追放の真意〜そんなものは無かったが、仲間も敵も王族も、みんな勝手に深読みしてくる〜 作:目下−1
子供達の喧騒が、少しだけ落ち着きを取り戻す。
騒がしさが消えた訳では無い。燥ぎ回る足音は減り、声の張りも幾分か和らいだ。けれど小さな笑い声や、誰かを呼ぶ声は途切れる事無く、空間のあちこちに残り続けていた。
まるで波が引き切らずに、穏やかな小騒めきだけを残しているような。そんな賑やかさ。
教会の中には外とは違う空気が満ちている。張り詰める事の無い、緩やかな温度。静かになり過ぎる事を拒むように、人の気配が常にどこかで揺れている。
窓から差し込む光は淡く、舞い上がる埃を照らしながら、床や壁に柔らかな陰影を落としていた。
その光の中で、子供達は思い思いに過ごしている。
誰かが床に座り込み、誰かがその隣に寄り添い、誰かがまた別の誰かを呼ぶ。散らばっているようでいて、どこか一つに纏まっているような不思議な一体感。
私はその中に立ったまま、まだ少しだけ場に馴染めずにいた。取り残されている、という程では無い。けれど、自然に混ざれているとも言い難い。
どう動けばいいのか、ほんの少し分からない。誰かの輪に近付けばいいのか、それとも端で大人しくしていればいいのか。そんな些細な事が決め切れず、足だけがその場に留まっている。
居心地が悪いわけではなかった。寧ろ空気は柔らかくて、どこか安心出来る。けれど、その中で自分だけが少しだけ輪郭を持てずにいるような感覚がある。
ここに居ること自体は、きっと問題ない。けれど、どう居ればいいのか、が分からない。
その曖昧さが、妙に身体を落ち着かなくさせていた。視線が定まらず、子供達の様子を追っては、すぐに逸らしてしまう。手の置き場にも困り、指先を軽く組んでは解き、そしてまた組む。ほんの少しだけ、所在ない。
その様子を横目で見ていたミオラが、ふっと息を吐く。
「……まあ突っ立っててもしゃあねぇか」
軽く投げるような声音。周囲の緩やかな賑やかさを壊さない、絶妙な雑さ。
彼女は近くにあった簡素な木箱へと視線を落とし、足先でそれを軽く引き寄せた。
木が床を擦る音が小さく混ざる。それすらもこの空間では浮くこと無く、自然に溶け込んでいく。
ミオラは引き寄せた木箱を軽く叩き、顎で示す。
「まあとりあえず座れよ。どうせ帰り道も分かんねぇんだろ」
続けられた言葉は、揶揄うようでいて軽い。打切棒だが拒絶では無い。それはここに居る理由を一つ、雑に置いてくれたようでもあった。
私は木箱へと視線を落とす。少しだけ迷い、それから、そっと腰を下ろした。木箱は少し軋んだが、しっかりと体重を受け止める。
座っただけで、視界の高さが変わる。それだけのことなのに、周囲との距離がほんの少しだけ近くなる。
まだ完全に馴染めたわけではない。それでも、立ったままの時よりはずっと自然にこの場にいられる気がした。
子供達の小さな笑い声が、近くで弾む。その中に身を置きながら、私はようやく小さく息を吐いた。
「……ありがとう」
声に出してみると、自分でも驚く程控えめな響きになった。この場の空気を壊さないように、と無意識に抑えてしまったのかもしれない。
けれどミオラは、そうした細やかな機微には頓着しないように、ただひらりと手を振るだけで応じた。
「礼はいい」
言葉を切ると同時に、彼女は腰に下げていた剣へと手をかける。迷いの無い動作で剣帯を外し、そのまま気負いもなく床へと置いた。
ごとり、と鈍い音が響く。その音は決して大きくはないのに、何故か意識を強く引いた。
自然と視線が落ちる。そこにあったのは一振りの剣。
思わず、ほんの僅かに息を呑む。それは、一見して武器というよりも、何か別のもののように見えた。
磨き上げられた金属は窓から差し込む淡い光を受けて、静かに、しかし確かな存在感をもって輝いている。過剰とも言える装飾。それでも、線の取り方や均整の取れた造形が、どこか完成された美しさを感じさせた。
まるで飾られる為に在るかのような——そんな印象すら抱かせる。
けれど同時に、それはあくまで剣の形をしていた。手に取れば、そのまま振るうこともできてしまいそうな、曖昧な境界。
綺麗な剣だ。と、そう思う。それ以上でも、それ以下でも無い素直な感想。けれど、その形を目でなぞった時、胸の奥に引っ掛かるものがあった。
……どこか、似ているような。
何に、とはすぐには言葉に出来無い。けれど、見覚えのある『線』がある。
無意識の内に、手が自分の腰元へと触れる。そこに下げているのは細身の剣。装飾らしい装飾は無く。実用一点張りの無骨な造り。
ミオラの剣とは、見た目だけなら似ても似つか無い筈なのに——
形のどこか、重心の置き方、刃の流れ。説明し切れない何かが、確かに重なる。
理由は分からない。ただ、似ている気がした。その曖昧な感覚に、ほんの少しだけ戸惑いながら——
視線を戻した、その時。
「……あ」
小さく声が漏れる。
その美麗な剣の刃先。ほんの僅かではあるが欠けている。滑らかである筈の線の中に、意図しない歪み。光がそこだけで微かに乱れ、さっきまでの完成された印象に小さな綻びを作っていた。
その小さな、気にしても仕方の無いような綻びが。完成された美にある事で、寧ろ際立って見える。
「あー……気付いたか」
ミオラはその反応を見て、僅かに口元を歪めた。苦笑、と呼ぶには少しだけ軽い、どこか諦めの混じった表情。
「見た目はいいんだがな。遺跡で拾ったやつだ」
言いながら、彼女は指先で軽く刃を弾く。乾いた音が小さく鳴る。澄んではいるが、どこか頼りない響き。
「“遺物”かと思ったんだが——まあ、この通りだ」
刃先を顎で示し、短く息を吐く。その言葉に、ほんの僅かだけ現実的な落胆が滲む。
『遺物』
各地に点在する『遺跡』から、時折発見されるそれらは、この世界において特別な意味を持つ。
遺跡とは、地脈の流れが淀み、集まり、重なり合った果てに生まれる場所。そこは単なる空間ではなく、どこか別の『記憶』が形を持って再現された、小さな異世界のようなものと言われている。
いつかの時代の、どこかの場所。伝承か、史実か。記録に残るものか、既に忘れ去られたものか。そうした境界すら曖昧なまま無数の断片が混ざり合い、一つの景色として立ち現れる。
そして——そこから見つかる品々もまた、同じ性質を帯びている。
それが嘗て確かに存在した物なのか。或いは誰かの空想が偶然にも形を得ただけなのか。高密度の魔力が記憶を媒介にし、実体として顕現させたもの。
それが遺物と呼ばれる。
故にそれらの真偽を判別する事は叶わない。
けれど一つだけ確かなのは——遺物は往々にして、生物が作り得る領域を逸脱しているという事だった。
例えば、この世界に絶対不変の物質は存在しない。いかなる武具も、いずれは摩耗し損耗する。けれど遺物に限って言えばその常識の外側に在るものが確かに存在する。
限りなく『壊れない』という概念に近い、異質な何か。だからこそ、ミオラはこれを一目で当たりだと踏んだのだろう。
——けれど、現実は違った。
こうして刃先は欠け、いずれ折れると見て取れる。それはつまり、この剣がそうではなかった。という、何より分かり易い証明だった。
「前に使ってたやつはなぁ……完全に折れた。剣の扱いにはちょっと自信があったが……。まあ仕方ない。形ある物はいつか壊れる」
さらりと付け足される言葉。重さを含ませるでもなく、ただ事実を並べるような口調だった。
けれどその一言で、この剣が『代わり』であることがはっきりと分かる。使い慣れたものを失い、間に合わせで手にした一振り。
「で、こいつを拾って使ってみりゃ、この有様だ」
肩を竦め、刃先を顎で示す。
「数回振ったらこれだ。次も同じとこ当たったら……まあ多分そのままいくだろうな」
折れる、と。わざわざ言わなくても伝わる言い方。軽く言っているようで、その見立てには一切の曖昧さが無い。
経験に裏打ちされた即物的な、淡々とした評価だった。
私はその剣を見つめたまま、僅かに指先を揃える。
綺麗だと思った印象と、そこに潜む脆さがうまく結びつかない。あれ程整って見えたものがもう長くは持たない。見た目は整っているのに、その一欠片が剣にとっては致命。
そのちぐはぐさに、どこか落ち着かない感覚を覚える。その事実がどこか現実感を伴わずに静かに胸に沈む。
「……売るにしても、この傷じゃ大した値はつかねぇ」
ミオラはあっさりと言い、軽く息を吐いた。
執着は無い。惜しむ様子も無い。ただ、現実としての価値を測っているだけだった。
「まあ、それでも多少は足しにはなるが」
そう言って肩を竦める。投げるように置かれた言葉は、床に転がる剣と同じくらい、あっさりとした重さで空気に沈んだ。
その余韻の中で私はじっと剣を見つめる。さっきまでのただ綺麗だと思っていたその印象が少しずつ形を変えていく。
整った表面の、その内側にあるもの——
刃の質、重さの配分、目に見えない筈の流れ。意識するよりも先に視線がそこへ潜り込んでいく。魔力の通り。構造の歪み。表層では隠しきれない、微かな不均衡。
——視えてしまう。自分でも、少しだけ持て余している感覚だった。
「……あのー」
控えめに声を掛ける。ほんの少しだけ間を置いてから。場の柔らかな賑やかさを壊さないように、音を選ぶようにして。
「ちょっと触ってもいいですか?」
ミオラは一瞬だけ眉を上げた。問いの意図を測るような短い沈黙。けれどそれも長くは続かない。
「構わねぇが……」
軽く顎で示す。好きにしろ、と言外に含ませた雑な許可。
それに小さく頷き、そっと手を伸ばす。
指先が柄に触れる。冷たい。けれど、その奥に僅かな温度の残滓がある。持ち上げる。見た目よりも少し軽い。けれど軽過ぎる訳でもない。どこか不安定な均衡。
その違和感を確かめるように、僅かに目を細めた。
「……やっぱり」
小さく呟く。確信に近い響きだった。
「中の構造がちょっと粗いですね。魔力の通りも……ところどころ途切れてます」
言葉は静かに落ちる。断定するでも無く、ただ見えたままをなぞるように。
ミオラが微かに目を細める。さっきとは違う興味を含んだ視線。
「……分かんのか、そんなの?」
半信半疑とも、呆れともつかない声音。それに視線を剣に落としたまま、こくりと頷く。
「はい。ちょっとだけ、こういうの得意で」
言いながら、指先に意識を集める。すると、ほんの微かに——光が宿る。
淡い、薄桃色。
それは私の髪と、そして彼女の髪と同じ色で、どこか体温を帯びたような柔らかさを持っていた。ゆらり、と揺れるその光は、強く主張することも無く、ただ静かにそこに在る。
「やっぱり。金属としての質はとても高い。ただ、元々武器として使う事は想定されてない……みたいな。もしかしたら形は剣だけど、武器以外の遺物なのかも……」
誰に聞かせるでも無く。自然と言葉が漏れる。頭の中にある思考に、言葉にする事で指向性を持たせるような。そんな感覚。
「……うーん」
ふぅ、と。少し長めに息を吐く。
「遺物……とはちょっと違う気もするかも。どちらかと言うと何かを真似ようとした、みたいな」
でも、そうだとすれば。
剣を見つめたまま、指先に意識を集中させる。
——できる、と。そう思った。
殆ど無意識に剣を膝の上に乗せる。両手で包み込むように支え、その重みと均衡を確かめる。
ゆっくりと目を閉じる。時間を掛けて呼吸を整える。周囲の騒めきは消えない。子供達の笑い声も、囁きも、そのままそこにある。
ただ、それらが一歩遠くへと下がる。意識の中心が手の中へと移る。
——流す。
薄桃色の光が静かに剣へと染み込んでいく。じわり、と。表面を伝い、その内側へ。
組み上げられた線の一本一本を正確になぞるように。罅の走った箇所。欠けた刃先。そして流れを妨げる歪み。そこへ過不足無く満たしていく。まるで最初からそうであったかのように。
いつもの感覚と同じ、無理矢理引き上げるような感覚。
「……っ、おい!何を!」
遠くでミオラの声がしたような気がする。けれどそれは流れを止めるには至らない。
呼吸は静かに整ったまま。手の中で流れが組み替わっていくのが分かる。途切れていた線が繋がり、散っていたものが収束する。そして——流した魔力が、そのまま留まる。
それは当然の帰結だった。
形を整えた以上、そこに収まるべきものはそこに在り続ける。これが剣であるならば。これが形を持つのならば。
子供達が気付く。
「……なにそれ」
「ひかってる!」
小さな声が重なり、近付いてくる気配。けれど意識を逸らさない。
最後の調整に入る。流れの偏りを均し、余剰を削ぎ、芯を通す。これで——
ぱちり、と。その確信と共に、剣の表面を淡い閃光が走った。
深く息を吐き、ゆっくりと目を開ける。両手に収まる剣を見る。見た目は殆ど変わらない。けれど内側は違う。さっきまであった引っ掛かりは消え、流れは滑らかに通っている。不安定さはどこにも無い。
——そこで漸く。思考が現実に追い付く。
「……あ」
小さく声が漏れる。視線が、そっとミオラの方へと向く。自分が一体何をしたのか。許可も無く、勝手に手を入れてしまったことに気付く。
「ご、ごめんなさい!勝手に……」
慌てて剣を差し出す。声は上擦って、揺れていた。場の柔らか空気とは違う、個人的な焦りが滲む。
ミオラは、しばし何も言わなかった。ただ差し出された剣と此方を交互に見ている。状況を理解し切れていないような僅かな空白。
彼女は暫くそうして、軈て一つ息を吐く。
「……いや」
短く言って、肩を竦める。
「いい。大丈夫だ」
拍子抜けする程あっさりとした返答。怒る様子も、咎める様子も無い。ただそれ以上に。理解が追いついていない、という顔だった。
ミオラは剣を受け取り、軽く振ってみる。
風を切る音は小さい。けれど、その軌道にはさっきまでとは違う、引っ掛かりの無さがあった。手応えを確かめるように何度か角度を変える。刃を傾け、光を滑らせ、重心を探る。その一つ一つの動きが徐々に慎重さを帯びていく。
そして、その動きがふと止まる。
「……ルシア」
低く呼ばれる声。その響きに軽さは無い。
「はい?」
「お前……これ。今何をした?」
視線は剣に落ちたまま。けれど、その問いは確かに私の方へと向けられている。
ミオラの瞳——薄桃色のそれは、刃先に向けられたまま見開かれていた。信じがたいものを見るように。或いは、理解の外にある何かを前にしたように。その色が、僅かに揺れている。
「えっと……その」
視線を彷徨わせ、言葉を探す。何をした、と問われても。それは酷く感覚的で、説明しろと言われても難しい。
やった事自体は分かっている。けれどそれを言葉にしようとした途端、それは徐々に形を失ってしまう。
自分はそれ程、魔術を理論的に理解している訳では無い。掴もうとする程曖昧になっていく感覚はどこか霧のようだった。
……こう言う時、ノエルさんなら……。
ふと、一人の姿が思い浮かぶ。静かに言葉を選び、どんな複雑な理屈でも丁寧に紐解いていたあの人。
ノエリシア・クローネ。彼女なら、きっと迷いなく説明してみせただろう。その記憶をなぞるように息を整える。その言葉を借りるように。
「……私の、魔術を刻み込みました?」
「なんで疑問系なんだ」
「その、うまく言葉に出来なくて」
うーん、と。頭を捻り、首を傾げる。
「こう……感覚的には補助魔術と似たような感じなんだけど……。武器そのものに補助魔術を掛ける、みたいな」
ふわふわと。明確に形を持たない私の言葉に、ミオラは分かり易く疑問符を浮かべる。
「……っち、まあどうせ魔術も魔法もわかんねぇし。細かい事はいい」
吐き捨てるように言いながらも、その視線は剣から離れない。寧ろ、さっきよりも強く食い入るように見ている。
一拍、間を開けて。彼女は、それで、と短く言葉を繋ぐ。
「どうして罅も、欠けも、何にもない?直したって事か?」
「直した……とはちょっと違うんだけど」
今一度、何とか言葉を絞り出す。
「補助魔術については知っていますか?」
「……ああ。簡単に言やあ強くなる、って事だろ?」
「大体その認識で問題無いです。その中に治癒力や頑強性を高める効果がある魔術がある事は?」
「まあ、なんとなくは」
自分の中にあった感覚の部分を、一つ一つ言葉にして行く。嘗てノエリシアがしていたように。
物が上から下へと落ちるように。物事には順序がある。大きな括りから次第に小さく。半ば自分自身にも聞かせるように続ける。
「それを——その魔術を、その剣に刻み込みました」
「……つまり?」
「さっきより固くなって、勝手に刃毀れが元に戻ります」
教会の中の柔らかな騒めき。子供達の小さな声。その全てが、ほんの一瞬だけ遠のいたように感じられた。
ミオラは何も言わない。ただ、手の中の剣を見つめている。薄桃色の瞳が僅かに細められ——次の瞬間、もう一度ゆっくりと刃先へと視線を落とした。
さっきまで確かにあった筈の欠け。その位置を指先でなぞる。何も無い。触れた感触も、引っ掛かりも。ただ均一な金属の滑らかさだけが返ってくる。
「……は?」
ぽつり、と。ミオラの口から零れる。それは言葉になりきらない、戸惑いの破片だった。ゆっくりと、此方に向けて視線が上がる。今までよりも明らかに強い色を帯びて。
理解できないものを見る目。納得できない現実を前にした時の、あの、どうしようもない空白。
「……いや。いや、待て」
低く、押し殺した声。自分自身に言い聞かせるように。もう一度剣を見る。指で刃を弾く。乾いた音は最初よりも明らかに締まっている。
「戻るっ……て。なんだそれ……?」
呟きに近い。問い掛けというより、言葉にして確かめているだけのような響き。それに少し肩を竦めて答える。
「その、そう言うふうに術式を組んだので?」
「いや、あり得ないだろ」
短く吐き捨てる。その声には苛立ちと言う響きでは無く、困惑の方が強く滲んでいた。
再び此方を見る。今度は逸らさず真っ直ぐに。値踏みするようでも、警戒するようでもなく。ただ、何かを確かめる為の視線。
「……おい」
呼びかける声はきっきよりも一段低い。軽さは完全に消えていた。
「お前——何者だ?」
問いは単純だった。
私は一瞬だけ言葉に詰まり、それから少しだけ視線を落とした。どう答えるべきか、ほんの短い逡巡。軈て、静かに口を開く。
「
淡々と。誇るでも無く。隠すでも無く。ただ事実として置く。
「……“暁と黄昏”?……双刻!?そんな、まさか……!オレでも聞いたことあるビッグネームじゃねぇか!」
「まあ“元”なんだけど……」
少し言葉を濁して続ける。
「今はただの探索者のルシアですよ」
そう結んだ言葉は、穏やかな賑わいの中に静かに溶けていく——筈だった。
その余韻を追い越すように、小さな騒めきが一斉に膨らむ。
「えっ、探索者!?」
「ほんとに!?」
「いせきに行く人!?」
振り向けば、すぐ後ろまで寄ってきていた子供達が、きらきらと。目を輝かせて此方を見上げていた。
子供達の集団からエルナが一歩前に出る。その後ろでトトは落ち着きなく左右に揺れ、サラは両手を胸の前でぎゅっと握りしめている。
さっきまでの無邪気な騒ぎとは少し違う、どこか言いたい事を抱えた顔。
「……ルシアさんも探索者なんですか?」
少しだけ距離を詰め、確かめるように見上げてくる。それに一瞬だけ目を瞬かせ、それから控えめに頷いた。
「い、一応は……」
「えっ!ほんとに!」
間髪入れずにトトが飛び出してくる。
「やっぱいせきにいくの!? かいぶつとかたおすやつ!?」
「だから!遺跡!怪物!」
「ちゃんといってる!」
トトの舌足らずをサラが横から訂正する。また始まった言い合いに、少し苦笑しながら答える。
「えっと、まあ一応。そういうのもやってたよ」
やや曖昧に言う。その言い方に、横からミオラが口を挟んだ。
「“一応”どころじゃねぇだろ」
呆れたように、しかしどこか面白がるように。
「双刻だろ?殆ど国のトップじゃねぇか。探索者ならその名前を知らない奴はまずいない凄腕だろ」
その一言で、空気が変わる。
「等級……八?」
エルナが目を見開く。
「え、なにそれつよいの?」
「馬鹿トト!強いなんてもんじゃないでしょ!」
トトがぐいっと身を乗り出し、サラも突っ込みながらぱちぱちと瞬きを繰り返す。
その様子に少しだけ困ったように笑う。
「……えーっと。まあ……?」
一瞬言葉に詰まり。
「“元”なんだけどね?」
と、小さく付け足す。
「もとでもすごい!なあなあ、どんなのたおしたの!?ドラゴンとか!?」
トトの勢いは止まらない。サラもそれに噛み付きながら、凄い、と言葉を漏らす。
「そんなに大した事は——」
「いや、あるだろ」
言いかけたところを、即座にミオラが切り捨てる。
「お前の“大した事ない”は当てにならねぇんだよ。さっきのも、見た事も聞いた事もねぇ」
ばっさりとした物言い。けれどその声音には、どこか感心が混じっている。
いや、でも元なんですよ、と。改めて言うがまともに聞くつもりは無いようだった。
そのやり取りを見ていたエルナが、ふっと息を整える。そして、改めて一歩前に出た。
「……じゃあ」
ほんの少しだけ、声の調子が変わる。
「お願い、してもいいですか」
さっきまでの無邪気な熱とは違う、きちんとした響き。トトとサラも、その後ろで表情を引き締める。
私はその空気を感じ取り静かに頷いた。
「……うん。私に出来る事なら」
そう言った瞬間。トトがぱあ、と。一気に表情を明るくさせて飛び込んでくる。
「おれたち、しさいさまにさ!あ、えーっと……」
言い切れずに詰まり、サラが小さく続ける。
「もお!そのわたしたちいつも司祭様にお世話になってるから。住む所も、服も、食べる物も」
そして最後にエルナが整える。
「だから……お礼がしたいんです。なにか、贈り物を」
その言葉に教会の空気がほんの少しだけ静かになる。小騒めきは残ったまま、耳だけが此方に向いたような感覚。
「昨日旅人のおじさんがここに来たんですけど、その人は鉱石なんかはどうだって言ってたんですけど……」
エルナがそう、遠慮がちに溢す。それに一瞬だけ考え——思い至る。
「……トルメリア」
ぽつりと呟く。
「え?」
「薄桃色の鉱石で……すごく綺麗な石なんだよ。高純度なら魔力の通りも良くて。多分、そのおじさんもその石の事を言っていたんじゃないかな」
自分の指先を見つめる。それからミオラの方へと視線を移す。そこに宿る同じ色。トルメリアはそれらとどこか重なる。
トルメリアは謝恩石とも呼ばれる。淡い桃色をした鉱石だ。指先程度の物から拳程の大きさまで。山岳や坑道を背景にした遺跡で採掘する事が出来る。
遺跡産ではあるが特殊な効果は持たず、現実の鉱石以上に価値を持たない。確かに魔術触媒としても利用出来るが、それよりも更に適した鉱物が遺跡からは数多く採れる。
けれど、その価値以上に——
「贈り物としても意味がある——“感謝”を伝える石」
「それがいい!」
「ほしい!」
「あげたい!」
一斉に声が弾む。けれど少しだけ間を置いて。
「王国だと、等級五の遺跡——“風抜けの廃坑”で取れます」
「……等級五……」
エルナの声に現実が滲む。その重みは子供達にも分かるのだろう。手の届かない場所。簡単には行けない場所。その空気を感じ取りながら続ける。
「市場にもあるけど……輸入品が多くて、質はあまり良くないの」
だからこそ。
「……うん。私が採ってきてあげる!」
子供達の顔が一斉に上がる。一瞬だけ暗くなった表情も、さっきまでに比べても一段と明るく輝く。
「いいの!?」
「ほんとに!?」
「うん。だって私も探索者だからね。正式に。依頼として。皆んなのお願い、頑張って叶えようかな!」
その言葉を皮切りに、子供達は慌ただしく動き出す。
「おかね!」
「ちょっと待ってて!」
「わたしも!」
手作りの貯金箱の中から。洋服入れの古びた引き出しの中から。ズボンのポケットの中から。
各々が各々の隠し場所から、我先にと小銭を持って駆けて来る。軈て差し出されたそれは、掌に収まる程度の細やかな山。
けれどそれは、確かに依頼料だった。私はそれを見て、ほんの一瞬だけ目を細める。嘗ての報酬とは比べ物にならない。本当に雀の涙程。それでも——
「うん……。うん。確かに」
しみじみと呟いて、それをエルナへと手渡す。
「絶対に採って来るから。これはその時に受け取るね」
エルナは一瞬だけ目を見開き、けれどすぐに表情を明るくさせる。それに吊られて、他の子供達も一斉に色めき立った。
その横で。
「その依頼……オレも乗った」
ぽつり、と。ミオラが言う。
「え?」
「剣の礼だ。それに——」
打切棒に言いながら視線を逸らす。それから、少しだけ間を置いて。
「オレも……あの司祭に借りがあるからな」
小さく付け足す。言い切らず、誤魔化すように。尻窄みに声が小さくなって行く。けれど、その理由は十分に伝わる。
「うん、宜しくね。ミオラさん」
「ミオラでいい。……それから礼もいい。仕事だろ?」
隠すように口角を上げて、無理矢理作った仏頂面。相変わらず打霧棒な声音の中に、隠し切れない照れが混じっていた。
微笑ましいような物を見る視線に気付いてか、ミオラは徐に剣を取る。子供達には決して当たらない位置まで離れて、誤魔化すように素振りをした。
「……にしても」
聞こえるか聞こえないかの声量で、ぽつりと呟く。此方に向けて言った訳では無い。思わず漏れたと言った声音。
手の中の剣を見下ろす。軽く振り、止め、また角度を変える。何気ない仕草を繰り返しながら、その視線だけがやけに長く留まっている。
「やっぱすげぇな、これ」
素直な感想。それを聞いて、ふと思い出す。
「そう言えばそれ、魔力を込めれば光りますよ」
さらり、と。何気無しにそう言った。
「……は?」
ミオラの素振りが止まる。振り上げて、今振り下ろす直前。何なら少し振り下ろした姿勢で固まる。
視線だけが此方を向き、中途半端に見開かれた瞳が此方を捉える。その瞳には、理解出来無い、と分かり易く書かれていた。
「え?なんで?」
殆ど無意識に溢れた問いだった。間の抜けた声。それからゆっくりと此方に顔を向ける。
私はそれに少しだけ考えてから——
「……格好良いから?」
顎に手を当て、首を傾げる。
一瞬の間。そして——
「「「「「おおおぉぉお!!!!」」」」」
子供達が弾ける。爆発するような歓声。
「ひかるの!?」
「やってやって!」
「みたい!!」
トトが跳ね、サラが両手をぶんぶん振り、エルナですら目を輝かせている。さっきまで整然とした空気はどこへやら、完全にお祭り騒ぎだ。
その中心で、ミオラはしばし無言。それから、がしがしと頭を掻いた。
「……意味わかんねぇ」
呆れたように呟きながら、何でも無いように剣を握り直す。まじまじと、手の中の剣を見下ろす。さっきまでとは違う重みを感じながら。手を開いたり、閉じたり。
そうして暫く、握り方を変えてみたり、構え方を変えてみたり。眉間に皺を寄せながら、剣を睨み付けてみたり。そうして——
「……おい」
ぽつりと、此方に向けて。
「どうやんだ、それ」
隠し切れないにやけ顔。その声音には、ほんの少しだけ興味の色が混じっていた。