※本作品はpixivにも掲載しています。
大粒の雨が窓を激しく叩く。
時折、雷光が夜の街を照らす。
夕方からずっとこのままだ。
天気予報は大外れ、町中の皆が騒いでいた。
明日の朝を待つしかないだろう。
少年は溜息をつき、手元に目線を戻した。
シンクに山のように積まれたお皿を丁寧に洗っていく。
今夜、お店は大盛況。
この雨のお陰で、皆が屋根のある場所を求めたのだ。
「一息入れな。バテちまうよ」
店主が声をかけてくれ、少年は洗い場を離れる。
慣れない仕事だけに、数時間でヘトヘトだった。
ここは町外れにある、小さな酒場。
少年は食材を届けに来ていたが、突然の大雨で帰れなくなった。
辺りは治安の良い地域ではない。人通りの絶えた夜道を一人で帰すわけにもいかないと、店主が泊めてくれた。
その宿代わりに、少年は皿洗いを手伝っていた。
厨房機材の隙間、そこに置かれた粗末な椅子に腰を下ろす。
そこから店内の様子が見えた。
酔客の歓声が響き、とても賑やかだ。
外の雷雨が嘘のようだった。
今日は踊り子が来ている。
ホールの角に設けられた小さなステージでダンスを披露していた。
何気なく目線を移した瞬間、そちらに釘付けとなる。
とても綺麗な女性だった。
目を引くのは綺麗な金のロングヘアー、肩の高さで二房に分かれている。
凪の水面のような碧眼は、引きつけてやまない磁力を持っているようだ。
上下共に白の衣装が、照明を受けて光沢を返す。肌に張り付くデザインが、グラマラスなボディラインを見せつける。
ノースリーブのトップスは胸までしか丈がなく、露わになっているお腹のくびれが艶めかしい。
膝下までのスカートは、両サイドに深いスリットが入っており、僅かに覗く太股のラインが悩ましく映る。
総じて少年には刺激が強く、目線を外せなくなっていた。
彼女は、アキロゼ、と呼ばれていたか。
配達の仕事で訪れただけなので、今日のショーについては全く知らなかった。
一瞬だけ、目が合った。
アキロゼが、にこりと笑った。
心臓が早鐘を打った。
自分に向かって微笑みかけてくれた、そんな感じがした。
スローテンポの艶めかしい音楽に、アキロゼは体をくねらせる。
しなやかな動きには一分の淀みもない。
腰のくねりを基本とした艶やかな踊りだ。
それ以上に華があった。
ただ立っているだけでも、そこをステージにしてしまう雰囲気。
空気そのものが、存在によって支配される。
踊りは、彼女の魅力を伝える手段にすぎないのか。
それを説明する語彙を少年は持っていなかった。
呼吸も、瞬きも忘れ、ただ見入るばかりだった。
しかし、夢の一時は突如として破られた。
ステージに乱入者が現れたのだ。
体格のいい男が5人、ステージを囲み、一人がアキロゼに迫った。
嫌な連中が来た、と少年は眉を顰めた。
この辺りの夜道にたむろしているならず者だ。立ち居振る舞いで分かる。
立ち姿に品がない。
人を威圧し、虚勢を張ることに関しては長けている。
ただし、それだけの連中だ。
錆びと、脂と、煙草と、血の匂い。
アキロゼが持つ空気を汚す存在。
この大雨で屋根のある場所を求め、彼らが行き着いた先は、運の悪いことにこの店だった。
酔客達が声を上げるが、ならず者の一人が刃物をちらつかせ、黙らせた。
「困りますよ、お客さん!」
たまらずに店主が出て行く。
ウェイトレスは怯えてへたり込んでいた。
酔客達も竦み上がり、先ほどまでの賑わいが一転して重苦しい沈黙が漂った。
次の瞬間、店主が壁に叩きつけられた。
ならず者は言葉も発さず、拳で意志を示したのだ。
少年は慌てて駆け寄った。
打ち所が悪く、呻くばかりで意識が怪しい。
医者にかつぎ込むべき状態だ。
「触らないで!」
鋭い声が響いた。
凛としたよく通る声だ。
直後、乾いた音が響いた。
ステージに上がっていたならず者が、頬を抑え、驚愕に目を見開いていた。
「貴方達の相手なんて、冗談じゃないわ」
アキロゼだった。
腰に手を当てて仁王立ちになり、ならず者達を睨みつけていた。
その姿もまた、少年は目を奪われた。
どうあっても、アキロゼは美しかった。
ただ立っているだけなのに、次の瞬間には躍動を予感させる隙のなさがある。
そこにいるだけで、気品があり、華がある。
ならず者達の野卑な振る舞いとは対照的だった。
「裏では『売って』るんだろ、この阿婆擦れ、――!?」
それは手品のようだった。
ステージに上がった男がひっくり返り、動かなくなった。
アキロゼは泰然と立っているだけだ。
少年は、把握できずに呆然とするばかりだった。
種は簡単だ。
アキロゼが男の足を払った、それだけだ。
踊り子風情、と侮った男。
力を示して迫れば竦み上がる、その浅い考えで不用意に踏み込んだ。
隙だらけ、むしろ隙しかないその振る舞いでは、足下は完全にお留守だった。
倒れ込む姿も、隙だらけ。
強かに頭を打ち、ステージの上に伸びてしまった。
少年は、呆然と見守るばかりだ。
一連の流れが把握できなかった。
アキロゼが風を纏い、それで男を倒した、そうとしか見えなかった。
「この――!?」
「Cheers♪」
次の男は最初から本気だ。
腕力に任せて殴りかかる。
しかし、直後には口元が血で染まっていた。
アキロゼの手には、ビールジョッキがあった。
近くのテーブルから拝借して、顔の前に差し出した。
殴りかかった男は、勢いに任せているだけ。
しかし、ジョッキの分だけアキロゼの方が間合いが長い。
眼前に現れたジョッキに、自分から突っ込み、鼻面を潰してしまった。
「ビール代は、ちゃんと払うこと――」
ふぅわりと、舞い上がる。
風に体を乗せたような、優雅な動作だ。
足を折り畳み、膝頭を男の鼻面に叩きつける。
二人目の男も、ひっくり返って動かなくなった。
凄い。
少年は、呼吸も忘れていた。
男達と比べれば、アキロゼの手足は二周りは細い。
それにも関わらず、瞬きの間に二人が伏している。
乱闘すらも、華がある。
踊っているときと変わらぬ、引きつける美しさがあった。
見入るあまり、少年はぼうっとしていた。
次の瞬間には、また野太いうめき声が響いた。
「――!?」
しかし、今度はアキロゼの姿がない。
ならず者たちの姿も、一つ減っている。
組み伏せられたのか。
少年は慌てて辺りを見回した。
「足下がお留守よ。ちゃんと私を見てね」
アキロゼが優雅に立ち上がった。
遠巻きに見守る観衆も一斉に溜息をついた。
誰一人、アキロゼの動きを追えなかったからだ。
ならず者の仲間すらも把握しておらず、呆然としていた。
アキロゼは、近くのテーブルの下に飛び込んだ。
縁に手をかけ、勢いをつけ、近くにいたならず者の足下に滑り込んだのだ。
テーブルが視線を遮り、ならず者は反応できない。
足下が疎かになり、アキロゼの足が絡みついた。
蟹バサミでダウンを奪ったとき、打ち所が悪く、三人目も気を失ってしまった。
「大人しくしろ!」
刃物をちらつかせた男が迫る。
店内の皆を黙らせた男だ。
刃を見せびらかし、迫る男。
対するアキロゼは、にこりと笑った。
「あらあら、怖いのねぇ」
世間話でもするように、緩やかに微笑んでいる。
蕩けるような、甘い声だ。
今で無ければ、ずっと聞いていたいのに。
しかし、この場においては相応しくない。
見ている少年の方が張り詰めてしまう。
侮辱されたと激高した男が、叫びと共に飛びかかる。
刃が煌めく。
しかし、空間を薙いだだけだ。
再び、煌めいた。
それも、空を裂いただけだ。
「はいっ、はいっ♪」
アキロゼは、揺らめくだけ。
ダンスの稽古でもつけているようだ。
顔が触れそうな距離なのに、男は触れられない。
アキロゼが早いわけではない。
緩やかなステップを踏んでいるに過ぎない。
それが男の意表を突くのか、刃が追い切れない。
踊るような優雅な足取りに、直線的な動きが付いて来れないのだ。
「なめるなよ!」
刃の軌道がアキロゼを捉える。
惨劇を予期して少年は固く目を閉じる。
観客の悲鳴が響いた。
鋭い音が一つ。続いて、床を打つ重い音。
恐る恐る目を開ける。
男は床に伏し、アキロゼは立っていた。
刃は届いたはずなのに、彼女の身体には傷一つない。
何が起きたのか、少年には分からなかった。
「はいはーい、お触り禁止でーす♪」
それは、少年には見えなかった僅かな『揺らぎ』。
首を横に傾け、刃を捌いたアキロゼ。
突き出された腕に、自分の手を軽く添えた。
下から跳ね上げるようにして、軌道を逸らした。
突き出した勢いを上へ逸らされ、男の上体が前へ崩れた。
そこへ飛んだのはハイキック。
身体の前面を掠めるような極端な角度で、足が跳ね上がっていた。
常人には理解しがたい柔軟性だ。
踊りで鍛えられた身体ゆえか。
身体が泳いでいた男は防御できない。
ハイキックが、頭を巻き込む形で捉えた。
アキロゼの細い足では打撃力は知れているが、これだけバランスを崩している状態ならば床に倒すには十分だ。
頭から叩き付けられた男は、呻きを残して伸びてしまった。
瞬きをする間に、目まぐるしく状況が変わる。
しかしそれは、男達だけ。
アキロゼは、優雅に振る舞うだけだ。
緊張の糸の上ですらも、ステージにしているようだ。
少年はただ見入るばかりだった。
「そんな物を振り回すから――」
「――動くな!」
暢気な声が、鋭い叫びで遮られた。
少年の全身が凍り付く。
最後の男の手には、拳銃があったからだ。
4人目が飛び出した時点で、拳銃は用意されていた。
しかし、もみ合いになってしまい、射線が定まらず撃てなかったのだ。
「えー?そんな物まであったのー?」
アキロゼの口調は変わらない。
世間話でもしているようだ。
――ダメだよ、殺されちゃう!
少年は竦み上がり、へたり込んでいる。
舌の根まで震え、声すら出せない。
無機の殺意を放つ銃口に釘付けになっていた。
精巧な作りの拳銃だ。
銃器店に並んでいるのを見たことがある。
かなりの値がついていた。
最後の男が手にしているのは、紛うなき品質の銃だ。
「止まれ!」
男が叫んだ。
アキロゼは、一歩踏み出した。
「来るなと言っているだろう!」
男が、引き金を引いた。
銃声が響く。
今度こそ終わりだ。
少年は、ぎゅっと目を閉じた。
「ふぅん、それで?」
またもや、暢気な声。
少年は恐る恐る、目を開けた。
アキロゼは悠然と立っていた。
銃撃すらも、彼女を退けられなかった。
対照的に、男は全身を強張らせていた。
殴るときのように拳を固め、拳銃を握っている。
横に傾けて構えるのは、ならず者達がよくやる構え。
少年も喧嘩騒ぎの野次馬をやったときに、見かけていた。
「危ないよ、それ。下ろして欲しいな」
「ふざけるな!」
激高する男とは対照的に、アキロゼは冷静だ。
再び、銃声が響く。
アキロゼは、横に身体を開いた。
銃弾は虚空を突き抜け、後ろの壁を穿った。
少年は悟る。
二人の身のこなしには、明らかな違いがあった。
男の動きは、固い。
アキロゼと比較すると、錆びた機械人形のようだ。
引き金を引く、この一動作ですらもぎこちない。
目で狙い、手で構え、指で引き金を引く。
アキロゼには、目線の時点で男の行動が読めたのか。
二人の間で、別の時間が流れているようだった。
張り詰めた静寂が店内に満ちる。
全ての者が、呼吸を忘れた。
ただ一人を、除いては――
アキロゼが、跳んだ。
一瞬遅れ、銃声が響く。
銃弾は空を裂き、壁に突き刺さった。
アキロゼは、そこにはいなかった。
男の力量では、追い切れなかったのだ。
「――!?」
男の視界が暗くなる。
灯りが遮られたのだ。
次の瞬間、今度は呼吸も遮られる。
頭に重量がのし掛かった。
側頭部を左右から挟まれ、身動きが取れない。
男は、大きく仰け反った格好にされてしまった。
「そぉーれっ♪」
一瞬だけ、呼吸が出来た。
次の瞬間、顔に重量がのし掛かる。
とても柔らかな感触だ。
しかし、支えきれない重さがあった。
男は、そのまま後ろに倒れ込む。
衝撃。
視界に火花が飛び散る。
それと同時に、男の意識は刈り取られた。
少年は、へたり込んでいた。
目の前で繰り広げられた活劇の余韻に、呆然としていた。
アキロゼが近くのテーブルに飛び乗った。
遅れて男が反応するも、そこからさらに跳躍。
顔を太股で挟むように飛びかかり、男の背後のテーブルに着地。
もう一度飛び上がり、今度は男の頭を臀部で押し潰す。
結果、男は頭からテーブルに叩き付けられ、失神。
これが、男と女の乱闘の結末。
少年の常識の遙か上を飛び越えていた。
目にしたものを、頭がまだ整理できていなかった。
テーブルから下りたアキロゼが、優雅に一礼。
呆然としていた観客達が、拍手をもって応えた。
一連の活劇すらも、アキロゼのステージの一つとなっていた。
「大丈夫?」
甘くて優しい声が、降りかかった。
目の前には、先程まで踊っていた女神様。
今は、目と鼻の先で、心配そうに覗き込んできている。
にこりと、女神様は微笑んだ。
それだけで、硬くなった全身がほぐされた。
瞬きも忘れ、ただ見つめるばかり。
憧憬、という言葉の意味を、少年は身体で理解していた。
女神様は、倒れた店主の介抱に向かう。
その背を追いかける。
もう少し、あと少しだけ、吐息の掛かる場所に居よう。
止まない土砂降りとは裏腹に、少年の心はとても温かくなっていた。