目が覚めたらボンプ(触手付き)だった男   作:チャッピーQ

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第5話 この場所の値段

 管理会社の人間が来ると聞いて、俺が最初に考えたのは、看板を外しておいた方がいいのではないか、ということだった。

 

 何しろ、許可も取らずに《ンナンナ広場》などという名前を付けてしまったのである。修理用の作業台や長椅子まで並べているのだから、事情を知らない人間が見れば、勝手に土地を占拠して商売を始めた連中だと思うだろう。

 

 いや、実際そのとおりなのだが。

 

「NnnA?(なあ、せめて看板くらいは片付けておかないか?)」

 

「ンナッ。(駄目)」

 

 ワナビーは即答した。

 

「NnnA。(いや、だってさ。あれを見たら、ここを勝手に使う気満々だと思われるだろ)」

 

「ンナ。(使いたい)」

 

「NnnA……。(……そうだけど、まだ許可がないんだって)」

 

「ンナナ。(だから相談する)」

 

 なるほど。実に筋の通った話だった。

 

 少なくとも、何をしたいのか隠して相手を迎えるよりは、最初から正直に説明した方がいいのかもしれない。それにしても、どうしてこいつはこういうときだけ妙に堂々としているのだろう。俺など、管理会社から届いた通知を読むだけで、今にも怒られるような気分になっているというのに。

 

「ンナーナ。(まあ、看板はそのままでいいんじゃないかい? 隠したところで、ここに何体もボンプが集まってるのは分かるだろうしね)」

 

 背後から声をかけてきたのは、グレイだった。

 

 昨夜のうちに貸出品の記録を整理してくれたらしく、手には小さな端末を持っている。欠けた右耳の外装は相変わらずだが、修理した受信装置には問題がないようで、今日も元気に働いていた。

 

「NnnA?(それもそうか。……ところで、準備の方はどう?)」

 

「ンナーナ。(できるところまではね。通路も片付いたし、危ない廃材の周囲には立入禁止の印を付けたよ。ただ、奥の大きな機械には手を付けてない。何が入ってるか分からないから、勝手に動かすのは危ないと思ってね)」

 

 グレイが指した先には、古い作業機械や鉄骨が積み重なっており、その手前には黄色と黒の紐が張られていた。昨夜、みんなで作業した甲斐もあって、入口から修理台までの通路は随分と綺麗になっている。

 

 もっとも、整頓されているのは俺たちが普段使っている場所だけで、敷地全体から見ればほんの一角にすぎない。古い金属板の間には雨水が溜まり、錆の浮いた容器や用途の分からない機械まで残っているのだから、これを安全な場所だと言い切るのは難しかった。

 

「NnnA……。(……やっぱり、怒られるかな)」

 

「ンーナナ。(怒られるかもしれないねえ。でも、何を直せばいいのか分からないまま追い出されるよりは、ちゃんと話を聞いた方がいいと思うよ)」

 

 グレイは少し笑うように耳を揺らした。

 

「ンナーナ。(何しろ、僕たちにはここを買い取れるほどのお金なんてないんだからね。せめて、相談するくらいはさせてもらわないと)」

 

 もっともな話だった。

 

 俺は小さく頷き、作業台の上に置かれた記録用の端末を手に取る。人間相手にはボンプ語がうまく伝わらないので、今日の説明はこれを使うつもりだった。昨日までのやり取りを思い返し、使用目的や連絡先をまとめた文章も用意してある。

 

 もっとも、文字で説明できるからといって、交渉が得意になるわけではない。

 

 そこが一番の問題だった。

 

 すると、ワナビーが俺の左手を引いた。

 

「ンナッ。(来た)」

 

 顔を上げると、入口の向こうに一台の小型車が停まるところだった。

 

     *

 

 やって来たのは、三十代か四十代くらいに見える女性だった。

 

 落ち着いた灰色の上着に、安全靴らしい頑丈な靴を履き、肩には書類の入った鞄をかけている。車を降りると、まず敷地の入口を確かめ、それから手元の端末へ視線を落とした。

 

 いかにも仕事のできそうな人である。そして、あまり機嫌がよさそうには見えなかった。

 

「……ここね」

 

 女性は《ンナンナ広場》と書かれた看板を見上げ、少しだけ眉を寄せた。

 

 俺は慌てて近づき、挨拶をする。

 

「NnnAAッ!(お、おはようございます!)」

 

 当然ながら、口から出たのは電子音だった。

 

 女性は一瞬だけこちらを見て、それから少し戸惑ったように笑った。

 

「……おはよう。ええと、今のは挨拶よね?」

 

 俺が頷くと、女性は安心したように表情を緩めた。

 

「ごめんなさいね。ボンプ語は挨拶くらいしか分からないの。仕事でボンプと接することはあるんだけど、細かい話になると、どうしてもね」

 

 そう言って、手元の端末を軽く持ち上げる。

 

「文字でやり取りしてもらえると助かるわ。……それで、あなたが問い合わせをしてきたボンプ?」

 

 俺が答えようとすると、隣からワナビーが進み出た。

 

「ンナッ。(私)」

 

 小さな身体をぴんと伸ばし、女性へ向けて耳を立てると、顔面の表示へ文字を映し出す。

 

《問い合わせをしたのはワナビーです》 《こちらがナローです》

 

「ああ、ありがとう。そういうことね」

 

 女性は少し感心したように画面を眺め、それから頷いた。

 

「私は管理会社の原田です。昨日、TURBOのエンゾウさんからも連絡をいただいています」

 

 どうやら、話は通っているらしい。

 

 俺は慌てて端末へ挨拶を入力した。

 

《よろしくお願いします》

 

「ええ、こちらこそ。……それで、ここを使いたいというお話でしたね」

 

 原田さんはそう言いながら、改めて周囲を見回した。

 

 通路に並べられた長椅子や修理用の作業台、部品を分類した棚の周りには、何体ものボンプが集まっている。昨夜のうちに話が伝わったらしく、普段よりも随分と人数が多かった。しかも、みんな揃ってこちらを見ているのだから、なかなか壮観な光景である。

 

 原田さんはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。

 

「……聞いていたより、ずっと賑やかですね」

 

 俺は何も答えられなかった。

 

 どうやら、最初の印象はあまりよくなかったらしい。

 

     *

 

 現地確認は、まず敷地の状態を調べるところから始まった。

 

 原田さんは管理図面と実際の廃品置き場を見比べ、入口から奥へ向かって歩いていく。俺たちもその後ろについていき、途中で何度か質問を受けた。

 

「この通路は、以前からあったものですか?」

 

「ンナッ。(最近)」

 

 ワナビーが返事をすると、原田さんは少し首を傾げた。そこでワナビーは顔面の表示を切り替え、改めて文字を映し出す。

 

《昨日、みんなで片付けました》

 

「そうですか。……ここに積んであったものは、どこへ移したんでしょう?」

 

 今度は俺が答えようとして、少し困ってしまった。

 

 昨夜のうちに廃材を整理したことは覚えているが、どの部品がどこへ移動したのかまでは把握していない。俺自身は通路の邪魔になる金属板や古い機械を運ぶ仕事が中心だったので、片付けたものの行き先までは確認していなかったのだ。

 

 すると、隣にいたグレイが一歩前へ出た。

 

「ンナーナ。(それなら、記録がありますよ)」

 

 当然ながら、そのままでは伝わらなかったらしい。原田さんがこちらへ視線を向けたところで、グレイは慣れた様子で端末を操作し、廃材の移動先をまとめた一覧を表示した。

 

 そこには、元から敷地内にあったものと、ほかのボンプが持ち込んだものが区別され、移動したものについても簡単な記録が残されている。

 

 原田さんは画面を受け取り、少しだけ目を見開いた。

 

「……ずいぶん細かく記録しているんですね」

 

 グレイは嬉しそうに耳を揺らし、端末へ書き足した。

 

《以前、倉庫で在庫管理をしていました》

 

「ああ、なるほど。そういうお仕事をされていたんですね。それなら、こういった整理はお手のものかしら」

 

 原田さんがそう言うと、グレイは得意げに胸を張った。

 

 どうやら、ボンプ語を理解できなくても、仕事の話には不自由しないらしい。少なくとも、文字で伝えれば、原田さんはこちらの説明をきちんと聞いてくれるようだった。

 

「ただ、元からここにあったものは、勝手に持ち出したり処分したりしないでください。廃品に見えても、管理会社の所有物として記録されている場合がありますから」

 

 俺は慌てて頷いた。

 

 確かに、壊れているからといって、自由に使っていいとは限らない。廃品置き場に捨ててあるものなら何でも拾っていいと思っていたが、考えてみれば、ここは公共のゴミ捨て場ではないのだ。

 

 すでに修理へ流用した部品についても、いずれ確認しなければならないだろう。

 

 原田さんは続けて、積まれた鉄骨や古い設備の周囲を確認していった。途中、俺たちが立入禁止の印を付けた場所へ差しかかると、その手前で足を止める。

 

「ここは、皆さんが区切ったんですか?」

 

 俺が頷くと、彼女は少しだけ表情を緩めた。

 

「それはよかった。奥の方は以前から安全性を確認できていないんです。特にあの大型機械の周辺は、管理会社側でも調査が必要なので、絶対に近づかないでください」

 

 そう言って、管理図面の一角へ印を付ける。

 

「それから、通路は綺麗になっていますけど、緊急時に避難できる経路が一つしかありませんね。入口が塞がれたら、奥にいるボンプは出られなくなりませんか?」

 

 俺は返事に詰まった。

 

 そこまでは考えていなかった。昨夜はとにかく人が通れるように片付けることばかり考えていたが、何かあったときに逃げられるかどうかは別の話である。

 

 周囲のボンプたちも、少し気まずそうに耳を下げていた。

 

 すると、グレイが端末へ文字を入力する。

 

《別の通路を作ることはできます》 《ただし、奥の廃材を動かす必要があります》

 

 原田さんはそれを読むと、首を振った。

 

「いえ、今すぐ動かさないでください。まず私たちが安全性を確認します。そのうえで、どこまで使っていいかを決めましょう」

 

 ただ片付ければいいという話でもないらしい。

 

 俺としては、触手を使えば重いものでも簡単に動かせるような気がするが、それで事故が起きてしまっては意味がない。それに、俺の能力でできることと、やっていいことが同じとは限らないのだ。

 

 先日エンゾウさんから聞いた言葉を思い出し、俺は素直に頷いた。

 

     *

 

 ひととおり敷地を見終えたところで、原田さんは入口近くの長椅子へ腰を下ろした。

 

 俺たちはその前に集まり、説明を聞くことになった。

 

「まず、状況は大体分かりました。修理をしているという話でしたけど、それだけではないんですね」

 

 そう言って、作業台の方を見る。

 

 そこでは何体かのボンプが部品を整理しており、別の一体が長椅子に座って端末を操作していた。

 

「修理を受けたり、道具を貸し借りしたり、休憩したり……。つまり、皆さんが集まる場所として使いたいということですか?」

 

 俺は頷き、端末へ説明を入力した。

 

《はい》 《修理だけでなく、情報交換や休憩にも使いたいです》

 

 最初から計画していたわけではないが、今ではそういう場所になっている。ボンプたちが集まる理由はそれぞれ違っていても、ここを使い続けたいという気持ちは同じなのだろう。

 

 原田さんは文章を読むと、小さく頷いた。

 

「分かりました。ただ、今の状態で使用を認めることはできません」

 

 思わず身体が強張った。

 

 予想していた言葉ではあるが、実際に聞くとやはり堪えるものがある。周囲のボンプたちからも、落胆したような電子音が漏れた。

 

 原田さんはその声に少し驚いたようだったが、意味までは分からなかったらしい。何体かが耳を伏せている姿を見て、ようやく自分の言葉がどう受け取られたのか察したようだった。

 

「……あの、すぐに全部撤去してくださいと言っているわけではありませんよ」

 

 慌ててそう付け加える。

 

「今のところ、この土地を別の用途に使う予定は決まっていませんから。ただし、ここを使うなら、管理会社としても条件を決める必要があるんです」

 

 俺は慎重に頷いた。

 

 どうやら、まだ交渉の余地はあるらしい。

 

「まず、使える範囲を限定します。奥の廃材や古い設備には手を付けないこと。それから、安全に出入りできる通路を確保すること。修理作業をするなら、工具や電源の管理も必要になりますね」

 

 原田さんは一つずつ説明しながら、管理図面の一角を指で囲んだ。

 

 そこには、俺たちが現在使っている作業台と長椅子、それから部品置き場の大部分が含まれている。

 

 どうやら、敷地全体を使わせてもらうのではなく、比較的安全な一角だけを借りる形になるらしい。それなら必要以上に広い場所を管理せずに済むし、今の俺たちでも何とかなるかもしれない。

 

「もちろん、正式に使用するなら費用もかかります。土地の管理費に、設備の点検費用、それから電気を引くなら電気代も必要です」

 

 分かっていたつもりだったが、改めて言われると気が重くなった。

 

 これまで俺たちは、壊れた機械を修理し、必要な部品を集めることばかり考えていた。土地を使えば費用がかかり、電気を正式に引けば毎月請求が来るうえ、安全を維持するための点検まで無料ではない。

 

 一体だけで廃品置き場に転がっていた頃には、考えもしなかった出費だった。

 

「NnnA……。(……いくらくらいかかるんだろう)」

 

 俺が端末へ質問を入力すると、原田さんは少し考え、手元の資料を確認した。

 

「正確な金額は、使用面積と契約内容が決まってからになります。ただ、この一角だけを暫定的に使うとしても、月に数万ディニーは見ておいた方がいいでしょうね。電気代や設備の修繕費は別です」

 

 数万ディニー。

 

 俺は思わず工具箱の方を見た。

 

 これまで修理代として受け取った金は、ワナビーが管理しているので正確な残高は分からない。しかし、今ここにある金を全部集めても、毎月それだけ払えるとは思えなかった。

 

 しかも、電気代は別らしい。

 

 少しばかり眩暈がした。いや、ボンプに眩暈があるのかどうかは知らないが、気分としてはそんな感じである。

 

「それと、もう一つ大切なことがあります」

 

 原田さんは俺たちを見回した。

 

「契約を結ぶなら、責任を持って連絡できる方が必要です。現状、皆さんの登録情報では契約主体を確認できませんから、まずはその問題を解決していただかなければなりません」

 

 やはり、そこへ戻ってきた。

 

 金を用意すれば済むなら、まだ働いて稼ぐという方法がある。だが、契約そのものができないとなれば、どれほど修理を頑張っても解決できない。

 

 いっそエンゾウさんに頼んでしまおうかとも思ったが、昨日の説明を思い出して、その考えを振り払った。

 

 名義を借りるということは、相手にも責任を負わせることになる。そんなことを、知り合ったばかりの人間へ簡単に頼めるはずがなかった。

 

     *

 

 しばらくの沈黙を破ったのは、グレイだった。

 

「ンーナナ。(すみません。ちょっと聞いてもいいでしょうか)」

 

 原田さんは声のした方へ視線を向けたものの、質問の内容が分からなかったらしく、少し困ったように笑った。

 

「ごめんなさい。今のはちょっと……。何か質問があるのかしら?」

 

 グレイはすぐに頷き、端末を操作して文章を表示した。

 

《私たちが敷地の整理や清掃を担当した場合》 《管理費を少なくすることはできますか?》

 

 原田さんは少し驚いたように目を上げた。

 

「……清掃を、ですか?」

 

 グレイが頷き、さらに説明を加える。

 

《以前、倉庫管理の仕事をしていました》 《危険な設備には触れず、使う場所だけでも綺麗にできます》

 

 原田さんはしばらく考え込んだ。

 

「そうですね……。定期的な清掃を皆さんが担当してくださるなら、管理会社側の負担は多少減るかもしれません。ただし、専門業者による点検や、廃材の正式な処分までお願いするわけにはいきませんから、どこまで費用に反映できるかは確認が必要です」

 

 完全に無理な話というわけではないらしい。

 

 グレイは嬉しそうに耳を動かし、端末へ文字を打ち込んだ。

 

《ぜひ検討してください》 《ここには、ほかにも仕事の経験が豊富なボンプがいます》

 

 原田さんはそれを読むと、周囲へ視線を向けた。

 

「そういえば、通路も皆さんで整備したんでしたね。倉庫の管理をされていた方がいるなら、ほかにも得意分野を持った方がいらっしゃるんでしょうね」

 

 その言葉を聞いて、周囲のボンプたちが嬉しそうに耳を揺らした。

 

 今までのやり取りでは、原田さんは彼らの言葉をほとんど理解できていない。それでも、差し出された記録や仕事の内容を見れば、相手が十分な知識と経験を持っていることは分かるらしい。

 

 どうやら、言葉が通じないことと、相手の能力を認めないことは別の話のようだった。

 

「ただし、皆さんができるからといって、何でもお願いできるわけではありません。事故が起きたときの責任がありますから」

 

 そこだけは譲れないらしい。

 

 もっとも、こちらとしても無理な仕事を引き受けるつもりはなかった。

 

 そのとき、今度は緑色のボンプが前へ出てきた。以前、設備の保守をしていたという個体で、昨夜も通路や配電箱の状態を確かめてくれていた。

 

「ンーナ……。(電気のことなんですが……)」

 

 話しかけながら資料を差し出すと、原田さんは少し首を傾げ、それから文字の表示された画面へ目を落とした。

 

《敷地内に旧設備があります》 《使用許可と安全確認が必要なのは理解しています》 《再利用できる可能性はありますか?》

 

「……ああ、あの設備ですね」

 

 原田さんは資料を読み、少しだけ眉を寄せた。

 

「確かに、以前はこの敷地へ電気を引いていたはずです。ただ、今も使えるかどうかは分かりません。管理会社の記録でも、ずいぶん前に使用を停止したことになっていますから」

 

 電気が来ているように見えたとしても、正式に使える状態なのかどうかは別らしい。

 

「点検した結果、使えると分かれば新しく設備を設置するより安く済むかもしれません。ただし、こちらも確認が必要ですね」

 

 緑色のボンプは納得したように頷き、端末へ礼を表示してから元の場所へ戻っていった。

 

 俺はそのやり取りを眺めながら、少し不思議な気分になっていた。

 

 最初は、俺が何とかしなければならないと思っていたのだ。

 

 修理屋を始めたのは俺だし、ここへボンプたちが集まるようになったのも、俺が修理を引き受けたことがきっかけだった。だから、土地の問題も俺が解決するべきなのだろうと、何となく考えていた。

 

 しかし、今こうして話をしているのは俺だけではない。グレイは倉庫での経験を活かして清掃や管理の方法を考えているし、設備の保守に詳しいボンプは電気のことを相談している。

 

 俺が知らないことを、彼らは当たり前のように知っているのだ。

 

 それに、彼らの話は俺の代わりに説明しているわけではない。それぞれが自分の考えを持ち、自分の言葉で相談しているのである。

 

 ただ、それを人間へ伝えるには、いちいち文字にしなければならない。

 

 原田さんは丁寧に対応してくれているが、そのたびに作業が止まり、端末を受け渡す時間が必要になる。これが複数の人間を交えた相談になれば、もっと面倒なことになるだろう。

 

 ボンプ同士なら当たり前に会話ができるのに、人間が一人加わっただけでこれほど手間がかかるとは思わなかった。

 

 せめて、話した内容をそのまま人間の言葉に変えてくれる機械でもあれば、随分と楽になるのだろうが。

 

 そんなことを考えながら周囲を眺めていると、ワナビーが俺の左手を軽く叩いた。

 

「ンーナ?(聞いてる?)」

 

「NnnA……。(……ああ、ごめん)」

 

 どうやら、少し考え込みすぎたらしい。

 

 俺は慌てて顔を上げ、原田さんの説明へ意識を戻した。

 

     *

 

 結局、原田さんはその場で使用許可を出すことはしなかった。

 

 ただし、今すぐ撤去を求めることもしないらしい。

 

「管理会社へ戻って、使用できる範囲や費用を確認します。それまでは、新しい設備を設置したり、敷地内のものを勝手に処分したりしないでください。特に電気設備には絶対に触れないこと。そこは約束していただけますか?」

 

 俺はすぐに頷き、端末へ返事を入力した。

 

《約束します》 《危険な場所には近づかないようにします》

 

 ワナビーとグレイも頷いている。

 

 原田さんはその様子を確かめると、手元の端末へ何かを記録した。

 

「それから、相談の窓口になってくださる方を探しておいてください。エンゾウさんには連絡先をお伝えしていますので、必要ならそちらを通していただいても構いません」

 

 どうやら、エンゾウさんにはもう少し世話になることになりそうだ。

 

 俺は改めて礼を入力する。

 

《今日はありがとうございました》 《できれば、ここを使い続けたいです》

 

 原田さんはそれを読むと、少しだけ表情を緩めた。

 

「ええ。皆さんがここを大切に使いたいと思っていることは、分かりました」

 

 そう言って立ち上がり、最後に入口の看板へ目を向ける。

 

《ンナンナ広場》

 

 青と黄色の文字が、午前中の日差しを受けて明るく見えている。

 

 原田さんはしばらくそれを眺めていたが、やがて小さく笑った。

 

「……随分と賑やかな名前ですね」

 

 俺は何となく気恥ずかしくなった。

 

 名前を付けたのはワナビーだが、最終的に認めたのは俺も同じである。何しろ、ほかのボンプたちまで気に入ってしまったのだから、今さら変えようにも変えられないだろう。

 

 すると、ワナビーが一歩前へ出た。

 

「ンナナ。(気に入ってる)」

 

 原田さんには言葉の意味まで伝わらなかったらしいが、ワナビーが誇らしげに看板を見上げる姿から、何となく気持ちは察したようだった。

 

「……ふふっ、気に入っているのね。だったら、ちゃんと残せるように頑張ってください」

 

 ワナビーは嬉しそうに耳を立てた。

 

 俺も少し安心し、原田さんへ向かって頭を下げる。

 

 彼女は軽く手を振ると、車へ戻っていった。

 

 俺たちはしばらく、その後ろ姿を見送っていた。

 

     *

 

 管理会社の車が見えなくなると、周囲から一斉に声が上がった。

 

「ンナナッ!(よかった! すぐに追い出されるわけじゃないんだね)」

 

「ンーナナ。(まあ、まだ決まったわけじゃないけどさ。少なくとも、話は聞いてもらえたってことだろ?)」

 

「ンナーナ。(それなら、今のうちに必要なものを整理しておこうよ。使っていい範囲が決まったら、すぐ移動できるようにさ)」

 

 どうやら、みんな少し安心したらしい。

 

 もっとも、俺はそこまで楽観できなかった。

 

 土地の使用料に電気代、設備の点検費用。それから、正式な契約を結ぶための責任者まで必要になる。問題が一つ解決したと思ったら、その向こうに新しい問題がいくつも並んでいたのだから、どうにも気が重い。

 

「NnnA……。(……お金、足りるかな)」

 

 小さく呟くと、隣にいたワナビーが顔を上げた。

 

「ンーナ?」

 

「NnnA。(いや、毎月何万ディニーも必要になるんだろ? 今の修理代だけじゃ、ちょっと厳しいんじゃないかと思ってさ)」

 

 ワナビーは少し考えた。

 

 それから、俺の工具箱を指す。

 

「ンナッ。(修理する)」

 

「NnnAッ!(だから、その修理代だけじゃ足りないかもしれないんだって)」

 

「ンナッ。(増やす)」

 

 実に単純な解決策だった。

 

 しかし、何でもかんでも修理を引き受ければいいというわけではない。俺にはできないこともあるし、そもそも修理を必要としているボンプが毎日大勢来るとは限らないのだ。

 

 そう説明しようとしたところで、グレイが近づいてきた。

 

「ンナーナ。(まあまあ、二体だけで考え込まなくてもいいじゃないか。さっきも言ったけど、ここにはいろんな仕事をしてる連中がいるんだよ。修理代だけで全部賄おうとする必要はないんじゃないかな)」

 

 確かに、そのとおりだった。

 

 俺が修理して稼いだ金だけで広場を維持しようとするなら、結局は俺一体の負担になってしまう。それでは、みんなで作った場所だという話と少し違う気がする。

 

「NnnA?(……じゃあ、みんなで少しずつ出し合うとか?)」

 

「ンーナナ。(それも一つの方法だね。ただ、仕事がない奴もいるし、毎月同じ金額を出すのは難しいかもしれない。だから、まずは必要な費用を全部調べて、何にいくらかかるのか見えるようにした方がいいと思うよ)」

 

 今の俺たちは、そもそも何がいくら必要なのかを知らない。その状態で金を集めようとしても、誰がどれだけ負担するべきなのか決められるはずがない。

 

 俺が頷くと、グレイは少し得意げに耳を揺らした。

 

「ンナーナ。(そういうのは任せておくれ。倉庫でも在庫の管理だけじゃなくて、消耗品の発注や費用の記録までやってたんだ。こういうときこそ、経験を活かさないとね)」

 

 頼もしい話だった。

 

 グレイがいると、俺が思いつきもしなかったことを次々と補ってくれる。ワナビーも隣で頷いているのだから、どうやら異論はないらしい。

 

「NnnA?(じゃあ、頼んでもいいかな)」

 

「ンナナッ!(もちろん。任せておくれ)」

 

 グレイは嬉しそうに耳を揺らし、早速ほかのボンプたちへ声をかけ始めた。

 

     *

 

 その日の午後、作業台の横に新しい掲示板が設置された。

 

 元々は古い金属板だったらしいが、表面を綺麗に磨き、そこへ白い文字でいくつかの項目が書き込まれている。

 

《ンナンナ広場 必要なもの》

 

《土地の使用料》 《電気代》 《設備の点検》 《部品・工具の購入》 《修理用の予備費》

 

 俺はしばらく、その一覧を眺めていた。

 

 こうして並べられると、思っていた以上に必要なものが多い。土地を借りれば使用料がかかり、電気を正式に引けば毎月請求が来る。工具は使っていれば傷むし、交換用の部品だって無限に手に入るわけではない。

 

 何より、今まで俺たちは、ここに集まるボンプたちの好意に随分と頼ってきた。

 

 椅子を貸してくれた者がいて、工具を持ってきてくれた者がいて、廃材の整理を手伝ってくれた者もいる。みんなが自分のできることを持ち寄ってくれたからこそ、ここまで形になったのだ。

 

 しかし、好意だけでは払えないものもある。電気代を請求する相手に、みんなで頑張ったから無料にしてほしいと言ったところで、そう簡単には認めてもらえないだろう。

 

 どうやら、広場を続けていくには、ちゃんと金を稼ぐ仕組みも必要らしい。

 

「NnnA……。(……修理屋って、思ってたより大変なんだな)」

 

 そう呟くと、隣で部品を整理していたワナビーが顔を上げた。

 

「ンナ。(大変)」

 

「NnnA……。(……分かってるなら、もう少し早く言ってくれよ)」

 

「ンナ。(今、分かった)」

 

 なるほど。

 

 どうやら、こいつも全部分かっていたわけではないらしい。

 

 俺は思わず苦笑した。

 

 考えてみれば、当たり前のことだった。ワナビーだって、ついこの間まで俺と一緒に廃品置き場で暮らしていただけなのだ。俺よりよほどしっかりしているとはいえ、土地の契約や修理屋の経営について、最初から何でも知っているはずがない。

 

 それでも、分からないことがあれば調べ、必要なものがあれば集め、できることから始めている。そんな姿を見ていると、俺ももう少し頑張らなければならないような気がしてきた。

 

「NnnA……。(……まあ、少しずつ覚えていくか)」

 

「ンナッ」

 

 ワナビーは頷くと、工具箱から古い部品を一つ取り出した。

 

 それを俺の前へ差し出す。

 

「NnnA?(ん? 何これ)」

 

「ンナ。(右腕)」

 

 どうやら、また新しい部品を見つけてきたらしい。

 

「NnnA……。(……今、それどころじゃないんだけど)」

 

「ンナッ。(必要)」

 

 相変わらず、そこだけは譲るつもりがないらしい。

 

 もっとも、エンゾウさんに指摘されたこともある。修理屋として信用してもらうためにも、自分の身体をきちんと整備しておく必要はあるのだろう。

 

 ただ、土地の使用料も払えない状態で、腕の修理に金をかけていいものかは悩ましいところだった。

 

 そんなことを考えていると、ワナビーが俺の右肩を指した。

 

「ンーナ。(直したい)」

 

 いつものような断定的な響きとは、少し違っていた。

 

 俺が聞き返す前に、ワナビーはもう一度、欠けた右肩を見つめた。

 

 目覚めたときから、こいつはずっと俺の腕を気にしていた。触手があるから生活に困らないと説明しても、納得してくれたことは一度もない。

 

 どうしてそこまで気にするのかは分からない。ただ、俺の身体が壊れたままでいることが、本人には気になるのだろう。

 

「NnnA……。(……分かったよ)」

 

 俺は小さく頷いた。

 

「NnnA。(でも、まずは広場の問題を何とかしてからな。そのあとで、ちゃんと腕を探そう)」

 

 ワナビーは少し考え、それから嬉しそうに耳を立てた。

 

「ンナナッ!」

 

 どうやら、約束したことになったらしい。

 

 俺は苦笑しながら、差し出された部品を工具箱へしまった。

 

 そのとき、掲示板の前で何やら騒いでいたボンプたちが、こちらへ声をかけてきた。

 

「ンナーナッ!(ナロー、ちょっといいかい? これ、みんなで相談して決めたんだけどさ)」

 

 振り返ると、グレイが新しい紙を手にしていた。

 

 どうやら、広場の費用について何か考えたらしい。

 

 俺は近づき、差し出された紙へ目を通す。

 

《ンナンナ広場 運営費》

 

《修理代の一部を積み立てる》 《部品や工具の貸出料金を決める》 《使わなくなった部品を持ち寄る》 《余裕のある者は寄付してもよい》

 

 なかなか現実的な提案だった。

 

 少なくとも、俺一体が修理代を稼いで全部払うよりは、ずっと続けやすそうである。

 

「NnnA。(いいんじゃないか? ただ、無理にお金を出させるのはやめよう。ここへ来るだけなら、誰でも来られるようにしたいし)」

 

 俺がそう答えると、グレイは嬉しそうに頷いた。

 

「ンナーナ。(もちろん。そのための相談だよ。金を出せない奴だって、掃除や部品の整理なら手伝えるかもしれない。できることはそれぞれ違うんだからね)」

 

 その言葉を聞いて、少し安心した。

 

 俺たちが作りたいのは、金を払わなければ入れない場所ではない。ただ、壊れたボンプが修理を頼みに来られて、困っている者が相談できて、疲れたときには少し休んでいける場所が欲しかったのだ。

 

 そのために金が必要なら、みんなで何とかする方法を考えればいい。

 

 簡単ではないだろうが、不可能とも思えなかった。

 

「NnnA。(……よし。じゃあ、これでやってみようか)」

 

 グレイが嬉しそうに耳を揺らし、周囲のボンプたちからも賛成するような声が上がった。

 

 俺はその様子を眺めながら、ようやく少しだけ気持ちが軽くなった。

 

     *

 

 夕方、掲示板の前に小さな箱が置かれた。

 

 ワナビーがどこからか見つけてきたもので、上部には硬貨を入れるための細い穴が開いている。その正面には、グレイが書いたらしい文字が貼られていた。

 

《ンナンナ広場 運営費》

 

《無理のない範囲でお願いします》

 

 俺はしばらく、その箱を眺めていた。

 

 これまで修理代として受け取った金は、すべて俺たちの生活や部品の購入に使うつもりだった。しかし、今は違う。

 

 ここには俺以外にも多くのボンプが集まっており、誰かが持ってきた椅子があり、誰かが整理した部品があり、誰かが作った通路まである。その場所を維持するために、みんなで少しずつ金を出し合おうとしているのだ。

 

 考えてみれば、随分と大きな変化だった。

 

 俺は工具箱から小さな袋を取り出し、中に入っていたディニーを少しだけ箱へ入れた。硬貨が底へ落ち、軽い金属音を立てる。

 

 すると、隣にいたワナビーが俺を見上げた。

 

「ンーナ。(ナロー)」

 

「NnnA?(ん?)」

 

「ンーナ。(ありがとう)」

 

 何とも珍しいことを言う。

 

 俺は少し照れくさくなり、誤魔化すように肩をすくめた。

 

「NnnA。(いや、俺もここを使ってるんだからさ。それに、修理代の一部を入れるって決めたんだろ)」

 

 ワナビーは頷くと、そのまま俺の左手を軽く握った。

 

 俺も握り返し、入口の方へ目を向ける。

 

《ンナンナ広場》

 

 青と黄色の文字が、夕暮れの光を受けて少しだけ明るく見えている。

 

 最初はただ名前を付けただけの場所だった。しかし、今はその名前を残すために、みんなが少しずつ働こうとしている。

 

 どうやら、広場というものは、看板を立てればできるわけではないらしい。

 

 土地を使うには金が必要で、設備を維持するには手間がかかる。何かあったときには責任を負う者が必要になり、そこへ集まる者たちの間でも、いろいろなことを決めなければならない。

 

 それでも、ここを残したいと思っている者がいる。

 

 俺も、その一体だった。

 

「NnnA……。(……頑張らないとな)」

 

 小さく呟くと、ワナビーは嬉しそうに耳を立てた。

 

「ンナッ。(頑張る)」

 

 どうやら、同じ気持ちらしい。

 

 俺は少しだけ安心し、工具箱を抱え直した。

 

 そのとき、グレイが慌ただしくこちらへ駆け寄ってきた。

 

「ンナーナッ!(ナロー、ちょっと見てくれないかい? 管理会社から追加の連絡が来てるんだ)」

 

 俺は思わず顔を上げた。

 

 また何か問題が起きたのだろうか。

 

 グレイが差し出した端末には、短い文章が表示されていた。

 

《暫定使用に関するご相談》

 

 どうやら、先ほどの現地確認を受けて、管理会社が条件をまとめ始めたらしい。

 

 俺は少し期待しながら、続きを読もうとした。

 

 しかし、その前にワナビーが端末を覗き込み、小さく耳を動かした。

 

「ンーナ……。(お金)」

 

「NnnA?(……え?)」

 

 画面の下には、使用料の概算額が記されていた。

 

 俺はその数字をしばらく眺め、それから募金箱へ目を向けた。中には、俺が入れたばかりのディニーが少しだけ入っている。

 

 さらに、端末の数字へ視線を戻した。

 

 土地の使用料に、設備の点検費用。正式に電気を引くなら別の契約も必要で、古い設備を再利用できなければ、そのための工事費までかかるかもしれない。

 

 どれも、誰かが負担しなければならない金だった。

 

「NnnA……?(……これ、何体修理すれば払えるんだ?)」

 

 思わず呟くと、ワナビーが少し考え、手元の端末を操作し始めた。

 

 どうやら、計算してくれるらしい。

 

 ありがたい話だった。

 

 ただ、表示された金額を現在の修理代で割り始めたところで、俺は一つのことに気づいてしまった。

 

 今日から修理を倍に増やしたとして、電気代だって増える。部品が必要になれば仕入れなければならないし、工具の交換も必要だろう。

 

 今までのように、壊れたものを直せば少しずつ豊かになれるとは限らないのだ。

 

 そんな俺の考えなど気にせず、ワナビーは計算を続けている。

 

 やがて顔面の表示が切り替わり、必要な修理件数が現れた。

 

 俺はその数字を眺めた。

 

「NnnA……?(……そんなに?)」

 

 どうやら、広場の値段というものは、思っていたよりずっと高いらしい。




 休日を利用して、書きためていた分をまとめて投稿しました。
 明日12:30の投稿以降、本編は基本的に2日に1話のペースで更新していく予定です。
 間話については、本編の更新がない日に、物語の進行に合わせて投稿するつもりです。
 今後ともよろしくお願いします。
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