小4で一緒にお風呂は普通じゃないの!? 〜距離感バグりすぎな従姉弟の日常〜 作:間瀬凪
新緑の青葉が初夏の風に揺れ、まぶしい陽光が校庭いっぱいに降り注いでいた。
五月のはじめ。小学校五年生になって初めての大きな行事である、春の校外学習――遠足の日を迎えていた。
行き先は、市街地からバスで一時間ほど走った場所にある、広大な県立自然公園だ。
「悠真、早く早く! もうバスの乗車が始まるよ!」
校庭の集合場所で、陽菜がリュックの肩紐をきゅっと握り締めながら、嬉しそうに僕の手を引いた。
こうして校外へ出るイベントとなれば、やっぱり気分は特別だった。
「わかってるよ、そんなに引っ張らなくてもバスは逃げないって」
「だって、行きのバスも悠真と隣がいいもん。ほら、先生が呼んでる!」
陽菜は僕の手をぎゅっと握ったまま、二組の列へと小走りで進んでいく。
後ろからついてきた直樹が「陽菜は相変わらず元気だなー」と呑気に笑い、その横で紗理奈が「あんたたち、バスの中でも変なこと言って騒ぎを起こさないでよ?」と釘を刺してくる。
「起こすわけないだろ!」
「ふふっ、大丈夫だよ紗理奈。今日は悠真のお弁当のおかずを半分もらう約束しかしてないもん!」
「……それ、この前の教室での大騒ぎよりは百倍マシだけど、普通に堂々とイチャついてんじゃないわよ」
呆れる紗理奈をよそに、僕たちはバスへと乗り込んだ。
二人掛けの座席。窓側に陽菜が座り、通路側に僕が座る。シートベルトを締めると、陽菜は嬉しそうに僕の肩にトンと頭を預けてきた。
「悠真、今日の遠足、すっごく楽しみだね」
「うん。オリエンテーリング、直樹たちと回るんだろ?」
「そう! でもね、お昼ご飯は絶対に四人で一緒に食べようね。悠真の卵焼き、私大好きだから絶対一個ちょうだいね」
「いいよ。その代わり、陽菜のタコさんウインナーも一個ちょうだい」
「うん! あーんしてあげる!」
「あーんはしなくていいから……」
顔を赤らめる僕を見て、陽菜はいたずらっぽくクスクスと笑った。
お互いに触れ合っていることが、あまりにも自然で、当たり前の日常。
僕の手の甲の上に重ねられた陽菜の手の温もりを感じながら、バスは心地よい揺れとともに走り出した。
***
自然公園での時間は、あっという間に過ぎていった。
新緑の木々が生い茂る遊歩道を歩き、チェックポイントに書かれたクイズを班のみんなで解いて回る。直樹が見当違いな珍回答を連発して紗理奈がそれに猛烈に突っ込み、陽菜とお腹を抱えて笑い転げる。
広場にシートを広げて食べたお昼ご飯も、陽菜の宣言通りタコさんウインナーと卵焼きを交換し合い、直樹が「俺の唐揚げと交換しろ!」と乱入してくるなど、いつも通りの賑やかで温かい時間だった。
事件が起きたのは、午後の自由時間の終わり際のことだった。
「悠真、あっちの噴水広場も見に行ってみようよ!」
集合時間まであと二十分ほど。陽菜に腕を引かれ、僕たちは芝生の丘を越えて、石畳の広場へと向かっていた。
少し歩き疲れたのもあって、日陰になっている大きなモニュメントの裏手、ベンチが並ぶ木陰の通路を通りかかった時のことだ。
「――ねえ、見た? さっきのお昼の時の二人」
ふと、モニュメントの向こう側から、ひそひそと囁き合う女子たちの声が聞こえてきた。
足元が柔らかな芝生だったため、僕たちの足音は響いていなかった。声の主は、同じ学年の女子三人組だった。
「見た見た。高瀬くんと藤崎さんでしょ?」
「そうそう。なんかさ……正直、ちょっと変じゃない?」
聞き覚えのあるクラスメイトの声。そのトーンに含まれる冷ややかな響きに、僕と陽菜は同時にピタリと足を止めた。
「いとこ同士なんでしょ? いとこなんて、ほぼ姉弟みたいなものじゃん」
「そうそう。姉弟みたいなものなのに、よく恥ずかしげもなくあんなにイチャつけるよね」
「わかるー。男子と女子なのに、お弁当あーんしようとしたり、バスでもずっと肩寄せてくっついてたりさ……正直、見ててちょっと気持ち悪い」
「自分の弟とあんなことできる? 絶対無理だよね。周りからどう見られてるか気にならないのかな」
「姉弟みたいに育ったくせに、人前で平気でイチャイチャして……なんか変だし、恥ずかしくないのかなって思っちゃう」
「見てるこっちがゾワッとするっていうか……ほんと、ちょっと引くよね――」
ドクン――と、心臓が凍りつくような音を立てて跳ねた。
陽菜の手を引いていた僕の指先から、一気に血の気が引いていくのがわかった。
(……姉弟みたいなものなのに……)
(よく恥ずかしげもなく……あんなにイチャつけるよね……)
(……気持ち悪い……?)
悪意がないからこそ、純粋な『世間の普通』としての嘲笑と嫌悪が、容赦なく鋭いナイフのように突き刺さる。
息が詰まり、胸の奥がキリキリと痛んだ。
慌てて隣の陽菜の顔を見上げる。
陽菜は、まるで石の彫像のように立ち尽くしていた。
いつもの明るい笑顔は完全に消え去り、唇をぎゅっと噛み締めて、青ざめた顔で地面を見つめている。繋いでいた陽菜の指先が、小刻みに、微かに震えていた。
陽菜も、はっきりと聞いてしまったのだ。
クラスの女子たちが、自分たちの関係をどう見ていたのか。
自分たちが無邪気に信じていた『当たり前の温もり』が、他人の目には「姉弟みたいなものなのに恥ずかしげもなくイチャついて気持ち悪い」と映っていたという残酷な現実を。
「……陽菜……」
僕がかすれた声で呼ぶと、モニュメントの向こうの女子たちは「あ、そろそろ集合時間じゃない?」「行こ行こ」と笑い合いながら、遠ざかっていった。
静まり返った木陰に、ざわざわと風に揺れる梢の音だけが響いていた。
陽菜は俯いたまま、何も言わなかった。
けれど、繋がれたその手の震えが、陽菜がどれほど深く傷ついたかを痛いほど雄弁に物語っていた。
(……僕のせいだ……)
激しい後悔と罪悪感が、僕の胸を激流のように埋め尽くした。
陽菜は僕を心から信じて、大好きな相手として無邪気に甘えてくっついてくれていた。
なのに、僕が嬉しいからって当たり前のように受け入れて、周りの目も気にせず一緒になって手をつないだりしていたせいで、陽菜があんな心無い言葉で「気持ち悪い」と嘲笑されてしまった。
(陽菜を……これ以上、傷つけちゃいけない)
(変な目で見られたり、後ろ指を指されたりしないように……僕がちゃんと距離を取らなきゃいけないんだ)
拳を強く握り締めながら、僕は心の中で一つの決意を固めていた。
世間の『普通』は、姉弟のように育った男女が、人前で無防備にイチャつくことを「異常」で「気持ち悪い」と切り捨てる。
ならば――僕が引かなければならない。
陽菜がこれ以上、陰口を叩かれて悲しい思いをしないために。
***
集合がかかり、帰りのバスに乗り込む時だった。
いつもなら「帰りも悠真の隣ね!」と真っ先に僕の腕を掴むはずの陽菜が、どこか恐る恐る、迷うような足取りで僕の背中をついてきた。
「……悠真、窓側……座る?」
座席の前で、陽菜が小さく遠慮がちに声をかけてくる。
昼間の陰口を気にして、無理に平気なふりをしているのが痛いほど伝わってきた。
胸が張り裂けそうになるのを堪えながら、僕は努めて淡々とした声で答えた。
「ううん、陽菜が座りなよ。……僕、通路側でいいから」
席に着き、陽菜が僕の方をチラリと見た。
その瞳には「手、繋いでもいい?」といういつもの縋るような甘えの色が浮かんでいた。
けれど、僕はお弁当袋を両手で抱え込み、膝の上に置いた。
陽菜の手が届かないように。
「…………」
陽菜の伸ばしかけた指先が、空中でピクリと止まり、そのまま膝の上へと力なく落ちた。
行きのバスではあんなに温かかった二人の間の空気が、嘘のように冷たく凍りついていく。
陽菜は窓の外をじっと見つめたまま、一言も喋らなくなった。
僕もまた、前の座席の背もたれを見つめることしかできなかった。
陽菜を守るためだ。これが正しいんだ。そう自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、胸の奥が鉛を呑み込んだように重苦しく軋んだ。
学校に到着し、解散の号令がかかったのは夕方の四時半を回った頃だった。
「じゃーな悠真、陽菜! 月曜な!」
「陽菜、疲れてるみたいだけど大丈夫? 気をつけて帰りなさいよ」
直樹と紗理奈に手を振って別れ、僕と陽菜は並んで校門を出た。
春の夕暮れの風が、遠足帰りの火照った頬を撫でていく。
いつもなら、門を出た瞬間にどちらからともなく手が伸びて、指を絡め合って歩くのが二人の当たり前だった。
歩き出してすぐ、陽菜がそろりと僕の右手に自分の左手を重ねてきた。
触れた皮膚の柔らかさと温もりに、僕の心臓が跳ね上がる。
すがりつくような、弱々しい指先の感触。
――けれど。
『姉弟みたいなものなのに、よく恥ずかしげもなくあんなにイチャつけるよね』
『正直、見ててちょっと気持ち悪い――』
昼間の女子たちの言葉が、頭の中で鋭くフラッシュバックした。
通学路には、まだ他のクラスの生徒たちもたくさん歩いている。もしまた誰かに見られて、陽菜があんな風に噂されたら――。
(ダメだ……離さなきゃ)
僕は息を呑み、水筒の肩紐を直すふりをして、重ねられた陽菜の手をやんわりとすり抜けるように外した。
そして、そのまま右手をズボンのポケットの中に滑り込ませた。
「っ…………!」
隣で、息を呑む小さな気配がした。
陽菜がピタリと足を止めた。
僕も二歩先で足を止め、恐る恐る振り返る。
オレンジ色の夕日を背に浴びて立ち尽くす陽菜の顔は、信じられないものを見たように強張っていた。
見開かれた大きな瞳に、みるみるうちに大粒の涙が溜まっていく。
「……どうして……?」
絞り出すような、掠れた声だった。
「陽菜……?」
「どうして、手を離すの……? 帰りのバスでも、ずっと私の方見てくれなかった……。さっきも……!」
陽菜の肩が、小刻みに震え始める。
「私……何か悪いことした……? 悠真に嫌われるようなこと、何か言っちゃった……!?」
「違う! 違うよ陽菜、そうじゃない!」
僕は慌ててポケットから手を出して駆け寄ろうとした。
けれど、陽菜の瞳からポロポロと零れ落ちる涙を見た瞬間、言葉に詰まってしまった。
「じゃあなんで避けるのっ!? いつもみたいに笑ってくれないの!? 手も繋いでくれないの……!?」
「それは……っ」
言えるはずがなかった。
お前が周りから悪口を言われていたからだなんて、これ以上陽菜のプライドを傷つけるような言葉を、僕の口から告げられるわけがない。
僕が言い淀んでいると、陽菜は両手で顔を覆い、ポロポロと涙を零しながら、堰を切ったように泣きじゃくり始めた。
「あの人たちの言ってたこと……気にしてるんでしょ……!?」
ドキン、と心臓が跳ねた。
「陽菜……」
「私だって……聞こえてたよ……! 姉弟みたいなものなのにイチャイチャして恥ずかしくないのかとか、気持ち悪いとか……! 悠真がそれを気にして、私から離れようとしてるのくらい、わかるよ……っ!」
夕暮れの道端で、陽菜の切痛な叫びが響き渡る。
「でもね……っ! 私を庇って悠真が離れるくらいなら、周りに何か言われた方がずっとマシだよ!!」
「――っ!?」
息が止まった。
陽菜は涙で濡れた顔を上げ、真っ赤な瞳で僕を真っ直ぐに見つめていた。
「周りに変な目で見られたって、気持ち悪いって言われたっていいもん! 悠真が隣からいなくなっちゃうことより怖いことなんて、私にはないよ……っ! 悠真が私を避けて遠くに行っちゃうくらいなら、世界中のみんなに気持ち悪いって笑われた方が……百倍いいもん……っ!!」
大粒の涙が、夕日に照らされて琥珀色に光りながら零れ落ちていく。
陽菜の全身から溢れ出す、剥き出しの感情。
僕の手を離されたことへの絶望と、隣にいたいという切実な想い。
けれど――その必死な叫びを聞いた瞬間、僕の胸の中にも、張り裂けそうな感情が激流のように込み上げてしまった。
「……そんなわけ、あるかよ……っ!」
僕の口から、掠れた叫びが漏れた。
「え……?」
見開かれる陽菜の瞳。
僕自身、自分の胸の奥にこんなにも激しい感情が渦巻いていたなんて知らなかった。
「周りに悪口言われた方がマシなんて……そんなの、陽菜の強がりだろ!!」
握りしめた僕の拳が、わなわなと震えていた。
「僕だって……離れたくなんかないよ! ずっと隣にいたいし、手だって繋いでいたいよ! でも……姉弟みたいなのに恥ずかしげもなくイチャついてるって、陽菜があんな風に『気持ち悪い』って言われて傷つくのを、僕が黙って見てられるわけないだろ!!」
「だからって……手を離したら、意味ないじゃん!!」
陽菜もまた、涙に濡れた顔で激しく言い返してきた。
「悠真が離れるのが、一番嫌なの! 誰に何を言われるより、悠真に手を離されるのが、一番痛くて悲しいんだよ!! それって、私を一人ぼっちにしてるだけじゃない!!」
「一人ぼっちになんかしてないだろ!!」
「してるよ!! バスでも無視して、手も繋いでくれなくて……! そんなの、守られてるんじゃない! 悠真に捨てられたのと同じだよ!!」
「陽菜……っ!」
お互いがお互いを誰よりも大切に思っているはずなのに。
世間の『普通』という見えない壁が、二人の間に鋭く立ちはだかっていた。
相手を想えば想うほど、言葉が棘になって相手を突き刺し、自分自身をも深く傷つけていく。
どうすればいいのか、わからない。
小学五年生の僕たちには、世間の冷たい視線を受け流す術も、傷つけ合わずに一緒にいられる境界線の引き方も、何一つ見つけられなかった。
息を詰まらせて立ち尽くす僕の前に、陽菜が涙でぐしゃぐしゃの顔で踏み込んできた。
そして――。
僕がポケットに隠そうとしていた右手を、両手で力任せにぐいっと引っ張り出した。
「っ、陽菜……!?」
「離さない……っ!」
掠れた叫びとともに、陽菜の震える指が僕の指の間に強引に割り込み、骨がきしむほど強く、痛いくらいの力で絡め合わされた。
「悠真が離したって……私は絶対に、離してあげないんだから……っ!」
涙で真っ赤に腫れた瞳で僕を睨みつけると、陽菜はぐっと唇を噛み締め、プイッと前を向いて歩き出した。
「あ……待って、陽菜――」
僕の手を強く引いたまま、陽菜は振り返りもせずに前へ進んでいく。
振りほどくことなんて、できるはずがなかった。
繋がれた手のひらから、陽菜の小刻みな震えと、痛いほどの熱量がダイレクトに伝わってくる。
いつもなら、並んで肩を触れ合わせ、今日の出来事を楽しそうに話し合う帰り道。
けれど今の二人の間には、一言の言葉もなかった。
ただ、夕暮れのアスファルトの上に落ちる二つの影と、痛いくらい強く握り合わされた手だけが、張り裂けそうな二人の心をかろうじて繋ぎ止めていた。
気まずさと、痛切な苦しさと、胸を抉るような罪悪感。
言葉を失ったまま、重苦しい沈黙を引きずって住宅街を抜け、陽菜の住むアパートの階段を上がる。
二階の玄関ドアの前に辿り着いても、陽菜は繋いだ手を決して離そうとしなかった。
空いた左手でノブを回し、ガチャリとドアを開ける。
「……入って」
低く掠れた声でそう呟きながら、僕の手を引いて土間へと踏み込む。
骨がきしむほど強く握りしめられた手から、陽菜の熱と震えが、痛いほどダイレクトに伝わっていた。