小4で一緒にお風呂は普通じゃないの!? 〜距離感バグりすぎな従姉弟の日常〜 作:間瀬凪
出張に出ていた美紀おばさんが今夜戻るため、陽菜は放課後からうちで過ごしていた。
学校から一緒に帰ってきて、二人並んで宿題を片付けているうちに、窓の外はすっかり夕暮れの茜色に染まっていった。出張から帰るお母さんの顔を見るのが待ち遠しいのか、陽菜は「もうすぐ帰ってくるね」と嬉しそうに何度も時計を気にしていた。
***
夕食は母さんと三人で食べた。食卓を囲みながら、陽菜は美紀おばさんが帰ってきたら話したいことをいくつも口にしていた。出張先のこと、買ってきてくれるという小さなお土産のこと、それから――今日、学校の休み時間に紗理奈が驚いたこと。
「紗理奈、すっごく驚いてたね」
僕が言うと、陽菜は箸を止めずに頷いた。
「うん。『別の子には言わない方がいいよ』って言われちゃった。直樹と一緒に入ってるようなものだって」
母さんが「あらまあ」と笑いながらお味噌汁をよそった。
「紗理奈ちゃん、びっくりしちゃったのね」
「うん。でも、私たちは小さい頃からずっと一緒だし、直樹と一緒に入るのとは全然違うもん」
陽菜はそう言ってから、お箸を置いて僕の方を向いた。
「悠真はどうして一緒に入りたいの?」
「えっ……」
急に聞かれて、僕は少し考えてから答えた。
「……お風呂だと、学校のこととかゲームのこととか、ゆっくり話せるし。一人で入ると静かすぎるけど、陽菜と一緒だとずっと楽しいから」
「私も!」
陽菜が身を乗り出して、僕以上に勢いよく頷いた。
「私もね、悠真とおしゃべりできるのが一番好きだし、背中流してあげたり頭洗ってあげたりするのもお姉ちゃんの役目でしょ? それに悠真だって一人でお風呂に入ったら退屈だし、湯船の中で今日あったこと話すのすごく楽しいし、お風呂から上がったあとも一緒に扇風機当たれるし、布団だって隣にいた方がすぐに『おはよう』って言えるし……とにかく、泊まる時は絶対に悠真と一緒じゃないとダメなの!」
早口で理由をいくつも並べ立てる陽菜を見て、僕は静かに頷いた。
陽菜は絶対に自分から弱音を口にしたりはしない。けれど、本当はお母さんがいない心細さを隠すために、こうして必死に理由を作って僕にくっつこうとしているのだと分かっていた。一人で過ごす夜の寂しさを、僕のそばにいることで埋めたいのだ。陽菜が言わない本音を、僕はちゃんと受け止めたかった。
「そっか。……うん、僕も陽菜と一緒がいいよ。だから、これからも一緒に入ろうね」
「うん、当たり前だよ!」
陽菜の声は明るかった。
けれど、母さんは「仲が良いのはいいことだけどねぇ……」と苦笑いしながら、お椀を持つ手を止めて僕たちをじっと見つめた。
紗理奈の言うことも、親の立場からすればもっともなのだろう。娘同然に可愛がっているとはいえ、陽菜は妹の大切な一人娘であり、預かっている女の子だ。もう四年生にもなるのに自分の息子と一緒にお風呂に入らせていて、もし美紀に何かあったら申し訳ない――母さんの目には、そんな「預かっている親」としての責任と、微かな心配が混ざっているように見えた。
けれど、目の前の僕たちがちっともやましい気持ちなんて持っていなくて、ただ純粋におしゃべりを楽しんでいるのも分かっているから、母さんはそれ以上強くは言えなかった。
「……美紀さんにも、今度ちゃんと話しておかなきゃね」
そう言って小さく息をつき、困ったように、でも優しく微笑んだ。
食べ終わるころ、美紀おばさんから母さんに連絡があった。予定通り帰宅したと聞いて、陽菜は安心したように息をついた。時計の針は、夜の八時を回ったところだった。
「お母さん、帰ってきたんだね」
「うん。じゃあ、そろそろ送っていこうか。帰りは自転車に乗るから持っていくね」
母さんに行ってきますを告げ、僕は門の外へ自転車を押し出した。
外はもう暗くなり始めている。自転車を押す僕のすぐ隣に、陽菜が肩を並べて歩き出した。
九月の夜風は、昼間の暑さを少しずつさらっていく。陽菜は歩きながら、明日お母さんに聞くことをまた一つ思い出す。僕は車輪の回転を陽菜の歩幅に合わせながら、そのたびに「それも聞こう」と返した。
そのたび、陽菜はお母さんに話す順番を考え直す。僕は急かさずに聞いていた。陽菜が待ちわびている人のところへ帰る道を、一緒に歩けるのも嬉しかった。
「二日間、あっという間だったね」
「うん。昨日は悠真んちに泊まって、一緒にお風呂に入って……今日も放課後ずっと一緒だったしね」
「陽菜、昨日は頭洗った時、目にしみて大騒ぎしたけどね」
「もう! それは悠真が笑わせるからでしょ!」
陽菜はぷくっと頬を膨らませて、自転車を押す僕の二の腕を軽く小突いて笑った。他愛のないことで笑い合えるのが、何よりも心地よかった。
母さんの家から陽菜の家までは、歩いているとすぐに着く。それでも、曲がり角が近づくにつれて、陽菜の声は少しずつゆっくりになった。
「明日、図書委員の仕事があるんだ」
「そうなんだ。帰りは遅くなる?」
「うん。少しだけ。悠真、先に帰っちゃう?」
陽菜は僕の顔をのぞき込んだ。帰りが遅くなることを言いにくそうにしている。
「終わるまで待ってるよ」
「ほんと?」
「うん。僕も一緒に帰りたいから」
陽菜の表情が、すぐに明るくなった。
「じゃあ、私も早く終わらせてくるね」
「急がなくていいよ。待ってるから」
「うん。ありがとう」
陽菜の家が見えてきた。玄関の灯りがついている。美紀おばさんが帰ってきているのだろう。
僕たちは家の前で自転車を止めた。どちらからともなく顔を見合わせる。
「また明日ね」
「うん。また明日」
陽菜が玄関へ向かった。扉が開いて、美紀おばさんが顔を出す。
「悠真くん、送ってくれてありがとう。夜道気をつけてね」
「ううん。美紀おばさん、おかえり。気をつけて帰るね」
「ただいま。陽菜、待たせてごめんね」
「お母さん、おかえり!」
陽菜が母親のそばへ駆け寄るのを見届けてから、僕は自転車に跨がった。手を振ってくれる陽菜に振り返し、ペダルを踏み込む。
行きは陽菜に合わせてゆっくり押した道を、帰りは夜風を浴びながら自転車で走り抜ける。
さっきまで隣で弾んでいた陽菜の声も、笑い顔もない。ただ風を切る音と車輪の回転音だけが響く夜道は、行きよりもずっと広く、急に静まり返ったように感じられて、胸の奥が少しだけ寂しくなった。
けれど、二日間、朝も学校も帰り道も、陽菜と一緒に過ごせた。明日は図書委員の仕事が終わるまで待つ。その約束を胸にペダルを漕ぐと、足取りはまた力強さを取り戻していった。
「ただいま」
玄関を開けて家へ戻ると、台所から母さんが「おかえり」と顔を出した。
「陽菜ちゃん、無事に着いた?」
「うん。美紀おばさんもちゃんと帰ってきてたよ。出張先からのお土産見せてもらうんだって」
「そう、よかったわね。お風呂沸いてるから、入って汗流しておいで」
「うん」
僕は脱衣所で服を脱ぎ、一人でお風呂に入った。
昨夜は陽菜と一緒に入って、頭を洗ってあげて泡で大騒ぎした洗い場。一人で湯船に浸かると、お湯の音だけが静かに響いて、昨夜の賑やかさが少し恋しくなる。けれど温かいお湯に包まれていると、一日の疲れがすうっと抜けていった。
風呂から上がってパジャマに着替え、二階の自分の部屋へ上がる。
机の上に鞄を置き、筆箱とノートを並べて整える。陽菜がさっきまで座っていた椅子の位置を戻すと、蛍光灯の明かりの下に二つの机の並びが静かに浮かび上がった。
部屋の電気を消して布団に横になったけれど、この二日間、ずっと陽菜と一緒に過ごした余韻がまだ身体に残っているのか、なかなか寝つけなかった。
昨夜並んで眠ったことや、今日学校で紗理奈に驚かれたこと。そして夕食の時、母さんと三人で話したこと。
陽菜といるのは息をするのと同じくらい当たり前だったのに、いろいろな出来事が頭の中を巡って、目が冴えてしまう。
時計の針は、夜の十時を回ろうとしている。
喉が少し渇いてきた。下に降りて、冷蔵庫の冷たい麦茶を一杯飲もう。
そう思って音を立てないようにドアを開け、靴下を履いた足で静かに階段を下りていった。
階段の踊り場を曲がったところで、居間のドアの曇りガラスから、ぼんやりと明かりが漏れているのが見えた。
台所の方から、母さんが声をひそめて話しているのが聞こえてくる。
「……うん。悠真はさっき二階に上がって、もうぐっすり寝てるわよ」
美紀おばさんとの電話だった。陽菜を寝かせたあと、改めて姉妹で話しているらしい。
僕は声をかけようとして、ふと足を止めた。母さんの声が、普段よりずっと低く、真剣な調子を帯びていたからだ。
「……それでね、美紀。さっき夕飯の時に、ちょっと気になったことがあって」
『ん? 何?』
「お風呂のことなんだけどね。陽菜ちゃん、学校でお友達から何か言われたらしくて……ほら、もう四年生でしょ。いくら従姉弟で小さい頃から一緒とはいえ、男の子と女の子だし。うちで預かっている手前、そろそろ一緒に入るのはやめさせた方がいいんじゃないかって、少し心配になってね」
手すりを握る僕の指先に、きゅっと力が入った。夕食の時、母さんがお椀を止めて浮かべていたあの困惑したような表情が蘇る。
電話のスピーカーから、美紀おばさんが小さく息を漏らす気配がした。
『姉さん、気遣ってくれてありがとね。でもね、私は今のままでいいと思ってるのよ』
「えっ……でも、もう四年生よ? 世間的にはそろそろ……」
『分かってるわよ。でもね、陽菜、家でも本当に悠真くんのことばっかり話してるの。学校で何したとか、悠真くんがこう言ってくれたとか。本当に、あの子のことが大好きなのよ』
「それは……悠真もそうみたいだけど」
『でしょ? それにね、私は悠真くんを信じてるの。あの子が陽菜を傷つけるようなことなんて、絶対にあり得ないわ。誰よりも陽菜のことを大切にしてくれてるもの』
受話器から漏れる美紀おばさんの声は、少しの迷いもなかった。
けれど、次の言葉で、美紀おばさんの声のトーンが少しだけ低くなった。
『姉さんが心配してるのって……要するに、あの子たちの間でちょっと早い間違いとか、そういう事故があったらってことでしょ?』
「美紀、そんな露骨に……」
『だって、大人が心配するのって結局そこだけでしょ? でもね、二人ともまだ十歳よ。仮に何かそういう雰囲気に流されちゃったとしても、赤ちゃんができちゃうような年齢じゃないわ。身体だってまだ全然子供なんだし』
階段の闇の中で、心臓が大きく跳ねた。
赤ちゃんができる――その直接的な言葉が、頭の中にずしりと落ちてくる。学校の保健室の前にある掲示板や、教科書で習った大人の身体への変化が、一気に現実の重みを持って迫ってきた。
『赤ちゃんができるわけじゃないなら、万が一そういうことがあったとしても、あの子たちにとっては、幼い頃のかけがえのない思い出になるだけよ。むしろ最初が悠真くんなら、陽菜も幸せじゃないのかなぁ』
「……美紀ってば、昔から肝が据わってるというか……」
『肝が据わってるっていうか……姉さんも思い出してみて? もし自分が陽菜の立場だったらどう思う?』
「えっ、私……?」
『あんなに優しくて、自分のこと一番に見てくれて、何でも受け止めてくれる男の子がすぐ隣にいるのよ? そんなの、好きになっちゃうに決まってるじゃない。ちょっとドキドキしたり、くっつきたくなったり……私が陽菜だったら、絶対夢中になっちゃうわよ』
「まあ……言われてみれば、そうかもしれないけど……」
『でしょ? 初恋の相手が悠真くんみたいな子なんて、女の子としてすっごく幸せなことじゃない。ねえ姉さん、正直羨ましくない?』
「もう、美紀ったら……自分の息子のことそんな風に言われても困るわよ。……でも、そうね。女の子の気持ちとしては、分からなくもないけれど」
階段の闇の中で、僕の顔はカッと熱くなって、爆発しそうだった。
母親とおばさんが、自分たちの昔の少女時代に重ね合わせて、僕と陽菜のことをそんな風に話しているなんて――恥ずかしさと居たたまれなさと、くすぐったいような感情が一気に押し寄せてくる。
『ふふ、姉さんは心配性すぎるの。それよりもね、親が世間体を気にして無理に引き離す方が、陽菜の心を傷つけちゃうと思うのよ。あの子、お父さんがいなくて、私も仕事で家を空けることが多くて……寂しい思いばかりさせてるでしょ。悠真くんと一緒にいることで、その心細さを埋めて、心から安心してるの。だから今は、二人の好きにさせてあげてほしいのよ』
「……そうね。確かに、急にダメって言ったら、陽菜ちゃん、自分が悪いことしたみたいに傷ついちゃうかもしれないわね」
『うん。もちろん、あの子たちがもう少し大きくなって、本当に命に責任を持たなきゃいけない身体になってきたら、その時は親としてきつく言っておくわよ。でも、今はまだ、二人の大切な時間を邪魔したくないの』
「分かったわ。美紀がそこまで考えてるなら、私も余計な心配はしないで、いつも通り見守るわね」
『ありがとう、姉さん。悠真くんにも、いつも本当に感謝してるって伝えておいてね』
通話が切れる音が小さく響いた。
母さんが「ふう」と小さく息をついて、冷蔵庫を開ける音がした。
僕は階段の途中で固まったまま、喉の渇きも忘れて立ち尽くしていた。心臓が、耳の奥で激しく音を立てている。
美紀おばさんが、僕に寄せてくれている信じられないほどの信頼。
陽菜が、父親のいない寂しさや母親がいない夜の不安を、僕のそばにいることで耐えていたこと。
そして――大人が見据えている、これから僕たちの身体に起きていく変化と、いつか背負わなければならない責任の重さ。
陽菜がどれほど僕を必要としてくれているのか、そして僕が陽菜をどれほど大切にしなければいけないのかだけは、痛いほど胸に染み込んでいた。
足音を忍ばせて、僕はそっと階段を上り、部屋へ戻った。
カーテンの隙間から街灯の光が差し込み、机の上に並んだ二つの筆箱と、整えられたノートを照らしている。さっきまで陽菜が隣に座っていた温もりが、まだ部屋の隅に残っているような気がした。
明日、陽菜が図書委員を終えて昇降口に来たら、笑顔で「お疲れさま」と言おう。
そして明後日も、その先も、休み時間になったら陽菜が迷わず座れるように、僕の隣を空けておこう。
誰よりも大切な陽菜のために。
僕は机の上のノートをそっと整えてから、布団の中へ潜り込んだ。胸の奥に確かな温もりと覚悟を感じながら、ゆっくりと目を閉じることができた。