波形の三つ目だけが欠けている。
昨夜、検査器具の画面で見つけた小さな異常は、一晩経っても消えていなかった。ワナビーの胸元から聞こえる音は普段と大して変わらず、本人もいつもどおり輸送箱の周りを片付けている。それなのに、記録を拡大すると、規則的に並んだ山の頂点にだけ、誰かが爪で削ったような平らな部分が残っていた。
「NnnA。(……やっぱりあるな)」
「ンナ。(昨日と同じ?)」
「NnnA。(ほぼ同じ。充電しても消えなかった)」
作業台の向こうからワナビーが画面を覗き込んだ。黄色い耳の片方には古い傷が残っているが、顔面表示も歩き方も普段と変わらない。昨夜から何か悪くなった様子はなく、朝の充電量も予定した範囲に収まっていた。それが少しありがたく、同時に困りものでもあった。目立った不調がない相手に、こちらの心配だけで何時間も検査を受けてもらうわけにはいかない。
「NnnA。(今日は循環装置の外側だけ、もう少し詳しく調べたいんだけど。仕事の予定、大丈夫?)」
「ンナ。(午前の受付、グレイに頼んだ)」
「NnnA。(早いな。……いつの間に?)」
「ンナ。(ナローが波形を見てる間)」
そんなに長く眺めていたつもりはなかったが、端末の時計を見ると否定できなかった。ワナビーは俺の返事を待たずに椅子へ上がり、胸部の点検口がこちらへ向くよう座り直す。準備がよすぎるというより、俺が言い出すことを予想していたのだろう。
「ンナ。(調べよう。私の身体だから)」
「NnnA。(……うん。そうだな)」
俺は端末を脇へ置き、まず使う器具と、触らない場所を一緒に確認した。外装の温度、電源の入出力、ポンプの振動、配管の外側から測れる圧力変化。昨夜と違うのは測定点が増えることだけで、容器の蓋や密閉された配管には手を付けない。外装の表示器など、主循環とは独立した補助回路は電源を切って確認できるが、ワナビーの循環装置そのものを停止させるつもりはなかった。
「ンナ。(了解。途中で変だったら止める)」
「NnnA。(検査の方を、な。ワナビーまで止まらなくていいから)」
「ンナ。(そこは分かってる)」
顔面表示の目がわずかに細くなった。どうやら俺の冗談は余計だったらしい。
*
朝のンナンナ広場には、乾いた風が吹き込んでいた。修理台の脇に吊るした《試験利用中》の札がときどき金具に当たり、昨日より少し大きな音を立てる。グレイは借りている区域の入口で依頼表を整理しており、緑色のフルカブは古い倉庫図面と新しい道路情報を突き合わせていた。
「ンーナ。(おはよう、ナロー。今日はこっちの受付は任せておくれ。急ぎの修理が来たら、勝手に引き受けずに連絡するからねえ)」
「NnnA。(助かるよ。午後には戻せると思うけど、ワナビーの方を優先したい)」
「ンナッ。(当然だろ。あの子には普段から働いてもらいすぎだ)」
フルカブが図面から顔を上げると、ワナビーはすかさず端末を差し出した。《受付記録は午前中のみ委託》《未精算の依頼は保留》《地図の未確認経路は公開しない》と、こちらが頼む前から細かな条件が書き込まれている。
「ンナ。(お願いします)」
「ンーナナ。(ああ、任されたよ。まったく、僕よりずっと手際がいいねえ)」
「ンナッ。(お前は昔から書類を褒めると長えんだ)」
グレイは肩をすくめて笑った。背中のライドセルはまだ試験運用中で、今日は通訳機能を使わず、外部の危険検知だけに絞ってある。たった数日前まで俺一人が修理台であたふたしていたことを思えば、随分と頼もしい光景だった。
もっとも、頼もしいからといって、ワナビーの胸から聞こえる小さな音まで代わりに調べてもらうわけにはいかない。俺は作業台を片付け、計測器の配線が彼女の足に引っ掛からないことを確かめた。
胸部外装を開けると、初めて修理したときに見た透明な管と小さな容器が現れた。あの頃は摩耗した軸受けと不安定な電源回路をどうにかするので精一杯だったが、今なら少なくとも、何を直し、何を直していないかは分かる。
容器には淡く濁った透明な液体が満たされ、管の外側に設けられた固定具へ、細い振動センサーを取り付けることができた。取り付けるのは一か所ずつ。器具が管を押し潰していないかワナビーと確認し、その都度、安定するまで記録を待った。新しい灰色の右腕なら小さな金具も扱えそうだったが、エンゾウさんから長時間の精密作業を控えるよう言われたばかりなので、左手と普通の工具で済ませた。
最初に疑ったのは電源だった。
前に修理した変換回路が再び不安定になったのなら、ポンプが一瞬だけ弱く動いてもおかしくない。そこで充電量と出力電圧、ポンプに流れる電流を同じ時刻の記録に重ねてみたのだが、肝心の波形が欠ける瞬間にも電圧は落ちていなかった。念のため検査器具を別の電源で動かして測り直しても、結果は変わらない。
「NnnA。(電源じゃなさそうだな。少なくとも、今見ている範囲では)」
「ンナ。(じゃあモーター?)」
「NnnA。(あり得る。前に直した軸受けが、また傷んだのかもしれない)」
「ンナ。(でも、あれからずっと調子よかった。ナローが直したところ、もう壊れたとは思えない)」
ワナビーは責めるどころか、当然のことのように言った。そうやって俺の仕事を信用してくれるのは嬉しいが、一度直った場所が、二度と故障しないわけではない。
「NnnA。(ありがとう。でも、念のため調べてみよう。ちゃんと直ってるって分かれば、それが一番いい)」
軸受けの振動には、交換前に出ていた荒れた成分が見られなかった。回転数も安定しており、外装に触れたときの感覚も以前の摩耗とは違う。三つ目の山が欠けるのは、ポンプの回転そのものが止まりかけた瞬間ではなく、管を通じて戻ってくる圧力が変わった直後だった。
配管の奥で、何かが流れを妨げているのだろうか。
そう考えて、今度は細い管の曲がり角や継ぎ目を順番に確かめた。変形も漏れも見つからず、管内には目に見える大きな異物もない。ただ、容器の隣に取り付けられた、灰色の小さな箱だけは気になった。最初の修理では触らなかった場所で、外側には二本の管と、読みにくくなった保守用の刻印が残っている。
「NnnA。(この箱、何だったかな。前にも見てるはずなんだけど)」
「ンナ。(触ってない)」
「NnnA。(……そうだよな。よく覚えてる)」
「ンナ。(ナローが『分からないから触らない』って)」
あのときの俺は、よほど同じことを繰り返していたらしい。実際、今でもその判断は正しかったと思う。容器の向こうにある得体の知れない構造へ触手が勝手に伸びかけたことを、俺はまだ覚えていた。
箱の端に小さな窓があり、そこには数字にも記号にも見える細い表示が並んでいた。外側の端子から表示内容を読み取れそうだったが、見慣れない規格へ勝手に接続するのは避けたい。俺は印字を拡大撮影し、ワナビーに画面を向けた。
「NnnA。(この箱の記録を調べてもいい? 配管は開けないで、読み出せる情報だけ)」
「ンナ。(いい。でも、分からなかったらやめる)」
「NnnA。(うん。その条件で)」
彼女は承諾すると、自分でも端末の記録に《読み取りのみ》と入力した。俺たちの間では、誰が修理する側なのか分からなくなることが時々ある。もっとも、その方が安心できるのだから不思議なものだ。
古い刻印を読み取ろうとしたが、一般のボンプ用部品としては登録が見つからない。メーカー名に相当する欄も半分ほど削れており、残っているのは形式を示す短い記号だけだった。これだけでは、配管の中身が何なのかさえ分からなかった。
そこで俺たちは、機械そのものにはこれ以上手を加えず、検査記録を持ってエンゾウさんへ相談することにした。
*
六分街のカスタムショップ「TURBO」は、ビデオ屋「Random Play」のすぐ隣にある。最近は相談事があるたびに訪れているものの、隣の店についてはショーウィンドーの広告を眺めたことがある程度だった。TURBOではエンゾウさんが作業台に据えた小型モーターを調整しており、開いたシャッターの向こうから通りの喧騒が入り込み、切削油と温まった樹脂の匂いが店の奥に薄く残っていた。俺たちに気づいた彼は、工具を置くと、まず俺の右肩へ目を向けた。
「おう、ナロー。腕の方はどうだ。ちゃんと制限を守ってるか?」
「NnnA。(今のところは。今日は別のことで相談があって)」
俺が端末を差し出すと、エンゾウさんはそのままでは詳しい話が分からないことを察したらしく、画面に書いた症状と測定記録を読み始めた。ワナビーも自分の胸元を示し、いつから音が変わったのか、活動中にどんな不調があるかを短い文章で付け足している。
「ふうん。前に直したポンプか。動いてる分には問題ねえが、循環の圧力だけ妙に変わる、ってところか」
《はい。外側からの測定だけです》
《密閉部分には触っていません》
「それならよし。中身の分からねえ循環系を、具合が悪いからっていきなり止めるのは危ねえからな」
彼は外装の写真を拡大し、灰色の箱に残った刻印を何度か見比べた。店の端末でも検索してくれたが、通常のボンプ用部品としては該当品が見つからない。汎用の冷却装置に似た品はいくつかあったものの、管の取り回しも固定方法も違っていた。
「ボンプ用の循環液なら、どこでも同じってわけじゃねえ。電力を長持ちさせるための液もありゃ、単なる冷却用もある。こいつが何を循環させてるのか分からねえうちは、似たようなもんを流し込むなよ」
「NnnA。(ですよね。……この箱、何かのフィルターですか?)」
「形だけならそう見える。だが、フィルターかどうかも決めつけるな。中に弁が入ってるかもしれねえし、液の状態を調整する装置かもしれねえ」
エンゾウさんはそう言って、三つ目の山が欠ける波形と、管の外側から測った圧力変化を並べた。片方はポンプが押し出す側の振動で、もう片方は循環路から戻ってくる小さな反応だという。山が欠ける直前に、戻り側の圧力だけがわずかに増していた。
「モーターだけが悪いなら、回転と電流の方にも似た変化が出るはずだ。今の記録はそうじゃねえな。途中の抵抗が増えたか、どっかで流れが切り替わったか……それ以上は配管の内側を知らなきゃ言えねえ」
「ンナ。(流れが悪い?)」
「そうかもしれねえ、って程度だ。今ここで詰まってると決めるには早い。それより気になるのは、こっちだな」
彼が示したのは、灰色の箱の隅に刻まれた小さな保守記号だった。肉眼ではほとんど擦り切れて見えたが、写真を斜めから照らして拡大すると、回路の名称ではなく、交換材の区分を示しているらしい文字が残っている。
「部品の型番じゃなくて、保守の区分か。こいつは普通の修理屋で部品だけ買って終わり、って代物じゃなさそうだ」
ワナビーが端末を覗き込み、画像の下に《交換材?》と入力した。
「NnnA。(……中に何か、減っていくものが入ってるってことですか)」
「可能性はある。だが、交換するものが中身の液なのか箱ごとなのか、それすら分からねえ。まだ元気に動いてるなら、まずは現状を残して、正しい資料を探す方がいい」
言い方はいつものようにぶっきらぼうだったが、分からないところまで修理できると言わないのが、この人のありがたいところだった。俺は触手を伸ばせば内部の構造を調べられるかもしれない。しかし、何をしている装置なのか理解しないまま触れることと、理解したうえで安全に直すことは、やはり別の話なのである。
店を出る前、エンゾウさんは印字の拡大画像に丸を付け、小さな注釈を書き足してくれた。
《通常のボンプ部品の交換記号とは形式が異なる》
《部品番号ではなく、装置全体の保守履歴を照合すること》
「お前さんの肩と一緒だ。中身が分からねえなら、分からねえまま使える範囲を探すしかねえ。勝手なことをしなきゃ、調べる時間は作れる」
「NnnA。(……ありがとうございます、エンゾウさん)」
「礼なら直ってからにしな。何か変わったら、すぐ連絡しろよ」
その言葉に、ワナビーも耳を揺らして頷いた。
*
広場へ戻る途中、ワナビーはTURBOの隣にあるビデオ屋の前で足を止めた。ショーウィンドーには新しい映像作品の広告が出ており、彼女はそこに書かれたあらすじを端末へ控え始める。店内からは若い男女の話し声と、ビデオケースを棚へ戻す乾いた音がかすかに聞こえてきたが、俺たちはガラスの外から広告を眺めるだけだった。
「NnnA。(……気になる映画でもあった?)」
「ンナ。(うん。新作。面白そう)」
「NnnA。(そっか。……俺なんか、まだ胸の装置のことで頭がいっぱいなのに)」
「ンナ。(私も気になる。でも、映画も気になる)」
なるほど、両立するらしい。俺が口を挟む間にも、彼女はあらすじの後ろへ《結末の情報を探す》と書き足していた。映画を観る前に最後を知っておきたいというのは、俺にはまだ少し不思議な趣味だが、本人が楽しそうなのだから別に構わない。
ただ、俺の方は検査結果が頭から離れなかった。機械的に壊れているなら部品を交換すればいいし、電力が足りないなら充電方法を考えればいい。広場に正式な電源設備がないことは、ついこの前から頭を悩ませてきた問題である。それでも、今日の波形を見た限り、ワナビーの循環装置に必要なのは電気だけではないのかもしれない。
その考えに気づいた途端、先ほどまで耳に入っていた街の音が、少し遠く感じられた。
「ンナ?(ナロー?)」
「NnnA。(……ごめん。変なこと考えてた)」
「ンナ。(記録しよう)」
「NnnA。(何を?)」
「ンナ。(分かったことと、分からないこと)」
ワナビーは自分の胸元を軽く叩いた。俺が心配している理由も、それがまだ推測でしかないことも、彼女はちゃんと理解しているのだろう。俺は頷き、広場へ戻ったら最初に検査表を作ると約束した。
戻ってみると、フルカブは古い倉庫街の資料を箱に収め、グレイは午前中の依頼を二件だけ受け付けていた。どちらも急ぎの修理ではなく、預かった部品には所有者の名と症状が付けられている。
「ンーナ。(おかえり。どうだった?)」
「NnnA。(まだ分からないことが多い。今すぐ止まるような異常はなさそうだけど、部品を交換すれば済むとは言い切れなくて)」
「ンーナナ。(そりゃあ、調べることが増えたねえ。受付の方は心配いらないよ。今日の依頼は明日でも大丈夫だそうだ)」
「ンナッ。(お前ら、必要なら図面を見せろよ。古い設備なら俺にも見覚えがあるかもしれねえ)」
フルカブの言葉に、俺は先ほどの写真を開きかけたが、ワナビーが横から軽く手を伸ばして止めた。
「ンナ。(場所と型番だけ)」
「NnnA。(……ああ、そうだよな)」
これは彼女自身の身体に関わる情報である。仲間だからといって、検査結果をすべて共有してよいとは限らない。俺は装置の外側にある保守記号だけを切り出し、個別の稼働記録や胸部の写真は伏せた。その画面を見たフルカブは首を傾げたものの、しばらくして何か思いついたように古い資料を開いた。
「ンナッ。(機械の番号か。今の倉庫の規格じゃねえな。昔の設備台帳に似た書式があった気がする)」
「NnnA。(見たことある?)」
「ンナナ。(似てるだけだ。うちの倉庫で使ったもんかどうかは知らねえぞ。管理会社の古い資料を読み込んだとき、廃止になった製造業者の一覧が入ってたはずだ)」
その資料なら、昨日地図のために取り込んだばかりだった。ワナビーはすぐに検索用の端末を取り出し、型番の一部を入力する。見つかったのは同じ機械ではなく、廃止された保守窓口の一覧だった。そこに載っていた印字の形式が、確かに灰色の箱の記号とよく似ていた。
俺たちは検索結果を見ながら、まず今の地図へ情報を載せないことにした。旧施設の記録が正しいか分からないし、何より、ワナビーの身体の話が一般公開の地図へ紛れ込むのは避けたかったからだ。地図を作り始めたとき、本人の許可なく私的な設備の位置を公表しないと決めている。自分たちのことならなおさらである。
*
午後の修理依頼が片付いた頃、俺たちはようやく、ワナビーの胸部装置から読み取れる範囲の保守情報を整理し始めた。
エンゾウさんに教わったとおり、元の動作を変えず、外側にある保守用の読出端子だけを使うことにする。古い通信規格だったが、適合する変換基板は広場にあった。グレイのライドセルを作るときに借りた基板とは別物で、所有者と使用目的も確かめてある。触手で新しい回路を作る必要はなく、ワナビーの承諾を得て端子へ接続すると、端末には最低限の保守情報が並んだ。
最初に表示されたのは、見慣れた電源と駆動部の項目だった。充電状態、消費電力、ポンプの回転数、温度、そして昨日から気になっていた圧力補正の履歴。どれも現在の測定結果と大きく食い違わない。
その下に、普段は開かれていなかった保守欄があった。
《循環補助系統》
《交換材管理 有効》
《補正動作 増加傾向》
《交換推奨時期 参照不可》
「NnnA。(……交換材、か)」
「ンナ。(さっきの箱?)」
「NnnA。(多分な。あれが何の材料を使ってるのかは、まだ分からないけど)」
ワナビーは自分の前の修理記録を呼び出し、同じ項目を探し始めた。俺が初めて彼女の胸部を直したとき、電源関係の記録を保存していたのだが、交換材の欄まで細かく見てはいなかった。古い記録は一部しか残っていないものの、どうやら装置自身が定期的に状態を記録していたらしい。
二つの日付を並べると、補正動作の回数は現在の方が増えていた。一方、交換材の残量を示すらしい欄では、表示された割合が前より少し下がっている。どの程度の量なのか、何を基準に計算した数字なのかは分からない。それでも、外部から材料を追加した記録がないまま、装置の何かが消費されていることは読み取れた。
「NnnA。(……充電しても、この数字は戻ってないな)」
「ンナ。(うん。前から減ってる)」
「NnnA。(それなのに警告が出ない。交換期限の欄も読めないし、どういう基準なんだろう)」
もし冷却液の劣化だけなら、一定の周期で交換するよう設計されているはずだ。もちろん、この装置にもそうした手順があるのかもしれない。しかし保存された履歴を見る限り、内部で何かを回収し、使える状態へ戻しながら、少しずつ足りなくなった分を補っているようにも見える。その補正が最近増えているのだとしたら、三つ目の波形が欠ける理由の一部になるだろう。
ただし、それがどんな液体で、なぜそんな手間のかかる仕組みが必要なのかまでは分からなかった。
「ンナ。(動けなくなる?)」
ワナビーが尋ねた。顔面表示の目はいつもの形のままだったが、こちらの答えを待つ間、端末を操作する手だけが止まっていた。
「NnnA。(今の測定では、普通に動けてる。循環も続いてるし、すぐに止まる数字は出てない。……でも、この先どれくらい使えるかは、まだ言えない)」
「ンナ。(分かった。なら、調べる)」
「NnnA。(怖くないの?)」
「ンナ。(怖いなら、なおさら調べる)」
俺は返事を探して少し黙った。何でもないように言うが、彼女にも分からないことを抱えたまま過ごす不安はあるはずだ。だからこそ、俺が勝手に安心させる言葉を選ぶより、分かったことを一緒に確かめた方がいいのだろう。
俺たちは端末の上に二つの欄を作り、測定で確かめられたことと、まだ推測にすぎないことを書き分けた。電源は安定している。ポンプの駆動部も正常に近い。循環経路の抵抗が以前より増している可能性があり、交換材と呼ばれるものの残量は減少している。ただし、それが循環液なのか、別の媒体なのか、いつまで安全に使用できるかは分からない。
一覧の下に、ワナビーが自分で一行を追加した。
《不明なものは、勝手に補充しない》
「NnnA。(……そのとおりだな)」
「ンナ。(前にもやった)」
「NnnA。(何を?)」
「ンナ。(知らないところは、触らない)」
彼女が指しているのは、最初の修理のことだろう。あのとき奥の構造を調べたい衝動を抑え、摩耗したポンプの部分だけを直したのは、今から思えば幸運だったのかもしれない。もちろん、そう判断したからといって、これからも何もせずに済むわけではない。
俺は端末へ保守用の型式記号を写し、最後に製造元の照会先を探した。いくつかの情報が欠けていたものの、古い台帳に残された窓口の番号と照らし合わせると、一件だけ一致するものがある。
現在の会社名では検索に引っ掛からず、古い製造設備の管理記録を遡って、ようやく施設の所在地らしい情報が見つかった。そこで使われていたのは、俺たちが昨日作り始めた地域地図よりも、ずっと古い地名だった。
「ンナ?(そこ、どこ?)」
「NnnA。(……今の地図にはないな。昔の工業区画みたいだけど)」
グレイが保存してくれた古い道路資料にも、その名前は出てこなかった。代わりに街の公開地図を使って古い番地を照合してみると、区域の形だけは確かに残っていた。ただし、道路や建物の名前はほとんど削除されている。
そして、所在地の上には、現在の地図で別の色が重ねられていた。
ホロウの境界を示す表示だった。
ワナビーが画面を覗き込み、しばらく動かなかった。俺はそっと地図を縮小し、六分街と広場の位置を確かめた。あの旧工場が今も残っているかどうかも、保守記録が手に入るかどうかも分からない。それでも、このまま待っていれば足りなくなった材料が自然に戻る、という期待だけは、もう持てなかった。
端末には、機械が残した古い保守記録の最後の項目が表示されていた。
《交換材の仕様確認・補充条件照会先:原製造施設》
本日夕方と、明日の12:30も更新予定です。
よろしくお願いします。