また、本文の執筆には生成AIを利用しています。
胸の奥で、何かが硬い音を立てた。続いて細かな振動が身体の内側へ伝わり、長いこと途絶えていた感覚が一斉に戻ってくる。何かが焼けるような臭いと、錆びた金属の冷たい手触り、それから近くで誰かが喋っている声が聞こえた。
「ンナ……ンナ」
どうやら、誰かが俺に話しかけているらしい。しかし、何を言っているのか考えるより先に、胸元で二度目の衝撃が走った。小さな火花が散るのと同時に薄暗かった視界へ白い光が差し込み、半透明の文字列が浮かび上がってくる。
《外部電源を検出》
《基幹制御系 再起動中》
《残存電力 7%》
何だこれ、と思った瞬間、視界のすぐ近くに黄色いものが現れた。
丸い頭部に、長く突き出した二本の耳。顔に当たる部分は黒い表示板になっていて、そこへ白い光で描かれた目が二つ浮かんでいる。黄色と白の外装はところどころ汚れ、片方の耳には何かで削られたような傷まであった。
小さなロボットだった。それが俺の胸へ電線を差し込み、こちらの反応を確かめるように首を傾げている。
「ンナ?」
俺は何か言おうとして、声が出ないことに気づいた。正確には、声を出すために何を動かせばよいのか分からない。喉の奥へ力を込めたつもりなのに、そもそも喉というものがある感覚すらなかった。
困惑していると、黄色いロボットがさらに顔を近づけてくる。
「ンナナ?(聞こえる?)」
聞こえる。しかも、意味まで分かる。
どうして理解できたのか戸惑いながらも返事を試みると、身体のどこかから奇妙な電子音が漏れ出した。
「NnnA……?」
それを聞いた黄色いロボットの耳が、勢いよく立ち上がる。
「ンナ!(起きた!)」
嬉しそうな声だった。ただし、俺としてはそれどころではない。今、自分の口から出たのは何だ。いや、そもそも口はどこにあるのだろう。
確かめようと顔へ手を伸ばしかけて、右側がまったく動かないことに気づく。代わりに持ち上がった左手は、太く短い、白い機械の腕だった。
指先らしい部分へ意識を向けると、内部で小さなモーターが回り、表面を覆う樹脂の継ぎ目が滑らかに動く。何度か開閉してみても、それが自分の手だという感覚に間違いはない。
恐る恐る視線を下げれば、そこにあるのは丸い胴体と短い脚。そして右肩には腕がなく、焼け焦げた配線が何本も垂れ下がっていた。
「NnnA……。(嘘だろ)」
またしても妙な電子音が出た。黄色いロボットは俺の様子を見て、少しばかり不思議そうに首を傾げている。
「ンナ?(どうしたの?)」
「NnnA。(いや、どうしたのって……)」
言葉は自然に出てくるのに、音になった段階ですべてが妙な鳴き声へ変わってしまう。
黄色いロボットはしばらく耳を動かしていたが、やがて何か納得したように頷いた。
「ンナ。(変な喋り方)」
「NnnA。(そこはお互い様だろ)」
「ンナ。(違う)」
即答された。どうやら、この世界では俺の方がおかしいらしい。
少し傷ついたものの、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。
*
身体を起こすのには、思った以上に苦労した。左腕で地面を押し、短い脚へ力を入れると、内部の駆動装置が低い唸りを返してくる。右腕がないせいで重心が偏っているうえ、身体の各所にも故障が残っているらしく、まともに立ち上がろうとするだけで何度も姿勢を崩しかけた。
そのたびに黄色いロボットが横から支えてくれる。相手も決して状態がよいとは言えず、動くたびに胸部から不規則な駆動音が聞こえてくるのだが、俺がどうにか自分の脚で立つまで離れようとはしなかった。
ようやく周囲を見回す余裕ができたところで、ここが廃品置き場らしいことに気づく。
錆びた鉄骨が幾重にも積まれ、潰れた輸送箱や壊れた機械が通路を塞いでいる。割れたコンクリートの隙間からは雑草が伸び、油の染み込んだ地面には、夜露とは違う粘り気のある水が溜まっていた。遠くには街の明かりが見え、赤や青のネオンが薄い雲の下を染めている。
ときおり大型車両の走行音が風に乗って届き、近くの換気設備から流れてくる生温い排気には、焦げた樹脂と機械油の臭いが混じっていた。
妙に鮮明な感覚だった。鼻などないはずなのに臭いが分かるし、足元の凹凸も、風が身体の表面を撫でる感触も伝わってくる。どういう仕組みなのか想像もつかないが、機械の身体で、俺は確かに世界を感じているらしい。
「NnnA……。(どうなってるんだ、これ)」
自分について考えてみると、少なくとも以前からこの身体だった覚えはない。もっと背が高く、腕も二本あったはずだ。何かの仕事をして、決まった時間に帰り、部屋で食事をしたり、娯楽に時間を費やしたりしていた記憶もある。
人間だったことだけは、かなり確かな気がする。
ところが、それ以上を思い出そうとすると、記憶は急に曖昧になってしまう。住んでいた街の名前も、勤め先も、自分の名前さえ分からない。部屋の間取りや夜中に食べたものの味まで思い浮かぶのに、そこへ誰かの顔を置こうとすると、まるで最初から存在しなかったように何も出てこなかった。
死んだのだろうか。それとも、何かの事故に遭って記憶を失ったのか。どちらにしても、記憶の中にいる自分と現在の姿が違いすぎる。
改めて身体を見下ろせば、丸みを帯びた胴体に大きな耳、短い手足と、顔面に埋め込まれた表示板。どこかで見たことのある姿だったが、正確には、自分よりも目の前の黄色いロボットの方に覚えがあった。
「NnnA……。(ボンプ、だっけ)」
その言葉を聞いた黄色いロボットが、当然のように頷く。
「ンナ」
ボンプ。そうだ、新エリー都では、これに似た小型の機械が人間の仕事を手伝っている。
そんな知識が、どこからともなく浮かんできた。ただ、その街で暮らしていたのか、何かの映像で見たのかまでは思い出せない。現実に存在するものを覚えているようでもあり、ずっと昔に娯楽として眺めたものを思い出しているようでもあった。
今の俺には、それを確かめる方法がない。
「ンナ?(動ける?)」
黄色いボンプに聞かれ、試しに足を交互に動かしてみる。多少ぎこちないものの、歩くことくらいはできそうだ。
「NnnA。(何とか)」
「ンナ。(よかった)」
相手は短く答えると、俺の胸から伸びていた電線を外した。その先には錆びた蓄電池が繋がっており、どうやら、このボンプが廃品の中から電源を探して俺を再起動させてくれたらしい。
「NnnA。(もしかして、お前が起こしてくれたの?)」
「ンナ」
「NnnA。(ありがとう。助かった)」
「ンナ」
黄色いボンプは頷いたものの、礼を言われたこと自体にはあまり関心がない様子だった。代わりにこちらの右肩を眺め、何か考えているらしい。
「ンナナ。(修理できる?)」
「NnnA。(右腕?)」
首を振ると、相手は自分の胸元を指した。
「ンナ。(こっち)」
そこで初めて、黄色い外装が妙な具合に膨らんでいることに気づいた。装甲板の継ぎ目から細い透明な管が覗いており、その奥には小さな金属製の容器が収まっている。内部で液体らしいものが揺れるたびに、低い振動音まで聞こえてきた。
「NnnA。(壊れてるのか?)」
「ンナ」
「NnnA。(修理屋へ行けばいいんじゃないの?)」
黄色いボンプは首を傾げ、それから周囲の廃材を指す。
「ンナ。(捨てられた)」
意味を理解するまで、少し時間がかかった。
「NnnA。(お前が?)」
「ンナ」
「NnnA。(誰に?)」
「ンナ」
分からない、ということらしい。
当人は特に悲しそうでも怒っている様子でもなく、自分の胸元をもう一度指してみせた。
「ンナナ。(ここ、調子悪い)」
ずいぶん落ち着いている。廃品置き場へ捨てられ、身体が故障しているというのに、修理できそうな相手を見つけたから頼んでみようという程度の態度だった。
俺の方がよほど動揺している。
「NnnA。(いや、悪いけど、俺もさっき起きたばかりで……)」
そこまで言って、相手がこちらを起こした理由に思い至る。
「NnnA。(お前、俺に修理してもらうつもりで起こしたの?)」
「ンナ」
「NnnA。(俺、こんなにボロボロなんだけど)」
黄色いボンプは俺の右肩へ視線を向けた。
「ンナ。(動いた)」
「NnnA。(そりゃ、動くけど)」
「ンナ。(なら、試せる)」
すごい理屈だった。しかし、完全に間違っているとも言い切れない。俺を起こしても無駄だった可能性はあるが、起こさなければ何も変わらなかったわけで、少なくとも今はこうして話せる相手が一体増えている。
もっとも、だからといって修理できるかどうかは別問題だ。
「NnnA。(俺が機械の修理なんてできるとは限らないぞ)」
「ンナ」
黄色いボンプは少し考えてから、自分の胸元へ手を当てた。
「ンナナ。(できなかったら、別の方法を考える)」
それで話は終わりらしい。
俺はしばらく相手を眺めていたが、この状況でそこまで前向きになれる理由については、結局分からなかった。
*
修理以前に、俺自身の状態をどうにかする必要がある。
視界の端では《残存電力 6%》という表示が点滅していた。黄色いボンプが拾ってきた蓄電池はほとんど空で、もう一度繋いでも大して充電できそうにない。
電力が尽きたとき、自分がどうなるのかは分からなかった。ただ機能停止するだけなのか、それとも次に起動する保証はないのか。後者だった場合、試してみてから後悔することもできないのだから、まずは電源を確保したいところだ。
「NnnA。(とりあえず、電池を探さないと)」
「ンナ」
黄色いボンプは素直に頷き、近くにあった小さな蓄電池を指した。どうやら、すでに調べていたらしい。
「ンナナ。(それ、駄目だった)」
「NnnA。(壊れてる?)」
「ンナ」
手に取ってみると、外装には細かな亀裂が入り、端子の一部も腐食している。普通なら使い物にならないように見えるが、その瞬間、奇妙な感覚が頭の中へ流れ込んできた。
内部のセルは、まだいくつか生きている。ただし、このままでは電圧が合わないため、変換が必要になる。
「NnnA……?」
何だ、今の。
俺は思わず蓄電池を見つめた。自分が機械に詳しい人間だったという記憶はないし、少なくとも、人間だった頃にバッテリーの外側へ触れただけで内部の状態が分かった覚えなどなかった。
それなのに、今は理解できる。近くに落ちている電源装置の残骸へ目を向ければ、そこから何を取り出せばよいのかまで、何となく見当がつくのだ。
試しに左手で外装を開いてみると、内部の配線は焼けているものの、変換に使えそうな部品は一部が生きていた。壊れた回路を迂回させ、蓄電池の出力を安定させれば使えるはずで、そう考えるだけで必要な作業の順番が自然に浮かんでくる。
「NnnA……。(俺、こんなことできたっけ)」
誰に聞かせるでもなく呟いてから、周囲に落ちている工具を拾い集める。
ところが、片腕しかない身体では細かな作業が難しい。蓄電池を押さえながら工具を動かそうとしても、途中で部品が滑ってしまうし、足で固定しようにも短すぎて思うようにいかなかった。
「NnnA。(手が足りない……)」
無意識に、右腕を動かそうとした。
その瞬間、背中の奥で何かが動き、黒いものが視界の横を滑っていく。地面へ落ちかけた工具を掴んだそれが、自分の意思に応じて動いていると気づいたときには、思わず身体を引いていた。
「NnnAッ!?」
黒いものも一緒に動いた。
細長い金属のような触手だった。表面には節らしいものがなく、生物の筋肉を思わせる柔らかさで曲がり、先端だけが何本もの細い枝へ分かれている。
その根元は、俺の背中へ続いていた。
「NnnA……。(何これ)」
思わず振り返ろうとすると、触手もこちらへ向き直る。動くなと思えば止まり、伸びろと思えば伸びるのだから、まるで自分の腕のようだった。
恐る恐る背中へ意識を向けてみると、さらにぞっとする。
一本ではない。
身体の奥には同じような構造が何本も折り畳まれており、いつでも引き出せるような感覚があった。試しにもう一本動かそうとすれば、それにも応じる。さらに一本、もう一本と引き出すうちに、十本を超える黒い触手が俺の周囲へ広がっていった。
しかも、それぞれを別々に動かせるうえ、同時に使っても混乱しない。右腕一本を失った代わりとしては明らかに過剰であり、そもそも普通のボンプにこんなものが付いていた覚えなどなかった。
「NnnA……。(おいおいおい)」
錆びた廃材の間に、右腕のない小さなボンプが立っている。その背中からは何本もの黒い触手が伸び、まるで周囲の空間を探るように、ゆっくりとうねっていた。
どう見ても怪物である。
俺は慌てて触手を収納しようとしたが、最後の一本だけが途中で止まった。
引っ込めようとしてもすぐには従わず、先端を細かく開いたまま、俺の背後へ向いている。
その先には、黄色いボンプが立っていた。
「NnnA……?」
いや、正確には相手の胸元だ。
装甲板の奥から、先ほど聞いた不規則な駆動音が響いている。何かを絶えず循環させるような低い振動が、一度だけ途切れた。
それに合わせて、触手の先端が小さく震える。
「NnnA……。(何だよ、今の)」
改めて引っ込めるよう意識すると、今度は素直に従った。背中の奥には微かな引っかかりが残っているものの、意識を向けなければ気にならない程度である。
俺は恐る恐る黄色いボンプを見る。
さぞ怖がらせただろう。自分だってこんなものを突然見せられたら、悲鳴の一つも上げるに違いない。
実際、相手は俺をじっと見つめていた。
「NnnA……。(あー、その、今のは……)」
「ンナ」
黄色いボンプは俺の背中を指す。
「ンナナ。(便利そう)」
「NnnA。(それだけ?)」
「ンナ」
頷いたあと、今度はこちらの右肩を見て、何やら納得したように耳を動かした。
「ンナ。(腕、いっぱいある)」
「NnnA。(そういう問題じゃないだろ)」
どうにも危機感が薄い。
もっとも、相手が怖がらなかったことに少なからず安心している自分もいた。これが人間の前だったら、大騒ぎになっていても不思議ではないのだから。
何にせよ、今は余計なことを考えるより、この身体を使ってできることを試す方が先だろう。
そう考えて、俺は改めて蓄電池へ向き直った。
*
触手を使った作業は、想像以上に便利だった。
最初は普通の工具を持たせるだけのつもりだったのだが、内部の配線へ先端を近づけたところで、また奇妙な感覚が生じる。
それまで何となく理解していた構造が、急に鮮明になったのだ。
どこが断線し、どの部品に電力が残り、どう繋げば本来の働きを取り戻せるのか。図面を見ているわけでもないのに、触れている機械の状態が自分の身体の内側にあるもののように分かる。
触手の先端が細かく開き、その隙間から淡い紫色の光が滲んだ。
規格の違う部品同士が、少しずつ繋がっていく。
もっとも、何が起きているのかを正確に説明しろと言われても困る。単に部品を加工しているのか、内部の信号を書き換えているのか、それともまったく別の原理なのか。理解できるのは、壊れていたものが正常に動くようになっていくという結果だけだった。
そうして数分ほど作業を続けると、それまで沈黙していた蓄電池の表示灯が青白く点灯した。
「NnnA……。(できた)」
我ながら信じられない。
出力が安定していることを確かめ、恐る恐る自分の胸元へ接続すると、内部のどこかで低い駆動音が鳴った。
《残存電力 7%》
数字が八%、九%と少しずつ回復していく。
どうやら、本当に充電できているらしい。蓄電池に残っている電力は少ないので根本的な解決にはならないが、少なくとも今すぐ動けなくなる心配はなくなった。
「NnnA……。(助かった)」
隣から表示を覗き込んでいた黄色いボンプも、嬉しそうに耳を立てている。
「ンナ!」
「NnnA。(いや、本当に助かったよ。お前が起こしてくれなかったら、俺、このまま廃品になってたかもしれない)」
「ンナ」
相手は当然のように頷いたかと思うと、自分の胸元を指した。
「ンナナ。(次、こっち)」
「NnnA。(はいはい。分かってるよ)」
ずいぶんしっかりしている。俺が調子に乗っている間に、自分の修理を忘れられては困るとでも思ったのだろう。
ただ、相手の胸へ近づいたところで、俺は思わず動きを止めた。
先ほどより、音がおかしい。
低い駆動音に混じって何かが断続的に擦れるような音が聞こえるうえ、顔面の表示は安定しているのに、身体の内側から伝わってくる振動には妙な乱れがあった。
「NnnA。(これ、いつから?)」
「ンナ……」
黄色いボンプはしばらく考え込む。
「ンナ。(分からない)」
「NnnA。(ずっと調子悪かった?)」
「ンナ」
「NnnA。(捨てられたときから?)」
今度は返事がない。自分の胸元を見下ろし、何かを思い出そうとするように黙り込んでいる。
やがて、短く首を振った。
「ンナ」
やはり分からないらしい。
それ以上は聞かなかった。俺自身、目覚める前のことをろくに覚えていないのだから、相手だって似たようなものなのかもしれない。
ただ、胸部の外装を調べるにつれて、気になることが増えてきた。
一般的なボンプの内部構造を詳しく知っているわけではないが、少なくとも外から見える配線の取り回しには妙な部分がある。電力線とは別に何本もの細い管が通され、それらが胸の奥にある容器へ集まっているのだ。
しかも、その容器は機体の外装へ固定されているというより、周囲の部品が容器を包むように配置されていた。
「NnnA……。(何だこれ)」
俺が容器へ目を向けると、黄色いボンプが耳を動かした。
「ンナ?」
「NnnA。(いや、変わった作りだなって)」
普通の制御装置なら、もっと合理的な配置にできそうな気がする。とはいえ、今の形にも何か別の理由があるのだろう。
ひとまず、俺が知らないというだけで異常だと判断するのは早計だった。
「NnnA。(これ、触ってもいい?)」
黄色いボンプは頷きかけて、途中で動きを止めた。黒い顔面の目が、俺の触手へ向いている。
「ンナ」
短い返事だったが、肯定とも否定とも取れない。
「NnnA。(嫌ならやめるぞ)」
今度は、はっきりと首を振った。
「ンナ。(直して)」
「NnnA。(分かった。ただ、俺も全部分かってるわけじゃないから、変だと思ったらすぐ言ってくれ)」
相手が頷くのを確かめてから、胸部の外側にある電源接続部へ触手を一本だけ当てる。
金属の隙間に淡い紫色の光が滲み、内部の構造が頭の中へ広がってきた。
電源と信号線、温度を調整する装置。それから、何かを絶えず循環させている小さな機構があり、その先にはさらに複雑なものが繋がっている。
触れれば分かる。
自然に、そう思った。
今までの蓄電池とは違う。単純な機械部品の組み合わせとして理解できない部分があり、そこへ繋がる経路は、一本の線というより無数の細い糸が絡み合っているような感覚を返してくる。
もっと奥へ進めば、それらを一度に扱えるようになる気がした。修理するだけなら今よりずっと簡単になるだろうし、あるいは、もっと良い形へ作り変えることさえできるかもしれない。
そんな確信が、理由もなく湧いてくる。
俺は触手を止めた。
「ンナ?」
黄色いボンプがこちらを見ている。
「NnnA。(……いや、そこは触らなくていいか)」
分からないところまで弄る必要はない。壊れている場所が分かるなら、まずはそこだけを直せばいいのだ。
意識を電源系統へ戻し、出力が不安定になっている箇所を調べていく。どうやら、接続部が劣化しているだけでなく、小さな駆動装置にも故障があるらしい。足りない部品を周囲の廃材から探すには少し時間がかかりそうだったが、少なくとも修理する方法には見当がついた。
「NnnA。(多分、直せる)」
そう伝えると、黄色いボンプの耳が大きく立ち上がる。
「ンナ!」
「NnnA。(ただし、すぐには無理だぞ。部品を探さないといけないし、俺もまだこの身体に慣れてないから)」
「ンナ」
「NnnA。(それと、あんまり無理に動くなよ。さっきから中の音がおかしい)」
黄色いボンプは自分の胸元を見下ろしてから、こちらへ顔を向けた。
「ンナナ。(動かないと、部品を探せない)」
「NnnA。(いや、それは俺が探すから)」
「ンナ」
少し考えたあと、相手は首を振る。
「ンナ。(二体の方が速い)」
「NnnA。(その理屈は分かるけど、壊れてるんだろ?)」
「ンナ」
否定しないあたり、本人にも自覚はあるのだろう。
「NnnA。(だったら、大人しくしてろよ)」
「ンナ……」
黄色いボンプは俺を見上げ、それから右腕のない肩へ視線を向けた。
「ンナ。(そっちも壊れてる)」
「NnnA。(……まあ、そうだけど)」
「ンナ。(でも動いてる)」
返す言葉がなかった。
何とも都合のいい理屈である。とはいえ、こちらも壊れかけの身体で動いている以上、相手にだけ安静を強要するのは少々難しい。
「NnnA……。(分かった。じゃあ、無理しない範囲でな)」
「ンナ!」
黄色いボンプは満足そうに耳を立て、早速近くの廃材へ向かおうとする。
ところが、数歩進んだところで何か思い出したらしく、こちらへ振り返った。
「ンナ?」
「NnnA。(何?)」
「ンナナ。(名前は?)」
そこで、自分がずっと名無しだったことを思い出した。
*
名前を聞かれても、答えられなかった。
人間だった頃の名前は何度考えても出てこないし、現在の身体に登録されている名前も分からない。手掛かりになりそうなのは、胸元に残された、途中まで擦り切れた刻印くらいだった。
《B-760――》
後ろの文字は削れて読めない。
「NnnA。(七六〇。ナナロクマル……かな)」
黄色いボンプが首を傾げる。
「ンナ?(ナロー?)」
「NnnA。(いや、ナナロクマルって――)」
言い直しかけて、やめた。
正しい名前を知っているわけでもないし、ナローという響きも案外悪くない。
「NnnA。(……まあ、ナローでいいか)」
「ンナ!」
黄色いボンプは嬉しそうに頷いている。
たったそれだけなのに、今までどこにも繋がっていなかった自分に、小さな目印が一つ付いたような気がした。
ナロー。
自分で発音しても「NnnA」としか聞こえない名前を、目の前の一体だけが正確に呼んでくれるのだから、奇妙なものである。
「NnnA。(じゃあ、お前は?)」
聞き返すと、黄色いボンプの耳が止まった。
「ンナ」
ない、ということらしい。
「NnnA。(名前ないの?)」
「ンナ」
どうやら本当になさそうだ。機体の登録情報も曖昧で、製造番号らしいものもすぐには見つからない。何より、本人が特に困っていない様子だった。
「NnnA。(名前、あった方が便利じゃない?)」
「ンナ?」
「NnnA。(呼ぶときにさ。黄色いボンプ、だとそのうち区別つかなくなるだろ)」
相手は少し考え、それから俺を指した。
「ンナナ。(ナローが決める?)」
「NnnA。(俺が?)」
「ンナ」
どうやら、命名を任されたらしい。
急に責任が重くなった気がする。何しろ、自分の名前を決めたのはついさっきで、しかも製造番号を聞き間違えられた結果なのだから、他人に立派な名前を付けてやれる自信などあるはずもない。
とはいえ、いつまでも黄色いボンプと呼ぶのも味気ない。
そこで、ナローという名前から「なろう」、そして「何者かになろう」という言葉を連想していると、ふと昔聞いたことのある別の単語が浮かんできた。
「NnnA……。(ワナビー、とか?)」
黄色いボンプが耳を動かす。
「ンナ?」
「NnnA。(昔聞いた言葉なんだけど、何かになりたがってる奴、みたいな意味でさ。ちょっと馬鹿にする感じもあるから、名前としてはどうかと思うけど)」
我ながら適当な思いつきだった。
しかし、黄色いボンプは妙に真剣に聞いている。
「NnnA。(何者かになりたい、って意味にも取れるかな。まあ、俺のナローと合わせた駄洒落みたいなもんだよ)」
相手はしばらく黙り込み、それから自分の胸元へ手を当てた。
「ンナ」
小さな声だった。
何かを確かめるように、もう一度。
「ンナ……」
顔面の表示が僅かに揺れるのを見て、俺は少し心配になってきた。もしかすると、名前を付けるにしても、もう少しまともなものを考えるべきだったのかもしれない。
「NnnA。(いや、嫌なら別の名前に――)」
「ンナ!」
急に耳が立った。
「ンナナ!(ワナビー!)」
「NnnA。(気に入った?)」
「ンナ!」
「NnnA。(本当に?)」
「ンナ!」
どうやら決まりらしい。
俺は改めて目の前の黄色いボンプを眺め、それから左手を差し出した。
「NnnA。(じゃあ、よろしくな。ワナビー)」
「ンナ!」
ワナビーは嬉しそうに耳を揺らすと、俺の周りを小さく一周した。途中で少しよろめいたので慌てて支えたものの、本人は何事もなかったように体勢を立て直している。
「NnnA。(だから無理するなって)」
「ンナ」
あまり反省していないらしい。
それでも、差し出していた左手を取って軽く握ると、もう一度だけ小さく頷いてくれた。
その仕草が妙に自然で、握手というものを最初から知っているように見える。もっとも、ボンプだって人間と交流する機械なのだから、それくらいできても不思議ではないのだろう。
俺も特に気にせず、ワナビーの手を握り返した。
右腕がないので左手だけだったが、相手はそれで十分らしい。
*
その夜、俺たちは廃品置き場の一角を片付け、雨風をしのげる場所をこしらえた。壊れた輸送箱を横倒しにして屋根代わりに据え、比較的錆びの少ない金属板を床へ敷く。脇に拾ってきた蓄電池を置けば、立派とは言えないものの、今夜の寝床くらいにはなるだろう。
作業中、ワナビーは驚くほどよく働いた。俺が部品を探している間に別の箱を調べ、金属板を運ぼうとすれば先回りして邪魔な廃材をどけてくれる。胸元から不安定な駆動音が聞こえるたびに休ませていたが、少し目を離すとまた何かを運ぼうとするので、最後には身体に負担の少なそうな仕事だけを任せることにした。
俺の方も、作業を通して触手の扱いに少しずつ慣れてきた。重い鉄板を持ち上げるのはもちろん、狭い隙間から部品を拾い、片手では難しい固定作業を補助することもできる。便利なのは間違いない。ただし、あれほど奇妙な反応を見せた身体を、何の疑問も抱かず使い続けていいものか。
もっとも、ワナビーはそんな俺の心配など知る由もなく、途中からは当たり前のように触手へ工具を渡してくる。
「NnnA。(お前、本当に怖くないの?)」
「ンナ?」
「NnnA。(これ。どう見ても普通じゃないだろ)」
試しに黒い触手を一本持ち上げてみせると、ワナビーは先端の細かな動きをじっと観察し、少し考えてから頷いた。
「ンナ。(便利)」
「NnnA。(それはもう聞いた)」
「ンナ」
今度は自分の胸元を指してみせる。
「ンナナ。(ワナビーも、普通じゃない)」
返事に詰まってしまった。
確かに、普通のボンプならこんな場所へ捨てられていることも、胸に用途の分からない装置を抱えていることもないのかもしれない。だからといって、俺の触手と同列に考えていいものかは疑問だったが、本人はそれで納得しているらしい。
「NnnA。(まあ、そうかもしれないけどさ)」
「ンナ」
ワナビーはそれ以上説明するつもりもないようで、さっさと作業へ戻っていく。妙な奴だと思うものの、今の俺に他人のことを言う資格があるかどうかは怪しい。
やがて片付けが一段落し、二体で金属板の上へ腰を下ろす頃には、街の明かりが夜空の低い雲を赤や青に染めていた。建物の隙間を抜ける風が薄い鉄板を震わせ、昼間に熱を蓄えた廃材からは、機械油と錆の臭いが微かに漂ってくる。
気温はかなり下がっているはずだが、不思議と寒くはない。むしろ身体の内側にこもっていた熱が、ゆっくり逃げていく感覚が心地よかった。
「NnnA。(明日、ちゃんと修理してやらないとな)」
「ンナ」
「NnnA。(俺も、できれば腕を一本探したいし)」
「ンナ!」
その話には妙に反応がよかった。
「NnnA。(お前の修理が先だぞ)」
「ンナ」
分かっているのかどうか怪しい。
残存電力を確認すると、今夜を過ごす程度の余裕は残っていた。身体の駆動を落とせば消費も抑えられるらしく、そろそろ休んでもよさそうだ。ただ、一度停止してしまったら、また目覚められるという保証はどこにもない。
そもそも、自分がどうして廃品置き場で眠っていたのかさえ分からないのだ。
「NnnA。(なあ、ワナビー)」
「ンナ?」
「NnnA。(もし俺がまた動かなくなったら、どうする?)」
少し冗談めかしたつもりだったが、ワナビーは俺の顔をじっと見つめ、考えるように耳を傾けた。
「ンナ。(起こす)」
「NnnA。(起きなかったら?)」
「ンナ。(直す)」
「NnnA。(直せなかったら?)」
そこで初めて、返事が遅れた。
ワナビーは遠くの街へ顔を向け、しばらくネオンの明滅を眺めていたが、やがて何か納得したようにこちらへ向き直った。
「ンナ。(別の方法を考える)」
「NnnA。(……そっか)」
相変わらず、妙に前向きな奴である。どこからそんな自信が湧いてくるのか分からないが、今はその言葉をありがたく受け取っておこう。
俺は金属板へ背中を預け、省電力状態への移行を試みた。駆動系への出力を一つずつ落としていくと、身体を通して感じていた細かな振動が静まり、視界の端に灯っていた表示も少しずつ暗くなっていく。
最後に目を向けた先には、黄色いボンプが座っていた。
「ンナ。(おやすみ、ナロー)」
「NnnA。(おやすみ)」
不思議な話だと思う。つい昨日までの自分が何者だったのかも分からず、今は右腕のない機械の身体に、訳の分からない触手まで詰まっている。
そんな俺を、名前も知らないボンプが起こしてくれた。
そして今は、互いに名前がある。
それだけで、少しはまともな明日を迎えられそうな気がするのだから、我ながら随分と単純なものだ。
視覚情報を遮断すると、辺りはすぐに暗闇へ沈んだ。それでも聴覚だけはしばらく残り、遠くを走る車の音や、すぐ隣から聞こえるワナビーの小さな駆動音が、次第に遠のいていく。
その音が、不意に途切れた。
同時に、背中の奥で何かが微かに動く感覚がある。
確かめようと意識を向けたものの、身体はすでに省電力状態へ移行し始めており、動きの正体を捉えることはできない。
ほどなく、最後まで残っていた音も消えた。