小4で一緒にお風呂は普通じゃないの!? 〜距離感バグりすぎな従姉弟の日常〜 作:間瀬凪
脱衣所から洗面所へ出た僕たちは、お互いに背を向けたまま、大急ぎでパジャマに袖を通した。
陽菜はいつもなら「暑い〜」と言って首元のボタンを外したままにしているのに、今日は少し慌てたような手つきで、一番上の小さなボタンまできっちりと留めていた。
水滴を含んだボブヘアが肩に張り付き、パジャマの襟元をじわりと濃い色に染めている。
壁のフックからバスタオルを取り、洗面台の棚からドライヤーのコードを引っ張り出した。
「……陽菜、髪、乾かすよ」
「あ……うん」
陽菜は小さく頷くと、洗面台の前の丸椅子にちょこんと腰を下ろした。
いつもなら「悠真、お願いね!」と甘えた声を出すはずなのに、今は両手を膝の上にきちんと揃え、視線を落としてモジモジと俯いている。
僕は陽菜の頭にふわりとタオルを被せ、優しく水分を吸い取っていった。
タオルの下から覗く、湯上がりの陽菜の横顔。桜色に染まった頬と、白く透き通るような耳たぶが、目と鼻の先にある。
ドライヤーのスイッチを入れると、ブオォォという温風の音とともに、陽菜の髪から立ち上る甘いシャンプーの香りが、僕の鼻腔をくすぐった。
「熱くない?」
「……うん、ちょうどいいよ」
僕の指先が陽菜の柔らかな黒髪をすくい上げるたび、陽菜の肩がピクッと小さく跳ねた。
濡れた髪をかき分けると、露わになる白い項。湯上がりでほんのりと上気したその柔らかな肌に、温風を当てながら指先を通す。
陽菜が小さく首をすくめ、パジャマの膝の布地をきゅっと掴んだ。
さっきのお風呂の熱気が、まだ身体の奥から引いていないのだ。
僕の手のひらが触れるたび、陽菜はくすぐったそうに身じろぎする。いつもなら何気なくしていたことなのに、さっきのことが頭をよぎって、お互いにどう振る舞えばいいのか分からず、妙にそわそわしていた。
「……ありがと、悠真」
ドライヤーを止めると、ふわりと軽くなった陽菜の髪が、元の丸いボブの形に戻っていた。
陽菜は照れくさそうに髪を触りながら、立ち上がった。
***
一階の居間に下りると、母さんがテーブルの上に温かいほうじ茶の湯呑みを二つ並べてくれていた。
「二人とも、しっかり温まれた? 風邪引かないように、お茶飲んで早く寝なさいね」
「うん、ありがとう母さん」
「香織おばさん、ありがとー!」
母さんは「はいはい、おやすみね」と笑って、台所の片付けのために奥へと引っ込んでいった。
居間に、僕と陽菜の二人だけが残される。
ローテーブルを挟んで向かい合って座ったけれど、二人とも湯呑みを見つめたまま、一言も言葉が出てこなかった。
チク、タク、チク、タク。
柱時計の秒針の音だけが、静まり返った部屋にやけに大きく響く。
ふと視線が合いそうになると、お互いに慌てて逸らし、壁のカレンダーや時計の針ばかりを凝視してしまう。
「……」
「……」
沈黙に耐えかねたのか、陽菜がおずおずと湯呑みに手を伸ばした。僕もつられるようにして、同時に自分の湯呑みを持ち上げる。
二人揃って、ズズッとお茶をすすった。
――熱かった。
「アプッ!?」
「ゴホッ、ゲホッ!」
舌を火傷しそうになって二人同時に吹き出しそうになり、慌てて手で口を押さえた。
目を見合わせる。
赤くなった顔のまま、どちらからともなく「……ぷっ」と吹き出した。
「もう、悠真! 熱いなら熱いって言ってよ!」
「陽菜だって先に飲んだんじゃないか!」
他愛のない言い合いをして、ようやくいつもの空気がほんの少しだけ戻ってきた。
けれど、笑い合ったあと、ふと訪れた沈黙に、お互いどうしていいか分からなくなって湯呑みの底を見つめてしまう。
お互いに、湯呑みのお茶を静かに飲み干す。
「……二階、行こっか」
「うん」
***
二階の僕の部屋に上がり、二人で押し入れから敷布団と掛け布団を引っ張り出した。
いつもなら「ほら悠真、もっとこっちに詰めて!」と笑いながら、陽菜が自分の布団を僕の布団にぴったり隙間なく寄せて敷くのがお決まりだった。
けれど今夜は、お互いにどこかぎこちない手つきでシーツを整えながらも、敷き終わった二つの布団は、やっぱりいつも通り十センチほどの隙間しかない距離に並んでいた。
秋の冷たい夜風が、カーテンをかすかに揺らしている。
電気を消すと、部屋の中は一瞬で深い闇に包まれた。街灯の青白い光が、カーテンの隙間から細い筋を作って畳を照らしている。
僕と陽菜は、それぞれの布団の中に潜り込んだ。
掛け布団を首元まで引き上げても、静けさの中に、二人の呼吸の音だけがはっきりと響いていた。
隣の布団との隙間は、ほんの十センチほどしかない。
横を向けば、陽菜の横顔が見えるはずだった。けれど、僕は天井を見つめたまま、なんとなく身体を動かせずにいた。
どれくらいの時間が流れただろうか。
カサリ、とシーツが擦れる音がした。
闇の中で、隣から小さな手がそっと伸びてきた。
僕の布団の端を探り、掛布団の隙間から潜り込んできた陽菜の指先が、僕の右手の甲に触れる。
トクン、と心臓が鳴った。
陽菜の細い指先が、僕の手のひらを手探りで包み込み、そのまま指と指をきゅっと絡め合わせてきた。
熱かった。
湯上がりのお互いの手のひらが、汗ばむほどに密着する。
「……悠真」
ぽつりと、隣から声が聞こえた。
「……うん」
「……まだ、ドキドキしてる?」
陽菜が、暗闇の中で問いかけてきた。
僕は誤魔化さずに、握り合っている手にほんの少しだけ力を込めた。
「……うん。してる」
陽菜が小さく息を吸い込む気配がした。
「……やっぱり、そうだよね。お風呂でも話したけど……私、お湯から上がったあとも、身体の奥がずっとそわそわして落ち着かなくて」
陽菜の声には、自分の中に起きた初めての感覚に対する、素直な戸惑いが滲んでいた。
「悠真のこと、ずっと一緒にいて何でも話せる従弟だと思ってたのに……さっき洗面器を引っ張っちゃった時とか、湯船でお話しした時……悠真のことが、すごく男の子に見えちゃって。私、変なこと言っちゃったよね。女の子のも見てみる?、なんて……」
陽菜は僕の手をぎゅっと握り直した。指先が微かに汗ばみ、熱を帯びている。
「悠真に見られてると思うと、なんだか身体がカッカして、胸の奥がくすぐったくて……恥ずかしいのに、見せたいような変な気持ちになって。悠真の前でそんなふうになるなんて思わなかったから、私、どうしていいか分からなくなっちゃったの」
暗闇の中で、陽菜の瞳が僕を見つめていた。
僕は天井から視線を下ろし、横を向いて、陽菜の視線を受け止めた。
「……僕だって、どうしたらいいか分からなかったよ」
僕も、胸の内でずっと渦巻いていた本音を打ち明けた。
「陽菜、あのね……九月の時、母さんと美紀おばさんが電話で話してるのを、階段のところで聞いちゃったんだ。美紀おばさん、僕が陽菜を誰よりも大切にしてるって信じてくれててさ。だから僕、陽菜に嫌な思いなんて絶対にさせたくないって思ってたんだよ。でも……さっきのお風呂で陽菜を見たら、急にすごく『女の子』に見えちゃって……男の子としてドキドキして、目が離せなくなっちゃった。見せっこしようって言われた時も、本当はすっごく見たかったんだ。でも……そんな気持ちのまま見たら、美紀おばさんの信頼も裏切るし、陽菜を大切にしてないことになるんじゃないかって……すっごく焦って、頭が真っ白になっちゃってさ」
陽菜は黙って僕の話を聞いていた。
握り合っている手のひらに、きゅっと力が込められる。
「……お母さんたち、そんなお話ししてたんだ」
陽菜は少し驚いたように呟き、それから小さく息を吐き出して、暗闇の中でくすっと笑った。
「悠真、そんなことまで考えてたんだね。お風呂で悠真が『大切にしてないみたいになっちゃう』って言ってくれた時、すごく嬉しかったの。でも……悠真も本当はドキドキして、どうしようって焦ってたんだね」
「当たり前だよ。僕だって男の子だし、あんなの初めてだったんだから」
「ふふっ……私、洗面器無理やり奪っちゃったから、余計に焦らせちゃったよね。ごめんね」
「ううん……僕の方こそ、変に隠そうとして余計に変な空気にしちゃったし」
小さく笑い合い、お互いの強張っていた肩の力がふっと抜けていく。
けれど、繋いだ手のひらの熱さは、やっぱりさっきまでと違っていた。
僕は暗闇の中で、陽菜の横顔を見つめながら口を開いた。
「……ねえ、陽菜」
「うん?」
「……お風呂、次からは別々に入ろっか」
僕がぽつりと言うと、陽菜は少し目を丸くして、それから静かに頷いた。
「……うん。その方が、いいかもね」
「うん……体つきはまだ全然子どものままでも、もう昔みたいに何も気にしないで入るのは無理だよね。またあんなふうになったら、お互いドギマギして落ち着かないし……陽菜のこと、大切にしたいから」
「うん。……私も、悠真を困らせたくないしね。でも、嫌な思いをしたわけじゃないからね?」
「うん、分かってるよ」
「それにね……悠真のだけ、いっぱい見ちゃったから……」
陽菜は僕の手をぎゅっと握りしめ、暗闇の中で耳元に顔を寄せるようにして、いたずらっぽく囁いてきた。
「おあいこで見せたいって言ったのは、本当だよ。……紗理奈にも絶対内緒の、ふたりだけのおあいこの秘密。そのうち、ちゃんと見てね?」
「っ……陽菜……」
急に耳元に落ちてきた甘く大胆な囁きに、僕の心臓がドクンと跳ね上がった。
紗理奈に知られたら、間違いなく教室を揺るがす大爆発を起こすようなとんでもない秘密だ。
大人が禁止したからでも、叱られたからでもない。
お互いを男の子と女の子として意識して戸惑ってしまうからこそ、お互いを大切にするために、自分たちで決めた約束だった。
けれど――。
次の瞬間、陽菜がぷくっと頬を膨らませた。
「……でもね!」
「えっ?」
「お風呂は別々にするけど! その代わり、ルール作ろ!」
陽菜は布団から上半身を起こし、僕の手を両手でぎゅっと握りしめて身を乗り出してきた。
「お風呂から上がったら、髪の毛は毎日悠真が乾かすこと! それから、泊まる時はこうして隣で寝ること! 一人で寝るのなんて絶対無理なんだからね!」
「陽菜……」
「いいでしょ!? お風呂我慢するんだから、これくらいお姉ちゃんの言うこと聞きなさい!」
さっきまでの戸惑いはどこへやら、陽菜は得意げにお姉ちゃんぶって胸を張っていた。
抜け目なく自分に都合のいい特権ルールを勝ち取ろうとする陽菜の姿に、僕の口元から自然と笑みがこぼれた。
「分かったよ。髪の毛も乾かすし、隣にもずっといるよ」
「約束ね!」
陽菜は満面の笑顔を咲かせると、そのまま自分の布団を飛び出して、僕の布団の中へと潜り込んできた。
「ちょっ……陽菜!?」
「いいの! 寒いんだもん! 悠真、抱き枕!」
陽菜は僕の右腕を両手で抱きかかえ、胸元にぎゅっと押し当てるようにして密着してきた。
パジャマ越しに伝わってくる、陽菜の柔らかな体温と、甘いシャンプーの香り。
お風呂は別々に入ると決めたのに、こうして抱きついてくる距離は、以前よりもずっと甘く、心地よくなっていた。
「……悠真、あったかい」
僕の二の腕に額をすり寄せながら、陽菜が心地よさそうに目を細める。
「陽菜、寝相悪くしないでよ」
「お姉ちゃんに口答えしないの」
小さく囁き合いながら、僕たちは暗闇の中で顔を見合わせて笑った。
外では秋風が木々を揺らしていたけれど、布団の中はどこまでも温かく、満ち足りていた。
身体の変化にドギマギして、どうしていいか分からなくなることもあるけれど。
繋いだ手の温もりと、隣にいる安心感だけは、これからも絶対に変わらない。
腕の中に伝わる陽菜の規則正しい寝息を感じながら、僕はゆっくりと目を閉じた。