バトル・ロワイアル ようこそ虐殺至上主義の教室へ 作:カツカレー!
橋本正義が自分の支給品を見た瞬間、最初に抱いた感想は、
運営側は本気で参加者を馬鹿にしているのではないか、というものだった。
黒いバッグの中には、水と保存食、地図、端末、懐中電灯、応急用品といった共通物資が入っており、
それとは別に一人一種類だけランダムな支給品が与えられている。
放送では、その中に拳銃や散弾銃、自動火器、
刃物といった危険な物も含まれていると説明されていたため、橋本もバッグの底へ手を伸ばしたときには、
少なくともこの異常なゲームで自分の生存率を上げてくれる何かを期待していた。
しかし、取り出した物は携帯型のゲーム機だった。
画面と左右の操作部分を備え、一般的な娯楽用品としか見えない。
電源を入れれば正常に起動し、いくつかのゲームソフトまで保存されていたが、
最後の一人になるまで生き残れと命じられている状況で遊んでいる余裕などあるはずがなかった。
「よりによってゲーム機とは、俺も相当ついてないな。
銃まで配られてるって話なのに、これでどうやって三日間生き残れっていうんだよ」
誰に聞かせるわけでもなくそう呟いた橋本は、ゲーム機をバッグへ戻そうとしたものの、
ふと画面右上に表示された小さな通信マークを見て指を止めた。
電波を探している。
少なくとも、完全なオフライン専用機ではないらしい。
そこへ気づいたところで、橋本はすぐに設定画面を開き、通信機能が生きているかだけを確認した。
外部のネットワークへ接続できるのであれば、助けを求められる可能性がある。
もちろん運営側がそんな簡単な抜け道を残しているとは思えなかったが、試して損をするものでもない。
ところが、利用可能なネットワークは表示されなかった。
何度試しても同じだった。
「まあ、そんな甘くないか」
橋本はゲーム機の電源を落とした。
その時点では、それで終わりだった。
少なくとも橋本自身には、娯楽以外の用途を見つけることができなかった。
彼が目を覚ましたのは、島の東側にある旧商業地区だった。
閉鎖されたショッピングモールや小規模な商店、飲食店、立体駐車場などが集まる区域で、
建物そのものは多いものの、人の気配は完全に消えている。
窓ガラスの向こうには商品棚だけが残され、色褪せた看板や広告が風に揺れる光景は、
かつてここに生活があったことを示しているだけに、かえって不気味だった。
ゲーム開始直後、橋本は同じ建物に配置されていた数人の生徒と行動していた。
しかし、最初の銃声が遠くで聞こえ、
端末の生存者数が百五十六名へ変わった頃から集団の空気は急速に悪くなった。
誰がどんな支給品を持っているのかという疑念が膨らみ、食料を共有するべきか、
自分の分は自分で管理するべきかという意見も割れ始めたため、橋本は争いが起きる前に集団を離れた。
自分一人で最後まで生き残れると思っているわけではない。
むしろ橋本は、こういう状況だからこそ、強い相手の近くにいるべきだと考えていた。
誰に付くか。
それが重要になる。
そして橋本の中で、最初から候補はそれほど多くなかった。
坂柳有栖。
もしこの島のどこかで彼女が無事に動いているなら、まず合流する価値がある。
身体能力で考えれば危険な環境に向いているとは言い難いが、
こういうゲームで本当に必要なのが単純な腕力だけではないことくらい、橋本にも分かっていた。
人の動きを読む。
情報を整理する。
利用できる物と捨てる物を判断する。
そういう場面で坂柳以上に頼れる人間を、橋本はほとんど知らない。
だから商業地区を離れる前から、橋本は周囲へ声を掛けながら坂柳の情報を集めていた。
何人目かの生徒へ尋ねたところで、ようやく有力な情報が得られた。
「坂柳さんなら、商業地区の北側で見たよ。神室さんと一緒だったと思う」
一之瀬クラスの女子がそう教えてくれた。
「いつ頃?」
「三十分くらい前。こっちには来ないで、管理地区の方へ向かってた」
橋本は礼を言い、その方向へ歩き始めた。
北側へ進むにつれて人の数は減った。
商業地区には食料を期待して集まる生徒が多かったが、
実際に店舗へ残されている物はほとんどなく、使えそうな物資も限られている。
だから一定時間が経つと、中央施設や住宅地区へ移動する人間が増え始めていた。
橋本は地図を見ながら歩き、何度か人影を避けた。
相手が一人なら情報交換も考えたが、三人以上の集団には近づかなかった。
ゲーム開始直後の今は、人数の多い集団ほど安心できるようにも見える。
しかし、最後の一人という条件がある以上、その集団がどんなルールでまとまっているのか分からない。
友達同士なのか。
クラス単位なのか。
単に一人になるのが怖くて固まっているだけなのか。
その違いは大きい。
橋本は以前から、人間関係そのものを一種の資産として見る癖があった。
誰が誰と仲がいい。
誰が誰を信用している。
誰が表面上は仲良くても、内心では距離を置いている。
普段の学校生活では、それを知っていることが交渉や立ち回りの助けになった。
この島では、それがそのまま生死に関わる可能性がある。
そのことを考えると、橋本は自分でも嫌になるくらい冷静になれた。
やがて、旧商業地区の外れにある小さな広場で、探していた人物を見つけた。
坂柳有栖はベンチに腰掛け、膝の上に地図を広げていた。
その隣では神室真澄が周囲を警戒している。
橋本は遠くから二人を確認した時点で、すぐには近づかなかった。
神室がこちらに気づく。
目が合う。
警戒した表情になった。
橋本は両手を見える位置に出し、ゆっくり歩いた。
「そんな怖い顔するなって、俺だよ。少なくとも今のところ、二人と喧嘩するつもりはない」
「その言い方が一番信用できない」
神室はそう返したが、すぐに襲ってくる様子はなかった。
坂柳が顔を上げる。
「橋本くんでしたか。思ったより早くお会いできましたね」
「俺も姫さんを探してたんだ。こういう状況じゃ、一人でふらつくより頭のいい人の近くにいた方がいいと思ってね」
「随分と正直ですね」
「今は回りくどいことしてる余裕もないだろ」
坂柳は僅かに笑った。
いつもの学校とほとんど変わらない表情だった。
首には全員と同じ管理装置が取り付けられている。
それだけが異常な状況を示していた。
橋本は二人の近くまで来ると、バッグを地面へ置いた。
「姫さんたちは、もう何か分かった?」
「まだ分かったというほどではありません。
ただ、このゲームが参加者に何をさせたいのかについては、ある程度見えてきました」
「最後の一人になるまで争わせたい。それ以上に何かある?」
「それだけなら、禁止区域を細かく設定する必要はありません。
島を閉鎖して武器を渡し、七十二時間待てばいい。
しかし実際には、一定時間ごとに行動可能な場所を減らしていく。
つまり運営側は、生徒たちが互いを避け続けることを許さないつもりなのでしょう」
橋本は地図へ目を落とした。
第一回禁止区域の予告は、すでに端末へ届いている。
島の外周に近い複数の地域が対象になっていた。
「外側から中央へ押していくってことか」
「現段階ではその可能性が高いですね。ただし、毎回単純に外側から削るだけとは限りません。
参加者が特定の地域へ集中しすぎれば、その場所を次の指定へ入れることで人の流れを変えることもできます」
神室が腕を組む。
「要するに、私たちは地図の上で動かされてるってこと?」
「そう考えた方が自然です。重要なのは、禁止区域そのものより、人間が禁止区域をどう恐れるかでしょう」
橋本はその言葉に引っ掛かった。
「どういう意味?」
坂柳は地図上の商業地区を指した。
「例えば、ある地域が二時間後から禁止されると発表されたとします。
その瞬間から、そこにいる人間は移動を始めるでしょう。
しかし全員が同じ速度で動くわけではありません。
慎重な人間は早く出る。ぎりぎりまで物資を探す人間もいる。
大集団は移動に時間がかかり、一人で動く者は比較的自由です。
さらに、首輪の存在を強く恐れている人ほど、余裕を持って安全区域へ入ろうとするでしょう」
橋本は少し考えた。
「つまり、区域の発表を見れば、次にどこへ人が集まるか読める?」
「完全には読めませんが、選択肢は減ります。
人間は自由に動いているつもりでも、安全な場所が限られれば行動には傾向が生まれるものです」
神室が坂柳を見る。
「龍園も同じこと考えそう」
「ええ。ただ、龍園くんならもっと直接的に利用するでしょうね。
恐怖を相手に意識させ、時間を使わせ、自分に都合のいい方向へ動かそうとする。
一方で私は、相手に操作されていると感じさせない方が好みです」
橋本は思わず笑った。
「姫さんらしいな。龍園は追い立てる。姫さんは、逃げ先に先回りするって感じか」
「大まかには、その理解で構いません」
坂柳は穏やかに答えた。
橋本はこの時点で、やはり合流して正解だったと思った。
ゲーム開始から数時間しか経っていない。
多くの生徒は、自分の武器や食料、どこへ逃げるかで精一杯だろう。
しかし坂柳は、すでに島全体の人間の流れを見始めている。
「そういえば橋本くん、あなたの支給品は何でしたか?」
坂柳が尋ねた。
橋本は少し顔をしかめた。
「期待しないでくれよ。俺もかなりの外れを引いたから」
バッグからゲーム機を取り出す。
神室が見た。
「何それ」
「見ての通りゲーム機。暇つぶしには最高だけど、今欲しいのは絶対これじゃない」
神室は呆れたように息を吐いた。
「本当に支給品の差、めちゃくちゃね。銃持ってる奴もいるのにゲーム機って」
橋本は肩をすくめた。
「一応通信機能があるみたいだったから外へ繋げられないか試したけど、
ネットワークは見つからなかった。まあ、そんな簡単に助けを呼ばせるわけないよな」
その言葉を聞いた瞬間、坂柳の表情がわずかに変わった。
「通信機能があるのですか?」
「ある。使えるかどうかは別だけど」
「見せていただけますか?」
橋本はゲーム機を渡した。
坂柳は画面を確認する。
神室が横から覗き込む。
「本当に何も繋がらないんじゃないの?」
「そう判断するには早いでしょう。橋本くんが試した場所で利用可能な回線が存在しなかっただけなのか、
島全体が遮断されているのか、それとも特定の通信だけが制限されているのかは、まだ分かりません」
橋本は少し感心した。
「俺は一回繋がらなかった時点で諦めたけど、姫さんはまだ試すんだ」
「可能性が低くても、確認できることを確認せずに捨てる理由はありません。
このゲームから出る方法が存在するなら、戦って最後の一人になるより先に試すべきでしょう」
神室が少し意外そうな顔をする。
「坂柳でも、外へ助けを求めるのね」
「当然です。私は殺し合いそのものに価値を感じているわけではありませんから。
外部へ情報を送れる可能性があるのなら、それを試すことと、ゲームの中で生き残る方法を考えることは両立します」
橋本はその言葉を聞いて、少し安心した。
坂柳はゲームへ適応し始めている。
しかし、最初から最後の一人になるために他人を排除しようとしているわけではない。
使える脱出手段があるなら試す。
そのうえで無理だと判断すれば、次へ進む。
それが坂柳のやり方だった。
三人は商業地区の中でも比較的高い建物へ移動した。
低層の店舗が多いこの地域では、三階建ての事務所ビルでも周囲を見渡しやすい。
階段を上がり、窓際から島の中央部を確認すると、遠くに学校らしい大きな建物が見える。
坂柳はそこでゲーム機を再び起動し、通信状況を確認した。
橋本も横から画面を見る。
やはり、外部へ接続できる通常のネットワークは表示されない。
「ダメか」
「少し待ってください」
坂柳は画面を確認し続けた。
何度か表示を切り替える。
外部サービスへ接続しようとしても応答はない。
ゲーム機そのものは正常に動いている。
つまり壊れているのではなく、外へ繋がる経路だけが存在しないか、遮断されている可能性が高い。
坂柳はしばらく黙っていたが、やがてゲーム機を閉じた。
「現時点では、外部との通信は期待できませんね」
橋本が聞く。
「完全に無理?」
「完全とは言い切れません。ただ、少なくともこれを持って島の中を歩き回り、
偶然通信可能な場所を探すことへ時間を使うのは効率が悪いでしょう。
外部へ接続できる場所が意図的に残されているのなら、
運営側がそれを放置している理由も考える必要があります」
神室が壁へ寄り掛かる。
「つまり、脱出ルート探しは一旦終わり?」
「ええ。少なくとも今は、島の中で生き延びることを優先します」
橋本はゲーム機を受け取った。
最初は完全な外れだと思っていた。
一瞬だけ希望になりかけた。
そして、また役に立たない物へ戻ったように感じた。
しかし坂柳は、そこで別のことを言った。
「それでも捨てない方がいいでしょう」
「通信できないのに?」
「電源があり、画面があり、情報を保存できる機器です。
今すぐ用途が思いつかないからといって、価値がないとは限りません。
それに、今後別の機器や設備と組み合わせられる可能性もあります」
橋本はゲーム機を見た。
「姫さんに言われると、急に大事な物に見えてくるな」
「橋本くんは、価値が決まっている物を探すより、価値が変わる物を見る方が向いていると思いますよ」
「それ、褒めてる?」
「どう受け取るかはお任せします」
神室が横から言う。
「たぶん褒めてない」
「神室、余計なこと言うなよ」
そんな会話をしている間にも、島の状況は動いていた。
窓から遠くを見ると、住宅地区側から中央へ向かう複数の人影が確認できる。
一人や二人ではない。
小さな集団が何組も動いている。
橋本が目を細めた。
「本当に中央へ集まってるな」
坂柳は地図へ視線を落とした。
「第一回禁止区域の影響でしょう。北西側と外周の一部が使えなくなるため、内側へ移動する人間が増えている。
しかし全員が学校施設へ入るとは限りません。人が多すぎる場所を危険と判断する者は、その周辺へ留まるはずです」
「じゃあ俺たちは?」
「中央へは行きません」
神室がすぐに聞いた。
「理由は?」
「現時点で集まる価値より、巻き込まれる危険の方が大きいからです。
特に武器を持った人間が中央へ入れば、それだけで周囲が警戒する。
誰か一人が過剰に反応すれば、混乱は連鎖します」
橋本は、ゲーム開始後に聞こえた銃声を思い出した。
銃を持っていることと、撃つことは違う。
しかし、周囲から見れば区別できない。
「一之瀬は中央へ行くかな?」
「おそらく人を集めようとするでしょう。一之瀬さんなら、人数を増やして相互に守るという発想を捨てにくいはずです」
「龍園は?」
「港湾地区か、その周辺で情報を集めている可能性が高いですね。
あの人は人が動き始めてからの方が本領を発揮します」
「堀北は?」
「安全性と合理性の両方を取ろうとするでしょう。
ただし、須藤くんや平田くんと合流していれば判断も変わります」
橋本は笑う。
「さすがに全員の動きまでは当たらないだろ」
坂柳も微笑んだ。
「もちろんです。人間は駒ではありませんから。だから面白いのですよ」
その言い方に、橋本は一瞬だけぞくりとした。
坂柳は人を盤上の駒のように見ることがある。
しかし完全に機械的な存在として扱っているわけではない。
予想から外れるからこそ、その反応を見る。
その性質は、今回のゲームと非常に相性がいい。
「まず情報を集めましょう」
坂柳が言った。
「この島で重要なのは武器だけではありません。どの区域に何人いるのか、どこで争いが起きているのか、
誰が誰と合流しているのか、そして禁止区域によって人の流れがどう変わるのか。
その情報を持つ者は、危険な場所へ入る前に避けることができます」
神室が尋ねる。
「どうやって集めるの?島中歩くわけにもいかないでしょ」
「だから橋本くんがいます」
橋本は自分を指差した。
「俺?」
「あなたは人へ話しかけることに抵抗がありませんし、必要以上に敵を作ることも避けられる。
集団へ近づきすぎず、目撃情報だけ集めて戻る役には向いています」
「完全に使われる側じゃん」
「嫌なら断っても構いませんよ」
橋本は苦笑した。
「断ったら、姫さんの近くにいる意味も薄くなるからな。それくらいはやるよ」
「では神室さんは私と一緒に周辺を確認してください。遠くへは行きません。
まず商業地区から管理地区へ抜ける道を押さえます」
神室が頷く。
「分かった。ただし、無茶はしないでよ」
坂柳は僅かに笑った。
「それはあなたに言うべき台詞でしょう」
橋本はそのやり取りを聞きながら、少しだけ学校に戻ったような感覚を覚えた。
もちろん現実には、首輪がある。
端末には生存者数が表示される。
遠くでは銃声も聞こえる。
それでも坂柳と神室が普段どおりに話しているだけで、異常な状況が一瞬遠ざかる。
しかし、その感覚は長く続かなかった。
三人の端末が同時に振動した。
橋本が画面を見る。
『生存者 151名』
数時間しか経っていない。
それなのに、開始時の百五十七名からすでに六人減っている。
神室の表情が険しくなる。
「また減った」
橋本も黙った。
数字だけ。
名前はまだ表示されない。
だから誰なのか分からない。
同じクラスかもしれない。
知り合いかもしれない。
昨日まで話していた相手かもしれない。
坂柳は画面を見つめたあと、静かに端末を閉じた。
「速度が上がっていますね」
橋本が聞く。
「何が?」
「参加者がゲームへ適応する速度です。
開始直後の一人目は、おそらく混乱や偶発的な争いだった可能性もあります。
しかし、その結果を全員が知れば、『本当に誰かが死んでいる』という事実が共有される。
そこからは、自分も先に動かなければならないと考える人間が増えるでしょう」
「止まらなくなるってことか」
「止める人間がいなければ、そうなる可能性はあります」
神室が坂柳を見る。
「じゃあ一之瀬みたいに、人を集める奴が必要?」
「必要ではあります。ただし、それだけで解決するとは思いません。
一之瀬さんの善意に集まった人間全員が、同じ善意を持っているとは限りませんから」
橋本はその言葉の意味を考えた。
一之瀬なら、できる限り多くの生徒を助けようとするだろう。
しかし、その集団へ入る側の理由は違う。
本当に協力したい者。
一人になるのが怖い者。
強い人間の近くにいたい者。
食料や安全を期待する者。
そして、もしかすると情報や武器を狙う者もいる。
人数が増えれば安全になる。
同時に、内部の目的も増える。
「大集団はいつか割れる」
橋本が言った。
坂柳は否定しなかった。
「最後の一人という条件が消えない限り、その可能性は高いでしょう。
ただし、いつ割れるかは別です。開始直後に崩れる集団もあれば、最後まで互いを守ろうとする集団もあるでしょう」
「姫さんは、俺たちもいつか割れると思ってる?」
橋本が冗談めかして尋ねた。
神室が睨む。
「こんな時に何聞いてるの?」
しかし坂柳は表情を変えなかった。
「可能性だけを言えば、当然あります」
橋本の笑みが僅かに止まる。
坂柳は続けた。
「ただし、その可能性があることと、今から互いを疑うことは同じではありません。
未来の裏切りを恐れて現在の協力を捨てるのは、合理的ではないでしょう」
橋本はしばらく黙ったあと、小さく笑った。
「それ聞けただけで十分だよ」
「そうですか?」
「ああ。少なくとも今すぐ俺を切る気はないってことだろ」
神室が呆れたように言う。
「あんた、本当にそういうとこだけは図太いね」
「こういう時は図太い方が長生きするんだよ」
坂柳は地図を畳んだ。
「では、その長所を活かしていただきましょう。
橋本くんには周辺の生徒から情報を集めてもらいます。
ただし、武器や物資を無理に聞く必要はありません。
誰を見たか、どこから来たか、どこへ向かっていたか、それだけで十分です」
「了解。で、誰を重点的に?」
坂柳は少し考えた。
「まず龍園くん、一之瀬さん、堀北さん、高円寺くん、それから綾小路くんですね」
橋本は最後の名前に反応した。
「綾小路?」
「ええ」
「そこまで重要?」
坂柳は微笑んだ。
「橋本くんは、まだ彼を十分に見ていませんから」
「姫さんは見てるって?」
「少なくとも、普通の生徒として扱うつもりはありません」
橋本は肩をすくめた。
「分かったよ。見かけた奴がいたら聞いてくる」
「それと、綾小路くん単独だけでなく、長谷部さん、佐倉さん、三宅くん、幸村くんの動きも確認してください」
「グループごと?」
「綾小路くんが一人で動いているのか、それとも彼らを探しているのかによって、行動は大きく変わります」
神室が坂柳を見る。
「そこまで読むの?」
「人間が何を優先するかを知ることは重要です。
特に、このゲームでは『誰と一緒にいるか』が、そのまま次の行動理由になりますから」
橋本は、その言葉を頭の中へ残した。
誰といるか。
どこへ行くか。
何を持っているか。
どれも情報になる。
ゲームが始まる前なら、ただの人間関係だった。
今は全部が生存へ繋がっている。
三人は建物を出た。
商業地区の道路には、先ほどより人が増えていた。
禁止区域から移動してきた者。
中央を避けて外周を回ってきた者。
少人数の集団。
一人で歩く者。
橋本は、それまでならただ「生徒が歩いている」としか見なかった光景を、
坂柳の話を聞いたあとでは別の目で見るようになっていた。
どこから来た。
何人でいる。
誰と一緒にいる。
どちらへ向かっている。
そう考えるだけで、雑然としていた人の流れに少しずつ意味が見えてくる。
坂柳は同じ景色をもっと細かく見ているのだろう。
橋本はそう思った。
そのとき、道路の向こうから三人の生徒が歩いてきた。
一人は坂柳クラスの男子だった。
橋本が声を掛ける。
「おい、ちょっといいか。どこから来た?」
相手は警戒しながらも答えた。
「港の方からだ。あっちはかなり荒れてる。銃声が何度も聞こえたし、人が東側へ流れてる」
坂柳が反応する。
「港湾地区の北西側からですか?」
「そう。禁止区域のせいで、みんな同じ方向へ押されてた」
「龍園くんを見ませんでしたか?」
男子は少し考えた。
「見た。石崎と葛城、それから西野とアルベルトもいたと思う」
橋本と神室が坂柳を見る。
龍園クラスがまとまり始めている。
「武器は?」
神室が尋ねかけた。
坂柳が視線だけで止める。
質問された男子も警戒した。
橋本がすぐに話を戻す。
「どっちへ向かってた?」
「住宅地区側。中央へ直行する感じじゃなかった」
坂柳は頷いた。
「ありがとうございます。十分です」
男子たちはその場を離れた。
橋本が小声で言う。
「姫さんの予想、当たってるじゃん」
「まだ一つだけですよ」
「でも龍園は港で人の流れ見てた」
「ええ。そして葛城くんも一緒なら、龍園くんは勢いだけで動くことも少なくなるでしょう」
橋本はそこで思い出した。
「葛城、確かに今は龍園クラスだな」
「そうですね。龍園くんの大胆さと葛城くんの慎重さが組み合わされば、かなり厄介な集団になります」
神室が眉を寄せる。
「龍園一人でも面倒なのに」
「だからこそ、直接ぶつかる必要はありません」
坂柳は地図を開いた。
「彼らがどこへ行くのかを知っていれば、同じ場所へ行かなければいい。それだけでも十分な優位です」
橋本は笑った。
「やっぱり姫さん、戦う気ないじゃん」
「不必要な戦闘を避けることと、戦えないことは別です。
生き残るために必要なのは、勝てる相手を探すことではなく、勝負そのものをしなくていい状況を増やすことでしょう」
その言葉を聞いて、橋本は少しだけ考え方が変わった。
銃を持っている者が強い。
人数が多い集団が強い。
そういう単純なものだと思っていた。
しかし坂柳は、危険な場所へ行かないこと自体を強さとして考えている。
戦う前に相手の場所を知る。
人の流れを読む。
禁止区域を先に見る。
それなら、武器が弱くても生き残れる可能性はある。
橋本のゲーム機も、今は何の役にも立っていない。
それでも、いつ別の価値を持つか分からない。
佐倉がピコピコハンマーを持っていることなど、橋本たちはまだ知らない。
だが、このゲームでは最初の支給品だけで人間の価値も、生存率も決まらない。
それを最初に理解した者たちが、少しずつ動き始めていた。
橋本たちが商業地区の北側へ移動してからしばらくすると、遠くで大きな破裂音が響いた。
銃声よりも低く、空気を震わせるような音だった。
三人は足を止める。
道路の先にいた生徒たちも一斉に振り返った。
数秒遅れて、港湾地区の方向から黒い煙が上がり始める。
神室が目を細めた。
「爆発?」
「距離はかなりありますね」
坂柳は煙の方向を確認した。
橋本は端末を見る。
まだ新しい通知はない。
「龍園たち、大丈夫かな」
神室が少し意外そうに橋本を見る。
「心配するんだ」
「そりゃ知ってる奴だからな。敵になる可能性があるからって、今すぐ死んでほしいわけじゃない」
坂柳は橋本の言葉を聞きながら、黒煙を見ていた。
「むしろ、あの規模の混乱が起きたなら人の流れが変わります」
橋本が聞く。
「また地図?」
「ええ。禁止区域だけが人を動かすわけではありません。
銃声、爆発、噂、目撃情報、それらすべてが生徒の進路を変える要因になります」
坂柳は端末へ視線を落とした。
「これからは、地図に記載されていない『危険区域』も増えるでしょうね」
「誰かが撃ってる場所とか?」
「そうです。そして実際に危険でなくても、『危険だという噂』だけで人は避ける。
逆に、安全だという噂が広まれば、そこへ人が集まる可能性もあります」
橋本は思わず笑った。
「姫さん、もうゲームより人間観察してない?」
「このゲームで最も重要なのは、人間でしょう?」
坂柳は当然のように答えた。
その直後、端末が振動した。
生存者数の更新。
『生存者 153名』
また一人減った。
橋本は画面を見たまま黙った。
神室も何も言わない。
坂柳だけが数字を確認し、それから周囲を見る。
泣いている生徒。
足を速める生徒。
仲間同士で顔を見合わせる者。
通知を見て立ち止まる者。
たった一つ数字が減っただけで、道路全体の空気が変わる。
「分かりますか、橋本くん」
坂柳が静かに言った。
「何が?」
「首輪や禁止区域だけではありません。この生存者数の表示もまた、参加者を動かすための装置です。
一人減るたびに、全員が『ゲームは進んでいる』と理解させられる」
橋本は端末を見る。
「数字そのものが脅しってこと?」
「ええ。誰が死んだのか分からないからこそ、自分の知り合いではないかと想像する。
そして同時に、自分も次に数字を減らす側になるかもしれないと考える。その恐怖が判断を急がせます」
神室が小さく息を吐いた。
「趣味悪すぎる」
「同感です」
坂柳は端末を閉じた。
「だからこそ、相手より先に恐怖へ飲まれてはいけません」
橋本はその横顔を見る。
坂柳が怖くないわけではない。
首輪を付けられている。
最後の一人という条件も同じ。
身体的な不利もある。
それでも彼女は、恐怖を消そうとはしていない。
恐怖が存在する前提で、それが自分や他人の判断へどう影響するかを考えている。
その違いが大きかった。
「次はどうする?」
橋本が尋ねる。
坂柳は地図を広げた。
「第一回禁止区域の発動まで、それほど時間がありません。
私たちは商業地区の東側へ移動し、中央施設と住宅地区の間を通る人の流れを確認します。
ただし中央施設そのものには入りません」
「人を観察する?」
「それだけではありません。次の禁止区域が発表された際、
どの方向へ逃げる人間が多いのかを記録します。
最初の一回だけでは意味がありませんが、
二回、三回と続けば、運営側が区域を設定する傾向も見えてくる可能性があります」
神室が苦笑する。
「もう完全にデータ集めじゃない」
「何も考えず歩き回るよりは有益でしょう」
橋本はゲーム機をバッグへ戻しながら頷いた。
「俺も協力するよ。どうせこのゲーム機じゃ敵と戦えないし、情報集める方が向いてそうだ」
坂柳は少し笑った。
「その判断は正しいと思いますよ。
もっとも、橋本くん自身が武器を持っていないと周囲に知られる必要はありませんが」
「そこまで考える?」
「当然です。相手にこちらの弱さを教える理由はありません」
橋本は自分のバッグを見た。
中にはゲーム機。
それだけ。
しかし、外から見れば何が入っているか分からない。
その分からなさ自体が、今は一種の防御になっている。
三人は再び歩き始めた。
坂柳が中央。
神室が少し前。
橋本が周囲の生徒へ声を掛けながら後ろをついていく。
この時点で、彼らはまだ大きな集団ではない。
銃を持っているわけでもない。
龍園クラスのような身体的戦力も揃っていない。
それでも橋本には、不思議と先ほど一人で歩いていたときより安心感があった。
坂柳は目の前の危険だけを見ていない。
次に人がどこへ動くか。
その次に何が起きるか。
そういう少し先の未来を考えている。
それがあるだけで、闇雲に逃げ続ける必要がなくなる。
そして坂柳自身もまた、橋本が思っている以上に早い段階で一つの結論へ辿り着いていた。
このゲームで本当に恐ろしいのは、拳銃でも、散弾銃でも、刃物でもない。
人間の行動を限定し、残された選択肢の中から自分で決めたと思わせながら、同じ場所へ集めていく仕組みそのものだった。
禁止区域が発表されれば、生徒は移動する。
首輪を意識すれば、余裕を失う。
生存者数が減れば、判断を急ぐ。
銃声が聞こえれば、反対方向へ逃げる。
噂が流れれば、確認せずに信じる者が現れる。
その一つ一つを坂柳は記憶していた。
ゲームの盤面には、まだ百五十一人が残っている。
そしてその中には、坂柳と同じように盤面そのものを見始めている龍園翔がいる。
大人数を守ろうとする一之瀬帆波がいる。
仲間を探している長谷部波瑠加たちがいる。
そして、坂柳が最も行動を読み切れない男、綾小路清隆もどこかにいる。
「橋本くん」
歩きながら坂柳が呼んだ。
「どうした、姫さん?」
「綾小路くんの情報が入ったら、他の誰より先に教えてください」
橋本は少し笑った。
「そこまで気になる?」
「ええ。今回のゲームでは、彼が誰を守ろうとするのかに興味があります」
橋本には、その意味がまだ分からなかった。
坂柳も説明するつもりはなかった。
ただ、彼女は知っている。
綾小路清隆という人間が、本当に自分だけの生存を優先するのであれば、
この島で最も危険な存在の一人になり得ることを。
だからこそ、その男が最初に何を選ぶのかを見たかった。
自分を守るのか。
クラスを守るのか。
特定の誰かを守るのか。
それによって、この七十二時間の盤面は大きく変わる。
坂柳はそう考えながら、遠くに見える中央施設へ視線を向けた。
そこではすでに、多くの生徒が集まり始めている。
そして誰も知らないところで、最初の大きな集団が形成されようとしていた。
その中心にいるのは、一之瀬帆波。
坂柳有栖が人間の流れを盤面として見始めたのと同じ頃、
一之瀬はまったく逆の発想から、一人でも多くの生徒を同じ場所へ集めようとしていた。
七十二時間のゲームは、武器を持つ者だけでなく、
それぞれ異なる思想を持つ者たちによって少しずつ形を変え始めていた。