バトル・ロワイアル ようこそ虐殺至上主義の教室へ 作:カツカレー!
三宅明人が目を覚ましてから最初の一時間ほどは、自分でも驚くくらい冷静だった。
首に取り付けられた金属製の管理装置、見知らぬ島、七十二時間という制限時間、
禁止区域、そして最後に生き残った一人だけがゲームを終えられるという条件。
どれも現実離れしているはずなのに、あまりにも一方的かつ具体的に説明されたせいで、
逆に否定する余地がほとんど残されていなかった。
部屋を出れば同じ制服を着た生徒たちが怯えた顔で周囲を窺い、
遠くではすでに銃声らしい音まで響いていたため、これは悪趣味な映像企画でも、
学校側が用意した脅かし程度の催しでもないのだと認めざるを得なかった。
それでも明人が取り乱さずに済んだのは、自分のことより先に考えなければならない相手がいたからだった。
波瑠加。
愛里。
啓誠。
清隆。
四人がどこにいるのか分からないという状況が、かえって明人の思考を単純にしていた。
自分一人なら、どこへ逃げるべきか、誰を信用するべきか、
最後の一人という条件をどう受け止めるべきかなど、答えの出ない問題に捕まっていたかもしれない。
しかし今は、四人を探すことが先だった。
少なくとも再会するまでは、このゲームの最終条件について深く考える必要はない。
そんなふうに順番を決めることで、明人は恐怖に飲まれずに動くことができていた。
彼が目を覚ましたのは、島の西側にある旧工場地区の一角だった。
長く使われていない作業員用の休憩施設らしく、建物の周囲には錆びたフェンスが続き、
その向こうには低い工場棟や倉庫が並んでいた。
ところどころに大きな配管が走り、風が吹くたび、金属板のどこかが小さく震える音が聞こえてくる。
人の生活が消えてからかなり時間が経っているのだろうが、
建物そのものはまだ形を保っており、道路も歩けないほど荒れているわけではなかった。
支給された黒いバッグを開けたとき、明人は最初に自分の運が悪くないことを理解した。
水、保存食、懐中電灯、地図、端末、応急用品という共通物資のほかに入っていたのは、太い金属製の懐中電灯だった。
武器として支給された物ではないのかもしれないが、
少なくとも暗い場所で役に立ち、手に持てば多少の安心感もある。
拳銃や散弾銃が配られているという説明を聞いたあとでは、それでも十分とは思えなかったが、
波瑠加や愛里がどんな物を引いたのかを考えれば、自分だけが強力な物を欲しがる気にもなれなかった。
部屋を出てから明人は、同じ建物に配置されていた十人ほどの生徒としばらく行動を共にしていた。
その中には顔だけ知っている生徒もいたが、親しい相手はいない。
だからこそ、必要以上に距離を詰めることもなければ、最初から敵視することもなかった。
全員が互いのバッグを気にしながらも、支給品について尋ねることは避けている。
その不自然な沈黙が、このゲームの異常さを何よりよく表していた。
明人は地図を確認し、中央部へ直接向かうより、まず工場地区を抜けて住宅地区側へ移動することを考えた。
中央施設には多くの生徒が集まる可能性が高い。
そこへ波瑠加たちが向かうことも十分考えられるが、同時に危険な支給品を持つ者も集まりやすい。
ならば最初から人の流れが集中する場所へ突っ込むより、周辺地域を通って仲間を探しながら近づいた方がいい。
そう判断して歩き始めた直後だった。
背後から名前を呼ばれた。
「明人」
明人は足を止め、振り返った。
工場棟の陰から一人の男子が歩いてくる。
眼鏡。
見慣れた顔。
表情には疲れと警戒が混じっていたが、間違えるはずがない。
「啓誠」
その瞬間、明人の肩から少しだけ力が抜けた。
幸村輝彦も同じだったらしく、明人のところまで来ると大きく息を吐いた。
「無事だったか」
「ああ。そっちもな」
「今のところはな」
啓誠は周囲を確認してから、明人のバッグへ視線を向けた。
「一人か?」
「さっきまでは何人かと一緒だったけど、俺は別れた。波瑠加たちを探したい」
「俺も同じだ」
それを聞いた明人は少し笑った。
「やっぱりそうなるよな」
「当然だろ。五人全員が巻き込まれていると分かった以上、放置して動く理由がない」
啓誠らしい答えだった。
感情を前面に出す言い方ではない。
それでも、何を優先しているのかは十分伝わった。
「清隆は見てない?」
「見ていない。愛里も波瑠加もだ」
「俺もだ」
二人はそこで短く情報を交換した。
啓誠が目を覚ましたのは工場地区の南側にある倉庫棟で、そこから北へ移動してきたらしい。
その途中で複数の生徒を見かけたが、綾小路グループの三人はいなかったという。
「支給品は?」
明人が尋ねると、啓誠は少しだけ眉を寄せた。
「双眼鏡だ」
「それ、当たりじゃないか?」
「少なくとも玩具よりは役に立つだろうな。遠くから人の動きを確認できる」
「俺は懐中電灯」
明人が見せると、啓誠は頷いた。
「夜まで生きているなら重要になる」
その言い方が妙に現実的で、明人は苦笑した。
「夜まで生きているなら、か」
「楽観できる状況じゃないからな」
「まあ、それはそうだけどさ」
啓誠は地図を広げた。
「波瑠加たちが中央を目指すと仮定するなら、住宅地区側から入る可能性が高い。
配置場所が完全にランダムなら断定はできないが、中央へ向かう人間の流れ自体はある程度読める」
「じゃあ俺たちも中央へ?」
「一直線には行かない。銃声が聞こえた」
明人も同じ音を聞いていた。
乾いた音が何度か響き、そのあと端末の表示が百五十九名へ変わった。
誰が死んだのかは分からない。
ただ、一人減った。
それだけは確かだった。
「先に住宅地区の西側を通る。そこから中央へ近づけば、他の生徒と接触する機会も増える。
波瑠加たちの情報を持っている奴がいるかもしれない」
「了解」
啓誠がいるだけで、明人は自分一人だったときより判断しやすくなった。
それは単に頭のいい人間が隣にいるからではない。
五人のうち二人が再会できたという事実が大きかった。
このまま残り三人も見つかるかもしれない。
その希望が、状況の悪さを一時的に遠ざけていた。
二人は工場地区を歩き始めた。
道路の左右には大きな建物が続き、人影は少ない。
だからこそ遠くから足音が聞こえるたびに、どこから誰が現れるのか分からず緊張した。
「明人」
「ん?」
「人がいる」
啓誠が小声で言った。
明人も前方を見る。
交差点の向こう。
三人の男子生徒がいた。
向こうもこちらに気づいている。
距離は五十メートルほど。
すぐに近づいてくる様子はない。
明人は歩みを止めた。
「どうする?」
「まず声を掛ける。ただし距離は詰めない」
啓誠が答える。
「敵意はない!」
明人が声を張った。
向こうの三人は顔を見合わせる。
「こっちもだ!」
返事が来た。
声に聞き覚えはない。
「誰か探してる!」
「誰をだ!」
「長谷部波瑠加、佐倉愛里、綾小路清隆!」
少し間があった。
「見てねえ!」
それだけだった。
明人はさらに尋ねた。
「中央へ行くのか?」
「分からん!今は禁止区域の通知待ちだ!」
「そっちで銃声聞いたか?」
「ああ!」
会話は成立している。
しかし、お互いに一定以上近づこうとはしなかった。
明人はそれを不思議には思わなかった。
昨日までなら、同じ学校の生徒同士が遠くから怒鳴り合う理由などなかった。
今は違う。
相手が何を持っているか分からない。
何を考えているかも分からない。
しかも最後には一人しか残れない。
その条件があるだけで、普通の会話にも距離が必要になる。
「行こう」
啓誠が言った。
明人も頷いた。
三人の男子とそれ以上関わる理由はなかった。
互いに敵意がないうちに離れた方がいい。
二人は別方向へ進んだ。
しばらく歩いたところで、明人は振り返った。
三人はまだ交差点にいた。
こちらを見ている。
「嫌な感じだな」
「何が?」
「別にあいつらが危険って意味じゃない。
知ってる奴でも知らない奴でも、誰かを見るだけで警戒しなきゃならないのがさ」
啓誠は少し黙った。
「それが目的なんだろう」
「このゲームの?」
「ああ。武器を配るだけなら、全員が逃げ続ける可能性もある。
だが最後の一人という条件と禁止区域を組み合わせれば、
時間が経つほど人間は接触せざるを得なくなる。
接触すれば疑う。疑えば、先に動いた方が有利だと考える人間も出てくる」
「啓誠、そういうこと普通に言うの怖いぞ」
「考えない方が危険だ」
「分かってるよ」
明人は頭を掻いた。
啓誠は冷静だ。
だから助かる。
けれども同時に、その冷静さがこのゲームの構造をはっきり見せてしまう。
明人は遠くの空を見た。
雲は少なく、天気はいい。
海から来る風も穏やかだった。
それなのに、島全体を覆っている空気だけが重い。
「波瑠加、絶対怒ってるだろうな」
明人が言った。
「何にだ?」
「こんなゲームに巻き込まれたことに決まってるだろ。それで愛里を探して走り回ってそうだ」
「十分あり得る」
「愛里は逆に、どこかで動けなくなってそうだな」
「だから早く見つける必要がある」
「清隆は?」
啓誠は少し考えた。
「一番心配する必要がない気もする」
「それは分かる」
明人も笑った。
清隆が何を支給されているかは分からない。
それでも妙に、生き残っている姿だけは想像できた。
普段から目立たず、騒がず、必要以上に人と争わない。
こういう状況では、そういう人間の方が強いのかもしれない。
「でも、清隆も探す」
明人が言うと、啓誠は当然のように頷いた。
「全員だ」
その言葉を聞いて、明人は少し安心した。
最後の一人。
ゲームの説明を受けた以上、その条件は頭から消えない。
それでも今の二人にとって、五人で集まるという目標の方がまだ現実的だった。
少なくとも開始から数時間で、友達を敵として見ることなどできない。
工場地区を抜ける頃、二人の端末が同時に振動した。
第一回禁止区域の予告。
地図上の複数地点が赤く表示される。
啓誠はすぐに立ち止まり、紙の地図と端末を見比べた。
「工場地区の北西側が入ってる」
「俺たちは?」
「今いる場所は大丈夫。ただし、このまま西へ戻る道は使いにくくなる」
「中央へ押されるな」
明人が言うと、啓誠は頷いた。
「俺たちだけじゃない。北西側にいる生徒は全員南か東へ動く。つまり住宅地区と中央部へ人が増える」
「人が増えるなら、波瑠加たちを見つけやすくなる」
「同時に危険も増える」
「分かってる」
明人はそう答えたものの、実際には期待の方が勝っていた。
人が集まれば、それだけ情報も集まる。
誰かが波瑠加や愛里を見ているかもしれない。
その考えは間違っていなかった。
ただし、人が集まるということが別の意味も持っていることを、明人たちは数十分後に知ることになる。
住宅地区へ入ったところで、急に前方が騒がしくなった。
十人以上の生徒が道路の中央に集まっている。
その中の数人が大声で言い争っていた。
明人と啓誠はすぐに近づかず、建物の陰から様子を確認した。
「何があったんだ?」
「分からない」
啓誠が双眼鏡を取り出す。
「武器を奪おうとしてるようには見えない。ただ、バッグを巡って揉めてる」
しばらく見ていると、事情が分かってきた。
一人の男子が食料を多く持っていると思われ、他の生徒が分けるよう求めているらしい。
しかし男子は、自分の分まで渡したら三日持たないと拒否している。
誰かが「みんなで協力するなら共有するべきだ」と言い、
別の誰かが「最後には一人なんだから意味がない」と言い返している。
殺し合い以前の問題として、この島では水も食料も安全に休める場所も、
そして誰がどこにいるのかという情報さえも限られており、そのどれもが生徒同士の争いを引き起こす理由になり得た。
明人たちが目にしている揉め事も、最初から誰かを傷つけることを目的として始まったわけではない。
限られた食料を誰がどれだけ持つのかという、ごく単純な問題から声が大きくなり、
互いに疑い始めたことで収拾がつかなくなっているだけだった。
「止めるか?」
明人が尋ねても、啓誠はすぐには答えなかった。
怒鳴り合っている生徒たちの人数や周囲の状況を確認し、
自分たちが介入した場合に何が起きるのかを考えている。
「俺たちが入ったところで、状況が良くなる保証がない。それどころか、こっちまで巻き込まれる可能性がある」
「でも、このまま放っといたら余計に酷くなるかもしれないだろ」
「分かってる。だから迷ってるんだ」
啓誠自身も、危険だから離れればいいと簡単に割り切れているわけではなかった。
そのとき、人混みの中から女子の悲鳴が上がった。
明人は反射的に走り出しかけたが、啓誠がすぐに腕を掴んだ。
「明人、待て!」
「でも――」
「先にあれを見ろ!」
啓誠が指した先で、一人の男子がバッグから拳銃を取り出していた。
まだ誰も撃っていない。
銃声も聞こえていない。
それでも、それまで食料を巡って怒鳴り合っていた生徒たちは、
拳銃が見えたというだけで一斉に口を閉ざし、誰に指示されたわけでもなく男子から距離を取り始めた。
そして最も怯えているように見えたのは、周囲の生徒ではなく拳銃を持っている本人だった。
男子の手は震えている。
「来るな!」
威嚇しているはずの声にも余裕はなく、自分へ近づこうとする人間を遠ざけることだけに必死になっている。
「俺のなんだ!取ろうとするな!」
食料をどう分配するかという話は、その瞬間に意味を失った。
誰も近づこうとはしない。
明人は建物の陰からその様子を見ながら、男子が本当に引き金を引くつもりなのか考えた。
しかし、どれだけ見ても答えは出なかった。
「撃つつもりなのか?」
「分からない」
啓誠も男子から目を離さなかった。
「もしかしたら、本人にも分かってないのかもしれない」
その状態こそが、明人には何より怖かった。
最初から明確な悪意を持ち、自分たちを傷つけようとしている相手なら、近づかずに避ければいい。
しかし目の前の男子から感じられるのは、誰かを傷つけたいという積極的な意思ではない。
怖いから自分を守りたい。
自分の物を奪われたくない。
ただそれだけの理由で拳銃を持ち出している。
だからこそ、次に何をするのか誰にも読めなかった。
「別の道へ行こう」
啓誠がそう判断すると、明人は悔しそうに人混みを見たものの、最後にはその意見に従った。
自分一人なら、もう少し残って様子を見たかもしれない。
だが今は啓誠がいる。
そして、まだ見つけられていない波瑠加、愛里、清隆もいる。
ここで無関係な争いへ飛び込み、自分たちまで動けなくなれば、三人を探すことさえできなくなる。
二人は揉め事の起きている場所を避け、住宅地区の裏道へ入った。
それからしばらく進んだところで、背後の遠い場所から乾いた破裂音が一度だけ聞こえた。
明人は思わず足を止めた。
啓誠も同じように振り返る。
誰が撃ったのかも、誰かが傷ついたのかも、さっきの揉め事がどうなったのかも分からない。
確かめるには戻るしかない。
しかし二人とも、来た道へ足を向けることはなかった。
「明人」
啓誠が名前を呼ぶと、明人はしばらく背後を見つめたあと、ゆっくり前を向いた。
「分かってる。戻らない」
自分たちが介入していれば止められたのかもしれない。
逆に、介入したことで状況をさらに悪化させていたかもしれない。
どちらが正しかったのかを確かめる方法はなく、その答えを探し続けたところで三人には近づけない。
だから今は進むしかなかった。
住宅地区を南東へ抜けていく途中、二人は何人もの生徒とすれ違った。
単独で周囲を警戒しながら歩いている者もいれば、二人で行動している者もおり、
さらに五人ほどで固まって移動している集団もいる。
それぞれ違う方向から現れ、互いに一定の距離を取りながら別の場所へ向かっていった。
明人はそうした生徒と出会うたび、警戒されない程度の距離を残して同じ質問を繰り返した。
「長谷部波瑠加、佐倉愛里、綾小路清隆を見なかったか?」
ほとんどの生徒は知らないと首を振った。
しかし六組目の集団へ尋ねたとき、初めて反応が変わった。
「佐倉なら見たかも」
明人は反射的に一歩近づこうとしたが、啓誠が腕を出して制した。
「どこで見た?」
「北東の森林地区。たしか小野寺と一緒だったと思う」
「いつ頃だ?」
「一時間くらい前かな」
明人と啓誠は顔を見合わせた。
一時間前という条件付きではあるものの、初めて得られた具体的な目撃情報だった。
少なくともその時点まで、愛里は無事だったことになる。
「ありがとう。ほかに誰か一緒にいなかったか?」
明人が尋ねると、生徒は少し記憶を辿ってから答えた。
「十人くらいの集団だったと思う。南の方へ向かってたぞ」
啓誠はすぐに地図を広げ、北東の森林地区から南へ延びている経路を確認した。
「そのまま南へ移動しているなら住宅地区へ入る。禁止区域を避けながら中央へ向かっている可能性も高い」
「だったら俺たちとかなり近いじゃないか」
明人の声が、それまでより明らかに明るくなった。
何も分からないまま歩き続けていた状況から、ようやく愛里の位置を推測できるだけの情報が手に入った。
一時間前には愛里が北東の森林地区にいた。
小野寺と一緒だった。
十人程度の集団で南へ向かっていた。
さらに禁止区域による移動を考えれば、中央部へ近づいている可能性が高い。
それまで別々だった情報が、一本の経路として繋がっていく。
「行こう」
明人が言うと、今度は啓誠も迷わず頷いた。
二人は歩調を速めた。
もちろん、ここから先をずっと全力で走るわけにはいかない。
残り時間を考えれば体力を無駄に使うことも危険であり、何かあった時に走れなくなれば本末転倒になる。
それでも、行き先の分からなかった先ほどまでとは明らかに速度が違っていた。
住宅街の坂を上り、中央施設へ続く道へ近づく。
途中で何度か遠くから銃声が聞こえたが、
二人はそのたびに音の方向と地図を確認し、できる限り近づかない経路を選んだ。
「もし愛里を見つけても、波瑠加が別行動してたら、また探し直しだな」
明人が歩きながら言う。
「当然だ。愛里が見つかったからといって終わりじゃない」
「清隆もいるしな」
「ああ」
明人は少し考え、苦笑した。
「俺たち、結構忙しいな」
啓誠も地図から一瞬だけ顔を上げる。
「今さら気づいたのか」
その口元には、ほんの僅かに笑みが浮かんでいた。
こうした会話を交わせるだけでも、明人には少し救われるものがあった。
普段とまったく同じ状況ではない。
いつもの学校でもなければ、いつもの放課後でもない。
それでも少なくとも、自分と啓誠の関係までこのゲームに壊されたわけではなかった。
それだけでも、今は十分だった。
坂を越えると道路が広くなり、中央施設へ近づくにつれて生徒の姿も明らかに増えていった。
最初は五人ほどだったものが、その先には十人程度の集団があり、さらに奥にも別の人影が見える。
禁止区域の拡大によって周辺地区から移動を余儀なくされた生徒たちが、少しずつ中央へ集まり始めているのだろう。
啓誠が双眼鏡を構えた。
しばらく無言で前方を確認していたが、突然その表情が変わる。
「明人、いた」
「誰が?」
「愛里だ」
明人は思わず啓誠から双眼鏡を奪いそうになったが、すぐに思いとどまった。
「どこにいる?」
「前方右側。二十人以上いる集団の中だ」
明人は肉眼で目を凝らしたものの、距離があるため顔までは判別できない。
啓誠から双眼鏡を受け取り、教えられた方向を確認する。
大きな集団の中に、見覚えのある女子生徒がいた。
愛里だった。
間違いない。
「本当だ。愛里だ」
その姿を確認できただけで、胸の奥に張りつめていたものが一気に軽くなった。
しかし、隣で見ていた啓誠がすぐに別のことへ気づいた。
「待て。愛里の隣も見てみろ」
明人は双眼鏡を少し横へ動かした。
そこにいたのは、水鉄砲を手にした見慣れた女子生徒だった。
明人は思わず笑ってしまう。
「波瑠加もいるじゃないか」
「やっぱり二人で行動していたのか」
「それより、何で水鉄砲なんか持ってるんだよ」
「支給品だろ」
「このゲームで水鉄砲?」
啓誠は呆れたように答えたものの、すぐに別のものへ気づいた。
「愛里も変な物を持ってるぞ」
「え?」
明人は再び愛里へ双眼鏡を向け、右手に持っている赤と黄色の玩具を確認した。
「……ピコピコハンマー?」
啓誠も横から確認する。
「そう見えるな」
「二人とも引きが悪すぎないか?」
「笑っている場合じゃない」
そう言いながらも、啓誠の表情からも先ほどまでの険しさが少しだけ消えていた。
二人とも生きている。
今は、それだけでよかった。
何を支給されたのかなど、本当はどうでもいい。
明人は双眼鏡を下ろした。
「行こう。二人と合流する」
二人は集団へ向かって歩き始めた。
まだ声が届く距離ではないため、明人は自然と歩調を速める。
近づくにつれて向こうの集団も二人の存在へ気づき、何人かが警戒するようにこちらを見始めた。
それは当然だった。
見知らぬ方向から二人の男子がまっすぐ近づいてきており、
しかも明人は手に太い金属製の懐中電灯を持っている。
啓誠も同じことを理解していた。
「明人、これ以上いきなり近づくな」
「分かってる」
二人は集団の少し手前で立ち止まり、明人は敵意がないことを示すために両手を見える位置まで下げた。
それから集団の中へ向けて声を張る。
「波瑠加!」
何人もの生徒が振り返った。
その中で、一人の女子だけが明らかに違う反応を見せた。
「……みやっち?」
聞き慣れた呼び方が返ってきた瞬間、明人は自然に笑った。
「おう!」
波瑠加はすぐに隣にいる愛里の腕を掴んだ。
「愛里!みやっちだよ!」
愛里もこちらを見る。
「明人くん!」
さらに波瑠加は明人の少し後ろへ視線を移し、もう一人にも気づいた。
「ゆきむーもいる!」
啓誠は大きな反応こそ見せなかったものの、二人へ向けて僅かに手を上げた。
「波瑠加、愛里」
呼んだのは二人の名前だけだった。
それでも、その表情は明人が今日見た中で一番穏やかなものだった。
双方の間には、まだ多少の警戒が残っていた。
明人たちだけなら問題はないが、波瑠加と愛里がいる側には大勢の生徒がおり、
逆に集団側から見れば二人が本当に友人なのか判断できない。
それでも波瑠加が事情を説明し、愛里も何度も頷いたことで、ようやく二人が近づくことを許された。
明人が二人のところまで来ると、波瑠加は安心したような表情を見せるより先に、いつもの調子で口を開いた。
「遅い!」
「第一声がそれかよ。俺たちだってずっと探してたんだぞ」
「ほんとに?私たちがどれだけ探したと思ってるの?」
「ほんとだって。啓誠と二人で会う奴みんなに聞いて回ってたんだからな」
波瑠加はしばらく疑うように明人を見ていたものの、やがて張りつめていた表情を緩めた。
「……よかった」
その一言だけは、普段の軽い調子とは違っていた。
明人もそれ以上ふざけることはせず、静かに頷いた。
「ああ。二人とも無事でよかった」
愛里も明人へ近づく。
「明人くん、怪我してない?」
「大丈夫だ。愛里も平気か?」
「うん。私は大丈夫」
愛里は続いて啓誠を見る。
「啓誠くんも大丈夫?」
「問題ない。二人とも無事なら、それでいい」
ようやく四人が揃った。
明人は目の前にいる三人を見ながら、胸の奥に残っていた緊張が少しずつほどけていくのを感じた。
波瑠加がいる。
愛里がいる。
啓誠もいる。
そして自分もここにいる。
残るのは清隆だけだった。
「ところでさ」
明人は改めて波瑠加の手元を見る。
「それ、本当に水鉄砲なのか?」
波瑠加はすぐには答えなかった。
一瞬だけ、視線が明人の後ろへ――誰もいない場所へ向けられる。
それからいつもの調子を取り戻すように、水鉄砲を軽く持ち上げた。
「そうだけど。何か文句ある?」
「いや、この状況で水鉄砲ってすごいなと思って」
「私だって好きで引いたわけじゃないし」
明人は今度は愛里を見る。
「愛里はそれか?」
愛里は少し恥ずかしそうに、ピコピコハンマーを持ち上げた。
「うん。これだった……」
「ちょっと貸して」
「明人くん?」
明人は愛里から受け取ると、手の中で軽く振ってみた。
ピコッ。
緊張感のない音が鳴った瞬間、波瑠加がすぐに呆れた顔を向ける。
「みやっち、何でわざわざ試すの?」
「いや、本当に鳴るのかなと思って」
啓誠も呆れたように明人を見る。
「見れば大体分かるだろ」
「こういうのは実際に確認するのが大事なんだよ」
「何の確認なんだ」
愛里が困ったように笑った。
ほんの短い時間ではあったが、その場にいつもの四人に近い空気が戻った。
明人には、それが何より嬉しかった。
ゲーム開始からまだ数時間しか経っていない。
それでも島ではすでに犠牲者が出ており、どこかでは銃声が続き、生徒たちは互いを警戒し始めている。
そんな状況でも、自分たちはまだこうして笑うことができる。
だから何とかなる。
少なくとも明人は、その瞬間だけは本気でそう思っていた。
しかし啓誠は、すぐに現実へ意識を戻した。
「清隆は?」
波瑠加と愛里は揃って首を振る。
「まだ見つけてない。私たちもずっときよぽんを探してるんだけど」
「目撃情報は?」
「今のところないよ」
明人は周囲を見渡した。
中央へ近づいているため人の数は増えている。
これだけの人数がいるなら、誰か一人くらい清隆を見ていてもおかしくない。
「だったら、次は清隆だな」
波瑠加もすぐに頷く。
「もちろん。四人まで集まったんだから、あとはきよぽんを見つけるだけ」
愛里も同意する。
「清隆くんを探そう。きっとどこかにいると思う」
啓誠は地図を広げ、現在地と中央施設までの経路を確認した。
「中央施設へ向かおう。ただ、この人数の集団でそのまま移動するのは目立ちすぎる。
途中で別の集団と接触した場合、人数が多いだけで警戒される可能性もある」
「じゃあ、どうするの?」
波瑠加が尋ねる。
「状況によっては少人数へ分かれる必要がある。ただし、俺たち四人はできるだけ離れない方がいい」
その言葉は、普段の啓誠にしては珍しく、合理性だけで決めたようには聞こえなかった。
明人は何も指摘しない。
自分もまったく同じ気持ちだったからだ。
ようやく四人まで集まった。
ここで再びバラバラになる理由はない。
少なくとも、清隆を見つけるまでは一緒にいたかった。
そのとき、四人の端末がほぼ同時に振動した。
明人はすぐに画面を見る。
表示されている生存者数は百五十四名。
少し前には百五十六名だった数字が、さらに二つ減っている。
先ほどまで笑っていた四人から、同時に表情が消えた。
誰がいなくなったのかは分からない。
だが確実に、島のどこかで二人がゲームから脱落した。
最初に端末を閉じたのは波瑠加だった。
「きよぽんじゃない」
その口調は強かった。
根拠を示しているのではなく、自分自身へ言い聞かせているようにも聞こえる。
愛里も小さく頷いた。
「うん。清隆くんじゃないよ」
啓誠も画面を閉じる。
「確認できない以上、今はそう考えるしかない。清隆を探すことを優先しよう」
明人は三人を順番に見たあと、自分も端末をしまった。
「清隆は生きてる。だったら見つければいい」
根拠はない。
それでも今は、そう信じるしかなかった。
周囲では、大きな集団から離れて少人数で移動し始める者、そのまま中央施設へ向かう者、
禁止区域を避けるため別方向へ進む者が現れ、人の流れが少しずつ分かれ始めていた。
明人たちも移動する準備を整える。
歩き出す直前、明人は三人へ向き直った。
「俺が少し前を歩く。何かあったら先に気づけるから」
波瑠加がすぐに眉を上げた。
「何でみやっちだけ前なの?」
「何でって、誰かが前を見てた方がいいだろ」
「そういう意味じゃなくて、自分だけ前に出ようとするのやめなよ」
明人は少し困ったように波瑠加を見る。
「別に格好つけてるわけじゃないって」
「分かってるから言ってるの。このゲームで誰か一人が全部守ろうとしたら、その人だけ危なくなるでしょ」
波瑠加の表情は真剣だった。
愛里も心配そうに明人を見ている。
啓誠は口を挟まなかったが、波瑠加の意見を否定する様子もない。
明人は少し考えたあと、仕方なさそうに笑った。
「分かったよ。じゃあ本当に少しだけ前を歩く。それくらいならいいだろ」
「少しだけね」
「はいはい」
「返事が軽いんだけど」
「波瑠加が細かいんだって」
「何それ」
そんなやり取りを交わしながら、四人は中央施設へ向かって歩き始めた。
明人が少し前を歩き、啓誠が地図と周囲を確認し、その近くを波瑠加と愛里が進む。
最初から役割を決めたわけではない。
ただ四人で歩き始めると、自然にそういう形になった。
明人は進みながら何度も周囲を確認した。
曲がり角へ近づけば先を覗き、窓のある建物を通れば内部に人影がないかを見て、
遠くの道路に誰かがいれば不用意に近づかない。
敵意がなさそうなら距離を保ったまま情報を交換し、少しでも危険を感じれば別の道を選ぶ。
啓誠と二人だけだった時よりも、明人の行動は慎重になっていた。
守らなければならない相手が増えたからだ。
そう考えたところで、明人は自分の中にある感情が少し違うことに気づいた。
守るべき相手が増えたのではない。
失いたくない相手が、今は目の前にいる。
その違いだった。
明人は歩きながら一度だけ後ろを振り返った。
波瑠加が愛里へ何かを話し、愛里が小さく笑っている。
その少し横では、啓誠が地図を確認しながら二人へ進行方向を伝えていた。
見慣れた光景だった。
ただ一人だけ足りない。
「清隆……」
明人は誰にも聞こえない程度の声で名前を呟いた。
早く見つけたい。
五人で集まりたい。
清隆まで見つかれば、今より少しは安心できる。
明人はそう考えていた。
それでも頭の片隅には、どうしても消すことのできない言葉が残っている。
このゲームの最終生存者は一人。
四人で歩いている今は、そのルールがあまりにも現実離れしているように感じられる。
だから今は考えないことにした。
清隆を見つけるまでは考えない。
五人が揃うまでは、その先のことを考えない。
問題を先送りしているだけだということくらい、明人にも分かっていた。
それでも今は、それでよかった。
やがて前方に中央施設の屋根が見え始めた。
施設へ近づくほど周辺の人影も増え、遠くから怒鳴り声や叫び声まで聞こえてくる。
そして、その騒がしさの中へ突然、重く乾いた破裂音が混じった。
一度では終わらない。
続けて何度か響くと、中央施設入口付近に集まっていた人影が一斉に散り始めた。
何かが起きている。
明人はすぐに足を止め、後ろの三人へ片手を出した。
「待ってくれ。前で何か揉めてる」
波瑠加もすぐに立ち止まる。
「何が起きてるの?」
「ここからじゃ分からない」
啓誠が双眼鏡を構え、入口周辺を確認する。
数秒後、その表情が険しくなった。
「銃を持ってる奴がいる」
明人も表情を変える。
「何人だ?」
「ここから確認できるだけでも二人いる。正面から近づくのは危険だ」
愛里は不安そうにピコピコハンマーを握り、波瑠加も水鉄砲を持ち直した。
明人は二人の支給品を見て、今さらながらこの状況にはあまりにも頼りないと思う。
だから自分が前へ出なければならない。
そう考えかけたところで、波瑠加が明人の袖を掴んだ。
「みやっち」
明人は波瑠加が何を言おうとしているのか理解し、苦笑した。
「分かってる。今度は一人で行かない」
その返事を聞いて、波瑠加はようやく袖から手を離した。
啓誠は地図を広げ、正面入口以外の経路を探す。
「正面は避けよう。北側に細い道がある。少し遠回りになるが、そこから中央施設の反対側へ回れるはずだ」
「それで行こう。今は清隆を探す方が先だ」
明人の意見に三人も頷き、四人は進路を変えた。
正面では今も生徒たちが逃げている。
誰が撃っているのか。
誰が狙われているのか。
何が原因で争いが始まったのか。
ここからでは何も分からない。
それでも、この島ではすでに誰かが誰かへ銃を向けることが特別な出来事ではなくなり始めている。
明人は北側の道へ入る直前、もう一度三人を見た。
波瑠加。
愛里。
啓誠。
この三人を失いたくないという気持ちだけは、今の自分の中で何よりも明確だった。
ゲームの勝者になりたいわけではない。
最後の一人になりたいとも思わない。
ただ、四人で清隆を見つけたい。
そして五人で、もう一度話がしたい。
その先に何が待っているのかは、五人が揃ってから考えればいい。
明人はそう決め、三人とともに中央施設正面の混乱を避けながら、北側へ続く細い道へ入っていった。
そして彼らはまだ知らなかった。
中央施設へ向かうこの道の先で、五人目の仲間と再会することになるのか。
それとも、それより先に別の誰かと遭遇することになるのか。
ただ一つ確かなのは、七十二時間のうち最初の数時間が終わりつつある今、
島の中ではすでに生徒たちの集団が形を作り始め、
恐怖と疑念がそれぞれの集団を少しずつ別の方向へ動かし始めていることだった。
明人たち四人もまた、その大きな流れの中にいた。
それでも今だけは、流れに飲まれるのではなく、自分たちの意思で歩いていると信じることができた。
清隆を見つける。
五人で集まる。
そのために、四人は中央施設の裏側へ続く道を進んでいった。