バトル・ロワイアル ようこそ虐殺至上主義の教室へ 作:カツカレー!
石崎大地が目を覚ましてから最初に考えたのは、自分がどこにいるのかということではなく、
龍園がこの状況をどう受け止めているのかということだった。
自分でも妙な話だとは思う。
首には見知らぬ管理装置を付けられ、七十二時間以内に最後の一人を決めろと告げられ、
島のどこかには拳銃や散弾銃を支給された生徒がいる。
それだけでも普通なら自分のことで精一杯になって当然なのに、
石崎の頭に浮かんだのは、龍園ならこの馬鹿げた試験を前にしても笑っているのではないかという想像だった。
あの男が怯えて部屋の隅に座り込んでいる姿など、どうしても思い浮かばない。
むしろ誰がこんなことを仕掛けたのか、どんな仕組みで生徒たちを動かそうとしているのか、
そしてその仕組みをどう逆手に取ればいいのかを考えているに違いないという確信の方が強かった。
だから石崎は、自分の支給品を確認したときに抱いた落胆も、すぐに脇へ追いやった。
黒いバッグの中に入っていたのは、共通物資のほかに短い金属製の工具だった。
工場地区なら多少役に立つかもしれないが、銃や刃物が存在する試験の中で頼りになるとは思えない。
石崎はそれをバッグへ戻し、地図を見ながら自分が港湾地区の南側にいることを確認すると、まず龍園を探すと決めた。
同じクラスの誰かと再会できれば、その人物から情報を得られる可能性がある。
伊吹、アルベルト、西野、葛城の誰かでもいい。
龍園クラスがまとまることができれば、一人で動くよりはるかに安全になる。
もっとも、この試験では「まとまる」という言葉そのものに不気味な響きが加わっていた。
最後に生き残れるのは一人だけ。
それを全員が知っている。
つまり、今は仲間でも、時間が進めば同じ相手を敵として見る瞬間が来るかもしれない。
石崎はその可能性を考えたくなかった。
少なくとも龍園を見つけるまでは、この試験が要求している最終局面について考えても意味がない。
それよりも、開始直後の混乱をどう乗り切るかの方が先だった。
港湾地区には大きな倉庫が並び、その向こうには古びたクレーンや積み上げられたコンテナが見えていた。
海は近いはずなのに、倉庫や防波壁のせいで水平線はほとんど見えない。
風に混じる塩気と錆の匂いが強く、ところどころに残された荷役設備が、
かつてここに多くの人間が働いていたことを感じさせた。
石崎が建物を出た時点では、周囲にいたのは六人だけだった。
全員が同じ二年生だが、龍園クラスの人間はいない。
互いに軽く声を掛けたものの、誰も長く話そうとはしなかった。
相手のバッグへ一瞬視線を向け、それに気づいて慌てて目を逸らす。
その繰り返しだけで、試験開始直後からすでに人間関係が変わっていることが分かる。
「中央へ行く奴はいるか?」
石崎がそう尋ねると、一之瀬クラスの男子が首を振った。
「今は人が集まりすぎる場所へ行く方が危ないと思う。
禁止区域がどこになるか分からない以上、少なくとも最初の通知までは港の外へ出る道だけ確認しておきたい」
「俺は龍園さんを探してる。同じクラスの奴を見てないか?」
「龍園なら見てない。ただ、北側で伊吹らしい女子を見たって話は聞いた」
その情報を聞いただけで、石崎の目的地は決まった。
「助かった。俺は北へ行く」
「一人で行くのか?」
「龍園さんたちを見つければ一人じゃなくなる。
ここで知らない奴らと固まっていても、結局いつか動くことになるだろ」
石崎はそう答えたものの、自分でも少し強がっていることは分かっていた。
一人で港湾地区を歩くことが怖くないわけではない。
ただ、顔もよく知らない相手と互いを疑いながら行動するより、龍園クラスの人間を探す方がまだ気持ちは楽だった。
北へ向かって歩き始めてから十分ほど経った頃、遠くで乾いた破裂音が響いた。
一度だけではない。
数回続き、そのあと少し時間を置いて、さらに別方向から一発聞こえた。
石崎は思わず足を止めた。
放送で銃が支給されていると聞かされていた以上、それが何なのかを考える必要はなかった。
誰かがすでに撃っている。
その事実だけで、港の景色が急に違って見えた。
道路の角。
倉庫の窓。
コンテナの隙間。
今まではただの風景だった場所すべてに、誰かが隠れている可能性が生まれる。
「冗談じゃねえぞ……」
石崎は誰に言うでもなく呟き、歩く速度を少し落とした。
その直後、前方の倉庫から二人の生徒が出てきた。
一人は龍園クラスの男子。
もう一人も見覚えがある。
「石崎!」
先に気づいたのは葛城だった。
「葛城!」
石崎は思わず駆け寄りかけたが、相手の表情を見て速度を落とした。
葛城も警戒している。
当然だった。
同じクラスとはいえ、今はこのゲームの中にいる。
それでも二人の間に数メートルの距離を残したところで、葛城は少し表情を緩めた。
「無事だったか」
「そっちもな。龍園さんは?」
「まだ見つけていない。俺は西野とアルベルトを探しながら北側へ移動していた。そちらは何か情報を持っているか?」
「伊吹が北にいたかもしれないって話だけだ。龍園さんはまだ分からない」
葛城は少し考え込んだ。
「ならば、北東へ向かうのが妥当だろう。
港湾地区の外へ出る道も確認できるし、禁止区域が発表された場合にも動きやすい」
石崎は頷いた。
「お前がいると助かるな。龍園さんが見つかるまで、俺一人じゃ地図見てもよく分かんねえし」
「自分で少しは考えろ」
「考えてるって。だから龍園さん探してるんだろ」
その返事に、葛城は呆れたような顔をしたものの、それ以上は何も言わなかった。
二人で歩き始める。
途中で何人かの生徒と遭遇したが、互いに距離を取ったまま最低限の情報だけを交換した。
この時点で、石崎は一つのことに気づき始めていた。
人間は、完全に一人でいると誰かを探したくなる。
しかし、二人か三人になると、今度は他の集団を警戒し始める。
人数が増えることは安心につながるはずなのに、それと同時に別の集団から見れば脅威にもなる。
「なあ葛城」
「何だ」
「この試験、わざとこうなるように作ってるよな」
葛城は少しだけ石崎を見た。
「ようやく気づいたのか」
「馬鹿にすんなよ」
「最後の一人という条件がある以上、全員が完全に協力することは難しい。
そこへ禁止区域とランダム支給品まで加えれば、時間が経つほど疑念が増えるのは当然だ。
銃を持っている者が一人いるだけで、その周囲の人間は自分も何か持たなければ危険だと考えるようになる」
「それで先に取られるくらいなら、ってなるのか」
「そういう人間も出るだろう。問題は、最初から殺意を持っている者だけが危険なのではないということだ。
恐怖に負けて誤った判断をする人間の方が、場合によっては予測しづらい」
石崎は少し黙った。
その言葉を聞いてから、先ほど見かけた生徒たちの顔を思い出す。
誰も悪人には見えなかった。
しかし、この島では善人か悪人かだけで相手を判断できない。
怖がっている人間も危険になる。
追い詰められた人間も危険になる。
だからこそ、自分たちは龍園を探している。
あの男なら、こういう状況でも相手の恐怖を利用する側に回る。
石崎はそんなことを考えた。
そして、それから二十分ほどして、その予想がほとんど正しかったことを知ることになる。
港の北東部にある古い管理棟の近くまで来たとき、前方から怒鳴り声が聞こえた。
葛城が足を止める。
石崎も続いた。
「何だ?」
「分からない。ただ、複数人いる」
二人は建物の陰から様子を見た。
道路の中央に四人の男子がいる。
三人が一人を囲んでいるように見える。
囲まれている側はバッグを持っておらず、残りの三人のうち一人が二つのバッグを抱えていた。
「奪われたのか?」
石崎が小声で言う。
葛城は答えず、少し観察した。
四人とも石崎たちのクラスではない。
会話の内容までは聞こえないが、囲まれている男子が何かを返せと要求していることだけは分かる。
「関わるべきではない」
葛城が言った。
「でも、三対一だぞ」
「だからだ。こちらが入れば五人の争いになる」
石崎は納得しきれなかった。
それでも葛城の判断が間違っているとも思えない。
二人が別の道へ回ろうとした、そのときだった。
囲まれていた男子が突然、石崎たちの方を見た。
目が合う。
「助けてくれ!」
声が届いた。
三人もこちらを見る。
逃げるなら今だった。
しかし石崎は足を止めた。
その瞬間、道路の反対側から別の声が聞こえた。
「面倒なことしてんな」
石崎はその声を聞いた瞬間、表情が変わった。
倉庫と倉庫の間から、一人の男子が歩いてくる。
制服の上着は脱いでおり、肩には黒いバッグ。
口元には、いつものように人を馬鹿にした笑みが浮かんでいる。
「龍園さん!」
石崎が思わず声を上げた。
龍園翔は石崎たちの方を一度だけ見てから、道路の中央にいる四人へ視線を戻した。
「随分と早く始めたもんだな。試験開始から何時間も経ってねえってのに、もう荷物の奪い合いか」
三人の男子の一人が警戒する。
「お前には関係ないだろ」
「関係あるかどうかは俺が決める」
龍園は歩みを止めなかった。
石崎はその姿を見ながら、少し違和感を覚えた。
龍園の右手にある物。
あまりにも見覚えがある。
「龍園さん……それ何ですか?」
龍園は一瞬だけ右手を見た。
「歯ブラシだ」
石崎は思わず聞き返した。
「歯ブラシ?」
「ああ。俺にこれを配った奴は、なかなかいい趣味してやがる」
龍園が持っているのは、確かに歯ブラシだった。
石崎が唖然としていると、龍園は笑った。
「何だ、その顔は。銃でも引くと思ってたのか?」
「いや、もっとマシなのが来ると思いますよ普通。
龍園さんが歯ブラシで、俺が工具って、俺たちのクラスだけ外れ多くねえっすか?」
「支給品で勝負が決まるなら、最初から試験なんざやる必要ねえだろ」
葛城が龍園へ歩み寄る。
「龍園、無事だったか」
「見りゃ分かるだろ」
「伊吹と西野、アルベルトはまだ確認できていない」
「そのうち出てくる。あいつらが簡単にくたばるとは思ってねえ」
龍園はそう答えると、再び三人組へ視線を向けた。
その間も、バッグを奪われた男子は動けずにいる。
三人組の一人が龍園へ言った。
「だから、お前には関係ない。こいつが食料を隠していたから、分けてもらうだけだ」
「へえ。それでバッグごとか」
「最後まで生きたいなら当然だろ」
龍園の笑みが少しだけ深くなる。
「最後まで生きたい、か。いいねえ。ようやく試験の意味を理解してる奴が出てきたらしい」
石崎は龍園を見る。
助けるつもりなのか。
それとも三人組へ加わるつもりなのか。
表情だけでは分からない。
「ただし、一つ勘違いしてる」
龍園は続けた。
「最後に一人しか残れねえからって、
最初から目の前の奴を片っ端から敵にするのは頭が悪すぎる。
七十二時間もあるんだぞ。水も食料も場所も情報も必要になる。
序盤で人数を減らすことだけ考えて、自分から敵を増やしてどうすんだ」
三人のうち一人が苛立った。
「偉そうに言うなよ。だったらお前は最後まで仲良しごっこでもするのか?」
「まさか」
龍園は即座に笑った。
「最後が一人なら、最後は一人だ。ただ、いつ裏切るかを自分で決めるのと、最初から全員に嫌われるのは別物だろ」
その言葉を聞いて、石崎は少し背筋が寒くなった。
龍園はゲームを拒否しているわけではない。
むしろ、完全に理解した上で乗ろうとしている。
ただし、感情のまま暴れるのではない。
最後まで利用できるものを利用する。
仲間も。
敵も。
禁止区域も。
首輪も。
それが龍園の考え方なのだと、石崎には分かった。
「バッグを返せ」
龍園が言った。
三人組は動かない。
「嫌だと言ったら?」
「別にいいぞ。ただ、お前ら三人がここにいるって情報を、これから会う奴全員に流す。
荷物を奪う三人組が港にいるってな。銃持ってる奴が聞いたら、いい目印になるかもな」
三人の表情が変わった。
龍園は武器を見せつけていない。
それでも相手を動揺させている。
「それに」
龍園は自分の端末を取り出した。
「第一回禁止区域の通知、見たか?」
石崎も慌てて確認する。
すでに通知が来ていた。
港湾地区の北西側。
工場地区の一部。
複数の区域が開始から一定時間後に使用不能になる予定だ。
龍園は画面を相手へ見せるようなことはせず、淡々と続けた。
「お前らがこのまま揉めてる間にも、北西から人が流れてくる。
ここは港から中央へ抜ける道の一つだ。人数が増えた時に、今の状況を見られたいなら好きにしろ」
三人組が周囲を見る。
それまで自分たちだけの問題だったものが、突然時間との問題に変わった。
龍園は何もしていない。
ただ、禁止区域の存在を思い出させただけだった。
それでも相手の判断は明らかに揺れている。
しばらくして、バッグを持っていた男子が地面へ放った。
「もういい」
囲まれていた男子が急いで拾う。
三人組は龍園を睨みながら、その場を離れていった。
石崎は息を吐いた。
「すげえっす。歯ブラシで勝ったぞ」
龍園が石崎を見る。
「俺が歯ブラシ振り回して追い払ったみたいに言うな」
「でも使ってないじゃないっすか」
「使わずに済むなら、その方がいい。見せる必要もねえ」
葛城が頷く。
「禁止区域を心理的な圧力として使ったか」
「首輪も同じだ」
龍園は何でもないことのように言った。
「全員が首に同じ物を付けられてる。それだけで相手は時間と場所を意識する。
なら、わざわざこっちが恐怖を作る必要はねえ。もう運営側が作ってくれてるんだからな」
石崎は首元へ手をやった。
今まで触れないようにしていた管理装置。
それを意識した瞬間、また冷たさを感じた。
龍園はそれを見て笑う。
「ほらな。俺が何もしてなくても、お前は勝手に気にする」
「やめてくださいよ。気持ち悪くなります」
「だから使えるんだ」
龍園は歩き出した。
葛城も続く。
石崎も慌てて追った。
「どこ行くんですか?」
「伊吹たちを拾う。それから港の状況を見る」
「中央には行かないんっすか?」
「まだだ。人が集まり始めてからでいい」
「何でですか?」
龍園は少しだけ振り返った。
「人間の流れを見たいからだ。どこが禁止区域になるかで、連中がどこへ動くか分かる。
坂柳あたりも同じこと考えてるだろうな」
葛城が反応した。
「坂柳もシステムを利用すると?」
「あいつは俺より陰気にやるだろう。俺は相手に『逃げろ』って思わせる。
坂柳は相手がどこへ逃げるかを先に読む。やり方が違うだけで、見てる場所は同じだ」
石崎には完全には分からなかった。
それでも龍園と坂柳が、試験開始から数時間しか経っていないのに、
すでに武器ではなく島そのものを見始めていることだけは理解できた。
三人は港湾地区の北側へ向かった。
途中で西野と合流した。
西野の支給品は厚手の作業用手袋だった。
「外れだと思ったけど、瓦礫とか触る時は意外と助かるかな」
そう言いながら、西野は龍園の手元を見た。
「で、あんた何引いたの?」
「歯ブラシ」
西野はしばらく黙った。
「ちょっと笑っていい?」
「好きにしろ」
「龍園さんが歯ブラシって、誰か狙って決めたでしょ」
石崎も笑った。
「俺もそう思う」
龍園だけは不機嫌になる様子もなく、むしろ楽しそうだった。
「外れがある方が面白えだろ。最初から全員に銃配ってみろ。頭使う意味がなくなる」
「この状況で楽しそうなの、あんただけじゃない?」
西野が呆れる。
「楽しいかどうかは知らねえ。ただ、泣いてても終わらねえってだけだ」
それから間もなく、アルベルトも見つかった。
彼は港の倉庫近くにいた数人の生徒と行動しており、龍園たちを見ると迷わずこちらへ加わった。
残るは伊吹。
石崎はようやく、龍園クラスらしい人数が集まり始めたことで安心していた。
龍園。
葛城。
西野。
アルベルト。
自分。
五人もいれば、少なくとも簡単には襲われないだろう。
しかし龍園は、人数が増えたことを喜ぶより先に、全員へ地図を見せた。
「ここから先、固まって歩くな」
石崎が首を傾げる。
「何でですか。多い方が安全ですよ」
「多すぎると狙われる。五人ならまだいいが、伊吹や他の奴まで集めたら、遠くから見ても一発で集団だと分かる。
しかも誰かが銃を持ってると思われる可能性が高い」
葛城も頷いた。
「人数そのものが脅威と判断されるということか」
「そういうことだ。今はまだ全員が怯えてる。だから強そうな集団を見たら、
近づかずに逃げる奴も多い。だが時間が経って食料や武器が減れば、話は変わる」
西野が腕を組む。
「じゃあどうするの?」
「距離を取って動く。見える範囲にはいるが、ひとまとめにはならねえ。何かあれば集まる」
石崎は感心した。
「もう軍隊みたいだな」
「大げさにすんな。目立たねえようにするだけだ」
龍園たちは隊列を広げながら移動した。
アルベルトが少し前。
龍園と葛城が中央。
石崎と西野が後方。
それだけでも、さっきまで一人だった時とはまるで違った。
どこかで物音がしても、一人で全部を確認する必要がない。
誰かが地図を見る。
誰かが周囲を見る。
誰かが後ろを気にする。
集団には確かに強さがある。
だからこそ、最後に一人しか残れないというルールが異常なのだと石崎は思った。
これほど仲間がいることが心強いのに、試験はその仲間を最後まで残すことを認めない。
石崎は龍園の背中を見た。
「龍園さん」
「あ?」
「最後の一人になる気になるつもりなんですか?」
葛城と西野も僅かに視線を向けた。
龍園は歩みを止めなかった。
「その質問、今する意味あるか?」
「でも最後はそうなりますよね……」
「七十時間近く残ってるうちから、最後の話してどうすんだ」
「いや、そうですが」
龍園は少し笑った。
「今は生きる。次に情報を集める。その次に使える奴を集める。
最後の話は、最後が見えてから考えりゃいい。最初から一人になる奴は、途中で死ぬ可能性の方が高えぞ」
その答えを聞いて、石崎は少し安心した。
龍園が「お前らは全部駒だ」とでも言えば、さすがに怖かった。
しかし今は、少なくとも一緒に動くつもりがある。
それだけで十分だった。
港の東側へ回った頃、遠くから大きな音が聞こえた。
それまでの拳銃らしい乾いた音とは違う。
もっと重く、腹の底へ響くような破裂音。
全員が足を止めた。
「今の何だ?」
石崎が言う。
龍園は音の方向を見る。
倉庫群の向こう。
人影が動いている。
数人。
そのうち一人が大きな銃を持っているのが見えた。
「散弾銃か」
葛城が低い声で言った。
石崎の緊張が一気に高まる。
「こっち来るぞ」
相手は三人。
こちらは五人。
人数では勝っている。
それでも銃の有無だけで状況が変わる。
龍園は周囲を見た。
「倉庫の裏へ回る」
「逃げるのか?」
石崎が聞く。
龍園は睨む。
「真正面から撃たれに行くのを勇気とは言わねえ」
全員がすぐに移動した。
相手もこちらに気づいたらしく、遠くから怒鳴り声が聞こえる。
「止まれ!」
誰も止まらない。
龍園たちは倉庫の陰へ入り、別の通路へ回った。
しかし、前方にも人影があった。
別の集団。
禁止区域の影響で港の北西側から流れてきた生徒たちらしい。
狭い通路に複数の集団が重なり、空気が一気に張り詰める。
「最悪だね」
西野が言う。
葛城が地図を見る。
「このままでは人の流れが港東側へ集中する」
龍園だけは笑っていた。
「だから面白えんだよ」
石崎が信じられないという顔をする。
「この状況の何が面白いんだよ」
「禁止区域一つで、全員が同じ場所へ勝手に集まってくる。誰かが追い込んだわけでもねえのにな」
その言葉どおりだった。
北西から来た生徒。
中央へ向かおうとする生徒。
銃を持っている三人組。
龍園たち。
別方向から来た少人数の集団。
それぞれに目的が違うのに、禁止区域によって同じ場所へ押し込まれている。
龍園は周囲を見ながら言った。
「ここで一番馬鹿なのは、最初に撃った奴だ」
「何で?」
「一発撃った瞬間、全員から位置を意識される。しかもこの人数だ。誰が敵か分からなくなる」
その直後、重い銃声が再び響いた。
誰かが叫び、複数の生徒が一斉に走り出す。
石崎たちも巻き込まれた。
何が狙われたのかは分からない。
ただ、恐怖によって人の流れが一方向へ動き始めた。
「龍園さん!」
石崎が叫ぶ。
「走れ。ただし散らばるな!」
龍園の声が飛ぶ。
五人は倉庫の間を抜ける。
後ろで再び銃声。
金属板へ何かが当たる音。
誰かの悲鳴。
状況は急速に混乱していく。
石崎は後ろを見ようとしたが、龍園に怒鳴られた。
「前見ろ!転んだら終わりだぞ!」
石崎は慌てて前を向いた。
狭い通路を抜けたところで、一人の男子が倒れ込むように現れた。
手には散弾銃。
先ほど追ってきた三人組の一人だった。
しかし表情には余裕がない。
仲間とはぐれたらしい。
石崎は動きを止めた。
相手もこちらを見る。
龍園が前へ出る。
「撃つな!」
葛城が声を張る。
男子は銃を構えたまま震えていた。
「近づくな!」
龍園は立ち止まった。
「別に近づかねえよ。ただ、そのまま撃ったら後ろにいる連中まで全部寄ってくるぞ」
男子の表情が揺れる。
龍園はさらに言った。
「お前、一人だろ。さっきまで一緒だった二人はどこだ?」
「うるさい!」
「分かんねえから焦ってる。違うか?」
男子は答えない。
石崎には、龍園が何をしようとしているのか分からなかった。
ただ、相手が銃を持っている以上、少しでも刺激すれば危険なのは分かる。
龍園は声の調子を変えなかった。
「俺らと撃ち合っても得しねえぞ。お前は逃げたい。俺らも今はここを抜けたい。それだけだ」
男子はしばらく龍園を見ていた。
そして、後ろから聞こえてくる複数の足音に気づいた。
表情が変わる。
龍園も同じ音を聞いている。
「ほら、時間ねえぞ」
男子は迷った。
散らばる緊張感のなか、龍園はポケットから取り出したプラスチック製の歯ブラシをじっと見つめた。
それから無言のまま両手でそれを力任せに折り曲げ、へし折る。
パリリと乾いた音が響き、裂けた先端は不気味に鋭く尖り上がった。
石崎たちが息を呑む。
誰も声を出すことができない。
龍園はその即席の凶器を握りしめ、不敵に歪んだ笑みを浮かべた。
「ククッ……。相手してやろうか?」
その言葉を合図にしたように、逃げかけたはずの男子が狂乱したような叫び声を上げる。
「う、あああああああああっ!」
散弾銃を構え、震える手で銃口をこちらに向けようとする。
「し、死ねっ!」
龍園は怯むどころか、鋭い踏み込みで一気に間合いを詰めた。
男子が引き金を引く。
轟音とともに放たれた弾丸は龍園の耳をかすめて虚しく外れ、地面をえぐった。
二度目を撃つ余裕など与えない。
龍園はそのまま男子の懐へ飛び込み、全体重をかけて押し倒した。
「ぐっ……!」
背中から地面に叩きつけられた男子の胸元に馬乗りになり、
龍園は容赦なく尖らせた歯ブラシを振り下ろして男子の瞳に突き刺す。
「ああっ!目が、目が――っ!」
男子の悲鳴が夜の静寂を引き裂いた。
わずかに逸らしたものの、頬から目元にかけて容赦なく突き立てられた痛みに、男子は涙と鼻水を流して悶絶する。
しかし、龍園の暴力はそれで終わらない。
「どうした、終わりか?」
冷酷な呟きとともに、龍園はさらに歯ブラシを男子の腕や足へと次々に突き刺していく。
肉を貫く鈍い感触と、止まらない鮮血。
仲間であるはずの石崎たちでさえ、あまりの残虐さに一歩も動けず、
ただその光景を立ち尽くして見つめることしかできなかった。
何度目かの突き刺しに、ついに男子の精神が完全に崩壊する。
「やめて!やめる!やめるから!頼む、殺さないでくれ……!」
恐怖に支配された男は、自らの血まみれの身体を引きずるようにして龍園の下から這い出た。
その場に散弾銃を放り出したまま、二度と後ろを振り返ることもせず、
狂ったように一目散に闇の中へと逃げ去っていった。
石崎が驚く。
「おい!」
男子は振り返らずに走り去った。
龍園は立ち上がり、顔についた返り血を袖で拭うと地面に残された散弾銃を見る。
石崎も見る。
葛城も見る。
数秒、全員が黙った。
「最初からそう言ってりゃ痛い目見ずに済んだのによ」
「龍園さん……殺さねえんすか?」
石崎が恐る恐る尋ねると、龍園は鼻で笑う。
「殺して何になる。欲しかったのはコイツだけだ」
龍園は散弾銃を拾った。
それだけだった。
大げさに喜ぶこともない。
試しに撃つこともしない。
安全を確認しながら保持し、周囲へ視線を戻した。
石崎は思わず笑った。
「歯ブラシから一気に出世したっすね」
龍園も口元を歪めた。
「だから言っただろ。支給品で勝負は決まらねえって」
葛城はすぐに現実へ戻した。
「喜んでいる場合ではない。人が近づいてくるぞ」
「分かってる。行くぞ」
五人はその場を離れた。
龍園の手には、さっきまで存在しなかった散弾銃がある。
しかし石崎には、それ以上に龍園の考え方の方が恐ろしく感じられた。
歯ブラシしか持っていなくても、相手を制圧できる。
禁止区域を使う。
首輪への恐怖を利用する。
人の流れを読む。
そして混乱の中で、必要な物を手に入れる。
龍園はゲームに乗っている。
ただし、運営が期待している形ではない。
命令されたから殺し合うのではなく、この島のルールそのものを自分の盤面へ変えようとしている。
港湾地区を離れる途中、端末が一斉に震えた。
石崎が画面を見る。
『生存者 153名』
先ほどまで百五十六だった数字が、さらに三つ減っている。
石崎の表情が強張った。
「また減ってる」
西野も画面を見た。
「早すぎない?」
葛城は険しい顔で言う。
「まだ序盤だ。にもかかわらず、この速度で減り始めている」
石崎は龍園を見る。
龍園も端末を確認していた。
「どうしますか?」
石崎が尋ねる。
龍園は画面を閉じた。
「予定通りだ。伊吹を探して、使える奴を集める。それから安全な場所と食料を確保する」
「戦わないんっすか?」
「必要なら戦う。ただ、今から片っ端から相手してたら七十二時間持たねえ」
「じゃあ何を……?」
龍園は地図を広げた。
「次の禁止区域を読む」
葛城が地図へ視線を落とす。
龍園は港湾地区と工場地区、住宅地区を順に指で追った。
「最初の指定で北西が削られた。次も同じように外周から狭めてくるなら、人は中央へ寄る。
ただし全員が中央へ行けば混雑するから、頭のいい奴は一つ外側に残る」
「坂柳か」
葛城が言う。
「可能性は高い」
龍園は笑った。
「一之瀬は人を集めるだろうな。堀北は安全な道を探す。高円寺は好き勝手に動く。綾小路は……」
そこで一度言葉を止めた。
石崎が見る。
「綾小路がどうしました?」
「知らねえ」
龍園はあっさり言った。
「ただ、あいつが普通に中央で怯えてるとは思えねえってだけだ」
石崎には意味が分からなかった。
龍園はそれ以上説明せず、地図を畳んだ。
「とにかく、ここから先は相手の武器より、どこから来てどこへ行くかを見ろ。
禁止区域が増えれば、全員の選択肢は減る。選択肢が減れば行動は読みやすくなる」
石崎は頷いた。
完全には理解していない。
それでも、龍園についていけば少なくとも何も考えずに走り回るよりは生き残れる気がした。
五人は港湾地区から住宅地区へ続く道へ向かった。
海から吹く風は相変わらず穏やかだった。
遠くではまだ銃声が聞こえる。
そのたびに石崎は身構えた。
しかし龍園は歩みを止めない。
右手には新しく手に入れた散弾銃。
バッグの中には、最初に支給された歯ブラシ。
その二つの差を見て、石崎は改めて思った。
このゲームで本当に怖いのは、最初に何を引いたかではない。
与えられた物が弱くても、状況を利用して次へ進む人間がいる。
そして龍園翔は、間違いなくその側の人間だった。
「石崎」
前を歩いていた龍園が振り返らずに呼ぶ。
「何ですか」
「いつまでぼさっと歩いてんだ。後ろ見とけ」
「わ、分かってますって」
石崎は慌てて振り返る。
誰もいない。
それでも数秒おきに確認する。
前では葛城が地図を見ている。
アルベルトが周囲へ注意を向け、西野が龍園へ何か話している。
まだ伊吹はいない。
それでも龍園クラスは、少しずつ形を取り戻し始めていた。
最後に一人しか生き残れない試験の中で、石崎は仲間が増えるほど安心している。
その矛盾を今は考えないことにした。
少なくとも次の放送までは。
少なくとも伊吹を見つけるまでは。
少なくとも龍園が何かを考えている間は。
そして、島の別の場所では同じ頃、坂柳有栖もまた、
橋本の持つ一見役に立たない支給品へ別の価値を見つけようとしていた。
武器を持つ者が力を得る一方で、情報を持つ者もまた力を得始めている。
七十二時間の特別試験は、まだ始まったばかり。
◯
同じ頃。
港湾地区から離れた住宅地区の一角で、それまでとは明らかに異なる音が響き始めていた。
銃声ではない。
爆発音でもない。
低く唸るような駆動音が、無人となった建物の壁へ何度も反響しながら、夜の住宅地区へ広がっていく。
その音を聞きながら走っていたのは、一之瀬クラスの柴田颯と浜口哲也だった。
「何なんだよ、あの音……!」
柴田が振り返る。
浜口も答えられない。
二人とも最初は、放置された工事用機械でも動いているのだと思っていた。
しかし違った。
音が移動している。
しかも、自分たちを追うように近づいている。
「柴田、止まるな!」
「分かってる!」
二人は住宅の間を走り抜けた。
その背後から、再び機械音が大きくなる。
角を曲がる。
さらに走る。
それでも音は消えない。
やがて背後から、一人の女子生徒の声が聞こえてきた。
「柴田くーん!浜口くーん!」
二人の足が一瞬だけ鈍った。
聞き覚えのある声だった。
柴田が振り返る。
「櫛田……?」
薄暗い道路の向こうから現れたのは、櫛田桔梗だった。
普段と変わらない制服姿。
普段と変わらない顔。
そして、その手にだけ、この状況にはあまりにも似つかわしくないチェーンソーが握られている。
「よかったぁ。やっと知ってる人に会えた」
櫛田は笑った。
柴田は思わず数歩後退する。
「お、お前……それ……」
「これ?私の支給品」
まるで少し変わった文房具でも見せるような口調だった。
しかし駆動音が再び大きくなった瞬間、浜口の表情が強張った。
「櫛田、とりあえず止めてくれ。話ならそれから――」
「ねえ」
櫛田が遮った。
「二人は、一之瀬さんのところに行くの?」
柴田と浜口が顔を見合わせる。
「そのつもりだけど……」
「やっぱりそうなんだ」
櫛田は笑ったままだった。
「一之瀬さんなら、きっとみんなを集めるよね。
助け合おうって言って、水とか食べ物とか分けて、それで最後までみんなで何とかしようとするんだろうなぁ」
「何が言いたいんだよ」
柴田の問いに、櫛田はすぐには答えなかった。
笑顔のまま二人を見ている。
「でも最後は一人なんだよね」
その言葉で空気が変わった。
浜口が柴田の前へ僅かに出る。
「櫛田」
「何?」
「今のお前、普通じゃないぞ」
櫛田の笑顔が止まった。
ほんの数秒だった。
それから再び口元が持ち上がる。
「普通って何?」
低い駆動音が住宅街へ響く。
「ずっと普通にしてきたよ、私」
櫛田はゆっくり二人へ近づいた。
「誰にでも笑って、嫌いな人にも笑って、話したくない人の話も聞いて、みんなから好かれるようにしてきた」
柴田たちが後退する。
「でも、ここではそんなことしても意味ないんだよね」
「櫛田、待てって!」
柴田が声を上げる。
櫛田は止まらなかった。
「最後の一人しか残れないんだから」
浜口が柴田を見る。
「走れ!」
二人が同時に背を向けた。
その瞬間、背後でチェーンソーの駆動音が一気に高まった。
「待ってよ!」
櫛田の声が追ってくる。
二人は走った。
狭い道路を抜け、古い住宅の塀に沿って曲がり、そのまま次の路地へ飛び込む。
しかし櫛田も追跡をやめない。
「何で逃げるの!?」
「逃げるに決まってるだろ!」
柴田が叫び返す。
次の瞬間、背後で激しい破壊音が響いた。
柴田が反射的に振り返ると、櫛田が進路を塞いでいた古い障害物を乱暴に押し退けながら追ってくる。
その顔にはまだ笑みが残っていた。
「私たち友達でしょー!?」
「そんな物持って追いかけてくる奴が言うな!」
浜口の叫びが住宅地区へ響いた。
二人はさらに逃げた。
だが、禁止区域によって使える道路が減っていたことで、進める方向は限られている。
柴田が端末を確認する。
「浜口、こっちは駄目だ!先が禁止区域になる!」
「じゃあ右だ!」
二人が右側の細い路地へ入った。
その判断が結果的に逃げ道をさらに狭めた。
前方には閉ざされた門。
左右は高い壁。
柴田と浜口が足を止める。
背後から機械音が近づいてくる。
「……嘘だろ」
柴田が呟いた。
やがて路地の入口へ櫛田が姿を現した。
息を切らしている。
髪も乱れている。
それでも笑っていた。
「やっと追いついた」
浜口が前へ出る。
「櫛田。本当にやめろ」
「どうして?」
「俺たちはお前と戦うつもりなんてない。一之瀬のところへ行きたいだけだ」
「うん」
櫛田は頷いた。
「だから困るんだよ」
浜口の表情が変わった。
「一之瀬さんのところに人が増えたら、もっと大きな集団になるでしょ?」
櫛田が一歩近づく。
「そうなったら、後で面倒になるかもしれない」
「そんな理由で……」
「そんな理由?」
櫛田は首を傾げた。
「最後の一人になるゲームなのに?」
柴田は何も答えられなかった。
その瞬間、櫛田が走り出した。
「浜口!」
二人も同時に動いた。
狭い路地へ怒号と駆動音が響き渡り、柴田と浜口は必死に櫛田から距離を取ろうとする。
だが、逃げられる場所はほとんど残されていなかった。
激しい物音が響いた。
誰かの叫び声。
さらに駆動音。
そして、もう一度だけ柴田の声が聞こえた。
「櫛田、やめ――」
その声も途中で消えた。
しばらくして、住宅地区を満たしていた機械音が止まった。
静寂が戻る。
櫛田だけが路地から出てきた。
返り血を浴びた制服、荒い呼吸を繰り返しながら、しばらくその場に立っている。
笑ってはいなかった。
自分の血で濡れた両手を見る。
それから背後の路地を見る。
「……私」
声が僅かに震えた。
端末が振動する。
櫛田はゆっくり画面を確認した。
生存者数が二つ減っていた。
柴田颯。
浜口哲也。
その名前を見た瞬間、櫛田の表情から完全に感情が消えた。
数秒。
十秒。
櫛田は何も言わなかった。
やがて端末を閉じる。
そして、もう一度チェーンソーを動かした。
低い駆動音が戻ってくる。
櫛田はその音を聞きながら、ゆっくりと顔を上げた。
「……そっか」
口元が少しずつ持ち上がった。
「こういうゲームなんだ」
それは学校で誰にでも見せてきた櫛田桔梗の笑顔によく似ていた。
しかし、もう同じ笑顔ではなかった。
櫛田は一人で歩き始める。
低い機械音を引き連れながら。
この時点ではまだ、その音を聞いただけで逃げ出す生徒はいなかった。
だが、それも長くは続かない。
やがて島の中で、銃声とはまったく違う一つの音が、生徒たちから恐れられるようになっていく。
櫛田桔梗が近くにいることを知らせる音として。