彼女を捕まえるべく追いかける仮面の男たち。
追い詰められ、袋小路に追い込まれる少女。
絶体絶命と思われたその時。
「よう、離してやれよ」
彼らに声をかけたのは、一人の青年だった。
2006年に音楽同人サークル『Gungnir over rev』が頒布したドラマCD『背徳の灰女 'Apostate pythoness'』をノベライズ!
海賊の青年ラリーが謎の少女ノアと出会い、そこから数々の冒険が繰り広げられる、王道の海洋冒険ファンタジー!
笑いあり、バトルあり、涙あり。
海賊船グングニル号の航跡を、目撃せよ。
原作:目黒正季(紫季伊冬那)
脚本:千葉世如
著者:藤沢大典
AIイラスト:ていず
以下サイトにて連載中!
小説化になろう:
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カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/11054822663833879380
アルファポリス:https://www.alphapolis.co.jp/novel/65785969/638091279
Xアカウント:https://x.com/gungniroverrev
001 Prologue
――おお、我が子よ、愛しい子よ。
そなたにはこの嘆きが聞こえますか。
我等生きとし生ける者全ての母、永遠なる世界樹の叫びが。
太陽と月は狼に飲まれ、巨人の炎が、九つの国を焼き尽くしました。
大神はこの世にはなく、仇なす巨人も灰と化しました。
古き時代に生きた者たちが、眠りにつく時が来たのです。
我が子よ、旅立ちの時が来たのです。
此れより先は、我等古き者には知るすべのない時代。
我が庇護も慈愛も届かぬ荒野で、そなたは一人生きていかねばなりません。
されど、そなたに流れる大神の血が、決して挫けることのない力を与えてくれるでしょう。
私の手は届かずとも、多くの者の手が、そなたに差し伸べられるでしょう。
さあ、愛しい子よ、お行きなさい。
見届けるのです。
この大樹と、自らの愛する者たちの行く末を。
002「少女ノア」
快晴。
空には一欠片の雲も無く、中天に高く浮かぶのは太陽のみで、そんな空を数羽のウミネコがミャアミャアと鳴きながら飛んでいる。
風も穏やかで、静かに、しかし力強く繰り返される波の音が心地良い。
空の
港町メダリア。
ここアスガルド大陸における主要国家の一つ、ミドガルズ帝国の港町の一つであるこの町にはいつも活気ある声が溢れている。
近隣諸島との交易や漁業などによって活気溢れるこの街で、人々は忙しなく働いていた。
大量に荷を載せた馬車の道を空けるよう御者が大声で叫び、それに負けじと声を張り上げ獲れ立ての魚を売る市場の人々。
ただ歩いて通り過ぎる人もいれば、壁際で談笑している人だかりもいる。
街灯にもたれて酒瓶を抱えながら眠る人がいるのも、荒くれの船乗り同士で樽の上で腕相撲に興じ盛り上がる輪が出来るのも、この港町では至っていつも通りの喧騒であり日常であった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
故に、そんな雑踏の中を息を切らせて駆ける少女がいたとしても、誰も気にも留めないありふれた光景なのである。
歳の頃は十五、六だろうか。
やや長めの金髪を揺らし白と水色でまとめられた清潔感ある衣装に身を包んだ彼女は、行き交う人々の波をすり抜け、ひたすらに走っていた。
「あうっ」
彼女が後方を気にして振り返ったとき、道行く人と軽くぶつかってしまいよろけてしまう。
なんとか体勢を立て直そうとしたが、そのまま屋台の横に積まれていた木箱に体当たりしてしまう。
おかげで何とか転ぶことは無かったが、代わりに木箱の中身がガランガランと音を立てて派手に散乱してしまうこととなった。
「おいっ、あんた何してんだ!」
屋台から店主と思わしき人が慌てて出てくる。
流石に何事かと周囲の人々も彼女に視線を向けた。
「すっ、すみませ……」
流石に申し訳ないと思ったのか、少女が散らばってしまった商品を拾おうとした時。
「いました、あちらです!」
「っ!」
少し離れたところから、喧騒に紛れてそんな声が彼女の耳に届いた。
その声が聞こえた瞬間、彼女はびくりと身を震わせその場から脱兎の如く走り去る。
「あっ待て! これどうしてくれるんだー!」
遠ざかる彼女の背に向かって店主は怒号を上げたが、地に転がった商品たちを放っておくわけにもいかずその場から動くことは出来なかった。
そしてそんな店主の横を、彼女の後を追いかけるように二人の男が走っていったが誰も特に気に留めることは無かったのであった。
§
「はぁ、はぁっ……」
「くっ、待てぇ! ちょこまかと……」
逃げる少女に向かって二人の男のうちの一人が叫ぶ。
少女が男たちから逃げ切れる可能性は低い。
体格、体力を鑑みればすぐに追い付かれてしまうのが道理である。
ここが周りに何も無い街道などであれば、あっという間に彼女は捉えられてしまっただろう。
が、ここは多くの人でごった返す繁華街。
少女はその小柄な体躯を活かし人混みを躱し、すり抜け、時として紛れたりと巧みに追跡者の手から逃れてゆく。
一方追跡者は成人男性が二人。
更にそのうち一人は一般的に見てもかなり体格が大きい。
縦横無尽に行き交う人の波を
だんだんと彼我の距離が離れ出し、追跡の音が離れてきたため相手の姿を確認しようと後ろに気を向けた瞬間、彼女はまたしてもやらかしてしまう。
「おっと」
今度は正面から人とぶつかってしまった。声からすると年若い男性であった。
少女は青年の胸に飛び込んでいくような形でその足を止めてしまうこととなった。
「ご、ごめんなさいっ」
慌てて青年から離れる少女。青年はさして気にした様子もなく少女に声を掛けた。
「大丈夫かい?」
「はい、いえ……!」
彼女は逡巡する。
このまま追跡者から逃げ切るのは至難の業だ。
今は何とか逃げられているが、時間の問題だろう。
助けを求めるまではいかなくとも、彼に追跡者の注意を引いてもらうことを頼むくらいは……。
「その子を捕まえてください!」
「っ!」
しかし追い付いてきた追跡者の声に反射的に三度走り出す少女。
「お、おい!?」
青年は一体何があったのかと呆然としたまま、雑踏に消えゆく少女の背を見送った。
程なくして、青年の横を通り過ぎる二人の追跡者。
こういった街ではスリや盗みなどもままあり、逃走劇を見かけること自体はそこまで珍しいものではない。
が、それは追跡者の身なりがやけに上等なもので、更に目元を隠す仮面などを付けていなければの話である。
「待て! 逃げられると思うな!」
「埒が明きません。あなたはこのまま彼女を……」
少女を追いかける二人組のそんな会話を青年は耳にした。
何があったのか気になったが、追跡者に強引に押しのけられた通行人に寄りかかられてしまう。
そのためよろけた体勢を立て直す間に、二人組もまた人混みに紛れて消えていってしまった。
「っと……ありゃ、どっかで見たような……? なんだぁ、おかしな仮面しやがって」
誰に言うでもなく青年は呟く。
そんな彼自身も、気が付けば既にその場にはおらず、街はまたいつもの賑わいへと戻っていったのだった。
§
「待ーてーぇー!」
「はぁ、はぁ、はぁ……お願いだから、諦めてよっ……!」
どうにか追っ手から逃れ続けられている彼女。
しかし、少女の体力の限界はそこまで迫っていた。
引き換え、追っ手の男はまるで疲れを感じていないかのように少女を追いかけ続けている。
少女は後方から聞こえてくる人混みとぶつかる追っ手の叫声に耳を傾けながらも、目の前にいた買い物かごを下げた女性の脇をすり抜けた時。
「!」
彼女の眼の前にいたのは二人の追っ手のうちの一人。
だが後ろからは変わらず聞こえてくる男の声。
彼らはいつの間にやら二手に分かれ、少女を挟み撃ちせんと先回りしていたのだ。
眼前の男が両手を広げ、今にも少女を捕らえようと迫りくる。
「くっ!」
しかしがくんと身を低くかがめることで間一髪、その魔手をすり抜ける彼女。
大きくバランスを崩した少女は何とかそのまま走り抜けようとしたが、通りは先程よりも人が増え、容易にすり抜けられそうには無い。
少女は90度走る方向を変え、建物の隙間の細い路地へと進路を変えた。
人混みで撒けないのなら入り組んだ裏路地で。咄嗟にそう判断した少女は、そのまま薄暗い脇道へと消えていった。
「何を逃がしておるのだ! 折角私が……!」
「言い訳はしません。ですがもう少しです」
後方から男たちの言い争う声が聞こえる。
そのまま言い争っていて欲しいと思う彼女の淡い希望も叶うことなく、追っ手の二人もまた少女を追いかけていく。
右へ、左へ。
出来るだけ追っ手の視界から自身が消えるように建物に囲まれた迷路を少女は突き進んでいく。
もう少し。
もう少し逃げたらまた大通りへ出よう。
これだけ見えなくなっていれば、他の通行人に紛れて歩いていれば見失ってくれるだろう。
そう考え、休息と酸素を求める身体に鞭を打ちつつ少女は路地の角を曲がったが、そこで彼女は立ち止まってしまう。
「はあ、はあ……うそ……」
よりにもよって、道はそこで袋小路になっていた。少女は慌てて周りを見回すが、身を隠せるような物陰は無い。
どこかの家の勝手口と思われる扉が見え、一縷の望みを託し手をかけるが、やはり扉は固く閉ざされている。
少女は来た道を引き返し、違う逃走ルートを試みようとしたが。
「もう、逃げられませんよ」
背後からそんな声が聞こえた。
追いついた仮面の男たちが少女に立ち塞がり退路を断つ。
流石に追っ手も走り疲れているとはいえ、この状況で少女が二人を掻い潜り、逃げおおせる道理は無かった。
「くっ」
彼女が後ずさる。砂を噛んでじりっと音が鳴る。
「そろそろ観念したらどうだい、お嬢さん。なにも取って喰おうっていうわけではないのだから」
二人のうち、大柄な男の方がそんなことを言いながら彼女に詰め寄っていく。
更に一歩、後ずさる少女。
「そう、大人しくした方が君のためにも良いのですよ」
細身の男も隙無く近寄ってくる。
もう一歩後ずさるが、靴の踵がこつんと後ろの壁に当たる。
追いやられ、完全に逃げ場は無い。
「あなたたちに、従うわけにはまいりません」
それでも少女は毅然と男たちを睨みつけ、腕を胸の前で交差し身を守ろうとする。
「毅然とした態度を崩さないのは誉めたいところだがな、こちらにも我慢の限界というものがある」
大柄な男はその様子に眼力を強めニヤリと笑みを浮かべ、拳をバキリボキリと鳴らしながら少女へ詰め寄っていく。
「待ちなさい、下手に手を出して傷つけでもしたら大変です。ここは僕にまかせて……」
「何を言っている? さっきそれで失敗したのは君なんだぞ」
二人の男が口論を始め、視線を少女から外した。
意を決し身を低くしたまま少女は細身の男の脇を素早くすり抜けようとした。が、
「今度はっ! 逃がしませんよ。さあ、一緒に来るのです!」
すり抜けることは叶わず、少女の腕を細身の男が捕らえた。
「嫌っ、離してください!」
必死に振りほどこうと抵抗する少女。
だがその捕らえられた腕が自由になることはなく、男はぐいっと少女の腕を掲げ引き寄せる。
少女は拘束されていない方の腕で男へと殴りかかろうとするが、男の方も逆の手でその攻撃をいなしてしまう。
そうこうしているうちにそちらの手も捕らえられてしまい、更に身動きが取れなくなる少女。
「さあ、来るんだ!」
万事休す。
両の手の自由を奪われてしまった少女は、最早せいぜい身体をよじらせる程度の抵抗しか出来ない。
そして大柄な男がその上から更に少女を押さえつけようと詰め寄ったその時。
「よう、離してやれよ」
揉み合う三人へとそんな声が降り掛かったのであった。
003「出会い」
「よう、離してやれよ」
大通りからほど離れた、日が当たらず薄暗い裏路地の一角で。
二人の仮面の男がまさに少女の自由を奪わんとしたその時にそんな声が響いた。
「むっ」
「ふむ?」
男たちは声のした方へと向く。
そこにいたのは一人の男だった。
背は一般的な成人男性のそれとさほど差は無い。
薄暗闇の中でも太陽の光を乱反射させるような、眩しい銀色の髪の毛を立て、額にはゴーグル。
黒い袖無しの上着には首周りに白いファーが靡いており、丈夫そうなズボンには左右交差するようにベルトが下がっている。
そして背には剣のような、しかし剣とは呼べないような無骨な棒状の何かを下げている。
それは強いて表現するならば、2本の鉄パイプを並べて連ね無理やり柄を付けて振り回しやすいようにした、剣の形をした鈍器であった。
決して、隙のない構えをとっているわけではない。だが、その肩から力が抜けた自然体の立ち姿には、幾度も死線を潜り抜けてきた者特有の、研ぎ澄まされた威圧感と頼もしさが同居していた。
「はっ」
少女は新手が来たのかと思い身を固くしたが、見えたのは先程逃走の最中に正面からぶつかってしまった青年であった。
誰。
何故、一体どうして。
彼女がそんな疑問を言葉にするより先に青年が動く。
「嫌がる女の子を無理矢理連れ去ろうなんて、穏やかじゃねぇなぁ」
青年は両手を頭の後ろで組みながらも三人の下に近寄っていく。
その表情には笑みすら浮かべ、ゆっくりと。
「貴様は……っ!」
大柄な男が青年を見るなり叫ぶ。
言葉を続け青年に襲いかかろうとする彼に細身の男が少女を掴んでいたうちの片方の手を外して伸ばし、大柄な男を制す。
「……失礼ですが、貴方には関係の無いこと。余計な口は出さないで頂きたい」
細身の男は静かに言う。
なおも暴れ続ける少女を片手で器用に引き寄せ、片手を拘束しながらも首に腕を回す形で押さえつけた。
相方の言葉に冷静になったのか、大柄の男もそのまま青年と距離を取ったまま言葉を繋げる。
「その通りだ。格好をつけてしゃしゃり出ても、良いことは無いぞ」
一見すればやんごとなき状況。
ごく普通の一般人であれば、その言葉の通りに踵を返したことだろう。
少女を助けられなかったと心にしこりを残しながらも、面倒事に関わらずに済んで良かったと、繰り返す日常のうちに忘却していけただろう。
だが青年はそんな言葉を意に介さず、更に一歩前へ詰め寄る。
「良いか悪いかは、俺が判断するさ」
その
「生憎、貴方にそれを任せるわけにはいかないのですよ。こちらにも事情というものがある」
大の男が二人掛かりで無抵抗な少女を路地裏に追い詰めておいて、事情の一言で正当化しようとするその図々しさ。
ラリーは呆れたように鼻で笑うと、彼らの顔を覆う異様な装飾品をこれ見よがしに指差した。
「そんな柄には見えないけどな。それとも何か、悪趣味な仮面の下は事情ではちきれんばかりってか」
関わるなと言う細身の男に対し、青年は面白そうに笑う。
明らかに二人を挑発している。
その様子に細身の男は奥歯を噛み締め閉口する。
恐らく仮面が無ければその眉間に深い皺が刻まれていたことだろう。
こんなあからさまな誘いに乗ってはいけない。
細身の男はそう自分に言い聞かせてこの場を乗り切る手を考えるが、大柄な男のほうはそうではなかった。
「貴様、下手に出ておれば言いたいことを言いおって!」
大柄な男の仮面の下が、怒りで瞬時に沸騰したかのように真っ赤に染まった。握り締められた巨大な拳が、ミシミシと音を立てて震える。
対する青年は、そんな重圧をそよ風ほどにも感じていない様子で、肩をすくめてみせる。
額のゴーグルを軽く指で弾き、腰に下げた二本の鉄パイプを連ねた鈍器の柄に、無造作に、けれど最短距離で動ける位置に手をかけた。
「おう、やるかい? まとめて相手になるぜ!」
「後悔させてやろう!」
まんまと青年の挑発に乗り、今にも飛びかかりそうな大柄の男。
もはや言葉による対話など成立しない。
大柄な男が吠え、今にも猛牛のような勢いで目の前の青年に飛びかからんとした、その瞬間。
細身の男は開いた片手で大柄な男の袖を掴み、どうにか抑えようとする。
「いけません、ことを荒立てては……!」
「止めるな! こやつの軽口にはもう我慢ならん!」
理性を飛ばして実力行使に出ようとする相棒の暴走に、細身の男の意識と視線が完全に青年と巨漢の二人へと釘付けになる。
それに伴い、彼がノアの細い腕を拘束していた力がほんの僅かに緩んだ。
怯えて縮こまっていたはずの少女は、その一瞬の隙を決して見逃さなかった。
「待ちなさ……痛っ!」
細身の男の注意が青年と大柄な男に完全に向いていた瞬間。
少女を抑え込んでいた手に刺すような鋭い痛みを受け、男はたまらず悲鳴を上げてその手を離してしまう。
窮地に追いやられたノアが、恐怖を振り払うように男の手に思い切り噛みついたのだ。
生まれた隙に少女は拘束を抜け出し、大柄な男の脇をすり抜け青年の方へと駆け出す。
「この……っ!」
慌てて彼女を捕まえようと大柄な男が手を伸ばすが、ふいに背後から現れてしまった異常事態だったため僅かに目測を誤ってしまいその腕は空を切る。
捕らえることは叶わずそのまま彼女はするりと青年の後ろへ逃げ込んでしまった。
「はっ、やるねぇお嬢さん!」
青年は鮮やかな逃走術に感心し、少女を守るべく抱き寄せんとする。
しかしその手は他ならぬ彼女によってぺしんと叩き落とされてしまった。
「自分の身は、自分で護ります」
「はっ、頼もしいこった」
少女に噛まれた手をかばうように押さえる細身の男と、身体中から怒気を立ち上らせる大柄な男。
それに向かい合うはそんな二人の男から目を離さず背中の鈍器に手をかけた青年と、相手を睨みつけている少女。
仮面の男たちが袋小路側なので逃げようと思えば逃げ出せる。
しかしこの二人がそう安々と逃がしてくれるとも思えず、場は膠着する。
「ローグ! 君というヤツは、だから言ったのだ!」
「貴方が余計なことをしなければ良かったのですよっ」
苛立ちを募らせた大柄な男は青年と少女から目を離さないまま相方の男に怒鳴りつける。
売り言葉に買い言葉、細身の男も内心業腹なのだろう。先程までとは変わって声を荒げる。
そんな様子に青年は相変わらず余裕の笑みをこぼして男たちを冷やかす。
「おやまあ、相変わらず仲のいいこって。じゃ、俺たちはこれでサヨナラするぜ……走れるな?」
「はい、なんとか……っ」
小さく後ろの少女に声を掛ければ、彼女もまた小さく頷き答えた。
「もう、なりふり構ってはいられませんね、ワルト!」
「言われずともそのつもりだ!」
2人の男が弾かれたように青年との距離を詰める。
その動きに合わせるように、青年と少女もまた動き出す。
「よし、行け!」
「はいっ」
一直線に少女を捕らえるべく動き出す細身の男と、妨害するであろう青年に立ち向かわんとする大柄の男。
それに対し真っ先に振り向き一目散に駆け出す少女と二人の男の動向を気にしながら少女の後を追う青年。
そんな四人が同時に大きく動いた時だった。
「どこだ、メダリアの治安を乱す輩は!」
「こっちです! この路地の奥、二人組の仮面の男です!」
路地の向こう、大通りの方からそんな声が四人の元へと聞こえてきた。
どうやら通りすがりの誰かが官憲を呼んでくれていたらしい。
ガッチャガッチャと鎧や剣の擦れる金属音が複数、だんだんと近づいてくる。
「くっ……タイミングの悪い!」
想定外の事態に狼狽える仮面の男たち。
仮面を付けているということは、正体がばれてしまってはまずいということ。
普段の彼らであれば、官憲たちをむしろ味方とすることも出来ただろう。
が、今この場でそれを行おうとするのは悪手以外の何物でもなかった。
「よし、あいつらの向こうに逃げるぞ」
「はい!」
逆にこれ幸いと音のする方を目指し走る青年と少女。
遠ざかる二人を追いかけるべきか姿を隠すべきか、戸惑う大柄の男。
「待てっ! ……どうする、まずいぞ」
「引くしかないでしょう! こんなところで捕まるわけにはいきませんよ!」
青年たちを追いかけるように走っていた男たちだが、分かれ道で大通り側へと向かっていた彼らに対して異なる別の道、更なる細い路地へと逃げ込まざるを得なかった。
青年たちの背に向かい、憎々しげに大柄の男は叫ぶ。
「くそっ……小僧、今度見つけたらただでは置かんぞぉ!」
文字通り、完全に捨て台詞であった。
「期待してるよ、おっさーん!」
そしてそんな声に青年は明るく応える。
「おっさ……貴様あぁッ!」
「ワルト! 構わず!」
最後まで茶化してくる青年の声にまたしても怒り心頭となる大柄の男。
そして何とか彼を制して闇へ紛れようとする細身の男。
青年たちと二人の男、それぞれが先の曲がり角でお互いの姿を完全に見失うまでそんなやりとりが繰り広げられた。
「どこだ、おとなしくお縄を頂戴しろ!」
官憲たちの声がその分かれ道に響き渡る頃には、四人の姿は跡形も無くなっていたのであった。
004「物語の始まり」
メダリアを街の入り口から港まで縦に二分割するように伸びる中央大通り、その更に中間点にある噴水広場。
数多の人々や馬車でごった返すその広場まで逃げてきた所で、青年と少女はようやくその足を緩める。
仮面の男たちはもちろん、被害者の保護よりも加害者の捕縛を優先しているのであろう官憲たちも、二人を追いかけてきている様子はなかった。
後方を軽く確認し、問題がないと判断したのであろう青年はそこで足を止め、同じく立ち止まって大きく肩で息をする少女へと声を掛ける。
「ふぅ……まったく、いいタイミングで来てくれたぜ。そろそろいいだろう。お嬢さん、よく頑張ったな」
「はぁっ、はぁっ……は、はいっ……」
大して疲弊した様子もない青年とは対照的に、少女は息も絶え絶え。
手を膝につき、顔を上げることも無く、息を整え少しでも体力を回復させることに専念している。
元々長い時間逃走劇を繰り広げていた上に、最後の最後での全力疾走。
見た目通りの小柄な少女の体力ではいささか酷なロードワークであっただろう。
許されるものならこの場で全身を投げ出し大の字で地面に寝そべりたい。
少女が内心そう思ってしまうのも無理のない話だった。
「ちょっとそこで待ってな、飲み物を買ってくる」
青年は少女にそう告げ、周りに立ち並ぶ屋台の一つへと向かっていく。
そこでは恰幅の良い熟年の女性店主が道行く人々に快活な声で呼び込みをしていた。
どうやら果実水を売っている店のようであった。
店先に並んだ2つの大きな樽の中には氷水と、その中に沈められている瓶に詰められた飲み物が太陽に輝いてキラキラと光を反射している。
「よう、そいつを二つくれ。冷えてるんだろうな?」
青年は屋台の軒先に無造作に並べられた色鮮やかな瓶を指差し、悪戯っぽく笑いながら店主へと声をかけた。
顔なじみというわけでは無さそうだが、彼のどこか人を食ったような、けれど憎めない飄々とした態度は、初対面の相手の懐にもあっさりと入り込んでしまう。
「当たり前だよ、嫌なら買わなくていいんだよ!」
恰幅の良い女性店主も負けじと、大きな身振りと威勢の良い声で言い返す。
港町特有の、気風の良さと商魂の逞しさが滲み出るような小気味良いやり取りだ。
「はは、カンベンしてくれよ! ほらよ」
青年は笑いながら、腰の小袋から硬貨を取り出してカウンターへと放り投げた。
チャリン、という小気味良い金属音が屋台に響く。
「まいどあり!」
青年は、汗を拭いながら豪快に笑う店主と軽口を交わし、よく冷えた果実水の瓶を二つ受け取った。
大して間を置かずに、青年は噴水のへりに腰掛けて休む少女の下へと戻り、瓶の片方を彼女に手渡した。
「ほら、飲めよ」
「あ、ありがとう、ございます……」
おずおずと青年から瓶を受け取る少女。
青年から受け取ったそれは、程よく冷えていて火照った手の平に心地よい冷たさをもたらした。
「礼なんかいらねぇよ……んぐっんぐっ、ぷはぁ!」
青年の方も喉が渇いていたのであろう。彼女の隣へ腰掛けて一息入れると、そのまま瓶を傾けて一息に果実水を飲み干してしまった。
見知らぬ男から手渡されたことにやや警戒するものの、自身もすっかり喉が渇いてしまっている。
更にはそんな自分の横で美味そうに喉を鳴らす青年の様子に、誘惑に抗えないまま彼女もまた水分を欲する己の喉へと果実水を流し込んでいった。
「んっ、んっ……はあぁ」
果実の爽やかな香りと酸味、わずかな甘みを感じさせつつも程よく冷たくなっていたそれは、あれよあれよと言う間に少女の口へ吸い込まれていく。
疲労し切った少女の身体へと果実水はすんなりと染み渡っていった。
「さて……と。成り行きでこんなことになったが、名前くらい聞いておいてもいいか?」
噴水のたもとでお互いに冷えた果実水を飲み干し、逃走で火照った身体に心地よい清涼感が染み渡り一息ついたところで、青年は空になった瓶を片手にそう話を切り出した。
「あ……はい、すみません」
まだ完全に緊張が解けきっていないのか、少女は少し肩をビクッと跳ねさせてから、慌てて居住まいを正した。
「俺はラリー。ラリー・ヒューアだ。船長なんてモンをやってる」
青年——ラリーは、親指で己の胸をドンと指差し、屈託のない快活な笑顔を向けた。
その堂々とした名乗りに、少女はパチパチと目を瞬かせる。
銀髪にゴーグル、そして背負った奇妙な鈍器。到底一般的な船の船長には見えないが、彼から発せられる不思議な頼もしさは、確かに人の上に立つ者のそれだった。
「ラリーさん、ですか」
「あんたは?」
「私、私は……ノアって言います。あの、助けていただいてありがとうございます」
問われた少女——ノアもまた、両手で瓶をぎゅっと握り締めながらぺこりと深く頭を垂れ、青年に名乗り返す。
「気にすんなって。たまたま見かけて俺が自分から首突っ込んだだけなんだからよ」
ラリーは照れ隠しのようにガシガシと後頭部を掻きながら、大したことではないとばかりに笑い飛ばす。
その底抜けの明るさにノアは救われる思いがしたが、同時に、これ以上見ず知らずの親切な彼を、自分の厄介事に巻き込むわけにはいかないという強い自制心が働いた。
「……あの、本当にありがとうございました。今は何もお礼は出来ませんが、このご恩は忘れません。では……」
今回は彼のお陰で切り抜けることは出来たが、また同じことが起きないとは限らない。
一刻も早くこの場から、いやむしろこの街から離れなければ。
ノアは深く一礼すると噴水のへりから立ち上がり、衣服の砂埃を軽く払う。
そして、どこか名残惜しそうな気配を無理やりに断ち切るように踵を返し、再びあてのないメダリアの雑踏の中へと独り歩き出そうとした。
「まままま、ちょい待てって。そんな慌てて逃げなくたって別に取って食いやしないって」
しかしラリーはそんなノアの心境を知ってか知らずか、彼女を引き留める。
踵を返そうとしていた彼女はまさか呼び止められるとは思っていなかったのか、無意識のうちにびくりと肩を大きく跳ねさせてしまった。
その様を見ていらぬ警戒をさせてしまったと感じたラリーは、引き留めようと伸ばしかけた片手を所在なさげに自身の首の後ろに回してポリポリと掻いた。
「あー、悪い。なんか訳アリっぽかったからよ。良かったら話してみないか?」
ラリーは頭を掻きながら、決して強要はしない、どこまでもフラットで気安いトーンで問いかけた。
「ですが、これ以上ご迷惑をおかけするわけには……」
ノアは痛いところを突かれたように俯き、膝の上でギュッと両手を握りしめる。
これ以上、この親切な青年に厄介事を背負わせるわけにはいかない。
そんな強い葛藤が、彼女の表情を固く強張らせていた。
「ま、これも何かの縁ってな。話したくないってんなら仕方無いが」
立ち去ろうとする彼女の背中に、ラリーはあっさりと引き下がってみせる。
無理に聞き出そうとしないその絶妙な距離感と不器用な優しさが、逆にノアのピンと張り詰めていた警戒心の糸をふっと緩ませた。
「いえ……すみません。とは言っても私も分からないんです」
申し訳ないとは思いつつも、絶体絶命の窮地を救ってもらっておいて無碍に断ってしまうのも心苦しい。
何より、彼のその裏表のない態度に、ノア自身が少しだけ縋りたいと思ってしまったのだ。
彼女は迷った末に、ゆっくりと再び噴水のへり、彼の隣へと腰を下ろしてぽつりぽつりと口を開いた。
「分からない?」
ラリーが不思議そうに首を傾げ、静かに先を促す。
「はい。街を歩いていたらいきなりあの人たちに付いて来いって言われて。でもどう見ても怪しかったじゃないですかあの人たち。だから……」
ノアは手元の空になった果実水の瓶を見つめながら、手探りで記憶の糸をたぐるように話し始める。
思い出すだけでも恐ろしいのか、仮面の男たちの異様な姿を口にした時、彼女の細い肩が微かに震えていた。
上等な衣服に身を包んだ二人の男。
そんな得体の知れない連中が、正体を隠すように仮面まで被っているのだ。
たとえ彼女でなくともそんな状況に遭遇してしまったら、回れ右をして一目散に逃げ出すのは自明の理であると言えるだろう。
「逃げたら追いかけられた、と。なるほどな……んな人攫いの真似事なんざするような奴等じゃ無いはずなんだが。今度は何考えてんだあのお嬢……」
状況を把握したラリーは空き瓶を持ったまま何やら考え込み、そう呟いた。
「あ、あの、もしかしてお知り合いで……?」
そんな彼の様子から不穏な気配を察したノアは、座った体勢のままススッと横にスライドしてラリーから距離を取る。
彼の手が届かず、万が一にはいつでも逃げ出せるように。
助けてもらった恩はあれどあの怪しい二人組と知り合いというならば、彼女が警戒レベルをぐんと引き上げるのも致し方ないことであった。
「まぁちょっとな……あーいやいや、別にあいつらの仲間ってわけじゃ無いから。頼むからそう警戒すんなって。さっきも言ったが俺は別にお前さんをどうこうしようってつもりはないからさ」
そして彼女がそう考えてしまうのも無理が無いことであると感じ、彼も慌てて釈明する。
両手の手の平を肩の高さで軽く開いてみせ、自分が無害であることをアピールした。
「うわ、っとっとっと」
そしてそんな仕草を取ったことで持っていた空き瓶を思わず離してしまい、地面に落ちる前に慌てて掴み直す。
その少し滑稽な様と弁明する姿に、どうやら本当に悪い人ではなさそうだと思ったノアは引き上げた警戒レベルを少し戻した。
「はぁ……分かりました」
ほんのちょっとだけ彼との距離を戻す。
ほんのちょっとだけ。
「いや今のは俺が悪かった。んでノア、お前さん今後のあてはあるのかい?」
「あ、いえ……」
両手で空き瓶をぎゅっと握りしめるノア。
やや俯き、表情も曇ってしまう。
本来ならば誰か知り合いのところに駆け込むか、先程は成り行きで逃げてしまったが憲兵の詰所に行ったりするべきだろう。
しかし彼女はそういった手段は取れない。
取れない理由が彼女にはあったのだ。
「そうか……なぁノア。良かったらなんだが」
そんな彼女の様子からただごとではない事情を感じたラリーは、ふいにノアへ提案する。
「俺の船に乗らないか?」
「……はい?」
これがラリーという青年とノアという少女を中心に、大きく繰り広げられる物語の序章だったのであった。