私のポケモンアカデミア 作:にわかでドドゲザン
中学二年生の二学期。
教室に配られた『進路希望調査票』という、たった一枚の頼りないプリントは、クラスの温度を不自然なほど跳ね上げていた。
「おい、お前どこ書くよ? やっぱり雄英か?」
「馬鹿言え、俺の個性じゃヒーロー科は無理だって。でも、サポート科ならワンチャンあるかなって……」
「俺は普通に地元の公立だなあ。ヒーロー科の倍率、今年もエグそうだし」
そんな浮ついた声を、三島雛は机に頬杖をついたまま、鼓膜の端でただ聞き流していた。
肩下までまっすぐに伸びた、艶のない黒髪。よくいる日本人の、どこにでも埋もれるような平凡な容姿。三白眼気味の、感情の起伏が見えない薄い瞳。彼女は騒がしい教室内には目もくれず、窓の外をぼんやりと眺めていた。
校門のすぐ近く。毎日、朝の登校時から放課後の完全下校まで、色褪せることのない黒塗りのセダンが停まっている。
あれが自分を四六時中監視している、国家公安の車だと知ったのは、個性が発現した四歳の夏のことだった。
「……三島」
いつの間にか机の前に立っていた担任の先生が、腫れ物に触るような、どこか申し訳なさそうな顔で雛を見下ろしていた。手元には、雛が先ほど提出したばかりの調査票がある。
第一志望の欄には、迷いなく『地元の公立高校』と書かれていた。
「これなんだがね。……上からの『強い要請』があってね。君の進路に関しては、学校側ではなく、個別で専門の機関と面談をすることになっているんだ。だから、この調査票は一旦、私が預かっておくよ」
「はい」
雛は表情一つ変えず、短く答えた。
先生の、まるでいつ爆発するか分からない爆弾を前にしたかのような、怯えと哀れみの混ざった視線にはもう慣れている。
雛の個性は『ポケットモンスター』。
世界においては、遥か遠い昔に流行した超有名レトロゲーム扱いされている。ほとんどの人間がその名前やキャラクターを知っているほどの知名度。だからこそ、個性が発現した当初、周囲は「可愛い生き物になれる個性」だと微笑ましく見ていた。
だが、現実は違った。
雛の個性によって引き起こされる変身は、ゲームのファンシーな見た目とは裏腹に、ゲーム内の「図鑑説明」や「システム仕様」が物理法則を完全に無視してそのまま出力される、桁違いのバケモノだった。
一瞬で都市を更地に変えうる破壊力。
国が血相を変えて彼女を「特定変異個性」に指定し、人権を半分奪うようにして監視下に置くのも、雛からすれば当然の判断だった。世界は理不尽で、平等ではない。だからこそ、雛は幼い頃から、徹底して現実を冷めて見つめる術を身につけていた。
「雛ちゃん……」
放課後。部活や下校で大半の生徒が消え、静まり返った教室に、聞き慣れた気弱な声が響いた。
緑谷出久――幼馴染みの一人が、ボロボロの『将来の為のヒーロー分析』と書かれたノートを胸に抱え、心配そうに雛の机に歩み寄ってくる。
「普通科にするって本当……? 先生と話してるの、聞こえちゃって。雛ちゃんのあの凄まじい個性なら、どこのヒーロー科だって、推薦だって狙えるはずなのに……」
出久の瞳は、純粋な善意と、そして彼特有のヒーローへの「熱」で潤んでいた。
雛は手元にあった紙パックの緑茶にストローを刺し、ひと口啜ってから、冷ややかな視線を幼馴染みに向けた。
「緑谷君、私はヒーローになりたいわけじゃないの。これ以上、国の監視レベルが上がるのが嫌なだけ。普通に生きて、適当な事務職にでも就いて、普通に死にたいのよ」
「でも……! 困っている人を助けるのがヒーローで、雛ちゃんにはその力が……」
「力があるからって、それを使わなきゃいけない理由にはならないわ。現実はそんなに甘くないの」
雛が淡々と言い放つと、教室の引き戸が激しい音を立てて乱暴に開け放たれた。
「おい、雛ァ!!」
爆音と共に現れたのは、もう一人の幼馴染み、爆豪勝己だった。
中学生にしてすでに圧倒的な強者のオーラと自尊心を身に纏った少年は、雛の机を乱暴に小突き、その三白眼をさらに鋭く尖らせて睨みつけてくる。
「テメェ、また逃げる気かよ。普通科だぁ? ナメてんじゃねえぞ。そのクソ生意気な化け物の力持ったまま、安全圏でコソコソ燻るつもりかよ、あァ!?」
「爆豪君、声が大きい。私はただ現実を見てるだけ。あなたみたいに『勝つ』ことだけ考えていられるおめでたい頭なら、どんなに楽だったかしらね」
雛の言葉に、爆豪の掌からバチバチと不穏な火花が散る。教室の空気が一気に一触即発の緊迫感に包まれた。
「あァ!? 誰の頭がハッピーセットだコラ! 良いか、テメェが雄英に来ねえなら、俺がその外の黒塗りの車ごとテメェの個性をぶっ潰しに行ってやらぁ!!」
吐き捨てるように怒鳴り散らし、爆豪はそのまま教室を去っていく。その背中を、出久が「かっちゃん、待ってよ!」とオロオロしながら追いかけようとした。
「待って、緑谷君」
雛の声が、出久の足を止めた。
出久が振り返ると、雛は緑茶のパックを机に置き、深く息を吐き出しながら幼馴染みを真っ直ぐに見据えていた。その瞳には、いつにも増して冷徹な光が宿っている。
「……雛ちゃん?」
「緑谷君。悪いけど、あなたのその『ヒーローになりたい』って言葉、昔からずっと私にはすごく薄っぺらく聞こえるの。理由は3つあるわ」
冷淡に告げられた言葉に、出久の身体が強張った。
「1つ目。あなたは『ヒーロー』に憧れてるんじゃない。ただの『オールマイト信者』なだけよ」
「え……?」
「世界中にいる他のプロヒーローの泥臭い救助活動や、地味な治安維持、社会のインフラとしての活動には、あなた、大して興味がないでしょ。あなたが求めているのは『オールマイトみたいに、万能で、笑顔で、圧倒的な力で勝つ最高の存在』になりたいっていう、ただの盲目的な偶像崇拝。自分の能力の無さと、目指すものの異常な高さの乖離が見えてない。足元が、最初から浮いているのよ」
「そんなこと……っ! 僕は、困っている人を、笑顔で助けられる人に……!」
出久は必死に声を絞り出そうとするが、雛の言葉は遮るように続いた。
「じゃあ2つ目。それほど本気で人を助けるヒーローなりたいと願っておきながら、あなた、無個性のくせに自分の身体をこれっぽっちも鍛えようとしなかったのは何で?」
痛いところを突かれたように、出久の息が止まった。
「普通科の受験生だって、部活や塾で毎日必死に肉体や頭脳を追い込んで努力してる。ましてや、個性が全ての世界で、無個性の身一つでヒーロー科を目指すなら、今すぐプロ並みの格闘技を習うか、死ぬ気で筋トレして、個性を補うだけの肉体を極限まで作り上げるのが『本気の人間』の最低限のスタートラインでしょ。
それをあなたは何もしない。ノートに他人の個性を書き殴って、分かった気になってるだけ。自分からは何も行動を起こさず、『いつか奇跡が起きるかも』ってただ待っている。あなたの憧れはその程度、ただの現実逃避よ」
出久の顔から血の気が引いていく。ノートを握りしめる細い指先が、ガタガタと小刻みに震え始めた。雛の指摘は、彼がずっと心の奥底に蓋をして見ないようにしていた、決定的な「甘え」を正確に抉り出していた。
「そして3つ目。これが、私があなたを一番信頼できない理由。他人の『個性』を細かく記録してオタクみたいに分析する癖に、それを私や爆豪君みたいな親しい相手には、悪気もなくすぐにバラしちゃう悪い癖」
「それは、僕はただ凄いなと思って、みんなと共有したくて……!」
「それが致命的にヒーローに向いてないって言ってるの。個性の詳細や手の内は、ヴィランに知られたら即座に死に直結する『最高機密』よ。身内だからって、本人の許可もなくペラペラ口にするその軽薄さ。もしあなたのノートがヴィランの手に渡ったらどうなるか、その情報漏洩の危険性を微塵も理解してない。
私から見れば、あなたはヒーローになりたいんじゃなくて、ヒーローっていう娯楽を消費して、オタク仲間と語り合いたいだけの子供。……そんな甘い頭でヒーロー科に行ったら、最初の1秒で死ぬわよ」
静まり返った教室に、雛の冷たい声だけが響いていた。
出久は何も言い返せなかった。大好きなノートを胸に抱いたまま、涙をボロボロとこぼし、ただ呆然と立ち尽くしている。
雛はそれ以上何も言わず、鞄を持つと、出久の横を通り過ぎて教室を後にした。厳しい言葉をかけたことに、罪悪感はない。それが彼女の見る「現実」であり、無防備なまま残酷な社会へ飛び込もうとする幼馴染みへの、彼女なりの境界線の引き方だった。
校門を出ると、案の定、黒塗りのセダンの後部座席の窓が静かにスライドして開いた。中に座る、見慣れたスーツ姿の公安監視官が、抑揚のない冷徹な声で雛に告げる。
「三島さん。上層部からの決定事項だ。君の進路は『雄英高校ヒーロー科』への推薦入学で確定した。これは要請ではなく、国家の安全保障上の決定だ」
差し出された書類には、雛の意思を完全に無視した、冷たい文字が並んでいた。
雛はそれを受け取り、やっぱりね、と心の中で小さく呟いた。
「納得いかないという顔だね、三島さん。だがこれは君のためでもある。雄英の相澤消太の『抹消』だけが、君を理性の側に繋ぎ止められるんだ。一般種のメガシンカだけでも、災害指定区域を一人で作れるレベルの破壊力。ましてや、データベースにある理論上の怪物――『伝説級』を、もし君が目覚めさせて暴走でもさせたら、この国は終わる」
「……何度も言ってますけど、私にあんな神話の怪物に変身する才能なんてありませんよ。今だって、ルカリオかアブソルになるのが精一杯なんですから。過保護が過ぎてストーカーの領域ですよ、公安も」
「我々は『起きてから』では遅いと言っているんだ。大人しく推薦を受け入れなさい」
「はーい。言われなくても行きますよ。断ったらどうせ、地下の隔離施設行きなんでしょ」
雛は書類を鞄に押し込み、窓を閉めさせた。
世界は理不尽で、平等ではない。
ただ、その檻の中で、どうにか冷めて生きるしかないのだ。
数日後。公安の地下隔離訓練室。
そこは、雛の「定期戦闘能力測定」のためだけに用意された、極厚の特殊強化コンクリートと鉄壁に囲まれた広大な空間だった。
「三島さん。今日のテストだ。相手は公安が用意した、現行のプロヒーロー並みの強度を誇る、最高高度の『超合金製防衛ロボ』3体。制限時間は5分だ。ルカリオの波導で内部から破壊するか?」
スピーカーから流れる監視官の声に、雛は制服の袖を少し捲りながら、めんどくさそうに息を吐いた。
「いえ。あれこれ考えるの面倒なんで。アブソルで一瞬で終わらせます」
雛が軽く目を閉じると同時に、その身体が激しく禍々しい光の渦に包まれた。
しかし、現れたのは大昔のゲームのデータにあるような、通常のメガアブソルではなかった。
体毛は風を切り裂く刃のようにタイトに引き締まり、その四肢の爪や角は、まるで名刀のような鈍い金属光沢を放っている。戦闘にのみ特化し、あらゆる物質を両断するために最適化された独自の姿――『メガシンカアブソルZ』。
『ターゲット確認。排除行動を開始――』
重装甲ロボが駆動音を立てて突進してくる。
雛は、ただ冷ややかにそれを見つめ心の中でシステムを起動させる。
アブソルZが地を蹴った瞬間、キィン、と空間そのものが鳴動するような金属音が響いた。
それは移動の音ではない。アブソルZがただそこを通り過ぎただけで、周囲の空気が『切れて』いるのだ。あく・ゴーストタイプとなったその肉体は、ロボが放つ突進の物理的な衝撃を「スカッ」と完全にすり抜け、無効化する。
そして、閃光が一瞬。肉眼では捉えられない超高速の移動と共に、3体のロボの間をすれ違った。
放たれたのは、特性によって威力が倍加された、鋭利極まる中距離斬撃――『サイコカッター』。
『――ッ!?』
次の瞬間、衝撃波すら置き去りにして、3体の重装甲ロボが縦に真っ二つに泣き別れてスライドし、床に激突した。
切断面は鏡のように滑らかに磨き上げられている。背後の特種強化コンクリートの壁までが、数十メートルにわたって深く、綺麗に両断されていた。
「……測定終了。タイム、2秒。相変わらず、アブソルZの『きれあじ』は物性防御を完全に無視するな。物理攻撃の透過耐性といい、まさに生きた天災だ」
光が収まり、黒髪ストレートの少女の姿に戻りながら、雛は制服についたわずかな鉄くずを払った。
「アブソルZの刃の前では、硬さの概念なんて意味ないんですよ。……あーあ、制服が汚れちゃった。緑谷君のノートの付き合いがあるんで、帰りますね」
監視カメラに向かって淡々と言い放ち、雛は訓練室を後にした。
自分の意思とは関係なく、世界は彼女を「最強の駒」として、あるいは「最悪の爆弾」として雄英高校という舞台へ押し上げていく。
それでも、三島雛の瞳はどこまでも冷めていた。
どんなに理不尽な世界が牙を剥こうとも、彼女はただ、手元にある個性という最強の刃を事務的に振るい、自分の日常を守るだけ。
こうして、神の領域の力を秘めた現実主義者の少女の、望まない英雄譚へのプロローグが幕を開けた。