追放の真意〜そんなものは無かったが、仲間も敵も王族も、みんな勝手に深読みしてくる〜 作:目下−1
王都の喧騒は中心から外れる程に輪郭を失っていく。
人の声は遠のき、代わりに残るのは擦れ合う布の音や、どこかで零れた金属の微かな響き。
石畳は軈て罅割れ、整えられていた筈の街路は歪み、建物は寄り添うように傾き始める。均衡を保っているというより、ただ崩れ損ねているだけの姿だ。
……うーん、ここ、どこだろ……。
小さく息を吐く。知らない場所に迷い込んだ、という自覚はある。けれどそれはまだ現実味を伴わ無い。どちらかと言えば、ほんの少し外れた通りに来てしまった、くらいの感覚だった。
驚きはあるが、恐れはまだ薄い。
「こんなところあったんだ……」
呟きながら視線を巡らせる。
建物が密集しているからだろうか。空が狭く、光が削られている。王都の大通りとは違う、押し潰されるような閉塞感。
けれど不思議と死んだような静けさではない。寧ろ逆だ。どこか息苦しい程の生活の気配が、隙間という隙間に詰め込まれている。
人が、ここで、生きている。それは確かに『活気』と呼べるものの筈なのに。何故か、胸の奥に薄く重たさを残す。
物理的な暗さはあれど、空気は暗く無い。寧ろ雰囲気的には明るいと言えた。ただ——
なんか変な匂いするなあ……
鼻を擽ぐる匂いにほんの少しだけ顔を顰める。湿っているような、澱んでいるような、うまく言葉にできない匂い。腐敗している訳ではない。けれど清潔とも違う。どこかで流れを止められたまま、留まり続けているような気配。
何にせよあまり良い匂いとは言えない。けれど我慢できない程でも無い。
そんな時、ふと、視線を感じた。顔を上げ周囲を見渡す。建物の影や、道の端にいる人影。その幾つかが此方を見ていた。
一瞬だけ心臓が跳ねる。しかし、その視線はどこか妙だった。
鋭いものもある。けれど、それだけではない。じっと見つめる視線。確かめるような、探るような。それに——どこか懐かしむような色。
……?
首を傾げる。ふわり、と髪が揺れた。
違和感だけが残る。理由は分からない。ただ妙に落ち着かない。
まあ、いいか。と、無理矢理思考を切る。
気にしていても仕方ない事は、考えても仕方が無い。分からないものに、無理に名前を付けても意味が無い。
そういうものは、流してしまうのが一番だ。
歩みは止まらず、そのまま先へ進む。
靴裏に伝わる感触が変わる。硬い石から、少し柔らかい地面へ。踏み締める度に僅かに沈む。そして——
ぐにり、と。妙な感触が足裏に伝わった。
「……ん?」
一瞬だけ嫌な予感がする。見なければ良い。そう思って居るのに。
つい気になって、視線を落とす。——落としてしまった。ほんの一瞬迷って、好奇心が勝ってしまった。
そっと足を退かして——
あ。
一拍、理解が遅れる。形が、色が。はっきりと見えてしまった。茶色くて、柔らかくて、潰れていて。
…………。
…………………………。
「……っ、」
思考が追いついた瞬間、顔が一気に歪んだ。
見なきゃよかった!ものすごく、見なきゃよかった!!
さっきまではよく分からない何かだったものが、今ははっきりとした意味を持ってしまっている。しかも、自分が踏んだ。踏んでしまった。
「うぇぇ……さいあく……」
小さく呟いて、慌てて足を地面に擦り付ける。けれど全く取れる気がしない。目に見えるものはしっかりと落ちた。おまけに簡単な魔術で流した。砂粒一つ付いていないように見える。見た目は既に綺麗だ。
けれどやはり、全く取れた気はしなかった。気持ちの問題なのは分かっているのに、ずっと残っている気がする。
なんなら匂いも、さっきより強く感じる気がする。さっきまでぼんやりとしていた匂いが急に具体的な形を持つような。
気のせい!……気のせい!……気のせい??
……いややっぱ気のせい!だった事にする!
必死に自分に言い聞かせる。けれど一度意識してしまうと、どうしても頭から離れない。歩きながらつい靴の裏が気になってしまう。
何度も何度も確認して、やはり何も付いてない。けれど歩く度に何か付いているような気がする。
うぅ、と。小さく唸る。けれど、立ち止まりたくも無い。一刻も早く此処から抜け出さなければならない。
そう決意して足を早める。勿論足元への注意は欠かさずに。
石畳。地面。石畳。地面。水溜り。地面。一つ一つ確認しながら慎重に足を運ぶ。
結果、視線は自ずと下へと落ちていた。周囲の様子など殆ど目に入っていない。だから——
どん、と。軽い衝撃が前方からぶつかる。体が蹌踉け、反射的に視線を上げる。目の前には此方を覗き込む人影があった。
「あっ!ご、ごめんなさい!」
慌てて頭を下げる。ぶつかった相手は少しだけ驚いたようにこちらを眺めていた。
年齢はよく分からない。スラムの空気に馴染んだ、くたびれた装いの人物。男性である事は分かる。けれど伸び切った髭のせいで若いようにも、年老いたようにも見えた。
怒った様子は無い。けれど、その視線はどこか引っかかるように私を捉えている。じっと見ている。まるで何かを確かめるように。
「……お前もしかして……」
ぽつり、と呟く。その声色は、さっきから向けられていた視線と似ていた。探るような、そしてどこか懐かしむような響き。
思わず瞬きをする。
「え?」
問い返すよりも先に、相手は少しだけ目を細めた。男の視線は私の髪へと落ちる。白桃の髪の毛が、ふわりと揺れる。
「……いや」
小さく首を振る。
「気のせいか」
それだけ言って視線を外した。さっきまでの引っかかりは、もう其処には無い。彼の眼はただの通行人を見るような、淡白なものへと変わっていた。
「危ないからよ。前見て歩けよ?嬢ちゃん。ぼーっとしてたら身包み剥がされちまうぞ?」
そう軽い調子で言い残す。そして、それ以上何も言わず、すれ違うようにして歩き去っていく。ひらひらと軽く手は振るが、振り返ることはない。
「……は、はい……ありがとう、ございます?」
遅れて返事をする頃には、もう背中は遠ざかっていた。ぽつんとその場に残される。胸の奥に、ほんの少しだけ引っ掛かりが残る。
……誰かに似ていた?
そう言った雰囲気の視線だった気がする。
自分には心当たりがない。けれど、さっきから向けられる視線も、どこか似たようなものばかりだったように思える。懐かしむような、確かめるような。
……なんだろ?
考えても分からない。首を傾げながらも、軈て意識は足元へと戻る。
あんなものは些細な問題だ。今私はそれどころではない。自分を通して誰かを見ているような、そんな不可解な視線よりも余程不愉快な現実に直面している。
もう二度と、あんなものは踏みたくない。
再び視線を地面に落とし慎重に歩き出す。人にぶつからないよう念の為、さっきよりも更にゆっくりと。
——ん?
そのときだった。ふと、耳に届いた。子供の声。笑い声。さっきまでの喧騒がいつの間にか止み、気が付けばあった静けさの中で、不思議なくらいはっきりと響いた。
足を止め、もう一度耳を澄ます。確かに聞こえる。楽しげに弾む幾つもの声。
こんなところに子供?
不思議に思いながら、声のする方へと視線を向ける。少し開けた場所の奥。そこに、それはあった。
教会——のような建物。
崩れ掛けた石壁が不揃いな木板で補修されている。木板をよく見てみれば、所々に拙い絵が描かれている。
罅割れた彩色硝子は色がバラバラだ。元の絵が何だったかは分からないが、何処か動物の形をしているように見えた。
そして、辛うじて形を保っているシンボルも不恰好な継ぎ接ぎだ。けれど何故か、馬鹿にするような気持ちは微塵も起こらなかった。
この場所だけ、他とはほんの少し空気が違って見えた。子供達の声は其処から聞こえている。
「こんなところに教会?」
何とも不釣合いと言うか、チグハグと言うか。スラム街にあるのには違和感のある建物だった。
自然と足が其方へ向く。近づくにつれて声ははっきりとしていく。笑い声。呼び合う声。軽い喧嘩のようなやり取り。どこにでもある普通の音。
扉の前に立つ。何度も補修されたような跡がある、古い木の扉だ。中からは明るい気配が滲んでいる。
入ってみようかな。
そう思えたのは、さっきまでの空気とは違っていたから。気が付けば靴裏の不快感も何処かへ消えていた。
ゆっくりと手を伸ばす。扉に触れてそっと押す。ぎい、と軋む音。少しだけ驚きながらもそのまま開く。
……わぁ。
中には光が差し込んでいた。外よりも、少し柔らかい光。
そして、元気に走り回る子供達の姿。数人が床に座り込んで何かを囲んでいる。別の何人かは走り回っていて、その内の一人が転び、すぐに笑い声が上がる。そして誰かがそれを見て、手を引いて起こしている。
どこにでもあるような、ありふれた光景。それが、この場所の中にあることが少しだけ不思議だった。
その気配に引かれるように、私は教会の中へと無意識に足を踏み入れていた。
一歩。踏み入れた瞬間に空気が変わる。外の淀みとは違う、静かな密度。
古びてはいるけれど、手入れはされている。そこかしこにある、拙くも丁寧に修繕された跡。きっとこの子供達がやったのだろう。
「だれー?」
声が飛ぶ。澄んだ、何の濁りも無い無邪気な声だった。その一音が空間の中で小さく弾ける。
ぱっと、幾つもの視線が此方へ向いた。床に座っていた子供達。走り回っていた子供達。笑い声の余韻を残したまま、皆が一斉に動きを止めて私を見ている。
その瞬間、空気が僅かに張り詰めた。
好奇心だけで出来た視線。警戒も、打算も。何一つ混じっていない、真っさらな眼差し。数瞬の沈黙。それから——
「ミオラねーちゃんだー!」
誰かが弾けるように叫んだ。その一言が合図だった。
次の瞬間、どっと子供達が駆け寄ってきた。ばらばらだった動きが一つの流れになり、小さな足音が一斉に床を叩いた。
「本当だ!」
「ミオラねぇおかえり!」
「おかえりー!」
声が重なる。弾む。跳ねる。そのまま雪崩のように距離が詰まる。
「え、えっ?」
思わず一歩引いた。けれど、その一歩は何の意味も持たない。逃げる間も無く囲まれる。
腕に触れる小さな手。裾を引く感触。息の近さ。体温。視線。見上げて来る幾つもの顔が、一様にこちらを覗き込んでいる。
「ミオラねーちゃん、どこいってたの?」
「またあそんでよ!」
矢継ぎ早に投げられる言葉。受け止めきれない程の勢い。
その全てが『当たり前』のように向けられている事に思考が追いつかない。
「え?ちょっ……ち、ちが……」
言葉が形になる前に、喉の奥で解けていく。そのときだった。
「……あれ?」
ぽつり、と。一人の子供が首を傾げた。他の子供達の影に半分隠れながら、じっとこちらを見上げている。
「……なんか、ちがう?」
その一言が、小石のように空気に落ちた。それは軈て、波紋のように周囲に広がる。
「えー?」
「本当だ、なんかちがう!」
「でもきれいな髪の毛!ミオラねーちゃんといっしょ!」
ざわ、と。熱を帯びていた空気が、少しずつ形を変える。近かった距離が、ほんの僅かに離れる。触れていた手が躊躇うように緩む。
子供達が改めて、まじまじと此方を見つめる。
さっきまで『知っている誰か』として見ていた目が『知らない誰か』へと切り替わっていく、その過程がはっきりと分かった。
「……ミオラねーちゃんじゃない?」
「あぁ……えっと……」
ぽつり、と。誰かが確かめるように溢した言葉に、戸惑いながら口を開く。
「私はミオラじゃ無くて、ルシアって言うの」
静かに名乗った。
その言葉が落ちた瞬間、場にすっと静けさが降りる。しん、と。音が引いたような感覚。
子供達は互いの顔を見合わせる。誰もすぐには反応しない。期待が解けていく、ほんの僅かな間。そして——
「あー……」
納得と、落胆と、どこか気まずさが混ざった声が漏れた。
「やっぱ違うかあ」
「でもすっごく似てた!」
「うん!びっくり!」
気落ちしたような雰囲気も一瞬で、すぐに騒がしさが戻る。破裂したような喧騒こそ形を潜めたけれど、最初と同じ賑やかさが残る。
子供達の感情は驚く程軽やかに次へと移っていく。さっきまでの『確信』は『面白い勘違い』に変わる。ほんの少しの残念さも、すぐに笑いの中へ溶けていく。
暫くの間、子供達は私の周りでざわざわと落ち着かない様子を見せていた。どう接していいのか分からない距離。でも離れきるほど他人でも無い。
期待と勘違いが解けた直後特有の、少しだけ居心地の悪い間。けれどそれも長くは続かない。
「……ほら、みんな」
一人の少女が少し背筋を伸ばして声を掛けた。場の空気を整えるように一歩前へ出る。
年齢は他の子供達よりも僅かに上だろうか。けれどその差以上に『立とうとしている位置』が違って見えた。
「ルシアさんが困ってるでしょ。いきなり囲んだらびっくりするよ」
声音は落ち着いているが、その奥に微かに混じる硬さ。それは、ちゃんとしなきゃ、と。自分に言い聞かせているような響きだった。
少女は私の方へと向き直る。
「ごめんなさい。あの……急に」
ぺこりと、小さく頭を下げる。その仕草はどこかぎこちなく、それでも一生懸命整えられていた。
「私はエルナ。ここで……その、みんなの、えっと……」
一瞬、言葉に詰まる。まとめ役と名乗るにはまだ早い。けれど、そう在ろうとしている。そんな曖昧な立ち位置がその迷いに滲んでいた。
「……おねえさん、みたいなことしています」
少しだけ照れたように言い直す。その様子に周囲の子供達がくすくすと笑った。
「エルナ、またえらそうー!」
「えらそうじゃないもん!」
すぐさま言い返すが、声の端が少しだけ幼い。背伸びと、等身大の自分。その両方が同時に存在している。そのやり取りに空気が柔らぐ。
「あのねー!」
間髪入れずに別の声が飛び込んできた。元気の塊のような男の子が、ぴょんと前に出る。
「ミオラねーちゃんはね! すっごくつよくて! たんたくしゃで!」
勢い良く言い切る。胸を張って、得意げな顔。けれど——
「……トト!“たんたくしゃ”じゃないよ!」
横から、ぴしっと訂正が入る。
トトと呼ばれた男の子。その子と同じくらいの背丈の少女が腕を組んで呆れたように溜息を吐いた。
「“たんさくしゃ”。何回言えば覚えるの?」
「えー、いっしょだよー!」
「ちがうってば!」
即座に言い返すその様子は慣れたやり取りなのだろう。
トトは全く気にした様子も無く、また此方へと顔を向ける。
「いせきとかいくんだよ! すっごいんだよ!」
「だから!“遺跡”もちゃんと言って」
「いせきっていってる!」
「言えてない!」
言い合いながらも声は明るい。ぶつかり合うというより、弾け合っているような会話。サラ、と誰かがその少女の名前を呼んだ。
なるほど、と。内心で頷く。
無邪気に突き進むトトと、それを当然のように軌道修正するサラ。そしてその二人を、少し背伸びした立場から見ようとするエルナ。
三人の関係性が自然と輪郭を持つ。それは、どこか完成された役割では無く。この場所の中で少しずつ形作られてきたもののように見えた。
「……えっと」
エルナが咳払いを一つ。場を整え直すように言葉を続ける。
「ミオラお姉ちゃんは、ここにいた人で……私達とずっと一緒に遊んでくれていたんです」
少しだけ落ち着いた調子。言葉を選びながら、それでも丁寧に伝えようとしている。
「やさしくて、ちゃんと怒ってくれて……その……」
一度視線を落とす。言葉が足りない。けれど、何かは確かにある。うーん、と頭を捻って悩み、軈て口を開く。
「すごい人」
短く、けれど確かな響き。その一言に他の二人も大きく頷いた。
「うん!すっごくつよい!」
「なんでもできるし!」
トトが勢いよく乗っかる。サラも負けじと続ける。また言い合いが始まる。けれどそのやり取りの奥にあるのは、確かな親しみだった。
その光景を少しだけ呆然と見つめる。
さっきまでの外の空気。湿って、淀んで、活気はあったけれど、やはり何処か暗さを孕んでいた。
最初は少し強がって見たけれど、アレを踏んだ事で私の心は一度折れたのだ。
そんな場所の中にあって。ここだけが違った。同じ街の、同じ場所にあるとは思え無い程。温度が違う。光が違う。息の仕方が違う。
雑多で、整っていなくて、決して恵まれているとは言えない筈なのに。それ以上に温かかった。
「……凄いんだね、そのミオラお姉ちゃん」
自然と言葉が零れる。三人は揃って顔を上げた。
「うん!」
トトが真っ先に答える。
「すっごくつよい!」
「ちゃんと面倒も見てくれるし」
被せるようにサラが補足する。無邪気に重なる子供達の声。誇らし気に語るその様子から、その『ミオラお姉ちゃん』が、どれだけこの場所で大きかったのかが伝わってくる。
そして、エルナはほんの少しだけ胸を張るようにして——
「……私達の、お姉ちゃんだから」
静かにそう言った。
その言葉は先程のどの説明よりもはっきりと、その存在を示していた。
その響きが、胸の奥に静かに残る。
ここにいない筈の誰かが、確かにここにいると分かる言葉だった。
「……会ってみたいな」
ぽつり、と言葉が零れる。その言葉は、思った以上に自然に出た。強いからでは無い。優しいからでも無い。
ここに『残っている』人だから。ここにいなくても、ここにいる人。それが、少しだけ羨ましかった。
——私には、そういう場所ってあるのかな。一瞬だけそんな考えが過る。けれどすぐに考えるのをやめた。
私の呟きを聞いたエルナは、少しだけ間を置いてから、言葉を選ぶように口を開いた。
「……ミオラお姉ちゃん、もうここには住んで無いんです」
その一言で空気がほんの少しだけ静かになる。
騒がしさが消える訳では無い。子供達の息遣いも、衣擦れの音も、確かにそこにある。それでも、目には見えない何かが、ふっと一段だけ低い場所へ落ちたような感覚。
「え……?」
思わず聞き返すと、エルナはこくりと頷いた。
「卒業、したから」
短い言葉。けれどその響きは子供のものにしては妙に整っていた。
エルナはそこで一度区切り、少しだけ目を伏せる。視線が床へ落ちる。そこには擦り切れた木の板と、幾つもの小さな足跡。
「ここって、ずっといられる場所じゃないんです。大きくなったら自分で生きていくから」
まだ幼い顔立ちのまま。けれどその言葉は、確かに現実を知っている者のそれだった。いや、知っているというよりは、知ろうとしている。
背伸びの仕方が、そのまま伝わってくる。
「ミオラねーちゃんはね!」
その空気を断ち切るようにトトが声を上げた。明るさを取り戻すように、強く。
「ちゃんとそつぎょうして、たんたくしゃになったの!」
「だから“たんたくしゃ”じゃなくて“たんたくしゃ”じゃなくて……ああもう」
サラがすぐに割り込む。一瞬こんがらがって、言葉を噛み直す。
「探索者!ちゃんと一人で仕事してるの!」
言葉を整えながらも胸を張る。エルナがその後を引き取る。
「依頼を受けて、遺跡に行って……自分でお金を稼いでるんです」
一つ一つ確かめるように言葉を置く。それは見てきた事では無いのかもしれない。けれど、聞いて、信じて、積み重ねてきた『像』。
誰かの話を借りているのでは無く、自分の中でちゃんと形にした言葉だった。
「だから、ここには“帰ってくる”っていうより……」
一瞬だけ言葉を探す。指先が止まる。視線が宙を泳ぐ。ぴったり当てはまる言い方が見つからない。それでも、どうにか形にしようとして——
「ときどき……顔を出しに来てくれる、って感じです」
言い終えてから少しだけ視線を逸らす。その横でトトが口を尖らせた。
「でももっときてほしい!」
「トト……もう!忙しいんだから仕方ないでしょ。探索者なんだから」
サラが呆れたように肩を竦める。言い聞かせるような口調。
それはトトに向けたものでもあり、同時に、自分自身に向けたものでもあるように聞こえた。言葉の端に、ほんの僅かな寂しさが滲む。
エルナはそれに頷いてから、小さく息を吐く。
「……仕方ないのは分かってるんです」
それでも、と彼女は言葉を続けない。その代わりに少し笑みを深めて続けた。
「でも、きてくれると嬉しいんです」
「うん!すっごくうれしい!」
「……まあ分かるけど」
エルナの言葉にトトが続き、サラも小さく同意する。三人の言葉が重なり、一つの輪郭を作る。ここを出て自分の力で生きている人。それでもここを忘れてはいない人。
無意識に自分の髪へと手を触れた。薄桃色の感触。
「……そっか」
小さく呟く。その人は、もう『ここにいる人』ではない。外の世界で自分の足で立っている人だ。それでもこの場所に、確かに繋がっている。
そのとき。
——ぎい、と。
背後で扉が軋む音がした。
それは決して大きな音ではなかったのに、子供達の動きが一斉に止まる。さっきまで跳ねていた声が、ふっと息を潜めるように静まった。
エルナが振り返る。トトも、サラも。その視線の先へ、わたしも遅れて顔を向けた。
扉の隙間から差し込む光。その逆光の中に人影が一つ立っている。
一歩、内側へ。靴音は軽い。けれど、その足取りには迷いがない。光がずれて輪郭が浮かび上がる。
——薄桃色が揺れる。
思わず、息が止まる。
色は同じ。けれど、印象が違う。自分の髪は、それが柔らかく光を弾くのに対して、彼女の髪はどこか乾いた光を帯びていた。風に晒され、外を歩いてきた者の質感。
背丈も殆ど変わらない。けれど立ち方が違う。重心が低く、どこにでも、いつにでも動けるような隙のない姿勢。その立ち姿はリゼさんに近いような印象を受ける。
「……おーい」
気の抜けたような、それでいて良く通る声が落ちる。
「随分静かだと思ったら、どうした」
子供達の中から、ぱっと声が弾けた。
「ミオラねーちゃん!」
「おかえり!」
「きたー!」
さっきとは違う勢いで、今度は確信を持って駆け寄って行く。飛び付くように集まる小さな影。その中心で、ミオラと呼ばれた人物は軽く息を吐いた。
「はいはい、落ち着けって」
そう言いながらも、頭を軽く叩いたり、肩をぽんと押し返したりと、その扱いは慣れている。邪険ではないが、甘やかし過ぎもしない。
「ほら、順番。纏めて来るな」
その言い方に子供達は少しだけ動きを整える。なんとかギリギリ整列と呼べる形を取り、宥らかに流れて行く。その様子を一瞥してからミオラは視線を上げた。
真っ直ぐ此方を見る。真正面から、遠慮無く。
「……ああ、悪いな」
顎で子供達を示す。
「ガキ共が世話かけたろ」
打切棒な言い方。けれど声音はどこか軽い。やや呆気に取られ、私は少し遅れて首を振る。
「い、いえ……」
言い終わる前に視線が深くなる。ミオラが、じっと私を見ている。上から下へ。顔立ち。体付き。そして薄桃色の髪の毛へと。
一つ一つ確かめるように。その視線は外で感じたものと似ている。けれど、もっとはっきりしていた。
「……似てるな」
ぽつり、と落ちる。独り言のようでいて、はっきりと聞こえる声音。
私の目が少しだけ瞬くのが分かる。
ミオラは一歩だけ距離を詰める。近くで見るとやはり顔の造形は少し違う。けれど、背格好は殆ど同じだった。
彼女の薄桃色の瞳と視線がばっちり合う。目線の高さが全く同じ。同じ格好をすれば、遠目には何方がどちらか判断付かないだろう。並んで歩けば双子だと言われても不思議では無い。
だからこそ、その『似ている』が際立つ。
「髪の色だけじゃねぇな……」
小さく呟く。それ以上は言葉にしない。彼女は軈て視線を外し、軽く肩を回した。
「それで?」
子供を撫でながら、改めて此方へと向き直る。
「何の用で来た」
変わらず打切棒だが、無遠慮ではない。ただ必要な事だけを問う声音。
「ここの司祭はこの時間、留守の筈だが」
そう言いながら、ちらりと奥へ視線をやる。そこに人の気配が無い事を既に知っているような仕草だった。
一瞬言葉に詰まる。それから、少しだけ、所在無さ気に辺りを見渡してから——
「……あの」
ぎこちなく口を開く。
「その……ですね。お恥ずかしながら、道に、迷っちゃって……。そんな時賑やかな声が聞こえてきたもので……つい」
手を無意味に動かして、殆ど無意識に視線が泳ぐ。
なんだか怪しい動きになってしまった。全く後ろめたい事は無い……いや、この歳で道に迷った事は後めたい事ではあるが、そういう事では無く。悪い事などはしていないという意味で。
突然現れた自分そっくりの人間。彼女視点からしてみれば怪しさ満点だった。
ミオラは一瞬だけ間を置く。それから、小さく鼻で笑った。
「はは」
短い、乾いた笑い。
「なるほどな」
納得したように頷く。もう一度、此方に視線を向ける。さっきよりも、少しだけ力の抜けた視線で。
「そりゃあ、こんなとこまで来りゃ迷うか」
肩を竦める。外の空気を知っている者の言い方だった。
「お前、名前は?」
子供達を相手しながら、言葉だけを此方に向ける。
「ルシアです。ルシア・アシュレーヌ」
「……ルシア、ね」
ミオラはその言葉を咀嚼するように、うんうん、と頷き。暫くして此方に向き直る。
薄桃色を揺らし、にへら、と笑みを浮かべて言った。
「オレはミオラ。ミオラ・シェイドだ」
彼女の、少しだけ鋭い犬歯が覗く。
「宜しくな、ルシア」