追放の真意〜そんなものは無かったが、仲間も敵も王族も、みんな勝手に深読みしてくる〜   作:目下−1

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ep9.桃影

 王都の外れ——人の営みが歪に積み重なったスラム街。そしてその更に縁。捨て置かれた空白のような、閑散とした地帯にその小屋はあった。

 寄せ集めの板と錆びた釘でどうにか形を保っているだけの粗末な外殻。打ち捨てられて久しいのか壁は乾ききり、触れれば崩れそうな程に脆い。屋根は一部が落ち、空を切り取るように黒く口を開けている。

 

 しかしそれはただの廃屋では無い。その奥に、隠すように口を開けた廃坑がある事を司祭からの情報で知っている。

 

 ——うーん……静か過ぎる、ような気がする。

 

 足を止めて視線を巡らせる。スラム街特有のざらついた気配は此処には届いていない。怒号も、笑い声も、金属が擦れる音も。全てが遠く、膜一枚隔てられたように曖昧だ。

 しかしそれ以上に。人の気配が、生きたものの痕跡が、妙に希薄だった。消えた、と言うよりも初めから濃く無かったような。

 

 ……おまけにルシアも見つからなかったし。

 

 廃坑に至るまでの道中。僅かな気配も見逃すまいと静寂の中に視線を沈め、目を皿のようにして薄桃色の少女を探した。しかし、ルシアは疎か人の影一つ見つける事は叶わなかった。

 

 スラム街の人がいない事自体は分かる。まだ分かる。この辺りは王都の端の端のそのまた端。本当に何も無い。あるのは荒れた岩肌と乾いた土だけだ。食える草一本すら生えない土地に人が根差す理由は無い。

 しかし、ルシアがいないのは分からない。あの司祭がいるって言っているからには絶対にいる。万が一スラム街に引き返していたとして、それならば其方で目撃があったと言って然るべきだ。

 

 ……いや、あの司祭の事だ。適当……は言ってないにしても態と勘違いするように言った可能性あるな。

 

 小さく息を吐く。無駄足の可能性が脳裏を掠める。しかし同時に、ルシアが廃坑の奥へと足を踏み入れている可能性も確かに残っていた。

 

 そもそも本来の目的である盗賊団はこの先にいる可能性が高い。どちらにしろ進まない手は無かった。

 

 一歩、廃屋と化した古屋へと踏み入れる。内側は外よりも尚静かだった。時折板の隙間を抜ける風と、雑草の揺れる音が微かにする、途切れた場所の静けさ。

 

 そこに在った筈のものが全て剥ぎ取られた後、と言うよりも。最初から何も積み上がっていないような乾いた残響。

 生活の熱も、居座る気配も、染み付いた癖も。そのどれもがここには無い。微かに残るのは生活の名残ですらない。嘗てを語るには余りにも頼り無い擦り切れた空気だけだった。

 

 足元で砂が鳴る。その音だけが不自然な程耳に残る。

 

 扉は歪み、半ば外れかけている。蝶番は錆び付き、木材は繊維の奥から裂けるように割れている。しかし、力付く破られた形跡は無い。ただ、時間そのものに侵食された結果として崩れかけているだけだ。

 

 此処が建てられたのは凡そ十年程前、とそう聞いている。しかし、目の前にある風化の具合は、その言葉とは噛み合わない。寧ろ、打ち捨てられてから十年と言われた方が余程腑に落ちる。

 

 使われた形跡ではなく、使われなかった時間だけが積み重なったような荒れ方。

 まるで。何かのために用意されながら、その役目を果たすことなく、ただ忘れ去られていった場所のようだった。

 

 俺は僅かに目を細める。静寂は何も語らない。しかしその何も無さがかえって不気味だった。

 

 一歩、また一歩と更に奥へ。

 

 床板が軋む。乾いた音が遅れて耳に届く。抗議にも似たそれは、踏み抜く程の危うさでは無いにせよ、確かな不安定さを孕んでいた。

 

 自然と足取りが慎重になる。

 

 視線を巡らせる。

 

 狭い。あまりにも何も無い。物が置かれていた痕跡も、使い込まれた摩耗も見当たらない。壁際は空白のまま、隅に溜まる埃だけが時間の経過を示している。だがその埃ですら、どこか均一で乱されていない。

 

 人がいたなら必ず残るは筈の癖が無い。触れた形跡。留まった気配。そういったものが徹底して欠け落ちている。

 

 空虚。そうとしか言いようがない。

 

 視線が止まる。奥にもう一つの扉がある。

 

 板で打ち付けられていた痕がある。釘を引き抜いた小さな傷が木肌に点々と残されている。覆われていた部分だけ色が浅く、外気に晒されていなかった時間を物語っていた。

 そしてそれは——つい最近までそこにあったことも。取り払われてから然程時間は経っていない。

 

 手を掛ける。扉は拍子抜けする程あっさりと開いた。抵抗は殆ど無い。まるで最初から閉ざす意思など存在しなかったように。

 

 その先にあったのは——闇。

 

 冷えた空気が緩やかに流れ出てくる。地の奥地に沈殿した温度。湿り気を帯びた匂いが静かに鼻腔を満たして行く。

 廃坑の入り口が、口を開けたままそこにある。何も語らず、そこにあるだけの闇。

 

 足を踏み入れる。靴底が僅かに湿り気を拾った。

 

 剥き出しの岩肌からは水が滴り、一定の間隔で落ちるそれが小さな音となって消えていく。外とは明確に切り離された空間。壁は低く、音を鈍く反響させ、呼吸すらどこか重く感じられる。

 

 しかし、此処にはある。微かに、けれど確かに人のいた痕跡が。

 

 壁に刻まれた古い傷。削られた跡。足場として均されたであろう地面の起伏。そのどれもが自然に出来たものでは無い。

 誰かがここにいて、何かを為した。その証だけが薄く、消えかけた輪郭として残っている。

 

 しかし——古い。あまりにも。

 

 仄暗い穴を降りながら眉を顰める。

 

 触れずとも分かる程に、それらは時間を経ていた。風化の具合、染み込んだ湿りの質、残滓の薄れ方。十年やそこらでは無い。少なくとも五十年、或いはそれ以上。

 

 表にある小屋とは明らかに噛み合わない隔たり。数十年野晒しであった空洞の上に、後付けでされた蓋。同じ場所にありながら同じ時間を共有していない違和感。

 

 ……?一体何の為の小屋だったんだ?

 

 小屋を建てたのは何処ぞの王族だと言う。尤もルクス=ヴェスペリア王国に於ける王家など一つしかないが、その誰が建てたとして益が無さ過ぎる。

 

 現王カノープス・ルクス・ヴェスペリアは稀代の賢王とも謳われる名君だ。無意味なものに手を出す手合いでは無い。

 もしこの廃坑そのものに問題があり、封じる必要があったのであれば。この時間差は生まれていない。十年と言わずもっと以前から対処していた筈だ。

 

 仮にカノープス王が取り溢していたとしても。第一王子シリウスが見逃す筈が無い。放置してあったままだとは考え難い。

 『暁と黄昏』として多少の交流があるが、彼は。シリウス・ルクス・ヴェスペリアは現王を凌ぐ、紛れも無い傑物だ。

 ……尤も、非常に、極めて、甚だしく変人ではあるのだが——

 

 思考がそこで止まる。

 

 足が止まった——鉄の匂いだ。

 

 生々しい湿った気配。視線を上げて暗闇の奥へと目を向ける。長く続く闇の奥。そこにそれはあった。

 

 転がるようにして幾つもの影。ゆっくりと近付くも音は無い。沈黙が重く圧し掛かる。

 

 一つ、二つ、三つ……数は十を超えている。それは確かめるまでも無く、人であった。人であった物であった。

 

 崩れた姿勢のまま無造作に投げ出された肉塊。首を断たれたもの。胴を裂かれたもの。頭の先から股までを縦に分たれたもの。そのどれもが躊躇なく壊されている。

 

 思わず顔を顰める。臭気が肺に絡みつく。

 

 争った痕跡は無い。あるのは結果だけ。

 

 一方的な蹂躙。抵抗すら許されなかった、圧倒的な暴力の痕。無慈悲に、残酷に、非情にも徹底的に。猫が鼠を狩るよりも容赦無く。窮鼠が猫を噛む隙すらも与え無かったような。

 

 辺り一体には夥しい血痕が飛び散っている。まだ完全には乾いておらず、岩肌に残る染みには至っていない。

 廃坑の湿り気がそれを鈍く留めている。しかし流れたばかりでも無い。粘度も、匂いも。時間の経過を想起させる。

 

 2日か、3日か。その程度。

 

 まさか、と。最悪の想像が脳裏を過り、散乱する肉塊の端から端へと視線を走らせる。一つ残らず、その隅々までを確かめるように。

 

 そして——小さく息を吐く。

 

 ……よかった、ない。

 

 あの柔らかい薄桃色は。光を受けて鮮やかに映るあの色は此処に無い。十を超える死の中にルシアの姿は無い。

 しかしそれが完全な安堵に繋がる程状況は軽く無かった。

 

 誰が、何の為に。そして——

 

 ……いや、結局ルシアはどこに???

 

 廃坑もどうやら此処が最奥。この先は無い。

 

 嘗ては続いていたであろう痕跡はある。しかし崩落し、長い時間をかけて閉ざされている。苔が生え、岩は馴染み、崩れた断面は既に風景の一部になっていた。

 

 少なくとも、この惨状を生んだ何者かが引き起こしたものでは無い。もっと前から此処は行き止まりであった。

 

 ぱっと思い浮かぶ可能性は二つ。

 

 一つ目、そもそも廃坑に入っていない。発見に至っていないだけでこの辺りにいる。

 二つ目、廃坑には入ったがこの惨状、或いはまだ生きていた時点の盗賊団を目撃して退散。ルシアは比較的臆病なところがある為スラム街へと引き返している。目撃証言が無いのは……こう、天下無双の方向音痴が良い感じになんやかんやして……偶然誰にも見られてない……とか?

 

 何れにしろ、現状での判断は難しい。分かっている事は少ない。考える事は多い。思考を整理する為に、何気無しに口を開く。

 

「……盗賊団は壊滅ってことかな」

 

 答えは無い。ただ自分の声が空洞に反響するのみだ。

 

 血の匂いと、湿り気を帯びた空気。その奥に横たわるものはあまりにも明白で。だからこそ、答えにはならない。

 

 足元の死体に視線を向ける。それらは如何にもな格好をしたならず者共だ。これが盗難事件の下手人達の末路である事は想像に難く無い。

 

 ならば。だとすれば。この惨劇を生み出したのは。

 

 思考は自然と一点へと収束する。あの日。あの場にいた正体不明の実力者。盗難が成立するに至った、決定的な何者か。

 そいつであればこの虐殺劇を繰り広げる事は難しく無いだろう。これだけの破壊を一方的に成し遂げる力。符合はする。しかし——

 

 首を傾げ、眉を顰める。

 

 剣もないんだよなあ……。

 

 この廃坑に於いて見つからなかったのはルシアだけでは無い。王立博物館館から盗まれた儀礼剣《スヴァル=アールヴァテラ》もまた、その姿の一欠片でさえ見当たらなかった。

 

 仮に、その正体不明の人物がこの惨劇の主だとして。何故、盗賊団を壊滅させたのか。

 盗賊団を利用し、剣を盗ませる。役目を終えた後で始末し、そして剣だけを持ち去る。一見筋が通っているように見える。

 

 しかし周り諄過ぎる。最初から始末するつもりであれば、あの時あの場で一掃しなかった理由が無い。戦力としては単独で十分余りある。魔術的素養が皆無だっとしても態々盗賊団を介する理由が無い。

 囮か、隠蔽か。それとも別の目的があったのか。

 

 思考が沈む。滴る水音が、一定の間隔で落ちては消える。その単調さが却って思考を深く沈める。血の匂いも、湿度も。軈て輪郭を曖昧にし、ただ其処に在る物として感覚に溶けていく。

 

 ……そもそも別件の可能性。儀礼剣盗難事件と下手人である盗賊団の壊滅。これらが同一線上にあるという前提自体が——

 

 と、その時であった。

 

 こつりこつり、と微かに。しかし確かに、空気の層を震わせるものがあった。

 足音。湿った坑道の壁に反響し、僅かに遅れて耳へ届く。音の発生源は廃坑の奥ではない。入口側——背後から、静かに此方へ近付いて来ている。

 

 意識が一瞬にして引き戻される。思考の海に沈みかけていた感覚が鋭く浮上し、周囲の輪郭が急激に鮮明さを取り戻す。

 呼吸を殺し、耳を澄ます。

 

 数は三人。間違い無い。足運びの間隔。体重の乗せ方。踏み込みの癖。音だけで人となりが滲む。

 

 一人は男。遠慮のない踏み込み。隠れる気配も、気取る様子も無い。岩肌を真っ直ぐ踏み締めている。荒っぽいわけではない。ただ、隠密という概念を最初から勘定に入れていない歩き方は、ある意味で非常に誠実だった。

 

 残り二人は女。一人は余計な癖が無い魔術師のもの。一定の間隔を保つ、落ち着いた歩き方。

 

 そして、残りの一人は足音が殆ど聞こえない。滴る水音や、坑道の反響に紛れて消えかける程に薄い足音。軽い、というより、余分な気配そのものを削ぎ落としている。

 常人であればまず聞き逃す。音が存在していると認識する前に、静寂の一部として流してしまう程度には自然だった。

 

 反射的に意識が研ぎ澄まされる。肌が空気の揺れを拾う。

 

 しかし——それも一瞬。

 

 次の瞬間にはその緊張は霧散していた。警戒を緩める、と言うよりはする必要が無い。そう判断するまでにコンマ一秒も掛からなかった。

 

 その三つの足音はあまりにも聞き慣れている。

 

 構えも無く、力も入れず。ただ、自然体のまま振り返る。

 

「やあ皆んな、奇遇だね」

 

 軽く零した声音が湿った空間に淡く溶ける。軈て闇の向こうから三つの影が浮かび上がった。光の乏しい坑道の中でも、それぞれの輪郭ははっきりと分かる。

 

「エイル……やっぱりいたか」

 

 先頭の男——グレンが肩を竦めるようにして言った。そこ低い声には、僅かな呆れと、そしてどこか納得したような響きが混じっている。

 

「……先越された」

 

 それに続くようにリゼが軽く息を吐く。半目に閉じられた瞳には、薄らと不貞腐れた色が浮かんでいる。苛立ちという程強くは無い。ただ、自分より先に辿り着かれたことが微妙に気に食わない——そんな子供っぽいとも言える感情が隠しきれずに漏れていた。

 

 尤も、その視線は既に俺では無く周囲へ向いている。転がる死体。飛び散った血痕。惨劇の残滓。それらを横目で流しながらリゼは僅かに眉を寄せた。

 

「うーん、流石に私達の方が早いと思ったんですけどね」

 

 最後にノエリシアが姿を見せる。長い髪を揺らしながら歩く姿は静かで、血と死臭に満ちた坑道の中ですら不思議と空気を乱さない。

 彼女もまた、先の二人と似た表情を浮かべていた。驚きというより、やはり、という感情。俺が先にいることを予想していた訳では無い。しかし居たとしても妙に納得してしまう。そんな温度の表情だった。

 

 四人の間に短い静寂が落ちる。

 

 坑道の奥から流れてくる冷気が、その隙間をゆっくりと通り抜けていった。

 

 最初に動いたのはグレンだった。無造作に死体の一つへ歩み寄り、血溜まりなど意にも介さず片膝をつく。湿った地面が鈍く音を立て、彼の靴底を赤黒く濡らした。

 

 転がる首を見下ろす。既に焦点を失った瞳。断面から覗く骨と肉。湿気を含んだ血臭がゆっくりと坑道の空気に溶けている。

 

「……酷いもんだな」

 

 低く、独り言のように声が漏れた。歴戦の探索者である彼にとって、死体そのものは珍しくもない。潰れた肉も、裂けた臓物も、積み重なった屍も。戦場では幾度となく見てきた。

 しかし、それでも。この場に残された痕跡はどこか異質に映る。抵抗の熱が薄い。悲鳴や怒号すら、まともに残らなかったような一方性。虐殺。その言葉が静かに馴染む。

 

 グレンはゆっくりと立ち上がる。転がる死体の群れへ視線を落としたまま、小さく鼻を鳴らした。

 

「……それで」

 

 態とらしく間を置く。坑道に滴る水音だけが、その空白を埋めた。それから、彼はゆっくりと此方を見る。

 

「エイル……まさかお前がやったのか?」

 

 そんな訳ないが???

 

「……やりかねない」

 

「もっと慈悲とか無かったんですか?」

 

 リゼが半目のまま呟く。その声音には妙な納得感があった。

 そして、それに続くようにノエリシアも小首を傾げる。しかも割と真面目な表情で。

 

 尤も、彼らの空気は軽い。半分は——いや、八割程度は冗談だ。

 流石に状況的にも動機的にも、俺がこの場を作り上げた可能性は低いと理解している。理解している、筈なのだが。

 

 不満気な俺の表情を一瞥し、ノエリシアが小さく唸る。それから転がる死体達へと視線を移した。

 

「んー……でもエイルくんなら普通に出来そうですよね」

 

「……違いない」

 

「制圧自体は余裕だろ。問題は死体の劣化具合だが、それもエイルの“遺物”なら再現出来る可能性がある」

 

「待って?」

 

 思わず低い声が漏れる。何故そんなに自然に評価しているのか。

 

「“明星”か“簒奪”か……いや“終刻”辺りならあり得るか。切った“怪遺”が風化して崩れるだろあれ」

 

「……確かに」

 

「似たようなもんだろ?」

 

「全然違うけど?」

 

 即座に否定する。

 

 俺の扱う七本一対の遺物。その内の一本『終刻』。存在寿命を削る力を持つそれは、斬りつけた武器や防具を急速に劣化させる。そして副次効果として、有機物の時間経過すら加速させることが可能だ。

 理屈だけなら。死体の時間を二、三日進める程度、確かに出来無くはない。しかし、それは大砲で鳩を撃つようなものだ。豆鉄砲で十分な事を態々過剰火力で捻じ伏せるに等しい。規模が小さ過ぎて、逆に難しいまである。

 

 そもそも俺はそんな無駄遣いしない。

 

「とにかく、俺じゃないよ」

 

「まあそれもそうだな」

 

 グレンはあっさりと引いた。最初から本気で疑っていた訳では無いらしい。知っていた。知っていた事ではあるが。釈然としない。

 

「お前なら死体すら残さないか」

 

「見た目が物騒過ぎるんですよね」

 

 ノエリシアが小さく息を吐く。

 

「エイルくん、割と綺麗好きなとこありますし」

 

「……血は残さない」

 

「皆んな、俺の事なんだと思ってる?」

 

 思わず抗議の声が漏れる。

 

「スカしやらかし野郎」

「……馬鹿」

「ルシアちゃんの件忘れてませんからね?」

 

「ぐぅ」

 

 ぐうの音も出ない。思っていたものとは違う角度からの口撃に踏鞴を踏む。こう言う時、賢者とは口を閉ざすものだ。雄弁は銀、沈黙は金。言わぬが花。

 

 そう、ここは黙るべき場面で——

 

「……いやでもあれはぁ……」

 

 反射的に口が動いた。……うん、愚者かな?

 

「まあ冗談は置いておいてだ」

 

 グレンが呆れたように鼻で笑う。

 

 しかしその一言で僅かに空気が戻る。視線が再び転がる死体達へと向けられた。血臭の漂う坑道の中、水滴の音だけが静かに響いている。

 

 湿った空気の中、グレンが続ける。

 

「……一先ず状況整理だ」

 

 声音が少しだけ低くなる。先程までの軽口が静かに引き、代わりに場へ満ちていくのは探索者としての空気だった。

 

 薄暗い坑道。血臭。崩れた肉塊。死が沈殿したような空間の中で、四人の意識が改めて事件へと向け直される。

 

 リゼが壁際に寄り掛かりながら、転がる死体を一瞥した。

 

「……最初に、これ」

 

 靴先で触れないように、死体の一つを軽く指す。その動作にグレンが軽く頷き、言葉を継いだ。

 

「儀礼剣を盗んだ奴らでほぼ間違い無いだろう」

 

 そう言って彼は死体の一つへ歩み寄る。頭頂部から下へ。身体を真っ二つに割られた肉塊。断面から覗く骨と臓物を気にも留めず、グレンは静かに屈み込んだ。

 

「特にコイツ」

 

 死体へ視線を落としたまま続ける。

 

「ラドゥ・シンダー。一年程前からシンドラストを名乗って活動している三人組の盗賊団のリーダーだ」

 

 シンドラスト。司祭から聞いた名と一致する。やはり情報そのものは正しかったらしい。

 

 グレンは視線を横へ滑らせる。首を断たれた死体。横薙ぎに胴を裂かれた死体。

 

「そっちがゴルム・ダスト。もう一人がヘルグ・スラッグだな」

 

 どうやら探索者協会で人相書きを持ち出していたらしい。数枚の紙束を片手に、死体と照らし合わせるように確認している。

 

 坑道に滴る水音だけが妙に静かに響いていた。三人の確認を終えたグレンは、書類へ目を落としたまま続ける。

 

「多少名前が通ってるのはコイツ等ぐらいで、後は有象無象。手配書が造られる程の悪党では無いから断定は出来ないが……まあ、人数も特徴と大体一致している」

 

「……問題は儀礼剣そのものが無い事ですが」

 

 ノエリシアが静かに口を開く。その視線は転がる死体達では無く周囲へと向けられていた。血痕、焚火跡、崩れた岩肌、そして足跡の痕跡。

 坑道そのものを観察するように、濃紺の瞳がゆっくりと動いていた。

 

 その瞳は暗闇の中で淡く発光している。おそらく暗視。加えて魔術的痕跡を追う術式も展開しているのだろう。

 

 静かな光が彼女の横顔を幽かに照らしていた。

 

「持ち去られている。或いは最初から持ち込まれていなかった、でしょうか」

 

 顎に指先を添えて小首を傾げる。そのまま視線を巡らせ、ふと目を細めた。

 淡い光が徐々に弱まっていく。伏せられた瞳の奥で、思考が沈んでいく気配があった。

 

「いや、少なくとも此処に在った事は確かかな」

 

 そう返すと彼女は更に目を細めて唸った。

 

「ならやはり前者ですか……」

 

「どっちにしろ現時点だと追えないな」

 

 グレンが頭を掻く。乾いた音が坑道に小さく響いた。

 

 俺は改めて死体達へと視線を落とす。圧倒的な強者に惨殺された盗賊達。そして消えた儀礼剣。下手人は候補こそあれど輪郭は曖昧。まるで霧越しに影を見ているように、全てがぼやけている。手掛かりは無く、事件は振り出しへと戻っている。

 

 何一つ綺麗には繋がらない。しかし逆に、その歪さこそがこの事件の異常性を物語っているように思えた。

 

 ふと、思い立ったように顔を上げる。

 

「そういえば皆んなはどうやって此処を?」

 

 問い掛けた瞬間。グレン達が揃って微妙な顔をした。苦虫を噛み潰したような表情。

 

「……協会に匿名で垂れ込みがあったらしい」

 

「それとなく今回の事件との関係性を仄めかすような内容だったそうです」

 

 ノエリシアが眉間を揉みながら続ける。

 

「ですが、誰からの情報なのかは全く分からない。記録も曖昧で、認識も妙にぼやけていたとか」

 

「……正体不明」

 

 リゼが短く呟く。

 

 探索者協会へ直接出向いた筈の人物。それにも関わらず、素性が一切掴めない。高位魔術師による認識阻害か。或いはそれに類する技術か。

 どちらにせよ。この事件に深く関わる人物である可能性は高かった。

 

 腕を組んで思考を巡らせている。するとグレンが此方に視線を向けた。

 

「エイルこそどうやって——」

 

 そこで一度言葉を切る。そして何故か、一人で勝手に納得したように頷いた。

 

「ああ。いや、分かりきった事か」

 

 そう言って、そのまま視線を死体へ戻してしまう。

 

 ……分かりきった事とは??

 

 グレン達は司祭とは面識が無い筈であるが、一体何を納得したのか。問い質そうと一歩踏み出した。その時だった。

 

「そういえば」

 

 控えめな声音。ノエリシアが静かに口を開く。

 

「事件に直接関係あるかは分かりませんが……少し気になって、この廃坑の所有者を調べてみたんです」

 

「え、所有者とかいるの?」

 

 ノエリシアが呆れたように眉を顰める。

 

「そりゃ所有者はいますよ」

 

 当然ですけど、とでも言いたげな表情だった。

 

「登記名義は第四王子——レグルス・ルクス・ヴェスペリア。名義の変更は約十年前。その時期にこの上の小屋も建てられています」

 

 その言葉に空気が僅かに変わる。湿った坑道の冷気とは別種の、静かな緊張。

 

「それから、王子は現在、王立博物館の館長職に就いています」

 

「館長……?」

 

 俺は眉を顰める。王族が管理職に名を連ねる事は珍しく無い。しかし王立博物館の館長が名誉ある職とは言い難い。

 

「王立施設は王家が管理してるから不自然じゃ無いけど。態々館長やってるの?」

 

「尤も、実質的な管理はアルゴールさんがしているみたいなので、言ってみれば名前だけって事ですね」

 

 静寂が落ちる。坑道の奥から冷えた風が流れ込む。その風は、血の匂いと共に、言い知れぬ不穏さまで運んできているようだった。

 

「第四王子、ねえ……」

 

 小さく声が漏れる。それにリゼが壁に背を預けたまま小さく答えた。

 

「……灰の王子」

 

「灰の王子?」

 

「ああ、さっき協会で聞いたが敵対派閥の連中が陰でそう呼んでるらしい」

 

 グレンが腕を組みながら答える。

 

「燃え滓王子、或いは“燃え滓”とも」

 

 灰。燃え滓。燃え尽きた後に残るもの。或いは、燃える炎から吐き出されたもの。

 

「随分嫌われてる……いや、上の王子が優秀だから比較されてるのかな」

 

「シリウス殿下を筆頭にあの御三方は優秀と言う言葉では収まりませんからね」

 

 尤も、とノエリシアは続ける。

 

「それを抜きにしても嫌われてはいるみたいですが」

 

 坑道の奥から吹き込む冷気が、彼女の長い髪を静かに揺らす。

 

「目立ちたがりで傲慢……まあ見ての通りだったが。衣装、装飾、振る舞い。何もかもが過剰。敵対派閥の貴族達から嫌われるのも仕方ない」

 

 そう吐き捨てるグレンの声音には少なからず実感の部分が含まれていた。

 

 坑道へ静寂が落ちる。水滴が落ちる音だけが小さく反響した。

 

 俺はぼんやりと天井を見上げる。目立ちたがり。傲慢。自己顕示欲の塊。そういう人物像であるなら、逆にこの廃坑の存在は妙に噛み合わなかった。

 

 こんな場所。王都から切り離された死地のような廃坑。人知れず蓋をされ、忘れ去られるように放置されていた場所。そんな陰気な穴倉は、舞台の中央に立ちたがる人間には似合わない。だからこそ、余計に引っ掛かる。

 

 何故、第四王子がこんな場所を所有しているのか。一体何の為に。何かを隠す為か、或いは

 

 思考が沈みかけた、その時。グレンがふと思い出したように口を開いた。

 

「そう言えば“桃影(とうえい)”の話も出たな」

 

 その名が落ちた瞬間、坑道の空気が僅かに揺れた気がした。滴る水音。湿った岩肌。鼻腔に纏わり付く鉄臭さ。そんな陰鬱な空間の中で、『桃影』という言葉だけが妙に輪郭を持って耳へ残る。

 

 リゼが壁へ背を預けたまま、気怠げに目を細めた。

 

「……義賊気取り」

 

「桃影?」

 

 聞き返すとグレンが少し意外そうな表示をした。

 

「知らないのか?」

 

「初耳」

 

「珍しいですね。エイルくんそう言う話いつの間にか知ってたりするのに。今朝少し義賊の話が出た時には知っていたと思ってました」

 

 ノエリシアが静かに口を開いた。濃紺の瞳が、淡く坑道の闇を映している。

 

「最近、王都周辺で噂になっている盗人です。貴族の裏金や違法取引品ばかりを狙うので“義賊”扱いされています。しかも盗んだ金が孤児院やスラムに流れているとか」

 

 グレンが鼻を鳴らして続ける。

 

「まあ尾鰭はついているだろうが」

 

 坑道へ静寂が落ちる。ぴちゃん、と。どこか遠くで水滴が落ちた。その音がやけに大きく響く。

 

 俺は転がる死体達へ視線を落とした。裂けた肉。飛び散った血。崩れた骨。湿気を吸った鉄臭さが、肺の奥へ重く沈んでいく。凄惨だった。しかし奇妙な事に、この場には荒々しさが薄い。

 怒りに任せて暴れ散らかしたような痕跡では無い。もっと冷たい。もっと静かなものだ。必要だから殺した。必要だから排除した。そんな作業にも似た温度の低さだけが残っている。

 

「……もしかして」

 

 ぽつりと、と漏らす。

 

「その“桃影”の仕業だったりするかもね」

 

 空気が僅かに静まる。グレンが腕を組んだまま死体へ視線を落とした。

 

「可能性はあるな」

 

「前に聞いた事があります」

 

 ノエリシアが静かに続ける。

 

「桃影に狙われた盗賊団が一夜で壊滅した、と」

 

 彼女の声音は淡々としている。しかし内容そのものは薄ら寒かった。

 

「二、三十人程度の中規模盗賊団だったとか。それなりに名の通った賞金首まだ居たそうですが、それらも含めて皆殺しだったそうです」

 

「今回と似てるね」

 

 短く頷いて彼女は続ける。

 

「義賊と聞くと聞こえはいいですが、結局裏の人間である事に変わりはありません。必要なら殺しも厭わないでしょう」

 

「まあ盗賊相手に綺麗事だけで済ませられる訳も無い」

 

 グレンも低く同意した。

 

 坑道の冷気がゆっくりと肌を撫でていく。その寒さはどこか死体達の温度と似ていた。冷えている。完全に。もう何も語らない程度には。

 

 俺は腕を組み、静かに思考を巡らせる。桃影と言う名の義賊。全滅した盗賊団。そして消えた儀礼剣。確かに筋は通る。

 博物館の、あの場に居たであろう実力者と同一視するには暴論が過ぎるが、他に手掛かりがない以上、少なくともこの廃坑の一件に関しては有力な下手人候補と言える。しかし——

 

「……でも、それで結局桃影って何者なのさ」

 

 ぽつりと漏れた言葉に、三人が揃って微妙な顔をした。

 

 グレンが小さく鼻を鳴らす。

 

「それが分かれば苦労は無いな」

 

「通り名以外、殆ど情報がありません」

 

 ノエリシアが静かに続ける。

 

「年齢、性別……何一つ確定してません。目撃証言すら一貫性が無く、大男だったと言う話もあれば、逆に華奢な少女だったと言う話もあります。傾向としては大男である事が多いようには思えますが」

 

「単独犯だって言う話も、複数犯だって話もある。そもそも、本当に存在しているか怪しいと言う奴までいる」

 

「強いて言えば通り名の桃影ですが……。それも一瞬だけ桃色のような影を見たような気がする。と言った証言が比較的多い事から付けられたもの……」

 

 ノエリシアはそこで一度区切り、手に持っていた杖を額へと添える。それから小さく息を吐いて続けた。

 

「どちらにせよ、あまり鵜呑みにして良い情報では無さそうですね」

 

 それってつまり何も分からないのでは。都市伝説かな?

 

 ぴちゃん、と。また水滴が落ちる。坑道の闇は深い。その奥は何も見えず、まるで今の状況そのものだった。

 第四王子。桃影。消えた儀礼剣。点だけは増えていくが、その中心だけが未だ霧の中だ。

 

 何一つ掴めていない。事態は振り出しに戻ったまま。いや、寧ろ最初よりも余計に分からなくなっているのかも知れなかった。

 

 ……それで、結局ルシアは??????

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