バトル・ロワイアル ようこそ虐殺至上主義の教室へ 作:カツカレー!
佐倉愛里が清隆の姿を見つけたのは、ゲーム開始から七時間近くが経過し、
中央施設の周囲に夕暮れの色が広がり始めた頃だった。
それまで愛里たち四人は、中央施設の正面で発生していた混乱を避け、
幸村の提案に従って北側の細い道路から迂回していた。
学校を模した古い施設の周囲には、第一回禁止区域から逃れてきた生徒だけでなく、
一之瀬を頼って集まった者、中央なら何か情報を得られるのではないかと考えた者、
単純に一人になることを恐れて人の多い場所へ来た者まで集まり始めており、
遠くから見ただけでも開始直後とは比較にならないほど人の流れが複雑になっていることが分かった。
一之瀬を中心とした大きな集団が校舎や体育館を利用しているらしいという情報も、
途中ですれ違った生徒から聞いていた。
しかし愛里たちがそこへ合流することはなかった。
波瑠加は一之瀬なら信用できると言いながらも、
今の自分たちの最優先は清隆を探すことだと譲らず、
明人も大人数の集団へ入ってしまえば再び動きづらくなると考えていた。
啓誠も、一之瀬本人の善意と、
その周囲に集まった全員の善意を同一視するべきではないという理由から、
少なくとも清隆を見つけるまでは独自に行動した方がいいと判断していた。
愛里も同じ気持ちだった。
四人になったことで、一人だった頃の恐怖はかなり和らいでいる。
それでも何かが足りない。
波瑠加がいて、明人がいて、啓誠がいる。
それだけで十分心強いはずなのに、四人で歩いているほど、
普段なら自然にそこへいるはずの一人がいないことを意識してしまう。
清隆。
いつもなら自分から会話の中心へ入るわけではない。
それでも五人で集まれば、当然のように同じ場所へ座っている。
話を振れば答えるし、波瑠加と明人が冗談を言い合っているときには、静かにそれを聞いている。
啓誠が難しい話を始めれば最後まで付き合い、愛里が会話へ入りにくそうにしていれば、
いつの間にか話題の中へ入れるような言葉を投げてくれることもあった。
愛里にとって清隆は、強く前へ出る人ではないのに、いなくなるとすぐに分かる存在だった。
「愛里、疲れてない?」
前を歩いていた波瑠加が振り返った。
愛里は少し考えてから首を振る。
「まだ大丈夫だよ。波瑠加ちゃんの方こそ、ずっと歩いてるけど平気?」
「私もまだ大丈夫。みやっちが何回も休めって言ってくるし、
ゆきむーも歩く速さを落とせってうるさいくらいだから、むしろ休みすぎてる気がする」
前方を確認していた明人が振り返った。
「お前らが無理して動けなくなったら困るから言ってるんだろ。
特に愛里は朝からずっと歩いてるんだから、疲れてから休むんじゃ遅いぞ」
波瑠加がすぐに言い返す。
「はいはい、みやっちは本当にこういう時だけお兄ちゃんみたいになるよね。さっきも私が水飲む量まで見てたでしょ」
「こういう時だけって何だよ。俺は普段からそこそこ気が利く方だろ」
「自分で言うんだ、それ」
愛里は二人のやり取りを聞きながら、少しだけ笑った。
啓誠も地図から顔を上げ、呆れたように言う。
「話しながら歩くのは構わないが、声は抑えてくれ。
中央施設の周囲は人が多すぎるし、全員が一之瀬たちのように協力的だとは限らない。
俺たちが四人でいること自体、別の集団から見れば警戒する理由になる」
波瑠加が肩をすくめる。
「ゆきむーは相変わらず真面目だね。でも、その真面目さに今は助けられてるから文句は言わないでおく」
「最初から言うな」
四人は速度を落とした。
冗談を言える余裕が戻ったのは、本当に大きかった。
一人だったときの愛里には、遠くで音がするたびに身体が固まり、
人影を見つけるたびに逃げるべきか近づくべきか迷っていた。
波瑠加と再会し、さらに明人と啓誠まで見つかったことで、
同じ島にいるという事実そのものは変わっていないのに、世界の見え方だけは大きく変わった。
その安心が危険なものなのかもしれないことも、愛里は分かり始めていた。
仲間がいると、自分一人なら避けた場所へ進めてしまう。
明人がいるから大丈夫だと思う。
啓誠が考えてくれるから大丈夫だと思う。
波瑠加が隣にいるから大丈夫だと思う。
そして清隆が見つかれば、もっと大丈夫だと思ってしまうだろう。
でも、このゲームでは誰かに頼ることと、その誰かへすべてを任せることは同じではない。
愛里はそこまで明確な言葉にできていたわけではないが、
少なくとも自分だけが守られる側のままではいけないという感覚は、少しずつ生まれ始めていた。
きっかけは明人だった。
中央施設へ向かう途中、道路の角を確認するたびに明人が先へ出ようとする。
危険な音がすれば、自然と三人の前へ立つ。
それを見ているうちに、愛里は安心すると同時に怖くなった。
もし明人が自分たちを守るために危険な目へ遭ったらどうするのか。
そのとき自分は、ピコピコハンマーを握りながら後ろにいるだけなのか。
だから先ほど、明人がまた前へ出ようとしたとき、波瑠加と一緒に止めた。
愛里自身は強い言葉を言えなかった。
それでも「明人くんも一緒にいてほしい」と伝えることはできた。
明人は少し困った顔をしたあと、「分かった」と答えてくれた。
その小さなやり取りが、愛里にとっては大きかった。
守られるだけではない。
自分も誰かを失わないために何かを言える。
それも一つの行動なのだと思えたからだった。
四人が北側の道路を進んでいると、古い校舎の裏手へ続く坂道の途中で、二人の男子生徒とすれ違った。
相手は一之瀬クラスらしく、中央施設から離れる方向へ歩いていた。
啓誠が距離を保ったまま声を掛ける。
「少し聞きたいんだが、綾小路清隆を見なかったか。俺たちは同じグループで、朝から探している」
男子の一人が立ち止まり、少し考えた。
「綾小路って堀北クラスの、あまり目立たない奴だよな?」
波瑠加がすぐに反応する。
「そう、それ。茶髪で、表情があんまり変わらなくて、たぶんこういう状況でも普通の顔して歩いてる人」
明人が横から苦笑した。
「説明が雑すぎるだろ」
しかし相手には通じたらしい。
「それなら、少し前に見たかもしれない。
中央施設の西側じゃなくて、北東の旧図書棟みたいな建物の近くを一人で歩いてた」
愛里の表情が変わった。
「本当ですか?」
「たぶんだけどな。遠かったから絶対とは言えない。でも、一人だったのは覚えてる」
啓誠がすぐに地図を開く。
北東側。
今いる場所からそれほど遠くない。
中央施設を挟んで反対側でもない。
「何分くらい前だ?」
「十五分か二十分くらいだと思う。俺たちは一之瀬たちのところから抜けてきたんだけど、その途中で見かけた」
波瑠加が愛里を見る。
愛里も波瑠加を見る。
言葉にしなくても、考えていることは同じだった。
ようやく見つかるかもしれない。
「ありがとう。助かった」
明人が礼を言い、二人はそのまま坂道を下っていった。
波瑠加はすぐに地図を覗き込む。
「ゆきむー、図書棟ってどこ?」
「ここだ。今の位置から北東へ五百メートルほどだから、走る必要はない。むしろ周囲を確認しながら進んだ方がいい」
「五百メートルならすぐじゃん。愛里、行こう」
波瑠加が愛里の手首を取ろうとしたところで、明人が止める。
「気持ちは分かるけど、今まで散々急ぐなって言ってただろ。
人が増えてる場所なんだから、清隆を見つける直前にこっちが危ない目に遭ったら意味ないぞ」
波瑠加は少し不満そうだったが、すぐに頷いた。
「分かってる。ちゃんと気をつけるから、みやっちも急に一人で前へ出たりしないでよ」
「それも分かってるって」
四人は北東へ進んだ。
愛里は歩きながら何度も前方を見た。
十五分前。
まだ近くにいる可能性は高い。
しかし、十五分あれば人はかなり移動できる。
別の集団に合流しているかもしれない。
誰かと出会って方向を変えたかもしれない。
それどころか、さっきまで生きていても、今どうなっているかは分からない。
そこまで考えてしまった瞬間、愛里の胸が強く締めつけられた。
「清隆くんは大丈夫」
自分でも気づかないうちに口にしていた。
波瑠加が横を見る。
「うん、大丈夫。きよぽんがそう簡単にやられるとは思えないし、あの人ってこういう時ほど変に落ち着いてそうだから」
明人も前を見ながら続ける。
「俺もそう思う。むしろ俺たちが四人で探し回ってる間に、向こうもこっちを探してる可能性あるんじゃないか」
啓誠が少し考える。
「十分あり得る。ただ、清隆なら闇雲に歩き回るより、人が集まりやすい地点を予測して探すだろう。
そう考えると、中央施設周辺へ来たのも偶然ではないかもしれない」
波瑠加が笑った。
「それなら私たち、やっときよぽんの考えに追いついたってこと?」
「まだ本人を見つけていない以上、断定するな」
「ゆきむーは本当に最後まで真面目だね」
そうした会話を続けているうちに、北東側の建物が見えてきた。
二階建ての古い施設。
正面には色褪せた案内板があり、文字の一部だけが残っている。
旧図書棟。
周囲には数人の生徒がいた。
建物の中へ入る者。
外で地図を見る者。
道路を通過するだけの者。
そして、その中に愛里が探していた姿はなかった。
愛里は足を止める。
波瑠加も同じだった。
「いない……」
「まだ建物の中かもしれない」
明人が周囲を見る。
「目撃されたのがここなら、近くにいる可能性はある。とりあえず聞いてみよう」
四人は図書棟の前にいる女子へ声を掛けた。
清隆を見なかったか。
その女子は知らないと答えた。
次に男子へ聞く。
やはり分からない。
三人目。
四人目。
誰も確かな情報を持っていなかった。
愛里の中で、期待が少しずつ不安へ変わる。
目撃情報が間違いだったのかもしれない。
すでに別の場所へ移動したのかもしれない。
「私、中を見てくる」
愛里が言った。
波瑠加が一瞬驚いた。
普段なら、愛里が最初に自分から動くことは少ない。
しかし今回は、愛里自身が歩き出していた。
「じゃあ私も行く。みやっちとゆきむーは外を見てくれる?」
明人が頷く。
「分かった。ただし建物の奥まで入るなよ。人がいるなら一度戻ってきてくれ」
啓誠も付け加える。
「階段より先へ行かず、一階だけ確認しよう。何かあればすぐ声を出せ」
愛里は頷いた。
波瑠加と二人で図書棟へ入る。
内部は薄暗かった。
窓から夕方の光が入っているものの、照明の多くは点いていない。
古い本棚。
空になった受付。
椅子と机。
放置された掲示板。
人の気配はほとんどない。
「きよぽん?」
波瑠加が少し抑えた声で呼ぶ。
返事はない。
愛里も続ける。
「清隆くん、いる?」
自分の声が広い室内へ響く。
何度か呼ぶ。
それでも返事はなかった。
二人は一階の奥まで行かず、啓誠との約束どおり途中で引き返した。
「いないね」
波瑠加が小さく言う。
愛里は頷いた。
「うん……」
「でも近くにはいると思う。十五分前なら、そんな遠くまで行ってないよ」
波瑠加は明るく言った。
愛里が落ち込まないようにしているのだと分かった。
「波瑠加ちゃん」
「ん?」
「ありがとう」
「何が?」
「ずっと、大丈夫って言ってくれるから」
波瑠加は少しだけ困ったように笑った。
「私も愛里に大丈夫って言ってもらってるから、お互い様じゃない?」
愛里も笑った。
二人が外へ戻る。
明人と啓誠は道路の反対側にいた。
何かを見ている。
「みやっち?」
波瑠加が呼ぶ。
明人がこちらを向き、すぐに手招きした。
「こっち来い」
声は大きくない。
しかし明らかに何かを見つけた様子だった。
愛里と波瑠加が近づく。
啓誠が道路の先を指した。
「さっき、一人で歩いている奴が角を曲がった。顔は見えなかったが、背格好が清隆に近い」
愛里の心臓が再び速くなる。
「どっち?」
「この先だ。ただ、追いかけるなら四人で行く」
明人が言った。
波瑠加も頷く。
四人は道路を進んだ。
曲がり角を一つ。
次の交差点。
人影は見えない。
さらに進む。
愛里は歩きながら周囲を見続ける。
古い商店。
閉じたシャッター。
細い路地。
その先。
誰かが立っていた。
背中を向けている。
黒いバッグ。
制服。
見慣れた髪。
愛里は足を止めた。
波瑠加も止まる。
明人も啓誠も、すぐに気づいた。
それでも愛里は、確信するまで数秒かかった。
遠目では似た人間かもしれない。
何度も期待して、違ったら怖い。
しかし、相手が少しだけ横を向いた。
顔が見える。
間違いない。
「……清隆くん」
愛里の声は、自分でも驚くほど小さかった。
それでも相手には届いた。
男子が振り返る。
いつもとほとんど変わらない表情。
綾小路清隆。
そこにいた。
「愛里?」
その一言を聞いた瞬間、愛里は走り出しかけた。
しかし途中で速度を落とした。
一人で飛び出さない。
さっきまで何度も話してきたことを思い出したからだ。
それでも足は自然と速くなった。
波瑠加はそんな遠慮などしなかった。
「きよぽん!」
清隆のところまで駆け寄る。
「やっと見つけた!どこ行ってたの!?」
清隆は少しだけ波瑠加を見た。
「どこ、と言われても説明しづらいな。朝から移動しながら、お前たちを探していた」
「やっぱり探してたんじゃん!だったらもっと目立つところにいてよ!」
「目立つ場所ほど危険だと思った」
「そういうところだけ合理的なんだから」
波瑠加の声には文句が混じっている。
しかし表情は明らかに嬉しそうだった。
明人も近づく。
「無事だったか、清隆」
「ああ。明人も問題なさそうだな」
「見ての通り。啓誠もいるし、波瑠加と愛里も無事だ」
啓誠も頷いた。
「これで全員だ」
愛里は少し離れたところから、四人の会話を見ていた。
清隆がこちらを見る。
「愛里も怪我はないか?」
「うん、大丈夫だよ。清隆くんも?」
「今のところ問題ない」
いつもの声だった。
それだけで愛里の目の奥が熱くなる。
泣くつもりはなかった。
でも、朝からずっと探していた。
一人で目を覚まし、ピコピコハンマーしか持っていないことを知り、
銃声を聞き、生存者数が減るたびに四人の名前を思い浮かべた。
波瑠加を見つけた。
明人を見つけた。
啓誠を見つけた。
そして最後に清隆まで見つかった。
五人。
本当に五人揃った。
「愛里?」
清隆に呼ばれ、愛里は慌てて目元を擦った。
「ごめん。何でもないの。ただ、みんな無事だったから、ちょっと安心して……」
波瑠加が愛里の肩へ腕を回す。
「分かる。私も今かなり安心してる。きよぽんだけ最後まで見つからなかったから、さすがに心配したんだからね」
清隆は少し間を置いた。
「悪かったな」
波瑠加が目を丸くする。
「きよぽんが素直に謝った」
「そこまで珍しいか?」
「ちょっと珍しい」
明人が笑い、啓誠も僅かに表情を緩めた。
それだけで空気が変わった。
ここが見知らぬ島であること。
首輪が付いていること。
端末には生存者数が表示されること。
どこかで今も争いが起きていること。
全部消えたわけではない。
それでも、この瞬間だけは学校で五人集まっている時と少し似ていた。
波瑠加がふと清隆の手元を見る。
「そういえば、きよぽんの支給品って何だったの?」
愛里も気になって清隆を見る。
明人と啓誠も同じだった。
清隆はバッグの横へ固定していた物を取り出した。
二本の短い棒が連結された支給品だった。
波瑠加は数秒見てから言う。
「……ヌンチャク?」
「ああ」
明人が思わず笑う。
「また妙なの引いたな」
啓誠は少し考える。
「少なくとも水鉄砲やピコピコハンマーよりは使い道があるだろう」
波瑠加がすぐに反応する。
「ゆきむー、私と愛里の支給品を同時に外れ扱いしないでくれる?」
愛里はピコピコハンマーを持ち上げた。
「でも、これはたぶん外れだと思う」
「愛里まで認めないでよ」
清隆が愛里の手元を見る。
「それが支給品なのか?」
愛里は少し恥ずかしくなった。
「うん。最初に見たとき、私も何かの間違いだと思ったんだけど」
波瑠加が水鉄砲を持ち上げる。
「そして私はこれ。女子二人だけ完全にお祭りなんだけど」
明人が笑う。
「俺は懐中電灯。啓誠は双眼鏡。こうして見ると清隆まで含めて、俺たち銃持ってる奴が一人もいないんだな」
その言葉で、五人の空気が少し変わった。
拳銃。
散弾銃。
自動火器。
島にはそうした物を持つ生徒がいる。
一之瀬が拳銃を持っているという噂も、すでに中央施設周辺では広がり始めていた。
清隆は四人を見る。
「むしろ悪くないかもしれない」
波瑠加が首を傾げる。
「どういう意味?」
「強い武器を持っていれば安心できるとは限らない。
それを欲しがる人間もいるし、遠くから見ただけで危険な相手だと判断される可能性もある。
今の俺たちは少なくとも、積極的に奪われる理由になる物をほとんど持っていない」
明人が頷いた。
「確かに、銃持ってるって知られた方が怖いか」
「ただし、何も持っていないと思われるのも問題だ。支給品の内容を知らない相手にまで話す必要はない」
啓誠が言う。
「俺たちの間では共有しておくが、外では公開しない。それでいいだろう」
全員が頷いた。
愛里は少し驚いていた。
五人が揃った瞬間から、自然と話が進み始めている。
誰が命令したわけでもない。
清隆が全部決めているわけでもない。
啓誠が情報を整理し、明人が周囲を見て、波瑠加が気持ちの部分を言葉にし、清隆が抜けている視点を補う。
愛里はまだ何もできていないように感じた。
その考えが顔に出ていたのか、清隆がふと尋ねた。
「愛里、どうした?」
「え?」
「何か気になることがあるように見えた」
愛里は迷った。
普段なら「何でもない」と言っていたかもしれない。
でも、この数時間で少しだけ変わった。
「私だけ、あまり役に立ててないなって思ってたの。
波瑠加ちゃんはみんなに声を掛けてくれるし、明人くんは周りを見てくれるし、
啓誠くんは地図とか情報を整理してくれるし、清隆くんもきっといろんなこと考えてる。
でも私は、ずっとみんなについてきてるだけだから」
波瑠加がすぐに何か言おうとした。
しかし清隆が先に答えた。
「それは違うと思う」
愛里は清隆を見る。
「どうして?」
「一人でいた時に小野寺たちと行動して、波瑠加と再会するまで生き残った。
それから四人でここまで来た。少なくとも、自分で判断して動けている。何もしていない人間なら、ここにはいない」
愛里は少し黙った。
清隆は続ける。
「それに、役割は最初から決まっているものじゃない。
明人が前を見るのが得意でも、ずっと明人だけに任せる必要はないし、
啓誠が地図を読むのが得意でも、全員が地図を覚えておいた方がいい。
愛里も自分でできることを増やせばいいだけだ」
明人も頷いた。
「清隆の言う通りだ。というか、俺だって全部できるわけじゃないからな。
さっきも波瑠加に一人で前へ出るなって怒られたし」
波瑠加が胸を張る。
「そこはちゃんと私の功績として記録しておいて」
啓誠が呆れながらも言う。
「それなら愛里には、今まで会った人間や聞いた情報を覚えてもらうのもいいかもしれない。
人の顔をよく見ているし、俺たちが気づいていないことを覚えている可能性もある」
愛里は驚いた。
「私が?」
「苦手か?」
「ううん。人の顔は割と覚えてると思う」
「なら十分役に立つ」
それは愛里にとって嬉しい言葉だった。
戦えなくてもいい。
強い武器がなくてもいい。
それでも、自分にできることがある。
愛里は手の中のピコピコハンマーを見る。
相変わらず頼りない。
でも、それが自分自身の価値まで決めるわけではない。
そんなふうに初めて思えた。
五人はその場に長く留まらず、図書棟から少し離れた旧事務所へ移動した。
一階の窓が割れている場所は避け、出入口が二つある小さな会議室を一時的な休憩場所として選ぶ。
完全に安全かどうかは分からない。
それでも、夕方から夜へ変わる前に一度身体を休める必要があった。
啓誠が地図を机へ広げる。
明人が窓から周囲を確認する。
波瑠加と愛里はバッグから水と保存食を出した。
清隆は全員の物資量を確認した。
「食料は全員ほぼ同じか」
啓誠が頷く。
「三日分はない。放送でも保証しないと言っていたし、この量なら節約しても最後まで十分とは言えない」
波瑠加が包装を見ながら顔をしかめる。
「これ三日間食べ続けるの?私、もう普通のご飯食べたいんだけど」
明人が笑う。
「まだ一日も経ってないぞ」
「だからこそだよ。こういうの見たら余計にハンバーガーとか食べたくならない?」
愛里が少し笑う。
「私は温かいご飯とお味噌汁が食べたいかも」
「愛里は家庭的の選ぶね。私はハンバーガーとポテト、それから炭酸。ゲーム終わったら絶対食べる」
明人も会話へ入る。
「俺は肉だな。とにかく普通に焼いた肉が食いたい」
啓誠が呆れたように言う。
「今から食べ物の話をしたら余計に腹が減るだろ」
「ゆきむーは何食べたい?」
「今は何でもいい」
波瑠加がすぐに笑う。
「それ一番つまんない答え」
「食事の好みで面白さを求めるな」
愛里は笑いながら清隆を見る。
「清隆くんは?」
全員の視線が清隆へ向く。
清隆は少し考えた。
「ヨーグルト」
波瑠加が吹き出した。
「そこでヨーグルトなの?もっとごちそう想像しなよ」
「食べたい物を聞かれたから答えただけだ」
「きよぽんって本当にこういうところ変わらないよね」
笑いが広がった。
数時間前には考えられなかった光景だった。
五人で机を囲んでいる。
水を少しずつ飲み、保存食を分け、くだらない話をしている。
首輪さえなければ、どこかへ旅行に来た友人同士のようにも見えるかもしれない。
しかし、その安心の中で愛里は別のことを思い出した。
「お風呂……」
波瑠加がすぐに反応した。
「それ!愛里、それだよ。私も朝からずっと思ってたけど言わないようにしてた!」
明人が苦笑する。
「こんな状況でも気になるのか?」
「こんな状況だから気になるんでしょ。歩き回って汗かいて、
しかもあと二日以上あるかもしれないんだよ。シャワーだけでもいいから浴びたい」
愛里も頷く。
「私も……できれば」
啓誠が地図を見ながら考える。
「住宅地区に給水設備が残っている場所があるかもしれない。
ただ、衛生面だけのために危険な地域へ行くのは勧められない。まず水そのものの確保が優先だ」
波瑠加が机へ頬杖をついた。
「ゆきむーにお風呂の相談した私が間違ってた」
「現実的な話をしているだけだ」
「分かってるけど、もう少し夢を持ってよ」
明人が笑う。
「まあ、もし安全な場所で使える設備が見つかったら考えよう。それくらいの目標があった方がいいだろ」
清隆も否定しなかった。
「夜になる前に移動する必要があるなら優先度は低いが、ここで一晩過ごすなら周辺設備を確認する価値はある」
波瑠加が満足そうに頷いた。
「ほら、きよぽんの方がゆきむーより話分かる」
「俺は何も否定していないだろ」
啓誠が反論し、また小さな笑いが起きた。
愛里は、その笑いが長く続いてほしいと思った。
でも、続かないことも知っている。
最後の一人。
その条件は消えていない。
五人揃ったことで、むしろその言葉の重さは以前より増していた。
一人だったときは、最後の一人という言葉がただ恐ろしかった。
今は違う。
最後に一人しか残れないということは、目の前にいる四人と一緒に最後までいられないという意味になる。
波瑠加。
明人。
啓誠。
清隆。
全員無事なのに。
全員ここにいるのに。
ゲームだけが、その未来を否定している。
愛里は保存食の包装を見つめながら、知らないうちに黙り込んでいた。
波瑠加が気づく。
「愛里、どうしたの?」
愛里は迷った。
でも、今度も「何でもない」とは言わなかった。
「五人で揃ったのは嬉しいんだけど、揃ったら揃ったで、ちょっと怖くなったの」
波瑠加の表情が変わる。
明人と啓誠も黙る。
清隆だけが愛里を見ていた。
「最後には一人なんだよね」
愛里が言葉を続ける。
「今までずっと考えないようにしてたの。
波瑠加ちゃんを探して、明人くんと啓誠くんを探して、清隆くんを探せばいいって。
でも全員見つかったら、その次に何をすればいいのか分からなくなって……
私は五人でいたいのに、このゲームはそれを許してくれないから」
誰もすぐには答えなかった。
波瑠加が最初に視線を落とす。
明人も机の端を見ている。
啓誠は何かを言おうとして止めた。
最後に清隆が口を開いた。
「今すぐ最後の答えを出す必要はないと思う」
愛里が見る。
清隆は続ける。
「残りは六十時間以上ある。禁止区域も増えるし、食料や安全な場所の問題もある。
今の時点で最後の一人を誰にするか考えても、それまで生き残れなければ意味がない」
合理的な言葉だった。
それでも冷たくは聞こえなかった。
「だから今は、五人で生きる方法を考えればいい」
波瑠加が顔を上げた。
「五人で?」
「ああ。最後の条件が一人だからといって、今から一人になる必要はない。
少なくとも協力できる間は、協力した方が生存率は上がる」
啓誠も頷く。
「俺も同意だ。最後の条件を理由に、今から互いを疑うのは合理的ではない」
明人も続いた。
「俺は最後のことなんて今は考えたくない。せっかく五人揃ったんだから、しばらくこのままでいいだろ」
波瑠加は愛里の方を見る。
「ほら。だから愛里も今は変なこと考えなくていいよ。
七十二時間後のことは、その時の私たちに任せよう。
少なくとも今日の夜くらいは五人でいたって、誰にも文句言われないでしょ」
愛里は少し笑った。
「うん」
答えは出ていない。
問題は何一つ解決していない。
それでも、今すぐ答えを出さなくていいと言われただけで、胸の重さは少しだけ軽くなった。
五人はしばらく休んだ。
完全に日が沈む前に、清隆と啓誠が周辺の地図を確認する。
現在地は次の禁止区域には入っていない。
しかし中央施設周辺の一部が次回対象になることで、人の流れが変わる可能性がある。
清隆は地図へいくつかの印を付けた。
「一之瀬の集団は中央施設に残る可能性が高い。
人数が多いから、一度移動を始めると目立つ。俺たちはそこへ近づきすぎない方がいい」
啓誠が頷く。
「東側の住宅地区はまだ余裕がある。ただ、禁止区域から出てくる生徒とぶつかる可能性がある」
「なら、今夜はこの周辺か、もう少し北側へ移る方がいい。逃げ道が二つ以上ある場所を選びたい」
明人が地図を見る。
「この事務所に残るのは?」
「悪くない。ただし、他の生徒も同じことを考える可能性がある。夜になる前に周囲だけ確認しておこう」
波瑠加が清隆を見る。
「きよぽん、朝からずっとこんなこと考えてたの?」
「似たようなことは考えていた」
「やっぱり一人でも普通に生きてたんじゃん」
「普通かどうかは分からないが」
「私たち四人が必死で探してたのに、本人だけ平然としてるの腹立つなあ」
言葉とは裏腹に、波瑠加は嬉しそうだった。
愛里も同じだった。
清隆がいる。
その事実だけで、啓誠の地図も、明人の警戒も、波瑠加の明るさも、全部が一つへ繋がったように感じる。
夕暮れが終わり、窓の外が少しずつ暗くなる。
明人が懐中電灯を確認する。
愛里は自分のピコピコハンマーをバッグへ入れようとして、少し迷った。
結局、また手に持った。
波瑠加がそれに気づく。
「愛里、それずっと持ってるね」
「なんか、持ってないと落ち着かなくて」
「武器にならないのに?」
「うん。でも、最初から一緒だから」
清隆がその言葉を聞いた。
「それなら持っておけばいい」
愛里は少し驚く。
「いいの?」
「邪魔にならないなら問題ない。役に立つかどうかだけで持ち物を決める必要もない」
愛里はピコピコハンマーを見る。
そして、小さく振った。
ピコッ。
静かな会議室に音が響く。
明人が笑った。
「やっぱり鳴らすんだな」
波瑠加も笑う。
「これ、夜に鳴らしたら一発で居場所ばれるから禁止ね」
啓誠が真面目に頷く。
「それだけは本当に気をつけてくれ」
「ご、ごめん」
愛里が慌てると、清隆も僅かに口元を緩めたように見えた。
五人。
揃った。
朝には誰もどこにいるか分からなかった。
それが今は、同じ部屋にいる。
愛里はそのことを何度も確かめるように、四人の顔を見た。
それから自分の端末を見る。
『生存者 151名』
数字は減っている。
九人がもういない。
次の放送までに、さらに減る可能性もある。
それでも、この数字の中には今、五人全員が含まれている。
それだけを大切にしたかった。
少なくとも今夜は。
しかし、五人が休憩を終えて周辺確認へ出ようとした直前、遠くから一度だけ重い破裂音が響いた。
窓ガラスが僅かに震え、その数秒後には別方向から何人もの叫び声が聞こえてくる。
明人がすぐに窓から離れ、啓誠が地図を閉じる。
波瑠加は愛里の近くへ寄った。
清隆は外の音へ耳を傾けた。
「中央施設の方向じゃない」
啓誠が地図を確認する。
「南西側だ。港か住宅地区の境界付近かもしれない」
明人が聞く。
「ここから動く?」
清隆はすぐには答えず、しばらく周囲の音を確認した。
「今は動かない方がいい。音を聞いて逃げてくる人間がいる可能性がある。外へ出れば、その流れとぶつかる」
波瑠加が少し苦笑する。
「きよぽんが戻ってきた瞬間、もう完全に参謀じゃん」
「全員で考えればいい」
清隆はそう答えた。
その言葉を愛里は覚えておこうと思った。
全員で考える。
清隆が全部決めるのではない。
啓誠だけが判断するのでもない。
明人だけが守るのでもない。
波瑠加だけが気持ちを支えるのでもない。
自分も、その中に入っていい。
愛里は窓の外を見た。
夜が近づいている。
島のどこかで人が走り、誰かが誰かを探し、誰かが誰かを警戒している。
一之瀬は大勢を集めようとしている。
龍園は人の流れを読もうとしている。
坂柳はその流れが生まれる前から先を見ようとしている。
そして自分たちは、五人でいることを選んだ。
それが最後まで続くかは分からない。
続けられないことを、全員が心のどこかで知っている。
それでも今この瞬間だけは、ゲームの条件よりも、自分たちが友達であるという事実の方を選びたかった。
愛里はピコピコハンマーを握り直した。
その頼りない感触は朝と何も変わらない。
しかし、持っている自分の方が少しだけ変わっている。
波瑠加を見つけた。
明人と啓誠を見つけた。
清隆まで見つけた。
そしてこれからは、誰かについていくだけではなく、自分も五人の一人として生きる。
そう決めた愛里のすぐそばで、清隆が地図を広げ、
明人と啓誠が次の移動について意見を交わし、波瑠加が二人の固い話へ冗談を挟んでいた。
その光景を見ながら、愛里は思った。
七十二時間後のことは、まだ考えなくていい。
今は五人いる。
それだけでいい。
少なくとも、この最初の夜を迎えるまでは。