追放の真意〜そんなものは無かったが、仲間も敵も王族も、みんな勝手に深読みしてくる〜   作:目下−1

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ep.15 犬も歩けば

「——で、これ今、どう言う状況?」

 

 膝をついたまま動けずにいる少女を覗き込んで、俺はそう尋ねた。返事は無い。試しに頬を突いてみるも相変わらず。

 

 少女は何か言おうと口を開きかけたものの、唇が小刻みに震えるばかりで声にならない。

 恐らく麻痺毒。体の至る所に擦り傷がある。どうやら先程、いきなり切り掛かってきた黒づくめ達。あの、それなりに出来る暗器使いがご丁寧に塗りこんでいたらしい。

 

 そう言えばあの人、急に痩せこけてたけど大丈夫かな……。倒れ伏す男に目を向けるも返事は無い。どころか身じろぎの一つ無い。ただの屍のようだ。まだ死んで無いけど。

 

 ……さて。

 

 しゃがんだまま、改めて少女の顔を眺める。

 

 背後では役目を終えた七本の黒剣が扇のように整然と宙に並んだまま、主の指示を待っている。

 俺がそうあれと念じている限り、こいつらは落ちもしなければ、ぶれもしない。それを2つの桃色が怪訝な色で凝視している。

 

 桃色の瞳に桃色の髪の毛。薄く色づいたその色合いには確かに見覚えがあった。

 ルシア。彼女と良く似ている。教会の司祭が言っていた『スラムの外れで目撃された桃色の髪の少女』というのも、案外この子の事だったのかもしれないな、なんて思う。目撃証言なんてものは得てしてそういう曖昧なものだ。

 

 尤も、こうして近くでしげしげ見れば、ルシアとは結構違う。

 ルシアの桃色はもっと淡くて、雪解け水みたいに頼りない。対してこの子のそれは、もう少し赤みが強い。何より目つきが違った。ルシアの目が春先の陽だまりなら、こっちは抜き身の刃のようだ。怯えと警戒と気の強さが、ぐちゃぐちゃに同居している。

 血の繋がりがどうの、と先刻の連中が口走っていたのが遠く聞こえた気もするが。……まあ、それは後でいいか。

 

「ん、っ……」

 

 少女が何か言おうとして呻く。掠れた、か細い声が坑道の空気を微かにだけ震わせた。

 

「……ぉ、まえ、ぁ……だぇ、だ……」

 

「まえだ?」

 

 東洋の姓に似た響きだ。そんな事を考えながら聞き返せば、少女は忌々し気な視線を向けて口を噤む。

 

「嘘ウソ、冗談だよ」

 

 自己紹介かと思ったがどうやら違うらしい。元より、とても東洋出身の見た目には見えない。

 尤も両親の内どちらかが東方の出身、と言う可能性もあるだろうが、そうではない事は火を見るよりも明らかだ。彼女の二つの桃色がそれを何よりも雄弁に語っている。

 

 当然、自己紹介をしたい訳でも。まえださんですか?と尋ねたい訳でもないのだろうが、呂律がまるで回っていない。ちょっと何言ってるか分からないかな。

 

「ちょっと待ってね。それじゃ話にならないから」

 

 俺は背に控えた七本のうち、一本へと意識を向ける。

 

 ふわり、と。その一振りが音もなく俺の掌へと収まった。手繰り寄せた。というよりは、呼んだら来た。と言う方が近い。

 物を浮かべ、思うままに動かす。子供でも使えるような単純な魔術だ。

 

 手にした黒い刀身の剣——『恋喰』

 

 各々が一癖も二癖もある七本の中でも、この一振りには特に風変わりな効能がある。その暗く輝く切先を少女の胸元へとそっと翳す。

 

「動かないでね。別に刺したりしないから」

 

 刀身が淡く明滅した。ぐっ、と。剣に力を吸われる感覚。一瞬、暗色の煌きが坑道を照らす。そして、俺の魔力を触媒として剣の権能が発動する。

 

 黒き七剣が一つ。

 

 刀身に宿るのは誰かを求める飢えであるという。この剣に魔力を流した者はその飢えを解き放つ。一度目にしたならば、人も獣も。鉱物も機械さえも。それを見つめる事を止められない。

 

 その執着は毒を忘れさせ。狂気を覆い。病の苦痛さえ塗り潰す。例え、目を向ける事すら叶わぬ者であっても。尚、この剣へと惹かれるという。

 

 故にその名を『恋喰』

 

 愛を与える剣ではない。愛という名の、あらゆる執着を喰らい尽くす剣である。

 

 毒を喰らう。痛みも。痺れも。綺麗に攫っていく。少女の強張っていた身体から、見る間に強張りが解けていった。

 

「——っ、は……っ」

 

 少女が大きく息を吸い込む。指先が、震えながらもちゃんと握り込まれた。

 

 よし。ちゃんと効いたな。

 

「ほら、立てる?」

 

 俺は剣を引き、込められていた魔力を霧散させる。少女は、無理矢理惹き付けられていた視線を逸らし、蹌踉めきながらも自力で立ち上がった。

 まだ脚に力が戻り切っていないのだろう。岩壁に手を付き、ふらつきながら。それでも。こちらへ、油断無く目を向けてくる。

 

 その視線が。ちらり、と。俺の背後を掠めた。宙に並んだ七本へと。

 

 ……うーん。警戒されてる?

 

 その瞳には確かに警戒の色があった。獣が、得体の知れない大型の何かを前にした時のような。あの張り詰めた目だ。

 尤も、その奥には薄っすらと諦めのようなものも滲んでいる。先刻の光景をこの子は見ている。今更構えたところで無駄だと頭では分かっているのだろう。それでも。身体が。これまで生きてきた経験が。勝手に身構えてしまう。——そんな、半端な構え方だった。

 

 そして、開口一番。

 

「お前、誰だ?何者だ?」

 

 掠れた声で。それでも気丈に。少女はそう問うてきた。

 

 ……はて。俺は一瞬きょとんとする。何者、と問われても。

 

「……あ」

 

 そこでようやく思い至る。そう言えば名乗っていない、と。

 

 助けてやった、と言うのは些か独善的だろうが。結果として、罹る火の粉を払うついでに助けた形になる。尤も、それはあくまでも俺側の視点であり、彼女からすれば俺は、先の脅威よりも強大な脅威である、と。そう認識されていてもおかしくない。

 

 そんな相手に名前も告げないのは、流石に不親切と言うものだ。

 

 別に、深い意味は無い。無いが。まあ、折角だ。少しばかり格好を付けても罰は当たらないだろう。

 

 俺は軽く肩を竦めてから口を開く。

 それと同時に手元の『恋喰』を、ふい、と宙へ送り返す。一振りが、ひとりでに残る六本の隣へと滑り込み、再び七本の扇が綺麗に整った。それなりに様になる絵面ではある。ような気がする。

 

「俺の名前はエイル——エイル・エルシディア。等級(レベル)八探索者パーティ“暁と黄昏”でリーダーをやっている者だ」

 

 ふっ、と。我ながら、なかなか様になった気がする。

 

 少女は——

 

「…………」

 

 ぽかん、と。口を半開きにしたまま固まっていた。

 

 ……あれ?

 

 反応が思っていたのと違う。何だろう、この間。期待した訳ではないけれど、もう少しこう、何かしらのリアクションがあってもいいのではないか。

 その妙な沈黙に、俺は柄にも無く、ほんの少しだけたじろいだ。

 

 次の瞬間だった。少女の瞳が、かっと見開かれる。ぽかんとしていた表情が瞬く間に、剥き出しの驚愕へと塗り替わった。

 

「……は」

 

 ぱくぱく、と。少女の唇が声にならない言葉を象る。

 

「お、お前が……あの……っ」

 

 あのって、どの。

 

 悪い噂に心当たりは無い。無いがしかし。知らない内に多方面から嫉みを買っている事もある。それなりに、結構、まあまあな頻度である。高等級探索者として名前が売れているのと同程度に。

 

 ……まあ。流石に顔も名前も知らない人物から悪感情を向けられる謂れは無い。

 お前があの、に繋がる言葉は『あの等級八で聡明で頭脳明晰で容姿端麗なエイル・エルシディアだったのか!』だと思っておこう。うん、そうに違い無い。と言うか絶対そうだ。そうじゃ無いとおかしい。

 

「あれ?もしかして、知ってた?」

 

 俺は思わず口元を緩めた。

 

「いやあ、参った。俺もいよいよ有名になったって事かな。改めて——暁と黄昏のエイルだ。よろしくね」

 

 へらり、と笑ってみせる。

 

 少女はまだ信じ切れないという顔で、それでも何とか居住まいを正そうとした。ふらつく脚を踏ん張り、ごくりと喉を鳴らす。

 

「……ミオラだ。ミオラ・シェイド」

 

 絞り出すように名乗る。

 

「しがない……探索者だ。……あんたら“双刻”みたいなのに比べりゃ、塵芥みたいなもんだが」

 

 卑下と言うより、何か含みを持つような言い方。

 俺は、ふうん、と相槌を打つに留める。塵芥かどうかは知らない。しかし、毒漬けにされてあれだけの数を相手取って、まだ立っていられる時点で大概のもの。

 おそらく、それなりに己の強さに自信がある手合いだろうが。……まあ、そんな事はさて置いて。

 

「で、ミオラちゃん」

 

「ちゃん付けすんな」

 

「ミオラ——それで、ここで何があった?」

 

 俺は改めて現状の確認に立ち戻る。

 

 倒れ伏した外套の連中。崩落した坑道。毒を盛られた少女。状況証拠は様々であるが、肝心の経緯がまるで見えていない。何せ、俺はつい先程、ふらりと顔を出したばかりなのだ。

 

「……分かんねえよ」

 

 ミオラは小さく吐き捨て、悔しげに眉を寄せた。

 

「採取の途中で、急にあいつらに襲い掛かられて『お前がミオラ・シェイドだな』とか言われて、それで——」

 

 そこまで言って。

 

「——っ、そうだ!」

 

 ミオラの顔色が、さっと変わった。

 ぼうっとしていた瞳に急に火が灯る。何かを思い出したように、いや、実際思い出したのだろう、彼女はがばりと顔を上げた。

 

「こんな事してる場合じゃねえ!」

 

「落ち着いて落ち着いて」

 

 今にも崩れた坑道へ駆け出しそうな少女を、俺は片手で押し留める。脚はまだ覚束無い筈であるが勢いだけは一丁前だ。下手に走り出してまた倒れられても困る。

 

「何があった?順番に話してくれないとこっちも分からないからさ」

 

「ルシアが——!」

 

 ……ん?

 

「ルシアが、下に落ちたんだよ!あいつらの魔術で、坑道ごと!」

 

 ……ん????

 

 今、何て言った?

 

「ちょっと待って?ルシア?今、ルシアって言った?」

 

「ああ、言った!そう言った!ルシアだ!ルシア・アシュレーヌ!お前が双刻のエイル・エルシディアなら知ってるだろ!」

 

 ミオラが苛立たしげに頷く。踏み締めた岩肌が乾いた音を立てた。それに、俺は思わず二、三度瞬きをした。

 

 ルシア——あの、ルシア。捜せども捜せども影一つ掴めず、皆して頭を抱えていた、あのルシア。

 その名前が、よもや、こんな辺鄙な廃坑の底で、毒漬けにされた見ず知らずの少女の口から飛び出してくるとは。

 

 ……なんてこった。

 

 棚から牡丹餅。濡れ手で粟。俺も歩けば勿怪の幸いである。手持ち無沙汰の果てに。聞くに苦しい御託を並べて、灰翼の手掛かりを探しに来て見れば。なんと捜し人の足取りまで転がり込んできた。

 

 なんて偶然。なんて幸運。藪から棒、窓から槍。青天から霹靂。寧ろ逆に必然まである。これは全て同時も強ち不可能では無い。嘘から出た真も来るとこまで来たものだ。いや、別に嘘吐いたわけじゃ無いけど。

 

 ……尤も。当のルシアが今まさに下層へ落っこちている。というのは、些か頂けない話ではあるが。

 しかし、まあ。点と点が、思い掛け無い所で線になった。資料室で唸っているだけではこういう僥倖は転がり込んでこないのだ。

 

「成程ね。うん、大体わかった」

 

 俺は腕を組んでミオラへと向き直る。それからしっかり、これでもかと深々と頷いた。

 

 何故かミオラが信じられないものを見るような目を向けてくる。

 

「……本当に分かってんのか?」

 

 逆に何か疑問に感じるべきところあった?あの集団の目的とか正体とか、ルシアがどうしてここにいたか、とか。それくらいしか分からない事等無い。

 

 ……?おかしい。疑問しか無いな??

 

「分かった分かった。それで」

 

 まあ、分かったかどうかはさておき。話を先に進める。

 

「そのルシアが落ちた時の状況。もう少し詳しく教えてくれる?どんな風に落ちたのか、とかさ」

 

 俺がそう尋ねるとミオラの顔がはっきりと曇った。唇を噛み、視線を落とす。握り締めた拳が小刻みに震えていた。

 罪悪感だろうか。或いは後悔か。その横顔には自分を責めるような、酷く苦い色が滲んでいる。

 

「……あの暗器使い……ザッハとか呼ばれてた奴とやり合ってる最中だった」

 

 絞り出すようにミオラは語り始めた。

 

「奥に魔術師がいるのには直前で気付いた。けど、目の前の暗器使いを捌くので精一杯で。……完全に、不意を突かれた。奥の魔術師が坑道を崩した。……ルシアは、その崩落に巻き込まれて」

 

 そこで一度言葉を切り、彼女は強く目を瞑る。

 

「オレが、いたせいだ。あいつは俺に補助を掛けてた。そのせいで……。オレさえいなけりゃ、あいつはきっと、避けられた」

 

「なるほど?」

 

 俺は相槌を打ちながらその横顔を眺める。自分のせいだ、と。そう思い込んでいる顔だった。実際のところはどうだか分からないが、少なくとも彼女の中では、もう答えが出てしまっているらしい。

 

 自分のせいで補助魔術の隙を突かれた。万全であれば避けられた、と。

 

 それは、果たしてどうだろうか。

 あの魔術師はかなりの手練れだった。体感ではあるが、等級換算で六か七はある。対面した状態からでも魔術を避ける事が可能だったとは考え難い。

 補助魔術の隙は彼女の致命的な弱点ではある。しかしそれ以上に戦闘力の乖離があったのでは無いだろうか。

 

 尤も、それを言ったところでミオラが納得するか否かは別の話であるが。

 

「落ちる直前に……桃色の光が見えた。たぶん、何かしらの魔術を使ったんだとは思う。けど、それが何なのかまではオレじゃ分からねえ」

 

 そこまで言って、ミオラはぐっと拳を握り込んだ。

 

「だから……だから早く助けに行かねえと。下層に落ちたんだ。怪我で動けねえかもしれねえ。瓦礫に挟まれてるかもしれねえ。それに……もしあいつらの仲間がいたら——」

 

「ああ、うん。それなら多分、大丈夫でしょ」

 

 俺はそう言うと一つ大きく伸びをする。ついでに込み上げてきた欠伸を噛み殺した。

 

「……は?」

 

 ミオラがぽかんと口を開ける。今度の沈黙はさっきとは種類が違う。何を言っているんだこいつは、という、明白な非難の色を孕んだ間だった。

 

「いやだってさ」

 

 俺は軽く肩を竦めてみせる。

 

「怪遺にやられた、って話じゃないんでしょ?坑道が崩れて、それと一緒に下に落ちた。要するに、ちょっと高い所から落ちたって事でしょ?もしかしたら打ち身か、せいぜい捻挫くらいはするかもだけど」

 

 現に桃色の光。おそらく何かしらの補助魔術。それをルシアは、彼女自身に掛けている。

 

 補助魔術は自身に掛けると他者に掛けるのとではまるで別物だ。他者に掛ける際は、無理矢理魔術で干渉しているのに対し。自分自身へのそれは限り無く抵抗が無い。

 自分以上に、自分の事を理解できる人間が居ないように。補助魔術もまた同様に。

 

「その程度ならルシアも全然平気だって」

 

 俺はにっこりと笑って、そう言い切った。

 

 しかしミオラはまるで納得していない様子だった。眉間に刻まれた皺は深いままで、握り締めた拳も解けない。それどころか、こちらを睨むようにして噛みつかんばかりに口を開く。

 

「——全然、平気じゃねえだろ」

 

 低い声だった。掠れてはいるが、芯のある声。その声音には明確な怒気が混じっている。

 

「……仮に。仮に落ちた事自体が大丈夫だったとして。下層がどうなってるかも分からねえ。怪遺が湧いてるかもしれねえし、あいつらの仲間がまだ潜んでるかもしれねえ。それを“多分大丈夫”の一言で済ますなんて、無責任にも程がある」

 

「うーん。無責任……か」

 

 俺は頬を掻く。痛いところを突かれた、という訳でもないのだが、まあ言い分は分かる。

 

「いや、別にね。心配してないって言ってる訳じゃないんだよ」

 

「どう聞いてもそうとしか聞こえねえよ」

 

「失礼だなあ。ちゃんと真面目に考えてるよ」

 

 考えてはいる。考えてはいるのだが、それを言葉にするのが難しい。

 ルシアとの約二年に渡る付き合いの中で、彼女の魔術の性質は殆ど理解している自信がある。しかしそれを、贔屓目に見てルシアと出会って数日であろうミオラに説明する術を持たない。

 

 攻勢魔術と違い、補助魔術の評価は傍目からの判断が非常に難しい。分かり易い破壊力や、術式規模の視認性が無い以上。経験と感覚で理解する他無い。

 

 落下も、怪遺も問題無い。黒づくめ達に関しても同様に。あの魔術師相当の実力者を用意するのは容易では無い。打倒は兎も角、回避若しくは逃走は易い。

 ルシアは大丈夫。それは俺の中での揺るぎ無い結論だ。しかしその根拠を、いざ目の前の少女に説明しようとすると途端に言葉が滑り出さなくなる。

 『何となく』や『そういうものだから』等。そういう曖昧な言葉を紡ぐ事しかできない。

 

 俺はもう一度、崩落した坑道の縁へと目をやった。

 

 暗い裂け目がぽっかりと口を開けている。底は見えない。そこから絶え間なく、ごう、と冷たい風が吹き上げてきていた。坑道全体に響くこの風の唸りは、相変わらず何処か囁き声めいて不気味だった。

 崩れた岩塊が裂け目の縁に幾つも転がっている。土埃はもう大分落ち着いていたが、その奥に広がる闇は依然として深い。

 

 ……まあ、確かに。ルシア一人で、と考えると。心配と言えば心配ではある。主に迷子的な意味で。

 

「分かったよ」

 

 俺は溜息混じりに肩を落とした。

 

「じゃあ、ちゃんと迎えに行こうか。それで文句ないでしょ?」

 

「……最初からそう言ってんだよ」

 

 ミオラが、ぐっと喉を鳴らす。漸く警戒の角が少しだけ取れた気がした。尤も、まだ完全に気を許した訳では無いらしい。岩壁に手を付きながら、ちらちら、と。こちらを伺っている。

 

 無理も無い。彼女視点、俺は自称『暁と黄昏』のエイル・エルシディアの要注意人物。状況を鑑みれば警戒するに越した事は無いだろう。

 

 ごう、と。

 

 崩落の縁から吹き上げる風が二人の間を通り抜けていく。さて降りるとしようか、と俺が穴の縁へ片足を掛けた、その時だった。

 

 坑道の奥——俺達が来た方角から、幾つかの足音が響いて来た。複数。それも、こちらへ真っ直ぐ駆けてくる。

 

「っ……!」

 

 ミオラの反応は流石に早かった。麻痺が抜けたばかりの身体を無理に捻り、岩壁を背にして身構える。先程の連中の仲間か、と。その顔には、はっきりとそう書いてあった。剣の柄に手をやり、抜き身の刃のような瞳を闇の奥へと突き立てる。

 

 俺はその様子を欠伸でも噛み殺しそうな顔で、ただ突っ立って見ていた。

 

 ……うん。この足音には、覚えがある。

 

 一つはやたらと重くて大きい。地を踏み締めるような、馬鹿正直な歩幅。もう一つは対照的に軽くて、半分音を殺した足音。そして最後の一つはその中間。一定の律動を刻む几帳面な足取り。

 

 なんか最近こんな事あったな。

 

「なっ……!エイル——!」

 

 果たして、闇の奥から最初に飛び出してきたのは大柄な影だった。その瞳は驚愕に染まっている。まさか、何故、どうやって。彼の深紅の双眸がそう語っている。

 

「やあグレン。奇遇だね」

 

 俺はひらりと片手を上げる。グレンはそれに手を振りかえすでも無く、ただ現れたままの表情で、口を開けて固まっていた。

 

 続いて、音もなく滑り込んでくる黒髪の小さな影。リゼだ。その後ろから杖を構えたノエリシアが、淡い魔力光を纏って姿を現した。

 

 そして同じような顔をして彫像と化す。

 

「あー……」

 

 俺は、内心でこっそり肩を落とす。

 

「皆んな来ちゃったの?」

 

 折角、態々一人でこんな辺鄙な遺跡まで足を運んだと言うのに。しかも幸運にもルシアの足取りを掴んだ所だと言うのに。

 これでは俺一人の手柄にはならないでは無いか。後少しでルシアの件でのやらかしも帳消しになる所だったのに……。

 

「……おい、こいつらは」

 

 俺が内心で地団駄を踏んでいる事等お構い無しに、ミオラが構えを解かぬまま警戒の視線を俺へと向ける。

 

 まあ、まあ。ルシアも足取りが掴めただけマシだ。まだぎりぎり『一足先んじて痕跡を掴んだ凄腕リーダー』の構図は崩れて無い。たぶん、おそらく、きっと。

 

 ふぅ、と。小さく息を吐いてからミオラへと向き直る。

 

「ああ、大丈夫。俺の仲間だよ。ほら、さっき言ったでしょ“暁と黄昏”。揃いも揃って態々来てくれちゃってさあ」

 

「揃いも揃って、じゃねえだろうが」

 

 漸く再起動したグレンが、岩を踏み鳴らして詰め寄ってくる。その顔は半分は驚愕。残りの半分は呆れでできていた。

 

「お前なあ。“気になる事がある”だの何だの言って一人で消えたと思えば」

 

 そこで言葉を切り、グレンの視線が俺の足元へと落ちる。血に塗れて倒れ伏した夜色の外套の連中。崩れ落ちた坑道。それらを順に見て取って、彼はその整った眉をぐっと寄せた。

 

「……エイル……これはお前が?」

 

「あー……色々あってね。今回は俺が」

 

 先日のスラム外れの坑道の一件を思い出しているのだろう。一瞬、グレンの眉が歪む。

 

「やはり前のもお前が……」

 

「そんな訳ないが?第一死んでないし……たぶん」

 

 その傍ら、リゼは既に倒れた連中の様子を確かめ、ノエリシアは崩落の規模を冷静に観察している。

 しかし、その二人ですら手を止め、改めて俺の方を見てから揃って何とも言えない顔をした。呆れとも、困惑とも取れない絶妙さだ。

 

「……どうして」

 

 ぽつり、と。リゼが小さく漏らす。半目に開かれた瞳には分かり易く疑問の色が浮かんでいた。

 

「……流石に理解不能」

 

「ええ。まさか、先回りされているとは」

 

 リゼに続いて、ノエリシアが嘆息混じりに頷いた。

 

「昨日、エイルくんが忽然と姿を消したのは……何かしらの手段で、ルシアちゃんがこの遺跡にいる事を既に掴んでいたから。そういう事だったんですね」

 

 ……うん?

 

「でも、いったいどうやって……。この二日間、ルシアちゃんの足取りは一切掴めなかった筈——」

 

 ノエリシアは額に手を当て、唸るようにして首を捻る。そして、途中で諦めたような、納得したような表情で溜息を吐く。それから二、三度頭を振った。

 

「いや……今更ですね。考えても無駄でした」

 

 ……うん。何の話???ルシアが風抜けの廃坑にいる事を知っていた?誰が?俺が??一体何に納得したんだ……。

 

 考えても無駄、は俺の台詞なのでは。

 

 ルシアがここにいる事なんて知っていた訳が無い。姿形も、噂話も満足に掴めていなかった。司祭からの情報でさえ、正体はおそらくミオラだった。

 

 誰がどう見ても単なる偶然以上の何者でも無い筈だが。しかし、ここで馬鹿正直に『偶然です』と白状するのは良く無い。非常に良く無い。

 折角ノエリシア達が、何故か俺に都合の良い勘違いをしてくれているのだ。これを利用しない手は無い。

 

「……まあ、色々とね?」

 

 俺は意味あり気に笑うだけに留めておいた。それっぽい仕草も忘れない。

 勿論色々どころか一色も無い。無色透明。硝子細工のように向こう側が透けている。いや、中身が硝子な分、硝子細工の方が遥かにマシだった。

 

「それで、この状況についてだが——」

 

 グレンが気を取り直したように口を開きかけた、その時だった。

 

 ずる、と。地を擦る湿った音がした。

 

 全員の視線が一斉にそちらへ向く。倒れ伏していた連中の中、一つの影が。あの、温度の無い魔術師の男が。よろよろとその身を起こそうとしていた。

 

「……ぐ、ぅ……」

 

 顔を半ば歪めながら、男は岩壁に縋って立ち上がる。額からは血が伝い、足元は覚束ない。それでも、その瞳にはまだ昏い光が残っていた。

 

「……まさか、双刻が……。“暁と黄昏”が、出てくるとは……」

 

 掠れた声が坑道の冷気に溶ける。

 

「我ら灰翼の悲願に……仇為した事。後悔させて、やりたいところですが」

 

 ぎり、と。男が歯を食い縛る。その音がこちらに聞こえて来る程迫真の表情。そして、男の視線がゆっくりと、ある一点へ据えられた。

 

 俺でも、グレンでも。リゼでもノエリシアでも無く。その後ろの少女へと。

 

「……今は。それより……貴様だ。ミオラ・シェイド」

 

 忌々し気に。鋭く、湿度のある視線がミオラに向けられる。ぞわり、と。背筋に冷たいものが走る。こちらに向けられた物では無い筈なのに。それでも、俺にまで悍ましさが伝わって来る。

 

 それを直接突きつけられたミオラは動けない。ざり、と。一歩後退った音が聞こえた。

 

 魔術師は覚束無い足取りのまま。一歩、後ろに下がる。それから何かを探すように懐へと手を突っ込んだ。

 

 辺りに戦慄が走る。空気の温度が下がったかのような錯覚を覚える。

 

 グレンが大剣の柄に手を掛ける。リゼの姿勢が低くなる。ノエリシアが魔力を魔力を練っている。男がどう動いても良いように。

 

 魔術師が、いよいよ懐から何かを取り出そうと動き——

 

「——待った」

 

 俺は、思わず口を挟んでしまった。

 

 予想だにもしていなかったのだろう。魔術師の手が止まる。呆気に取られた表情で、視線がミオラから俺へと移る。

 

「……灰翼。今、灰翼って言った?」

 

 いや言った。絶対に言った。確実に言った。自分で名乗ったよね?

 

 灰翼ね。なるほど、灰翼。あの灰翼ね。うん。……なんか、弱いとか言っちゃった気がするな。とりあえず謝っとくか。

 

「あー……。さっきはごめんね?」

 

 魔術師の顔にはっきりと疑問符が浮かんだ。

 

 何を謝られているのか。血に濡れた眉が訝しげに寄せられる。この期に及んで突然頭を下げてくる男の真意がまるで読めない、といった表情だった。

 

 しかし、それも数瞬。男の血の気の失せた顔に、みるみる朱が差していく。こめかみに青筋が浮かぶ。喉の奥から絞め殺したような呻きが漏れた。

 

 俺としては至って誠実なつもりだった。誤解は解いておくべきだし、非は非として認めるべきだ。しかし男には、そうは伝わらなかったらしい。

 

「貴様……!貴様ァ……! 我らを、灰翼を。愚弄するにも程が——!」

 

「……灰翼だと?」

 

 その激昂を、真横から断ち切るように。低く、鋭い声が割り込んだ。

 

 グレンの眉がこれ以上無い程に険しく寄せられている。大剣の柄に手を掛けたまま、刃のような視線が俺と魔術師の間を素早く往復した。

 

「……おい、エイル。今の、聞き間違いじゃ無いよな」

 

 その声には隠し切れない緊張が滲んでいた。

 

「……灰翼」

 

 ぽつり、と。リゼが呟く。その半目が僅かに見開かれていた。普段、何を考えているのか読ませないあの瞳に、明白な驚きの色が差している。

 

 無理もない。雲を掴むようだったあの影の組織。その尻尾がこんな場末の遺跡で。しかも向こうから名乗り出てくる形で、ぽろりと転がり込んで来ている。

 

「……信じられない」

 

「いえ。恐らく、事実です」

 

 それを引き取ったのはノエリシアだった。杖を構えたまま、しかしその濃紺の瞳は、倒れた男よりも、寧ろ俺の方へと据えられている。

 

「今まで影も形も掴めなかった。あの、灰翼。それが、こうもあっさりと。ルシアちゃんの件と言い……偶然や嘘にしては出来すぎている」

 

 彼女の声に、確信めいた響きが混じった。

 

「エイルくん……あなたは一体、どこまで——」

 

 冷静な口振りとは裏腹に、その眼差しには隠し切れない畏敬の念が滲んでいた。彼女の紺色の瞳が見開かれたままこちらを射抜く。

 ノエリシアの中ではこの状況は俺が作り出した必然、と言う認識になっているようだ。

 

 ……うん。違うんだけどね。偶々、端無く。純度十割の偶然。

 

 動揺が走る。グレンもリゼも。ノエリシアと同様に視線が俺へと向く。しかし、その一瞬の動揺こそが隙となった。

 

 ざり、と。土を踏む音が響く。男が、じり、と後退る。血の滴る指先が、懐の奥で探り当てた何かを握り込んだ。

 

「しまっ——」

 

 グレン達の反応は決して遅くなかった。大剣を引き抜き、地を蹴る。リゼの姿勢が沈み、その手から銀光が奔る。ノエリシアの杖の先に、拘束の術式が組み上がる。

 

 しかしそれらの全てが動き出すよりも、僅かに。ほんの、僅かに。男の手が速かった。男の掌の中で、古びた円盤のような物が淡い燐光を帯び始める。

 

「ノエリシア!」

 

「——転移系です!」

 

 ノエリシアの声が鋭く飛ぶ。

 

「あの遺物、術式の構成が転移術のものです!起動は止められません!術式が既に走っています!」

 

「させるか!」

 

 グレンの咆哮が坑道を震わせる。地を蹴り、肉薄する。しかし、拳一つ分。大剣の切先だけ遠い。

 

 その僅かな猶予の中で。魔術師の男は、ミオラだけを見据えた。血走った目に、昏い愉悦を滲ませて。

 

「ミオラ・シェイド。……お前の、帰る場所を、知っているぞ」

 

 掠れる、途絶え途絶えな声。風が鳴く坑道では殆ど聞こえない程の声量。

 

「スラムの外れの、温い巣穴。……随分と、雛鳥がよく肥えていた。一羽くらい、攫ったところで——誰も、困りはしまい?」

 

 声を潜め囁くように。ただ、一人にだけ届けば良いように。

 

「——!?」

 

 その言葉にはっきりと反応したのは、ミオラ一人だった。

 

 顔から音を立てて血の気が引く。瞳がこれ以上無い程に、限界まで見開かれる。他の誰も、その言葉の意味を即座には汲めない。

 しかし、ミオラだけは。ただ、ミオラだけが。その一言の意味を正確に理解していた。

 

「貴様……!それは——」

 

「では。ごきげんよう。くれぐれも剣だけは忘れぬようにな」

 

 燐光が爆ぜる。

 

「逃がすか!」

 

 グレンの大剣が空を薙ぐ。リゼの投擲した刃が光の残滓を貫く。ノエリシアの拘束術が男の足元へと殺到する。その全てが一瞬遅かった。

 

 弾けた光が収まった後には、ただ、点々とした血の跡だけが残されていた。男の姿は影も形も無く。坑道の空気に溶けて消えている。

 

 しん、と。

 

 崩れた坑道に、再び風の唸りだけが満ちた。

 

「……っ、取り逃した、か」

 

 グレンが忌々しげに舌打ちする。そして、数瞬の沈黙。

 

 ミオラはその場に立ち尽くしていた。瞳が激しく揺れている。視線が。崩落した穴と来た道との間を、幾度も往復する。

 下層へ落ちたルシア。そして、囁かれた言葉。二つの天秤の上で。この少女が無惨に引き裂かれているのが手に取るように分かった。食い縛った歯の隙間から、細く、苦しげな息が漏れる。握り締めた拳が白くなる程に震えていた。

 

 そして、ほんの数瞬の後。彼女は、ぐ、と顔を上げた。

 

「……ごめん。ルシア」

 

 絞り出すような声だった。

 

「今だけ……今だけは、許してくれ」

 

 次の瞬間だった。

 

 ミオラの足元で淡い光が走る。おそらく移動系の魔術。先程まで毒に伏していたとは到底思えない。彼女は地を蹴り、風そのものになったかのような速度で来た道を駆け抜けていった。

 

「おい!どこへ行く!」

 

 グレンの制止も虚しく、その背中は闇の奥へと消える。瞬きをした次の瞬間にはミオラの姿は影も形も無かった。まるで初めからそこにいなかったように。残像すら残さずに。

 

 ……さて。

 

 風の音だけが残る坑道で、俺は一人ぽりぽりと頬を掻いた。

 

 正直に言えば、ミオラが何に対してあれ程血相を変えたのか俺にはさっぱり分からない。魔術師の囁きは俺の耳にも届いてはいた。届いてはいたが、巣穴だの雛鳥だの、随分と持って回った言い回しで要領を得ない。

 

 分からない。何も分からないが——

 

 一つだけ、確かな事がある。

 

 あの魔術師は灰翼の一人で間違い無い。自分でそう名乗ったし。逆に灰翼じゃ無い訳が無い。その灰翼がミオラに執着している。剣を寄越せだの、帰る場所を知っているだの。そしてそれを知っているのはこの場では俺だけ。

 

 ……ミオラを追えば、灰翼に繋がるのでは?

 

 うん。繋がる。間違いなく繋がる。何なら彼女の向かう先で続きが始まるまである。

 

 それにルシアの方はもう見つかったも同然だ。落ちた場所は割れている。魔術の痕跡だって残っているだろう。ノエリシアの解析があれば追跡は容易い。目端の利くリゼもいる。俺が居残ったところで正直やる事が無い。まあグレンもだろうけど。

 

 ならば。厄介で、面倒で、何処に転がるか分からない灰翼絡みの方を俺が拾う。そして、それを綺麗に解決してみせれば。

 

 それはもう、丸ごと俺の手柄という事になるのでは?

 

 ルシア発見の功は皆で山分けだ。発見は皆。痕跡を掴んだのは俺。功績としては半々で。うん、そうしよう。俺は寛大なリーダーなのだ。

 その代わり、と言うわけでは無いが。灰翼という大物の尻尾は有り難く俺が頂こう。実に公平な配分である。完璧な論法だ。隙が無い。

 

「——ああ、もう」

 

 俺は頭を掻いた。しょうがないなあ、とでも言うように。

 

「グレン、ノエリシア、リゼ。ごめん、後よろしく」

 

 俺はひらりと片手を上げた。

 

「は?おい、待てエイル!説明しろ!こいつらは何だ!ルシアはどうした!この状況で何処に——」

 

「ルシアはね。たぶん、その下に落ちてるから」

 

 俺は崩落した暗い裂け目をひょいと指差す。

 

「探しといてくれる?魔術使ってたみたいだからノエリシアなら追えるでしょ。それじゃ、そういう事で!」

 

「おい、エイル!ふざけんな、待て——!」

 

 グレンの怒声を背中で聞きながら、俺もまた地を蹴った。背の七本から数本を先行させ、足場に、跳躍台に。岩を蹴り、瓦礫を飛び越え、風の唸る坑道を一直線に駆け抜けていく。

 

 ——まあ、何はともあれ。急ごう。ミオラの足は思ったよりも速い。

 

 外の光が目を刺す。久しぶりの陽光だった。しかしそこにミオラの姿はもう無かった。

 荒涼とした台地がどこまでも続いている。痩せた草が風に伏せている。見渡す限り人影一つ無い。

 

 ……いや、本当に速いな??

 

 俺は額に手を翳して辺りを見回す。

 ここから人里まで道は一本。尤も、道と言えるかも怪しいが。少なくとも転移陣のある街まで寄り道のしようも無い。ならば、追いつくのは無理でも足取りを追うのは難しくないだろう。

 

 あんな感じで飛び出して。見失いましたでは格好が付かない。等級八の威厳の為にも。俺は全力で駆け出した。

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