邪兎屋の事務所に持ち帰り料理の匂いが広がった頃には、窓の外の空がすっかり暗くなっていた。今日の依頼は、行方の分からなくなった貨物を見つけ出し、荷主へ無事に引き渡すというものだった。途中で荷物を預かった業者が話を曖昧にしたせいで一悶着あったものの、猫又が倉庫の裏手から保管場所を確かめ、アンビーとビリーが搬出口を押さえたおかげで、最後はニコの交渉だけで片が付いた。おまけに追加の手数料まで取れたのだから、打ち上げくらいしても罰は当たらないはずだった。
「……それで、これが打ち上げ?」
テーブルに並んだ紙箱を覗き込み、猫又は二本の尻尾を揺らした。揚げ物はまだ温かかったが、人数の割に量が少ない。箱の隙間には付け合わせの野菜が詰まっていて、目当ての魚料理は一つしか見当たらなかった。
「何よ、文句ある? 今日はあたしのおごりなんだからね」
「文句ってほどじゃないけどさ。追加報酬まで貰ったんでしょ? あたしはもうちょっと豪華なのを期待してたぞ」
「家賃も整備費も払わなきゃいけないの! 儲かった分をその日のうちに使い切ってどうすんのよ!」
「ニコの言うとおり。今日の報酬を加算しても、今月の収支には余裕がない」
アンビーが端末を確認しながら答え、猫又は大げさに肩を落とした。もっとも、そんな調子のままニコが自分の皿へ取ろうとしていた魚料理を狙うと、相手は素早く箱を引き寄せた。
「ちょっと! それ、あたしの!」
「早い者勝ちじゃないの?」
「おごってる人が先に決まってるでしょ!」
「そういう規則は初耳」
アンビーが口を挟むと、ニコはますます声を大きくし、ビリーはそれを眺めながら陽気な笑い声を上げた。ソファの端ではアミリオンが小さな端末を操作し、今日使った装備の点検記録をまとめている。金属の固定具を何度か動かしてから、顔面表示を明るくして耳を立てた。
「ンナッ!(固定具、正常! 問題なし!)」
「おう、そいつはよかった! あの修理屋、いい仕事してくれたみたいだな!」
ビリーの声に猫又が顔を上げると、アミリオンは得意げに修理履歴を表示した。日付と部品の交換箇所が並んでおり、最後の欄には試験結果まで細かく書き込まれている。
「修理屋? アミリオン、またどっか壊したの?」
「またって言うなよ、猫又。仕事で固定具を傷めちまってさ。エンゾウのおっさんのところへ持っていくつもりだったんだが、アミリオンが別の修理屋を見つけてきたんだよ」
「ンナ!(アミリオン、見つけた!)」
「へえ。腕のいいところだった?」
「おう、腕は確かだぜ! しかもちょっと変わった修理屋でよ。ナローっていう白いボンプなんだが、右腕がねえんだ」
「右腕がないのに、修理屋なの?」
「そこがすげえんだよ! 背中から黒い触手が何本も伸びてきて、細けえ部品まで器用に扱っちまうんだ!」
ビリーは両手を広げ、先端が枝分かれする様子を身振りで説明し始めた。相変わらず大げさだったが、どうやら本当に見たものらしい。猫又は端末から目を上げ、尻尾の先をぴくりと動かした。
「黒い触手? それ、ボンプの話だよね?」
「もちろん! 見た目はちょいと古びてるけど、金属も樹脂も器用に加工しちまうんだ。アミリオンの固定具だって、ただ動くようにするだけじゃなく、重さを掛けたときの安全まで確かめてくれたぜ」
ビリーはアミリオンの端末に表示された修理記録を指し、少しだけ真面目な調子で続けた。
「あと、余計なところを弄らなかったのがよかったな。俺様たちの装備だって、勝手に中身を改造されたら困るだろ?」
そこでビリーは一度言葉を切り、照れ隠しのように腕を組んだ。猫又はいつもより少し落ち着いたその様子に興味を覚えた。目新しい機械を見つければ大騒ぎする彼が、相手の判断まで褒めるのは、そう多いことではない。
「ナロー……ああ、もしかして、これ?」
猫又がインターノットの検索結果を開くと、写真付きの投稿が現れた。六分街の外れにある、ボンプだけで始めた修理屋の話だ。廃材を組み合わせた屋根の下に古い作業台が並び、何体ものボンプが集まっている。中央には小さな黄色いボンプと、落ち着いた雰囲気の灰色のボンプが写っていた。
「そうそう、そこだぜ! ただ、ナロー本人は写真にいねえな。黄色いのがワナビー、灰色のはグレイっていって、二体とも店のことをしっかり分かってるんだ」
「ふうん。こっちの黄色い子、かわいいじゃん」
猫又が写真を拡大すると、ワナビーらしいボンプは端末を抱え、何かを確かめるように顔を近づけていた。看板も家具も手作りらしく、立派な店とは言い難い。それでも修理を待つ客のほかに、何をするでもなく腰掛けているボンプまでいて、場所そのものを気に入っていることが写真から伝わってきた。
「へえ。面白そうなところだね。あたしも一回、見に行こうかな」
「猫又、見物のつもりなら相手の邪魔をしないこと」
アンビーが釘を刺すと、猫又はわざとらしく目を丸くした。
「なんであたしが邪魔するって決めつけるのさ。ちょっとお喋りして、触手も見せてもらえたらいいなって思っただけだぞ」
「見せてもらうのは、相手がいいと言ったら」
「分かってるってば。アンビーってば、心配性なんだから」
猫又が笑う横から、ニコが修理履歴を覗き込んだ。その視線が金額の欄で止まる。
《修理費 420ディニー》
《支払済 200ディニー/アミリオン》
《後払い 220ディニー/ビリー・キッド》
「……ビリー」
「お、おう、親分。どうした?」
「どうした、じゃないわよ。あんた、二百二十ディニーもツケてきたの!?」
「違うんだって! 俺様が自分で払うって約束したんだ。親分に請求が行くわけじゃないぜ!」
「当たり前でしょうが! で、いつ払うの?」
「今日の仕事の取り分があるだろ? そっからちゃんと用意するさ。支払期限だって確認してあるんだぜ!」
「ンナッ!(ビリー、約束!)」
「分かってるって、アミリオン! まったく、誰も俺様を信用してくれねえんだからなあ」
猫又は笑いをこらえながら、端末の画面を指でなぞった。修理代を取り立てられて困っているビリーには悪いが、おかげで少しばかり修理屋の事情が分かった。無料で何でも直す夢のような場所ではなく、部品代を計算し、足りなければ支払いの約束も取り交わす普通の仕事場なのだ。だからこそ、あの手作りの広場がちゃんと続いているのかもしれない。
*
「ところで猫又。明日の仕事の準備、終わってるんでしょうね?」
食べ物がほとんどなくなったところで、ニコが予定表を開いた。表示されたのは港湾地区の複数の保管倉庫を巡る、精密機器の搬送警備だった。荷主は輸送中の積み替えを不安がっており、現物の照合から最終的な引き渡しまで、数日間続けて立ち会ってほしいという依頼である。
「ああ、あれね。大丈夫だよ。ルートも集合場所も確認したし、あとは明日の朝に出るだけ」
「本当に? あんたが取ってきた仕事なんだから、途中で飽きたとか言わないでよ」
「言わないってば。ちゃんと最後までやるぞ」
猫又は不満そうに頬を膨らませたものの、仕事の資料は既に端末へ保存してある。港の倉庫には外部から入り込める経路がいくつもあり、荷物の積み替えでは監視の目が途切れることもある。そうした場所の見回りなら自分の足を生かせるし、アミリオンにも護衛と装備の確認を頼める。少人数で引き受けられる仕事を探してニコへ持ち込んだのは、ほかならぬ猫又だった。
「アミリオンも明日は猫又と一緒。固定具を直したばかりなんだから、無茶な使い方しないこと。それと、こまめに連絡を寄越しなさいよ」
「ンナ!(了解! 猫又と一緒!)」
「ふふん。任せといてよ、ニコ。猫又がいれば、倉庫の隅っこまで見逃さないんだから」
「だからって、荷物の中身を勝手に開けないでね」
「もう! 信用してるんだかしてないんだか、どっちなのさ!」
「仕事を任せるくらいには信用してるわよ。心配するのは別!」
即答したニコに、猫又は一瞬だけ言葉を失った。すぐにいつもの調子へ戻り、冗談めかして手を振ったものの、それ以上は文句を言わなかった。
そうして打ち上げがお開きになる頃、猫又は改めて例の修理屋の投稿を開いた。写真の端には小さな看板があり、不揃いな文字で《こわれててもだいじょうぶ》と書かれている。なかなか大きく出たものだと思う反面、並んでいるボンプたちの傷んだ外装を見ると、その言葉を気に入った理由も少し分かる気がした。
「よし。港の仕事が片付いたら、遊びに行こっと」
「相手の仕事の邪魔をするんじゃないわよ」
「もう聞いたってば! それよりニコ、帰ってきたら魚料理くらいおごってよね」
「儲けが出たら考えてあげるわ!」
猫又は満足そうに笑い、明日の集合時刻を確認してから端末をしまった。
*
翌朝、猫又とアミリオンを送り出したビリーは、事務所へ戻るなり自分の端末を開いた。昨日の報酬から修理代として二百二十ディニーを取り分け、ナローへの送金先を確認する。払うと決めたからには、親分にもう一度小言を言われる前に片付けておきたかった。
「よーし、これで借りは返せるな。やっぱりヒーローは約束を守らねえと!」
ちょうどそのとき、新着メッセージを知らせる音が鳴った。
送り主はナローだった。ビリーはてっきり修理代の催促かと思ったが、画面に表示されたのは別の用件である。
《ビリーさん、お仕事のことで少し相談があります。修理代とは別件です。よければ、邪兎屋の方をご紹介いただけませんか》
「……おっ?」
ビリーは文章を読み返し、朝から出発した猫又とアミリオンのことを思い出した。あの二人には既に仕事があり、すぐには戻ってこない。けれど、依頼を受けるかどうか決めるのは親分だし、詳しい話を聞く前から断る理由もなかった。
「へへっ、昨日から噂になりっぱなしじゃねえか、ナロー。今度は俺様たちの出番ってわけか?」
そう呟いて、ビリーはニコを呼びに立ち上がった。