俺たちを充電設備まで案内してくれることになったのは、片耳の欠けた灰色のボンプだった。
古い作業用の機体らしく、外装のあちこちには細かな擦り傷が刻まれ、足元の関節にも何度か補修を受けた跡がある。それでも歩き方はしっかりしたもので、見知らぬ俺が遅れないよう、ときどき振り返っては声をかけてくれた。
「ンナナ。(この先は配送車の出入りが多いんだ。歩道の端を通った方がいいよ。昔、急いで横切ろうとしたボンプが荷台に引っかかって、そのまま三つ先の倉庫まで運ばれたことがあってね)」
「NnnA。(……そのボンプ、大丈夫だったの?)」
「ンナ。(もちろん。翌日には戻ってきたよ。荷物の仕分けまで手伝わされたって怒ってたけどね)」
なかなか恐ろしい話である。
俺は言われたとおり道路の端へ寄り、隣を歩くワナビーの様子も確かめた。本人は周囲の車両や通行人を注意深く観察しながら、俺の左手をしっかり握っている。
修理した胸部の駆動音は安定しており、今のところ異常はなさそうだ。
むしろ問題なのは俺の方だった。
《残存電力 3%》
《省電力動作を推奨》
「NnnA……。(これは本当にまずいな)」
視界の隅で点滅する数字を眺めていると、歩くことさえ無駄遣いに思えてくる。蓄電池にはまだ僅かな電力が残っているものの、満足に充電するには到底足りない。
「ンナ?(どうした?)」
後ろから声をかけてきたのは、右腕を故障させた青いボンプだった。色褪せた配送用のベストを着ており、胸元には何かの会社のマークが付いている。
「NnnA。(電力があと三%しかなくてね。充電設備までもつかなって)」
「ンナナ。(だったら、もっと早く言ってくれればよかったのに。工具箱くらいなら持てるよ。こっちは片腕が動かないだけで、脚は元気なんだから)」
そう言うなり、俺の持っていた箱を取り上げてしまう。
「NnnA。(いや、悪いよ。そっちだって故障してるんだろ)」
「ンナ。(動く方の腕まで使わなくなったら、いよいよ仕事にならないだろ? それに、お前が途中で止まったら、誰が俺の腕を直してくれるんだい)」
なるほど、実に合理的な話だった。
ワナビーも隣で頷いている。俺だけが納得していないような気もするが、実際、今ここで停止するわけにはいかないのだから、ありがたく甘えることにした。
それからしばらく歩くうちに、二体の仕事について何も聞いていなかったことを思い出す。
「NnnA。(そういえば、二体とも仕事してるんだよね。どんな仕事なの?)」
青いボンプが、自分の胸元にあるマークを指した。
「ンナ。(俺は配送会社の所属だよ。主に小口の荷物を運んでる。会社の古い機体だから、あんまり遠くまでは行かせてもらえないけどね)」
「NnnA。(へえ。じゃあ、今日は休み?)」
「ンナナ。(午後の便が終わったところ。腕の修理を申請したら、交換部品が届くまで待機しろって言われてさ。待つくらいなら自分で修理できるところを探そうと思ったんだ)」
どうやら、会社の管理下にあるボンプらしい。故障したら修理を申請し、仕事の割り当ても会社が決めるのだから、人間の従業員に近い部分もあるのだろう。
もっとも、その本人が自分で修理屋を探していることには、少し驚いた。
「NnnA。(会社の修理を待たなくていいの?)」
「ンナ。(腕が直れば仕事に戻れるからね。上司には連絡してあるよ。ただ、変な改造をするなって念を押されたけど)」
「NnnA。(……それは気をつけないとな)」
俺の場合、普通に修理しているつもりでも、結果として変な改造になっている可能性がある。果たして、会社の人間が見て納得してくれるのだろうか。
少し不安になったところで、今度は灰色のボンプが口を開いた。
「ンナ。(こっちは倉庫の仕事だね。もう長いこと、荷物の仕分けや在庫の確認をやっているんだ。前の倉庫が閉まってからは、昔の知り合いに頼まれた仕事を手伝ってるよ)」
「NnnA。(じゃあ、今は別の会社にいるの?)」
「ンナナ。(いや、そういうわけでもないんだ。前の倉庫では備品として登録されていたけど、閉鎖のときに処分の対象になってね。今の仕事は、顔馴染みの店が時々声をかけてくれるだけさ)」
随分とあっさりした説明だった。
俺が意味を確かめようとしていると、灰色のボンプは少し困ったように耳を傾けた。
「ンナ。(新しい登録先を見つけた方がいいとは言われるんだけどね。古い機種だし、耳もこんな具合だろう? 正式に引き受けたいってところは、なかなかなくてさ)」
欠けた耳を軽く叩いてみせる。
そこには長年使われた機械らしい傷があるだけで、本人の話し方も、歩く姿もしっかりしたものだった。特に仕事ができなくなっているようには見えない。
それでも、古いというだけで引き受け手が見つからないこともあるらしい。
「NnnA。(……じゃあ、今は自分で仕事を探してるんだ)」
「ンナナ。(そんなところかな。ありがたいことに、前の取引先がまだ覚えてくれてるんだよ。正式な仕事として頼んでもらえないこともあるけど、充電代くらいにはなるからね)」
本人は冗談めかしているが、なかなか厳しい暮らしのようだった。
もっとも、俺だって現在の登録情報がどうなっているのか分からない。持ち主がいるのかどうかすら不明な機体なのだから、他人事として聞いている場合ではなさそうだ。
そこで、今さらながら、互いに名前も知らないことに気づいた。
「NnnA。(そういえば、まだ名前を聞いてなかったな。俺はナロー。こっちはワナビー)」
「ンナ。(よろしく)」
ワナビーが軽く耳を動かすと、灰色のボンプは嬉しそうに頷いた。
「ンナナ。(グレイだよ。前の倉庫にいた頃から、ずっとそう呼ばれていてね。見たまんまの名前だけど、案外気に入ってるんだ)」
「NnnA。(グレイか。覚えやすくていい名前だね)」
「ンナ。(ありがとう。ナローもワナビーも、なかなか変わった名前だね。どこの型式なのか、ちょっと気になるところだよ)」
「NnnA。(……実は、俺たちもよく分かってないんだ)」
正直に答えると、グレイは一瞬だけ耳を傾けたものの、それ以上は詮索してこなかった。
「ンナナ。(そうかい。まあ、長く動いてりゃ、いろいろあるものさ。ともかく、よろしく頼むよ)」
何とも大らかな返事だった。
昔の倉庫で使っていた名前を、今でもそのまま名乗っているらしい。勤め先がなくなっても名前まで変える必要はないというのは当たり前のような気もするが、俺たちが昨日ようやく自分の名前を決めたことを思うと、少し不思議な感じがした。
グレイはグレイのまま、今日まで働いてきたのだ。
そう考えているうちに、先ほどまで気にしていた電力不足に、別の問題まで加わってしまった。
果たして俺は、この街で普通に暮らせるのだろうか。
「ンナ!(着いたよ!)」
グレイの声に顔を上げると、建物の脇に小さな充電スペースが見えてきた。
どうやら、ひとまず目先の問題は解決できそうである。
*
充電設備は、古びた金属製の屋根の下に設置されていた。
壁際にはいくつかの充電口が並び、正面の表示板には利用料金や注意事項が記されている。建物の壁には小さな換気扇が取り付けられており、回転する羽根の音に混じって、充電中の機体から低い駆動音が聞こえてきた。
すでに二体のボンプが利用しており、一体は充電口へ繋がれたまま何やら端末を操作し、もう一体は隣に座って、仕事仲間らしいボンプと通信している。
どうやら、ただ電気を補給するだけの場所ではないらしい。
「ンナ。(ここは古い設備だから、新しい機種じゃなくても使いやすいんだ。料金も、この辺りでは安い方だと思うよ)」
グレイが慣れた様子で説明してくれる。
「NnnA。(へえ、そうなんだ)」
俺は早速、空いている充電口へ向かった。
ところが、接続しようとしたところで手が止まる。
「NnnA……。(あれ?)」
形が合わない。
差し込み口と胸元の端子を見比べても、寸法が微妙に違っている。近くに用意されていた変換ケーブルも試してみたが、どれも完全には一致しなかった。
「NnnA。(……俺、普通のボンプじゃないのかな)」
思わず呟くと、青いボンプが横から顔を覗かせた。
「ンナ。(そんなことを聞かれても困るなあ。でも、古い機種なら規格が違うことはあるよ。うちの会社にも、専用の充電器がないと動かせない奴がいるし)」
なるほど。それなら、そこまで珍しいことではないのかもしれない。
もっとも、目の前に電気があるのに使えないというのは、なかなか精神衛生上よろしくない。
《残存電力 2%》
しかも、時間の余裕までなくなってきた。
「NnnA。(……仕方ない。少し工作するか)」
俺は持ってきた工具箱を開き、昨日修理した蓄電池に使っていた接続部品を取り出した。これなら自分の身体へ繋ぐことができるので、あとは充電設備側の規格に合わせるため、間に挟む変換器を作ればいい。
もちろん、設備そのものを勝手に改造するつもりはない。料金を払って使う場所なのだから、壊してしまったら元も子もないだろう。
「NnnA。(ちょっと変なものを使うけど、驚かないでくれよ)」
念のため断ってから、背中へ意識を向ける。
黒い触手が一本、ゆっくりと伸びた。
「ンナ……。(おお、これか)」
グレイが感心したように声を上げる。
「ンナナ。(さっきは少ししか見えなかったけど、本当に自由に動かせるんだね。ずいぶん器用な腕じゃないか)」
「NnnA。(腕なのかどうか、俺にもよく分からないけどね)」
苦笑したつもりだったが、口から出たのは相変わらず妙な電子音だった。
一方、青いボンプは少し距離を取っている。
「ンナ。(いやあ、思っていたよりすごいな。倉庫で見かけた荷役機械に似てるけど、そいつはもっと太くて、動くたびに床が揺れるんだ)」
怖がっているというより、珍しい機械を観察しているような反応だった。
どうやら、少なくともこの二体にとって触手は、不気味というより珍しい機能らしい。もっとも、俺自身は未だに慣れていないのだから、あまり人前で広げたくはなかった。
触手の先端を接続部へ当てると、内部の構造が自然に理解できる。電圧の違いや信号の形式を確かめ、使わなくなった電源回路を間に挟んで調整していくと、わずかに紫色の光が滲み、異なる規格の二つの部品が少しずつ馴染んでいった。
作業を終えて接続すると、待ち望んでいた表示が現れる。
《外部電源を検出》
「NnnA!(よし!)」
思わず声を上げた。
あとは充電を開始するだけだ。
そう思って表示板へ目を向けたところで、新しい問題に気づく。
《利用料金を投入してください》
「NnnA……。(……お金がない)」
当たり前の話だった。
誰かが設備を設置し、電気を引き、維持管理しているのだから、充電するには料金がかかる。それくらい人間だった頃には当然のように理解していたはずなのに、今はすっかり忘れていた。
俺が途方に暮れていると、ワナビーが隣から表示板を覗き込んだ。
「ンナ。(知ってた)」
「NnnA。(知ってたのかよ)」
「ンナ。(ナローにはお金がない)」
「NnnA。(それも知ってたのかよ)」
まったく、何という奴だ。
そう思ったところで、グレイが小さな硬貨を取り出した。
「ンナ。(じゃあ、これを使いなよ。どうせ耳を直してもらうつもりだったんだし、修理代の前払いということで)」
「NnnA。(いや、まだ直せるかどうかも分からないぞ)」
「ンナナ。(分かってるよ。でも、今ここで君が止まったら、修理どころじゃなくなるだろう? まず充電しなさいな)」
なかなか面倒見のいいボンプだった。
青いボンプも横から頷いている。
「ンナ。(そうそう。動けるようになってから、落ち着いて考えればいいじゃないか)」
確かに、そのとおりである。
俺は少し迷ったものの、差し出された金を借りることにした。
「NnnA。(……ありがとう。ちゃんと返すから)」
「ンナ。(そんなに気にしなくていいよ)」
硬貨を投入すると、充電装置が低い音を立てて動き始めた。
身体の奥へ電力が流れ込み、駆動装置の振動が少しずつ安定していく。視界の隅では残存電力が三%、四%と回復し、手足を動かしたときの反応も滑らかになってきた。
その数字を眺めているうちに、ようやく胸の奥にあった不安が薄れていく。
どうやら、本当に生き延びられそうだった。
「NnnA……。(助かった)」
思わず呟くと、ワナビーが俺の左手を軽く叩いた。
「ンナ。(よかった)」
ああ、本当によかった。
何しろ、目覚めて二日目にして電池切れで動けなくなるところだったのだから。
*
充電がある程度進んだところで、俺たちは建物の裏手へ移動した。
グレイが教えてくれた場所で、普段は荷物の一時置き場として使われているらしい。今日は作業の予定がないので、通路を塞がなければ短時間の修理くらいなら構わないだろう、という話だった。
もっとも、本当に構わないのかどうかは俺には分からない。何か言われたらすぐ片付けるつもりで、壁際に寄せられていた小さな運搬台を借りることにした。
最初に診るのは、グレイである。
「NnnA。(じゃあ、耳を見せてくれ)」
「ンナ。(はいよ。見た目はこんな具合だけど、悪いのは中の方なんだ。倉庫で荷物を降ろしているとき、棚の角へ引っかけてね。それ以来、右側から呼ばれても気づかないことがある)」
耳の外装は先端が欠け、内部の受信部も一部が露出していた。破損箇所へ意識を向けると、配線が何本も切れているだけでなく、信号を処理する小さな回路にも異常があるらしい。
「NnnA。(これ、かなり長いこと放っておいたんじゃない?)」
「ンナナ。(三か月くらいかな。前の倉庫で使っていた頃なら修理の申請を出せたんだけどね。今は自分で何とかするしかないから、使える方の耳で補ってたんだ)」
「NnnA。(それで仕事は大丈夫だったの?)」
「ンナ。(大丈夫と言えば大丈夫さ。ただ、荷物が崩れる音なんかを聞き逃すと危ないからね。なるべく人の多い場所では働かないようにしてるよ)」
思っていた以上に厄介な故障だった。
機械なのだから、別のセンサーで補えば済むのかもしれない。しかし、それにも限界はあるだろうし、何より本人が不便を感じているのだから、直せるなら直した方がいい。
「NnnA。(分かった。中の回路を交換してみよう)」
工具箱を開き、使えそうな部品を並べる。
同じ規格のものはなかったが、形状の近い受信モジュールなら一つ見つかった。これを取り付ければ、少なくとも必要な信号を拾えるようにはなるはずだ。
ただし、そのままでは動かない。端子の配置も信号の形式も違うので、普通なら変換回路を別に用意する必要があるだろう。
「NnnA。(また規格違いか……)」
思わず呟くと、グレイが苦笑するように耳を動かした。
「ンナ。(古い機種だからねえ。修理屋へ持っていっても、部品がないと言われることが多くてさ。新しい機体を買った方が安いんじゃないか、なんて勧められたこともあるよ)」
「NnnA。(……自分で新しい身体を買うわけにもいかないんじゃ?)」
「ンナナ。(そうなんだよ。そこが困ったところでね。買い替えるのは持ち主の都合だけど、仕事を続けたいのはこっちの都合だろう? なかなか話が噛み合わないんだ)」
相手は冗談めかして言っているが、俺にはどうにも笑えなかった。
新しい機体を買えばいいと言われたところで、今ここにいる本人はどうなるのだろう。単に同じ仕事をする別のボンプが来れば、それで構わないという話なのだろうか。
そう考えてから、あまり深く踏み込むのはやめた。今の俺には、この街でボンプがどう扱われているのかさえ、よく分かっていないのだ。
「NnnA。(じゃあ、なるべく今の部品を残して直すよ。これでいい?)」
「ンナ!(もちろん。頼むよ)」
了承を得て、触手を一本伸ばす。
先端が細かく分かれ、受信回路の内部へ静かに入り込んでいった。
壊れた部品を取り除き、代わりのモジュールを接続する。規格の違う信号を合わせる作業には少しだけ時間がかかったものの、触手の感覚に従って調整していくと、それまで途切れていた回路が自然に繋がっていった。
薄紫色の光が消え、内部の信号が安定する。
「NnnA。(よし。ちょっと試してみようか)」
俺は相手の右側へ回り、少し距離を取って声をかけた。
「NnnA。(聞こえる?)」
「ンナ!(聞こえるよ!)」
返事はすぐに返ってきた。
今度は背後から、さらに少し離れて呼びかけてみる。グレイは迷わず振り返り、嬉しそうに耳を揺らした。
「ンナナ!(おお、すごいねえ。右側からの音がこんなにはっきり聞こえるのは久しぶりだよ。これなら倉庫の中でも安心して働けそうだ)」
「NnnA。(よかった。ただ、外装が欠けてるから、水とか埃には気をつけてくれよ。そこはまだ直せてないから)」
「ンナ。(それくらい構わないさ。今度、合う外装が見つかったら交換すればいいんだから)」
その返事を聞いて、少し安心した。
どうやら、グレイは自分の身体について、俺よりもよほど現実的に考えているらしい。
もちろん、壊れた部分は直した方がいいだろうが、完全に元どおりにすることだけが目的ではないのだ。必要なのは、これからも使えること。それで仕事ができるなら、多少傷が残っていても構わない。
そんな考え方もあるのだろう。
「NnnA。(じゃあ、これでひとまず大丈夫そうだな)」
「ンナ!(本当にありがとう。助かったよ)」
グレイは何度も礼を言いながら、右耳を動かしている。
その様子を見ていると、何となくこちらまで嬉しくなってきた。
自分でも不思議なものだと思う。昨日まで壊れた機械を見れば、使える部品があるかどうかを考えていた。それが今では、どこを直せば元気に動けるようになるのか、ということを先に考えている。
少なくとも、俺の触手はそういう使い方ができるらしい。
*
二体目の修理は、少しばかり厄介だった。
青いボンプの右腕は、肩の付け根にある駆動装置が焼き付き、関節の一部まで歪んでいる。幸い、交換できそうな部品は持ってきてくれていたが、内部の摩耗が思った以上に進んでおり、単純にモーターを取り替えるだけでは済みそうにない。
「NnnA。(これ、いつから悪かったの?)」
「ンナ。(最初は一週間くらい前かな。腕を上げるたびに少し引っかかるようになってさ。仕事はできてたから、そのまま使ってたら、昨日とうとう動かなくなっちゃったんだ)」
「NnnA。(……それで、まだ配送してたの?)」
「ンナナ。(片腕でも運べる荷物はあるからね。それに、あんまり休んでると別のボンプに仕事を回されちゃうだろ? まあ、壊れたまま働いて悪化させたんだから、結局は損してるけどさ)」
なるほど。
働くボンプにも、それぞれ事情があるらしい。
グレイは正式な所属先を失っても働こうとしていたが、こちらは会社に所属しているからこそ、仕事を失いたくないと考えている。
どちらも俺よりずっと社会の中で暮らしているのだろう。
「NnnA。(じゃあ、これ以上悪くならないように直そうか)」
俺は触手を二本伸ばし、関節を固定しながら内部の部品を取り外した。
摩耗した軸受けを交換し、歪んでいる部分を少しずつ整える。持ち込まれたモーターは元の部品より出力が高かったが、そのまま使うと別の関節へ負担がかかるため、制御回路を調整して元の仕様に近づけることにした。
もっと強く、もっと速く動かすこともできそうだった。
触手から伝わってくる感覚は、そんな可能性まで教えてくれる。
しかし、今回必要なのは性能の向上ではない。
元の腕が、元のように動くことだ。
俺は余計な加工を加えず、必要な箇所だけを調整していった。
「ンナ。(ずいぶん器用なものだねえ)」
隣で見ていたグレイが、感心したように声を漏らす。
「ンナナ。(それだけの腕があれば、倉庫の荷物もまとめて運べそうだ。どうだい、今度うちの仕事を手伝ってみないかい?)」
「NnnA。(いや、俺、まだ自分の身体のこともよく分かってないんだけど)」
「ンナ。(そりゃ残念。まあ、気が向いたら声をかけておくれ)」
なかなか気の早い話である。
すると、隣で工具を並べていたワナビーが、俺の右肩を指した。
「ンナ。(ナローも腕を直す)」
「NnnA。(ああ、そうだな。こいつが終わったら……)」
「ンナ。(部品を探す)」
どうやら、そちらの方が気になって仕方がないらしい。
グレイも俺の右肩へ目を向ける。
「ンナナ。(そういえば、君も片腕がないんだったね。てっきり、そういう改造をしてるんだと思ってたよ)」
「NnnA。(いや、最初からこうだったわけじゃないんだけど……)」
言いかけて、少し考える。
目覚めたときには、すでに右腕がなかった。だから、正確には最初からこうだったとも言える。
しかし、自分の中では腕が二本あるのが当たり前だったのだから、どうにも納得しにくい。
そんなことを考えていると、ワナビーが俺の左手へ小さなレンチを差し出してきた。
「ンナ。(作業)」
「NnnA。(……はいはい)」
どうやら、余計なことを考えている暇はないらしい。
俺は受け取った工具で固定具を締め直し、最後に触手で新しいモーターの出力を確認した。
関節の動きは滑らかで、余計な振動もない。
「NnnA。(じゃあ、ゆっくり動かしてみて)」
「ンナ」
青いボンプは慎重に右腕を持ち上げた。
途中で一度止め、ゆっくり下ろしてから、もう一度、今度は少し高く上げてみる。関節は滑らかに動き、異音も聞こえなかった。
「ンナ!(おお、動く! いやあ、助かったよ。これで明日の便には間に合いそうだ)」
「NnnA。(よかった。ただ、最初はあんまり無理しない方がいいぞ。しばらく使ってみて、変な感じがしたらすぐ止めてくれ)」
「ンナナ。(分かってるって。今度こそちゃんと整備に出すよ。上司に説明するときも、元の仕様に戻したって言えるしね)」
嬉しそうに腕を動かしている姿を眺め、俺も少し安心した。
少なくとも、今のところは問題なさそうだ。
ただ、やはり気になることがある。
機械の修理について、俺はほとんど経験がないはずなのだ。それなのに、壊れている場所を見れば原因が分かり、必要な作業まで自然に思い浮かんでくる。触手を使えば規格の違う部品を繋ぐことさえできるのだから、便利という言葉では片付けられない。
そもそも、この能力は何のために備わっているのだろう。
分からない。
ただ、今は誰かの役に立っている。
それだけは確かだった。
*
修理が終わった頃には、建物の陰が随分と長くなっていた。
日差しの残る道路はまだ明るいものの、裏通りには夕方の冷たい空気が流れ始め、壁に取り付けられた小さな照明がぽつぽつと灯り始めている。
俺は工具を片付けながら、二体へ声をかけた。
「NnnA。(じゃあ、これで終わりかな。しばらく様子を見て、変なところがあったら教えてくれ)」
「ンナ!(ありがとう。本当に助かったよ)」
「ンナナ。(こっちもね。これなら安心して仕事に戻れる)」
二体は嬉しそうに頷いた。
俺としても、他人の身体を二体続けて修理できたことには少し満足している。昨日のワナビーだけなら偶然という可能性もあったが、ここまで成功が続けば、少なくとも修理に関する能力があることは間違いないだろう。
そんなことを考えていると、グレイが小さな袋を差し出してきた。
「ンナ。(これ、修理代だよ)」
中を覗くと、ディニーが入っている。
俺は少し考え、それから袋を押し返した。
「NnnA。(いや、修理代はいりません)」
グレイは不思議そうに耳を動かした。
「ンナ?(どうして?)」
「NnnA。(ほら、俺、ちゃんとした修理屋じゃないしさ。部品もほとんど持ち込みだっただろ)」
実際、大したことはしていない。
もちろん、触手の能力が特殊なのは分かっているが、それを使うために何かを購入したわけでもなければ、特別な訓練を受けた覚えもない。
元から身体に備わっていた機能を使っただけで、そこまで金を取っていいものか、何となく気が引けるのだ。
「NnnA。(さっきの充電代は借りた分だから返すけど、修理代まではいいよ)」
そう説明すると、グレイは少し考えた。
「ンナナ。(なるほどねえ。じゃあ、君は何を貰ったら納得するんだい?)」
「NnnA。(え?)」
「ンナ。(修理するのに電気を使っただろう? 工具だって少しは傷むし、部品も必要になる。次に困っているボンプが来たら、また自分の電気を使って直してやるつもりなんじゃないかい?)」
そこまで言われて、返事に詰まってしまった。
確かに、俺が修理を続ければ、そのたびに電力を消費することになる。交換部品を使う場合もあるし、今日のように充電するためには金が必要だ。
何より、修理を頼みに来た相手が毎回充電代を立て替えてくれるとは限らない。
「NnnA。(……それは、まあ)」
言葉を濁すと、今度は青いボンプが近づいてきた。
「ンナ。(俺も修理代を渡そうと思ってたんだけどね。会社から整備費が出るかもしれないし、少なくとも俺の手持ちから払う分はあるよ。直してもらったのに何も渡さないっていうのは、ちょっと落ち着かないんだ)」
そう言って、小さな袋を差し出してくる。
どうやら、二体とも受け取ってもらうまで引くつもりがないらしい。
「NnnA。(いや、そこまでして貰わなくても……)」
そこで、ワナビーが俺の左手を引いた。
「ンナ。(ナロー)」
「NnnA。(何?)」
「ンナ。(受け取って)」
こちらまで同じことを言う。
「NnnA。(いや、でも、俺はそこまで苦労してないし)」
「ンナ。(直した)」
「NnnA。(そりゃ直したけど)」
「ンナ。(二体とも、仕事に戻れる)」
短い言葉だったが、妙に説得力があった。
俺がしたことによって、二体はまた仕事ができるようになる。耳の故障を気にして危険な場所を避ける必要もなくなり、腕の故障で仕事を制限されることもない。
それが本人たちにとって価値のあることなら、修理にかかった手間の大小は関係ないのかもしれない。
むしろ、必要な仕事をしたのだから対価を受け取るべきなのだろう。
俺は少し考え、それから二体へ向き直った。
「NnnA。(……じゃあ、少しだけ貰おうかな)」
「ンナ!(そうそう、それでいいんだよ)」
グレイが嬉しそうに耳を動かした。
青いボンプも安心したように頷いている。
もっとも、適正な修理代がいくらなのかは分からない。
そう伝えると、グレイは少し笑うような声を上げた。
「ンナナ。(そんなの、これから覚えればいいさ。修理屋によっても値段は違うし、部品が手に入るかどうかでも変わるんだからね)」
なるほど。
どうやら、世の中というのは思っていた以上に複雑らしい。
俺は差し出されたディニーを受け取り、工具箱へしまった。
それから、青いボンプが持ってきた予備部品のうち、使わなかったものをいくつか分けてもらうことにする。
金よりも、こちらの方が嬉しいかもしれない。
何しろ、今の俺には腕が一本足りないのだから。
「NnnA。(ありがとう。大事に使わせてもらうよ)」
「ンナ!(こちらこそ。助かったよ)」
二体は満足そうに頷いた。
俺は改めて、工具箱の中を覗き込む。
今日、手に入れたのは少しの金と、いくつかの部品だけだった。それでも、昨日まで何も持っていなかった自分にとっては、随分と大きな収穫のように思える。
何より、それを誰かの役に立つことで手に入れたという事実が、妙に嬉しかった。
*
廃品置き場へ戻る頃には、街の明かりがすっかり目立つようになっていた。
遠くの大通りからは車両の走行音が絶え間なく聞こえ、建物の隙間を通り抜ける風には、昼間とは違う冷たさが混じっている。
俺は左手に工具箱を抱え、ワナビーと並んで歩いていた。
今日の修理で手に入れたのは、少しのディニーと、使えそうな電子部品、それから古いモーターや軸受けなどの交換部品だった。どれも大した価値はないのかもしれないが、少なくとも昨日まで俺たちが持っていなかったものである。
しかも、それらは廃品を漁って拾ってきたのではなく、仕事の対価として誰かから受け取ったものだった。
その違いは、思っていた以上に大きかった。
「NnnA……。(修理屋、か)」
試しに呟いてみる。
昨日までは自分が何者なのかも分からなかったのに、今は壊れた機械を直して金を受け取っている。
なかなか奇妙な話である。
隣を歩くワナビーは、そんな俺の考えなど気にする様子もなく、工具箱の中を確認していた。
「ンナ。(明日も修理する)」
「NnnA。(いや、そんなに都合よく壊れたボンプが来るか?)」
そう聞くと、ワナビーは少し考えた。
「ンナ。(来る)」
「NnnA。(自信あるな)」
「ンナ」
どうやら、かなり確信しているらしい。
俺としては、今日修理した二体が満足して帰ってくれただけでも十分なのだが、ワナビーはもっと先のことまで考えているようだった。
「NnnA。(まあ、来たら診るけどさ)」
「ンナ」
その返事を聞いたワナビーが、嬉しそうに耳を揺らす。
少し嫌な予感がした。
だが、本人はそれ以上何も言わず、俺の隣を歩いている。
やがて廃品置き場の入口が見えてきたところで、俺は足を止めた。
入口の脇に、見覚えのない小さな箱がいくつか並べられている。昨日まではなかったもので、近づいてみると、中には古い電子部品や工具が詰め込まれていた。
さらに、その横には見知らぬボンプが二体座っていた。
一体は片脚の外装が大きく割れており、もう一体は胸元の表示灯が不規則に点滅している。どちらも、俺たちに気づくと小さく耳を立てた。
「ンナ!(ああ、戻ってきた! ここで修理してくれるって聞いたんだけど、君がそうなのかな?)」
片脚のボンプが声をかけてくる。
「NnnA。(……はい?)」
俺は思わずワナビーを見る。
ワナビーは当然のように頷いた。
「ンナ。(来た)」
確かに来た。
どうやら、今日修理した二体から早速話が伝わったらしい。あるいは、ワナビーが俺の知らないところで何かしていたのかもしれない。
俺が返事に困っていると、胸元の表示灯が点滅している方のボンプも口を開いた。
「ンナナ。(急ぎじゃないから、明日でも構わないんだ。知り合いから、ここに壊れた部品を直してくれるボンプがいるって聞いてさ。もしよければ、一度診てもらえないかな)」
何とも丁寧な依頼だった。
しかも、本人はどうやら修理代を払うつもりらしく、小さな袋まで用意している。
俺は少し考え、それから頷いた。
「NnnA。(分かった。じゃあ、明日でよければ診るよ。ただし、直せるかどうかは分からないからな)」
「ンナ!(もちろん。それで十分だよ)」
二体は嬉しそうに耳を立て、それぞれ帰っていった。
その後ろ姿を見送っていると、ワナビーが工具箱から小さな板を取り出した。
「NnnA。(ん? 何それ)」
「ンナ。(看板)」
「NnnA。(看板?)」
ワナビーは近くの金属板へそれを立てかけ、どこから取り出したのか、小さな筆記具で何やら書き始めた。
しばらくして完成したものを見せてもらうと、そこには少し不格好な文字が並んでいた。
《ボンプ修理》
その下には、もう少し小さな文字が続いている。
《こわれててもだいじょうぶ》
「NnnA……。(……いや、待て)」
俺は思わず声を上げた。
「NnnA。(勝手に店を作るなよ)」
「ンナ。(店じゃない)」
「NnnA。(じゃあ何だよ)」
ワナビーは少し考えた。
「ンナ。(修理する場所)」
いや、それを普通は店と言うのではないだろうか。
そう突っ込もうとしたところで、ふと、別の問題に気づく。
ここは、そもそも俺たちの土地ではない。
廃品置き場の管理者が誰なのかも分からず、勝手に寝泊まりしているだけである。そこへ修理を頼むボンプが集まるようになれば、いずれ誰かに見つかるのは間違いない。
「NnnA……。(なあ、ワナビー。これ、本当に大丈夫かな)」
ワナビーは俺を見上げた。
「ンナ?」
「NnnA。(いや、ここって誰かの土地だろ? 勝手に店みたいなことを始めたら、怒られるんじゃないかと思ってさ)」
そう言うと、ワナビーは少し考えた。
それから、入口の奥にある金属製の門を指す。
「ンナ。(あそこ)」
何かあるのだろうか。
近づいてみると、錆びた門の脇に古い看板が取り付けられていた。
雨風に晒され、文字の一部は剥がれているものの、そこには確かにこう書かれている。
《関係者以外立入禁止》
その下には、管理会社らしい名前と連絡先まで記されていた。
「NnnA……。(……あったのかよ)」
思わず呟く。
どうやら、俺たちが知らなかっただけで、この廃品置き場にはきちんと管理者がいるらしい。
しかも、立入禁止と書かれている。
俺は改めてワナビーを見る。
「NnnA。(……これ、どうする?)」
ワナビーは少し考えた。
それから、手に持っていた看板を見下ろす。
「ンナ。(明日、修理する)」
「NnnA。(いや、そういう話じゃなくて)」
どうやら、問題の優先順位が違うらしい。
俺としては、まずここに住んでいていいのかを確認したいところなのだが、ワナビーは明日の修理依頼の方が気になるようだった。
もっとも、そんなことを言いながらも、本人は入口の看板をじっと眺めている。
しばらくして、何か思いついたように耳を立てた。
「ンナ。(相談する)」
「NnnA。(誰に?)」
ワナビーは、管理会社の連絡先を指した。
「ンナ。(ここ)」
なるほど。
確かに、勝手に使っているのが問題なら、管理者へ相談するのが筋だろう。
ただし、それで素直に許可が貰えるかどうかは別問題である。
何しろ、俺たちは登録情報すら怪しいボンプ二体なのだから。
「NnnA……。(まあ、そうだよな)」
俺は小さくため息をついた。
今日一日で電力の問題が少し解決し、修理の仕事までできるようになった。昨日まで何も持っていなかった俺たちにとって、それは随分と大きな進歩だったと思う。
ところが、今度は土地の問題である。
どうやら、この街で暮らしていくには、壊れたものを直せるだけでは足りないらしい。
「NnnA。(……明日、ちょっと話を聞いてみるか)」
「ンナ!」
ワナビーは嬉しそうに耳を揺らした。
そのまま、手に持っていた小さな看板を廃品置き場の入口へ立てかける。
《ボンプ修理》
《こわれててもだいじょうぶ》
何とも大雑把な宣伝文句だった。
そもそも、全部の故障を直せるわけでもないのに、そんなことを書いていいのだろうか。
少し考えたものの、結局、看板を外す気にはならなかった。
せめて傾いているのだけは直そうと、左手を伸ばして板を真っ直ぐに据え直す。
それを見ていたワナビーが、満足そうに頷いた。
「ンナ。(修理屋)」
「NnnA。(……まだ仮だからな)」
「ンナ」
どうやら、仮という部分は聞かなかったことにするつもりらしい。
俺は工具箱を抱え直し、廃品置き場の奥へ向かった。
明日も、どうやら忙しくなりそうだった。