追放の真意〜そんなものは無かったが、仲間も敵も王族も、みんな勝手に深読みしてくる〜 作:目下−1
「あれ、それ——」
そう言いかけて、俺は一度言葉を切った。
アルゴールの胸元に抱えられた一振りの剣。ごてごてと装飾過多な、どこかで見たような見ていないような。その正体を確かめるより先に、視界の端に引っ掛かるものがあった。
ミオラだ。ミオラ・シェイド。膝をついた満身創痍の少女。焼け焦げた左肩。煤と血に塗れた頬。荒い呼吸。そこまでは分かる。分かるが——何かが足りない。
……あ。
そう言えば剣持ってなくない?
無手だった。腰にも背にも、その手の中にも。得物らしき物が無い。おかしい。廃坑では確かに持っていた筈だ。あの魔術師とここで撃ち合ったのなら尚の事、丸腰の道理が無い。
剣士が剣を失くす時というのは、砕けたか、奪われたか、その二つくらいのもの。そして俺の視線は再び、アルゴールの胸元の一振りへと戻ってくる。
細く直線的な刀身。繊細な紋様。赤、青、緑、無色の宝石が配置された柄。花弁のような、過剰とも言える装飾の鍔。
……こんな感じの剣だった気がするんだよなあ。
根拠は無い。見た目は例によって覚えていない。しかし、頭の芯で、離れた場所にあった二つの点が糸を張るように繋がる感覚。理屈ではない。もっと動物的な、嗅覚に近い何か。単なる山勘。希望的観測とも言う。
「それさ。ミオラの剣じゃない?」
俺がそう言った瞬間、広間の空気がまた一段冷えた。アルゴールの肩が僅かに強張り、ミオラが弾かれたように顔を上げる。
当たりらしい。ほら見ろ。俺の勘もまだまだ捨てたものではない。しかし、そうなると分からないのはその先だ。何故アルゴールがミオラの剣を持っているのか。
俺は片目を閉じ、腕を組む。それから首を傾げ、頭を捻った。
仮説一。落ちていたのを拾って、届けようとしていた。あり得る。この人は親切だ。博物館では出口まで見送ってくれた。落とし物を拾う人柄と見送る人柄は地続きである。ただ、届け先の持ち主が目の前で膝をついているのに声も掛けないのは、親切としては片手落ちと言える。
仮説二。博物館の人だから、鑑定を頼まれた。職業柄あり得る。剣の目利きなら本職だろう。ただ、鑑定にしては場所が悪い。王家の墓の底で鑑定する剣とは何なのか。出張鑑定にも程がある。
仮説三。実は剣の収集が趣味。意外な一面として妥当性はある。人は見かけに寄らない。ただ、趣味の品を胸に抱いて墓の中で演説する趣味となると、いよいよ意外が過ぎる。
仮説四。貸したら返してもらえなくなった。世知辛い。世の中にはよくある話だ。ただ、そうであるなら被害者はアルゴールの方であり、この張り詰めた空気の説明がつかない。
……うん。分からん。
どの仮説も帯に短し襷に長し。次郎にも太郎にも足りず、彼方を立てれば此方が立たない。真相は霧の向こうである。
ただ一つ確かなのはミオラのあの顔だ。奪われた者の顔。骨の髄まで大切にしていた何かを、無理矢理もぎ取られた者の顔。あれを見るに、これが円満な貸し借りでは無い事だけは間違いない。
ならば、細かい経緯はどうでもいい。
「……何か事情はありそうですが」
俺は一歩、前へ踏み出した。アルゴールの方へ視線を向け、なるべく真摯な態度を意識する。
「一先ず、一度返してあげたらどうでしょう。剣の所有権を主張するのはそれからでも遅く無い。何より、年端も行かない少女を跪かせ、その手から物を取り上げている構図は風体が悪い」
そこで一度言葉を切る。それから一度、冗談でも言うように。場を和ませる意味を込めて。軽く肩を竦めながら言葉を続けた。
「……大人気無いとは思いませんか?アルゴール殿?」
アルゴールには王立博物館での応対の恩がある。ミオラにはルシアの足取りに関する恩がある。そして詳しい事情は分からない。何方を立てるも行かず。ならば年長者として若輩に付き合ってやり、正当性は然るべき場で主張すれば良い。
と、言うか孫と祖父くらい歳離れてるし、それくらいしても良いのでは?
ミオラも満身創痍だ。理性的で合理的な判断が取れるとも限らない。我ながら穏便で建設的な折衷案だ。
アルゴールは紳士と言う言葉が形を成したような人物だ。否や唱えないだろう。
自信満々に投げかける。しかし、アルゴールの反応は俺の想像とは違った。
男の目が、すう、と細められる。温度の無い無表情の底で、何かが静かに軋み、決壊する音がした気がした。
「……何故だ」
小さく、辛うじて聞こえる程度の声量。溢れでそうな感情を強引に抑え込み、無理矢理絞り出すような声だった。
「何故、貴様がここにいる」
「……?」
「エイル・エルシディア。……何故、貴様が、ここに、辿り着いている」
男の指が抱えた剣の柄に食い込む。慇懃な仮面の下から、初めて覗いたのは怒りではなかった。もっと生々しい、算盤が合わない事への焦燥。予定調和の崩れた者の狼狽だった。
「貴様は、盗まれた剣を追っている筈だ。私がそう仕向けた。この王都で、私の障害となり得る者があるとすれば、それは“双刻”を措いて他に無い。殊に貴様だ。エイル・エルシディア。故に貴様の目は逸らした筈。この剣では無く、あの剣へと。全て、私の描いた通りに運んでいた筈なのだ」
俯き、視線を剣にやったまま。一息にそこまで言い切ると一度一文字に口を縛る。
それから音が届く程に歯を食い縛り、鋭い真紅の双眸を此方へと突き付けた。
「……なのに!」
アルゴールの声が震える。押さえ込んでいた何かが溢れ始める。
「何故!貴様がここにいる!何故!私の眼前に立っている!」
……????
俺は正直に言って話の半分も理解出来ていなかった。
剣を追わせた?目を逸らした?描いた通り?彼は一体、何の話をしているのか。何故いきなり怒り出したのか。
俺が今日ここまで来たのは、ミオラを追いかけ。聞き込みに空振りし。司祭への言い訳を連ね。一縷の望みで博物館へ向かい。そして途中で血痕を見つけて逸れて来た。
その行き摺りの果てである。誰かの描いた筋書きを歩いてきた覚えは少しも、微塵も、爪の垢程も無い。
その全てが臨機応変で柔軟な対応の結果だ。尤も、場当たり的とも、出たとこ勝負とも言う。
しかし、それを馬鹿正直に説明したところで、この張り詰めた男が信じるとも思えない。寧ろ、惚けるなと激昂させる未来しか見えなかった。あの魔術師の時と同じ轍だ。人は学ぶ生き物だ。誰だってそう。俺も例外では無い。
故に俺はただ、首を傾げるに留めた。
「さあ……?気付いたらここにいた?としか」
「……ふ。ふふ。惚けるか。流石は“先見”」
ほら見ろ。信じない。
一体何に納得したのか。どの辺が流石なのか。勝手に独言たアルゴールの顔から狼狽の色が引いていく。代わりに戻ってきたのはあの昏い覚悟だった。
「良いでしょう。……見抜かれていたのなら、是非も無い。ですが」
アルゴールが剣を胸に抱いたまま半身を引く。空気が張り詰め膨大な魔力が渦を巻き始めた。俺の背後で七本の黒剣が僅かに角度を変える。
「知られたからには。生かしてお帰しする訳には参りません」
……何を??俺が一体何を知ったと言うのか。
「——消えろ!」
その言葉を言うが早いか、アルゴールの手から魔術が放たれる。
構築の速さも。密度も。あの魔術師を頭一つ抜いている。練り上げられた魔力が、白い津波となって視界を呑み込む。広間そのものを押し流す勢いで殺到してくる。石柱の残骸が余波だけで砂糖菓子のように砕け、床の瓦礫が根刮ぎ浮き上がった。
空気が悲鳴を上げる。硝子が割れるような衝撃が辺りを包み、余波だけでミオラが踏鞴を踏む。
背に浮かぶ七本の黒剣。その内の一振りを前へ滑らせる。
漆黒の刀身が閃光の芯へと吸い込まれるように潜り込み、術式の編み目を斜めに撫でた。ぷつり、と。押し寄せていた魔力の奔流が。糸を断たれた織物のように二つへ裂ける。
行き場を失った暴威が俺の左右を素通りし、背後の壁を派手に抉った。轟音。土煙。天井から砂がさらさらと零れ落ちてくる。
「危な!まだ話の途中——」
「死ねェ!」
二射目。三射目。
雷光が。炎が。風の刃が。間断無く畳み掛けてくる。一つ一つが街の一区画を焼き払える威力だ。それが機関のように、休む間もなく吐き出される。ミオラが伏せた床のすぐ横の石柱が根本から抉れ、崩れ落ちた。
俺は半歩ずつ位置をずらしながら、七本の内三本を交互に泳がせ、それらを捌き続けた。
一本が雷を逸らし。一本が炎を払い。一本が風の刃を撫でて逸らす。剣同士がぶつかる事も、間に合わぬ事もない。空間を編むように黒い刃が舞う。
逸らされた魔術が背後で爆音を上げる。砕かれた霊廟の壁が撒き散らされ、瓦礫の音が反響する。
「全く、危ないなあ。俺じゃなかったら怪我じゃ済まないんだけど……」
この人が本気で暴れれば、王都の探索者の九割は三手と保たないだろう。構築は精緻で、無駄が無い。狙いは的確で、何より魔力の底がまるで見えない。汲めども尽きぬ泉のように。次から次へと大魔術が湧いてくる。廃坑の魔術師が果ての見える井戸だったとすれば、この男は地下の水脈そのものだ。幹部級どころの話ではなかった。
魔力量ならばノエリシアに匹敵する可能性がある。術式の構築や精度は本職では無い俺では判断付かない。しかし、少なくともアルゴールが突出した魔術師である事確かであるようだった。
……なんだけど。
「提案なんですけど!」
炎弾を弾きながら俺は声を張った。
「その剣、買い取りって形はどうでしょう!相場は分からないですけど!それなりには出しますよ!」
「黙れ!」
「あ、一括が厳しければ、分割でも……」
「黙れと言っている!」
「なんなら博物館に寄付って事にして、書類上は綺麗に——」
「黙れ黙れ黙れェ!!貴様は先程から!!何なのだァ!!!」
おかしいな。交渉が全く進まない。
あの感じが良く、物腰の柔らかだった副館長が見る影も無い。慇懃な言葉遣いはとうに剥がれ落ち、一撃毎に語彙が荒れていく。『でございます』が『である』になり。今やもう『だァ』である。
視界の端でミオラがこちらを見ていた。血の気の引いた顔で。信じられない物を見る目で。
まあそうだろうなあ。普段大人しい人が声を荒げていたら同じ反応をするに違いない。況して怒りに任せて魔術を雨のように放流しているのなら尚更。
二度見どころではない。三度見や四度見はくだらないだろう。宥めに入るかは気分次第と言ったところ。
しかしこちらとしても大真面目だ。話し合いで場が収まるならばそれが一番丸い。血も流れず。墓も荒れず。誰も損をしない。一石二鳥。いや、三鳥。飛ぶ鳥を落とす勢いである。
「——ならば」
アルゴールが、ふつり、と魔術を止めた。
肩で息をしながら俺を睨む。その顔に浮かんでいるのは焦りではなかった。寧ろ逆だ。窮鼠が猫を噛むような。鼬の最後っ屁のような。追い詰められた者が最後に切り札を思い出す、あの昏い恍惚。
「そこまで足掻くのであれば!見せてやろう!——真の王権というものを!!」
男が、胸元の剣の鞘を、しゃり、と払った。白銀に煌めく刀身が、青白い灯りの下に晒される。
「これぞ、儀礼剣スヴァル=アールヴァテラ!建国王の御剣!この国の礎にして!王権そのもの!!」
高らかな宣言と共に、男が刀身へ魔力を注ぎ込む。
途端、剣が眩く発光した。文字めいた紋様が内から灯り、白く。強く。目を刺す程に輝く。
明滅していた霊廟の灯りを残らず塗り潰して、広間が真昼のように照らし出された。石棺の影が、壁に長く濃く焼き付く。
「見よ!この輝きこそ、王権の証!選ばれし者にのみ応える、神代の御力よ!」
……眩しっ。
俺は思わず目を眇めた。
なにその剣。目潰し?剣が光る意味ある??いや、まあ?夜道は便利かもしれないけど。
松明要らずだ。非常に経済的である。しかし戦闘中に自分の得物を光らせて、自分の居場所と間合いを高々と宣伝する利点は思い浮かばない。寧ろ的が明るくなる事でこちらとしては助かるまである。
男が地を蹴って斬り込んでくる。
剣筋そのものは悪くなかった。悪くないどころでは無く鋭く速い。魔術師の余技という水準ではない。基礎の一つ一つが骨の髄まで叩き込まれた、教科書のように正確な太刀行き。踏み込みは深く、体重の乗せ方に淀みが無い。剣も相当にやる口だ。
俺は黒剣の一本を手に寄せ握り込む。アルゴールの太刀筋に合わせ、往なし、打ち合った。
鋼と鋼の噛み合う音が広間に幾重にも反響する。火花が散り、光る刀身が薄闇に軌跡を描く。斬り下ろし。擦り上げ。突き。手数は多く、淀み無い。そのどれもが急所を狙って的確に伸びてくる。並の剣士なら五合と保たずに膾にされているだろう。
打ち合いながら、俺は相手の刀身を横目で観察した。
俺の遺物とまともに斬り結び、刃毀れ一つ無い。それどころか、たった今付いた筈の細かい傷が見ている端から水面が凪ぐように埋まっていく。
「くっ!はは!見たか!神代の業物に、傷など付かぬ!これが、王の剣よ!」
「へえ。頑丈だね?」
頑丈だ。それは認める。遺物は時折、その力が常識の外にある。その埒外の、その更に外側にあると言われる物まで存在する。そしてその内の一つが俺が背に掲げる遺物だ。
ただ硬いだけでは打ち合う事さえ叶わ無い。絶対的な普遍性を以てして初めて触れる事が出来る。硬さの枠組みを超えた堅牢さがあるのは間違いないだろう。
光り輝き、硬く、そして傷が治る。
……それだけ??
打ち合う手を止めぬまま、記憶の抽斗を辿る。博物館の一室。恭しく飾られた写しの絵姿。あの、絵の中から静かにこちらを値踏みしてくるような、背筋の凍る一振り。見ているだけで喉の奥が干上がるような、あの圧。
今打ち合わせているこの剣には。それが、無い。
「——ちょっと待って?」
俺は一度大きく後ろへ跳んで間合いを切った。猛攻が途切れる。斬り合いの合間に放たれていた魔術も止め、しかし構は解かないまま此方を赤が睨む。
「それが、本当に儀礼剣スヴァル=アールヴァテラ?」
「……何?」
「いや、アルゴールさんが見せてくれたあの資料。その中に儀礼剣の写し絵があったんだけど」
アルゴールの眉が、ぴくり、と跳ねた。
「あれ、絵だよ?幾ら魔術で写してると言ってもたかが絵。だけど凄みと言うか圧があると言うか。背筋が凍る思いと言うか。兎に角、ただの剣じゃ無いと思える何かがあった」
俺は男の手の中で煌々と輝く一振りを指差す。
「でもそれ、そう言うの全く無いよね?」
しん、と。広間が静まり返った。
「確かに頑丈だ。刃毀れした先から元に戻って。……それから眩しい。うん、いい剣だと思うよ?いや本当に。心の底から。旅には便利そうだし」
そこまで一息で言って、一度言葉を切る。
「でもさ」
人差し指を一つ立てる。それから、立てた指をアルゴールの持つ剣に向けながら言葉を続けた。
「それ、別にそんなに凄くなくない?折れない剣も刃毀れしない剣も遺物には割とありふれてるし」
光る剣も……まあ多分あるだろう。使ってる人見た事ないけど。面白雑貨系の遺物であれば似たようなものは見た事がある。
「——だからさ。違うんじゃない?」
悪気は無い。全く、微塵も、猫の額程も無い。単なる親切心の延長で。宥める為の一言であった。
しかしその一言は、どうやらこの男の、一番深い場所へ真っ直ぐに突き刺さったらしい。
「——き、さま」
アルゴールの顔から血の気が引き、それから沸騰したように深く色付いて行く。
こめかみに血管が浮き、剥き出しの歯が軋る。慇懃も。恍惚も。何もかもが焼き切れて、その下から剥き出しの何かが噴き出す。
「貴様如きにィ!何が!分かるかァァ!!」
……なんで怒ったの???
男の斬撃が目に見えて荒れた。正確だった太刀行きに憎悪が乗り。大振りになり。隙だらけになっていく。振り下ろしは力任せに。突きは前のめりに。俺はそれを右へ左へ。剣で受けるまでも無く躱わし、内心で溜息を吐いた。
解せない。俺はただ、思った事を言っただけなのに。世の中には謝ると怒る人種と、感想を言うと怒る人種がいるらしい。人付き合いというのは、熟々難しいものだ。何も言わない剣の方が、余程正直で話が早いまである。
——と。その時だった。
打ち合いの最中。アルゴールの手の中で剣が、ぐん、と跳ねた。
「——なっ!?」
男の指を擦り抜け、光る刀身が宙を滑る。それは弧も描かず、一直線に。広間の隅——膝をついたミオラの方へと。磁石に吸われる砂鉄のように飛んでいった。
見ればミオラが右手を突き出している。見開かれた目。食い縛った歯。声にならない声で、何かを念じ続けているその横顔。
「——おのれ、小娘!来い!」
アルゴールが吠える。すると剣は、ミオラの指先まであと僅かという所で、ぴたり、と止まった。止まって、震えて——今度は逆向きに、アルゴールの方へと引き返していく。
「っ、戻れ……!」
ミオラが掠れた声で呻く。剣がまた空中で急停止し、進路を翻す。
アルゴールが呼ぶ。翻る。ミオラが呼ぶ。翻る。呼ぶ。翻る。光る一振りが、二人の間を、ひゅんひゅんと、行ったり来たりし始めた。
……?何これ??
俺は、ぽかんと、それを眺めた。渡り鳥?季節の変わり目?三寒四温、二転三転、一進一退。
剣というのは、あんな飛び方をするものだっただろうか。俺の遺物も大概自由に飛ぶ方だと思うが、あれは俺が飛ばしているのであって。
剣が二人の主の間で板挟みになり、右へ左へ右往左往するというのは、寡聞にして見た事が無い。子が親権を争われて、その真ん中で泣いている図にどこか似ていた。
「ぐ、ぬ、ぬ……!何故だ!何故!あの小娘如きに!応える……!!」
アルゴールが満身の形相で剣を呼びながら、はっ、と。何かに思い至った顔をした。剣に手を翳したまま。器用に片方の腕を顔に当てる。
「……そうか。そうか、分かったぞ!——剣が、私を!試しているのだ!」
……ん?
「真に王権を戴くに足る者か!この期に及んで尚、見定めている!ならば、応えよう!我が意志の全てをもって!」
男の総身から魔力が濁流のように噴き上がった。その圧に押されたか、綱引きの均衡がぐらりと傾く。剣はミオラの必死の呼び声を振り切り、最後にはアルゴールの掌へと引き戻された。
ミオラが崩れるように床へ手をつく。悔しさに歪んだその横顔には、しかし先刻までは無かった色があった。折れていない。あの子の目は、まだ、剣を諦めていない。奪われたものを取り返す、という一点だけが、燃え尽きかけた身体を辛うじて燃やし続けている。
「……はあ、はあ……。見た、か。剣は、再び、私を、選んだ……!」
選んだというか、選ばせたと言うか。そもそも剣に意思があるなど甚だ疑問ではあるが。
まあいい。とにかく、話が進まないのは分かった。この調子では日が暮れる。いや、地上ではもう暮れているだろうか。
「——ならば、これで、終わりにして差し上げましょう」
アルゴールが剣を天へと掲げた。肩で息をしながら。それでもその顔には、揺るぎ無い確信だけが貼り付いている。
「儀礼剣スヴァル=アールヴァテラの真の力を。——この剣は、大地の脈より力を汲み上げる。地の底を流れる無尽の魔力を王たる持ち主へと注ぎ込むのだ。人の身の器を!遥かに!超えて!」
男の魔力が過去最大に膨れ上がった。全開だ。残された全てを注ぎ込んでいる。底の無い井戸に底を作る程に。持ち得る全てを投じている。
それに応じるように、掲げられた刀身がこれまでで最も強く、白く、輝き渡った。霊廟の闇という闇が焼き払われる。俺の影も。ミオラの影も。石棺の影も。壁に真っ黒く縫い付けられる。
「感じる……!感じるぞ!大地の力が!我が身に満ちてゆく!これが!これこそが、王の力ァ!!」
……それ撃つの?ここ地下だよ?
俺は頭上を見上げた。度重なる戦闘で、天井には既に蜘蛛の巣のような亀裂が走っている。この上あの規模の魔術を撃たれたらいよいよ保たないだろう。数百年の眠りが纏めて生き埋めである。
「一応言うけどさ?ここお墓だよ?これ以上壊すと、流石に怒られると思うんだけど。主に、アルゴールさんが。俺じゃ無くて」
「囀るなァ!滅びよ!王権の、名の下に、ィィ!!」
だめだ聞いちゃいない。
ミオラが床に伏せるように身を縮めた。あの輝きを間近で見せられれば無理も無い。俺も一応、七本の内の二本を天井の亀裂へと滑らせ崩落に備えておいた。
そして——極限まで練り上げられた魔力が掲げた剣の輝きと共に解き放たれる。
「はァァァあああ!」
迸る閃光。空気を割る轟音。殺到する破壊の奔流。
俺はそれを、剣一本で。
真っ二つに切り解いた。
「…………」
「…………」
「…………」
広間に何とも言えない静寂が落ちた。
術式の網目を解かれた魔術がただの魔力へ還る。破壊力の大半を失った魔力が、俺の背後の壁を抉り、もうもうと砂埃を上げている。
……ん?
確かに強力な魔術だった。威力だけで言えば、並の魔術師では一生を賭しても辿り着けない境地にある。殆ど頂に近い魔術だった。
しかし。いや、うん。同じだ。一番最初に撃ってきたあの一発と。
込められた魔力は膨大で。魔術の破壊力は比べ物にならない。まともに放たれていれば、この霊廟は疎か、裏手の王立博物館も消し炭になっていただろう。
しかし術式の規模は最初の一撃と全く同じ。人智を越えるとは到底言えない。何なら込められていた魔力でさえ人の域は出ていない。単純にアルゴールの魔力を全て注ぎ込んだだけの魔術だ。
大地の脈がどうとか、人の身の器を超えるとか。あれだけの大見得を切って、溜めて、光らせて。
それで出て来たのが普通の凄い魔術。いや、まあ確かにあれだけ溜めた威力は確かにあったけど。でもそれって剣関係ある??
「……は?」
ミオラが伏せた姿勢のまま、間の抜けた声を漏らした。
そして、誰よりも。当のアルゴールが、剣を掲げた姿勢のまま石像のように固まっていた。
「…………な、ぜ」
男の目が、恐る恐る、自分の手の中の剣を見る。剣は光っている。眩い程に。健気な程に。込められた魔力の分だけ。律儀に。煌々と。
「なぜ、だ。……力が。地脈の力が、来ない?王権が……なぜ、なぜだ?私は、選ばれた筈。剣は、応えた筈。輝いている、現に、こんなにも、輝いて——なぜ、なぜ、なぜなぜなぜ——」
確信と現実の間で。男の思考が音を立てて空転している。掲げた腕は下ろされる事も無く。視線は刀身に縫い付けられたまま。ぶつぶつと同じ問いを繰り返す。頭の上に浮かんだ疑問符がこちらからも見えるようだった。
……あ、完全に止まった。今の内かな?
俺は地を蹴った。殆ども音も立てず、都合良く虚空に想いを馳せるアルゴールに気取られ無いように。
瞬き一つの後。俺の背後で、どさり、と。重い音がした。
アルゴール・クラウスは血を吐いて崩れ落ちた。
致命は外してある。峰打ちという程お上品でもないが、まあ、息はある。今度こそ話を聞ける相手を確保せねばならない。前回は勢いで全員気絶させて大変後悔した。人は失敗から学ぶ生き物である。誰だってそうだ。当然俺もそう。
男の手から零れ落ちた剣が、床の上で所在なげに一度跳ね——それから、ふらり、と宙に浮いた。
剣は迷子のように少し漂う。軈て静かに。真っ直ぐに。ミオラの元へと滑っていく。差し出された彼女の両手の中に、ことり、と収まった。
「——ッ」
ミオラが剣を抱き締める。何かを確かめるように柄を握り。刀身に額を寄せて。長い、長い息を吐いた。その横顔から張り詰めていたものが少しだけ緩む。
良かったね、とは、言わない。
何故ならば——
俺は改めて倒れ伏したアルゴールを見下ろし腕を組んだ。
結局、どういう事??
分からない事を指折り数えてみる。
一つ。何故アルゴールが王家の墓の底にいたのか。
二つ。何故ミオラの剣を持っていたのか。
三つ。何故俺に、問答無用で襲い掛かってきたのか。俺がしたことと言えば仲裁だ。仲裁して斬りかかられる道理がどこにある。
四つ。何故アルゴールは、あんなにも剣に語りかけていたのか。試しているとか。選ばれたとか。剣は喋らない。ウチの七本ですら喋らない。結構付き合い長いのにウンともスンとも言った事が無い。
五つ。最後のあの魔術は何だったのか。威力は高いが本質的には最初の一撃と何も変わらない。込められた魔力の差でしか無く、常識の範囲内。真の力とは何だったのか。
六つ。そもそも、貴様が何故ここにいる、とか。剣を追わせた、とか。アルゴールは何の話をしていたのか。
……うん。一つも分からない。
綺麗に、何一つ、分からない。何ならどうしてミオラを見つけれたのかも分からない。
「ミオラ。何がどうなってるか分かる?」
「……こっちに振んな。オレも分かんねえよ」
剣を抱えたままミオラが掠れた声で答えた。
「ただ、そいつは……元王家の人間らしい。予備が何とかって。それで、その剣が国宝のなんとかって剣だって、言い張ってて……」
「国宝?」
国宝と言えば件の儀礼剣スヴァル=アールヴァテラであるが。
やっぱり違うんじゃないかなあ、それ。だって変わった所と言えば光るだけだし。
と、俺が首を捻ったその時だった。通路の奥から幾つもの足音が響いてきた。
規則正しい重い足音。甲冑の擦れる金属の囁き。松明の灯りが青白い通路の壁を橙色に塗り替えながら近付いてくる。数は十や二十ではきかない。
ミオラが剣を構え直し、俺も一応視線をそちらへ向けた。
そして、広間へと現れたのは。
磨き上げられた甲冑の近衛兵、その一隊。物々しい槍衾のその中央を。金糸の髪を掻き上げながら、悠然と歩いてくる若い男。
「……ふん。派手にやってくれたものだな。先祖の墓所で」
第四王子、レグルス・ルクス・ヴェスペリア。
王立博物館の館長にして、あの傲岸不遜の男が。近衛を引き連れて王家の墓の底に現れた。
そしてその傍らにもう一人。長く垂れた白銀。余分な力の抜けた立ち姿。泉の湖畔のように静かで柔和な表情。
……クロノ先生?
疑問が口から出るより早く、レグルスが広間を見渡した。崩れた石柱。砕けた石棺。倒れ伏したアルゴール。その一つ一つを、金色の瞳が、値踏みするように辿っていく。
その端正な眉が分かりやすく顰められる。そして苛立ちを孕んだ濃紅の双眸が俺を穿つ、ような気がした。
「あ、これは俺じゃなくて。半分……いや九割くらいはこの人達が——」
「言い訳は聞いていない」
ぴしゃり、と切り捨てる。沙汰は己次第と、そう言うことなのだろう。絶対王政の辛い所である。本当に俺じゃないのに。
内心で不満たらたらではあるが、しかし俺は慌てて姿勢を正した。相手は仮にも王族だ。態度は最悪でも、血筋は本物。ここで無礼を重ねて後で面倒になるのは御免だった。修繕費とか請求されても困るし。
「……失礼致しました。殿下」
レグルスは俺の殊勝な態度を一顧だにせず、床に伏したアルゴールの前まで歩を進める。それから氷を思わせる視線でそれを見下ろした。
「アルゴール・クラウス。王立博物館の館長代理を任せていた——十年、私の傍で飼ってやった犬だ」
その声には怒りとも侮蔑ともつかない、幾重にも折り重なった複雑な響きがあった。
「そして」
王子は一度言葉を切る。それから広間の全員に届く、凛とした声で宣言した。
「——犯罪組織“
「…………」
「…………」
「…………え?」
数瞬の沈黙が落ちる。最初に声を上げたのは俺だった。
灰翼の。統領。アルゴールが?
俺は倒れたアルゴールへと視線を向ける。それからレグルスへと。そして最後にもう一度アルゴールへと視線を落とした。
灰翼。痕跡を残さぬ事を美学とする影の組織。風抜けの廃坑での連中の親玉。協会から依頼され、雲を掴むように追い続けた正体不明の相手。そして何やかんや理屈を付けて一連の事件の黒幕だと決め付けていた組織。その頭目。それがアルゴール?
「……ええええ?」
「……おい」
横を見れば、ミオラが白い目でこちらを見ていた。
「お前まさか。知らずにこいつと戦ってたのか」
「いや、だって。名乗らなかったし」
「途中で気付けよ!どう考えてもそうだっただろ!風抜けの廃坑の連中が灰翼だって聞いてたろ!」
「それはそれ、これはこれ」
俺達のやり取りに、レグルスまでもがこめかみを押さえ深々と嘆息した。
「……貴様。まさか灰翼の統領を。正体も知らず、理由も知らず叩き伏せたのか」
「結果的には……そう、なりますか、ねえ…?」
「……もう良い。頭が痛くなってきた。貴様の言葉は間に受けるなと聞いている。その惚けもどこまで本気か分かったものではない」
惚けとは。俺は何も惚けてなどいないと言うのに。勝手に何かに納得したレグルスは振り返ると、何やら近衛兵達に指示を出し始める。
と——その時だった。
「——がッ、は」
床の上でアルゴールが動いた。血を吐きながら。折れた身体を軋ませて。それでも肘を立て、頭をもたげる。焦点の合わない目が広間を彷徨い、やがて一点で止まった。
金糸を靡かせ、赤い双眸をしたレグルスへと。
その姿を捉えた瞬間、死にかけていた男の目にどす黒い炎が再び灯る。
「……れぐ、るす。……ヴェスペリア、の……豚、が……」
喉から血泡と共に絞り出される怨嗟。
「私は、終わらん……。王家が、この世に、在る限り……。せめて、貴様、だけでも——道連れ、にィィ!」
残された命の全てを薪にくべるように。最後の魔力が男の総身で膨れ上がる。近衛達が一斉に槍を構える。ミオラが息を呑む。俺も背の七本へと意識を━━
向けた、その時には。
もう、終わっていた。何が起きたのか見えなかった。俺の目でも見えなかった。
クロノ・アストールが動いた。という結果だけがそこにある。いつの間にか先生はアルゴールの傍らに立っていた。剣を抜いたのか、抜いてすらいないのか。それすら分からない。ただ、膨れ上がっていた魔力は跡形もなく霧散し、アルゴールの身体は糸の切れた操り人形のように床へと沈み直していた。
その胸から赤いものが静かに広がっていく。致命の一撃。今度こそ誤魔化しの利かない最期。
広間の誰もが声を失っていた。物々しく槍を構えた近衛達すら、その姿勢のまま凍り付いている。
そして。命の零れ落ちていく、その最後の数瞬。アルゴールの目が傍らに立つ男を捉えた。
見開かれる。驚愕に。それは死の間際の男が浮かべるには、あまりに場違いな表情だった。憎悪でも、恐怖でもない。ただ、純粋な、信じられない、という色。旧知の者に背中から刺された者のような。
「……ま、さか」
血に濡れた唇が震えながら動く。
「貴様、は……。何、故……」
掠れて。途切れて。それでも。
「……らぎった……の、か」
それだけを言い残して。アルゴール・クラウスの目から光が消えた。
しん、と。死者達の眠りの間に本物の静寂が戻った。
レグルスが怪訝そうに眉を寄せ、近衛達が無言で顔を見合わせる。ミオラは剣を抱えたまま、朦朧とした様子で座り込んでいて、アルゴールの言葉を聞き取れてすらいないようだった。
クロノ・アストールは。
何も答えなかった。
表情一つ変えない。物言わぬ骸を静かに一瞥し、それから音も無く身を引く。ただそこに佇んでいる。湖底のような双眸には波紋の一つも立っていない。
その横顔を見ていた。よく知っている顔の筈だった。
剣の握り方を教え。魔術の編み方を教え。飯の食い方から、礼の言い方まで叩き込まれた。厳しくて、しかし優しさに溢れていて。夜には黙って毛布を掛け直してくれるような人だった。
その筈なのに。
今、この霊廟の薄明かりの中に立つその人が。一瞬。ほんの一瞬だけ。まるで知らない誰かのように見えた。
やはり、あの頃と何かが違う。何が、とは言えない。強さでも、佇まいでもない。もっと奥の、底の底にある、何か。得体の知れない。輪郭の掴めない。それでいて確かにそこに在る、何か。
死んだ男の最後の言葉が。アルゴールの遺言が耳の奥で谺している。途切れ、掠れ。しかし何かを紡いでいた。
風の音はもうしない。けれど、別の大きな何かが。どこか遠くで身動ぎしたような気がした。