追放の真意〜そんなものは無かったが、仲間も敵も王族も、みんな勝手に深読みしてくる〜 作:目下−1
「ふん……くだらん茶番だな」
声が落ちた——落ちた、と言うよりは叩き付けられた。
シンと張り詰めた展示室。その静寂を横合いから裂くように差し込んだ声音は、刃物のように鋭く、そして躊躇が無かった。
冷たく、無関心で。それでいて明確な拒絶。此方に対する嫌悪感を隠そうともしていない。
空気が変わる。
温度が僅かに下がったような感覚。肺に入る空気が先程よりも重い気がする。
それまで展示室を満たしていたのは懐古と緊張、そして説明のつかない違和感だった。クロノと言う存在が齎す理解し切れない静けさだけだった。
しかし、今そこに混ざったものは違う。
もっと直接的で、もっと露骨で。そして逃げ場の無いような拒絶感。
声の先へと視線を向ける。半壊した扉とは反対側。傷の一つも無い、無傷のまま残されていた扉が音も無く開いた。
そこに立っているのは一人の男。━━いや、正確には一人では無い。
その後ろには数名の衛兵が控えている。同一の装備。揃えられた足並み。無駄の無い立ち姿は、明らかに選び抜かれた精鋭だと分かる。
博物館の敷地に踏み入れてから見たどの衛兵とも違う。纏う装いの質が明らかに異質だった。
腰に下げた剣も、その一本一本がただの剣では無い。
手入れの行き届いた刀身。歪みの無い反射。そして何より、そこに宿る気配。
業物という言葉では足りない。あれは━━『遺物』だ。
その誰もが一歩引いた位置に立っている。決して前には出ない。守る為では無く従う為に其処にいる。中心にいる男を際立たせる為だけに。
その構図そのものが、言葉よりも雄弁に身分差を語っていた。
そして、その中心に立つ人物の顔を見た瞬間に理解する。考えるまでも無く。言葉にするまでも無く。王都に居る者であれば知らぬ筈が無い。
第四王子━━レグルス・ルクス・ヴェスペリア。
噂で聞くその人物像と目の前の存在は、寸分違わず一致していた。
過剰なまでに整えられた衣装。無意味な程に散りばめられた装飾。それは機能では無く、権威そのものを纏う為だけの外套。
整い過ぎた容貌。しかし、そこに温度は無い。他者を見下す事に慣れ切った視線。何一つ疑わない絶対的な自己肯定。上に立つ者としてでは無く、下を踏みつける者として完成している人間。
男━━レグルスはゆっくりと、こちらへ歩み出る。
コツコツ、と。靴音が響く。
隠す気も、忍ぶ気も無い。誇示するような歩調。その背後で衛兵達の足が同時に止まる。一歩も踏み込まない。だが、いつでも動ける距離。
張り詰めた緊張が、言葉を介さず空間に満ちていく。
レグルスは金糸を靡かせ、赤い瞳で室内を一瞥する。
壊れた扉も、削られた床も、空白の台座も。その全てを、興味の欠片も無いものとして見下ろす。価値があるから見るのではない。自分がそれを評価する側であると確認する為だけの視線。
そして。ゆっくりと、此方へと視線を向けた。その目に宿るのは好奇でも警戒でも無い。ただの軽蔑だ。
「……未だに探偵ごっこで満足しているとはな。“暁と黄昏”……エイル……エル……なんだったか。まあいい……。未来を見通すだとか大層な噂話を耳にしたが……」
気怠げに、レグルスはそこで一度言葉を区切る。
「ふん……
吐き捨てるような声音。背後の衛兵達は一切動かない。しかし、その沈黙が言葉の冷たさをより強く際立たせていた。
僅かに歪んだ口元。それは笑みの形をしているが、愉快さは欠片も無い。ただ、人を見下す為だけの表情だった。
沈黙が落ちる。レグルスの足音だけが静かに響く。そして、その足音は俺の目の前で止まった。
「どうした黙り込んで」
レグルスが態とらしく肩を竦める。
その仕草は軽い。あまりにも軽い。まるで目の前にいる者達の価値が、その仕草一つで測り切れるとでも言うように。
「それで終わりか?……“先見”とは随分と安い看板だな。……子供ですら言葉を紡ぐと言うのに。まさか等級八はそれ以下とでも言うつもりか?」
嘲りを隠さない声音。顎先が僅かに上がり、文字通り見下すような視線が不躾に突き刺さる。
しかし、それに対する驚きや苛立ちは無い。よくある事だ。
この手の人間は珍しくもない。立場が上である程、こういう振る舞いは自然なものとして現れる時がある。
まともに受け取るだけ損だ。感情を動かした時点で負けと言い換えても良い。ならば━━最初からそういうものとして扱えばいい。
尤も、誰もがそう割り切れる話でも無いが。
俺は額に薄らと青筋を浮かべ始めたグレンを尻目に、ゆっくりと一礼する。
「恐れながら申し上げます」
声音を整える。余計な角を削ぎ落とし徹底して低く。
「私めは高き身分を持たぬ卑賤の身にて、軽々しく口を開くは不敬にあたるものと心得ております」
一拍。意図的に置く僅かな間。
「故に、可能な限り発言は控えておりました次第にございます」
頭を下げたまま言い切った。
場の空気が僅かに揺れる。背後でグレン達が僅かに息を呑む気配がする。
「……ちっ」
小さく、しかし此方に聞こえる程度の舌打ち。そしてレグルスは露骨に眉を歪める。
「……身の程は弁えているようだな」
吐き捨てるようにそう言った。だがその声音は先程までと僅かに違っていた。
ほんの一瞬。僅かにだけ引っかかる━━想定していなかった応答。
露骨に反発するでも無く、卑屈に黙るでも無い。ただ形式を守ったまま踏み返すような言葉。それが僅かにだが調子を狂わせた。
不快感と、微かな苛立ち。そしてすぐに押し潰される程度の、ほんの僅かな驚愕。
「未熟故。御期待に沿えず申し訳ございません」
「ふん……期待などしていない」
レグルスは小さく息を吐き、指先で自らの袖口を払う。そこに付いたわけでもない埃を落とすように。
「“墓荒らし”風情が思い上がらない事だな」
その何気無い仕草が言葉以上に神経を逆撫でする。
グレンの肩が跳ねる。拳が強く握り込まれ関節が白く浮き出る。
ノエリシアの瞳が僅かに細められる。冷静さの奥に沈んでいた感情がじわりと表面へ滲む。無意識だろうが練り上げられた魔力が手にした杖へと滴り始めている。
リゼは動かない。だがその静止は抑制ではなく待機に近い。呼吸が浅くなり、視線が僅かに低く落ちる。
誰も動かない。動けないのでは無く、動かないと決めているだけだ。
どうやら背後の気配は限界が近いらしい。
「……殿下、僭越ながら一言申し上げることをお許しいただけますでしょうか」
「……いいだろう」
レグルスは顎を僅かに引いた。
許可というよりは、どうせ大した事は言うまい。という倦怠が混じった仕草。
視線は外さない。しかし興味も無い。その中途半端な態度が余計に空気を歪ませる。
俺は一度だけ息を整え、口を開いた。
「恐れながら━━本件、いくつか腑に落ちぬ点がございます」
「ほう?」
レグルスは片眉を僅かに上げる。
それは興味では無く、どこまで的外れかを見る為の反応。少しでも見当違いな事を言えば、その場で切り捨ててやろう。と言う意図が露骨な程に透けて見えるようだった。
試されている。と言うよりは値踏みされている。それを理解した上で言葉を続けた。
「侵入の痕跡が過剰にございます」
俺は壊れた扉へと視線を向ける。
蝶番ごと抉り取られた扉。裂けた金属。無理矢理こじ開けられた痕。
「扉や展示物の破壊、床の損傷……何れも必要以上に派手であり、隠密を前提とした犯行には見えません」
一拍置く。背後の気配が僅かに落ち着くのを感じる。
「しかし、計画には穴がありません。警備の盲点を掻い潜り、そして的確に防御機構を無効化。事実、これだけの痕跡を残しながらも発覚は事件発生の翌早朝」
展示室の争い痕、床に伸びる血痕へと視線を移す。
「……最後に戦闘の痕跡。直接の目的証言が無い事から仲間内での諍いと推察されます。……重要物を奪取したにしては動線に一貫性が無く……目的と手段が噛み合っておりません」
静かに、しかし確実に積み上げる。違和感を逃さないように。
「以上より、本件は単純な窃盗とは断定し難いものかと━━」
「━━もういい」
ぴしゃり、と。刃物で断ち切るように言葉を切られた。思考の流れごと断絶させるような一声。
レグルスは小さく息を吐く。それから僅かに顔を背け、指先で額にかかった金糸を払う。
払う必要など無い。乱れてすらいないそれをわざわざ整える。その仕草には、露骨な倦みが滲んでいた。
「諄い」
短く、それだけで十分だと言わんばかりに。しかし、その視線は先程までとは僅かに違っていた。
ほんの僅か、しかし確実に。冷たさの奥に別の色が混じる。
━━踏み込み過ぎたか?
頭を下げたままそう判断する。先程までのようなただの倦みではない。僅かだが、測るような色が混じっている感覚。
値踏み。或いは警戒。
「探偵ごっこに付き合うつもりは無い」
レグルスはゆっくりと歩き出す。
コツ、と靴音がやけに響く。先程と同じ筈の音が、僅かに重く感じる。
吐き捨てられた声音にはただの倦みとは違う硬さがあった。
「貴様が何をどう捏ねようと結果は変わらん」
断言する。思考の余地を許さない言葉。
台座の前で足を止める。そのまま視線だけを落とし、空の台座を見下ろす。
空白。失われたものの痕跡。しかし、レグルスはそれを見下ろすだけだ。失われた事実ではなく、既に終わったものとして。
「重要なのは“何が起きたか”ではなく━━」
一拍。意図的に作られた間。その僅かな静寂ですら支配の一部。
「“どう処理するか”だ」
言い切る。その言葉は、結論ではなく“方針”だった。
レグルスは指先で台座の縁をなぞり、そしてすぐに離す。触れたという事実だけを残して意味を与えない。まるで確認する価値も無いとでも言うように。
「既に調べはついている」
ゆっくりと振り返る。視線がまっすぐ俺の方へと落ちる。先程よりも、ほんの僅かにだけ重い。
「この周辺で動いている小規模な盗賊団だ。━━寄せ集めの屑共。多少手際が良かろうと所詮は三流だ」
強い断定の響き。揺らがない、揺らがせない。否定の言葉を挟ませないような威圧が込められている。
「貴様の言う“違和感”とやらも、その程度の連中が見せた杜撰さに過ぎん」
言葉を被せるように切り捨てる。理屈を潰すのではなく、上から押し潰す。
その一言で空気の質が変わる。
先程まで、この場には確かに思考があった。
破壊の痕跡、動線の歪み、意図と結果の不一致━━それらを繋ぎ合わせようとする目に見えない線。
しかし今、その線は踏み躙られた。意味は無いと。考える価値すら無いと。『王族』の一言が全てを塗り潰す。
グレンの歯が軋む。押し殺している筈の音が僅かに漏れた。
腕の筋肉が盛り上がり、今にも裂けそうな程に力が込められている。それでも踏み出さないのは、ここで動けば終わると理解しているからだ。
ノエリシアの周囲で空気が僅かに歪む。極めて薄く、しかし確かに存在する魔力の揺らぎ。理詰めで積み上げた思考を踏みにじられた事への、知性側からの拒絶反応。
杖の先端に滲むそれは、怒りというよりも否定への反発。
リゼは変わらず動かない。だがその静止はもはや静寂ではない。極限まで張り詰めた糸のように、触れれば即座に弾ける緊張。
視線は低く、呼吸は浅く。その全てが、いつでも斬れる状態へと収束している。
━━危うい。そう思う。しかし同時に理解もしている。これが、この場の正解だ。
怒りは正しい。違和感もまた正しい。しかし━━それを通せる場ではない。
通そうとした瞬間、全てが瓦解する。絶対王政とは即ちそう言う事だ。
頭を下げたまま、静かに思考を切り替える。押されたのなら押し返さない。流れを変えられないなら流れに乗る。それだけの話だ。
レグルスはその様子を一瞥する。ほんの一瞬だけ視線が鋭くなる。先程までの見下しとは違う。測るような、削ぐような、そんな刃の気配。
しかし、それも一瞬で、すぐに消える。興味を持つ程ではない。無視するには僅かに引っかかるような、その程度。
レグルスは再び、ゆっくりと息を吐いた。
「そして━━」
僅かに間を置く。その間すら、意図的に支配されている。
「その三流共がまだ捕まっていない」
静かに告げる。しかしその声音には先程までの倦みは無い。代わりにあるのは結論へと収束させる為の圧。
「ならば……やる事は一つだ。貴様等墓荒らし共でもその程度なら出来るだろう?」
盗賊団を追え。それだけでいい、と。
「探索者協会……だったか。御大層に居を構えているだろう。聞けば、情報はそこに集まると言うではないか。そう言った“ゴミ拾い”は貴様等の得意とするところ━━」
にやり、と。厭味に笑みを作る。
「政務に追われる身である私ですら、片手間に盗賊団の輪郭を捉えている。━━これから赴く貴様等が、それを下回る成果しか持ち帰れぬなど。まさか……まさかあるまいな?」
その言葉が落ちた瞬間空気が揺らぐ。元から静まり返っていた室内が、更にずんと重くなる。
「……返事はどうした」
レグルスが僅かに顎を上げる。その仕草は小さい。しかし、命令としては十分過ぎる程に重い。
空気が押し付けられる。返答は一つしか許されていない。
「……御意に」
俺は頭を下げたまま短く応じた。迷いは無い。或いは━━迷いを見せる余地すら無い。
その一言を聞いた瞬間。レグルスの口元がほんの僅かに歪む。満足では無い。納得でも無い。ただ、想定通りという確認のような。
「分かったのならば━━」
興味を失ったように手をひらりと振る。
「さっさと行け」
それで終わりだとでも言うように吐き捨てた。しかし、レグルスの足はそこで止まらなかった。
踵を返しかけたその動きが、ふと止まる。ほんの僅か。視線だけが横へ流れる。俺を、グレンを、リゼを、ノエリシアを。まるで背景を見るように通り過ぎ、そして。
「……クロノ・アストール。貴様は残れ」
声音が変わる。先程までの露骨な侮蔑とは違う。僅かにだけ色が変わる。しかしそれは優しさではない。
━━用途が違うというだけの話。
「貴様を呼んだのは別件。マリオネス卿からも文が行っている筈だ。くだらん推理ごっこに興じている暇は無い」
一瞬、此方へと視線を向ける。ほんの僅かに眉を動かした。
「後で来い。私の政務室だ。場所は知っているな?……城の衛兵には話を通してある。私の名前を出せ」
命令。疑問を挟む余地の無い声音。
クロノは僅かに肩を竦める。そして先程までと変わらない、穏やかな声音で応えた。
「承知致しました、殿下」
どこか軽い調子。だが、その奥にあるものは読み取れない。
レグルスはそれ以上何も言わない。ただ一度だけ、室内を見渡す。━━興味の無いものを確認するように。
そして歩き出す。外套が翻る。装飾が擦れる金属音が僅かに響き、衛兵達が音も無くそれに続く。
人数分の揃った足音だけが反響し、軈て扉が閉まる。重い音がやけに長く尾を引いた。
━━静寂。
残されたのは押し潰された空気と、消えきらない苛立ち。
数拍の間。誰も口を開かない。
最初に口を開いたのはグレンだった。
「……癪に障る野郎だ」
低く、押し殺した声。だが抑え切れてはいない。落ち着いた声音の奥には静かな怒気が混じっている。
強く握られた拳からは今にも音がしそうな程であった。
ぎり。
と言うかした。何それどんな握力?
「理屈が通じるような相手では無かったですね」
ノエリシアが小さく息を吐く。
静かな声。しかし、やはりその奥には拒絶の色が含まれている。
「論理を積み重ねても上から……権力で潰される。不快です。王政の元暮らす故の仕方無さですけど、ままならないものです」
その言葉には珍しく棘が混じっていた。彼女からしてみれば━━魔術師の立場からしてみれば、理論を力で捩じ伏せるような強引さ、それは決して相入れる事の無い手合いなのだろう。
リゼが壁にもたれ掛かったまま短く言う。
「……嫌い」
シンプルに、簡潔に。それだけ。目を顰め、口を曲げ。彼女にしては珍しく、分かりやすく不機嫌な表情をしていた。
「……まあまあ。気にしたら負け、気にしたら負けだよ」
ゆっくりと顔を上げなが言う。なるべく淡々と。空気を変えるつもりで。
「まあ……それで言うとエイルの意趣返しには溜飲が下がる思いだったが」
……ん?意趣返し?
「……でも、ちょっと。ヒヤッとした」
「思い切った事をしましたよね。場合によっては不敬と捉えられても不思議では無かったですよ。……尤も、あの王子の姿勢が逆に許さないでしょうけど」
……???心当たり無いんですけど……?
え、俺一歩間違ったら不敬罪だったって事?一寸先は闇だったって事?その闇に気付けて無いのめっちゃ怖いんですけど?
「その辺のバランス感覚はさすがだな」
「思わず手に魔力が籠ってしまいました」
「……万が一の時はあの場にいた全員仕留めて、国外逃亡も覚悟していたが」
そう言ってグレンが揶揄うような表情を見せる。ノエリシアもリゼも、続いて同じような目で此方を見てきた。
「……徹底的」
「貴方程度の戯れに付き合うつもりは無い……と。言葉にしたらそれこそ不敬罪でしょうけど」
さらりと言ってのけるノエリシアに思わず顔を顰める。
「……結果良ければ何とやら、かな」
「よく言うぜ」
そう言いながらグレンが肩を揺らして笑う。
その言葉には何処か含みがあるような気がしたが、それを敢えて言葉にするようなつもりは無いらしかった。
「目、つけられたかな」
「どうだろうな。……まあ、王族に、という意味では手遅れだが」
あぁ、と。露骨に嫌な顔を作る。二名程、脳裏を過ぎる顔を頭を振って無理矢理払った。
……兎も角。先程までの怒気は何処へやら。三人ともすっかりいつもの調子に戻ってきているようだった。
「僕の指導の賜物かな」
そして、その輪にクロノも加わる。
「せ、先生まで……」
思わず肩が落ちる。何と無く予想はしていたが、こう言う時にアチラ側に回るのも嘗てと同様であった。
クロノは小さく肩を竦める。その仕草は相変わらず軽い。しかし、軽さの奥にあるものはやはり掴み切れない。
「僕はただ事実を述べただけさ。場の空気を壊さず、尚且つ言いたい事は通す。中々に高度な芸当だよ。獅子搏兎……獅子は兎を狩るにも全力を尽くすとはよく言った物だね。……まあ尤も、王子殿下は兎なんて可愛いものではないけれど」
「それ、褒めてます?」
「どうだろうね?」
にこり、と。曖昧に笑う。
……分からない。この人の評価は本当に分からない。本気で言っているようにも、揶揄っているようにも聞こえる。
「少なくとも、俺には出来ない」
グレンが腕を組みながら言う。すっかり肩の力が抜けている。先程までの張り詰めた緊張が解け、漸く完全に呼吸が戻ってきたようであった。
「間違い無く一発は言い返している」
「なんなら殴り掛かりそうですけどね」
即座にノエリシアが差し込む。
「そしてその場でグレンさんの首が飛ぶ……のは硬すぎて無理でしょうから、そのまま大乱闘、その後に国際指名手配……」
「だからやってないだろう」
「やりそうなんですよね」
「……絶対やる」
「おい」
短いやり取り。しかしその温度はもう先程までのそれでは無い。張り詰めた糸は緩み、リゼもノエリシアも。完全にいつもの調子だ。
リゼが壁にもたれたまま、ぼそりと呟く。
「……でもムカつく」
「それは同意します」
「そうだな」
三人の間に妙な一体感が生まれる。
「“墓荒らし”ね……」
俺はそう小さく吐き捨てる。
探索者達は一部の王族や貴族から嫌われている。
表向きの理由は明確だ。高等級に到達した探索者は、戦闘能力のみならず人心をも動かし、時に政治にすら影響を及ぼし得る存在となる。
そうした力を持つ者を、既存の秩序の中で扱うのは難しい━━それが探索者を遠ざける大義名分だった。
しかし、その理屈も今では殆ど形骸化している。
制度は整い、探索者の行動はある程度管理され、嘗て危惧されたような脅威は現実味を失って久しい。
それでも尚、嫌悪だけは残り続けた。
粗野で、無作法で、どこか汚らしい。そんな曖昧で感情的な印象が、理由の代わりとして語られるようになっていた。
そして何より━━探索者は遺跡に潜る。忘れ去られた場所を暴き、埋もれたものを掘り起こす。
その行為を、彼らは嘲弄をもってこう呼ぶことがある。
即ち━━墓荒らし、と。
「王子殿下はどうしてその“墓荒らし”を呼んだのやら」
グレンが鼻を鳴らす。吐き捨てるというより、噛み砕いて飲み込むような声音だった。
「殿下曰く、結論はもう出ているらしいからね」
「……私達“暁と黄昏”を呼ぶ必要があったんでしょうか?」
ノエリシアが顎に手を当て首を傾げる。
結論は既に決められている。三流の盗賊団による犯行。追跡し殲滅、そして盗難物の回収。それで終わり。
何故わざわざ『暁と黄昏』呼ぶ必要があったのか。俺達は等級八。依頼料も相応に高い。ただの盗賊団相手に釣り合いが取れていない。
「財力の誇示か。それとも調査しているという姿勢を民衆に見せる為か。どちらもあり得る。だが━━」
グレンが低く唸る。
違和感が残る。事件そのものの歪さ。過剰な破壊と精密すぎる侵入。そして、あの場に残っていた『強者』の気配。
更に━━ふと、顔が浮かぶ。
館長代理、アルゴール・クラウス。
あの初老の男の瞳を思い出す。あれは、あの眼は本気だった。事件を解決したいという、純粋な意思。自らの手で為せない事が悔しくて堪らないと言った熱量。
それに対して王子はどうだったか。━━全く、温度が違う。
同じ事件を見ている筈であるのに向いている方向が違う。片方は『解決』を見ていて、もう片方は『処理』を見ている。少なくとも、彼等の立ち位置としては限り無く同じである筈なのに。
その乖離が妙に引っかかる。
何の為に。何を隠しているのか。或いは━━
「━━難しく考え過ぎさ」
ふと、クロノが口を開く。
何でも無いように、まるで鼻歌でも唄うようにさらりと。世間話の続きのように感慨も無く。
コツコツ、と。数歩扉の方へと歩みを進める。そして視線だけを此方に向けた。
「木を隠すなら森の中……って言うだろう?」
……それは一体どう言う意味なのか。そう聞き返そうと口を開こうとする。
パン、と。クロノはそれを手を叩いて遮った。そして、思い出したかのように言う。
「……さて。僕はそろそろ行かないと。何分王子殿下にお呼び立て頂いている身なのでね。グレンじゃ無いけどね。僕も、無礼者だと首を飛ばされたくは無いからさ」
その言い方はどこか他人事のようだった。
くるりと踵を返し、止める間も無く歩き出す。
「じゃあまたね」
振り返りもせず、ひらひらと手を振る。
その背中は、あっという間に展示室の外へと消えた。残されたのは、妙に静かな空気だけ。
「クロノ先生……相変わらずですね」
「意味深な事だけ言い残しやがって」
「……謎」
ノエリシアがこめかみを抑え、グレンが眉を顰め、リゼが膨れっ面を作る。三者三様に不満を溢し、その背中を見送る。
……木を隠すなら森の中、か。
物を隠す際、同種の物が多く集まる場所に紛れ込ませるのが最も見つかりにくい、という意味の諺であるが、果たして。
━━兎に角、考えても仕方ない。少なくとも今は。
「……とりあえず」
一つ大きく息を吐く。
「表向きは大人しく従うしか無いかな」
クロノの言葉は気になる。けれど、レグルスの事も無視は出来無い。
それに協会の情報網は優秀だ。いけすかない王子の言葉ではあるが、素直に従う事こそが近道であると言えた。
「協会に行って、言われた通りに情報を漁ろう。王子殿下の言う“ゴミ拾い”。きっちりこなして鼻を明かしてや━━」
……と思ったが。ふと一つ思い出す。
確かに協会の情報網も優秀であるが、それ以上に盗賊団や闇取引と言った裏家業的な情報が集まる場所について思い至る。
『あそこ』であれば協会よりも情報が集まっている可能性がある。
それに━━もしかするとルシアの目撃情報があるかもしれない。特に視覚的な情報が集まり易い場所だ。今まで失念していたがその可能性は十分にあった。
……これは、一挙両得のチャンスでは?
事件の解決にルシアの捜索。上手くいけば先のやらかしを挽回出来るに違い無い。というか確実に出来る。
「……どうした?」
変なところで言葉を止めた俺をグレンが覗き込む。その瞳には怪訝な色があった。
……いや、悟らせるな。このチャンス逃す訳には行かない。威厳のある等級八を取り戻さなければならない。
……なんか上手くいく気がしてきた。これ帳消しどころかお釣りが来るのでは?
絶対協会より情報あるな。何ならルシアも見つかる気がしてきた。それに
「……グレン達は協会に向かって欲しい」
「俺達はって、エイル、お前は?」
「俺は……ちょっと気になる事があるから別行動で」
……うーん、下手くそかな。誤魔化す気ある??
グレンは変わらず怪訝な表情をしている。そして更に眉間に深い皺を作ると、ゆっくりと口を開いた。
「……予感か?」
「あー……いいや、ただの勘」
……誤魔化せた?
リゼもノエリシアも怪訝な表情こそしている。しかしそれは疑いと言うよりも、心配や不安に近い感情のように思えた。
「……一人で?」
「一人の方が都合が良いかな」
「危険は無いんですか?」
「大丈夫大丈夫。危険なんて無いよ」
そう言って一つ手を叩く。それ以上何か彼等から言及が飛んでくる事は無さそうだった。
兎も角、何とか誤魔化せたようである。
後は何とかこのまま違和感を感じさせないように離脱するのみ。
一つ息を吐く。ごく自然に、自信を持って。
「さて、別行動といこうか」
━━全部同時に解決作成、再始動である。