あるよね」

 

 ぺたぺたと、緊張感の無い足取りで近付いてくる。その背には、あの七本の黒剣が相変わらず整然と浮いていた。役目を終えても尚、扇のように。寸分の乱れも無く。坑道の薄闇の中で、ただ静かに主に付き従っている。

 

 その異様な光景と、男ののんびりとした足取りがどうにも噛み合わない。

 

 男はオレの前でしゃがみ込む。そして、まるで道端で蹲っている奴に声を掛けるような軽い調子で言った。

 

「で——これ今、どういう状況?」

 

 

 ——————

 

 探索者協会の地下。石造りの長い階段を降り切った先に、その資料室はある。地上の喧騒が嘘のように届かない、深く静かな空間だ。

 

 椅子に座り、手持ち無沙汰に足を放る。靴音が石の壁に反響しては、すぐに分厚い紙の山へと吸い込まれていった。

 

 広い。それも、相当に。

 

 見上げる程の高さの書架が、奥の闇へと続くように何列も並んでいる。壁という壁は隙間無く敷き詰められた書類で埋め尽くされていた。

 羊皮紙の束。背の擦り切れた台帳。紐で括られた古い記録の山。何十年、いや何百年と積み重ねられてきた探索者達の記録がここには眠っている。

 

 指を滑らせれば、背表紙にうっすらと埃が積もっているのが分かる。誰の手にも長く取られていない記録がこの部屋には幾らでも眠っているのだろう。

 

 古い紙特有の、乾いて少し埃っぽい匂いが、空気そのものに染み付いていた。

 

 光源は、魔道具だ。壁に一定の間隔で掛けられた、淡く発光する硝子の灯り。

 

 それらが規則的に、ぼう、ぼう、と。柔らかな光を投げかけている。蝋燭のように揺らがず、然して眩しくもない。書類を傷めぬよう調整された控えめな明るさ。お陰でこの部屋は、昼も夜も無く、ただ静かな薄明かりに沈み続けている。

 

 時折、奥の方で硝子が微かに音を立てる。魔力が循環する、囁くような音。それとページを繰る乾いた音。資料室を満たすのは、殆どそれだけだった。

 

 地下特有の、ひやりとした冷気が肌に纏わりつく。羽織った外套の襟を俺は何とは無しに掻き合わせた。

 

 地の底の書庫。世界から切り離されたような、穏やかな静寂。

 ……まあ、要するに。落ち着いて考え事をするには、もってこいの場所、という事だ。

 

 ……うーむ、困った。

 

 俺はその静寂の中で、内心ひとり唸っていた。

 

 儀礼剣盗難事件の手掛かりは見事に振り出しへ逆戻りしていた。

 

 下手人と思しき盗賊は皆殺しにされてるし。肝心の剣は影も形も無いし。

 

 不承不承、気乗りしないまま、不本意ながらも渋々。態々教会を訪れて司祭から得た手掛かりも見事に白紙である。あんな思いまでしたのに浮かばれない。

 

 おまけにルシアも見つからないまま。足取りの一つも掴めず仕舞いでる。

 

 ……うーん。困った。

 

 まずい。このままではまずい。皆んなの前で『同時進行だ』なんて格好付けた手前、これは些か……いや、なかなか、かなり、結構まずい。

 罰が悪いで済めば良いが、等級(レベル)八としての威厳が、尊厳と言うものが、こう……目減りしていく気がする。

 

 何か一つでも、自分の手柄になりそうな糸口が欲しいところなのだが……うーん。これといって、妙案が浮かばない。困った、困った。

 

「……おい。さっきから何百面相してるんだ」

 

 低い声が、思考に割り込んできた。ばさり、と。苛立ち紛れか、グレンが手にした書類の束を机へ放る音が響く。

 

 声の方へ目をやれば、長机に山と積まれた書類の向こうでグレンが此方を睨んでいた。大柄な体躯を窮屈そうに椅子へ押し込み、難しい顔で台帳と睨めっこしている。

 

 彼は彼で、つい先程まで方々を駆け回り、事件について聞き込みをしていたところだ。一旦その膨大な情報を整理する為に協会へ戻り、ここで俺と鉢合わせた、という訳である。

 

 その机の上はなかなかに壮観だった。人相書き。協会の登録記録。古い遺跡の調査報告。あちこちから掻き集めてきたであろう紙束が、几帳面に積み上げられている。

 

 ……几帳面に積み上がっているだけで、答えが出ているとは限らないのが辛いところだが。

 現に、グレンは先程から同じ頁を三度は往復している。眉間の皺は深まる一方で、行き詰まっているのは火を見るより明らかだった。

 

 俺は長机に頬杖をつく。それから、一つ。ふぁ……、と。大きな欠伸を、漏らした。

 

「……はぁ。お前なあ」

 

 欠伸を見咎めたグレンが、書類から顔も上げずに深々と溜息を吐いた。

 

「暇なら、邪魔だけはするな。考え事の腰が折れる」

 

 台帳の頁を乱暴に捲りながら、うんざりした調子で続ける。

 

「ぼけっと欠伸垂れてる暇があるなら他所へ行け。ノエリシアかリゼの所か。あいつらの方が、よっぽど人手を欲しがってるだろ」

 

「邪魔だなんて、失敬だなあ」

 

 俺は頬杖をついたまま唇を尖らせる。

 

「これでも一応、君達のリーダーなんですけど。グレン・グランフォード君?」

 

「そのリーダー様が、地下室で欠伸垂れてるのが問題なんだろうが」

 

 それはそう。ぐうの音も出ない正論だった。俺は誤魔化すように、指先で長机をとんとんと叩く。その手の動きをグレンの半眼が追っていた

 

 まあ、それはそれとして。

 

 俺は軽く肩を竦め、それから、淡く光る壁の魔道具へと視線を流した。規則正しく並んだ灯りが、薄闇の中で、ぼう、ぼう、と息をするように明滅している。

 

 ……うん。なんか、こういう時って。意味ありげに一点を見つめると、それっぽく見えるんだよな。

 

「手伝わない訳じゃないよ。寧ろ、手伝い過ぎていると言っても過言じゃない。ここにいるのもちゃんと意味があっての事」

 

「……ほお?なら、その意味とやらを聞こうじゃないか」

 

 グレンが胡乱げに片眉を上げた。その瞳には胡散臭いものを見るような、懐疑の色が宿っている。

 

 ……疑われてるな。いや、全くもってその疑いは正しいが。

 

「皆んなが今、どの辺りにいるのか。それを確かめておきたくてさ」

 

 俺はそう言って、ふっと意味深に笑ってみせる。尤も、深い意味も、中身も無いが。

 

「グレンはここで資料と睨めっこ。ノエリシアは時計塔に籠りきりで。リゼはたぶん聞き込み……どっか行っちゃったし——みんな、てんでバラバラの方を向いて、一生懸命に手を動かしてる」

 

 頁を繰るグレンの手がほんの僅かに止まった。

 

 お。止まった。それっぽい事も言ってみるものだ。

 

「不思議だと思わない?別々の場所を掘ってる筈なのに、出てくる土が、どうも同じ匂いがする……気がしない?」

 

 しないかな。どうだろう。因みに、俺は全く分からない。そもそも何処も掘ってないから当たり前だが。

 

 ただ、こういうのは言い切ってしまった方がそれっぽい。語尾を濁すと途端に間抜けになる為、そこは雰囲気で押し切るに限る。

 

「儀礼剣盗難事件。全滅してた盗賊。桃影。……あとついでに行方不明のルシアも——全部、別の事件みたいな顔をしてるけどさ。実は案外隣人……お手手繋いで仲良しこよし?みたいな。根っこで繋がってる、みたいな……」

 

 雰囲気で押し切る、とは。何だったのか。竜頭蛇尾。画竜点睛を欠く。仏作って魂入れず。何とも、生煮えが過ぎる。

 

 グレンの追及を避けるべく、俺は頬杖をついたまま、天井の闇をさも深淵でも覗き込むかのように見上げた。天井はただの天井だった。

 

「……ま、まあ。その“根っこ”が何処に伸びてるのか。それをのんびり眺めながら、考え事をね」

 

「……お前のその“何となく”が毎度毎度厄介なんだよ」

 

 グレンが苦々しげに低く唸る。その反応に俺は内心で、ほっと胸を撫で下ろした。良かった。それっぽく伝わったらしい。何が伝わったのかは分からないが。

 

 我ながら口から出任せにしては中々良い出来栄えだったのではないだろうか。リーダーというのは中身よりも、こういう佇まいが九割なのである。多分。

 

 ふぁ……、と。俺はまた一つ大きな欠伸を漏らした。

 

 ……いやしかし。それっぽい佇まいだけ取り繕ってはみたものの。実際のところ、何か手を動かさなければならないのもまた事実。

 

 とは言え。ノエリシアの魔術解析は横で眺めていても、まるで意味不明。あの光る蚯蚓の羅列を見せられたところで、俺に出来る事と言えば感心したように頷くくらいのもの。

 リゼはと言えば、いつの間にやら、ふらりと何処かへ消えていた。恐らくグレンとは別口での情報収集なのだろうが、俺が及ぶべくも無い。

 

 残るグレンの書類仕事だが——あの埃っぽい紙束と一日中睨めっこ、というのは考えただけで肩が凝る。面倒臭い。実に面倒臭い。

 

 儀礼剣も駄目。ルシアも駄目。となれば残るは灰翼だけであるが。

 

 痕跡を残さぬ事を美学とするような影の連中。儀礼剣の一件でも名の挙がった組織ではある。とはいえ、灰翼も灰翼で雲を掴むような相手では——

 

 ……ん。

 

 そこで、ふ、と。頭の隅に、ぽつり、と。一つの光が灯った。まるで、薄暗い書庫の天井から一筋の天啓が降りてきたかのように。

 

 ——あ。

 

 俺は頬杖をついた姿勢のまま、ぴたりと動きを止めた。

 

 ……そうだ。

 

 胸の内に、ぱあ、と。晴れやかな閃きが広がっていく。我ながらこれ以上無い名案だった。何故今まで思いつかなかったのか。

 

 ぱち、と。一つ瞬きをする。口元が自然と緩むのを感じた。しかし、それはおくびにも出さない。ただ静かに、ゆっくりと頬杖を解く。

 

 そうだ『風抜けの廃坑』に行こう。

 

 風抜けの廃坑。

 

 灰翼の拠点である可能性がある。と言った噂がある。あるが——正直、眉唾もいいところだ。おまけに遠いし、地味だし。面倒臭いし。だからこそずっと後回しにしてきた場所だった。

 

 この際行ってみても良いのではないか。寧ろ手詰まりの今こそが絶好の機会だ。あんな辺鄙で陰気な遺跡、グレン達も態々足を運びたくは無いだろう。

 

 ならば、俺が一人で行って来れば。それだけで『誰も手を付けたがらない場所を率先して調べた』という事になる。寧ろ賞賛されて然るべき働きだ。

 

 仮に。仮に風抜けの廃坑が、灰翼と縁もゆかりも無かったとして。それでも俺は『ちゃんと動いていた』という実績になる。

 

 ……何なら、面倒な可能性を一つ潰した、と胸を張ったら、それはもう立派な手掛かりという事にならないかな。いや、なる。間違いなくなる。そんな気がする。

 

 よし。理屈は通った。隙の無い論法だ。

 

 儀礼剣の件とルシアの件は、グレン達に任せておこう。皆頑張っている事だし。下手に俺が口を出すよりよっぽど捗るに違いない。

 

 最悪、皆が何一つ掴めなかったとして。

 

 ——そうだな、あの教会へ行くよう、言い含めておけばいい。あの食えない司祭の事だ。世間話の片手間に、手掛かりの二つや三つ、いや四つや五つ、ぽろりと零してくれるかもしれない。

 

 司祭は胡散臭い事この上ないが、何だかんだで子供には甘いと聞いた事がある。

 ……リゼなんかはあの背丈だ。子供判定でついでに優しくしてもらえるかもしれない。それはそれで見てみたい気もする。

 

 ……うん。考えれば考える程妙案だった。

 

 俺は軽やかに席を立つ。椅子の脚が石床を擦る乾いた音を立てた。

 

「……あ?どこ行くんだエイル」

 

 書類の山からグレンが胡乱げに顔を上げる。その拍子に高く積まれた紙束が小さな雪崩を起こしていた。

 

 あ、崩れた。グレンが舌打ちと共に慌ててそれを押さえるのを俺は横目で見送る。

 

「ちょっとね」

 

 そんなグレンの様子を見て見ぬふりをし、俺はにこりと笑い掛けた。くるり、と。彼の方へ背を向けると、上に登る階段へと足を進める。それから、ひらりと後ろ手に片手を振った。

 

「ちょっと気になる事があるから——後の事は宜しく頼むよ」

 

 それと、と。一度言葉を切って続ける。

 

「明日、皆んなはスラムの外れの方に行ってみてよ。そこに古い教会があるから。質の悪い司祭がいるから気を付けてね」

 

 それだけ言い残すと、振り返る事無く歩みを進める。一歩、また一歩と階段を駆け上る毎に明るくなっていく視界は、まるで今の俺の心境を現しているかのようだった。

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